シャンニー民族軍
シャンニー民族軍 | |
---|---|
ミャンマー内戦に参加 | |
シャンニー民族軍の旗 | |
活動期間 | 2016年1月 | –現在
活動目的 |
シャンニー民族主義 フェデラル連邦主義 |
指導者 |
Sao Meim Liam Sao Khun Aung |
本部 | Nwe Impha(インド・ミャンマー国境) |
活動地域 |
カチン州 ザガイン地方域北部[1] |
兵力 | 1000超[1] |
関連勢力 |
国家
関係勢力 |
敵対勢力 |
国家 その他 |
戦闘 | ミャンマー内戦 |
ウェブサイト | https://www.facebook.com/Shanni-Nationalities-Army-1703087823301830/ |
シャンニー民族軍(シャンニーみんぞくぐん、ビルマ語: ရှမ်းနီ အမျိုးသားများ တပ်မတော်; 英語: Shanni Nationalities Army; 略称:SNA)はミャンマーのザガイン地方域北部とカチン州で活動する武装組織である。団体としての結成は1989年[1]だが、武装したのは2016年1月であり、その際にカチン独立軍(KIA)から追放されたシャンニー族の元兵士の助力を受けた[5][6]。 同団体の5つの目的は、州の獲得、麻薬との闘い、連邦制の樹立、シャン諸民族の連帯の構築、生態学的均衡の保全である[1]。
背景
[編集]シャンニー族(自称はタイ・レン)はシャン族に系統が近い、人口およそ30万の民族であり、ザガイン地方域北部とカチン州に居住する[6]。
民族アイデンティティの抑圧に悩まされており、同団体の構成員の多くはパンロン協定により居住地がカチン族の州に統合されたことに理由を求める[7]。 一部の構成員は同地域のシャン諸国家の歴史をカムティ・ロンやモンヤンといった中世の国家にまで遡って認識している[8]。同団体が求めるシャンニー族の州の領域がカチン州と重なることや、カチン独立軍がシャンニー族を抑圧しているという認識は、両団体間の対立を生んだ[1][9]一方、新たな州の要求はミャンマー軍の反発を招いた[9]。
歴史
[編集]成立-2016年まで
[編集]シャンニー民族軍は同団体によれば1989年7月に設立されたとされている[1]。また、幹部はInternational Crisis Groupのインタビューに対して、1989年6月21日にシャン州の州都タウンジーで結成されたと回答している[10]。
2009年にインド・ミャンマー国境のNwe Imphaに本部を設置したとされているが[8]、カチン州やザガイン地方域に拠点を移したのは2012年ごろであると幹部は回答している[10]。SNAは新しい武装組織が和平プロセスに参入することを許さないとする政府のポリシーを回避するために1989年から活動していると主張しているのではないかとInternational Crisis Groupは示唆している[11]。
2016-2020年
[編集]同団体の結成は2016年1月に公表された。設立理由はシャンニー族の国内の政治的対話における立場を向上と自地域の保護であった[12]。 同団体が武装したのは全国停戦協定の発効後であり[6]、 構成員の参加理由は武装組織を持つことにより自民族が停戦協定の議論において自民族の要求を通しやすくすることであった[7]。 同団体とシャンニー族活動家は2016年に国民民主連盟に全国停戦協定への参加を認めるよう要望したが、政府の新たな武装組織を認めない政策のため許されなかった[1]。
2019年までには、カチン州とザガイン地方域の複数地域に基地を保有していた[8]。2020年4月中旬には同団体とミャンマー軍の間で緊張が高まったが、ミャンマー軍のホマリン郡区での影響力の強化に伴い鎮静化した[13]。2020年7月には5人のカチン独立軍(KIA)兵士によりシャンニー族の少年二人が捕虜に取られた後殺害された。KIAは同団体からの圧力を受け正式に謝罪し、関与した兵士を処罰した[14]。
ミャンマー内戦(2021-現在)
[編集]2021年のクーデター後にミャンマー各地で民族紛争が再燃する中、シャンニー民族軍(SNA)の指導層の一部はミャンマー軍との良好な関係の維持を優先した[7]。 シャンニー族の諸共同体は軍と協力し、カチン独立軍(KIA)に対抗した歴史を有していた[7]。 2021年5月26日には副指導者のサオ・クン・チョーがミャンマー軍に暗殺された[15]。
しかし、KIAとの対立が深まる中、SNAは2022年までには軍事政権と事実上の同盟を組んだ。同月9月、KIAを国民防衛隊(PDF)を設立、訓練し国民統一政府(NUG)の同意を得て「シャンニー族に対するジェノサイド計画を加速している」と非難した[16]。ある現地民は、SNAは初期にはPDFを支援していたが、多くのシャンニー族のPDF隊員は資金、装備面での支援を行ったKIAの指揮下に入ったと述べた上で、SNAが主張する領域におけるKIAの活動の増加がSNAの立場を変えたのではないかと推測した[9]。
2022年8月には、 ミャンマー軍と共同でパカン地域のある村の数百件の住宅に放火し、KIAを同地から撤退させた[17]。同年9月には、バンマウッ郡区とホマリン郡区にある二つのSNAの基地がKIAとPDFにより砲撃された[18]。
2024年2月には、ホマリン郡区でSNAが民族憎悪を煽り、徴兵を行っていることが報告されている[19]。
旅団構成
[編集]4個旅団(第891旅団、第972旅団、第753旅団、第614旅団)を編成している。以下は各旅団の管轄地域である[20]。
- 第891旅団 - カムティ郡区、インド国境
- 第972旅団 - ウユ川、パッカラーグウィン、セジン村
- 第753旅団 - ホマリン郡区、パウンビン郡区、ピンレブ郡区、シュエピエ町
- 第614旅団 - ザガイン地方域インドー郡区、バンモーッ郡区などチンドウィン川流域で活動
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g Chit Min Tun (8 April 2019). “Without Territory, the Shanni Army's Difficult Path to Recognition” (英語). オリジナルのJanuary 18, 2024時点におけるアーカイブ。 16 November 2019閲覧。
- ^ ICG 2020, p. 22.
- ^ “Pyu Saw Htee militia”. Myanmar NOW. 12 May 2022時点のオリジナルよりアーカイブ。23 June 2022閲覧。
- ^ ICG 2020, pp. 21–22.
- ^ “"Red Shan" form army in northern Burma after demand for new state”. Shan Herald Agency for News. (25 January 2016). オリジナルの26 October 2016時点におけるアーカイブ。 8 January 2018閲覧。
- ^ a b c Ghosh, Nirmal (27 February 2016). “Ethnic clashes highlight fragile peace in Myanmar” (英語). The Straits Times. オリジナルの19 July 2018時点におけるアーカイブ。 8 January 2018閲覧。
- ^ a b c d Bociaga, Robert (24 November 2021). “Myanmar's Army Is Fighting a Multi-Front War” (英語). The Diplomat. オリジナルのSeptember 30, 2023時点におけるアーカイブ。 16 November 2022閲覧。
- ^ a b c “New rebel group surfaces with a bang on Northeast's frontier” (英語). NE Now News. (9 April 2019). オリジナルのNovember 16, 2022時点におけるアーカイブ。 16 November 2022閲覧。
- ^ a b c “A ‘political game’: Shanni and Kachin armed groups at loggerheads”. Frontier Myanmar. (20 February 2023) 13 March 2024閲覧。
- ^ a b ICG 2020, p. 21.
- ^ ICG 2020, pp. 21–23.
- ^ BNI (25 January 2016). “Red Shan form armed organisation”. Mizzima. オリジナルのAugust 6, 2023時点におけるアーカイブ。 16 November 2022閲覧。
- ^ “Sagaing Locals Demand Tatmadaw, Shanni Army Cease Fighting.” (英語). BNI Multimedia Group. (27 April 2020). オリジナルのJanuary 8, 2024時点におけるアーカイブ。 16 November 2022閲覧。
- ^ Jangma, Elizabeth (24 July 2020). “Myanmar's Kachin Army Vows Investigation, Compensation For Two Shanni Teenagers Killed in Custody” (英語). RFA. オリジナルのNovember 16, 2022時点におけるアーカイブ。 16 November 2022閲覧。
- ^ “Ethnic Shanni Military Leader Assassinated by Junta: Group Claims” (英語). The Irrawaddy. (30 May 2021). オリジナルのJuly 9, 2021時点におけるアーカイブ。
- ^ “(Warning appeal to the public and domestic and foreign armed organizations, human rights and humanitarian organizations domestic and foreign)” (22 September 2022). 13 March 2024閲覧。
- ^ Nyein Swe (12 August 2022). “Junta forces torch Hpakant Township village after forcing KIA withdrawal, locals say” (英語). Myanmar Now. オリジナルのJanuary 6, 2024時点におけるアーカイブ。
- ^ Nyein Swe (2 September 2022). “Myanmar junta ally attacked in northern Sagaing” (英語). Myanmar Now. オリジナルのAugust 10, 2023時点におけるアーカイブ。
- ^ “SNA under Myanmar’s Junta is recruiting by inciting ethnic hatred in Homalin” (英語). MPA press. (2024年2月27日) 2024年3月14日閲覧。
- ^ Aye Chan Su (2023年10月26日). “မြန်မာပြည်ရှိ လက်နက်ကိုင်တော်လှန်ရေး အင်အားစုများ (အပိုင်း ၆) [ビルマの武装革命勢力(パート6)]” (ビルマ語). Irrawaddy
参考文献
[編集]- International Crisis Group (2020). Identity Crisis: Ethnicity and Conflict in Myanmar (PDF) (Report). Brussels.