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カレンニー軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カレンニー軍
ကရင်နီပြည် တပ်မတော်
指導者 Abel Tweed[1]
Khu Oo Reh
Aung San Myint
Shwe Myo Thant
活動期間 1957年 (1957)[1]
本部 カヤー州 シャドー郡区英語版 Nya Moe[2]
活動地域 カヤー州
ミャンマー=タイ国境英語版
主義 カレンニー族ナショナリズム
規模 8,000[3]
上部組織 カレンニー民族進歩党
関連勢力

4K同盟[4][5]

その他

敵対勢力

国家

非国家

戦闘と戦争

ミャンマー内戦

カレンニー軍ビルマ語: ကရင်နီပြည် တပ်မတော်英語: Karenni Army、略称 KA)は、カレンニー民族進歩党(KNPP)の武装部門である。ミャンマーのカヤー州(カレンニー州)東部を支配している[7][8]

歴史

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前史

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イギリス政府は、ビルマコンバウン朝ミンドン英語版王と1875年に結んだ条約により、カレンニー諸州英語版が英緬のどちらにも属さないことを確認し、同地域の独立を保障した。結果として、カレンニー諸州が英領ビルマの行政に組み込まれることはなかった。1892年、同地域の指導者が俸給を認めたことにより、カレンニー地域は英領ビルマの保護地域(tributary)となった[9]。とはいえ、同地域の内政にイギリス政府はほとんど関与せず、事実上の独立状態が続いた[10]

1947年、イギリスから独立したビルマ連邦が制定した憲法においては、カレンニー3州をひとつのカレンニー州に統合することが決定された。また、同憲法においては、独立後10年後以降、同州が連邦から離脱する権利が認められた。1948年、カレンニー人の指導者である U Bee Htu Re が、カレンニー州の連邦編入に反対したという理由から、親政府系の民兵により暗殺された[9]

成立以後

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1957年に成立したカレンニー軍(以下、KA)は[1]、連邦から離脱して独立したカレンニー国家をつくるため、国軍との戦闘を開始した[8]。1995年には政府との停戦協定が結ばれたものの、3ヶ月以内に解消された[11]。また、カレンニー民族人民解放戦線(KNPLF)やカヤン新領土党(KNLP)といった、親国軍系の少数民族武装勢力とも戦闘をおこなっている。KAは少年兵を利用したとして批判されている。KAはこのことを認める一方、こうした少年兵は戦闘により両親を失った子どもが志願兵となっているだけにすぎないと主張している[7]

2012年3月7日には、政府とカレンニー民族進歩党(KNPP)のあいだでふたたび停戦協定が結ばれた。この協定においては、国連難民高等弁務官事務所およびブリティッシュ・カウンシル、在緬アメリカ大使がオブザーバーとして立ち会った[11]。しかし、2021年ミャンマークーデター以降は国軍との戦闘が激化している。2021年5月21日、KAは、クーデター後に成立した新たな同盟勢力であるカレンニー諸民族防衛隊(KNDF)とともに国軍と戦闘し、数十名の被害を出している[12][13][14]

出典

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  1. ^ a b c KNPP” (英語). www.mmpeacemonitor.org (6 June 2013). 23 December 2018時点のオリジナルよりアーカイブ27 January 2017閲覧。
  2. ^ Murray, Lucy. “Karenni rebels dig in for last stand”. Asia Times. オリジナルの2005年3月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20050326055748/http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/GC25Ae01.html 
  3. ^ Khin, Aung; Aung, Nyan Lin (9 December 2021). “ကရင်နီကာကွယ်ရေးတပ်ဖွဲ့” (Burmese). Voice of America. オリジナルの7 July 2022時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220707065244/https://burmese.voanews.com/a/weekly-current-affairs-analysis-karenni-defense-forces/6345367.html 3 July 2022閲覧。 
  4. ^ “Intense clash in Mese, Karenni State”. Democratic Voice of Burma. (20 June 2023). https://burmese.dvb.no/archives/599992 
  5. ^ “The 4K, the clash in Mese, and the military movement of Karenni State”. People's Spring. (20 June 2023). https://www.ludunwayoo.com/feature-mm/2023/06/20/79886/ 
  6. ^ Chin National Front Signs Deal with Myanmar's Shadow Govt”. The Irrawaddy (29 May 2021). 21 November 2021時点のオリジナルよりアーカイブ30 May 2021閲覧。
  7. ^ a b Child Soldiers in Non-State Armed Groups”. 10 May 2017時点のオリジナルよりアーカイブ27 February 2016閲覧。
  8. ^ a b Karenni Army (KA) (Myanmar), GROUPS - ASIA - ACTIVE
  9. ^ a b Karenni Independence Through Education”. 31 October 2020時点のオリジナルよりアーカイブ2 December 2010閲覧。
  10. ^ 根本敬『物語 ビルマの歴史 - 王朝時代から現代まで』(kindle)中央公論新社、2014年、2947-2956頁。ISBN 978-4-12-102249-3 
  11. ^ a b “Burma: Government, Rebels Sign Ceasefire”. UCA News. (8 March 2012). オリジナルの30 October 2020時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201030234310/https://www.eurasiareview.com/08032012-burma-government-rebels-sign-ceasefire/ 15 March 2012閲覧。 
  12. ^ Ethnic Army and Civilian Forces Battle Myanmar Regime in Kayah State” (21 May 2021). 24 May 2021時点のオリジナルよりアーカイブ24 May 2021閲覧。
  13. ^ Three Junta Troops Killed in Clashes with Kayah Resistance Fighters” (22 May 2021). 24 May 2021時点のオリジナルよりアーカイブ24 May 2021閲覧。
  14. ^ Myanmar rebels claim police killings as Aung San Suu Kyi appears in court”. TheGuardian.com (24 May 2021). 25 May 2021時点のオリジナルよりアーカイブ24 May 2021閲覧。