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「梁州」の版間の差分

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2023年10月16日 (月) 23:10時点における最新版

梁州(りょうしゅう)は、中国にかつて存在した

九州の梁州

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書経』による古代中国の九州の一つ[1]とされ、現在の四川省陝西省漢中地方に相当する。

魏晋南北朝時代

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漢代に州制が施行された際には梁州は設置されず、代わりに益州が置かれた。263年景元4年)、を滅ぼすと、益州を分割して梁州が設置された[2]。州治は沔陽県に置かれた。

282年泰始3年)、西晋により州治は南鄭県に移された。梁州は漢中郡梓潼郡広漢郡新都郡涪陵郡巴郡巴西郡巴東郡の8郡44県を管轄した[3]成漢が益州と梁州を占拠すると、東晋襄陽県に梁州を僑置した。成漢を滅ぼしてその版図を組み入れると、梁州はもとの地にもどされた。

南朝宋のとき、梁州は漢中郡・魏興郡新興郡新城郡上庸郡晋寿郡華陽郡新巴郡北巴西郡北陰平郡南陰平郡巴渠郡懐安郡宋熙郡白水郡南上洛郡北上洛郡安康郡南宕渠郡懐漢郡の20郡を管轄した[4]

南朝斉のとき、梁州は漢中郡・魏興郡・新興郡・南新城郡・上庸郡・晋寿郡・華陽郡・新巴郡・北巴西郡・巴渠郡・懐安郡・宋熙郡・白水郡・南上洛郡・北上洛郡・安康郡・南宕渠郡・懐安郡・北陰平郡・南陰平郡・斉興郡・晋昌郡・東晋寿郡・弘農郡・東昌魏郡・略陽郡・北梓潼郡・広長郡・三泉郡・思安郡・宋昌郡・建寧郡・南泉郡・三巴郡・江陵郡・懐化郡・帰寧郡・東犍為郡・北宕渠郡・宋康郡・南漢郡・南梓潼郡・始寧郡・江陽郡・南部郡・南安郡・建安郡・寿陽郡・南陽郡・宋寧郡・帰化郡・始安郡・平南郡・懐寧郡・新興郡・南平郡・斉兆郡・斉昌郡・新化郡・寧章郡・隣渓郡・京兆郡・義陽郡・帰復郡・安寧郡・東宕渠郡・宋安郡・斉安郡の68郡を管轄した[5]

504年正始元年)、北魏南朝梁から梁州を奪取した。梁州は晋昌郡・褒中郡・安康郡・漢中郡・華陽郡の5郡14県を管轄した[6]535年大同元年)、梁の北梁州刺史蘭欽が漢中を攻め落とし、梁州を奪回した[7]552年廃帝元年)、梁の梁州刺史蕭循蕭恢の子)が梁州ごと西魏に降った[8]

隋代

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583年開皇3年)、が郡制を廃すると、梁州の属郡は廃止された。605年大業元年)、洋州を併合し、梁州は13県を管轄することとなった。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、梁州は漢川郡と改称され、下部に8県を管轄した[9]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
梁州 洋州 集州 漢川郡
漢川郡[10] 褒内郡[11] 華陽郡 儻城郡 洋川郡 豊寧郡 洋中郡 平桑郡 南鄭県 城固県
褒城県 西県
興勢県 黄金県
西郷県 難江県
南鄭県
城固県
褒内県
白雲県
華陽県
嶓冢県
沔陽県
興勢県
竜亭県
洋川県
黄金県
豊寧県
懐昌県
難江県

唐代

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618年武徳元年)、により漢川郡は梁州と改められた。742年天宝元年)、梁州は漢中郡と改称された。758年乾元元年)、漢中郡は梁州の称にもどされた。梁州は山南西道に属し、南鄭・褒城・城固・西・金牛三泉の6県を管轄した。784年興元元年)、梁州は興元府に昇格した[12]

脚注

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  1. ^ 『書経』禹貢篇
  2. ^ 三国志』三少帝紀
  3. ^ 晋書』地理志上
  4. ^ 宋書』州郡志三
  5. ^ 南斉書』州郡志下
  6. ^ 魏書』地形志二下
  7. ^ 梁書』武帝紀下
  8. ^ 周書』文帝紀下
  9. ^ 隋書』地理志上
  10. ^ 文帝の父である楊忠と同音の「中」を避諱し「漢中郡」より改称された。
  11. ^ 文帝の父である楊忠と同音の「中」を避諱し「褒中郡」より改称された。
  12. ^ 旧唐書』地理志二