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| 説 = 2012年東京優駿(日本ダービー) |
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|英 = {{Lang|it|Deep Brillante}}<ref name="JBIS">{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001110554/|title=ディープブリランテ|publisher=[[社団法人|公益社団法人]][[日本軽種馬協会]]|website=JBIS-Search|accessdate=2016-04-04}}</ref> |
| 英 = {{Lang|it|Deep Brillante}}<ref name="JBIS">{{Cite web|和書|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001110554/|title=ディープブリランテ|publisher=[[社団法人|公益社団法人]][[日本軽種馬協会]]|website=JBIS-Search|accessdate=2016-04-04}}</ref> |
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|抹 = 2012年10月26日<ref>{{Cite web|publisher=ラジオNIKKEI|url=http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-223561.html|title=ディープブリランテ、競走馬登録を抹消|accessdate=2022-07-09}}</ref> |
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| 産 = Love and Bubbles Partnership<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=947113350 |title=ディープブリランテ(JPN) |access-date=2023-5-24 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20230524073822/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=947113350 |archive-date=2023-5-24}}</ref> |
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| 厩 = 貝澤勝一<ref group="注釈">1994年東京優駿16着、重賞2着2回のスギノブルボンを担当した。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/05/29/0005092229.shtml |title=ブリランテのんびり…今後は放牧へ |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120529120109/http://daily.co.jp/horse/2012/05/29/0005092229.shtml |archive-date=2012-5-29}}</ref> |
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|厩 = 貝澤勝一<ref>{{Cite journal|和書|journal=優駿|issue=2012年10月号|pages=143}}</ref> |
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| 績 = 7戦3勝<ref name="デイリー-引退発表">{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/newsflash/horse/2012/10/26/0005480152.shtml |title=ダービー馬ディープブリランテが引退 |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20121027074547/http://daily.co.jp/newsflash/horse/2012/10/26/0005480152.shtml |archive-date=2012-10-27}}</ref><ref name="優駿-2013-2-49" /><br />([[中央競馬]])6戦3勝<ref name="JBIS"/><ref name="デイリー-引退発表" /><br />(イギリス)1戦0勝<ref name="JBIS"/><ref name="デイリー-引退発表" /><ref name="優駿-2013-2-49" /> |
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| レ値 = L118 / 2012年<ref>{{PDFlink|[https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/wrank/pdf/12ranking.pdf 2012年度ワールドサラブレッドランキング(WTR) ]}}</ref> |
| レ値 = L118 / 2012年<ref>{{PDFlink|[https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/wrank/pdf/12ranking.pdf 2012年度ワールドサラブレッドランキング(WTR) ]}}</ref> |
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| medaltemplates = {{MedalGI|[[東京優駿]]|2012年}} |
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'''ディープブリランテ'''(欧字名:{{Lang|en|Deep Brillante}}、[[2009年]][[5月8日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]。 |
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{{MedalGIII|[[東京スポーツ杯2歳ステークス|東京スポーツ杯2歳S]]|2011年}} |
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'''ディープブリランテ'''(欧字名:{{Lang|en|Deep Brillante}}、[[2009年]][[5月8日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]。主な勝ち鞍は[[2012年]]の[[東京優駿]]、2011年の[[東京スポーツ杯2歳ステークス]]。 |
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2012年の[[東京優駿]](日本ダービー)(GI)優勝馬である。 |
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[[競走馬#競走馬名|馬名]]の意味は、「深く+輝いて([[イタリア語]])」<ref>{{Cite web|url=http://www.sundaytc.co.jp/coffee_break/noted_horse?noted_year=2009|title=2009年産駒 名前の由来(愛馬番号:84139)|publisher=[[サンデーレーシング|サンデーサラブレッドクラブ]]|accessdate=2016-04-04}}</ref>。 |
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== 概要 == |
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=== 当歳 - 1歳(2009 - 2010年) === |
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[[サンデーレーシング]]所有の[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]産駒だが<ref name="JBIS"/>、[[社台グループ]]の生産馬ではなく、2009年の[[セレクトセール]]で[[ノーザンファーム]]が[[パカパカファーム]]から3,100万円(税込価格3,255万円<ref name="JBIS"/>)で購入<ref>{{Cite web|url=http://www.jrha.or.jp/selectsale/2009_list1.html|title=セレクトセール2009 当歳 上場番号390|publisher=日本競走馬協会|accessdate=2018-02-14}}</ref>。[[調教師]]の[[矢作芳人]]もこの馬に惚れ込み、ある馬主の代理として競りに参加したが敗れてしまう<ref name="優駿12071516">月刊『優駿』2012年7月号、pp.15-16</ref>。しかし諦め切れない矢作はノーザンファームに連絡を取り、調教師としての管理を申し出た<ref name="優駿12071516"/><ref name="手記">{{Cite web|url=http://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=21990|title=【日本ダービー】矢作師、ブリランテといざ夢舞台|publisher=株式会社産業経済新聞社|website=ウマニティ(提供元:サンケイスポーツ)|date=2012-05-23|accessdate=2018-02-22}}</ref>。 |
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2009年に[[北海道]][[新冠町]]の[[パカパカファーム]]で生産された牡馬である。2005年の[[東京優駿]](日本ダービー)優勝馬[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]の2年目産駒であり、[[バブルガムフェロー]]や[[ザッツザプレンティ]]、[[ショウナンパントル]]と同じ[[バブルカンパニー]]一族の末裔である。[[セレクトセール]]当歳部門で売却されて、クラブ法人の[[サンデーレーシング]]が所有、[[栗東トレーニングセンター]]所属の[[調教師]][[矢作芳人]]が管理し、[[騎手]][[岩田康誠]]が[[主戦騎手|主戦]]を務めた。 |
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2010年にサンデーレーシングで、1口110万円×40口の総額4,400万円(税込価格)で募集された<ref>{{Cite web|url=https://www.sundaytc.co.jp/coffee_break/catalog/list-2010|title=2010年度募集馬リスト 関西馬入厩一覧表 番号139|publisher=サンデーサラブレッドクラブ|accessdate=2018-02-14}}</ref>。同年の10月8日に[[ノーザンファーム空港牧場]]に移動<ref name="number952p38">[[Sports Graphic Number]] 952号(2018年5月17日発売)p.38</ref>。同牧場長の菅谷清史によると、牧場に来たときの馬体重は457kgで、「馬体が詰まって、コロンとしていた」というが、「歩きが柔らかく、さすがディープ産駒だと思いました。性格のいい優等生タイプで、扱いやすく、乗っても気難しさを出しませんでした」「すごく柔らかいフォームで走るので、距離は持つだろうと思っていました」といい<ref name="number952p38"/>、サンデーレーシング代表の[[吉田俊介]]は「ディープ産駒の成長力を感じさせました」という<ref name="number952p38"/>。菅谷によると空港牧場に来てからひと月かひと月半ばほどで坂路調教を始めるなど順調に調教が進み、これはノーザンファームが生産したダービー馬に共通する特徴だった<ref name="number952p38"/>。2歳の6月20日まで同牧場でトレーニングを積んだが、この頃には馬体重が500kgほどにまで成長していた<ref name="number952p38"/>。 |
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2歳となった2011年秋にデビューして初出走初勝利を挙げた後、[[東京スポーツ杯2歳ステークス]](GIII)を優勝し、2連勝で[[重賞]]初勝利を挙げた。年をまたいで3歳となった2012年2月、[[共同通信杯]](GIII)で[[ゴールドシップ]]に次ぐ2着、続く[[スプリングステークス]](GII)でも[[グランデッツァ]]に次ぐ2着。[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]競走の初戦[[皐月賞]](GI)でも再びゴールドシップに後れる3着だった。しかし続く三冠第二戦・クラシック最高峰の東京優駿(日本ダービー)(GI)で巻き返した。3週間付きっ切りで調教に励んで岩田と共鳴し、課題の折り合いを克服。[[青葉賞]]優勝馬の[[フェノーメノ]]にハナ差、約23センチメートル先着してダービー優勝を果たした<ref>優駿×JRAレーシングビュアー 日本ダービープレビュー[https://prc.jp/jra2015derby/story/deepbrillante.html]</ref>。 |
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夏には、1985年[[シリウスシンボリ]]以来となるダービー優勝直後の外国遠征を敢行し、イギリスの[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]](G1)に出走したが8着敗退。帰国後に三冠最終戦の[[菊花賞]](GI)で二冠を目指したが出走を断念、直後に[[屈腱炎]]が判明して引退に追い込まれた。2歳秋から1年間の現役生活で7戦3勝重賞2勝、約3億円を獲得した。 |
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競走馬引退後は、[[種牡馬]]として供用され、[[中央競馬]]と[[地方競馬]]で重賞優勝産駒を多数輩出。2017年の[[ラジオNIKKEI賞]](GIII)や2018年の[[中山金杯]](GIII)を優勝した[[セダブリランテス]](母父:[[ブライアンズタイム]])や、2020年の[[日経新春杯]](GII)を優勝し[[宝塚記念]](GI)3着、2021年の[[大阪杯]](GI)2着となった[[モズベッロ]](母父:[[ハーランズホリデー]])、2023年のラジオNIKKEI賞や[[毎日王冠]](GII)を優勝した[[エルトンバローズ]](母父:ブライアンズタイム)などの父として知られる。 |
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== 誕生までの経緯 == |
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=== パカパカファーム === |
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パカパカファームは、[[北海道]][[新冠町]]に所在する競走馬生産牧場である。2001年にアイルランド人の[[ハリー・スウィーニィ]]が開設した。獣医師のハリーは、1990年に[[大樹ファーム]]に雇われて日本に来てから、[[細川益男|待兼牧場]]への移籍を経て、独立を果たしていた<ref name="優駿-2012-7-30">『優駿』2012年7月号 30頁</ref>。人脈に乏しい外国人経営者のハリーは、小規模の新興牧場の維持するために、様々な工夫を凝らしていた。例えば、好成績が見込める良血の繁殖牝馬を安価で揃えるために、外国に目を向け、日本で活躍している血統の近親を積極的に輸入するようになっていた<ref name="スポルティーバ-32-2">{{Cite web|和書|title=【競馬】日本競馬に適した繁殖牝馬を見出した外国人牧場長の「慧眼」(2頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2013/08/25/___split_32/?page=2 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。 |
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開業直後の2001年、ハリーは、2000年の[[サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別]]を優勝した[[マニックサンデー]]という牝馬の血統に着目していた<ref name="スポルティーバ-32-2" />。マニックサンデーは、父[[サンデーサイレンス]]、母バブルプロスペクター、母母[[バブルカンパニー]]という血統だった。バブルカンパニーの仔には、1995年[[朝日杯3歳ステークス]]や1996年[[天皇賞(秋)]]を優勝した[[バブルガムフェロー]](父:サンデーサイレンス)などがいた<ref name="スポルティーバ-32-2" />。このことからハリーは、バブルカンパニー一族が、日本に適性があり、流行する[[サンデーサイレンス系]]との相性も抜群であると捉え、その一族を輸入しようと考えるようになった<ref name="優駿-2012-7-31">『優駿』2012年7月号 31頁</ref><ref name="スポルティーバ-32-2" />。 |
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日本で活躍中のバブルカンパニー一族だったが、アメリカでは、それほど見込まれておらず、価格も高騰していなかった<ref name="スポルティーバ-32-3">{{Cite web|和書|title=【競馬】日本競馬に適した繁殖牝馬を見出した外国人牧場長の「慧眼」(3頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2013/08/25/___split_32/?page=3 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。そこでハリーは、バブルカンパニー一族の牝馬、マニックサンデーの姉にあたる牝馬・バブルドリームを、[[アメリカ合衆国]][[ケンタッキー州]]の[[キーンランドセール]]で入手していた<ref name="スポルティーバ-32-3" />。この後もバブルカンパニー一族は、[[ザッツザプレンティ]]や[[ショウナンパントル]]などのGI優勝馬に代表されるような活躍馬を続々輩出していった<ref>{{Cite web|和書|title=【競馬】ダービー馬ディープブリランテはこうして誕生した|競馬|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2013/09/22/post_156/ |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>。それに応えてハリーも、バブルカンパニー一族への関心を絶やさなかった<ref name="スポルティーバ-32-3" />。 |
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=== ラヴアンドバブルズ === |
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ラヴアンドバブルズは、2001年にアメリカで生産された父ルーソヴァージュ、母バブルドリームの牝馬である。三代母にバブルカンパニーを持ち、その一族の末裔だった<ref name="JBIS-ラヴアンドバブルズ">{{Cite web|和書|title=ラヴアンドバブルズ(USA)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000852566/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-19}}</ref>。フランスで競走馬としてデビューし、2004年の{{仮リンク|クロエ賞|en|Prix Chloé}}(G3)を優勝、同年の{{仮リンク|クレオパトル賞|en|Prix Cléopâtre}}で2着となるなど11戦3勝という競走成績だった<ref name="JBIS-ラヴアンドバブルズ" /><ref name="優駿-2012-7-107" />。引退後、所有者との交渉の末にハリーが所有権を勝ち取り、2005年に輸入されてパカパカファームで繁殖牝馬として繋養された<ref name="優駿-2012-7-107" /><ref name="スポルティーバ-180-2">{{Cite web|和書|title=【競馬】ディープブリランテの母は「美人だった」(2頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2013/12/08/post_180/?page=2 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。ラヴアンドバブルズについてハリーは、繁殖牝馬として資質を感じ取っており「美人(中略)そこそこの美人<ref>{{Cite web|和書|title=【競馬】ディープブリランテの母は「美人だった」(1頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2013/12/08/post_180/ |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>」だったという。 |
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繁殖生活初年度と2年目は、1996年の[[菊花賞]]優勝馬でサンデーサイレンス系の種牡馬である[[ダンスインザダーク]]と交配し、初仔と2番仔を得ていた。この2頭は、怪我に阻まれて大成できなかったが、ハリーによれば馬体が良い出来だったという<ref name="スポルティーバ-180-2" />。そんなラヴアンドバブルズが優良な繁殖牝馬と確信するようになった3年目の2007年、交配相手に、ダンスインザダークよりも格の高い[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]を選択していた<ref name="スポルティーバ-180-2" />。 |
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[[ファイル:Deep Impact JD WR.jpg|サムネイル|251x251ピクセル|[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]]] |
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例によってサンデーサイレンス系のディープインパクトは、2005年の[[東京優駿]](日本ダービー)優勝に加えて、[[皐月賞]]と菊花賞も優勝して[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]を成し遂げたほか、2006年の[[天皇賞(春)]]と[[宝塚記念]]、[[ジャパンカップ]]と[[有馬記念]]を優勝したGI7勝、フランス遠征を敢行し[[凱旋門賞]]で3位入線を果たしていた<ref name="優駿-2012-7-107" />。2006年末に引退し、翌2007年から種牡馬として供用されており、供用初年度にラヴアンドバブルズと交配していた<ref name="優駿-2012-7-107" />。 |
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翌2008年、3番仔となる牝馬を得たハリーは、連続して4年目の交配相手もディープインパクトに選んでいた<ref name="スポルティーバ-180-2" /><ref>{{Cite web|和書|title=【競馬】ディープブリランテの母は「美人だった」(3頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2013/12/08/post_180/?page=3 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。翌2009年5月8日の午前2時頃、北海道新冠町のパカパカファームにて、ラヴアンドバブルズの4番仔となる鹿毛の牡馬(後のディープブリランテ)が誕生<ref name="スポルティーバ-15-2">{{Cite web|和書|title=【競馬】ディープブリランテは、生後わずか15分で起き上がった(2頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/01/05/15_1/?page=2 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。ディープインパクト産駒の2世代目にあたり、5月生まれという遅生まれだった<ref name="スポルティーバ-189-2" />。 |
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4番仔の兄姉では、初仔と2番仔は、25戦2勝と1戦未勝利で大成できなかった<ref>{{Cite web|和書|title=ラヴインザダーク|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000997115/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ウインバロンドール|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001050154/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-23}}</ref>。対して全姉の3番仔「ハブルバブル」は、2011年2月の[[新馬戦]]で初出走初勝利、3戦目の[[フラワーカップ]]で[[トレンドハンター]]に次ぐ2着となって牝馬クラシック戦線参入を果たしていた<ref>{{Cite web|和書|title=ハブルバブル|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001096696/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-19}}</ref>。[[桜花賞]]と[[優駿牝馬]](オークス)に挑み、[[マルセリーナ]]に敗れる6着と[[エリンコート]]に敗れる9着だった<ref>{{Cite web|和書|title=ハブルバブル|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001096696/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-23}}</ref>。 |
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== 幼駒時代 == |
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=== 牧場時代 === |
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==== 誕生直後 ==== |
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産み落とされた4番仔(後のディープブリランテ)は、健康で骨太で大きな骨格、真っすぐな脚の持ち主という優良児だった<ref name="スポルティーバ-15-2" />。しかも通常生後30、40分かかるところ、15分という早い時間で立ち上がっており、牧場側は、素質を感じ取っていた<ref name="スポルティーバ-15-2" /><ref>{{Cite web|和書|title=【競馬】ディープブリランテは、生後わずか15分で起き上がった(3頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/01/05/15_1/?page=3 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。あまり高い素質にハリーは、7月に行われるセリ、主に[[ノーザンファーム]]や[[社台ファーム]]などの生産馬が上場されて、高値で売却されることの多い[[セレクトセール]]の当歳馬部門に上場させることを即座に決意し、生後4日後に提出期限が迫るセールのカタログ掲載用の馬体写真をすぐにこしらえていた<ref name="スポルティーバ-189-2">{{Cite web|和書|title=【競馬】ディープブリランテが生後2カ月で上場された理由(2頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/01/19/post_189/?page=2 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。 |
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セレクトセールの当歳馬部門は、主に早生まれで出来栄えの良い仔が上場されており、4月や5月生まれの遅生まれなどは、翌年の1歳馬部門に上場されることが多かった<ref name="スポルティーバ-189-2" />。そのため生後まもなくの4番仔の写真は、早生まれの仔よりどうしても見劣りした<ref name="スポルティーバ-189-2" />。しかしハリーには自信があり、何より早く、広く4番仔の存在を知れ渡らせたかった、秘めた素質を見抜いてほしかった<ref name="スポルティーバ-189-3">{{Cite web|和書|title=【競馬】ディープブリランテが生後2カ月で上場された理由(3頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/01/19/post_189/?page=3 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。セールが近づくにつれ、ハリーは、次第に生後すぐの写真の載ったカタログだけでは、売却できるか不安を感じるようになっていた<ref name="スポルティーバ-195-2">{{Cite web|和書|title=【競馬】のちのダービー馬を世に知らしめた「一通のハガキ」(2頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/02/02/post_195/?page=2 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。そこでセール直前に4番仔の最新の馬体写真を掲載したハガキを二千枚作成し、関係者に配って宣伝していた<ref name="スポルティーバ-195-2" />。 |
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==== セレクトセール ==== |
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[[リーマンショック]]の翌年、2009年に行われたセレクトセールに上場された4番仔は、落札希望者が複数おり、競り合いとなっていた。その競りの参加者の一人、[[栗東トレーニングセンター]]所属の[[調教師]]である[[矢作芳人]]は、ある[[馬主]]に3000万円の予算を託されて馬を探していた。矢作は、4番仔を見て「顔が良いとかお尻の形が好みといったレベルのものではなく、全体的な雰囲気であり感覚的なもの(中略)女性に恋することと同様であり、惚れるのに理由はいらない。<ref name="ウマニティ-ダービー">{{Cite web|和書|title=【日本ダービー】矢作師、ブリランテといざ夢舞台 |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=21990 |website=競馬予想のウマニティ |date=2012-05-23 |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>」と回顧するようにすぐに一目惚れ、後に矢作は、均整の取れた馬体かつ充実した後ろ脚の持ち主であることが高評価の要因だったと、冷静に回顧している<ref name="東スポ-矢作-35">{{Cite web|和書|title=矢作芳人調教師連載【35】僕が惚れに惚れ込んだディープブリランテの姿 |url=https://tospo-keiba.jp/yahagiyoshito/10373 |website=東スポ競馬 |date=2022-03-16 |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>。また当日同伴した父、引退直後の元調教師の[[矢作和人]]とも見解が一致し、強い意志で入札を試みていた<ref name="優駿-2012-7-26">『優駿』2012年7月号 26頁</ref><ref name="ウマニティ-ダービー" />。ところが価格は予算の3000万円を突破。予算一杯の3000万円の入札をした矢作は、落札できなかった<ref name="東スポ-矢作-35" /><ref name="優駿-2012-7-33" />。 |
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競り合いを制したのは、ハリーが配布したハガキを受け取って好感触を得た[[吉田勝己]]、吉田が率いるノーザンファームだった<ref>{{Cite web|和書|title=【競馬】のちのダービー馬を世に知らしめた「一通のハガキ」(3頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/02/02/post_195/?page=3 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。矢作の予算を少し超える3100万円での落札していた<ref name="優駿-2012-7-33">『優駿』2012年7月号 33頁</ref>。セレクトセールでは、売却者の立場になりやすいノーザンファームだったが、毎年数頭を落札して購入していた。そのうちの1頭が4番仔だった<ref name="優駿-2012-7-33" />。 |
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競り合いに敗れた矢作は、一目惚れした4番仔をどうしても諦めることができなかった<ref name="優駿-2012-7-15">『優駿』2012年7月号 15頁</ref>。そこで落札者がノーザンファームと判明してすぐに、ノーザンファームに電話をかけて「もしあの馬(4番仔)をクラブに入れることが決まっていて、調教師は決まっていないという状況なら、自分を候補に加えてもらえませんか<ref name="優駿-2012-7-15" />」と直訴、矢作曰く「後にも先にも、あんなことはしたことがない<ref name="優駿-2012-7-15" />」という行動を取っていた。電話の通り4番仔は、ノーザンファーム関連のクラブ法人[[サンデーレーシング|有限会社サンデーレーシング]]が所有して競走馬となったが、サンデーレーシングは矢作の訴えを承諾していた。矢作は、ある馬主のための落札こそできなかったが、紆余曲折あって管理調教師になる願いだけを叶えていた<ref name="ウマニティ-ダービー" />。 |
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===== パカパカファーム ===== |
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新冠町のパカパカファームで生まれた4番仔は、しばらくして[[日高町 (北海道)|日高町]]のパカパカファーム厚賀分場に移り、育成が施された<ref name="ふるさと-東スポ杯2歳S">{{Cite web|和書|title=2011年11月19日 東スポ杯2歳S G3|url=https://uma-furusato.com/winner_info/61299.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-05-19}}</ref>。厚賀分場は、2008年に開設したばかりであり、4番仔はその一期生となった<ref name="優駿-2012-7-30" /><ref name="ふるさと-東スポ杯2歳S" />。落札は、大手牧場のノーザンファームだったが、セレクトセールの当歳馬は、1歳3月31日まで上場者が管理するルールとなっており、4番仔は1歳4月まで、厚賀分場で過ごした<ref>{{Cite web|和書|title=【競馬】素質に惚れた生産者が初めて別れを惜しんだ「若駒」(1頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/02/16/post_200/ |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>。当歳のうちに上場して売却先が定まったため、1歳時には、売却先探しのために見栄えを仕上げる時間を割くことなく、育成に専念することができた<ref name="スポルティーバ-189-3" />。 |
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牧場では、遅生まれにもかかわらず、早生まれと遜色ない成長曲線を描いていた。姉のハブルバブルは、気性が悪く、人の手を煩わせたが、4番仔は正反対で大人しく、手がかからなかった<ref name="スポルティーバ-200-2">{{Cite web|和書|title=【競馬】素質に惚れた生産者が初めて別れを惜しんだ「若駒」(2頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/02/16/post_200/?page=2 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>。ただ自己主張に乏しいために、エサを桶に用意しても、他の同期に後れを取ってしまうほどだった<ref name="スポルティーバ-200-2" />。出来はハリーによれば「パーフェクトな馬<ref name="ふるさと-東スポ杯2歳S" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120528-958312.html |title=サンデーR樫に続き牡馬も頂点/ダービー |access-date=2023-5-19 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-date=2012-5-29 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120529012836/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120528-958312.html}}</ref>」だったという。アクシデントなく成長して1歳4月で厚賀分場を巣立ち、ノーザンファームに移動した<ref>{{Cite web|和書|title=【競馬】素質に惚れた生産者が初めて別れを惜しんだ「若駒」(3頁) |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2014/02/16/post_200/?page=3 |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>。 |
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=== 育成牧場時代 === |
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10月8日には[[ノーザンファーム空港牧場]]に移動し、およそ1か月で坂路調教を開始するなど、順調に育成のための調教をこなした<ref name="number952p38">[[Sports Graphic Number]] 952号(2018年5月17日発売)p.38</ref>。ディープインパクト産駒の成長力を受け継ぎ、成長が著しかった<ref name="number952p38" />。牧場に来た当初は、馬体重は457キログラムで、牧場長の菅谷清史によれば「馬体が詰まって、コロンとしていた<ref name="number952p38" />」状態だったが、調教を続けて成長し、牧場を巣立つ2歳6月20日となった頃の馬体重は、500キログラムに達していた<ref name="number952p38" />。菅谷は「歩きが柔らかく(中略)。性格のいい優等生タイプで、扱いやすく、乗っても気難しさを出しませんでした<ref name="number952p38" />」と回顧している。空港牧場を巣立ち北海道を出ると、滋賀県甲賀市の[[ノーザンファームしがらき]]に移動していた<ref name="優駿-2012-7-16">『優駿』2012年7月号 16頁</ref>。 |
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== 競走馬時代 == |
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=== デビューまで === |
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4番仔は競走馬になるにあたり、サンデーレーシングに出資する組合のサンデーサラブレッドクラブにて全40口、1口110万円の総額4400万円で出資会員募集がなされている<ref name="サンデーR-カタログ">{{Cite web|和書|url=https://www.sundaytc.co.jp/wp-content/themes/main/component/catalog.php?horse_no=84139 |title=ラヴアンドバブルズの09 |access-date=2023-5-19 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230519130148/https://www.sundaytc.co.jp/wp-content/themes/main/component/catalog.php?horse_no=84139 |archive-date=2023-5-19}}</ref>。カタログでは「小さく軽い頭部や柔らかく丸みがかったシルエット、張りのある立派な臀部など随所に父の産駒らしい特長が見受けられます。腰高の馬体はいかにも成長途上で幼さを感じさせますが、中身の詰まった腹部のラインは長くどっしりとした雰囲気を醸し出しており、非力な印象を与えません。5月生まれながら現時点でも筋肉は十分に付いていて(中略)愛嬌のある顔つきで普段は大人しいものの、嫌なことは嫌だとハッキリ主張する我の強い一面も(後略)<ref name="サンデーR-カタログ" />」という売り文句が添えられていた。出資会員のなかには、矢作の父、矢作の管理を後押しした矢作和人も加わっていた<ref name="東スポ-矢作-36" />。矢作和人にとって、調教師引退後初めての一口出資だった<ref name="東スポ-矢作-36" />。4番仔は「深く」を意味する「'''ディープ'''」に、イタリア語で「輝いて」を意味する「'''ブリランテ'''」を組み合わせた「'''ディープブリランテ'''」という競走馬名が与えられた<ref>{{Cite web|和書|title=ディープブリランテの情報 |url=https://www.sundaytc.co.jp/members_only/detail?horseno=84139&popup=1 |website=www.sundaytc.co.jp |access-date=2023-05-19}}</ref>。 |
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2歳となったディープブリランテは、2011年8月、ノーザンファームしがらきから栗東の矢作厩舎に入厩する<ref name="優駿-2012-7-16" />。矢作は、ノーザンファーム空港をたびたび訪れて、ディープブリランテの馬体を確認していたが、セレクトセール時の好感触が崩れなかったという<ref name="ウマニティ-ダービー" />。矢作の思い描いた通りのシルエットを持つ競走馬に成長していた<ref name="ウマニティ-ダービー" />。追い切りでも抜群の動きを見せ、矢作は大きな期待をかけ、慎重に扱うようになった<ref name="ウマニティ-ダービー" />。 |
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=== 2歳(2011年) === |
=== 2歳(2011年) === |
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[[阪神競馬場]]芝1800メートルの[[新馬|新馬戦]]で[[岩田康誠]]を鞍上に迎えてデビューし、圧倒的な1番人気([[投票券 (公営競技)#単勝式|単勝]]1.2倍<ref name="競走成績"/>)に応えて5馬身差で勝利した<ref>{{Cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=58824|title=ディープブリランテ圧巻の5馬身差V/新馬戦結果|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|date=2011-10-01|accessdate=2016-04-04}}</ref>。雨天・不良馬場で行われた次走の東京スポーツ杯2歳ステークスでは<ref name="競走成績"/>、2番手追走から直線抜け出して2着馬に3馬身をつけ優勝し、デビュー2連勝を飾ると共に重賞初制覇を果たした<ref>{{Cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=59937|title=ディープブリランテ、圧勝で重賞V/東京スポーツ杯2歳S|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|date=2011-11-19|accessdate=2016-04-04}}</ref>。 |
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==== 東京スポーツ杯2歳ステークス ==== |
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その後は[[ノーザンファームしがらき]]に放牧に出された<ref name="blog">{{Cite web|url=https://ameblo.jp/yahagi-ecurie/archive1-201111.html|title=久しぶりにご報告です|publisher=矢作厩舎オフィシャルブログ(2011年11月24日)|accessdate=2018-02-10}}</ref>。当初は[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオNIKKEI杯2歳ステークス]]を予定していたが<ref name="blog"/>、脚の状態や<ref name="手記"/>疲れを考慮して回避し、年明けの[[共同通信杯]]を目指すことになった<ref>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/yahagi-ecurie/entry-11101722304.html|title=近況報告|publisher=矢作厩舎オフィシャルブログ(2011年12月9日)|accessdate=2018-02-10}}</ref>。 |
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10月1日、[[阪神競馬場]]の[[新馬戦]](芝1800メートル)に出走。直前にソエを抱えながらのデビューとなった<ref name="報知-東スポ杯2歳S">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20111115-OHT1T00209.htm |title=初陣衝撃の5馬身差!ディープブリランテ…東スポ杯2歳S |access-date=2023-5-15 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20111121134455/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20111115-OHT1T00209.htm |archive-date=2011-11-21}}</ref>。ダービーの大タイトルまで見据えている矢作は、ダービー馬の器にふさわしい完勝を目論み、あくまで通過点であると考えていた<ref name="東スポ-矢作-36">{{Cite web|和書|title=矢作芳人調教師連載【36】ディープブリランテのデビュー戦 あまりの緊張に耐えられず〝逃げた〟 |url=https://tospo-keiba.jp/yahagiyoshito/10374 |website=東スポ競馬 |date=2022-03-16 |access-date=2023-05-15 |language=ja}}</ref>。しかしそれがプレッシャーとなって耐えきれず、阪神での現地観戦はせず、札幌競馬場の装鞍所から見届けることとなった<ref name="優駿-2012-7-16" /><ref name="東スポ-矢作-36" />。[[岩田康誠]]が跨り、単勝オッズ1.2倍の1番人気だった。出遅れたスタートから中団を追走した後、第3コーナーから促されずとも進出<ref name="日刊-新馬">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20111002-843714.html |title=スター候補ブリランテ5馬身差V/新馬戦 |access-date=2023-5-15 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20111019194605/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20111002-843714.html |archive-date=2011-10-19}}</ref>。直線で先頭を奪取してからは独走となった。後方に5馬身差をつけて決勝線に到達し、初出走初勝利を挙げた<ref name="日刊-新馬" />。 |
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続いて11月19日、[[東京スポーツ杯2歳ステークス]](GIII)で重賞初挑戦となる<ref name="優駿-2012-1-114">『優駿』2012年1月号 114頁</ref>。[[デイリー杯2歳ステークス]]優勝の[[クラレント]]、重賞2着3着の[[ジャスタウェイ]]やマイネルロブストとの対決となったが、初勝利を挙げたばかりのディープブリランテがそれらを上回る1番人気、単勝オッズ2.4倍に推された<ref name="優駿-2012-1-114" />。ただし当日は雨、飛びの大きい走法のディープブリランテとは相性の悪い道悪、不良馬場だった<ref name="東スポ-矢作-36" />。新馬戦で出遅れたためゲート練習をこなしたうえでの参戦だった<ref>{{Cite web|和書|title=【東スポ杯プレイバック】11年ディープブリランテ 開いたダービーへの扉 |url=https://tospo-keiba.jp/reporter-column/5323 |website=東スポ競馬 |date=2021-11-17 |access-date=2023-05-15 |language=ja}}</ref>。 |
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出遅れずにスタートを切って先行し2番手を確保<ref name="日刊-東スポ杯2歳S">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20111119-865705.html |title=強い!ブリランテ重賞V/東スポ杯2歳S |access-date=2023-5-15 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-date=2011-11-22 |archive-url=https://web.archive.org/web/20111122025727/http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20111119-865705.html}}</ref>。逃げ馬がスローペースに持ち込んだことで、前に行きたがる一面を見せたが、持ち堪えて直線に向いて末脚を発揮していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2011/11/20/0004629957.shtml |title=【東スポ杯】ブリランテ、圧勝! |access-date=2023-5-15 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20111120133311/http://daily.co.jp/horse/2011/11/20/0004629957.shtml |archive-date=2011-11-20}}</ref><ref name="優駿-2012-1-114" />。残り400メートルで抜け出してからは独走<ref name="日刊-東スポ杯2歳S" />。道悪をこなし、後方に3馬身差をつけて決勝線に到達していた<ref name="報知-東スポ杯2歳S" /><ref name="優駿-2012-1-114" />。重賞初勝利を挙げて賞金を加算し、クラシック戦線参入に成功<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20111119-OHT1T00197.htm |title=ブリランテ、3馬身差の圧勝!…東スポ杯2歳S |access-date=2023-5-15 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20111121134400/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20111119-OHT1T00197.htm |archive-date=2011-11-21}}</ref>。2009年[[ローズキングダム]]以来となる2年ぶり7例目となる初出走初勝利からの東京スポーツ杯2歳ステークス戴冠だった<ref>『優駿』2012年1月号 115頁</ref><ref>{{Cite web|和書|title=東京スポーツ杯2歳Sアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/55424 |website=競馬ブック |access-date=2023-05-15}}</ref>。 |
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この後は、暮れの[[ラジオNIKKEI杯2歳ステークス]]参戦を予定していた。矢作には、[[JRA賞最優秀2歳牡馬]]の選出段階に大きな不満があった<ref name="優駿-2012-7-16" />。最優秀2歳牡馬は、2歳牡馬限定のGI競走である[[朝日杯フューチュリティステークス]]の優勝馬が、半ば自動的に、毎年当然のように受賞していた。それが気に食わない矢作は、できればその習慣を覆したいと考えていた<ref name="優駿-2012-7-16" />。 |
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そこでディープブリランテを東京スポーツ杯2歳ステークス、ラジオNIKKEI杯2歳ステークスを連勝させ、3戦3勝重賞2勝という身分でJRA賞選考のまな板に載せてあげようと意気込んでいた<ref name="優駿-2012-7-16" />。しかしディープブリランテにソエと骨瘤が発覚、万全を期して回避となり、矢作の野望は立ち消えとなった<ref name="優駿-2012-7-16" />。[[ノーザンファームしがらき]]にて放牧となり年内全休<ref name="ブック-2011年内休養">{{Cite web|和書|title=ディープブリランテ年内は休養 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/55545 |website=競馬ブック |access-date=2023-05-15}}</ref>。結局、この年のJRA賞では、最優秀2歳牡馬部門にて票こそ得ているが、全285票中2票に留まり、やはり朝日杯フューチュリティステークス優勝の[[アルフレード (競走馬)|アルフレード]]には敵わなかった<ref name="優駿-2012-2-55">『優駿』2012年2月号 55頁</ref>{{Efn|[[アルフレード (競走馬)|アルフレード]]が279票で受賞。次いで[[アダムスピーク (競走馬)|アダムスピーク]]が3票、ディープブリランテ2票を挟んで、[[オーブルチェフ (競走馬)|オーブルチェフ]]が1票<ref name="優駿-2012-2-55" />。}}。 |
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=== 3歳(2012年) === |
=== 3歳(2012年) === |
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初戦の[[共同通信杯]]に圧倒的1番人気(単勝1.4倍)で出走、スタートからハナを奪い手応え良く逃げ、直線でもそのまま押し切りを図ったが、好位から一気に追い込んできた[[ゴールドシップ]]に捉えられ2着<ref>{{Cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=61825|title=ゴールドシップがディープブリランテを差し切り/共同通信杯|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|date=2012-02-12|accessdate=2016-04-04}}</ref>。次走の[[スプリングステークス]]では、好位追走から直線抜け出し後続にリードをとったものの、[[グランデッツァ]]に交わされて再び2着に敗れた<ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/03/18/kiji/K20120318002855470.html|title=【スプリングS】皐月に王手 グランデッツァ末脚一閃!重賞2勝目|publisher=株式会社スポーツニッポン新聞社|website=Sponichi Annex|date=2012-03-18|accessdate=2018-02-10}}</ref>。この敗戦で折り合いの課題を感じた矢作は、調教の際に鼻革を使用したり岩田に似た乗り方を調教助手に指示したりするなど工夫を行った<ref>月刊『優駿』2012年7月号、p.16</ref>。 |
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==== クラシックまでの道程 ==== |
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4月15日に行われた[[中央競馬クラシック三冠]]の1戦目である[[皐月賞]]では、序盤からしばらく抑えて折り合いをつけ、3番手からのレースとなった<ref name="皐月賞JRAVAN">{{Cite web|url=http://jra-van.jp/fun/tokusyu/g1/satsuki/2012/result.html|title=第72回 皐月賞特集 レース回顧|publisher=JRAシステムサービス株式会社|website=JRA-VAN|accessdate=2016-04-01}}</ref>。直線では先行したまま外に出して脚を伸ばすもゴールドシップの3着に敗れた<ref name="皐月賞JRAVAN"/>。 |
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1月21日に帰厩し、2月12日の[[共同通信杯]](GIII)に出走<ref>{{Cite web|和書|title=ディープブリランテが帰厩、予定通り共同通信杯へ |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/55811 |website=競馬ブック |access-date=2023-05-15}}</ref>。成長してソエも解消し万全の状態での始動となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/02/09/0004801381.shtml |title=【共同通信杯】ブリランテ、荒れ馬場で奮闘 |access-date=2023-5-15 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120212031538/http://daily.co.jp/horse/2012/02/09/0004801381.shtml |archive-date=2012-2-12}}</ref>。参戦を見送ったラジオNIKKEI杯2歳ステークス2着の[[ゴールドシップ]]との対決が注目視されて人気を二分したが、ディープブリランテが1.4倍、ゴールドシップが4.1倍という評価だった<ref name="優駿-2012-4-108">『優駿』2012年4月号 108頁</ref>。 |
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11頭立て2番枠から好スタートを切った後に、勢いそのまま先行した<ref name="東スポ杯-矢作-37">{{Cite web|和書|title=矢作芳人調教師連載【37】ディープブリランテが「完全に負けた」 皐月賞馬ゴールドシップより脅威に感じた馬 |url=https://tospo-keiba.jp/yahagiyoshito/10370 |website=東スポ競馬 |date=2022-03-23 |access-date=2023-05-15 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/02/13/0004810795.shtml |title=【共同通信杯】ブリランテ、2着精いっぱい |access-date=2023-5-15 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120213190813/http://daily.co.jp/horse/2012/02/13/0004810795.shtml |archive-date=2012-2-13}}</ref>。少頭数で逃げ馬メンバー不在の構成であったためにたやすく先頭、ハナに到達し逃げる形となった<ref name="優駿-2012-4-108" />。走る気に溢れるディープブリランテは、前方に馬がいない状況に喜んで引っ掛かり、体力を消耗。そのため押し切りを狙うほかなくなっていた。スローペースを刻んでから第3コーナーから最終コーナーにかけて加速し、先頭を守って直線に向いていた<ref name="報知-共同通信杯">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120212-OHT1T00208.htm |title=岩田「一番あかん」ディープブリランテ逃げて2着…共同通信杯 |access-date=2023-5-15 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120213193540/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120212-OHT1T00208.htm |archive-date=2012-2-13}}</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=LflQ0CKs_w4&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2012年 共同通信杯(トキノミノル記念)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}ただし逃げる本命馬は、他の馬の格好の的となった<ref name="東スポ杯-矢作-37" /><ref name="報知-共同通信杯" />。背後で待機していたゴールドシップに末脚発揮を許すと、抵抗できなかった<ref name="優駿-2012-4-108" />。すぐに先頭を譲り、そして突き放された<ref name="報知-共同通信杯" />。終いで失速、それでもゴールドシップ以外には、先着を許さなかった。3番人気スピルバーグに限りなく接近されたが、抵抗してハナ差だけ先着、薄氷の2着は確保していた<ref name="報知-共同通信杯" />。世代屈指の能力を持ちながら自身の気性が災いしての初敗北は「自滅<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120213-902982.html |title=夢が壊れた…ブリランテ2着/共同通信杯 |access-date=2023-5-15 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120215193945/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120213-902982.html |archive-date=2012-2-15}}</ref>」とも捉えられた<ref>『優駿』2012年4月号 12頁</ref>。岩田は、「言い訳になるけど、テンションが高かった。押し出されて標的にされて、一番あかんレース。(中略)夢を壊して申し訳ない<ref name="報知-共同通信杯" />」と述べていた。 |
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クラシック三冠2戦目の[[東京優駿]](日本ダービー)に向けて調整が進められるなか、5月6日の[[NHKマイルカップ]]で岩田が開催日4日間の騎乗停止処分を受ける<ref name="騎乗停止">{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/05/06/kiji/K20120506003195370.html|title=【NHKマイルC】マウントシャスタ失格 岩田は4日間の騎乗停止|publisher=株式会社スポーツニッポン新聞社|website=Sponichi Annex|date=2012-05-06|accessdate=2018-02-14}}</ref>{{#tag:ref|岩田が騎乗していたマウントシャスタが[[シゲルスダチ]]の進路へと斜行し、同馬が転倒して騎乗していた[[後藤浩輝]]が落馬したため<ref name="騎乗停止"/>。|group="注"}}{{#tag:ref|騎乗停止の5月12日から20日<ref name="騎乗停止"/>は[[ヴィクトリアマイル]]と[[優駿牝馬]]が行われた週に該当し、東京優駿への騎乗は可能であった<ref>{{Cite web|url=https://keiba.yahoo.co.jp/schedule/list/2012/?month=5|title=競馬 日程・結果 2012年5月|publisher=[[ヤフー株式会社]]|website=スポーツナビ|accessdate=2018-02-14}}</ref>。|group="注"}}。この翌日、岩田はディープブリランテの調教に毎日騎乗することを矢作に志願する<ref name="ダービー">{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/05/28/kiji/K20120528003341170.html|title=【日本ダービー】矢作師ブリランテ、信念の結晶|publisher=株式会社スポーツニッポン新聞社|website=Sponichi Annex|date=2012-05-28|accessdate=2018-02-14}}</ref>。矢作には「僕はスタッフを信頼しているし、今まで乗ってきた助手のプライドもある」と葛藤もあったが{{#tag:ref|皐月賞の最終追い切りでは岩田が騎乗を希望したが、矢作は調教助手のほうを信用し、これを任せている<ref name="優駿120717">月刊『優駿』2012年7月号、p.17</ref>。|group="注"}}、これを受け入れた<ref name="ダービー"/>。ディープブリランテだけにのめり込む岩田が矢作厩舎のスタイルを乱すような行動も見受けられたため<ref name="優駿120726">月刊『優駿』2012年7月号、p.26</ref>、厩舎スタッフからの不満を聞いた矢作が岩田を怒鳴りつけたこともあった<ref name="優駿120717"/>。しかしこの一件以降は岩田も態度を改め、良い雰囲気で調教を進めていくことができた<ref name="優駿120717"/>。 |
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クラシック初戦・皐月賞には直行せず、前哨戦を用いた。続いて3月18日の[[トライアル競走]]、[[スプリングステークス]](GII)に出走した。ラジオNIKKEI杯2歳ステークスで3着となった[[グランデッツァ]]、朝日杯フューチュリティステークス優勝のアルフレードとの対決となる中、単勝オッズ2.2倍の1番人気に推された<ref name="優駿-2012-5-110">『優駿』2012年5月号 110頁</ref>。 |
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| 1=Fenomeno201120527.jpg |
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| 2=2012年東京優駿 |
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| 3=Yasunari-Iwata20120527-2.jpg |
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| 4=着順確定後、鞍上の岩田康誠は馬上で涙を流した |
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5月27日の東京優駿では、[[ワールドエース]]{{#tag:ref|[[きさらぎ賞]]優勝、皐月賞2着など、この時点まで5戦3勝2着2回<ref>{{Cite web|url=http://db.netkeiba.com/horse/2009106353/|title=ワールドエース|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|accessdate=2018-02-14}}</ref>。|group="注"}}、[[ゴールドシップ]]に続く3番人気での出走となった<ref name="ダービーJRAVAN">{{Cite web|url=http://jra-van.jp/fun/tokusyu/g1/derby/2012/result.html|title=第79回 東京優駿(日本ダービー)特集 レース回顧|publisher=JRAシステムサービス株式会社|website=JRA-VAN|accessdate=2016-04-01}}</ref>。この競走ではスタートしてから早めに折り合いがつき、道中は4番手で、前を行く2頭からは離れた馬群の先団に位置する展開となった<ref name="ダービーJRAVAN"/>。そのまま4コーナー4番手で直線に臨むと、内から伸びて残り200メートル付近で先頭に立ち、外から急襲した[[フェノーメノ]]の追い込みをハナ差で抑え勝利した<ref name="ダービーJRAVAN"/>。着順確定後、「新馬から乗ってきて、結果を出せなかったときの悔しい気持ちと、ダービーまでの3週間が思い出されて」、岩田は勝利後に馬上で涙を流した<ref>月刊『優駿』2012年7月号、p.18</ref>。3週間に渡って調教をつけた効果について、岩田は「3週間を一緒に過ごすことによって、馬(ディープブリランテ)が僕のことを受け入れてくれた」「22年間、馬に乗ってきて、初めて人馬一体になれた気がします」と述べている<ref>月刊『優駿』2012年7月号、p.22</ref>。この勝利で馬主のサンデーレーシングは前年の優勝馬・[[オルフェーヴル]]に続いてクラブ法人としては初となる東京優駿連覇を達成し<ref name="スポニチ-12"/><ref group="注">個人馬主としては[[金子真人]]の所有馬である[[キングカメハメハ]]が2004年、本馬の父であるディープインパクトが2005年の東京優駿を勝利している。</ref>、また2着のフェノーメノも同じくサンデーレーシングの所有馬であったため、同一馬主の1、2着独占は東京優駿史上初の出来事となった<ref name="スポニチ-12">{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/05/28/kiji/K20120528003340770.html|title=【日本ダービー】史上初!同一馬主“ワンツー” |publisher=スポニチ Sponichi Annex|website=sponichi.co.jp|accessdate=2020-01-28}}</ref>。 |
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スタートから先行、逃げ馬にハナを譲って4番手に留まったが<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/03/19/0004895726.shtml |title=【スプリングS】ブリランテ2着も収穫 |access-date=2023-5-16 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120319123839/http://daily.co.jp/horse/2012/03/19/0004895726.shtml |archive-date=2012-3-19}}</ref>、前方の馬と距離ができていた。道中を追走する際、引っ掛かってしまうのを防ぐには、馬の背後を走るのが効果的だったが、できずもれなく引っ掛かっていた<ref name="東スポ杯-矢作-37" />。第3コーナーまで引っ掛かり通しで進み、前方3頭が揃って失速したために自動的に最終コーナーで先頭となった<ref name="報知-スプリングS">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120318-OHT1T00266.htm |title=ディープブリランテ2着、皐月に手応え…スプリングS |access-date=2023-5-16 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120319032416/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120318-OHT1T00266.htm |archive-date=2012-3-19}}</ref>。直線に向いて末脚を発揮して、背後にいたグランデッツァを引き離し、ゴール手前の急坂を駆けあがっていた。しかし寸前になって内側にもたれてしまい、自ら馬場の悪いところに突っ込んで失速する<ref name="東スポ杯-矢作-37" />。そうこうしている間に、突き放したはずのグランデッツァが外側、馬場のきれいなところから進出して接近され、ゴール手前で逆転を許した<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/03/19/0004895723.shtml |title=【スプリングS】グラン皐月の主役へ名乗り |access-date=2023-5-16 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120319111036/http://daily.co.jp/horse/2012/03/19/0004895723.shtml |archive-date=2012-3-19}}</ref><ref name="報知-スプリングS" />。1馬身4分の1差をつけられた2着敗退だった<ref name="優駿-2012-5-110" />。 |
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その後、陣営は[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]への挑戦を発表した<ref>{{Cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-219445.html|title=ディープブリランテ、キングジョージ参戦~矢作調教師のコメント|publisher=株式会社日経ラジオ社|website=競馬実況web|date=2012-06-17|accessdate=2016-04-01}}</ref>{{#tag:ref|近年、GI競走を制覇した馬が目指す[[フランスの競馬|フランス]]の[[凱旋門賞]]には登録を行っていなかった<ref name="ダービー"/><ref name="優駿120726"/>。|group="注"}}。7月21日の同競走では、前年の優勝馬である[[ナサニエル (競走馬)|ナサニエル]]や前年の[[凱旋門賞]]優勝馬の[[デインドリーム]]、前年の[[ブリーダーズカップターフ]]優勝馬の[[セントニコラスアビー]]らの対戦となった<ref>{{Cite web|url=https://www.sundaytc.co.jp/information/new/horse_old|title=過去のクラブ所属馬情報 クラブ所属馬ディープブリランテが”キングジョージ”に出走します|publisher=サンデーサラブレッドクラブ|date=2012-07-20|accessdate=2018-02-22}}</ref>。レース(出走馬10頭)では中団でレースを進めたが直線で伸びを欠き、8着に敗れた<ref name="KGVI&QEDS結果">{{Cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=66288|title=ディープブリランテ8着、デインドリームV/英G1・キングジョージ|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|date=2012-07-22|accessdate=2016-04-01}}</ref>。 |
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==== 皐月賞 ==== |
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帰国後はクラシック三冠3戦目の[[菊花賞]]へ向けて調整されていたが、10月19日に右前脚に[[屈腱炎]]を発症していることが判明、同競走を回避した<ref name="屈腱炎">{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/10/19/kiji/K20121019004363870.html|title=菊花賞回避 ディープブリランテは右前脚屈腱炎、復帰は来秋以降|publisher=株式会社スポーツニッポン新聞社|website=Sponichi Annex|date=2012-10-19|accessdate=2012-10-19}}</ref>。当初は翌年秋での復帰を目指していたが<ref name="屈腱炎"/>、10月26日付で競走馬登録を抹消、引退<ref name="引退">{{Cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-223554.html|title=ディープブリランテ引退、種牡馬に|publisher=株式会社日経ラジオ社|website=競馬実況web|date=2012-10-26|accessdate=2016-04-01}}</ref>。[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬入りすることが発表された<ref name="引退"/>。 |
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続いて4月15日、クラシック三冠競走の初戦である皐月賞(GI)に参戦する。大一番を前に矢作は、危機感を抱いていた。前哨戦として臨んだスプリングステークスは、2着という上位だったが内容が悪く映っていた<ref name="優駿-2012-7-16" />。スプリングステークス以前まで矢作は、道中で折り合いを欠くことについて、早急に解決する必要があるような、深刻な問題と考えていなかった<ref name="優駿-2012-7-16" />。東京スポーツ杯2歳ステークスと共同通信杯では、確かに折り合いを欠いたが、ペース・展開や枠順などの明確な不利を被っており、ある程度許容できる敗戦だった<ref name="優駿-2012-7-16" />。ところがスプリングステークスは、不利を回避したにもかかわらず自ら折り合いを欠いて敗戦、許容できる内容ではなかった<ref name="優駿-2012-7-16" />。 |
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そこで本番直前になって、折り合いをつけるための対策を施すようになった<ref name="優駿-2012-7-16" />。できる限り馬具に頼らない競走馬づくり、という矢作の信条に反して鼻革を、コンビ鼻革の着用を敢行した<ref name="優駿-2012-7-16" /><ref name="デイリー-ダービー-折り合い">{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/05/23/0005076349.shtml |title=【ダービー】ブリランテ、折り合いに新兵器 |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120523084510/http://daily.co.jp/horse/2012/05/23/0005076349.shtml |archive-date=2012-5-23}}</ref>。そして普段の調教助手による調教では、レースで騎乗する岩田を想定して、岩田と同じように手綱を長くするなど、細かな工夫がなされて本番を迎えていた<ref name="優駿-2012-7-16" />。岩田は、最終追い切りでの騎乗を矢作に願い出ていた<ref name="優駿-2012-7-17" />。しかし厩舎スタッフを、担当調教助手の安藤を信頼する矢作は、それを固辞。結局安藤によって仕上げられていた<ref name="優駿-2012-7-17" />。 |
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この年のクラシック戦線は、明確な傑出馬不在の混戦とされていた<ref name="優駿-2012-6-4">『優駿』2012年6月号 4頁</ref>。ディープブリランテをはじめ、グランデッツァやゴールドシップ、アダムスピーク、そして[[きさらぎ賞]]や[[若葉ステークス]]を優勝した[[ワールドエース]]が有力視されていたが、それぞれどこかで取りこぼしており、各々に不安要素を抱えていた<ref name="優駿-2012-6-4" />。さらに当日は、降雨があり、馬場のコンディションが良くなかった<ref name="優駿-2012-6-5">『優駿』2012年6月号 5頁</ref>。馬場状態こそ稍重だったが、特に内側の状態が著しく悪いという特殊な状態での開催となっていた<ref name="優駿-2012-6-98">『優駿』2012年6月号 98頁</ref><ref name="優駿-2012-6-5" />。18頭立てとなる中、グランデッツァが3.1倍、ワールドエースが3.2倍という僅差で1、2番人気となり、それに次ぐ6.2倍の3番人気がディープブリランテだった<ref name="優駿-2012-6-98" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=W_3Srpj45lk&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2012年 皐月賞<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}} |
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好スタートから先行し、逃げ馬にハナを譲り、離れた3番手を追走した<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120415-OHT1T00230.htm |title=岩田「最高の形」もディープブリランテ3着…皐月賞 |access-date=2023-5-23 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120416214943/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120415-OHT1T00230.htm |archive-date=2012-4-16}}</ref>。先行する2頭が飛ばして逃げたために前方が空き、引っ掛かりながら第1コーナーを通過していたが、岩田が宥めて折り合いを実現していた<ref name="優駿-2012-6-13">『優駿』2012年6月号 13頁</ref><ref name="日刊-皐月賞">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120416-934836.html |title=ブリランテ岩田、ダービーこそ/皐月賞 |access-date=2023-5-23 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120416225534/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120416-934836.html |archive-date=2012-4-16}}</ref>。馬場の良いところを求めて外に張りながら最終コーナーを通過し、直線では末脚を発揮して、外側から追い上げるワールドエースやグランデッツァに応戦した<ref name="報知-皐月賞">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120415-OHT1T00230.htm |title=岩田「最高の形」もディープブリランテ3着…皐月賞 |access-date=2023-5-23 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120416214943/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120415-OHT1T00230.htm |archive-date=2012-4-16}}</ref>。 |
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しかし空いた馬場の悪い内側をゴールドシップに突かれた<ref name="優駿-2012-6-13" /><ref name="報知-皐月賞" />。コーナーワークで逆転され、突き放された<ref name="日刊-皐月賞" /><ref>『優駿』2012年6月号 18頁</ref>。ゴールドシップに離された2番手だったが、大外から追い込んだワールドエースに寸前で差し切られた。ゴールドシップに約3馬身以上、ワールドエースに4分の3馬身後れを取る3着だった<ref name="優駿-2012-6-98" />。ゴールドシップの奇策に敗れたのは致し方無いにしても、ワールドエースに終いで差し込まれた3着は、ダービータイトル奪取を目論む陣営にとって不満だった<ref name="東スポ杯-矢作-37" />。矢作は、実力では世代上位と高を括っていたが、ワールドエースに上回られたことが気がかりだった<ref name="東スポ杯-矢作-37" />。 |
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次の大一番は、400メートル長い2400メートルで行われるため、折り合いを保つことがさらに求められた。それに限らず、少なくともワールドエースには逆転するが必要であり<ref name="東スポ-矢作-38">{{Cite web|和書|title=矢作芳人調教師連載【38】ディープブリランテと岩田康誠騎手「あの話」の真相は… |url=https://tospo-keiba.jp/yahagiyoshito/10368 |website=東スポ競馬 |date=2022-03-23 |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>、折り合い面の改善とワールドエースを上回るような成長をする必要に迫られていた<ref name="優駿-2012-7-17">『優駿』2012年7月号 17頁</ref><ref name="東スポ-矢作-38" />。そこで矢作は、信頼する厩舎スタッフを集めて話し合いを実施。大一番に向けて、厩舎一丸でディープブリランテの更生と成長促進に、注力することを決意していた<ref name="東スポ-矢作-38" />。しかしそんな矢先の5月7日、主戦を務める岩田が矢作に対して、調教での騎乗を希望する電話をかけていた<ref name="優駿-2012-7-21" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=Vu8JSvhpc_g&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2012年 NHKマイルカップ<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}岩田は、前日の5月6日、[[NHKマイルカップ]]で、2番人気のマウントシャスタに騎乗。直線で斜行し、後方にいた[[シゲルスダチ]]の[[後藤浩輝]]を落馬させ、マウントシャスタを失格させて開催4日間、2週間の騎乗停止処分を受けていた<ref name="優駿-2012-7-21">『優駿』2012年7月号 21頁</ref><ref name="スポニチ-岩田失格">{{Cite web|和書|title=【NHKマイルC】失格の岩田 ヴィクトリアM、オークス乗れず - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/05/07/kiji/K20120507003196230.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-05-17 |language=ja}}</ref>。これにより岩田は、翌週の[[ヴィクトリアマイル]]に[[桜花賞]]優勝馬の[[マルセリーナ]]、翌々週の[[優駿牝馬]](オークス)で桜花賞優勝馬で二冠の懸かる[[ジェンティルドンナ]]に騎乗できなくなっていた<ref name="スポニチ-岩田失格" />。 |
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しかし処分は2週間だったために翌々々週の東京優駿、ディープブリランテとのコンビ解消は免れていた。停止処分が明けるまでの3週間の暇ができた岩田は、自身の過失を反省した後、やり直すには、東京優駿で全力を挙げなければならないと考えるようになっていた<ref name="優駿-2012-7-21" />。そこで矢作に電話をかけ、騎乗停止期間中の調教に毎日騎乗することを願い出ていた<ref name="優駿-2012-7-21" />。 |
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矢作は、信頼できるスタッフの安藤と、厩舎外部の騎手岩田のどちらに任せるかで葛藤したが、最終的に岩田に託していた<ref name="優駿-2012-7-17" />。この選択はスタッフの士気が低下し、厩舎運営にも支障をきたす可能性があった。そのため岩田に対し「土日も休まずに毎日乗ること」「スタッフ全員の了承を自分で取りつけること」という条件を課していた<ref name="優駿-2012-7-17" />。ダービーまでの3週間、岩田は一番乗りで厩舎に着いては、毎日のように調教に跨り、長い時間触れ合って、理解を深めていった<ref name="優駿-2012-7-21" />。 |
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{{Multiple image|footer=[[岩田康誠]]と[[矢作芳人]]|total_width=280|image1=Yasunari-Iwata20120408.jpg|alt1=[[岩田康誠]]|image2=Yoshito-Yahagi20110319.jpg|alt2=[[矢作芳人]]}}時に岩田と矢作は、熱意のあまり対立した。矢作によれば、岩田が先入観から「深いブリンカーをした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120528-958307.html |title=矢作師初の栄冠「感無量だ」/ダービー |access-date=2023-5-19 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120529012816/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120528-958307.html |archive-date=2012-5-29}}</ref>」様子になり、一丸で取り組む厩舎の和を乱すようなことがあった<ref name="優駿-2012-7-26" /><ref name="優駿-2012-7-22">『優駿』2012年7月号 22頁</ref>。矢作は叱り、岩田はスタッフに謝罪する事態にまで陥ったが、態度を改めて、コンビ、調教委託は継続となった<ref name="優駿-2012-7-22" />。 |
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岩田が矢作厩舎に融和する流れで、岩田は、[[ハミ (馬具)|ハミ]]の変更を提案していた<ref name="優駿-2012-7-17" />。銜える部分に細工がなされてディープブリランテの口に優しく、口を割って引っ掛かりにくくする「ダブルジョイント」のハミを乗馬クラブから取り寄せて持ち込んでいた<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120527-OHT1T00340.htm |title=ブリランテ鼻差V!岩田も矢作師も男泣き…ダービー |access-date=2023-5-19 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120529160849/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120527-OHT1T00340.htm |archive-date=2012-5-29}}</ref>。矢作はそれを了承し、そのハミに少しアレンジを施して使用することに決めていた<ref name="東スポ-矢作-38" />。そして大一番は、以前よりかは、口に負荷がかからない、優しいハミを使用し<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/05/27/0005087396.shtml |title=【ダービー】ブリランテ、ひと味違う |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120528115819/http://daily.co.jp/horse/2012/05/27/0005087396.shtml |archive-date=2012-5-28}}</ref>、皐月賞で着用したコンビ鼻革も続投。万全の折り合い対策を施しての参戦となっていた<ref name="デイリー-ダービー-折り合い" />。 |
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大一番を前に調教の騎乗、ハミの変更を受け入れてもらい、不和によるチーム崩壊の危機も水に流してくれるなど、厩舎から様々な施しを受けた岩田は、大きなプレッシャーを感じるようにもなりながら大一番を迎えている<ref name="優駿-2012-7-22" />。後に「穴が開いてるじゃないかと思うほど、毎日胃が痛かった。初めて経験する痛み<ref name="優駿-2012-7-22" />」だったと回顧している。 |
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==== 東京優駿(日本ダービー) ==== |
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5月27日、東京優駿(日本ダービー)(GI)に参戦する。道悪小回り、右回りで行われた皐月賞とは正反対となる良馬場の大回り、左回りの東京競馬場が舞台だった<ref>『優駿』2012年7月号 10頁</ref>。皐月賞で先着を許したゴールドシップ、そしてワールドエースも離脱せず参戦。そのほか、[[青葉賞]]優勝の[[フェノーメノ]]、[[京都新聞杯]]優勝の[[トーセンホマレボシ]]、[[毎日杯]]優勝の[[ヒストリカル]]ら別路線組を加えた18頭立てとなった。人気の中心は、皐月賞組だった。中でも1着ゴールドシップ、2着ワールドエースが抜けた人気となり、ワールドエースが2.5倍、ゴールドシップが3.1倍という「二強」を形成していた<ref name="優駿-2012-7-106">『優駿』2012年7月号 106頁</ref><ref name="優駿-2012-7-11">『優駿』2012年7月号 11頁</ref>。対して3着のディープブリランテは、飛躍して単勝オッズ8.5倍の3番人気、「二強」から一枚落ちる評価だった<ref name="優駿-2012-7-106" /><ref name="優駿-2012-7-11" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=T1MakzUmpxU&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2012年 東京優駿(日本ダービー)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}5枠10番のディープブリランテは、好スタートを切って先行し、逃げるゼロスに次ぐ2番手まで前進した<ref name="優駿-2012-7-11" />。外から主張したトーセンホマレボシに前を譲ったが3番手を確保し、最初のコーナーに差し掛かっていた。このときディープブリランテは頭が上がり、引っ掛かりかけながらの通過となっていた<ref name="優駿-2012-7-13">『優駿』2012年7月号 13頁</ref>。ところが3週間触れ合っていた岩田が宥めると、冷静さを取り戻していた。大一番で、折り合いをつけながらの追走を実現していた<ref name="優駿-2012-7-13" />。下すべき相手のワールドエースとゴールドシップは、中団後方を追走していた<ref name="優駿-2012-7-106" />。 |
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逃げるゼロスが前半の1000メートルを59.1秒で通過するハイペースで引っ張りながら、3番手ないしクラレントに接近された4番手を保って向こう正面を消化<ref name="優駿-2012-7-106" />。やがて先頭ゼロスと2番手トーセンホマレボシが、後続を置いてけぼりにして2頭で逃げるようになり、ディープブリランテは馬群の先頭を担うことになった<ref name="優駿-2012-7-106" />。 |
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3番手で直線に向いてから、遥か前を行く2頭を捕まえるために、岩田は早めに、残り400メートル地点から仕掛けていた。折り合いをつけて溜めていた末脚を繰り出すと、残り200メートルで抜け出していたトーセンホマレボシをかわして先頭を奪取していた<ref name="優駿-2012-7-13" />。早めに仕掛けて先頭に立ったために、終いは苦しくなった。外から追い込む同じ勝負服のフェノーメノとワールドエース、そして皐月賞優勝馬のゴールドシップに接近を許した。しかし粘りを見せて先頭を保持。ワールドエースとゴールドシップには、並びかけることすら許さなかった<ref name="優駿-2012-7-106" />。ただしフェノーメノには限りなく接近された。寸前で並びかけられ、ほとんど同時に決勝線に差し掛かっていた<ref name="優駿-2012-7-106" />。 |
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[[ファイル:Fenomeno201120527.jpg|サムネイル|267x267ピクセル|東京優駿の決勝線。並んで飛び込むディープブリランテ(正面奥、黄帽)と[[フェノーメノ]](正面手前、緑帽)後れる[[トーセンホマレボシ]](左奥、橙帽)と[[ワールドエース]](左手前、青帽)]] |
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ディープブリランテとフェノーメノの優劣は、写真判定に持ち込まれていた<ref name="優駿-2012-7-106" />。岩田も、フェノーメノの[[蛯名正義]]も勝利の確信なくウイニングランができず、いずれも敗者の退場経路であるダートコースを歩んでいた<ref>{{Cite web|和書|title=【日本ダービー】ブリランテV!岩田、涙の初制覇 - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/05/28/kiji/K20120528003341610.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>。しかしその最中にディープブリランテのハナ差、約23センチメートル先着が判明していた<ref name="優駿-2012-7-22" />。 |
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ダービー戴冠、GI初勝利。2000年の[[アグネスフライト]]が[[エアシャカール]]を凌いで以来12年ぶり史上8度目{{Efn|他に1940年優勝[[イエリユウ]]、2着ミナミ。1958年[[ダイゴホマレ]]、[[カツラシユウホウ]]。1961年[[ハクシヨウ]]、メジロオー。1974年[[コーネルランサー]]、インターグッド。1979年[[カツラノハイセイコ]]、[[リンドプルバン]]。1981年[[カツトップエース]]、[[サンエイソロン]]。<ref>{{Cite web|和書|title=第124回 「ハナ」 |url=https://enjoy.jbis.or.jp/column/ariyoshi/2021/011857.html |website=enjoy.jbis.or.jp |access-date=2023-05-19}}</ref>}}となるハナ差決着によるダービー勝者となっていた<ref name="優駿-2012-7-106" />。2010年[[エイシンフラッシュ]]以来となる皐月賞3着からの巻き返し、1999年[[アドマイヤベガ]]以来13年ぶりとなる3歳時初勝利がダービーだった<ref name="ブック-ダービー-アラカルト">{{Cite web|和書|title=日本ダービーアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/56459 |website=競馬ブック |access-date=2023-05-18}}</ref>。さらに1993年[[ウイニングチケット]]以来となる馬番「10」からの優勝だった<ref name="ブック-ダービー-アラカルト" />。また走破タイムは2分23秒8は、2004年キングカメハメハと2005年ディープインパクトの2分23秒3に次いで史上3番目に速かった<ref name="優駿-2012-7-107">『優駿』2012年7月号 107頁</ref>。 |
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それから岩田や矢作、パカパカファームはダービー初優勝だった<ref name="優駿-2012-7-31" /><ref name="優駿-2012-7-107" />。敗者の通るダートコースを歩行中に着順掲示板を確認し優勝を知った岩田は、その場でディープブリランテに突っ伏して号泣<ref>『優駿』2012年7月号 18頁</ref><ref name="優駿-2012-7-13" />。スタンドからは「イワタ、イワタ」と岩田コールが巻き起こっていた<ref name="優駿-2012-7-13" />。 |
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岩田は当日、緊張もなしに挑めていたという<ref name="優駿-2012-7-20">『優駿』2012年7月号 20頁</ref>。騎乗停止という苦境に陥りながら自分を律して臨めたのは、前年のジャパンカップを優勝した際、騎乗した[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]に「自信を持って乗りなさい」と教えられたことがきっかけだったという<ref name="優駿-2012-7-20" />。かくして岩田は、2004年キングカメハメハで制した[[安藤勝己]]、2010年エイシンフラッシュで制した[[内田博幸]]に続いて史上3人目となる地方競馬出身のダービージョッキーとなった<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/05/28/0005089632.shtml |title=【ダービー】岩田、一世一代の男泣き |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120528120051/http://daily.co.jp/horse/2012/05/28/0005089632.shtml |archive-date=2012-5-28}}</ref>。 |
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[[ファイル:Yasunari-Iwata20120527-2.jpg|サムネイル|248x248ピクセル|号泣する岩田]] |
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またサンデーレーシングは、前年の[[オルフェーヴル]]に続いて優勝を果たし、2004年キングカメハメハ、2005年ディープインパクトで優勝した[[金子真人]]以来史上2例目となるダービー連覇を成し遂げていた<ref name="優駿-2012-7-107" />。また2着のフェノーメノもサンデーレーシングであり、史上初めてとなるダービーワンツー独占、前週の優駿牝馬優勝もまた同様で、2週連続クラシック優勝を成し遂げていた<ref>{{Cite web|和書|title=【日本ダービー】史上初!同一馬主“ワンツー” - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/05/28/kiji/K20120528003340770.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-05-18 |language=ja}}</ref>。それから父ディープインパクトは、産駒2世代目でダービー優勝、史上7例目となるダービー親仔優勝を果たしていた<ref name="優駿-2012-7-107" />。 |
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[[ファイル:Deep-Brillante20120527.jpg|サムネイル|257x257ピクセル|優勝馬服]] |
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==== 遠征 ==== |
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ダービー優勝の後は、秋に備えて夏休みに入ることなく戦線に残り、ヨーロッパ遠征を敢行した。7月中旬に[[イギリス]]の[[アスコット競馬場]]で行われるG1競走の[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]出走を目指した。[[古馬]]との初対決、それもヨーロッパの強豪古馬への挑戦となったが、3歳馬と古馬の負担重量に大きな開きがあった。3歳牡馬は55キログラムに対し、古牡馬は60.25キログラムであり、3歳馬はかなり優遇されていた<ref name="日刊-Kジョージ-登録-2">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120605-962418.html |title=ブリランテ「重量差魅力」Kジョージ登録 |access-date=2023-5-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120607215726/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120605-962418.html |archive-date=2012-6-7}}</ref>。クラシックの最中、この優遇を頼りに3歳夏の遠征となった<ref name="日刊-Kジョージ-登録">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20120604-962228.html |title=ダービー馬ブリランテがKジョージ登録 |access-date=2023-5-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-date=2012-6-7 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120607073327/http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20120604-962228.html}}</ref>。おまけにこの年は、[[エリザベス女王]]の即位60周年、[[ダイヤモンド・ジュビリー]]であることも遠征敢行の理由になっていた<ref name="日刊-Kジョージ-登録" />。 |
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1985年シリウスシンボリ以来東京優駿優勝直後の外国遠征となり<ref name="日刊-Kジョージ-登録-2" />、1969年[[スピードシンボリ]]、1985年シリウスシンボリ、2000年エアシャカール、2006年[[ハーツクライ]]以来5頭目となるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス挑戦<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120722-OHT1T00271.htm |title=ブリランテ失速 矢作師「心折れそう」…キングジョージ |access-date=2023-5-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120723145928/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120722-OHT1T00271.htm |archive-date=2012-7-23}}</ref>、シリウスシンボリとエアシャカールに次いで3頭目となる3歳馬による挑戦だった<ref name="日刊-Kジョージ-登録-2" />。7月6日にイギリスに到着<ref name="報知-Kジョージ-追い切り">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120717-OHT1T00234.htm |title=ディープブリランテ、完璧!矢作師「歴史変えたい」…キングジョージ追い切り |access-date=2023-5-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120723150704/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120717-OHT1T00234.htm |archive-date=2012-7-23}}</ref>。ニューマーケットの[[クライヴ・ブリテン]]厩舎に滞在し、アルバハスリ調教場で調整された<ref name="優駿-2012-9-62">『優駿』2012年9月号 62頁</ref><ref name="報知-Kジョージ-追い切り" />。検疫や輸送を順調にこなして仕上げられたディープブリランテは、岩田によれば「ダービーの時よりいい状態<ref name="優駿-2012-9-62" />」だったという<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120720-OHT1T00253.htm |title=ブリランテ最終調整完了!岩田「申し分ない。最高の状態」…キングジョージ |access-date=2023-5-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-date=2012-7-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120723145948/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20120720-OHT1T00253.htm}}</ref>。 |
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7月21日のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(G1)は10頭立て、うち7頭がGI級競走優勝馬だった<ref name="優駿-2012-9-62" />。外枠から好スタートを切って急な下り坂を通り、中団を確保した<ref name="日刊-Kジョージ-8着">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120722-987400.html |title=ブリランテ直線で失速8着/Kジョージ |access-date=2023-5-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120722035140/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120722-987400.html |archive-date=2012-7-22}}</ref>。スピードがつく下り坂、スローペース、前方に馬がいない状況だったが、折り合いをつけながらの追走を実現、4、5番手で最終コーナーを向いていた<ref name="優駿-2012-9-62" />。直線では、先に抜け出した[[ナサニエル (競走馬)|ナサニエル]]や[[デインドリーム]]、[[セントニコラスアビー]]を目指して追い上げたが、末脚を全く使えなかった<ref name="日刊-Kジョージ-8着" />。 |
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失速して先頭争いには加われずに後退、8着に敗れた<ref name="日刊-Kジョージ-8着" />。最大の敗因は、矢作によれば、ディープブリランテの長所であるテンションの高さが全くなかったことだった<ref name="東スポ-矢作-40" />。ニューマーケットの環境に順応しきって、落ち着いていたという<ref name="東スポ-矢作-40" />。 |
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=== 引退 === |
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イギリス・ロンドンからの帰路は、陸送を経て[[パリ]]からの直行便を予定していた。しかし直行便が急遽欠航となり、回り道を強いられた<ref name="日刊-菊花賞-追い切り">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20121018-1034042.html |title=ぶっつけブリランテ7馬身先着/菊花賞 |access-date=2023-5-19 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-date=2012-10-19 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121019082358/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20121018-1034042.html}}</ref><ref name="優駿-2012-10-47">『優駿』2012年10月号 47頁</ref>。[[アムステルダム]]へ陸送された後、[[ミラノ]]を経由しての帰国となった<ref name="日刊-菊花賞-追い切り" /><ref name="優駿-2012-10-47" />。長距離の移動を強いられたディープブリランテは消耗し、帰国後の放牧では、ひたすら回復に充てられた<ref name="優駿-2012-10-47" />。このため前哨戦の季節には間に合わず、秋はGIへの直行を余儀なくされた<ref name="優駿-2012-10-47" />。 |
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9月27日に帰厩<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/09/28/0005410550.shtml |title=ブリランテ 菊花賞へ直行プラン有力 |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20121002080112/http://daily.co.jp/horse/2012/09/28/0005410550.shtml |archive-date=2012-10-2}}</ref>。再始動戦は、クラシック最終戦の[[菊花賞]]、もしくは古馬相手の[[天皇賞(秋)]]の二択に絞られ、このうち10月21日に行われる菊花賞参戦を選択していた。皐月賞優勝馬のゴールドシップも出走を表明し、2000年のエアシャカールとアグネスフライト以来12年ぶりとなる皐月賞優勝馬と東京優駿優勝馬による対決が期待されていた<ref>『優駿』2012年10月号 46頁</ref>。さらに1943年[[クリフジ]]、1973年[[タケホープ]]に続く東京優駿と菊花賞の[[二冠馬|クラシック二冠]]<ref name="優駿-2012-10-47" />、1987年[[サクラスターオー]]以来となる前哨戦なしの菊花賞戴冠も期待されていた<ref name="日刊-菊花賞-追い切り" />。ところが直前の10月18日、追い切りをした後、右前脚に熱が確認された<ref name="優駿-2012-12-155">『優駿』2012年12月号 155頁</ref>。腫れはなく、歩様に問題はなかったが、大事を取って菊花賞参戦を断念した<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/newsflash/horse/2012/10/18/0005458247.shtml |title=【菊花賞】ダービー馬ブリランテが回避 |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20121020065206/http://daily.co.jp/newsflash/horse/2012/10/18/0005458247.shtml |archive-date=2012-10-20}}</ref><ref name="優駿-2012-12-155" />。 |
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その後、トレーニングセンター内の診療所で受けたエコー検査の結果、中程度の[[屈腱炎]]を発症していることが判明して長期離脱となり、北海道で放牧となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20121020-1034928.html |title=ブリランテ屈腱炎だった!復帰は来秋か |access-date=2023-5-19 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20121022195902/http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20121020-1034928.html |archive-date=2012-10-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/10/20/0005462577.shtml |title=ブリランテ屈腱炎 来秋の復帰目指す |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20121020061014/http://daily.co.jp/horse/2012/10/20/0005462577.shtml |archive-date=2012-10-20}}</ref>。初めは翌年秋での復帰を見込んでいたが、ノーザンファーム空港で受けた再検査の結果、再起の難しい故障であることが判明して即引退<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/10/27/0005482010.shtml |title=ダービー馬ブリランテ引退、種牡馬に |access-date=2023-5-19 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20121027153811/http://daily.co.jp/horse/2012/10/27/0005482010.shtml |archive-date=2012-10-27}}</ref>。10月26日付で日本中央競馬会の競走馬登録を抹消された<ref name="優駿-2013-2-49" />。 |
|||
矢作は「遅生まれだったディープブリランテは明らかに未完成で、古馬になって良さが出てくる血統<ref name="東スポ-矢作-40">{{Cite web|和書|title=矢作芳人調教師連載【40】未完成だったディープブリランテが引退…無念の一言 |url=https://tospo-keiba.jp/yahagiyoshito/10379 |website=東スポ競馬 |date=2022-03-23 |access-date=2023-05-19 |language=ja}}</ref>」であると捉えていた。それに[[ドバイワールドカップミーティング]]の[[ドバイワールドカップ]]や、香港の[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]など翌年春の外国遠征に再び挑戦する計画も存在した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120722-987399.html |title=ブリランテ来春ドバイ→香港連戦プラン |access-date=2023-5-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20120723042618/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120722-987399.html |archive-date=2012-7-23}}</ref>。しかし3歳のうちに引退に追い込まれた<ref name="東スポ-矢作-40" />。 |
|||
== 種牡馬時代 == |
|||
[[File:ディープブリランテ (9229301654).jpg|thumb|250px|社台スタリオンステーションにて。]]競走馬引退後は、父ディープインパクトと同じ北海道[[安平町]]の[[社台スタリオンステーション]]にて種牡馬として供用された<ref>{{Cite web|和書|title=ディープブリランテが社台スタリオンステーションでお披露目される|url=https://uma-furusato.com/news/69741.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-05-19}}</ref>。初年度は205頭の繁殖牝馬と交配、ピークは初年度だったが5年目の2017年は147頭と交配するなど三桁の交配数を誇った<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。6年目に三桁を陥落した後に社台スタリオンステーションを退き<ref name="JBIS-種牡馬成績" />、7年目の2019年からは北海道[[日高町 (北海道)|日高町]]の[[ブリーダーズ・スタリオン・ステーション]]にて供用されている<ref>{{Cite web|和書|title=ディープブリランテがブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動|url=https://uma-furusato.com/news/95912.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-05-19}}</ref>。 |
|||
産駒は2016年から競馬場で走っており、中央競馬並びに地方競馬で活躍馬を輩出。重賞タイトルに到達した産駒も多数いる。例えば、初年度産駒の[[セダブリランテス]](母父:[[ブライアンズタイム]])は、2017年の[[ラジオNIKKEI賞]](GIII)や2018年の[[中山金杯]](GIII)を優勝した<ref name="JBIS-セダブリランテス">{{Cite web|和書|title=セダブリランテス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001191897/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-23}}</ref>。 |
|||
3年目産駒の[[モズベッロ]](母父:[[ハーランズホリデー]])は、2020年の[[日経新春杯]](GII)を優勝したほか、同年の[[宝塚記念]](GI)では[[クロノジェネシス]]と[[キセキ (競走馬)|キセキ]]に続き、[[サートゥルナーリア (競走馬)|サートゥルナーリア]]に先着する3着<ref name="JBIS-モズベッロ">{{Cite web|和書|title=モズベッロ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001221813/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-19}}</ref>。翌2021年の[[大阪杯]](GI)では、[[レイパパレ]]に続き、[[コントレイル (競走馬)|コントレイル]]や[[グランアレグリア]]に先着する2着となっている<ref name="JBIS-モズベッロ" />。 |
|||
さらに7年目産駒の[[エルトンバローズ]](母父:ブライアンズタイム)は、2023年4月、未勝利戦を4戦かけて勝ち上がってから、昇級初戦の1勝クラスで連勝。さらにラジオNIKKEI賞も優勝、そのまま挑んだ[[毎日王冠]](GII)ではソングラインや[[シュネルマイスター]]を下し、4連勝でGII競走戴冠まで成り上がった<ref>{{Cite web |title=【毎日王冠】3歳馬エルトンバローズが重賞連勝 古馬の壁を打ち崩す |url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20231008-OHT1T51140.html |website=スポーツ報知 |date=2023-10-08 |access-date=2023-11-19 |language=ja}}</ref>。 |
|||
2023年限りで種牡馬を引退し、種牡馬引退後は生まれ故郷のパカパカファームで余生を送る。 |
|||
== 競走成績 == |
== 競走成績 == |
||
以下の内容は、 |
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref name="競走成績">{{Cite web|和書|url=https://db.netkeiba.com/horse/result/2009105084/ |title=ディープブリランテの競走成績|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|accessdate=2021-01-31}}</ref>並びにJBISサーチ<ref>{{Cite web|和書|title=競走成績:全競走成績|ディープブリランテ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001110554/record/?sort=ymd&page=1&order=A |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-14}}</ref>の情報に基づく。 |
||
{| style="border-collapse: |
{| style="border-collapse:collapse; font-size:90%; text-align:center; white-space:nowrap" |
||
!競走日 |
|||
! 競走日 !! 競馬場 !! 競走名 !! 格 !! 距離(馬場) !! 頭<br />数 !! 枠<br />番 !! 馬<br />番 !! オッズ<br />(人気) !! 着順 !! タイム<br />(上り3F) !! 着差 !! 騎手 !! 斤量 !! 1着馬/(2着馬) !! 出典 |
|||
!競馬場 |
|||
!競走名 |
|||
!格 |
|||
!距離(馬場) |
|||
!頭 |
|||
数 |
|||
!枠 |
|||
番 |
|||
!馬 |
|||
番 |
|||
!オッズ |
|||
(人気) |
|||
!着順 |
|||
!タイム |
|||
(上がり3F) |
|||
!着差 |
|||
!騎手 |
|||
!斤量 |
|||
[kg] |
|||
!1着馬(2着馬) |
|||
!馬体重 |
|||
[kg] |
|||
|- |
|- |
||
| |
|[[2011年|2011]].[[10月1日|10.{{0}}1]] |
||
| |
|[[阪神競馬場|阪神]] |
||
| |
|[[新馬|2歳新馬]] |
||
| |
| |
||
| |
|芝1800m(良) |
||
| |
|12 |
||
| |
|7 |
||
| |
|10 |
||
| |
|{{0}}1.2(1人) |
||
| |
|{{color|darkred|1着}} |
||
| |
|1:49.7 (34.9) |
||
| -0.8 |
| -0.8 |
||
| |
|[[岩田康誠]] |
||
|55 |
|||
| 55kg |
|||
|(エボニーナイト) |
|(エボニーナイト) |
||
|490 |
|||
|- |
|- |
||
| |
|{{0|0000.}}[[11月19日|11.19]] |
||
| |
|[[東京競馬場|東京]] |
||
| |
|[[東京スポーツ杯2歳ステークス|東スポ杯2歳S]] |
||
| |
|{{GIII}} |
||
| |
|芝1800m(不) |
||
| |
|15 |
||
| |
|7 |
||
| |
|13 |
||
| |
|{{0}}2.4(1人) |
||
| |
|{{color|darkred|1着}} |
||
| |
|1:52.7 (35.9) |
||
| -0.5 |
| -0.5 |
||
| |
|岩田康誠 |
||
|55 |
|||
| 55kg |
|||
| |
|(フジマサエンペラー) |
||
|498 |
|||
|- |
|- |
||
| |
|[[2012年|2012]].{{0}}[[2月12日|2.12]] |
||
| |
|東京 |
||
| |
|[[共同通信杯]] |
||
| |
|{{GIII}} |
||
| |
|芝1800m(良) |
||
| |
|11 |
||
| |
|2 |
||
| |
|2 |
||
| |
|{{0}}1.4(1人) |
||
| |
|{{color|darkblue|2着}} |
||
| |
|1:48.6 (33.9) |
||
| |
|{{0|-}}0.3 |
||
| |
|岩田康誠 |
||
|57 |
|||
| 57kg |
|||
| |
|[[ゴールドシップ]] |
||
|510 |
|||
|- |
|- |
||
| |
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月18日|3.18]] |
||
| |
|[[中山競馬場|中山]] |
||
| |
|[[スプリングステークス|スプリングS]] |
||
| |
|{{GII}} |
||
| |
|芝1800m(重) |
||
| |
|14 |
||
| |
|6 |
||
| |
|9 |
||
| |
|{{0}}2.2(1人) |
||
| |
|{{color|darkblue|2着}} |
||
| |
|1:50.9 (35.8) |
||
| |
|{{0|-}}0.2 |
||
| |
|岩田康誠 |
||
|56 |
|||
| 56kg |
|||
| |
|[[グランデッツァ]] |
||
|502 |
|||
|- |
|- |
||
| |
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月15日|4.15]] |
||
| |
|中山 |
||
| |
|[[皐月賞]] |
||
| |
|{{GI}} |
||
| |
|芝2000m(稍) |
||
| |
|18 |
||
| |
|3 |
||
| |
|6 |
||
| |
|{{0}}6.2(3人) |
||
| |
|{{color|darkgreen|3着}} |
||
| |
|2:01.8 (36.7) |
||
| |
|{{0|-}}0.5 |
||
| |
|岩田康誠 |
||
|57 |
|||
| 57kg |
|||
| |
|ゴールドシップ |
||
|502 |
|||
|- |
|- |
||
| |
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月27日|5.27]] |
||
| |
|東京 |
||
| |
|[[東京優駿]] |
||
| |
|{{GI}} |
||
| |
|芝2400m(良) |
||
| |
|18 |
||
| |
|5 |
||
| |
|10 |
||
| |
|{{0}}8.5(3人) |
||
| |
|{{color|darkred|1着}} |
||
| |
|2:23.8 (34.5) |
||
| -0.0 |
| -0.0 |
||
| |
|岩田康誠 |
||
|57 |
|||
| 57kg |
|||
| |
|([[フェノーメノ]]) |
||
|496 |
|||
|- |
|- |
||
| |
|{{0|0000.}}[[7月21日|{{0}}7.21]] |
||
| |
|[[アスコット競馬場|<small>アスコット</small>]] |
||
| |
|[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス|KGVI & QEDS]] |
||
| |
|{{G1}} |
||
| |
|<small>芝{{#tag:ref|1マイル4ハロン<ref name="KGVI&QEDS"/>。この競走が行われた時点ではこのように公表されていたが、2017年に距離を正確に測定し直した結果、実際は11ハロン211[[ヤード]]だった<ref name="KGVI&QEDS"/><ref>{{Cite web|和書|author=合田直弘|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=37653|title=ヨーロッパ競馬の疑問「今年は半端な距離のレースが多すぎるのはなぜ?」|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|date=2017-07-05|accessdate=2018-02-14}}</ref>。|group="注釈"}}({{#tag:ref|「Good to Soft」<ref name="KGVI&QEDS">{{Cite web|url=https://www.racingpost.com/results/2/ascot/2012-07-21/556287|title=King George VI And Queen Elizabeth Stakes Sponsored By Betfair (British Champions Series) (Group 1)|publisher=Racing Post|accessdate=2018-02-10}}</ref>の略。詳しくは[[馬場状態]]を参照。|group="注釈"}})</small> |
||
| |
|10 |
||
| |
| |
||
| |
|10 |
||
| |
|||
| {{0|0.00}}(6人) |
|||
| |
|8着 |
||
| |
| |
||
| |
| |
||
| |
|岩田康誠 |
||
| |
|<small>{{#tag:ref|8st9lb。8[[ストーン (単位)|ストーン]]9[[ポンド (質量)|ポンド]](出典の表における「WGT」項の「8-9」より<ref name="KGVI&QEDS"/>)。|group="注釈"}}</small> |
||
| |
|[[デインドリーム|Danedream]] |
||
|計不 |
|||
| <ref name="KGVI&QEDS">{{Cite web|url=https://www.racingpost.com/results/2/ascot/2012-07-21/556287|title=King George VI And Queen Elizabeth Stakes Sponsored By Betfair (British Champions Series) (Group 1)|publisher=Racing Post|accessdate=2018-02-10}}</ref> |
|||
|} |
|} |
||
== 種牡馬成績 == |
== 種牡馬成績 == |
||
[[File:ディープブリランテ (9229301654).jpg|thumb|250px|2013年6月30日 社台スタリオンステーションにて]] |
|||
2016年に初年度産駒がデビューし、7月3日にディーパワンサが産駒初勝利を飾る<ref>{{Cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=111746|title=ディーパワンサがV ディープブリランテ産駒初勝利/中京新馬|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|date=2016-07-03|accessdate=2018-02-10}}</ref>。 |
|||
=== 年度別成績 === |
|||
2017年7月2日、[[セダブリランテス]]が[[ラジオNIKKEI賞]]を勝利し、産駒のJRA重賞初勝利を挙げた<ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/07/02/kiji/20170702s00004048211000c.html|title=【ラジオNIKKEI賞】セダブリランテス無傷の3連勝!石川も重賞初V「先がある馬」|publisher=株式会社スポーツニッポン新聞社|website=Sponichi Annex|date=2016-07-02|accessdate=2017-07-02}}</ref>{{#tag:ref|多くのディープインパクト産駒が種牡馬入りしているが、ディープインパクトの直父系の孫が重賞に勝利したのはこれが初めてだった<ref>{{Cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=37651|title=秋は菊花賞を視野に入れる展望も生じた/ラジオNIKKEI賞|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|author=柏木集保|date=2017-07-03|accessdate=2018-01-23}}</ref>。|group="注"}}。 |
|||
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく<ref name="JBIS-種牡馬成績">{{Cite web|和書|title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|ディープブリランテ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001110554/sire/generation/thorough_s/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-12}}</ref>。 |
|||
{| class="wikitable" |
|||
!種付年度 |
|||
!種付頭数 |
|||
!生産頭数 |
|||
!血統登録頭数 |
|||
!出走頭数 |
|||
!勝馬頭数 |
|||
!重賞勝馬頭数 |
|||
![[アーニングインデックス|AEI]] |
|||
![[コンパラブルインデックス|CPI]] |
|||
|- |
|||
!2013 |
|||
|205 |
|||
|125 |
|||
|123 |
|||
|108 |
|||
|63 |
|||
|2 |
|||
|0.81 |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2014 |
|||
|170 |
|||
|108 |
|||
|107 |
|||
|100 |
|||
|64 |
|||
|1 |
|||
|0.68 |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2015 |
|||
|135 |
|||
|97 |
|||
|93 |
|||
|82 |
|||
|55 |
|||
|3 |
|||
|1.08 |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2016 |
|||
|88 |
|||
|56 |
|||
|56 |
|||
|49 |
|||
|25 |
|||
|0 |
|||
|0.40 |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2017 |
|||
|148 |
|||
|92 |
|||
|92 |
|||
|83 |
|||
|50 |
|||
|1 |
|||
|0.62 |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2018 |
|||
|86 |
|||
|54 |
|||
|53 |
|||
|48 |
|||
|25 |
|||
|1 |
|||
|0.71 |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2019 |
|||
|40 |
|||
|31 |
|||
|30 |
|||
|24 |
|||
|8 |
|||
|0 |
|||
|0.76 |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2020 |
|||
|44 |
|||
|24 |
|||
|23 |
|||
|0 |
|||
|- |
|||
|- |
|||
|- |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2021 |
|||
|63 |
|||
|40 |
|||
|40 |
|||
|0 |
|||
|- |
|||
|- |
|||
|- |
|||
| |
|||
|- |
|||
!2022 |
|||
|35 |
|||
|0 |
|||
|0 |
|||
|0 |
|||
|- |
|||
|- |
|||
|- |
|||
| |
|||
|- |
|||
! colspan="3" |合計 |
|||
|617 |
|||
|494 |
|||
|290 |
|||
|8 |
|||
|0.84 |
|||
|1.28 |
|||
|} |
|||
* 情報は、2023年5月12日時点。 |
|||
* 出走頭数、勝馬頭数、重賞勝馬頭数、[[アーニングインデックス]]、[[コンパラブルインデックス]]は、[[平地競走]]に限る。 |
|||
=== 重賞優勝産駒 === |
|||
2018年12月、社台スタリオンステーションから[[ブリーダーズ・スタリオン・ステーション]]に移動した<ref>{{Cite web|date=2018-12-12|url=https://uma-furusato.com/news/detail/_id_95912|title=ディープブリランテがブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動|publisher=競走馬のふるさと案内所|accessdate=2018-12-13}}</ref>。 |
|||
==== グレード制重賞及びダートグレード競走優勝馬 ==== |
|||
=== 主な産駒 === |
|||
==== グレード制重賞勝利馬 ==== |
|||
*2014年産 |
*2014年産 |
||
**[[セダブリランテス]] |
**[[セダブリランテス]](2017年[[ラジオNIKKEI賞]]、2018年[[中山金杯]])母父:[[ブライアンズタイム]]<ref>{{Cite web|和書|title=セダブリランテス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001191897/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-14}}</ref> |
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*2016年産 |
*2016年産 |
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**[[モズベッロ]] |
**[[モズベッロ]](2020年[[日経新春杯]])母父:[[ハーランズホリデー]]<ref>{{Cite web|和書|title=モズベッロ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001221813/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-14}}</ref> |
||
**[[ラプタス]] |
**[[ラプタス]](2020年[[黒船賞]]、2020年21年[[かきつばた記念]]、2021年[[サマーチャンピオン]]、2022年[[兵庫ゴールドトロフィー]])母父:[[ボストンハーバー]]<ref>{{Cite web|和書|title=ラプタス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001222658/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-14}}</ref> |
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*2020年産 |
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**[[エルトンバローズ]](2023年ラジオNIKKEI賞、[[毎日王冠]])母父:ブライアンズタイム<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0001320356/ |title=エルトンバローズ |work=JBISサーチ |publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]] |accessdate=2023-07-02 }}</ref> |
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==== 地方重賞勝 |
==== 地方重賞優勝馬 ==== |
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*2014年産 |
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* 2014年産 |
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**オーブスプリング([[フローラルカップ]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001190597/|title=オーブスプリング |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2017-11-03}}</ref> |
|||
** オーブスプリング(2016年[[フローラルカップ]])母父:[[フレンチデピュティ]]<ref>{{Cite web|和書 |title=オーブスプリング |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001190597/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-14}}</ref> |
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*2015年産 |
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* 2015年産 |
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**ナムラムツゴロー([[日本海スプリント]])<ref>{{Cite web |title=ナムラムツゴロー|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001208371/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-06-28}}</ref> |
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**ナムラムツゴロー(2022年[[日本海スプリント]])母父:[[ストームキャット]]<ref>{{Cite web|和書 |title=ナムラムツゴロー |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001208371/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-06-28}}</ref> |
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*2016年産 |
*2016年産 |
||
**パレスラブリー |
**パレスラブリー(2018年[[金沢シンデレラカップ]])母父:[[シングスピール]]<ref>{{Cite web|和書 |title=パレスラブリー |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001218474/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-14}}</ref> |
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*2018年産 |
*2018年産 |
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**ブルーカルセドニー |
**ブルーカルセドニー(2020年フローラルカップ)母父:[[キングカメハメハ]]<ref>{{Cite web|和書 |title=ブルーカルセドニー |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001264702/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-14}}</ref> |
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*2019年産 |
*2019年産 |
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**ミゲル |
**ミゲル(2022年[[ニューイヤーカップ]])母父:キングカメハメハ<ref>{{Cite web|和書 |title=ミゲル |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001306758/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-05-14}}</ref> |
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== 血統 |
== 血統 == |
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{{競走馬血統表 |
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=== 主な近親 === |
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*[[競走馬の血統#競走馬の血縁関係|全姉]]にハブルバブル([[フラワーカップ]]2着)<ref>{{Cite web|url=http://db.netkeiba.com/horse/2008104879/|title=ハブルバブル|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|accessdate=2016-04-04}}</ref> |
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*3代母バブルプロスペクターの産駒に[[ザッツザプレンティ]]([[菊花賞]])<ref>{{Cite web|url=http://db.netkeiba.com/horse/2000101398/|title=ザッツザプレンティ|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|accessdate=2016-04-04}}</ref>、[[マニックサンデー]]([[フローラステークス|4歳牝馬特別]])<ref>{{Cite web|url=http://db.netkeiba.com/horse/1997103494/|title=マニックサンデー|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|accessdate=2016-04-04}}</ref>、孫に[[ショウナンパントル]]([[阪神ジュベナイルフィリーズ]])<ref>{{Cite web|url=http://db.netkeiba.com/horse/2002100761/|title=ショウナンパントル|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|accessdate=2016-04-04}}</ref> |
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*4代母バブルカンパニーの産駒に[[バブルガムフェロー]]([[天皇賞(秋)]]、[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]])<ref>{{Cite web|url=http://db.netkeiba.com/horse/1993109219/|title=バブルガムフェロー|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|accessdate=2018-02-14}}</ref>、[[キャンディストライプス|Candy Stripes]]([[プール・デッセ・デ・プーラン]](フランス2000ギニー)2着、[[アルゼンチンの競馬|アルゼンチン]][[リーディングサイアー]]2回)<ref>{{Cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=18985&category=C|title=インヴァソールの父、キャンディストライプスが死亡|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|date=2007-03-01|accessdate=2018-02-10}}</ref>、Intimiste([[クリテリウムドサンクルー]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000342264/|title=Intimiste(USA)|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2016-04-04}}</ref>。 |
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*5代母Prodice(本血統表内バブルカンパニーの母)は[[サンタラリ賞]]を制している<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000394517/|title=Prodice(FR)|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2016-04-04}}</ref>。産駒には4代母バブルカンパニーの[[競走馬の血統#兄弟姉妹の関係|全妹]]にあたるサング([[ロデオドライブステークス|イエローリボンインビテーショナルステークス]]などGI3勝)<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000412959/|title=サング(IRE)|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2016-04-04}}</ref>。 |
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**上記サングの産駒にはSeattle Sangue([[ナッソーステークス (カナダ)|ナッソーステークス]]、カナダ{{要出典|date=2018年2月14日|G2}})<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000412960/|title=シャトルサング(USA)|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2016-04-04}}</ref>、孫に[[トキオパーフェクト]]([[クリスタルカップ]]、[[中日スポーツ賞4歳ステークス]]ほか)<ref>{{Cite web|url=http://db.netkeiba.com/horse/1995108680/|title=トキオパーフェクト|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|website=netkeiba.com|accessdate=2016-04-04}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
=== 注釈 === |
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{{Reflist|group=注}} |
<references group="注" />{{Reflist|group=注釈}} |
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=== 出典 === |
=== 出典 === |
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{{Reflist| |
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== 参考文献 == |
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* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]]) |
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**2012年1月号 |
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***「【重賞プレイバック】第16回東京スポーツ杯2歳ステークス(GIII)ディープブリランテ」 |
|||
**2012年2月号 |
|||
***「【2011年度JRA賞決定!】年度代表馬にオルフェーヴル」 |
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**2012年4月号 |
|||
***軍土門隼人{{ママ}}「【皐月賞・桜花賞レビュー】クラシックに照準を合わせた ディープインパクトが送る精鋭」 |
|||
***「【重賞プレイバック】第46回共同通信杯(GII)(トキノミノル記念)ゴールドシップ」 |
|||
**2012年5月号 |
|||
***「【重賞プレイバック】第61回フジテレビ賞スプリングステークス(GII)グランデッツァ」 |
|||
**2012年6月号 |
|||
***横手礼一「【一生に一度の晴れ舞台 日本ダービー】進めクラシックロード 2012年シーズン完結へ」 |
|||
***軍土門隼夫「【選ばれし精鋭たち】潜在能力は世代ナンバーワン ディープブリランテ」 |
|||
***平松さとし「【第72回皐月賞リポート】勝敗を分けたポイント そしてダービーは!?」 |
|||
***「【重賞プレイバック】第72回皐月賞(GII)ゴールドシップ」 |
|||
**2012年7月号 |
|||
***軍土門隼夫「【レースレビュー】届かなかった"二強"と課題と向き合った第三の馬」 |
|||
***石田敏徳「【クローズアップ】第79回日本ダービー馬 ディープブリランテ 熱意と確信に導かれた駿才」 |
|||
***不破由妃子「【優駿ロングインタビュー】岩田康誠 "一体"となるための3週間」 |
|||
***優駿編集部「【杉本清の競馬談義(326)】矢作芳人調教師」 |
|||
***田中哲実「【ダービー馬の故郷】パカパカファーム 夢と理想を追い求めた先の勲章」 |
|||
***軍土門隼夫「【オーナー考察】(有)サンデーレーシング セレクトセール購入馬でダービー制覇を遂げた意義」 |
|||
***「【重賞プレイバック】第79回東京優駿(GI)ディープブリランテ」 |
|||
**2012年9月号 |
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***芦谷有香「【第62回キングジョージVI&クインエリザベスS】名牝デインドリームが大接戦を制する! 日本のディープブリランテは8着惨敗」 |
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**2012年10月号 |
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***軍土門隼夫「【菊花賞戦線】皐月賞馬ゴールドシップ、ダービー馬ディープブリランテ。12年ぶりとなる覇者同士の対決なるか?」 |
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**2012年12月号 |
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***「【ニュース&トピックス】日本ダービー馬ディープブリランテが引退――社台スタリオンステーションで種牡馬入り」 |
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**2013年2月号 |
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***篠原美穂子「【2012年の蹄跡(22)】引退したGI馬とその近況 北海道へ戻った優駿たち」 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{競走馬成績|netkeiba=2009105084|yahoo=2009105084|jbis=0001110554|racingpost=798828/deep-brillante}} |
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* {{競走馬のふるさと案内所|0001110554|ディープブリランテ}} |
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2024年11月15日 (金) 22:31時点における最新版
この記事は「新馬齢表記」で統一されています。 |
ディープブリランテ | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012年東京優駿(日本ダービー) | |||||||||
欧字表記 | Deep Brillante[1] | ||||||||
品種 | サラブレッド[1] | ||||||||
性別 | 牡[1][2] | ||||||||
毛色 | 鹿毛[1][2] | ||||||||
生誕 | 2009年5月8日[1][2] | ||||||||
抹消日 | 2012年10月26日[2] | ||||||||
父 | ディープインパクト[1][2] | ||||||||
母 | ラヴアンドバブルズ[1][2] | ||||||||
母の父 | Loup Sauvage[1][2] | ||||||||
生国 | 日本(北海道新冠町)[1][2] | ||||||||
生産者 | Love and Bubbles Partnership[3] | ||||||||
生産牧場 | パカパカファーム[1][2] | ||||||||
馬主 | (有)サンデーレーシング[1][2] | ||||||||
調教師 | 矢作芳人(栗東)[1][2] | ||||||||
厩務員 | 貝澤勝一[注釈 1][4] | ||||||||
競走成績 | |||||||||
生涯成績 |
7戦3勝[5][2] (中央競馬)6戦3勝[1][5] (イギリス)1戦0勝[1][5][2] | ||||||||
獲得賞金 | 2億9205万6000円[1][5] | ||||||||
WTR | L118 / 2012年[6] | ||||||||
|
ディープブリランテ(欧字名:Deep Brillante、2009年5月8日 - )は、日本の競走馬、種牡馬。
2012年の東京優駿(日本ダービー)(GI)優勝馬である。
概要
[編集]2009年に北海道新冠町のパカパカファームで生産された牡馬である。2005年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬ディープインパクトの2年目産駒であり、バブルガムフェローやザッツザプレンティ、ショウナンパントルと同じバブルカンパニー一族の末裔である。セレクトセール当歳部門で売却されて、クラブ法人のサンデーレーシングが所有、栗東トレーニングセンター所属の調教師矢作芳人が管理し、騎手岩田康誠が主戦を務めた。
2歳となった2011年秋にデビューして初出走初勝利を挙げた後、東京スポーツ杯2歳ステークス(GIII)を優勝し、2連勝で重賞初勝利を挙げた。年をまたいで3歳となった2012年2月、共同通信杯(GIII)でゴールドシップに次ぐ2着、続くスプリングステークス(GII)でもグランデッツァに次ぐ2着。クラシック三冠競走の初戦皐月賞(GI)でも再びゴールドシップに後れる3着だった。しかし続く三冠第二戦・クラシック最高峰の東京優駿(日本ダービー)(GI)で巻き返した。3週間付きっ切りで調教に励んで岩田と共鳴し、課題の折り合いを克服。青葉賞優勝馬のフェノーメノにハナ差、約23センチメートル先着してダービー優勝を果たした[7]。
夏には、1985年シリウスシンボリ以来となるダービー優勝直後の外国遠征を敢行し、イギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(G1)に出走したが8着敗退。帰国後に三冠最終戦の菊花賞(GI)で二冠を目指したが出走を断念、直後に屈腱炎が判明して引退に追い込まれた。2歳秋から1年間の現役生活で7戦3勝重賞2勝、約3億円を獲得した。
競走馬引退後は、種牡馬として供用され、中央競馬と地方競馬で重賞優勝産駒を多数輩出。2017年のラジオNIKKEI賞(GIII)や2018年の中山金杯(GIII)を優勝したセダブリランテス(母父:ブライアンズタイム)や、2020年の日経新春杯(GII)を優勝し宝塚記念(GI)3着、2021年の大阪杯(GI)2着となったモズベッロ(母父:ハーランズホリデー)、2023年のラジオNIKKEI賞や毎日王冠(GII)を優勝したエルトンバローズ(母父:ブライアンズタイム)などの父として知られる。
誕生までの経緯
[編集]パカパカファーム
[編集]パカパカファームは、北海道新冠町に所在する競走馬生産牧場である。2001年にアイルランド人のハリー・スウィーニィが開設した。獣医師のハリーは、1990年に大樹ファームに雇われて日本に来てから、待兼牧場への移籍を経て、独立を果たしていた[8]。人脈に乏しい外国人経営者のハリーは、小規模の新興牧場の維持するために、様々な工夫を凝らしていた。例えば、好成績が見込める良血の繁殖牝馬を安価で揃えるために、外国に目を向け、日本で活躍している血統の近親を積極的に輸入するようになっていた[9]。
開業直後の2001年、ハリーは、2000年のサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別を優勝したマニックサンデーという牝馬の血統に着目していた[9]。マニックサンデーは、父サンデーサイレンス、母バブルプロスペクター、母母バブルカンパニーという血統だった。バブルカンパニーの仔には、1995年朝日杯3歳ステークスや1996年天皇賞(秋)を優勝したバブルガムフェロー(父:サンデーサイレンス)などがいた[9]。このことからハリーは、バブルカンパニー一族が、日本に適性があり、流行するサンデーサイレンス系との相性も抜群であると捉え、その一族を輸入しようと考えるようになった[10][9]。
日本で活躍中のバブルカンパニー一族だったが、アメリカでは、それほど見込まれておらず、価格も高騰していなかった[11]。そこでハリーは、バブルカンパニー一族の牝馬、マニックサンデーの姉にあたる牝馬・バブルドリームを、アメリカ合衆国ケンタッキー州のキーンランドセールで入手していた[11]。この後もバブルカンパニー一族は、ザッツザプレンティやショウナンパントルなどのGI優勝馬に代表されるような活躍馬を続々輩出していった[12]。それに応えてハリーも、バブルカンパニー一族への関心を絶やさなかった[11]。
ラヴアンドバブルズ
[編集]ラヴアンドバブルズは、2001年にアメリカで生産された父ルーソヴァージュ、母バブルドリームの牝馬である。三代母にバブルカンパニーを持ち、その一族の末裔だった[13]。フランスで競走馬としてデビューし、2004年のクロエ賞(G3)を優勝、同年のクレオパトル賞で2着となるなど11戦3勝という競走成績だった[13][14]。引退後、所有者との交渉の末にハリーが所有権を勝ち取り、2005年に輸入されてパカパカファームで繁殖牝馬として繋養された[14][15]。ラヴアンドバブルズについてハリーは、繁殖牝馬として資質を感じ取っており「美人(中略)そこそこの美人[16]」だったという。
繁殖生活初年度と2年目は、1996年の菊花賞優勝馬でサンデーサイレンス系の種牡馬であるダンスインザダークと交配し、初仔と2番仔を得ていた。この2頭は、怪我に阻まれて大成できなかったが、ハリーによれば馬体が良い出来だったという[15]。そんなラヴアンドバブルズが優良な繁殖牝馬と確信するようになった3年目の2007年、交配相手に、ダンスインザダークよりも格の高いディープインパクトを選択していた[15]。
例によってサンデーサイレンス系のディープインパクトは、2005年の東京優駿(日本ダービー)優勝に加えて、皐月賞と菊花賞も優勝してクラシック三冠を成し遂げたほか、2006年の天皇賞(春)と宝塚記念、ジャパンカップと有馬記念を優勝したGI7勝、フランス遠征を敢行し凱旋門賞で3位入線を果たしていた[14]。2006年末に引退し、翌2007年から種牡馬として供用されており、供用初年度にラヴアンドバブルズと交配していた[14]。
翌2008年、3番仔となる牝馬を得たハリーは、連続して4年目の交配相手もディープインパクトに選んでいた[15][17]。翌2009年5月8日の午前2時頃、北海道新冠町のパカパカファームにて、ラヴアンドバブルズの4番仔となる鹿毛の牡馬(後のディープブリランテ)が誕生[18]。ディープインパクト産駒の2世代目にあたり、5月生まれという遅生まれだった[19]。
4番仔の兄姉では、初仔と2番仔は、25戦2勝と1戦未勝利で大成できなかった[20][21]。対して全姉の3番仔「ハブルバブル」は、2011年2月の新馬戦で初出走初勝利、3戦目のフラワーカップでトレンドハンターに次ぐ2着となって牝馬クラシック戦線参入を果たしていた[22]。桜花賞と優駿牝馬(オークス)に挑み、マルセリーナに敗れる6着とエリンコートに敗れる9着だった[23]。
幼駒時代
[編集]牧場時代
[編集]誕生直後
[編集]産み落とされた4番仔(後のディープブリランテ)は、健康で骨太で大きな骨格、真っすぐな脚の持ち主という優良児だった[18]。しかも通常生後30、40分かかるところ、15分という早い時間で立ち上がっており、牧場側は、素質を感じ取っていた[18][24]。あまり高い素質にハリーは、7月に行われるセリ、主にノーザンファームや社台ファームなどの生産馬が上場されて、高値で売却されることの多いセレクトセールの当歳馬部門に上場させることを即座に決意し、生後4日後に提出期限が迫るセールのカタログ掲載用の馬体写真をすぐにこしらえていた[19]。
セレクトセールの当歳馬部門は、主に早生まれで出来栄えの良い仔が上場されており、4月や5月生まれの遅生まれなどは、翌年の1歳馬部門に上場されることが多かった[19]。そのため生後まもなくの4番仔の写真は、早生まれの仔よりどうしても見劣りした[19]。しかしハリーには自信があり、何より早く、広く4番仔の存在を知れ渡らせたかった、秘めた素質を見抜いてほしかった[25]。セールが近づくにつれ、ハリーは、次第に生後すぐの写真の載ったカタログだけでは、売却できるか不安を感じるようになっていた[26]。そこでセール直前に4番仔の最新の馬体写真を掲載したハガキを二千枚作成し、関係者に配って宣伝していた[26]。
セレクトセール
[編集]リーマンショックの翌年、2009年に行われたセレクトセールに上場された4番仔は、落札希望者が複数おり、競り合いとなっていた。その競りの参加者の一人、栗東トレーニングセンター所属の調教師である矢作芳人は、ある馬主に3000万円の予算を託されて馬を探していた。矢作は、4番仔を見て「顔が良いとかお尻の形が好みといったレベルのものではなく、全体的な雰囲気であり感覚的なもの(中略)女性に恋することと同様であり、惚れるのに理由はいらない。[27]」と回顧するようにすぐに一目惚れ、後に矢作は、均整の取れた馬体かつ充実した後ろ脚の持ち主であることが高評価の要因だったと、冷静に回顧している[28]。また当日同伴した父、引退直後の元調教師の矢作和人とも見解が一致し、強い意志で入札を試みていた[29][27]。ところが価格は予算の3000万円を突破。予算一杯の3000万円の入札をした矢作は、落札できなかった[28][30]。
競り合いを制したのは、ハリーが配布したハガキを受け取って好感触を得た吉田勝己、吉田が率いるノーザンファームだった[31]。矢作の予算を少し超える3100万円での落札していた[30]。セレクトセールでは、売却者の立場になりやすいノーザンファームだったが、毎年数頭を落札して購入していた。そのうちの1頭が4番仔だった[30]。
競り合いに敗れた矢作は、一目惚れした4番仔をどうしても諦めることができなかった[32]。そこで落札者がノーザンファームと判明してすぐに、ノーザンファームに電話をかけて「もしあの馬(4番仔)をクラブに入れることが決まっていて、調教師は決まっていないという状況なら、自分を候補に加えてもらえませんか[32]」と直訴、矢作曰く「後にも先にも、あんなことはしたことがない[32]」という行動を取っていた。電話の通り4番仔は、ノーザンファーム関連のクラブ法人有限会社サンデーレーシングが所有して競走馬となったが、サンデーレーシングは矢作の訴えを承諾していた。矢作は、ある馬主のための落札こそできなかったが、紆余曲折あって管理調教師になる願いだけを叶えていた[27]。
パカパカファーム
[編集]新冠町のパカパカファームで生まれた4番仔は、しばらくして日高町のパカパカファーム厚賀分場に移り、育成が施された[33]。厚賀分場は、2008年に開設したばかりであり、4番仔はその一期生となった[8][33]。落札は、大手牧場のノーザンファームだったが、セレクトセールの当歳馬は、1歳3月31日まで上場者が管理するルールとなっており、4番仔は1歳4月まで、厚賀分場で過ごした[34]。当歳のうちに上場して売却先が定まったため、1歳時には、売却先探しのために見栄えを仕上げる時間を割くことなく、育成に専念することができた[25]。
牧場では、遅生まれにもかかわらず、早生まれと遜色ない成長曲線を描いていた。姉のハブルバブルは、気性が悪く、人の手を煩わせたが、4番仔は正反対で大人しく、手がかからなかった[35]。ただ自己主張に乏しいために、エサを桶に用意しても、他の同期に後れを取ってしまうほどだった[35]。出来はハリーによれば「パーフェクトな馬[33][36]」だったという。アクシデントなく成長して1歳4月で厚賀分場を巣立ち、ノーザンファームに移動した[37]。
育成牧場時代
[編集]10月8日にはノーザンファーム空港牧場に移動し、およそ1か月で坂路調教を開始するなど、順調に育成のための調教をこなした[38]。ディープインパクト産駒の成長力を受け継ぎ、成長が著しかった[38]。牧場に来た当初は、馬体重は457キログラムで、牧場長の菅谷清史によれば「馬体が詰まって、コロンとしていた[38]」状態だったが、調教を続けて成長し、牧場を巣立つ2歳6月20日となった頃の馬体重は、500キログラムに達していた[38]。菅谷は「歩きが柔らかく(中略)。性格のいい優等生タイプで、扱いやすく、乗っても気難しさを出しませんでした[38]」と回顧している。空港牧場を巣立ち北海道を出ると、滋賀県甲賀市のノーザンファームしがらきに移動していた[39]。
競走馬時代
[編集]デビューまで
[編集]4番仔は競走馬になるにあたり、サンデーレーシングに出資する組合のサンデーサラブレッドクラブにて全40口、1口110万円の総額4400万円で出資会員募集がなされている[40]。カタログでは「小さく軽い頭部や柔らかく丸みがかったシルエット、張りのある立派な臀部など随所に父の産駒らしい特長が見受けられます。腰高の馬体はいかにも成長途上で幼さを感じさせますが、中身の詰まった腹部のラインは長くどっしりとした雰囲気を醸し出しており、非力な印象を与えません。5月生まれながら現時点でも筋肉は十分に付いていて(中略)愛嬌のある顔つきで普段は大人しいものの、嫌なことは嫌だとハッキリ主張する我の強い一面も(後略)[40]」という売り文句が添えられていた。出資会員のなかには、矢作の父、矢作の管理を後押しした矢作和人も加わっていた[41]。矢作和人にとって、調教師引退後初めての一口出資だった[41]。4番仔は「深く」を意味する「ディープ」に、イタリア語で「輝いて」を意味する「ブリランテ」を組み合わせた「ディープブリランテ」という競走馬名が与えられた[42]。
2歳となったディープブリランテは、2011年8月、ノーザンファームしがらきから栗東の矢作厩舎に入厩する[39]。矢作は、ノーザンファーム空港をたびたび訪れて、ディープブリランテの馬体を確認していたが、セレクトセール時の好感触が崩れなかったという[27]。矢作の思い描いた通りのシルエットを持つ競走馬に成長していた[27]。追い切りでも抜群の動きを見せ、矢作は大きな期待をかけ、慎重に扱うようになった[27]。
2歳(2011年)
[編集]東京スポーツ杯2歳ステークス
[編集]10月1日、阪神競馬場の新馬戦(芝1800メートル)に出走。直前にソエを抱えながらのデビューとなった[43]。ダービーの大タイトルまで見据えている矢作は、ダービー馬の器にふさわしい完勝を目論み、あくまで通過点であると考えていた[41]。しかしそれがプレッシャーとなって耐えきれず、阪神での現地観戦はせず、札幌競馬場の装鞍所から見届けることとなった[39][41]。岩田康誠が跨り、単勝オッズ1.2倍の1番人気だった。出遅れたスタートから中団を追走した後、第3コーナーから促されずとも進出[44]。直線で先頭を奪取してからは独走となった。後方に5馬身差をつけて決勝線に到達し、初出走初勝利を挙げた[44]。
続いて11月19日、東京スポーツ杯2歳ステークス(GIII)で重賞初挑戦となる[45]。デイリー杯2歳ステークス優勝のクラレント、重賞2着3着のジャスタウェイやマイネルロブストとの対決となったが、初勝利を挙げたばかりのディープブリランテがそれらを上回る1番人気、単勝オッズ2.4倍に推された[45]。ただし当日は雨、飛びの大きい走法のディープブリランテとは相性の悪い道悪、不良馬場だった[41]。新馬戦で出遅れたためゲート練習をこなしたうえでの参戦だった[46]。
出遅れずにスタートを切って先行し2番手を確保[47]。逃げ馬がスローペースに持ち込んだことで、前に行きたがる一面を見せたが、持ち堪えて直線に向いて末脚を発揮していた[48][45]。残り400メートルで抜け出してからは独走[47]。道悪をこなし、後方に3馬身差をつけて決勝線に到達していた[43][45]。重賞初勝利を挙げて賞金を加算し、クラシック戦線参入に成功[49]。2009年ローズキングダム以来となる2年ぶり7例目となる初出走初勝利からの東京スポーツ杯2歳ステークス戴冠だった[50][51]。
この後は、暮れのラジオNIKKEI杯2歳ステークス参戦を予定していた。矢作には、JRA賞最優秀2歳牡馬の選出段階に大きな不満があった[39]。最優秀2歳牡馬は、2歳牡馬限定のGI競走である朝日杯フューチュリティステークスの優勝馬が、半ば自動的に、毎年当然のように受賞していた。それが気に食わない矢作は、できればその習慣を覆したいと考えていた[39]。
そこでディープブリランテを東京スポーツ杯2歳ステークス、ラジオNIKKEI杯2歳ステークスを連勝させ、3戦3勝重賞2勝という身分でJRA賞選考のまな板に載せてあげようと意気込んでいた[39]。しかしディープブリランテにソエと骨瘤が発覚、万全を期して回避となり、矢作の野望は立ち消えとなった[39]。ノーザンファームしがらきにて放牧となり年内全休[52]。結局、この年のJRA賞では、最優秀2歳牡馬部門にて票こそ得ているが、全285票中2票に留まり、やはり朝日杯フューチュリティステークス優勝のアルフレードには敵わなかった[53][注釈 2]。
3歳(2012年)
[編集]クラシックまでの道程
[編集]1月21日に帰厩し、2月12日の共同通信杯(GIII)に出走[54]。成長してソエも解消し万全の状態での始動となった[55]。参戦を見送ったラジオNIKKEI杯2歳ステークス2着のゴールドシップとの対決が注目視されて人気を二分したが、ディープブリランテが1.4倍、ゴールドシップが4.1倍という評価だった[56]。
11頭立て2番枠から好スタートを切った後に、勢いそのまま先行した[57][58]。少頭数で逃げ馬メンバー不在の構成であったためにたやすく先頭、ハナに到達し逃げる形となった[56]。走る気に溢れるディープブリランテは、前方に馬がいない状況に喜んで引っ掛かり、体力を消耗。そのため押し切りを狙うほかなくなっていた。スローペースを刻んでから第3コーナーから最終コーナーにかけて加速し、先頭を守って直線に向いていた[59]。
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2012年 共同通信杯(トキノミノル記念) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
ただし逃げる本命馬は、他の馬の格好の的となった[57][59]。背後で待機していたゴールドシップに末脚発揮を許すと、抵抗できなかった[56]。すぐに先頭を譲り、そして突き放された[59]。終いで失速、それでもゴールドシップ以外には、先着を許さなかった。3番人気スピルバーグに限りなく接近されたが、抵抗してハナ差だけ先着、薄氷の2着は確保していた[59]。世代屈指の能力を持ちながら自身の気性が災いしての初敗北は「自滅[60]」とも捉えられた[61]。岩田は、「言い訳になるけど、テンションが高かった。押し出されて標的にされて、一番あかんレース。(中略)夢を壊して申し訳ない[59]」と述べていた。
クラシック初戦・皐月賞には直行せず、前哨戦を用いた。続いて3月18日のトライアル競走、スプリングステークス(GII)に出走した。ラジオNIKKEI杯2歳ステークスで3着となったグランデッツァ、朝日杯フューチュリティステークス優勝のアルフレードとの対決となる中、単勝オッズ2.2倍の1番人気に推された[62]。
スタートから先行、逃げ馬にハナを譲って4番手に留まったが[63]、前方の馬と距離ができていた。道中を追走する際、引っ掛かってしまうのを防ぐには、馬の背後を走るのが効果的だったが、できずもれなく引っ掛かっていた[57]。第3コーナーまで引っ掛かり通しで進み、前方3頭が揃って失速したために自動的に最終コーナーで先頭となった[64]。直線に向いて末脚を発揮して、背後にいたグランデッツァを引き離し、ゴール手前の急坂を駆けあがっていた。しかし寸前になって内側にもたれてしまい、自ら馬場の悪いところに突っ込んで失速する[57]。そうこうしている間に、突き放したはずのグランデッツァが外側、馬場のきれいなところから進出して接近され、ゴール手前で逆転を許した[65][64]。1馬身4分の1差をつけられた2着敗退だった[62]。
皐月賞
[編集]続いて4月15日、クラシック三冠競走の初戦である皐月賞(GI)に参戦する。大一番を前に矢作は、危機感を抱いていた。前哨戦として臨んだスプリングステークスは、2着という上位だったが内容が悪く映っていた[39]。スプリングステークス以前まで矢作は、道中で折り合いを欠くことについて、早急に解決する必要があるような、深刻な問題と考えていなかった[39]。東京スポーツ杯2歳ステークスと共同通信杯では、確かに折り合いを欠いたが、ペース・展開や枠順などの明確な不利を被っており、ある程度許容できる敗戦だった[39]。ところがスプリングステークスは、不利を回避したにもかかわらず自ら折り合いを欠いて敗戦、許容できる内容ではなかった[39]。
そこで本番直前になって、折り合いをつけるための対策を施すようになった[39]。できる限り馬具に頼らない競走馬づくり、という矢作の信条に反して鼻革を、コンビ鼻革の着用を敢行した[39][66]。そして普段の調教助手による調教では、レースで騎乗する岩田を想定して、岩田と同じように手綱を長くするなど、細かな工夫がなされて本番を迎えていた[39]。岩田は、最終追い切りでの騎乗を矢作に願い出ていた[67]。しかし厩舎スタッフを、担当調教助手の安藤を信頼する矢作は、それを固辞。結局安藤によって仕上げられていた[67]。
この年のクラシック戦線は、明確な傑出馬不在の混戦とされていた[68]。ディープブリランテをはじめ、グランデッツァやゴールドシップ、アダムスピーク、そしてきさらぎ賞や若葉ステークスを優勝したワールドエースが有力視されていたが、それぞれどこかで取りこぼしており、各々に不安要素を抱えていた[68]。さらに当日は、降雨があり、馬場のコンディションが良くなかった[69]。馬場状態こそ稍重だったが、特に内側の状態が著しく悪いという特殊な状態での開催となっていた[70][69]。18頭立てとなる中、グランデッツァが3.1倍、ワールドエースが3.2倍という僅差で1、2番人気となり、それに次ぐ6.2倍の3番人気がディープブリランテだった[70]。
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2012年 皐月賞 レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
好スタートから先行し、逃げ馬にハナを譲り、離れた3番手を追走した[71]。先行する2頭が飛ばして逃げたために前方が空き、引っ掛かりながら第1コーナーを通過していたが、岩田が宥めて折り合いを実現していた[72][73]。馬場の良いところを求めて外に張りながら最終コーナーを通過し、直線では末脚を発揮して、外側から追い上げるワールドエースやグランデッツァに応戦した[74]。
しかし空いた馬場の悪い内側をゴールドシップに突かれた[72][74]。コーナーワークで逆転され、突き放された[73][75]。ゴールドシップに離された2番手だったが、大外から追い込んだワールドエースに寸前で差し切られた。ゴールドシップに約3馬身以上、ワールドエースに4分の3馬身後れを取る3着だった[70]。ゴールドシップの奇策に敗れたのは致し方無いにしても、ワールドエースに終いで差し込まれた3着は、ダービータイトル奪取を目論む陣営にとって不満だった[57]。矢作は、実力では世代上位と高を括っていたが、ワールドエースに上回られたことが気がかりだった[57]。
次の大一番は、400メートル長い2400メートルで行われるため、折り合いを保つことがさらに求められた。それに限らず、少なくともワールドエースには逆転するが必要であり[76]、折り合い面の改善とワールドエースを上回るような成長をする必要に迫られていた[67][76]。そこで矢作は、信頼する厩舎スタッフを集めて話し合いを実施。大一番に向けて、厩舎一丸でディープブリランテの更生と成長促進に、注力することを決意していた[76]。しかしそんな矢先の5月7日、主戦を務める岩田が矢作に対して、調教での騎乗を希望する電話をかけていた[77]。
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2012年 NHKマイルカップ レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
岩田は、前日の5月6日、NHKマイルカップで、2番人気のマウントシャスタに騎乗。直線で斜行し、後方にいたシゲルスダチの後藤浩輝を落馬させ、マウントシャスタを失格させて開催4日間、2週間の騎乗停止処分を受けていた[77][78]。これにより岩田は、翌週のヴィクトリアマイルに桜花賞優勝馬のマルセリーナ、翌々週の優駿牝馬(オークス)で桜花賞優勝馬で二冠の懸かるジェンティルドンナに騎乗できなくなっていた[78]。
しかし処分は2週間だったために翌々々週の東京優駿、ディープブリランテとのコンビ解消は免れていた。停止処分が明けるまでの3週間の暇ができた岩田は、自身の過失を反省した後、やり直すには、東京優駿で全力を挙げなければならないと考えるようになっていた[77]。そこで矢作に電話をかけ、騎乗停止期間中の調教に毎日騎乗することを願い出ていた[77]。
矢作は、信頼できるスタッフの安藤と、厩舎外部の騎手岩田のどちらに任せるかで葛藤したが、最終的に岩田に託していた[67]。この選択はスタッフの士気が低下し、厩舎運営にも支障をきたす可能性があった。そのため岩田に対し「土日も休まずに毎日乗ること」「スタッフ全員の了承を自分で取りつけること」という条件を課していた[67]。ダービーまでの3週間、岩田は一番乗りで厩舎に着いては、毎日のように調教に跨り、長い時間触れ合って、理解を深めていった[77]。
時に岩田と矢作は、熱意のあまり対立した。矢作によれば、岩田が先入観から「深いブリンカーをした[79]」様子になり、一丸で取り組む厩舎の和を乱すようなことがあった[29][80]。矢作は叱り、岩田はスタッフに謝罪する事態にまで陥ったが、態度を改めて、コンビ、調教委託は継続となった[80]。
岩田が矢作厩舎に融和する流れで、岩田は、ハミの変更を提案していた[67]。銜える部分に細工がなされてディープブリランテの口に優しく、口を割って引っ掛かりにくくする「ダブルジョイント」のハミを乗馬クラブから取り寄せて持ち込んでいた[81]。矢作はそれを了承し、そのハミに少しアレンジを施して使用することに決めていた[76]。そして大一番は、以前よりかは、口に負荷がかからない、優しいハミを使用し[82]、皐月賞で着用したコンビ鼻革も続投。万全の折り合い対策を施しての参戦となっていた[66]。
大一番を前に調教の騎乗、ハミの変更を受け入れてもらい、不和によるチーム崩壊の危機も水に流してくれるなど、厩舎から様々な施しを受けた岩田は、大きなプレッシャーを感じるようにもなりながら大一番を迎えている[80]。後に「穴が開いてるじゃないかと思うほど、毎日胃が痛かった。初めて経験する痛み[80]」だったと回顧している。
東京優駿(日本ダービー)
[編集]5月27日、東京優駿(日本ダービー)(GI)に参戦する。道悪小回り、右回りで行われた皐月賞とは正反対となる良馬場の大回り、左回りの東京競馬場が舞台だった[83]。皐月賞で先着を許したゴールドシップ、そしてワールドエースも離脱せず参戦。そのほか、青葉賞優勝のフェノーメノ、京都新聞杯優勝のトーセンホマレボシ、毎日杯優勝のヒストリカルら別路線組を加えた18頭立てとなった。人気の中心は、皐月賞組だった。中でも1着ゴールドシップ、2着ワールドエースが抜けた人気となり、ワールドエースが2.5倍、ゴールドシップが3.1倍という「二強」を形成していた[84][85]。対して3着のディープブリランテは、飛躍して単勝オッズ8.5倍の3番人気、「二強」から一枚落ちる評価だった[84][85]。
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2012年 東京優駿(日本ダービー) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
5枠10番のディープブリランテは、好スタートを切って先行し、逃げるゼロスに次ぐ2番手まで前進した[85]。外から主張したトーセンホマレボシに前を譲ったが3番手を確保し、最初のコーナーに差し掛かっていた。このときディープブリランテは頭が上がり、引っ掛かりかけながらの通過となっていた[86]。ところが3週間触れ合っていた岩田が宥めると、冷静さを取り戻していた。大一番で、折り合いをつけながらの追走を実現していた[86]。下すべき相手のワールドエースとゴールドシップは、中団後方を追走していた[84]。
逃げるゼロスが前半の1000メートルを59.1秒で通過するハイペースで引っ張りながら、3番手ないしクラレントに接近された4番手を保って向こう正面を消化[84]。やがて先頭ゼロスと2番手トーセンホマレボシが、後続を置いてけぼりにして2頭で逃げるようになり、ディープブリランテは馬群の先頭を担うことになった[84]。
3番手で直線に向いてから、遥か前を行く2頭を捕まえるために、岩田は早めに、残り400メートル地点から仕掛けていた。折り合いをつけて溜めていた末脚を繰り出すと、残り200メートルで抜け出していたトーセンホマレボシをかわして先頭を奪取していた[86]。早めに仕掛けて先頭に立ったために、終いは苦しくなった。外から追い込む同じ勝負服のフェノーメノとワールドエース、そして皐月賞優勝馬のゴールドシップに接近を許した。しかし粘りを見せて先頭を保持。ワールドエースとゴールドシップには、並びかけることすら許さなかった[84]。ただしフェノーメノには限りなく接近された。寸前で並びかけられ、ほとんど同時に決勝線に差し掛かっていた[84]。
ディープブリランテとフェノーメノの優劣は、写真判定に持ち込まれていた[84]。岩田も、フェノーメノの蛯名正義も勝利の確信なくウイニングランができず、いずれも敗者の退場経路であるダートコースを歩んでいた[87]。しかしその最中にディープブリランテのハナ差、約23センチメートル先着が判明していた[80]。
ダービー戴冠、GI初勝利。2000年のアグネスフライトがエアシャカールを凌いで以来12年ぶり史上8度目[注釈 3]となるハナ差決着によるダービー勝者となっていた[84]。2010年エイシンフラッシュ以来となる皐月賞3着からの巻き返し、1999年アドマイヤベガ以来13年ぶりとなる3歳時初勝利がダービーだった[89]。さらに1993年ウイニングチケット以来となる馬番「10」からの優勝だった[89]。また走破タイムは2分23秒8は、2004年キングカメハメハと2005年ディープインパクトの2分23秒3に次いで史上3番目に速かった[14]。
それから岩田や矢作、パカパカファームはダービー初優勝だった[10][14]。敗者の通るダートコースを歩行中に着順掲示板を確認し優勝を知った岩田は、その場でディープブリランテに突っ伏して号泣[90][86]。スタンドからは「イワタ、イワタ」と岩田コールが巻き起こっていた[86]。
岩田は当日、緊張もなしに挑めていたという[91]。騎乗停止という苦境に陥りながら自分を律して臨めたのは、前年のジャパンカップを優勝した際、騎乗したブエナビスタに「自信を持って乗りなさい」と教えられたことがきっかけだったという[91]。かくして岩田は、2004年キングカメハメハで制した安藤勝己、2010年エイシンフラッシュで制した内田博幸に続いて史上3人目となる地方競馬出身のダービージョッキーとなった[92]。
またサンデーレーシングは、前年のオルフェーヴルに続いて優勝を果たし、2004年キングカメハメハ、2005年ディープインパクトで優勝した金子真人以来史上2例目となるダービー連覇を成し遂げていた[14]。また2着のフェノーメノもサンデーレーシングであり、史上初めてとなるダービーワンツー独占、前週の優駿牝馬優勝もまた同様で、2週連続クラシック優勝を成し遂げていた[93]。それから父ディープインパクトは、産駒2世代目でダービー優勝、史上7例目となるダービー親仔優勝を果たしていた[14]。
遠征
[編集]ダービー優勝の後は、秋に備えて夏休みに入ることなく戦線に残り、ヨーロッパ遠征を敢行した。7月中旬にイギリスのアスコット競馬場で行われるG1競走のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス出走を目指した。古馬との初対決、それもヨーロッパの強豪古馬への挑戦となったが、3歳馬と古馬の負担重量に大きな開きがあった。3歳牡馬は55キログラムに対し、古牡馬は60.25キログラムであり、3歳馬はかなり優遇されていた[94]。クラシックの最中、この優遇を頼りに3歳夏の遠征となった[95]。おまけにこの年は、エリザベス女王の即位60周年、ダイヤモンド・ジュビリーであることも遠征敢行の理由になっていた[95]。
1985年シリウスシンボリ以来東京優駿優勝直後の外国遠征となり[94]、1969年スピードシンボリ、1985年シリウスシンボリ、2000年エアシャカール、2006年ハーツクライ以来5頭目となるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス挑戦[96]、シリウスシンボリとエアシャカールに次いで3頭目となる3歳馬による挑戦だった[94]。7月6日にイギリスに到着[97]。ニューマーケットのクライヴ・ブリテン厩舎に滞在し、アルバハスリ調教場で調整された[98][97]。検疫や輸送を順調にこなして仕上げられたディープブリランテは、岩田によれば「ダービーの時よりいい状態[98]」だったという[99]。
7月21日のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(G1)は10頭立て、うち7頭がGI級競走優勝馬だった[98]。外枠から好スタートを切って急な下り坂を通り、中団を確保した[100]。スピードがつく下り坂、スローペース、前方に馬がいない状況だったが、折り合いをつけながらの追走を実現、4、5番手で最終コーナーを向いていた[98]。直線では、先に抜け出したナサニエルやデインドリーム、セントニコラスアビーを目指して追い上げたが、末脚を全く使えなかった[100]。
失速して先頭争いには加われずに後退、8着に敗れた[100]。最大の敗因は、矢作によれば、ディープブリランテの長所であるテンションの高さが全くなかったことだった[101]。ニューマーケットの環境に順応しきって、落ち着いていたという[101]。
引退
[編集]イギリス・ロンドンからの帰路は、陸送を経てパリからの直行便を予定していた。しかし直行便が急遽欠航となり、回り道を強いられた[102][103]。アムステルダムへ陸送された後、ミラノを経由しての帰国となった[102][103]。長距離の移動を強いられたディープブリランテは消耗し、帰国後の放牧では、ひたすら回復に充てられた[103]。このため前哨戦の季節には間に合わず、秋はGIへの直行を余儀なくされた[103]。
9月27日に帰厩[104]。再始動戦は、クラシック最終戦の菊花賞、もしくは古馬相手の天皇賞(秋)の二択に絞られ、このうち10月21日に行われる菊花賞参戦を選択していた。皐月賞優勝馬のゴールドシップも出走を表明し、2000年のエアシャカールとアグネスフライト以来12年ぶりとなる皐月賞優勝馬と東京優駿優勝馬による対決が期待されていた[105]。さらに1943年クリフジ、1973年タケホープに続く東京優駿と菊花賞のクラシック二冠[103]、1987年サクラスターオー以来となる前哨戦なしの菊花賞戴冠も期待されていた[102]。ところが直前の10月18日、追い切りをした後、右前脚に熱が確認された[106]。腫れはなく、歩様に問題はなかったが、大事を取って菊花賞参戦を断念した[107][106]。
その後、トレーニングセンター内の診療所で受けたエコー検査の結果、中程度の屈腱炎を発症していることが判明して長期離脱となり、北海道で放牧となった[108][109]。初めは翌年秋での復帰を見込んでいたが、ノーザンファーム空港で受けた再検査の結果、再起の難しい故障であることが判明して即引退[110]。10月26日付で日本中央競馬会の競走馬登録を抹消された[2]。
矢作は「遅生まれだったディープブリランテは明らかに未完成で、古馬になって良さが出てくる血統[101]」であると捉えていた。それにドバイワールドカップミーティングのドバイワールドカップや、香港のクイーンエリザベス2世カップなど翌年春の外国遠征に再び挑戦する計画も存在した[111]。しかし3歳のうちに引退に追い込まれた[101]。
種牡馬時代
[編集]競走馬引退後は、父ディープインパクトと同じ北海道安平町の社台スタリオンステーションにて種牡馬として供用された[112]。初年度は205頭の繁殖牝馬と交配、ピークは初年度だったが5年目の2017年は147頭と交配するなど三桁の交配数を誇った[113]。6年目に三桁を陥落した後に社台スタリオンステーションを退き[113]、7年目の2019年からは北海道日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションにて供用されている[114]。
産駒は2016年から競馬場で走っており、中央競馬並びに地方競馬で活躍馬を輩出。重賞タイトルに到達した産駒も多数いる。例えば、初年度産駒のセダブリランテス(母父:ブライアンズタイム)は、2017年のラジオNIKKEI賞(GIII)や2018年の中山金杯(GIII)を優勝した[115]。
3年目産駒のモズベッロ(母父:ハーランズホリデー)は、2020年の日経新春杯(GII)を優勝したほか、同年の宝塚記念(GI)ではクロノジェネシスとキセキに続き、サートゥルナーリアに先着する3着[116]。翌2021年の大阪杯(GI)では、レイパパレに続き、コントレイルやグランアレグリアに先着する2着となっている[116]。
さらに7年目産駒のエルトンバローズ(母父:ブライアンズタイム)は、2023年4月、未勝利戦を4戦かけて勝ち上がってから、昇級初戦の1勝クラスで連勝。さらにラジオNIKKEI賞も優勝、そのまま挑んだ毎日王冠(GII)ではソングラインやシュネルマイスターを下し、4連勝でGII競走戴冠まで成り上がった[117]。
2023年限りで種牡馬を引退し、種牡馬引退後は生まれ故郷のパカパカファームで余生を送る。
競走成績
[編集]以下の内容は、netkeiba.com[118]並びにJBISサーチ[119]の情報に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭
数 |
枠
番 |
馬
番 |
オッズ
(人気) |
着順 | タイム
(上がり3F) |
着差 | 騎手 | 斤量
[kg] |
1着馬(2着馬) | 馬体重
[kg] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011.10. 1 | 阪神 | 2歳新馬 | 芝1800m(良) | 12 | 7 | 10 | 1.2(1人) | 1着 | 1:49.7 (34.9) | -0.8 | 岩田康誠 | 55 | (エボニーナイト) | 490 | |
11.19 | 東京 | 東スポ杯2歳S | GIII | 芝1800m(不) | 15 | 7 | 13 | 2.4(1人) | 1着 | 1:52.7 (35.9) | -0.5 | 岩田康誠 | 55 | (フジマサエンペラー) | 498 |
2012.2.12 | 東京 | 共同通信杯 | GIII | 芝1800m(良) | 11 | 2 | 2 | 1.4(1人) | 2着 | 1:48.6 (33.9) | 0.3 | 岩田康誠 | 57 | ゴールドシップ | 510 |
3.18 | 中山 | スプリングS | GII | 芝1800m(重) | 14 | 6 | 9 | 2.2(1人) | 2着 | 1:50.9 (35.8) | 0.2 | 岩田康誠 | 56 | グランデッツァ | 502 |
4.15 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000m(稍) | 18 | 3 | 6 | 6.2(3人) | 3着 | 2:01.8 (36.7) | 0.5 | 岩田康誠 | 57 | ゴールドシップ | 502 |
5.27 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 18 | 5 | 10 | 8.5(3人) | 1着 | 2:23.8 (34.5) | -0.0 | 岩田康誠 | 57 | (フェノーメノ) | 496 |
7.21 | アスコット | KGVI & QEDS | G1 | 芝[注釈 4]([注釈 5]) | 10 | 10 | 8着 | 岩田康誠 | [注釈 6] | Danedream | 計不 |
種牡馬成績
[編集]年度別成績
[編集]以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[113]。
種付年度 | 種付頭数 | 生産頭数 | 血統登録頭数 | 出走頭数 | 勝馬頭数 | 重賞勝馬頭数 | AEI | CPI |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 205 | 125 | 123 | 108 | 63 | 2 | 0.81 | |
2014 | 170 | 108 | 107 | 100 | 64 | 1 | 0.68 | |
2015 | 135 | 97 | 93 | 82 | 55 | 3 | 1.08 | |
2016 | 88 | 56 | 56 | 49 | 25 | 0 | 0.40 | |
2017 | 148 | 92 | 92 | 83 | 50 | 1 | 0.62 | |
2018 | 86 | 54 | 53 | 48 | 25 | 1 | 0.71 | |
2019 | 40 | 31 | 30 | 24 | 8 | 0 | 0.76 | |
2020 | 44 | 24 | 23 | 0 | - | - | - | |
2021 | 63 | 40 | 40 | 0 | - | - | - | |
2022 | 35 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | |
合計 | 617 | 494 | 290 | 8 | 0.84 | 1.28 |
- 情報は、2023年5月12日時点。
- 出走頭数、勝馬頭数、重賞勝馬頭数、アーニングインデックス、コンパラブルインデックスは、平地競走に限る。
重賞優勝産駒
[編集]グレード制重賞及びダートグレード競走優勝馬
[編集]- 2014年産
- セダブリランテス(2017年ラジオNIKKEI賞、2018年中山金杯)母父:ブライアンズタイム[122]
- 2016年産
- 2020年産
地方重賞優勝馬
[編集]- 2014年産
- 2015年産
- 2016年産
- パレスラブリー(2018年金沢シンデレラカップ)母父:シングスピール[128]
血統
[編集]ディープブリランテの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | サンデーサイレンス系 |
[§ 2] | ||
父 ディープインパクト 2002 鹿毛 |
父の父 * サンデーサイレンスSunday Silence 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason | |
Cosmah | ||||
Wishing Well | Understanding | |||
Mountain Flower | ||||
父の母 * ウインドインハーヘアWind in Her Hair 1991 鹿毛 |
Alzao | Lyphard | ||
Lady Rebecca | ||||
Burghclere | Busted | |||
Highclere | ||||
母 *ラヴアンドバブルズ Love and Bubbles 2001 鹿毛 |
Loup Sauvage 1994 栗毛 |
Riverman | Never Bend | |
River Lady | ||||
Louveterie | Nureyev | |||
Lupe | ||||
母の母 *バブルドリームBubble Dream 1993 鹿毛 |
Akarad | Labus | ||
Licata | ||||
*バブルプロスペクター Bubble Prospector |
Miswaki | |||
*バブルカンパニー | ||||
母系(F-No.) | Prodice系(FN:1-b) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Lyphard 4×5、Busted 4×5、Northern Dancer 5×5 | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1994年東京優駿16着、重賞2着2回のスギノブルボンを担当した。
- ^ アルフレードが279票で受賞。次いでアダムスピークが3票、ディープブリランテ2票を挟んで、オーブルチェフが1票[53]。
- ^ 他に1940年優勝イエリユウ、2着ミナミ。1958年ダイゴホマレ、カツラシユウホウ。1961年ハクシヨウ、メジロオー。1974年コーネルランサー、インターグッド。1979年カツラノハイセイコ、リンドプルバン。1981年カツトップエース、サンエイソロン。[88]
- ^ 1マイル4ハロン[120]。この競走が行われた時点ではこのように公表されていたが、2017年に距離を正確に測定し直した結果、実際は11ハロン211ヤードだった[120][121]。
- ^ 「Good to Soft」[120]の略。詳しくは馬場状態を参照。
- ^ 8st9lb。8ストーン9ポンド(出典の表における「WGT」項の「8-9」より[120])。
出典
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- ^ 平出貴昭 (2014年9月17日). “『覚えておきたい日本の牝系100』収録の全牝系一覧”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2020年5月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 『優駿』(日本中央競馬会)
- 2012年1月号
- 「【重賞プレイバック】第16回東京スポーツ杯2歳ステークス(GIII)ディープブリランテ」
- 2012年2月号
- 「【2011年度JRA賞決定!】年度代表馬にオルフェーヴル」
- 2012年4月号
- 軍土門隼人〔ママ〕「【皐月賞・桜花賞レビュー】クラシックに照準を合わせた ディープインパクトが送る精鋭」
- 「【重賞プレイバック】第46回共同通信杯(GII)(トキノミノル記念)ゴールドシップ」
- 2012年5月号
- 「【重賞プレイバック】第61回フジテレビ賞スプリングステークス(GII)グランデッツァ」
- 2012年6月号
- 横手礼一「【一生に一度の晴れ舞台 日本ダービー】進めクラシックロード 2012年シーズン完結へ」
- 軍土門隼夫「【選ばれし精鋭たち】潜在能力は世代ナンバーワン ディープブリランテ」
- 平松さとし「【第72回皐月賞リポート】勝敗を分けたポイント そしてダービーは!?」
- 「【重賞プレイバック】第72回皐月賞(GII)ゴールドシップ」
- 2012年7月号
- 軍土門隼夫「【レースレビュー】届かなかった"二強"と課題と向き合った第三の馬」
- 石田敏徳「【クローズアップ】第79回日本ダービー馬 ディープブリランテ 熱意と確信に導かれた駿才」
- 不破由妃子「【優駿ロングインタビュー】岩田康誠 "一体"となるための3週間」
- 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(326)】矢作芳人調教師」
- 田中哲実「【ダービー馬の故郷】パカパカファーム 夢と理想を追い求めた先の勲章」
- 軍土門隼夫「【オーナー考察】(有)サンデーレーシング セレクトセール購入馬でダービー制覇を遂げた意義」
- 「【重賞プレイバック】第79回東京優駿(GI)ディープブリランテ」
- 2012年9月号
- 芦谷有香「【第62回キングジョージVI&クインエリザベスS】名牝デインドリームが大接戦を制する! 日本のディープブリランテは8着惨敗」
- 2012年10月号
- 軍土門隼夫「【菊花賞戦線】皐月賞馬ゴールドシップ、ダービー馬ディープブリランテ。12年ぶりとなる覇者同士の対決なるか?」
- 2012年12月号
- 「【ニュース&トピックス】日本ダービー馬ディープブリランテが引退――社台スタリオンステーションで種牡馬入り」
- 2013年2月号
- 篠原美穂子「【2012年の蹄跡(22)】引退したGI馬とその近況 北海道へ戻った優駿たち」
- 2012年1月号
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- ディープブリランテ - 競走馬のふるさと案内所