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「白馬岳」の版間の差分

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2022年11月23日 (水) 09:44時点における版

白馬岳
丸山から望む白馬岳と山小屋(夏)
丸山から望む白馬岳と山小屋(夏)
標高 2,932.24[1] m
所在地 日本の旗 日本
長野県北安曇郡白馬村
富山県黒部市下新川郡朝日町[2]
位置 北緯36度45分31秒 東経137度45分31秒 / 北緯36.75861度 東経137.75861度 / 36.75861; 137.75861座標: 北緯36度45分31秒 東経137度45分31秒 / 北緯36.75861度 東経137.75861度 / 36.75861; 137.75861
山系 飛騨山脈後立山連峰
種類 褶曲隆起
初登頂 1883年(北安曇郡長ら)[3]
白馬岳の位置(富山県内)
白馬岳
白馬岳 (富山県)
白馬岳の位置(長野県内)
白馬岳
白馬岳 (長野県)
白馬岳の位置(日本内)
白馬岳
白馬岳 (日本)
プロジェクト 山
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白馬岳(右)と高山植物小蓮華山方面より)

白馬岳(しろうまだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)北部の後立山連峰にある標高2,932 m長野県富山県とにまたがり、中部山岳国立公園[4]内にある。

概要

白馬岳は杓子岳白馬鑓ヶ岳とともに白馬三山と呼ばれている[5]。南に続く後立山連峰の山々とともに、南北に伸びる稜線の両側の傾斜が著しく異なる非対称山稜が発達している特徴的な山容を持つ[6]。山頂を含む南北700 mの地帯は県境が設定されていない。山頂には一等三角点があり[1]一等三角点百名山に選定されている[7]

東側の谷筋には冬季の膨大な積雪と周囲の山塊からの雪崩が集積した日本最大の雪渓である白馬大雪渓がある。雪渓の上部は夏期には日本有数の高山植物のお花畑が広がる。白馬大雪渓は日本三大雪渓のひとつとして有名[8]日本百名山[9]新日本百名山[10]花の百名山[11]及び新・花の百名山[12]に選定されている。 鑓ヶ岳中腹の標高2,100 m地点には、日本有数の高所にある温泉である白馬鑓温泉があり、白馬大池の北麓には蓮華温泉がある。雪渓、お花畑、岩場、山の温泉と様々に楽しめる要素があり、交通の便も比較的良いことから、夏季にはたくさんの登山者が訪れて混雑する。なお、山頂直下に位置する白馬山荘日本最大の収容人員を誇る山小屋である。夏期の登山者の大半は大雪渓を経由して登るため、夏休みの時期には大雪渓上は長蛇の列となることが多い。しかし、雪渓上は数年ごとに落石事故によって死傷者が出ているので、注意が必要である。

人類史

名称

山名の由来

山名の由来となった6月頃に現れる代掻き馬の黒い岩肌

江戸時代の中期頃までは信州側では「西岳」や「西山」と呼ばれ、越中越後では白馬岳・小蓮華山白馬乗鞍岳の花に見えることから「大蓮華岳(山)」と呼ばれていた[17][28]。今でも北に連なり新潟県の最高峰である小蓮華山や蓮華温泉にその名残が見られる。また西側の越中では上駒ヶ嶽と呼んでいた。これに対する下駒ヶ嶽が北に存在している。 「しろうま岳」の名前の由来は春になると雪解けで岩が露出し黒い「代掻き馬」の雪形が現れることから、「代掻き馬」→「代馬」→「しろうま」となったものである[5]。つまり本来の表記は黒い「代馬岳」であったわけである。

しかし、地元の山岳関係者からは、シロウマ説に異論が出てきており、東京中心の山岳史観に一石を投げかけている。[29]

1883年(明治16年)に北安曇野郡長と大町小学校長渡辺敏ら登頂の際に、「白馬登山記」の表記を残している[13]1915年(大正4年)には陸地測量部による五万分の一の地形図に「代馬岳」ではなく「白馬岳」と記された。地元で「しろうま岳」が早くから「白馬岳」と記述されていたことによる表記の変更であることをうかがわせる。白馬岳の南に位置する杓子岳と鎚ヶ岳を併せた「白馬三山」の呼称もある。[30]

「しろうま」か「はくば」か

「白馬」は「しろうま」の当て字であるから「はくば」と読むのは本来は誤りだが、地元で「白馬」を「はくば」と読むことは古くから行われており、白馬山荘をはじめとする白馬連峰一帯の山小屋を経営している株式会社白馬館は、1890年に現在の白馬駅前にあたる場所に登山者向けの旅館「山木旅館」を建設し、1916年(大正5年)には「白馬館」と改名した。また、1907年(明治40年)には現在の白馬山荘の位置に山小屋「頂上小屋」を設置し、1915年(大正4年)には「白馬山頂小屋」と改名している。また、1908年(明治41年)には白馬尻小屋を設置しているが、これらは「白馬」を称した当初からすでに「はくば」と読ませており、その他の「白馬」がつく山小屋名もすべて「はくば」と読むのが正式である。

その後も1956年(昭和31年)9月30日に合併で発足した白馬村は「はくばむら」と呼ばれ、1932年(昭和7年)11月20日に開業した大糸線信濃四ツ谷駅1968年(昭和43年)10月1日白馬駅と改名され「はくばえき」と呼ばれている。

現在では山や雪渓の名称と高山植物の名称以外のほとんどが「はくば」と読む。すべての「白馬」のつくスキー場もすべて「はくば」が正式の読みとなっており、スキーヤーも「はくば」読みが主流である。地元村民も山の名も含めて「はくば」読みをする人が多いが、登山ガイドブック・登山雑誌に一時期「はくばの読みはおかしい」という主張が掲載された影響か、登山者は「しろうま」派が主流である。また放送局、新聞などのメディアでも「しろうまだけ」と呼ばれている。

最初にこの山で発見された高山植物の和名には、「シロウマ」を冠するものは多数あるが、「ハクバ」を冠するものは全くない[31]。学術的な名称には山の正式名称が採用される傾向にあるからである。ただ、動物ではハクバサンショウウオが存在する。これは白馬岳ではなく白馬村から名付けられたからである。

白馬連山高山植物帯

タカネリンドウ
(シロウマリンドウ)

山域では高山植物の固有種や希少種も多く、高山植物群落の規模も大きいため、日本を代表する高山植物帯・特殊岩石地(蛇紋岩、石灰岩)植物群落として、特別天然記念物「白馬連山高山植物帯」に指定されている。「高山植物の宝庫」と言われ、明治から植物学者による研究が行われ、昭和になって高橋秀男が345種あることを報告した[12]作家田中澄江は2度この山に登り、その著書で代表する花としてイワイチョウ、シロウマアサツキ、コマクサ、リンネソウなどを紹介した[11][12]。山の上部は森林限界ハイマツ帯でライチョウの生息地となっている。白馬では、コブシやオオヤマザクラ、ウメ、モモの木の花や、フクジュソウ、キクザキイチゲ、カタクリが競うように、ほとんど同時に花開く。[30]

「シロウマ」を冠する和名の種

10種以上のシロウマを冠する種が自生している[31][32][33]。シロウマアカバナ、シロウマイタチシダ、シロウマスゲ、シロウマチドリ、シロウマヒメスゲ、タカネリンドウ(シロウマリンドウ)は、白馬岳の固有種である[33]。 一部の種は長野県、富山県、新潟県レッドリスト準絶滅危惧 絶滅危惧IA類(Critically Endangered, CR)、絶滅危惧IB類(Endangered, EN)、準絶滅危惧(Near Threatened, NT)に指定されている[34]