白馬大池駅
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白馬大池駅 | |
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駅舎(2021年8月) | |
はくばおおいけ Hakubaōike | |
◄12 信濃森上 (3.8 km) (3.3 km) 千国 10► | |
長野県北安曇郡小谷村大字千国[1] | |
駅番号 | 11 [報道 1] |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■大糸線 |
キロ程 | 65.4 km(松本起点) |
電報略号 | ハオ[1] |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
9人/日(降車客含まず) -2011年- |
開業年月日 | 1948年(昭和23年)9月25日[2] |
備考 |
無人駅[1] 1947年に仮乗降場として開設[1]。 標高:593.9m[1] |
白馬大池駅(はくばおおいけえき)は、長野県北安曇郡小谷村大字千国にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線の駅である[1]。駅番号は「11」[報道 1]。
歴史
[編集]現在の信濃森上駅 - 南小谷駅間が開通した際に、当地に駅は設けられていなかったが、第二次世界大戦終戦直後に地域住民による新駅設置の期成同盟会が設けられ、東京や新潟の鉄道当局へ直接陳情を行った[3]。
結果、当時運輸政務事務次官を務めていた佐藤栄作にも直接陳情を行うことができ、駅設置の許可もとりつけ、まず1947年(昭和22年)に仮乗降場として開業、その後1948年(昭和23年)に正規の駅として開業した[3]。
年表
[編集]- 1947年(昭和22年)12月1日:国鉄の川内下仮乗降場として開業[1]。当初のホームは現在駅より100mほど松本方に設けられていた。
- 1948年(昭和23年)9月25日:白馬大池と改称して駅に昇格[1][2]。旅客営業のみ[4]。
- 1967年(昭和42年)12月:同月20日の大糸線南小谷電化に合わせて駅舎改築[5][3]、現在地に移転。
- 1980年(昭和55年)6月5日:業務委託駅となる[3][6]。
- 1983年(昭和58年)3月25日:荷物扱いを廃止[新聞 1]、駅員無配置駅となる[新聞 2]。地元請負の簡易委託によって乗車券の発売を継続[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[7]。
- 2000年(平成12年)4月1日:簡易委託終了[要出典]。
- 2014年(平成26年)
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅[1]。南小谷駅管理の無人駅である[1]。
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待合室(2021年8月)
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ホーム(2021年8月)
利用状況
[編集]「長野県統計書」によると、1日平均の乗車人員は以下の通りである。
駅周辺
[編集]山と川に挟まれた立地にあり住宅はほとんど無い。付近に小谷村と白馬村の境界線が通っている。
バス路線
[編集]「白馬大池駅」停留所にて、以下の路線バスが発着する。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、122頁。ISBN 9784784071647。
- ^ a b 『東筑摩郡松本市塩尻市誌 第三巻 現代下』 東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会、1965年。
- ^ a b c d e f 降幡, 利治『信州の駅物語 : 国鉄全線194駅の歴史と秘話』郷土出版社、1983年9月10日、141-142頁。doi:10.11501/12067898。
- ^ 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、211頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「第8章 施設/2 営業用建物」『長鉄局二十年史』日本国有鉄道長野鉄道管理局、1971年3月30日、477頁。
- ^ 長野鉄道管理局 編『写真でつづる長野鉄道管理局の歩み』長野鉄道管理局、1987年3月10日、480頁。
- ^ 『交通年鑑 昭和63年版』 交通協力会、1988年3月。
- ^ 長野県統計書(平成22年度版) (PDF) [リンク切れ] 197ページ - 長野県
- ^ 長野県統計書(平成23年度版) (PDF) [リンク切れ] 197ページ - 長野県
報道発表資料
[編集]- ^ a b 『大糸線に「駅ナンバー」を導入します』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道長野支社、2016年12月7日。オリジナルの2016年12月8日時点におけるアーカイブ 。2016年12月8日閲覧。
新聞記事
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報(白馬大池駅):JR東日本