「馬車道 (横浜市)」の版間の差分
m Bot作業依頼: 研ナオコの作品名の改名に伴うリンク修正依頼 (一年草 (曲)) - log |
|||
58行目: | 58行目: | ||
== 曲 == |
== 曲 == |
||
[[研ナオコ]]の[[1976年]][[2月10日]]発売の[[シングル]]『[[一年草 ( |
[[研ナオコ]]の[[1976年]][[2月10日]]発売の[[シングル]]『[[一年草 (曲)|一年草]]』のB面に『馬車道』と云う作品が収録されている(作詞:[[阿木燿子]]/[[作曲]]:[[宇崎竜童]]/[[編曲]]:[[竜崎孝路]])。<br />[[横浜]]〜花園橋〜[[紅葉坂 (横浜市)|紅葉坂]]〜[[桜木町]]〜馬車道を巡る春の日の心境風景が描かれている。 |
||
また、[[1982年]]にヒットした[[中村雅俊]]の『[[恋人も濡れる街角]]』の歌詞に登場する。馬車道をフィーチャーしたエロティックできわどい内容の歌詞が特徴で、ムード歌謡的な楽曲である。作詞は[[桑田佳祐]]。 |
また、[[1982年]]にヒットした[[中村雅俊]]の『[[恋人も濡れる街角]]』の歌詞に登場する。馬車道をフィーチャーしたエロティックできわどい内容の歌詞が特徴で、ムード歌謡的な楽曲である。作詞は[[桑田佳祐]]。 |
2021年10月10日 (日) 09:36時点における版
馬車道(ばしゃみち)は、神奈川県横浜市中区にある地域名および道路名である。横浜における馬車道の名称は、地元市民に定着した伝統的な通称としての地域名称であり、商店街の名称であるが、行政上の正式な町名ではない。そのため、インターネット地図では、横浜高速鉄道みなとみらい線の馬車道駅周辺のみが表示される場合がある。2004年、横浜高速鉄道みなとみらい線が開通し、この地域に馬車道駅が設置された。
概要
関内の桜木町寄りに位置するこの道路は、幕末に開港したことから始まる。幕府は神奈川(横浜)を開港させ、「吉田橋」に関門を設けた。その初めにできた関門に開港場側から至る道が馬車道である。国道133号(本町通り)を過ぎると万国橋通り、首都高を越えると伊勢佐木町通り。また、馬車道の周辺地域も馬車道と呼ばれる。
煉瓦で舗装された道や実際にガスを燃やしているガス灯の街路灯など[1]、当時の面影を感じさせる物が設置されており、観光客も訪れる。また、関内には近代洋風建築(大半が昭和時代建築)が残っており、この馬車道に何棟か残っている。以下に馬車道地区内および周辺に残る建築物を建築年順に挙げる。
- 神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行/1904年、妻木頼黄設計/国の重要文化財)
- 損保ジャパン横浜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店/1922年、矢部又吉設計/1989年に組み込む形で近代的なビルを増築/横浜市認定歴史的建造物)
- 横浜第二合同庁舎(旧生糸検査所/1926年、遠藤於莵設計/1990年に老朽化のため取り壊し、1993年に庁舎下層部に外壁のみ復元/横浜市認定歴史的建造物)
- 横浜指路教会(1926年、竹中工務店設計/横浜市認定歴史的建造物)
- 帝蚕倉庫事務所(旧生糸検査所倉庫事務所/1926年、遠藤於莵設計)
- 横浜アイランドタワー下層部(旧第一銀行横浜支店/1929年、西村好時設計/2003年に現在地に移築し、タワー接続部を復元/横浜市認定歴史的建造物)
- 東京藝術大学大学院馬車道校舎(旧安田銀行横浜支店・旧富士銀行横浜支店/1929年、安田銀行営繕部設計/横浜市認定歴史的建造物)
- 旧三菱銀行横浜支店(旧第百銀行横浜支店/1934年、矢部又吉設計/横浜市認定歴史的建造物)
- 横浜銀行協会(旧横浜銀行集会所/1936年、林豪蔵設計)
- 馬車道大津ビル(旧東京海上火災保険ビル・協同飼料研究所/1936年、木下益治郎設計/横浜市認定歴史的建造物)
馬車道沿いには「馬車道商店街」が軒を連ねている。みなとみらい線の開業によって「馬車道駅」が設置され、これに合わせて商店街を駅近くまで延長・整備した。また、馬車道商店街(周辺)では「馬車道協定書」という、景観を守り地域をより良くするための街づくりの協定が結ばれている。
地名の由来
アメリカが江戸幕府に開国を要求し、日米修好通商条約が結ばれた。これによって貿易のため横浜港が開かれ、関内に外国人居留地が置かれた。その関内地域と横浜港を結ぶ道路のうちの一つとしてこの道は1868年に開通した。外国人はこの道を馬車で往来しており、当時の人々にその姿は非常に珍しく、「異人馬車」などと呼んでいたことから、この道は「馬車道」と呼ばれるようになった。さらに翌年の1869年(明治初年)には下岡蓮杖ら日本人商人の共同出資によって東京横浜間の日本初の乗合馬車の営業が始まった[2]。
日本初
横浜には「日本初」というものが多く見られる。横浜港に直結していた馬車道は、明治時代、日本の外国文化への玄関口であり、特に多く存在する。有名なものを下に挙げる。
- アイスクリーム(旧暦 1869年(明治2年)5月9日)
- 「町田房蔵」が馬車道通りに開いた「氷水屋」で製造・販売したものが初とされている。「アイスクリン」という名称で、一人前の値段は2分(現在の価値で約8000円)と高価であり、当初は外国人にしか売れず庶民の手には届きにくかったという。
- これを記念して、日本アイスクリーム協会が毎年5月9日を「アイスクリームの日」とし、地元商店街は来訪者に「馬車道あいす」 を無料配布している。
- 事業としてのガス灯(1872年10月31日(旧暦 明治5年9月29日))
- 明治3年、高島嘉右衛門が中区花咲町にガス会社を設立し、明治5年に神奈川県庁付近と大江橋から、馬車道、本町通りまでのおよそ600メートルの街路に、ガス街灯十数基を点灯した。これを記念して、1986年(昭和61年)9月、馬車道商店街協同組合が中区住吉町4丁目に「日本で最初のガス灯」の碑を建てた。1972年(昭和47年)には、日本ガス協会が、10月31日をガス記念の日としている。
- 1984年(昭和59年)には、東京ガス株式会社が中区花咲町3丁目に「日本ガス事業発祥の地」の碑を建てている。
- なお、事業としてではないものには前例があり、鹿児島県鹿児島市の庭園・仙巌園には、安政4年(1857年)に日本で初めてガスの炎を灯した石灯籠である「日本初のガス灯」がある[3]。
- また、1871年に大阪市の造幣局周辺一帯で、日本最初の街路灯となるガス灯が設置されている。
- 日刊新聞(1871年1月28日(旧暦:明治3年12月8日))
最寄り駅
曲
研ナオコの1976年2月10日発売のシングル『一年草』のB面に『馬車道』と云う作品が収録されている(作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:竜崎孝路)。
横浜〜花園橋〜紅葉坂〜桜木町〜馬車道を巡る春の日の心境風景が描かれている。
また、1982年にヒットした中村雅俊の『恋人も濡れる街角』の歌詞に登場する。馬車道をフィーチャーしたエロティックできわどい内容の歌詞が特徴で、ムード歌謡的な楽曲である。作詞は桑田佳祐。
2013年秋に結成された、この馬車道を拠点として活動しているローカルアイドルのポニカロードの持ち歌に「PonicaRoad」「Basya!ポニカ」がある。
脚注
- ^ まちなみ景観部門 馬車道のガス灯(横浜市都市整備局都市デザイン室)
- ^ 明治・大正・昭和初期の道路交通史:二輪車を中心に片山三男、神戸大学、国民経済雑誌,192(3):41-58、2005-09
- ^ 我が国初のガス灯(鹿児島県庁のサイト)
- ^ 森脇竜雄、今泉英一「がいろじゅ」『新版 林業百科事典』第2版第5刷 p76 日本林業技術協会 1984年(昭和59年)発行
- ^ “[http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/082/ 企画展 日刊新聞、誕生ス -『横浜毎日新聞』と文明開化の横浜-]”. 横浜開港資料館 (2003年10月29日). 2020年5月26日閲覧。
- ^ なか区歴史の散歩道