矢部又吉
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矢部 又吉(やべ またきち、1888年(明治21年)2月 - 1941年(昭和16年)3月24日)は、明治末期から昭和初期にかけて横浜で活躍した建築家。川崎銀行をはじめとした銀行建築を多く手がけたことで知られる。
経歴
[編集]1888年建築請負人の矢部国太郎の子として横浜市元町に生まれる。立教中学、工手学校(現在の工学院大学)建築科を卒業後、妻木頼黄のもとで設計に携わる。その後、1906年にドイツに渡り、シャルロッテンブルク工科大学(現在のベルリン工科大学)建築科で学びながら、日本でも活躍したドイツ人建築家ゼールに師事した。
1911年(明治44年)に帰国し、父・国太郎の跡を継ぎ、横浜市内に建築設計事務所(日本庭園会社)を開設した。川崎財閥のひとつの日本火災等の重役を務めた早川鉄冶の長女・富見と結婚した縁もあり、川崎財閥系の建築物を多く手がけた。建築業のかたわら、理研重工業などの重役も務めた。
主な作品
[編集]- 川崎銀行佐倉支店(1918年、佐倉市、現 佐倉市立美術館、高層ビルに覆われるように保存)
- 川崎銀行横浜支店(1922年、横浜市、現 損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビル、ファサード保存)
- 川崎銀行千葉支店(1927年、千葉市、現 千葉市美術館、ファサード保存)
- 川崎銀行本店(1927年、東京都、1986年解体後、外壁の一部は明治村に移築)
- 川崎貯蓄銀行大阪支店(1931年、大阪市、矢部又吉の設計と推定、現 堺筋倶楽部・アンブロシア)
- 第百銀行横浜支店(1934年、横浜市、旧東京三菱銀行横浜中央支店、現在はマンションに改築しファサード保存)
- 川崎貯蓄銀行福島出張所(1934年、大阪市、現 ミナミ株式会社大阪事務所、国の登録有形文化財)
- ストロングビル(1937年、横浜市、2007年に解体、跡地に建設されたホテルに外観のみ復元)
参考文献
[編集]- 建築雑誌 第55輯第674號、1941年、建築學會
- よこはま人物伝 歴史を彩った50人、横浜開港資料館 編、1995年、神奈川新聞社
- 大正人名辞典Ⅲ 下巻、1994年、日本図書センター(早川鐵冶の項目)
- 人事興信録 第12版下巻、1940年、人事興信所