コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

矢部又吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

矢部 又吉(やべ またきち、1888年(明治21年)2月 - 1941年(昭和16年)3月24日)は、明治末期から昭和初期にかけて横浜で活躍した建築家川崎銀行をはじめとした銀行建築を多く手がけたことで知られる。

経歴

[編集]

1888年建築請負人の矢部国太郎の子として横浜市元町に生まれる。立教中学工手学校(現在の工学院大学建築科を卒業後、妻木頼黄のもとで設計に携わる。その後、1906年にドイツに渡り、シャルロッテンブルク工科大学(現在のベルリン工科大学)建築科で学びながら、日本でも活躍したドイツ人建築家ゼールに師事した。

1911年(明治44年)に帰国し、父・国太郎の跡を継ぎ、横浜市内に建築設計事務所(日本庭園会社)を開設した。川崎財閥のひとつの日本火災等の重役を務めた早川鉄冶の長女・富見と結婚した縁もあり、川崎財閥系の建築物を多く手がけた。建築業のかたわら、理研重工業などの重役も務めた。

1941年に逝去。享年53。墓所は青山霊園

主な作品

[編集]
旧川崎銀行本店(『建築雑誌』より)
旧川崎貯蓄銀行福島出張所
  • 川崎銀行佐倉支店(1918年、佐倉市、現 佐倉市立美術館、高層ビルに覆われるように保存)
  • 川崎銀行横浜支店(1922年、横浜市、現 損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビル、ファサード保存)
  • 川崎銀行千葉支店(1927年、千葉市、現 千葉市美術館、ファサード保存)
  • 川崎銀行本店(1927年、東京都、1986年解体後、外壁の一部は明治村に移築)
  • 川崎貯蓄銀行大阪支店(1931年、大阪市、矢部又吉の設計と推定、現 堺筋倶楽部・アンブロシア)
  • 第百銀行横浜支店(1934年、横浜市、旧東京三菱銀行横浜中央支店、現在はマンションに改築しファサード保存)
  • 川崎貯蓄銀行福島出張所(1934年、大阪市、現 ミナミ株式会社大阪事務所、国の登録有形文化財
  • ストロングビル(1937年、横浜市、2007年に解体、跡地に建設されたホテルに外観のみ復元)

参考文献

[編集]
  • 建築雑誌 第55輯第674號、1941年、建築學會
  • よこはま人物伝 歴史を彩った50人、横浜開港資料館 編、1995年、神奈川新聞社
  • 大正人名辞典Ⅲ 下巻、1994年、日本図書センター(早川鐵冶の項目)
  • 人事興信録 第12版下巻、1940年、人事興信所