「大飯郡」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
m Bot作業依頼: pathnavboxクラスのテンプレート移行 (insource:/class=[" ]*pathnavbox/) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{半保護}} |
{{半保護}} |
||
{{Pathnavbox| |
|||
<div class="pathnavbox"> |
|||
*{{Pathnav|令制国一覧|北陸道|若狭国}} |
*{{Pathnav|令制国一覧|北陸道|若狭国}} |
||
*{{Pathnav|日本|中部地方|福井県}} |
*{{Pathnav|日本|中部地方|福井県}} |
||
}} |
|||
</div> |
|||
[[ファイル:Fukui Oi-gun.png|frame|福井県大飯郡の位置(1.高浜町 2.おおい町 黄:明治期 薄緑:後に他郡から編入した区域)]] |
[[ファイル:Fukui Oi-gun.png|frame|福井県大飯郡の位置(1.高浜町 2.おおい町 黄:明治期 薄緑:後に他郡から編入した区域)]] |
||
'''大飯郡'''(おおいぐん)は、[[福井県]]([[若狭国]])の[[郡]]。'''若西'''(じゃくせい)とも呼ばれる。 |
'''大飯郡'''(おおいぐん)は、[[福井県]]([[若狭国]])の[[郡]]。'''若西'''(じゃくせい)とも呼ばれる。 |
2021年9月6日 (月) 03:32時点における版
大飯郡(おおいぐん)は、福井県(若狭国)の郡。若西(じゃくせい)とも呼ばれる。
人口17,063人、面積284.59km²、人口密度60人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 高浜町の全域
- おおい町の一部(名田庄各町を除く)
- 小浜市の一部(鯉川・岡津・加斗・飯盛・西勢・東勢)
歴史
- 天長2年7月10日(825年7月28日) - 若狭国遠敷郡を割いて大飯郡を建てた[1]。当初は「おほいた」と読まれた。この郡名は統治を管轄していた役所「大炊寮」の諸司田に由来すると言われ、大分郡とは由来を異にする。
近世以降の沿革
- 日置村、青村、上津村、横津海村、関屋村、蒜畠村、六路谷村、高野村、今寺村、小和田村、高屋村、中山村、難波江村、小黒飯村、神野村、神野浦、音海村、上瀬村、日引村、宮尾村、下村、下鎌倉村、上鎌倉村、山中村、下車持村、上車持村、馬居寺村、和田村、岩神村、薗部村、笠原村、子生村、坂田村、立石村、畑村、鐘寄村、中津海村、三松村、高浜村、東勢村、西勢村、飯盛村、本所村、岡津村、鯉川村、長井村、大島村、尾内村、上下村、市場村、下薗村、山田村、芝崎村、岡田村、小堀村、犬見村、野尻村、父子村、万願寺村、広岡村、神崎村、岡安村、笹谷村、鹿野村、小車田村、佐畑村、石山村、福谷村、川関村、安井村、久保村、三森村、川上村
- 明治4年
- 明治8年(1876年)
- 明治12年(1879年)(69村)
- 明治14年(1881年)2月7日 - 福井県の管轄となる。
- 明治15年(1882年) - 三松村が分割して東三松村・西三松村となる。(70村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(8村)
- 高浜村 ← 中津海村、鐘寄村、畑村、立石村、高浜村[2]、薗部村、岩神村、笠原村、子生村、坂田村(現・高浜町)
- 内浦村 ← 上瀬村、日引村、宮尾村、下村、鎌倉村、山中村、神野村、神野浦、難波江村、小黒飯村、音海村(現・高浜町)
- 青郷村 ← 上津村、六路谷村、蒜畠村、今寺村、高野村、中山村、高屋村、小和田村、関屋村、横津海村、青村、日置村、東三松村、西三松村(現・高浜町)
- 和田村 ← 和田村、馬居寺村、上車持村、下車持村(現・高浜町)
- 佐分利村 ← 川上村、三森村、久保村、安川村、福谷村、石山村、小車田村、佐畑村、鹿野村、笹谷村、神崎村、岡安村、広岡村、万願寺村(現・おおい町)
- 本郷村 ← 本郷村、小堀村、岡田村、父子村、野尻村、芝崎村、山田村、尾内村、犬見村(現・おおい町)
- 加斗村 ← 長井村(現・おおい町)、鯉川村、岡津村、本所村、飯盛村、西勢村、東勢村(現・小浜市)
- 大島村(単独村制。現・おおい町)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治45年(1912年)4月1日 - 高浜村が町制施行して高浜町となる。(1町7村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は160.30平方km、人口は17,560人(男8,529人・女9,031人)[3]。
- 昭和30年(1955年)
- 平成18年(2006年)3月3日 - 大飯町が遠敷郡名田庄村と合併しておおい町が発足。(2町)
変遷表
→詳細は「嶺南 § 沿革」を参照
行政
- 滋賀県大飯郡長[4]
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 河村久誠 | 明治12年(1879年)10月27日 | 明治14年(1881年)2月6日 | 郡長心得から 福井県へ移管 |
- 福井県大飯郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 河村久誠 | 明治14年(1881年)2月7日 | 明治17年(1884年)8月18日 | |
2 | 添田良平 | 明治17年(1884年)8月21日 | 明治19年(1886年)4月28日 | |
3 | 遠藤政敏 | 明治19年(1886年)4月28日 | 明治24年(1891年)6月22日 | |
4 | 和田五郎 | 明治24年(1891年)6月22日 | 明治25年(1892年)9月30日 | |
5 | 萩原縫 | 明治25年(1892年)10月1日 | 明治26年(1893年)3月4日 | |
6 | 村野達雄 | 明治26年(1893年)3月4日 | 明治29年(1896年)4月17日 | 在任中に死去 |
7 | 加藤厚寛 | 明治29年(1896年)5月18日 | 明治31年(1898年)9月1日 | |
8 | 山下中二 | 明治31年(1898年)9月1日 | 明治33年(1900年)8月2日 | |
9 | 清水永三 | 明治33年(1900年)8月2日 | 明治34年(1901年)8月24日 | |
10 | 土持兼白 | 明治34年(1901年)8月24日 | 明治35年(1902年)5月19日 | |
11 | 大山重 | 明治35年(1902年)5月19日[5] | 明治37年(1904年)12月23日 | |
12 | 三国貞五郎 | 明治37年(1904年)12月23日 | 明治40年(1907年)12月10日 | |
13 | 木下参一 | 明治40年(1907年)12月10日 | 明治42年(1909年)10月14日 | |
14 | 岡部直温 | 明治42年(1909年)10月14日 | 大正2年(1913年)7月7日 | |
15 | 色川圀城 | 大正2年(1913年)7月7日 | 大正3年(1914年)8月21日 | |
16 | 蒲八郎 | 大正3年(1914年)8月21日 | 大正6年(1917年)3月15日 | |
17 | 遠藤所六 | 大正6年(1917年)3月15日 | 大正7年(1918年)12月28日 | |
18 | 古村貢三郎 | 大正7年(1918年)12月28日 | 大正9年(1920年)4月30日 | |
19 | 真目善平 | 大正9年(1920年)4月21日 | 大正10年(1921年)3月11日 | |
20 | 福山正隆 | 大正10年(1921年)3月11日 | 大正11年(1922年)5月11日 | |
21 | 木村米次郎 | 大正11年(1922年)5月11日 | 大正12年(1923年)2月19日 | |
22 | 岡本斧次郎 | 大正12年(1923年)2月19日 | 大正13年(1924年)12月17日 | |
23 | 田井正親 | 大正13年(1924年)12月17日 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 18 福井県、角川書店、1989年11月1日。ISBN 4040011805。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代 遠敷郡 |
行政区の変遷 825年 - |
次代 (現存) |