青郷村
表示
あおのごうむら 青郷村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 高浜町、青郷村、和田村、内浦村 → 高浜町 |
現在の自治体 | 高浜町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 福井県 |
郡 | 大飯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,966人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
福井県 大飯郡高浜町、大飯町、内浦村 京都府 舞鶴市 何鹿郡奥上林村 |
青郷村役場 | |
所在地 | 福井県大飯郡青郷村 |
座標 | 北緯35度29分04秒 東経135度30分14秒 / 北緯35.48433度 東経135.504度座標: 北緯35度29分04秒 東経135度30分14秒 / 北緯35.48433度 東経135.504度 |
ウィキプロジェクト |
青郷村(あおのごうむら[1])は福井県大飯郡にあった村。大飯郡の西部[1]。現在の高浜町の南西部、小浜線三松駅・青郷駅の周辺にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上津村、六路谷村、蒜畠村、今寺村、高野村、中山村、高屋村、小和田村、関屋村、横津海村、青村、日置村、東三松村及び西三松村の区域をもって、青郷村が発足する。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 高浜町、青郷村、和田村及び内浦村が合併して、改めて高浜町が発足する。
村政
[編集]歴代村長
[編集]- 畠中文記 1889年6月 - 1890年2月[2]
- 池田仁右衛門 1890年2月 - 1894年2月[2]
- 一瀬代蔵 1894年2月 - 1906年2月[2]
- 水谷茂吉 1906年2月 - 1910年2月[2]
- 畠中重次郎 1910年2月 - 1922年2月[2]
- 一瀬銀治 1922年4月 - 1926年4月[2]
- 池田金蔵[2]
歴代助役
[編集]- 水谷茂吉 1889年6月 - 1890年1月[2]
- 廣瀬治 1890年2月 - 1891年3月[2]
- 一瀬代蔵 1891年5月 - 1894年2月[2]
- 高橋幸吉 1894年4月 - 1896年1月[2]
- 一瀬幸吉 1896年2月 - 1900年2月[2]
- 畠中重次郎 1900年3月 - 1902年2月[2]
- 一瀬銀治 1902年3月 - 1906年2月[2]
- 西ノ上鐘吉 1906年3月 - 1907年4月[2]
- 稲澤竹造 1907年5月 - 1909年12月[2]
- 松宮新太郎 1910年1月 - 1916年5月[2]
- 稲澤竹造 1916年6月 - 1920年7月[2]
- 山本久蔵 1920年7月[2] -
経済
[編集]産業
[編集]- 林業
- 農業
養蚕が最も盛んであり、米に匹敵する産額がある[1]。『大日本蚕業家名鑑 正』によれば青郷村の養蚕家は藤崎、横田、一瀬、岸本、稲澤、山本、盛次、梅田、竹中、柴田、中谷、宮口、水谷、山田などがいた[3]。
特産物には葡萄がある[1]。『大日本篤農家名鑑』によれば青郷村の篤農家は水谷、畠中、谷口、西本などがいた[4]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]現在は旧村域に三松駅が所在するが、当時は未開業。
道路
[編集]現在は旧村域を舞鶴若狭自動車道が通過するが、当時は未開通。
出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 『日本地名大辞典 第1巻』219 - 220頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『大飯郡誌』422-489頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月4日閲覧。
- ^ 『大日本蚕業家名鑑 正』大日本蚕業家名鑑(養蚕家)福井県340 - 341頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月16日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』485頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月3日閲覧。
- ^ 『社会貢献者事績集 昭和48年度』88頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 扶桑社編『大日本蚕業家名鑑 正』扶桑社、1913 - 1917年。
- 福井県大飯郡教育会編『大飯郡誌』福井県大飯郡教育会、1931年。
- 日本書房編『日本地名大辞典 第1巻』日本書房、1937-1938年。
- 『社会貢献者事績集 昭和48年度』日本顕彰会、1974年。
- 『角川日本地名大辞典 18 福井県』。