西三松
西三松 | |
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北緯35度29分50秒 東経135度30分40秒 / 北緯35.49722度 東経135.51111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 福井県 |
市町村 | 高浜町 |
面積 | |
• 合計 | 0.24 km2 |
人口 | |
• 合計 | 285人 |
• 密度 | 1,200人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
919-2381 |
市外局番 | 0770 |
ナンバープレート | 福井 |
西三松[1][2](にしみつまつ[3])は、福井県大飯郡高浜町の地名。郵便番号は919-2381。
歴史
[編集]部落の形成
[編集]西三松部落がどのように形成されたのかについて、解放同盟支部の田中稔支部長や、山下書記長の話によると「昔は東三松に一緒に住んでいたが、いつのころかわからないが関屋川が注ぐ今の場所に移された」「東三松にいたとき皮革の仕事をやっていたから、臭いがすごいので、こちらに移されたのではないか」という[2]。
西三松の人たちが丹後街道沿いから今の地に移されたのは近世初期とされる[2]。今の地に移される以前は、丹後街道沿いで、武具製作を中心とした皮革業と街道警備が主な仕事だった[2]。
沿革
[編集]明治初年時点で、小浜藩領に属した。廃藩置県により、小浜県-敦賀県-滋賀県を経て、1881年(明治14年)2月7日福井県の管轄となった。
1882年(明治15年)12月28日、三松村が分割されて東三松村・西三松村となった[4]。
1889年(明治22年)4月1日、 町村制の施行により、西三松村は上津村・六路谷村・蒜畠村・今寺村・高野村・中山村・高屋村・小和田村・関屋村・横津海村・青村・日置村・東三松村とともに青郷村に編入され、大字西三松となった[4]。この時点で戸数35戸、人口213人であった[4]。
1935年(昭和10年)、日枝神社祭礼にかかわる東三松 (非部落側) との差別事件が発生。これに際し、全国水平社(全水)総本部の井元麟之常任や森山伊右衛門県連委員長らの指導や応援を受けた糾弾闘争を契機に、同年10月18日、全国水平社西三松支部が組織された[5][6]。
1950年(昭和25年)、火災が発生し集落の80%が類焼した[7]。1953年(昭和28年)、台風13号が襲い、農作物などは大被害を受けた[7]。
1955年(昭和30年)2月11日、青郷村が高浜町・和田村・内浦村と合併して廃止され、高浜町に編入された。
1996年、えびす浜パーク海水浴場(えびすビーチ、三松海水浴場)がリニューアルオープン[9]。1998年7月、「ふれあい浜辺整備事業」としてえびす浜パーク竣工[9]。
2005年4月、西三松の池田山公園公衆トイレで差別落書が発見される事件が発生[10]。5月、三松センターで大田常雄・高浜町助役から部落解放同盟福井県連合会の浜岸政幸・委員長(高浜支部長)らに事実関係の報告があり、今後の対応について協議した[10]。
2012年、池田山公園(池田山いこいの広場)に青葉ふれあいドーム竣工。
人口
[編集]1916年刊行の『細民部落改善実例』によると、戸数37、人口270余である[1]。
行政
[編集]部落の篤志家の池田吉右衛門は1883年に西三松戸長となり、1885年に部落総代に選任される[1]。
経済
[編集]産業
[編集]1916年刊行の『細民部落改善実例』によると、「明治維新前には住民は一般に獣皮の取扱いをしていた。現在は主として小作、日稼ぎを業としている」という[1]。
1982年刊行の『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』によると、「西三松部落のほとんどの家が民宿を経営している。商売になるのは夏の間だけで、冬場はさっぱりである。民宿経営はもっぱら主婦の仕事である。農業をしている人もわずかにあり、経営面積は2 - 3反ほどで、自分の家で1年間に食べる米をつくっている程度である。西三松地区の民宿で新築住宅が目立っているが、民宿ブームをあてこんで同和貸付金を利用したり、他の金融機関から借金したりして、かなり無理をして建てたものである」という[2]。
- 店舗・企業
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地域
[編集]教育
[編集]- 高浜町立青郷保育所[15]
施設
[編集]- 宗教
- 来迎寺(真宗大谷派)
- 公園
- 脇坂公園
- 海水浴場
- 隣保館
交通
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 『細民部落改善実例』42 - 45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月30日閲覧。
- ^ a b c d e 『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』168 - 191頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月25日閲覧。
- ^ a b 福井県大飯郡高浜町西三松とはコトバンク。2019年10月3日閲覧。
- ^ a b c 『大飯郡誌』422-489頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月5日閲覧。
- ^ 本田豊「福井県の被差別部落]『部落史を歩く』柏書房、1982年12月10日 第1刷発行、1036-82035-0930、178~184頁。初出は、『部落解放』1980年4月号。
- ^ 福井県、解放運動、部落問題・人権事典公式サイト。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典編纂委員会」編『角川日本地名大辞典 18 福井県 総説―地名編』角川学芸出版、2009年9月25日 発行、ISBN 978-4-04-622923-6、891頁。
- ^ “高浜町立三松センター管理条例”. 高浜町 (1972年12月16日). 2020年3月20日閲覧。
- ^ a b “EVIS-BEACH(えびすビーチ)”. 若狭高浜観光協会西三松支部. 2019年10月5日閲覧。
- ^ a b 部落を誹謗・中傷する 公衆トイレに差別落書『解放新聞』(2005年10月24日-2241)、部落解放同盟中央本部公式サイト。2019年10月3日閲覧。
- ^ “石橋工業株式会社”. NIKKEI COMPASS. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 福井県大飯郡高浜町の解体工事の建設工事会社一覧、建設サーチ。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 宿泊施設案内、若狭高浜観光協会西三松支部公式サイト。
- ^ 部落解放同盟各都府県連合会所在地部落解放同盟中央本部公式サイト。2019年10月3日閲覧。
- ^ “高浜町立保育所条例”. 高浜町 (1973年3月19日). 2020年3月20日閲覧。
- ^ 高浜町 三松センター高浜町公式サイト。2019年10月3日閲覧。
- ^ 入賞館一覧、「全国隣保館だより」コンテスト全国隣保館連絡協議会公式サイト。2019年10月3日閲覧。
- ^ a b “関電ずさん統治 30年続いた甘え、監査役も機能せず”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2019年10月5日) 2019年10月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 広島県安芸郡編『細民部落改善実例』広島県安芸郡、1916年。
- 福井県大飯郡教育会編『大飯郡誌』福井県大飯郡教育会、1931年。
- 本田豊『部落史を歩く ルポ東北・北陸の被差別部落』柏書房、1982年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編さん『角川日本地名大辞典(18)福井県』角川書店、1989年。