「内海造船」の版間の差分
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本社・瀬戸田工場では多種多様な商船・官公庁船の建造実績を有しており、特に国内[[フェリー]]の建造においては非常に高い建造シェアを誇る。[[2005年]](平成17年)1月1日付けで同じく日立造船系のニチゾウIMCを吸収合併、旧日立造船因島工場を引き継いだことで大型船建造能力を強化。以来同社の主力工場として稼働中である。 |
本社・瀬戸田工場では多種多様な商船・官公庁船の建造実績を有しており、特に国内[[フェリー]]の建造においては非常に高い建造シェアを誇る。[[2005年]](平成17年)1月1日付けで同じく日立造船系のニチゾウIMCを吸収合併、旧日立造船因島工場を引き継いだことで大型船建造能力を強化。以来同社の主力工場として稼働中である。 |
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但し、因島工場は日立造船から土地・建物などを貸借し、船舶の建造を行っている。 |
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[[2006年]](平成18年)には、[[1987年]](昭和62年)に日立造船因島工場が新造船から撤退して以来[[因島]]では20年ぶりとなる約30,000 G/Tクラスの大型船(同社700番船 「HELENE S」)の進水式を行い、造船の島復活への第一歩を記した(隣接する[[ジャパン マリンユナイテッド]]因島工場は修繕のみで、新造船建造は行っていない)。 |
[[2006年]](平成18年)には、[[1987年]](昭和62年)に日立造船因島工場が新造船から撤退して以来[[因島]]では20年ぶりとなる約30,000 G/Tクラスの大型船(同社700番船 「HELENE S」)の進水式を行い、造船の島復活への第一歩を記した(隣接する[[ジャパン マリンユナイテッド]]因島工場は修繕のみで、新造船建造は行っていない)。 |
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[[2006年]](平成18年)2月には筆頭株主が日立造船から、投資ファンド運営会社カレイド・ホールディングスに移ったが、[[2009年]](平成21年)5月に日立造船に戻った。 |
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2012年(平成24年)3月末に定年を60歳に引き下げて127人が退職したが、月内にも再び定年を63歳に戻す。1ヶ月間だけの定年引き下げにより、特定の年代が退職を迫られた。 |
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同月8日 因島工場内で天井から釣り下げたクレーンで船舶部材(約35トン)を移動中に、別の船舶部材に挟まれ会社員が死亡した。 |
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2013年(平成25年)3月 新造フェリー「大函丸」試運転中、エンジンルームの点検をしていた船舶機器メーカー作業員がプロペラ軸に巻き込まれ、死亡した。 |
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2015年(平成27年)1月 船の塗装作業をしていた塗装工が足を踏み外し、高さ9メートルほどある作業場から転落しました。この事故で頭などを強く打ち、病院に運ばれましたが間もなく死亡しました。 |
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2017年(平成29年)1月 新造フェリー「ななうら丸」(昨年11月就航)が、出港操船中、推進器の翼角制御ができなくなり、運行不能で漂流した。 |
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同年5月13日午後3時ごろ 瀬戸田工場内で船の中にある湯沸かし器を修理していたところ、部品が外れ男性の頭を直撃した。男性は病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。一昨年も塗装中の男性作業員が転落し、死亡する事故が起きている。 |
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2020年(令和2年)9月 三菱造船から特許を侵害しているとして、損害賠償請求訴訟を提起され、現在、係争中。 |
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== 経営陣 == |
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| 代表取締役社長 |
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| 鶴岡 信三 |
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| 取締役 新造船事業副本部長 設計本部長 兼 詳細設計部長 |
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| 岡野 行孝 |
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| 宮崎 寛 |
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| 若野 晃一 |
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== 沿革 == |
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平成18年9月 因島工場で20年ぶりの進水式 |
平成18年9月 因島工場で20年ぶりの進水式 |
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2008年 平成20年7月 資金繰りの悪化から民事再生法を申請した昭和ナミレイ因島工場購入 |
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ブロック組み立てと艤装製品は田熊工場に設備を移し、管製作専用工場になる |
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[[2012年]] 平成24年3月 田熊工場を閉鎖し、修繕船事業を瀬戸田工場へ集約 |
[[2012年]] 平成24年3月 田熊工場を閉鎖し、修繕船事業を瀬戸田工場へ集約 |
2022年2月13日 (日) 05:32時点における版
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 |
大証2部(廃止) 7018
|
本社所在地 |
日本 〒722-2493 広島県尾道市瀬戸田町沢226-6 |
設立 | 1944年11月22日 |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 9240001038924 |
事業内容 | 船舶の建造・修繕 |
代表者 | 取締役社長 原 耕作 |
資本金 | 12億17万円 |
売上高 |
連結:311億21百万円 (2021年3月期) |
純資産 |
連結:67億75百万円 (2021年3月末現在) |
総資産 |
連結:340億43百万円 (2021年3月末現在) |
従業員数 | 単体:616名(2021年3月末現在) |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 |
日立造船 39.36% (2018年3月末現在) |
主要子会社 | 内海エンジニアリング株式会社 |
外部リンク | https://www.naikaizosen.co.jp/ |
内海造船株式会社(ないかいぞうせん)は、日本の造船メーカーである。
概要
日立造船系の中堅造船会社。
本社・瀬戸田工場では多種多様な商船・官公庁船の建造実績を有しており、特に国内フェリーの建造においては非常に高い建造シェアを誇る。2005年(平成17年)1月1日付けで同じく日立造船系のニチゾウIMCを吸収合併、旧日立造船因島工場を引き継いだことで大型船建造能力を強化。以来同社の主力工場として稼働中である。
但し、因島工場は日立造船から土地・建物などを貸借し、船舶の建造を行っている。
2006年(平成18年)には、1987年(昭和62年)に日立造船因島工場が新造船から撤退して以来因島では20年ぶりとなる約30,000 G/Tクラスの大型船(同社700番船 「HELENE S」)の進水式を行い、造船の島復活への第一歩を記した(隣接するジャパン マリンユナイテッド因島工場は修繕のみで、新造船建造は行っていない)。
田熊工場では修繕事業を専門に行っていたが、2012年3月末をもって閉鎖した[1]。跡地は2015年現在、複合商業施設(因島モール)および太陽光発電所となっている[2]。
2006年(平成18年)2月には筆頭株主が日立造船から、投資ファンド運営会社カレイド・ホールディングスに移ったが、2009年(平成21年)5月に日立造船に戻った。
2012年(平成24年)3月末に定年を60歳に引き下げて127人が退職したが、月内にも再び定年を63歳に戻す。1ヶ月間だけの定年引き下げにより、特定の年代が退職を迫られた。
同月8日 因島工場内で天井から釣り下げたクレーンで船舶部材(約35トン)を移動中に、別の船舶部材に挟まれ会社員が死亡した。
2013年(平成25年)3月 新造フェリー「大函丸」試運転中、エンジンルームの点検をしていた船舶機器メーカー作業員がプロペラ軸に巻き込まれ、死亡した。
2015年(平成27年)1月 船の塗装作業をしていた塗装工が足を踏み外し、高さ9メートルほどある作業場から転落しました。この事故で頭などを強く打ち、病院に運ばれましたが間もなく死亡しました。
2017年(平成29年)1月 新造フェリー「ななうら丸」(昨年11月就航)が、出港操船中、推進器の翼角制御ができなくなり、運行不能で漂流した。
同年5月13日午後3時ごろ 瀬戸田工場内で船の中にある湯沸かし器を修理していたところ、部品が外れ男性の頭を直撃した。男性は病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。一昨年も塗装中の男性作業員が転落し、死亡する事故が起きている。
2020年(令和2年)9月 三菱造船から特許を侵害しているとして、損害賠償請求訴訟を提起され、現在、係争中。
経営陣
取締役 | |
---|---|
代表取締役社長 | 原 耕作 |
取締役 営業本部長 | 鶴岡 信三 |
取締役 新造船事業本部長 | 寺尾 弘志 |
取締役 修繕船事業部長 | 岡野 修覚 |
取締役 新造船事業副本部長 設計本部長 兼 詳細設計部長 | 岡野 行孝 |
取締役 | 宮崎 寛 |
取締役 | 若野 晃一 |
取締役 | 亀崎 一彦 |
沿革
1940年 昭和15年10月 瀬戸田船渠(株) として創業(本社は神戸)
1944年 昭和19年11月 瀬戸田造船(株) 設立
〔 中桐造船所、村上造船鉄工所と瀬戸田船渠(株)が合併し商号を変更〕(本社は神戸)
1945年 昭和20年3月 本社を神戸から瀬戸田へ移転
1956年 昭和31年9月 瀬戸田工場 2号ドック(7,500D/W) 完成
1964年 昭和39年3月 瀬戸田工場 3号ドック(6,500D/W) 完成
1967年 昭和42年5月 日立造船(株)の系列会社となる
1972年 昭和47年10月 内海造船(株) 創立
〔 田熊造船(株) と瀬戸田造船(株)が合併し商号を変更〕
1974年 昭和49年11月 大阪証券取引所(2部)、広島証券取引所に株式上場
1976年 昭和51年3月 瀬戸田工場 1号ドック(60,000D/W) 完成
昭和51年4月 資本金11億円に増資
1992年 平成4年5月 シップ・オブ・ザ・イヤー1991(第2回)大賞を受賞【日産むさし丸】
1998年 平成11年3月 瀬戸田工場 ISO9001を認証取得
2000年 平成12年3月 東京証券取引所(2部) に株式上場
平成13年12月 瀬戸田工場 ISO14001を認証取得
2005年 平成17年1月 (株)ニチゾウIMCと合併し、因島工場が誕生
平成18年8月 資本金12億17万円に増資
平成18年9月 因島工場で20年ぶりの進水式
2008年 平成20年7月 資金繰りの悪化から民事再生法を申請した昭和ナミレイ因島工場購入
ブロック組み立てと艤装製品は田熊工場に設備を移し、管製作専用工場になる
2012年 平成24年3月 田熊工場を閉鎖し、修繕船事業を瀬戸田工場へ集約
2018年 平成30年5月 シップ・オブ・ザ・イヤー2017(第28回)大型貨物船部門賞を受賞【TRANS HARMONY 1】
事業所及び建造能力
- 瀬戸田工場 : 広島県尾道市瀬戸田町沢226-6
- 1号船台 : 30,000 G/T
- 1号ドック : 44,500 G/T
- 2号ドック : 5,000 G/T
- 因島工場 : 広島県尾道市因島土生町2418-2
- 1号船台 : 46,500 G/T
- 2号船台 : 40,000 G/T
過去に建造した船舶の一部
- まりも - 1972年(昭和47年)竣工(フェリー) - 近海郵船
- びなす - 1975年(昭和50年)竣工(フェリー) - 東日本フェリー
- ばにあ - 1984年(昭和59年)竣工(フェリー) - 東日本フェリー
- かめりあ丸 - 1986年(昭和61年)竣工(貨客船) - 東海汽船
- びいな - 1987年(昭和62年)竣工(フェリー) - 東日本フェリー
- 油船25号型 - 1988年(昭和63年)竣工(給油船) - 防衛省海上自衛隊
- アヴローラおくしり - 1998年(平成10年)竣工 (フェリー) - ハートランドフェリー(旧東日本海フェリー)
- 第二勇新丸 - 2002年(平成14年)竣工(調査兼取締船(捕鯨船)) - 共同船舶
- シルバーエイト - 2013年(平成25年)竣工(フェリー) - 川崎近海汽船
- ブルーマーメイド - 2014年(平成26年)竣工(フェリー) - 津軽海峡フェリー
- ブルードルフィン (2代) - 2016年(平成28年)竣工(フェリー) - 津軽海峡フェリー
- ブルーハピネス - 2017年(平成29年)竣工(フェリー) - 津軽海峡フェリー
- カランセ奥尻 - 2017年(平成29年)竣工(フェリー) - ハートランドフェリー
- ブルールミナス - 2020年(令和2年)竣工(フェリー) - 津軽海峡フェリー
- シルバーブリーズ - 2021年(令和3年)竣工(フェリー) - 川崎近海汽船
出典
- ^ “修繕船事業拠点の集約に関するお知らせ” (PDF). 内海造船株式会社. 2015年7月4日閲覧。
- ^ “内海造船向け大規模太陽光発電所(メガソーラー)の完成について”. 日立造船株式会社. 2015年7月4日閲覧。