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2021年5月20日 (木) 09:27時点における版

たてかべ かずや
たてかべ 和也
プロフィール
本名 立壁 和也
(たてかべ かずや)[1]
愛称 カベさん[2]
性別 男性
出生地 日本の旗 日本北海道虻田郡喜茂別町[2]
死没地 日本の旗 日本東京都
生年月日 (1934-07-25) 1934年7月25日
没年月日 (2015-06-18) 2015年6月18日(80歳没)
血液型 A型[3]
職業 俳優声優芸能マネージャー
事務所 ケンユウオフィス
(永劫所属)[3]
配偶者 なし
公式サイト たてかべ和也:Tatekabe Kazuya 株式会社ケンユウオフィス
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 175 cm / 60 kg
活動
活動期間 1954年 - 2015年
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年[4]7月25日 - 2015年6月18日[5])は、日本俳優声優マネージャー。設立時より死去するまでケンユウオフィス取締役を務めていた[注 1][3]。 

1970年代までは本名の立壁 和也(読みは同じ)で活動。

特色

声優としての代表作に、『ど根性ガエル』(第1作)の五利良イモ太郎〈ゴリライモ〉役、『はじめ人間ギャートルズ』のドテチン役、『ヤッターマン』のトンズラー役などのタイムボカンシリーズ、『ドラえもん』(テレビ朝日版第1期)のジャイアンこと剛田武役などがあった[6]

声種バリトン[7]。「ガキ大将」的な役を多く担当していた。本人によれば、オーディションではなく、「たてかべには、こういう役が似合う」と推薦で決められたものがほとんどだったという[要出典]

経歴

少年時代、北海道から東京都世田谷区に転居。第1期生として東京教育大学附属駒場中学校(現・筑波大学附属駒場中学校)へ入学、同高等学校を経て、日本大学芸術学部演劇学科を卒業[2]。大学時代の同級生に小林清志がいる[8]。その後劇団泉座を経て東京俳優生活協同組合[7] に所属していた。

その後、河の会[7]江崎プロダクション[9] を経て、かつてはオフィス央という事務所を興し、社長職と声優を兼務していたが、1984年ぷろだくしょんバオバブに吸収合併される[10]堀内賢雄を見出したのはこのオフィス央時代である[2]

ぷろだくしょんバオバブに所属していたころは、マネージャー業も務め[11]、さらに常務取締役として矢島晶子[12]水谷優子[12]折笠愛[13]、2005年以降ドラえもんの声を担当している水田わさび[14] らを見出し、スカウト力にも長けていた。とくに矢島には、デビュー作から主演の『アイドル伝説えり子』を斡旋し、『クレヨンしんちゃん』も「園児の1人くらいは受かるかもしれない」とオーディションを斡旋した[12]。矢島は「人材発掘して育てるのが好きだったようだ」と語っており、当時青年座にいた水谷に至っては事務所が違うにもかかわらず薦めていたという[12]。また、高木渉も一回だけの予定で見学に行った『ミスター味っ子』の収録現場で、たてかべから「来週は来ないのか?」「1日だけの見学で何がわかる。やる気があるなら最後まで来なさい」と言われ毎週見学に行くようになり、それが1年半の見学通いとなった。そこからガヤを演らせてもらえるようになり[15] 脇役でのデビューに繋がったという[16]。堀内がバオバブから独立し、ケンユウオフィスを立ち上げてからは、たてかべも同事務所に移籍し取締役も兼務していた[2]

ドラえもん』ではジャイアンこと剛田武役を26年間担当、2005年春の大幅リニューアルに伴い木村昴へ譲った。降板に際したインタビューでは、喜怒哀楽が激しく自分勝手なジャイアンを演じるためにエネルギーがいるため、1日20本の煙草を吸い、週6で酒を飲んで役に挑んでいたという。また、最後の収録を3か月後に控えて「最後の録音日に足掛け26年を振りどんな気持ちになるのか。もしかしたら、泣いてしまうかもしれません」と語り、次のジャイアン役には「ジャイアンと同じ性格では、生々しくなり彼の優しさや悲しさ嬉しさを表現できないので、気持ちが優しい人ならいいと思う」との希望を述べていた[17]。「ジャイアン役を継いでくれる人と酒を飲みたい」と考えていたため、木村が(当時)中学生であることを知ってがっかりし、あと5年は長生きして一緒に飲みたいと語っており、たてかべの念願が叶ったのは木村が20歳の誕生日を迎えてしばらくしてからであった[18]。その間、木村が通っていた高校が偶然たてかべ宅と近かったこともあり、文化祭など学校でイベントが開催されるたびに足を運んでいたという。『ドラえもん』映画シリーズの監督やチーフディレクターをつとめた芝山努によると、たてかべは「汚い言葉を使わないように」と意識していたらしく「バカヤロー!」や「クソッ」などの台詞を入れると「ジャイアンはこんなこと言わない」とクレームが入ったとのこと[19]。また、ジャイアンが空き地でたびたび歌っていた「おれはジャイアンさまだ!」の作詞も担当している。

2005年、第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』(テレビ朝日版)のオリジナルレギュラー陣(大山のぶ代小原乃梨子野村道子肝付兼太の4人)とともに田山力哉賞を受賞[20]。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人と共に第3回功労賞を受賞[21]

2009年に、胃癌を患いを全摘出した[2][22]。この際の治療でこだわったのは、レギュラーだった『ヤッターマン』のトンズラー役をやりきることだった。この癌まで、大病がなく一度も入院した経験もなかったため、「その手の事務仕事が苦手で、ストレスになってたかもしれない」と語っていたが、マネージャーが全てやってくれたという[2]

死去

2015年6月18日午後1時49分、急性呼吸不全のため東京都で死去。満80歳没(享年82)[5]。たてかべは生涯独身で、親族と事務所関係者が最後を看取ったといわれる。2009年の胃の全摘出後は、癌の再発はなかったものの、晩年まで体調が優れず老衰のようなかたちで亡くなったという[22]。レギュラーを務めていた『ベン10』のマックス・テニスン役がたてかべの最後の仕事であった。2015年6月19日放送の『ドラえもん』の冒頭にて追悼テロップが流れ故人を偲んだ[23]。たてかべの訃報に際してテレビ朝日[24] や堀内の他、木村[25]、水田[26]神谷明[27]千葉繁井上和彦などがツイッターやブログ、ウェブサイトなどでその死を悼み[28]藤子・F・不二雄ミュージアムの公式ブログでも追悼コメントが掲載された[29]

たてかべの通夜6月23日青山葬儀所で営まれ、木村や水田のほかに小原乃梨子野村道子肝付兼太よこざわけい子野沢雅子かないみか山寺宏一戸田恵子喜多村英梨山口勝平ら約900人が参列し、多数の声優や関係者からの供花が贈られた。前ドラえもん役の大山のぶ代は当時患っていた認知症の悪化もあり参列できなかった。その代わりにメッセージカードを寄せたが、封を開けずにに入れられたため内容は明らかにされていない。また、かないも自身のTwitterで母親の田上和枝も一緒に参列したことを語っている[30]。通夜においては、葬儀委員長の堀内により挨拶が行われ、肝付が弔辞を寄せた[31][32][33]

たてかべの長年の盟友であった肝付は阪神タイガースファンだったたてかべに「阪神は優勝圏内にいますよ。優勝するといいですね」とV祈願をし、最後はスネ夫の声で「ジャイアーン、ジャイアンのくせになぜ先に逝っちゃうんだよ」と悲痛な声を挙げた[31]。告別式は翌6月24日に同じ青山葬儀所にて営まれ、声優仲間など約600人が参列した。通夜に引き続いて肝付が弔辞を読み、「ドラえもんの26年は本当に楽しかったです。かべさんのおかげです」と感謝の言葉を述べ、スネ夫の声で「ジャイアーン!」と叫んで締めくくった[34]。肝付もたてかべの死から1年4か月後の2016年10月20日に死去した。また葬儀委員長の堀内も挨拶に立ち、公式サイトで「あなたの教えを忘れずに最後まで涙を見せずに見送らせていただきます。」と表明し、当初は涙をこらえていたが、最後にはたてかべの遺影に向かって「かべさーん、かべさーん」と声を震わせて叫び、「日本一の師匠でした」と涙ながらに感謝の言葉を述べた[35]。遺体には愛用の帽子とジャイアンのトレードマークであるオレンジ色のTシャツが着せられ、出棺の際には事務所の意向で白い鳥を模した風船80個が飛ばされた[36]。その後、遺体は品川区桐ヶ谷斎場にて荼毘に付された。

この告別式は、最終所属先であったケンユウオフィスが葬儀主催を務めた[32]。なお、たてかべは先述の癌治療を受けていたときの酒の席で「葬儀は内輪でやってくれればいいから」「偲ぶ会はどうだ?」と堀内に軽い口調で言ったが、「葬儀は盛大にやるから」と言われ「俺たちって何て楽観的なんだ」と大笑いしたと、存命時のインタビューで語っていた[2]

ケンユウオフィスは、たてかべの死後も「永劫所属」という扱いで、たてかべのプロフィールを残している。

その他の逸話

プロ野球では大の阪神タイガースファンである。『ヤットデタマン』の主役ロボの名前が「大巨人」になった際、激怒し降板を示唆したことがあった。たてかべを引き留めるためにあえなく「大巨神」に名前を変えた、という逸話が残っている。

後任

たてかべの死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任 役名 概要作品 後任の初担当作品
石井康嗣 ビッグ・ハンド 怪物くん』第2作 『CR怪物くん デーモンの剣』
辻親八 マックス・テニスン ベン10 『ベン:10』
三宅健太 三悪の怪力男 タイムボカンシリーズ CRヤッターマン
龍田直樹 ドラチビ チキチキマシン猛レース チキチキマシン猛レース!

出演

太字はメインキャラクター。

テレビアニメ

1964年
1966年
1967年
1968年
  • 怪物くん(ドクター・イエス)
  • 佐武と市捕物控(まむし、八五郎、源次、銀次、権次、六助、瓦版売り、伝八親分、番太、浪人、大五郎、菅六、おやじ、越前屋、番頭、先達、弥助、竜達、源太、伍助、房造、家老、喜助 他)
  • ファイトだ!!ピュー太(ドロネコ、予想屋、医者)
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1986年
1988年
1990年
1998年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2008年
2009年
2011年
2012年
2015年

劇場アニメ

1966年
1971年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2009年
2010年

OVA

ゲーム

1992年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2007年
2008年
2011年
2012年
2019年

吹き替え

洋画

海外ドラマ

海外アニメ

特撮

CD

CM

ジャイアンの声で出演

声の出演

テレビドラマ

映画

  • ヤッターマン(実写映画版)(どくろ鮨の客)※アニメ版監督の笹川、ドロンジョ役の小原と共に顔出し出演

テレビ番組

舞台

  • 爆笑活劇 パタリロ西遊記2007年(釈迦

その他コンテンツ

著書

演じた人物

脚注

注釈

  1. ^ 現在も「永劫所属」の形で公式サイトにプロフィールが掲載されている。
  2. ^ エンドクレジットでは「たてかべ和哉」と誤表記。

出典

  1. ^ 『声優事典 第二版』キネマ旬報社、1996年、176頁。ISBN 4-87376-160-3 
  2. ^ a b c d e f g h スキルス胃がんの手術後も声優業を精力的に続ける声優界のベテラン、 たてかべ和也さん 「人ありてこそ、我あり」の姿勢が、がんを追い払う強運をもたらした | がんサポート 2017年2月22日閲覧
  3. ^ a b c たてかべ和也:Tatekabe Kazuya 株式会社ケンユウオフィス”. 2020年4月28日閲覧。
  4. ^ 『日本タレント名鑑 2012』、231頁、株式会社VIPタイムズ社、2012年、ISBN 978-4904674031
  5. ^ a b 初代ジャイアン役、たてかべ和也さん死去,日刊スポーツ,2015年6月19日
  6. ^ たてかべ和也 - プロフィール - Yahoo!人物名鑑”. 2013年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月28日閲覧。
  7. ^ a b c 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、90頁。 
  8. ^ 【アメリア】みんなで作るインタビュー6・小林清志さん紹介編 2017年2月22日閲覧
  9. ^ 『出演者名簿(1978年版)』著作権資料協会、1977年、286頁。 
  10. ^ ぷろだくしょんバオバブ 会社概要 2017年2月22日閲覧
  11. ^ 声優になる!マガジン こおろぎさとみインタヴューvol.3 2017年2月22日閲覧
  12. ^ a b c d 吹替の帝王 -日本語吹替版専門映画サイト-| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント『ホーム・アローン』矢島晶子インタビュー 2017年2月22日閲覧
  13. ^ 吹替の帝王 -日本語吹替版専門映画サイト-| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント『ホーム・アローン』折笠愛インタビュー 2017年2月22日閲覧
  14. ^ 水田わさびの声優道 1| 先輩から学ぼう! | 声優グランプリweb 2021年3月16日閲覧
  15. ^ 声優になる!マガジン高木渉インタビューVol.2 2017年2月26日閲覧
  16. ^ 高木渉の声優道 1| 先輩から学ぼう! | 声優グランプリweb 2017年2月26日閲覧
  17. ^ ジャイアンを担当して四半世紀、たてかべ和也に聞く。 | Narinari.com 2017年2月26日閲覧
  18. ^ 「ジャイアン」の声優・木村昴とたてかべ和也「涙を流しながら、何度も何度も乾杯した」,J-CASTテレビウォッチ,2014年8月11日
  19. ^ INTRO | 芝山努監督インタビュー:「ドラえもん映画祭」開催によせて 2017年2月26日閲覧
  20. ^ 過去の受賞作品”. 日本映画批評家大賞. 2017年2月22日閲覧。
  21. ^ 東京国際アニメフェアで功労賞発表 (3/24)”. アニメ!アニメ! (2007年3月24日). 2017年2月22日閲覧。
  22. ^ a b さらばジャイアン 声優・たてかべ和也さん80歳で死去”. スポーツ報知 (2015年6月20日). 2015年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月20日閲覧。
  23. ^ たてかべさんを「ドラえもん」で追悼 番組冒頭にテロップ”. gooニュース (2015年6月19日). 2015年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月19日閲覧。
  24. ^ たてかべ和也さん逝去について Archived 2015年6月23日, at the Wayback Machine.テレビ朝日 2015年6月19日
  25. ^ 現ジャイアン木村昴「俺さまに任せてください」 日刊スポーツ 2015年6月20日
  26. ^ 水田わさび、たてかべさんに感謝 朝日新聞デジタル 2015年6月21日
  27. ^ 神谷明、たてかべ和也さん悼む…「兄弟のように接していただいた」 スポニチアネックス 2015年6月19日
  28. ^ さようなら、ジャイアン たてかべ和也さん死去に大物声優から悲しみの声続々 J-CASTニュース 2015年6月19日
  29. ^ たてかべさんのご冥福を心からお祈りいたします。 藤子・F・不二雄ミュージアム公式ブログ 2015年6月19日
  30. ^ かないみかTwitterより
  31. ^ a b “ジャイアン”通夜に仲間が続々参列 デイリースポーツ 2015年6月23日
  32. ^ a b たてかべ和也さん通夜は「楽しく送ってあげたい」と献杯に…日本代表する声優らが供花 News Lounge 2015年6月23日
  33. ^ 堀内賢雄 たてかべ和也さんは「私にとって日本一の師匠でした!」【通夜あいさつ全文】 News Lounge 2015年6月23日
  34. ^ たてかべさん葬儀 スネ夫が絶叫弔辞 デイリースポーツ 2015年6月24日
  35. ^ スネ夫が「ジャイアーン!」たてかべ和也さん葬儀 日刊スポーツ 2015年6月24日
  36. ^ スネ夫、最後の別れ「ジャイアーン!」…たてかべさん葬儀・告別式 Archived 2015年6月24日, at the Wayback Machine. スポーツ報知 2015年6月24日
  37. ^ 海賊王子”. 東映アニメーション. 2016年6月16日閲覧。
  38. ^ 新造人間キャシャーン”. メディア芸術データベース. 2017年3月4日閲覧。
  39. ^ はじめ人間ギャートルズ”. メディア芸術データベース. 2016年11月6日閲覧。
  40. ^ タイムボカン”. メディア芸術データベース. 2016年10月4日閲覧。
  41. ^ まんが 花の係長”. トムス・エンタテインメント. 2016年6月20日閲覧。
  42. ^ ヤッターマン : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月6日閲覧。
  43. ^ タイムボカンシリーズ ゼンダマン”. メディア芸術データベース. 2017年1月22日閲覧。
  44. ^ ゴールドライタン”. メディア芸術データベース. 2016年11月4日閲覧。
  45. ^ タイムボカンシリーズ ヤットデタマン”. メディア芸術データベース. 2016年10月8日閲覧。
  46. ^ タイムボカン2000 怪盗きらめきマン”. タツノコプロ. 2016年6月11日閲覧。
  47. ^ 松本零士 オズマ”. メディア芸術データベース. 2016年8月16日閲覧。
  48. ^ ドラえもん のび太と竜の騎士”. メディア芸術データベース. 2016年9月20日閲覧。
  49. ^ ドラえもん のび太と翼の勇者たち”. メディア芸術データベース. 2016年8月12日閲覧。
  50. ^ ドラえもん のび太とロボット王国”. メディア芸術データベース. 2016年10月30日閲覧。
  51. ^ ドラえもん のび太とふしぎ風使い”. メディア芸術データベース. 2016年10月2日閲覧。
  52. ^ 『PROJECT X ZONE(プロジェクト クロスゾーン)』強力なライバルたち!”. ファミ通.com. 2012年8月29日閲覧。

外部リンク