「ジョーズ」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
8行目: | 8行目: | ||
| alt = |
| alt = |
||
| caption = {{仮リンク|ロジャー・カステル|en|Roger Kastel}}がデザインした劇場用ポスターのイメージ |
| caption = {{仮リンク|ロジャー・カステル|en|Roger Kastel}}がデザインした劇場用ポスターのイメージ |
||
| 監督 = [[スティーヴン・スピルバーグ]]<ref>[https://movie.jorudan.co.jp/cinema/37774/ ジョーズの上映スケジュール・映画情報|映画の時間]</ref><ref>[https://eiga.com/movie/45574/ ジョーズ : 作品情報 - 映画.com]</ref> |
| 監督 = [[スティーヴン・スピルバーグ]]<ref>[https://movie.jorudan.co.jp/cinema/37774/ ジョーズの上映スケジュール・映画情報|映画の時間]</ref><ref>[https://eiga.com/movie/45574/ ジョーズ : 作品情報 - 映画.com]</ref><ref>[https://www.allcinema.net/cinema/10911 映画 JAWS/ジョーズ (1975)について 映画 ... - allcinema]</ref> |
||
| 製作 = {{Plainlist| |
| 製作 = {{Plainlist| |
||
* [[リチャード・D・ザナック]] |
* [[リチャード・D・ザナック]] |
2021年4月16日 (金) 07:58時点における版
ジョーズ | |
---|---|
Jaws | |
ロジャー・カステルがデザインした劇場用ポスターのイメージ | |
監督 | スティーヴン・スピルバーグ[1][2][3] |
脚本 | |
原作 |
ピーター・ベンチリー ジョーズ |
製作 | |
出演者 | |
音楽 | ジョン・ウィリアムズ |
撮影 | ビル・バトラー |
編集 | ヴァーナ・フィールズ |
製作会社 |
|
配給 | ユニバーサル・ピクチャーズ |
公開 |
1975年6月20日 1975年12月6日 |
上映時間 | 124分[5] |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | 900万ドル |
興行収入 | 4億7,200万ドル |
配給収入 | 50億500万円[6] |
次作 | ジョーズ2 |
『ジョーズ』(原題:Jaws)は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1975年のアメリカ映画。原作は1974年に出版されたピーター・ベンチリーによる同題の小説[注釈 1]。『JAWS/ジョーズ』と表記されることもある。とある避暑地の海辺の町において海水浴客を襲う巨大な人食いホオジロザメをブロディ署長(ロイ・シャイダー)、若い海洋生物学者フーパー(リチャード・ドレイファス)、プロのサメハンターのクイント(ロバート・ショウ)の3人が狩ろうとする海洋アクション・スリラー。マーレイ・ハミルトンが市長を、ロレイン・ゲイリーがブロディ夫人を演じる。脚本は原作者のベンチリーと俳優のカール・ゴットリーブ。なお、タイトルの「Jaws」とは顎の意味[7]。
主にマサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤード島で撮影が行われた本作は、海で撮影された最初の大型映画であり、その結果、機械仕掛けのサメは頻繁に故障するなど、製作中に様々な問題に見舞われ、予算とスケジュールを大幅に超過した作品であった。しかし、スピルバーグはサメの模型が使えないがゆえにサメを直接見せない形に切り替え、サスペンス性を高めた。また、サメの存在を暗示するジョン・ウィリアムズが作曲した独特の不気味で不吉なテーマもよく知られる。こうした暗示的なアプローチはアルフレッド・ヒッチコックの作品とよく比較される。ユニバーサル・ピクチャーズは、当時の大型スタジオ映画としては異例であった封切り時点での450スクリーン以上に及ぶ大規模な劇場公開を行い、テレビ広告やタイアップ商品に重点を置いた大規模なマーケティングを展開した。
『ジョーズ』は映画史における分岐点となる夏の超大作映画の原型となり、音楽や編集でアカデミー賞を始めとするいくつかの賞を受賞した。1977年の『スター・ウォーズ』の公開まで世界最高興行収入記録を保持し、1982年の『E.T.』の公開までは日本最高興行収入記録作品であった[8]。『ジョーズ』は、2年後に公開される『スターウォーズ』と共に、高い興行収入を追求したシンプルでハイコンセプトのアクション映画やアドベンチャー映画として、大々的に宣伝を行い、夏の間に何千もの劇場で公開されるという、現代におけるハリウッドのビジネスモデルを確立する上で極めて重要な役割を果たした。本作の公開後にはスピルバーグもベンチリーも関わらない続編3作と多くの模倣映画が製作された。2001年には米国議会図書館によって、アメリカ国立フィルム登録簿に「文化的、歴史的、または美的に重要」として保存されることが決定した。
プロット
アメリカ東海岸に位置する穏やかな町・アミティ島。夕暮れ、ビーチパーティの参加者の1人であった若い女性クリッシーが1人で薄暗い海で泳いでいると、突然、何かに襲われ、そのまま水中に引き込まれて行方不明となる。翌朝、昨年にニューヨーク市警からアミティに赴任してきた警察署長のマーティン・ブロディは、浜辺に女性の死体の一部が打ち上げられたと連絡を受ける。検死の結果、サメの可能性が高いと聞いたブロディはすぐにビーチを閉鎖しようとするが、ボーン市長ら町の有力者たちは町にとって夏の観光収入は大事だと説いて反対する。結局、閉鎖はされず、検死報告書も市長の意を受けてボートのスクリュー事故に書き換えられてしまう。その結果、数日後に今度は昼間に大勢の目の前で一人の少年アレックス・キントナーがサメの犠牲になり、人喰いザメの存在が町に知れ渡る。
少年の両親は息子の仇を取るためにサメに3,000ドルの懸賞金を掛けようとする。ブロディは混乱をもたらすとして反対しようとするが、逆にサメの被害を知っていたのに適切な措置を取らなかったとキントナー夫人から責められる。また、地元のプロのサメ・ハンターであるクイントは、懸賞金額が低くサメを舐めていると侮蔑し、10,000ドルでなければ動かないと宣言する。結局、懸賞金に釣られて町の人間のみならず、島外からも素人のハンター達が押し寄せてくる。ブロディは、海洋研究所に依頼してサメの専門家を派遣してもらうように手配し、そこでやってきた若い海洋学者マット・フーパーは、クリッシーの遺体の傷口から、標的はかなり大型のサメだと指摘する。その中で、ハンターの1人によって2メートルを超える大型のサメが捕らえられる。ボーン市長を始めとして町の住人達は詳しく確かめもせず、このサメが犯人に違いないと言い、1年で最も書き入れ時の独立記念日の祝日には間に合ったことに安堵する。しかし、フーパーは冷静にこれがイタチザメであることや、女性を襲ったサメはもっと大きいことを指摘するも、誰も聞き入れない。夜半、ブロディとフーパーはこっそりとイタチザメの腹を捌き、人喰いザメでないことを確認する。そして、フーパーの調査船で2人は海に出て真の標的を探そうとするが、その中でサメ狩りに熱心であった地元漁師ベン・ガードナーの船を発見する。スキューバダイビングスーツを着たフーパーは船を調査し、ホオジロザメの巨大な歯を発見し、これが自分たちが探している人喰いザメだと確信する。ところが、直後に発見したガードナーの死体に驚き、証拠となる歯は落としてしまう。
翌7月4日(独立記念日)。ブロディとフーパーは改めてボーン市長に閉鎖を求めるが、証拠の歯を無くしたこともあり信じてもらえず、浜辺には地元民やたくさんの観光客が集まる。そこにサメが現れ、再び犠牲者が出る。ブロディはボーン市長にクイントを10,000ドルで雇うことを要請し、今度は市長も自分の息子も浜辺にいて恐怖を感じたことなどを挙げて要請を認める。依頼を受けたクイントは、ブロディとフーパーも同船することを渋々認めつつ、あくまで自分が船長で、サメ狩りのプロであり、自分の命令は絶対に聞くように言い、横柄な態度を取る。
クイントが所有するオルカ号で海に出た3人であったが、クイントは終始フーパーを若造と言い放って軽んじ、フーパーもまたクイントに反発するなど、3人の関係は険悪なものとなる。やがて3人の想定を超えた、体長25フィート(約7.6メートル)、重さ3トンはあろう巨大なサメが海上に顔を出す。クイントはブイ代わりの樽がロープで結ばれたスピアガン(弾ではなく銛を発射する銃)を撃ち込むも急所を外し、巨大ザメの方も銛を打ち込まれたままその異様な怪力と体力で樽ごと海中に沈み、逃げ切る。
夜。3人は船内で酒を飲みながら互いの傷を見せ合い打ち解ける。その中でクイントは自分が第二次世界大戦末期の沈没した軍艦インディアナポリスの生き残りであり、海に投げ出された同僚たちが集まってきたサメ達に喰われ殺されていった過去を打ち明ける。すると、密かに戻ってきていたサメが船体に激しく体当たりを始める。船底から浸水する中でサメとの攻防戦が始まり、エンジンルームに被害が出る。未だ樽がサメに付いたままであることを確認した3人はそれを目印に銃器で応戦するが、再びサメはどこかへと消えてしまう。
夜が明けると再びサメがやってくる。ブロディは沿岸警備隊に無線で救助を求めようとするが、サメとの勝負に拘るクイントは無線を破壊してしまう。サメとの攻防は一進一退であり、クイントがスピアガンでさらに樽の付いた銛を撃ち込んだり、ブロディが拳銃でサメにダメージを与えるものの、その異様な怪力と体力に3人は翻弄される。船尾にロープで固定してサメをそのまま曳航しようとする策も、サメの怪力の前に逆に船が危うくなり逃してしまう。クイントはサメを浅瀬に誘導する策を取り、サメが船を追う形となるが、浅瀬に着く前に過負荷で船のエンジンは完全に故障してしまう。
ゆっくりと沈み始めたオルカ号の甲板上で3人は起死回生の策を練る。ダイビングスーツを着たフーパーはサメに耐性のある檻に入って、そこからサメに猛毒のストリキニーネを直接注射して殺そうと試みる。サメは予想以上に檻を激しく攻撃し、フーパーは危機に陥るも機転を利かせて岩陰に隠れ、窮地を脱する。海上に出たサメは、沈みゆくオルカ号を激しく攻撃し、甲板からズリ落ちたクイントを食い殺す。ブロディもまた危機に陥る中でスキューバタンク(空気ボンベ)をサメの口に詰め込む。甲板は完全に沈み、海上にわずかに突き出たマストに陣取ったブロディは、自分を食うべく迫ってきたサメの口内のボンベを狙ってライフルを撃つ。ボンベの破裂によってサメの頭部は吹き飛びブロディは生き延びる。そこにフーパーも海上に浮上し、互いの生存を喜び合う。2人は船の残骸を浮き輪代わりにして、島へと泳いで帰る。
製作
企画
ユニバーサル・ピクチャーズのプロデューサーであったリチャード・D・ザナックとデイヴィッド・ブラウンは、ブラウンの妻であるヘレン・ガーリー・ブラウンが編集長を務めていたライフスタイル雑誌『COSMOPOLITAN』の文学コーナーで、偶然にも、まだ出版前であるピーター・ベンチリーの小説『ジョーズ』(1974年)のことを知った。そこにはプロットの詳細な説明が書かれており、最後に担当者による「良い映画になるかもしれない」というコメントで締めくくられていた[9][10]。2人は一晩かけて、この本を読み、翌朝には「今まで読んだ本の中で最も刺激的なもの」として、どうやって映像化できるかわからないが、とにかく映画化したいという考えに至った[11]。出版される前年の1973年に2人は約17万5000ドル(2018年現在で99万ドルに相当)で映画化権を購入した[12]。ブラウンは、もし自分たちが2回読んでいたら、特定のシークエンスの映像化の難しさを理解し、映画化はしなかっただろうと語っている[13]。
ザナックとブラウンは当初、『老人と海』(1958年)などの海洋冒険映画を手掛けたベテラン監督のジョン・スタージェスに監督を依頼することを検討していたが、結局、前年に『男の出発』で監督デビューしたばかりのディック・リチャーズに正式にオファーを出した[14]。ところが、リチャーズがサメをクジラと呼ぶ癖に苛立ち、すぐに降板させた[14]。一方、このプロジェクトに非常に興味を持っていたのがスティーブン・スピルバーグであった。当時26歳のスピルバーグは、ザナックとブラウンがプロデュースした『続・激突!/カージャック』で初の劇場映画の監督を務めたばかりであった。オフィスでのミーティングの終わりにまだ出版されていない原作小説のコピーを見つけたスピルバーグは、それを読んですぐに虜になった[12]。後にスピルバーグは、自身が監督を務めた1971年のテレビ映画『激突!』との類似点を挙げている[11]。また、2012年に発売されたDVDドキュメンタリー『The Making of Jaws』ではトラックが破壊された時の音をサメの断末魔の咆哮として再利用し、『激突!』を直接参照したことを明かしている。リチャーズの離脱後、『続・激突!/カージャック』公開前の1973年6月に、プロデューサー達はスピルバーグに監督を任せることを正式に契約した[14]。
製作が始まる前、スピルバーグは「トラックとサメの監督」というイメージを持たれることを恐れて、『ジョーズ』に消極的になっていた[15]。スピルバーグは、20世紀フォックスが進めていた『ラッキー・レディ』への移籍を希望したが、ユニバーサルは契約に基づいて拒否権を行使した[16]。ブラウンは「『ジョーズ』の後にはやりたい映画を何本も作れる」と言い、スピルバーグを説得した[15]。本作には350万ドルの予算と55日間の撮影スケジュールが与えられた。主な撮影は1974年5月に開始される予定であり、ユニバーサルとしては主要スタジオと映画俳優組合との契約が切れる6月末までに撮影を終わらせたいと考えていた[17]。
脚本
映画化に際してスピルバーグは原作の基本プロットは維持したいと考えていた一方で、サブプロットの多くはカットした[12]。スピルバーグは原作で一番好きな部分は最後の120ページに渡るサメ狩りのシーンだと公言し、仕事を引き受けた際にもザナックに「第1、2幕は変更してオリジナル脚本をベースにし、第3幕が原作に忠実であれば、この映画をやりたい」と話したという[18]。ザナックらが映画化権を購入した時、脚本の初期草稿についてはベンチリーに依頼することを約束していた[12]。これは全米脚本家組合によるストライキの可能性が高まっていたことを踏まえてものであり、彼は組合員ではなかったからである[19]。ベンチリーは他の脚本家の手が入らない段階で全体で3つのドラフト版を書き[12]、最終稿をスピルバーグにわたすと「ここまでが私のベストだ」と宣言した[20]。後にベンチリーは映画の完成版に対する自分の貢献度を「ストーリーラインと海洋ものである点、そして機械類ぐらいだ」と話し、「登場人物たちのテクスチャーをどうやって脚本に落とし込めばいいのかよくわからなかった」と述べている[19]。この初期稿における原作からの変更点はエレン・ブロディとマット・フーパーの不倫劇の削除であり、これはオルカ号での男たちの友情エピソードを危うくする恐れがあるというスピルバーグからの提案を踏まえたものであった[21]。また、製作中には端役のリポーター役としてベンチリーが出演することが決まった[22]。
ベンチリーの脚本の登場人物ではまだ好感が持てないと感じたスピルバーグは若手の脚本家であるジョン・バイラムにリライトを依頼したが、断られた[15]。刑事コロンボの脚本家であったウィリアム・リンクとリチャード・レビンソンもスピルバーグの依頼を断った[23]。こうして他の脚本家探しが行われた中で、ロサンゼルスにいた、トニー賞とピューリッツァー賞の受賞経験がある劇作家のハワード・サックラーが、クレジットされないリライトのオファーを受けた[11]。スピルバーグの提案で、ブロディは水を恐れる設定が追加された。彼は「マサチューセッツに近い穏やかな島の沖合で何かかなり恐ろしいものを見つけるため、都会のジャングルからやってきた」となった[19]。
スピルバーグは作品に「ある程度の軽快さ」を求め、決して「暗い作風の海での狩猟劇」にしないために、友人のコメディ作家兼俳優であるカール・ゴットリーブ(当時の人気シットコム『おかしな二人』で活躍していた)にも協力を求めた[20]。スピルバーグは彼に脚本を送り、脚本家としてどう変更点を加えるか、また、出演したい役柄はあるかと尋ねた[24]。これに対してゴットリーブは3ページほどのメモを送り返した上で、政治家とコネがある地元紙の編集者メドウズ役を希望した。そしてオーディションに合格した1週間後にはスピルバーグは彼をプロデューサーに引き合わせ、脚本修正の仕事を依頼した[25]。
ゴットリーブとの脚本に関する契約は、当初、台詞のブラッシュアップで、期間も1週間ほどであったが、9週間にわたる主要な撮影期間中にも脚本全体の書き直しを行い、最終的には本作における主脚本家の一人という扱いに変わった[25]。各シーンの脚本は基本的にその撮影の前夜に完成したが、これはゴットリーブがスピルバーグやキャスト、撮影クルーたちとの夕食を共にした後に修正が行われていたためである。多くの会話シーンは、これら食事中の俳優たちの即興劇が基であり、またいくつかは撮影セットの中で作られていった。さらにジョン・ミリアスが台詞のブラッシュアップを担当し[26]、シュガーランド・エクスプレスのライターであるマシュー・ロビンスとハル・バーウッドもノンクレジットだったが脚本に貢献している[27]。どの程度、脚本家たちに採用されたかは不明だが、スピルバーグは草稿は自分が作ったと主張している[26]。この中で、彼が要求した具体的な変更点の1つは、サメの死因を大量の傷からスキューバタンクの爆発に変更するというものであり、「派手なエンディング」の方が観客の反応が良いと考えたためであった[28]。スピルバーグは脚本の完成稿には原作にない約27のシーンがあったとしている[21]。
ベンチリーは、1964年にスポーツフィッシングのフランク・マンダスが巨大なサメを捕獲した記事を読んで『ジョーズ』を書いた。ゴットリーブによればクイントの設定はだいたいにおいてマンダスを基にしており、執筆にあたって読んだ『Sportfishing for Sharks』を参考にしたという[29]。サックラーはクイントのバックストーリーとして第二次世界大戦におけるインディアナポリスの遭難事故の生存者である設定を盛り込んだ[30]。インディアナポリスにまつわるクイントの独白(モノローグ)の部分を書いた脚本家は誰かという点はかなりの論争となった。スピルバーグはサックラーとミリアス、そしてクイント役で劇作家でもあったロバート・ショウの共同制作だったという表現を用いた[26]。彼によればミリアスはサックラーの「4分の3ページ」のスピーチをモノローグに変え、それをさらにショウが書き直したと明かしている[30]。なお、ゴットリーブはミリアスの功績を軽視し、ショウが一番の功労者であったと称賛している[31][32]。
キャスティング
演者 | 役名 | |
---|---|---|
ロイ・シャイダー | マーティン・ブロディ署長 | |
ロバート・ショウ | クイント | |
リチャード・ドレイファス | マット・フーパー | |
ロレイン・ゲイリー | エレン・ブロディ | |
マーレイ・ハミルトン | ラリー・ヴォーン市長 | |
カール・ゴットリーブ | メドウズ | |
ジェフリー・クレイマー | ヘンドリックス保安官代理 | |
スーザン・バックリニー | クリッシー・ワトキンス | |
リー・フィエロ | キントナー夫人 | |
ピーター・ベンチリー | リポーター |
ザナックとブラウンの要望に応じて、スピルバーグは既知の俳優をキャスティングしたが[22]、大物俳優の起用だけは避けようとしていた。スピルバーグは「やや無名の」俳優を起用することで観客にとって身近な出来事だと認識させる狙いがあり、逆にもし大物俳優を起用すれば、その代表作のイメージもつきまとい物語を破綻させる恐れがあると懸念したためであった[27]。スピルバーグの狙いとしては「スーパースターはサメになる」というものだった[20]。最初にキャスティングされたのは、エレン・ブロディ役のロレイン・ゲイリー(当時のユニバーサル社長シド・シャインバーグの妻)[22]とアミティ島の市長役のマーレイ・ハミルトンであった[33]。スタントウーマンから女優に転身したスーザン・バックリニーは、彼女が泳げてヌードになることも厭わなかったために、最初の犠牲者であるクリッシーにキャスティングされた[20]。ほとんどの端役は、映画の撮影が行われたマーサズ・ヴィニヤード島の住民たちをエキストラして雇ったものであった。その一例が、ヘンドリックス保安官代理を演じた、後にテレビプロデューサーとなるジェフリー・クレイマーである[34]。また、2番目の犠牲者となった少年アレックス・キントナー(ジェフリー・ヴォルヒーズ)の母親であるキントナー夫人を演じたのも島の演劇講師であったリー・フィエロだった[35]。
主人公ブロディ役は当初ロバート・デュバルがオファーされたが、彼はクイント役にしか興味を示さなかった[36]。チャールトン・ヘストンはブロディ役に興味を示したが、スピルバーグは安穏とした街の警察署長をヘストンが演じるには、映画の登場人物として威厳がありすぎると感じた[37]。最終的にロイ・シャイダーに決まった経緯についてスピルバーグはインタビューで、友人宅のパーティで文字通りソファに座ってコカコーラを片手に「ジョーズ」のことで頭を悩ませていたところ、特別な面識は無かったシャイダーに話しかけられ、キャスティングが難航していることを明かしたという。するとシャイダーが「自分では駄目か?(What about ME?!?)」と聞いてきたと述べ、そこでオファーを出したところ、その場で台本も見ずにOKを出してくれたと語っている[30]。また、メイキングドキュメンタリーによれば、パーティでスピルバーグが脚本家とサメがボートに飛び乗るシーンの話をしているのを聞いたシャイダーが本作に興味を持ったのがきっかけだったという[22]。こうしてブロディ役にはシャイダーが採用されたものの、当初スピルバーグは彼が『フレンチ・コネクション』で演じたような「タフガイ」となることを懸念していた[36]。
制作開始の9日前の時点では未だクイントもフーパーもキャスティングされていなかった[38]。クイント役についてはリー・マーヴィンとスターリング・ヘイドンにオファーが出されていたものの、2人に断られてしまった[22][36]。ザナックとブラウンはちょうど『スティング』においてロバート・ショウとの仕事を終えたばかりで、彼をスピルバーグに提案してみた[39]。実のところショウは、脚本に難色を示し、オファーを受けることに消極的であったが、妻で女優のメアリー・ユーアと秘書の両方に促されて引き受けることにした。彼は「2人があんなに熱心だったのは『ロシアより愛をこめて』以来だったよ。そして彼女たちは正しかった」と回顧している[40]。またショウは役作りとして、地元の漁師ベン・ガードナーを演じた、ヴィニヤードの漁師かつ農園主で、かなりの風変わりな人物であったクレイグ・キングスベリーを参考にした[41]。スピルバーグもまたキングスベリーを「私の頭の中にあるクイントの純粋な姿」と評し、彼の発言のいくつかが、ガードナーとクイントのセリフとして脚本に組み込まれることとなった[42]。また、特に第3幕の海上が舞台でのクイントの台詞や拘りの一部は、ヴィニヤードの整備士でボート所有者でもあったリン・マーフィーの発言が用いられていた[43][44]。
フーパー役には、当初スピルバーグはジョン・ヴォイトを望んでいた[39]。ティモシー・ボトムズ、ジョエル・グレイ、ジェフ・ブリッジスも候補に挙がっていた[45]。その中で、スピルバーグの友人で『アメリカン・グラフィティ』の監督を務めたジョージ・ルーカスは、主人公のカートを演じたリチャード・ドレイファスを勧めた[22]。当初、ドレイファスは役を受けるつもりはなかったが、完成したばかりの『グラヴィッツおやじの年季奉公』の公開前試写会を観て考えを改めるに至った。ドレイファスは映画の出来に失望し、このままでは誰も自分を雇わなくなることを恐れ、慌ててスピルバーグに電話をかけ、オファーを受ける旨を伝えた[46]。この時点でスピルバーグが思い描いていた映画の内容は原作と大きく異なるために、彼はドレイファスに原作を読まないことをお願いした。こうしてフーパー役の決定と共に、脚本はドレイファスの人物像に合わせる形でリライトされ[38]、ドレイファスを「自分の分身」と捉えたスピルバーグの考えが反映されるような形となった[45]。
撮影
1974年5月2日[48]、ロングアイランド東部であることを考慮して、マサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤード島で撮影が開始された。後にブラウンは「サメの出現が観光ビジネスを破壊してしまうような低中流階級向けの保養地が必要だった」と説明している[49]。他にもマーサズ・ヴィンヤードが選ばれた理由として、周囲の海が海岸から12マイル (19 km)の間、35フィート (11 m)未満の遠浅の砂地の海底であったためであり、陸地が見えないところでも機械式のサメを動かすことが可能だった[50]。スピルバーグは水場のシーケンスにおいて、あたかも泳いでいる人の目線ようにクローズアップしていく撮影がしたかったために、撮影監督のビル・バトラーは潮の満ち引きに関係なくカメラを安定させるためのリグや、密閉された水中カメラボックスなど、海洋や水中での撮影を容易にするための新しい機材を考案した[51]。また、スピルバーグは美術部に風景や衣装から赤を避けるように指示し、これによってサメの攻撃時による血が唯一の赤となって、より大きなショックとなるように狙った[42]。
当初、プロデューサーたちはホオジロザメを訓練して撮影に用いることを検討していたが[53]、これはすぐに不可能であるとわかったため、3体のフルサイズの空圧式で稼動するサメの機械模型が製作された。このサメの模型はスピルバーグの弁護士ブルース・レイマーにちなんで、スタッフたちから「ブルース」と愛称された[54]。この3体の内1体は、腹部が無く全身に固定された300フィート(91メートル)の糸(line)で牽引できる「海ぞりサメ」、そして残りの2体はサメの側面を撮影するのに特化させたもので、撮影しない反対側に空圧ホースなどの制御機構が露出している「舞台サメ(platform sharks)」であった(左右それぞれ必要なため2体)[12]。このサメは1973年の第3四半期にアートディレクターのジョー・アルベスによってデザインされ、1973年11月から1974年4月にかけてカリフォルニア州サンバレーのRolly Harper's Motion Picture & Equipment Rentalで製作された。これには40人もの特殊効果技術者が参加し、監督には『海底二万哩』の巨大イカの製作でよく知られていた機械効果のスーパーバイザーであるボブ・マテイが務めた[55]。サメは完成した後、トラックで撮影現場に運ばれた。7月初旬、「舞台サメ」は撮影のため海中に降ろしている最中に落下し、ダイバーチームがそれを海底から引き上げる羽目になった[56]。このモデルは、すべての可動部分を制御するために14人のオペレーターを必要とした[46]。
『ジョーズ』は海で撮影された最初の大型映画であり[57]撮影はトラブルに見舞われて、大幅に予算超過してしまった。デイヴィッド・ブラウンは「予算は400万ドルで、撮影に900万ドルを費やした」と述べている[58]。機械のサメの問題だけで、特殊効果の支出が300万ドルに膨れ上がった[59]。不満を持つクルーは映画に「フローズ」(Flaws、"欠陥だらけ"の意)という渾名をつけていた[46][54]。スピルバーグは、こうした多くの問題の原因を、自分の完全主義と経験不足にあったとしている。前者は実際に等身大のサメを使って海で撮影することにこだわったことに象徴されている。「水槽やどこかの保全された湖で撮影することだってできたんだ。ただ、別物になってただろうけどね」と彼は言う[40]。また、経験不足については「基本的に海について世間知らずだった。母なる自然についてはかなり幼稚な認識で、そうした事象を征服できると考えた映画製作者の傲慢さは無鉄砲過ぎた。しかし、私がこの映画をノースハリウッドの水槽ではなく大西洋で撮影するように要求した時、それが無謀だと気づくには自分は若すぎた」と語っている[30]。ゴットリーブは「映画を作る以外には何もできなかった」と述べ、だから毎日、皆がオーバーワークだったとし、脚本家である彼は海のセットに毎日立ち会う必要はなかったが、帰ってきたクルーたちは「やつれ、日に焼け、風に吹かれて、海水を被っていた」という[19]。
海上での撮影は難航を極めた。不要なヨットが画面に入ってきたり、カメラがずぶ濡れになったり[42]、オルカ号が演者を乗せたまま沈み始めたりするなどのトラブルで撮影スケジュールは遅れていった[60]。悪天候や空圧ホース内への海水の侵入、耐水性不足による破損、皮膚の腐食、電気分解の発生などによってサメの模型の故障が頻発するトラブルにも見舞われた。最初の水性テストの時から、「非吸収性」だったはずのネオプレン素材の発泡体で作られたサメの皮膚は水を吸って膨張したり、海藻の森に絡まってしまうこともしばしばあった[40][56]。後にスピルバーグは、毎日12時間の作業スケジュールの中で、実際に撮影が出来たのは平均4時間ほどであったと推測している[61]。ゴットリーブは船のプロペラで首を切断しそうになったり、ドレイファスは鉄製の檻の中に閉じ込められそうになり[40]、また俳優たちは頻繁に船酔いしていた。ショウは税務上のトラブルでカナダに逃亡したり[62]、酒浸りになったり、『グラヴィッツおやじの年季奉公』の演技が称賛されていたドレイファスに嫉妬したりしていた[20][63]。スピルバーグは「良かった日は5つのシーンが撮影できたが、平均的には3つだった。悪い日には1つも撮影できなかった」とし、主要撮影期間中には編集のヴァーナ・フィールズが撮影フィルムをほとんど手にすることがなかったという[64]。
撮影が遅れたことで、いくつか有益なこともあった。脚本は撮影中に洗練されていき、また、サメの機械は信頼性が低く撮影にあまり使えないがゆえに、スピルバーグは実際にサメの姿を見せない、存在をほのめかすシーンを多用した。例えば、後半のサメ狩りのシーンでも、海上に浮かんだ黄色い樽のブイがサメの存在と位置を示していた[65]。冒頭でサメがクリッシーを襲うシーンも[20]、ケーブルでクリッシー役のバックリニーを引っ張り、海中に引きずり込まれるようなシーンに撮り直された[42]。スピルバーグはまた背びれだけを見せるショットも何度も取り入れている。外部条件で抑制せざるを得なかった演出は、結果として映画のサスペンス性を高めたと考えられている[65]。数年後にスピルバーグは「土曜の昼(マチネー)にやっている日本的なホラー映画から、ヒッチコックのような見せないスリラーになった」と自己評価している[46]。別のインタビューでは「サメが動かなかったのは天の恵みだった。おかげで私はレイ・ハリーハウゼンよりアルフレッド・ヒッチコックのようになれた」と語っている。また、「水中のサメが偽物に見えれば見えるほど、私の中の不安は演技の自然さを高めるように働きかけた」と語るほど、巨大ザメを観客に信じさせるために演技が非常に重要となった[30]。
本物のサメの映像は南オーストラリアのデンジャラス・リーフ沖でロン・テイラーと彼の妻ヴァレリーが撮影したものであり、これはミニチュアのサメ檻の中に背の低い俳優を入れることで、巨大なサメであるかのように錯覚させていた[66]。テイラー夫妻の撮影中には、本物のホオジロザメがボートと檻を襲ったことがあった。檻を攻撃する映像はあまりにも衝撃的なものであったため、スピルバーグはこの映像を映画に取り入れることに躍起となった。当時、檻の中には誰もいなかったことを踏まえて脚本は書き直されることとなり、本来は原作通りにサメに殺される予定であったフーパーは檻から脱出して、その後にサメが空の檻を破壊するという内容に変更され、ここにその映像が使用された[67][68]。製作部長のビル・ギルモアが言うように「オーストラリアのサメが脚本を書き直させ、ドレイファス演じるキャラクターを救った」[69]。
55日間の予定であった主要シーンの撮影は、開始から159日後の1974年10月6日までかかった[46][48]。スピルバーグは長引いた撮影を振り返り、「映画製作者としてのキャリアは終わったと思った。噂を聞いたんだ…… もう2度とあいつが仕事をすることは無いだろうって。だって、100日もオーバーして映画を撮った奴なんて他にいないから」と語っている[46]。サメが爆発するラストシーンにはスピルバーグは立ち会っていない。これは、撮影が終わった瞬間にクルーたちによって海中に投げ込まれると信じていたからであった[28]。これ以来、スピルバーグは映画の最後のシーンの撮影には立ち会わないのが恒例となっている[70]。その後、カルバーシティにあるメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの水槽で水中シーンが撮影され、サメが檻を襲うシーンではドレイファスの代役としてスタントマンのディック・ウォーロックとフランク・ジェームズ・スパークスが参加した他[71]、カリフォルニア州サンタカタリナ島付近でも撮影が行われた。サメ狩りまでの最初の3分の2のラフカットを完成させていたフィールズは、一部の素材を手直しして編集を終えたという。ザナックによれば「彼女はスティーブンがコメディ的に構成した部分を恐怖シーンに変えたり、あるいは恐怖シーンとして撮影した場面をコメディに作り変えてしまった」という[72]。「オルカ号」として撮影された船舶はロサンゼルスに移されたために、音響効果チームは船と水中シーンの両方の音を収録することができた[73]。
テスト上映の後に2つのシーンが変更された。観客たちの悲鳴が、シャイダーの「もっとデカい船が必要だ(You're Gonna Need a Bigger Boat)」の気を利かせたセリフに被ってしまったため、セリフの部分はサメが彼の背後に飛び込んだ後に移され、また音声のボリュームも上げられた[74][75]。また、スピルバーグは貪欲に「もう1つ悲鳴」が必要だと判断したが、ユニバーサルは再撮影の費用を拒絶した。そのため、スピルバーグは自腹で3,000ドルを用意し、フーパーがベン・ガードナーの遺体を発見したシーンを新たに撮影した。水中シーンは、カリフォルニア州エンシノにあるフィールズのプールで撮影され[76]、難破したボートの船体の中から見つかるクレイグ・キングスベリーの遺体は、彼の頭をくっつけたラテックス模型が用いられた[42]。また、マーサズ・ヴィニヤードの濁った海水を再現するため、プールには粉ミルクが流し込まれ、防水布で覆われた[19]。
音楽
サウンドトラック
本作において作曲を手掛けたジョン・ウィリアムズは、アカデミー作曲賞を受賞した。また本作の音楽は、2005年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが選出した映画音楽ベスト100の第6位にランク・インしている[77][78]。
メインの「サメ」のテーマは、2つの音符 (「EとF」とされる場合[79]と「FとF♯」とされる場合[80]がある) が交互に並ぶシンプルなパターンであり、迫りくる危機の代名詞として、サスペンス音楽における代表曲となった[要出典]。ウィリアムズはこのテーマが「あなたをバラバラにしてしまうだろう、サメがそうするように、本能的で・容赦なく・手のつけられないように」と描写した[81]。この曲を演奏したのはチューバ奏者のトミー・ジョンソンである。この曲は高音域で書かれているにも関わらず、より適した音域のフレンチ・ホルンを指定しなかったのはなぜか、とジョンソンに尋ねられたウィリアムズは、「もう少し脅迫的」に聞こえるようにしたかったからと述べている[82]。ウィリアムズが最初に自分のアイデアをピアノを使って、2つの音だけを弾いてスピルバーグに聴かせた時、彼は冗談だと思って笑ったと言われている。ジョーズと海賊映画の類似点を見たウィリアムズは、スコアの他のポイントでは「原始的だが、楽しくて愉快なもの」と呼べるような「海賊音楽」を連想させるようにした[83]。速く、パーカッシブな弦楽器の演奏を求めて、クロード・ドビュッシーの『海』や、イーゴリ・ストラヴィンスキーの『春の祭典』のような響きを含んでいる[80][84]。
メインテーマの意味と効果については様々な解釈があるが、このテーマは映画界で最も認知された曲の1つであると一般に評されている[85]。音楽学者のジョセフ・カンチェラーロは、2つの音符の表現がサメの鼓動を模したものという説を挙げている[86]。アレクサンドル・ティルスキーによれば、バーナード・ハーマンが『タクシードライバー』や『北北西に進路を取れ』、また特に『SF巨大生物の島』で作曲したテーマのように人間の呼吸を暗示しているという。彼はまた、スコアの最も強いモチーフは実は「分裂と破裂(the split, the rupture)」である ―クリッシーの死後に劇的にカットされるように―と指摘している[80]。音と静寂の関係は、観客がサメとテーマを関連付けさせるようにも工夫されており[81]、映画のクライマックスではこれを逆用し、音楽によってサメの登場を知らせず、突然サメが現れるという形が用いられる[85]。
後にスピルバーグは、ウィリアムズの音楽がなければ映画の成功は半分だっただろうと言い、ウィリアムズもまた本作が自分のキャリアを飛躍させたものだという[83]。ウィリアムズは以前、スピルバーグのデビュー作である『続・激突!/カージャック』でも音楽を担当し、本作の後もほとんどの作品でスピルバーグ作品の音楽を担った[81]。本作のオリジナル・サウンドトラックは1975年にLPでMCAレコードからリリースされ、1992年にはCDでリリースされた。これにはウィリアムズがアルバムのために編曲した約30分の音楽も含まれていた[87][88]。2000年には2つのバージョンでリリースがなされた。デッカ・レコード(ユニバーサル)は25周年記念DVDの発売に合わせて、51分に渡るオリジナルの全曲を収録したサウンドトラックを復刻した[87][88]。ヴァレーズ・サラバンド・レコーズのバージョンは、ジョエル・マクニーリーが指揮したスコットランドのロイヤル・スコティッシュ管弦楽団の演奏によるものを再録音したものであった[89]。
論題
参考にされた先駆者
ハーマン・メルヴィルの『白鯨』は、最も注目すべき『ジョーズ』の前身となる作品である。クイントの性格は、マッコウクジラ漁に人生を捧げるピークォド号のエイハブ船長に強く似ている。クイントの独白は、サメに対する同様の執着心を明らかにしており、オルカ号(シャチの意)という名前も、ホオジロザメの唯一の天敵にちなんで名付けられている。原作と初期脚本ではクイントの最期はエイハブの最期と同様に、彼の足に絡んだ銛のロープによって海中に引きずり込まれるというものである[90]。こうした直接的な引用を示すシーンは、クイントが映画版『白鯨』を観ているなど、スピルバーグによるドラフト版の脚本にはあった。しかし『白鯨』のシーンの流用は銀幕スターで、『白鯨』の著作権を保有していたグレゴリー・ペックから許可を得られなかった[11]。ゴットリーブは「ジョーズは…… メルヴィルやヘミングウェイのような巨大な闘争だ」と述べ、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』との類似点についても言及している[29]。
サメの視点から撮影された水中シーンは1950年代の2つのホラー映画『大アマゾンの半魚人』と『大怪獣出現』の一節と比較される[91][92]。また、ゴットリーブはサメをどのように描写するか、あるいは描写しないかについてそれと同じ50年代の2つのSF作品に影響を受けたことを明かしている[93]。1つは『遊星よりの物体X』であり、ゴットリーブは「最後のリールでしか怪物を見ることができない素晴らしいホラー映画」と述べている。もう1つは『それは外宇宙からやってきた』であり、「怪物は常に画面外におり、それゆえにサスペンスに仕上げっていた」と言う[94]。こうした先例はスピルバーグとゴットリーブが「サメ自体ではなく、サメの『効果』を見せることに集中する」のに役立った。トーマス・シャッツなどの学者は、『ジョーズ』が本来はアクション・スリラー映画であるにも関わらず、様々なジャンルを融合させていると説明している。大部分はホラー映画を参照しつつ、自然を基本において怪獣映画の核心を持ち、スラッシャー映画の要素も加えている。後半はオルカ号の乗組員同士の交流を描いたバディ映画であり、サメをほぼ悪魔的な脅威に見立てての描写は怪奇ホラー映画である[95]。イアン・フリーアは本作を水棲怪獣映画と表現し、『キングコング』や『ゴジラ』といった初期の怪獣映画からの影響を見ている[96]。1977年にはチャールズ・デリーも本作を『ゴジラ』と比較している[97]。実際にスピルバーグは、子供の頃に影響を受けた作品として『怪獣王ゴジラ』(1956年)を挙げており、その理由として「ゴジラが実際に存在していると信じさせた」という「天才的な」手法に言及している[98]。
ニール・シンヤードなどの批評家は、ヘンリック・イプセンの戯曲『民衆の敵』との類似性を述べている[99]。ゴットリーブは、彼とスピルバーグが本作のことを「モビィ・ディックが民衆の敵と出会う」と呼んでいたと述べている[100]。『民衆の敵』は、温泉が湧いた海辺の町において、観光資源にしようとする住民たちと対峙する、源泉が汚染されていることに気がついた医師を主人公としている。医者は住民たちに危険性を説明しようとするが、職を失い、迫害を受ける。このプロットは『ジョーズ』において、町の観光業にダメージのあるサメの存在を認めることを拒絶する市長とブロディの対立を彷彿とさせる。そして昼間の衆人環視の中で再びサメの襲撃が発生した時、ブロディの主張が認められる。シンヤードは本作を「ウォーターゲートとイプセンの演劇を完璧に組み合わせた」と評している[99]。
学術評論
『ジョーズ』は学術評論家からも注目を集めた。スティーブン・ヒースは、映画のイデオロギー的側面に関して、当時のウォーターゲート事件に関連付けている。彼は、「映画には(いたとしても一瞬だけで)一人の黒人も女性もおらず」、ブロディを「白人男性の中産階級」の代表とし、「恐怖と良識から生まれた平凡な男のヒロイズム」が公の秩序を回復する物語だとして批判する[101]。一方でヒースはイデオロギー的な内容分析を超えて、本作を「映画の楽しさ、それによって業界の永続性がもたらされる(これがジョーズの意味の一つである最も収益性の高い映画である理由)」から、売れる「工業製品」としての映画のシグナル例として考察する[102]。
アンドリュー・ブリットンは、本作を原作にあったウォーターゲート事件後のシニシズムと対比させ、原作からの改変点(フーパーの生存、サメの派手な爆死)が「共同体の悪魔祓いであり、イデオロギーの信頼を回復するための儀式」となっていることを示唆する。彼は悪そのものの破滅を示すサメの滅びへの大衆の歓喜を抜きには、この映画の経験は「考えられない」ものであると言う[103]。彼の見解ではブロディは「一人の正義に立った人間の個人的な行動が、社会変革のために実行可能な源になる」ことを実証するのに役立っているとする[104]。ピーター・ビスキンドは、この映画が、サメ以外の唯一の悪役が悪徳市長である限り、政治と政治家に関するウォーターゲート事件後のシニシズムを維持していると主張している。それでも彼は、この時代のアメリカン・ニューシネマの映画製作者たちがよく採用していた物語の形式(「私たち VS 彼ら」や「流行りのカウンターカルチャー VS "The Man" (権力者や当局を意味する俗語)」)とは異なり、『ジョーズ』では主人公たちが権力者と戦うのではなく、社会的あるいは経済的地位に関係なくすべての人々を標的とする脅威と戦うことになっていると指摘している[105]。
また、ブリットンは、映画がアミティ島での階級闘争という原作のテーマを避けていると指摘する[104]のに対し、ビスキンドは映画の中で描かれる階級区分に重要な意味を見出している。「権威は回復しなければならない」と彼は書くが、「しかしクイントの言葉ではない」。船乗りの「労働者階級のたくましさと中産階級の独立心は、異質でギョッとさせる…… 不合理で制御不能だ」。一方でフーパーは「経験よりも科学技術(テクノロジー)を連想させ、また自ら生み出したものではない相続した財産を持つ」。クイントほどではないにせよ、彼は決定的なアクションから疎外されている[106]。ブリットンはこの映画を「子供たちの脆弱性と、子供たちを保護し、またその必要性」に関心があると見なし、それが「家族生活に関する至高の価値についての広範的な感覚。すなわちイデオロギーの安定性と文化の継続性の価値」を生み出すのに役立っていると言う[107]。
フレドリック・ジェイムソンの分析においてはサメの多義性を強調し、それがどのように読み取ることができ、またまたどのように読み取られてきたのか ―共産主義や第三世界のような異質な脅威の象徴が現代アメリカでの生活の非現実性や空虚な試みに関する憂懼と親和性を見せることから死の認識を消毒や抑圧しているということまで― を論述する。彼はその象徴的な機能は、まさに「本質的には社会的・歴史的な不安であるものを、一見すると「自然」なものに折り畳み、生物学的存在と他の物との対立のように見せて再構築することを可能性にしているという点で、深くイデオロギー的な多義性を内包していること」にあると主張する。彼はブロディとフーパーの友情を「法と秩序の力と、多国籍企業という新しいテクノクラートとの間の同盟を示す寓話…… 観る者たちは、そこから自分が除外されていると理解せずに喜んでいる」と説き[108]、クイントの終焉(demise)に古く大衆主義的なニューディール・アメリカの象徴的な転覆を見出す[109]。
ニール・ガブラーは本作を、障害を解決するために3つの異なるアプローチがあることを示しているという。すなわち、科学(フーパー)、精神論(クイント)、そして一般人(ブロディ)である。この中で成功したものは最後のものであり、それがこの映画が支持されている理由だと結論づけている[110]。
映画神経症の発症事例
映画の上映期間中、17歳女性の観客が映画神経症を発症させたと言われている(この一例のみ)[111]。映画神経症とは、映画鑑賞後に精神的な健康障害やあるいは既存の精神的な健康障害を悪化させた症例を指す[112]。症状は最初に睡眠障害や不安症として現れたが、ある日から患者は「サメ!サメ!」と叫び、痙攣を起こすようになった[113]。
この事例研究により、視聴者にストレス反応を引き起こした本作は1973年の映画『エクソシスト』と並んで医学界で注目されるようになり、後にブライアン・R・ジョンソンの研究において使用され、映画がストレス誘発剤として視聴者にどれほどの影響を与えるかテストを行った[114]。この研究では一般人の一部の集団にストレスが誘発される可能性があることがわかり、『ジョーズ』は特に視聴者にストレス反応を起こさせた。ジョンソンは、サスペンスであれ、ゴア表現であれ、音楽の演出であれ、具体的に何が視聴者のストレス反応を引き起こすかまでは突き止めることができなかったが、1986年のG.スパークスが行った研究では、ジョーズを含む特に暴力的な映画は、観客に最も激しい反応を引き起こさせる傾向があるという[115]。
公開
マーケティング
ユニバーサルは『ジョーズ』のマーケティングに180万ドルを費やし、この中には前例のない70万ドルを掛けた全国テレビのスポット広告も含まれていた[47][116]。この大々的なメディア・キャンペーンは、1975年6月18日から映画公開日の2日後まで、ネットワーク放送において毎晩ゴールデンタイムに約2ダースの30秒の広告を流すというものであった[117]。映画業界の専門家であるシアーレ・コッホバーグの説明によれば、ユニバーサルによる、この映画のマーケティングは「非常に革新的な計画を発案し、実施した」という[117]。最も初期の段階では1974年10月時点において、ザナック、ブラウン、ベンチリーが、テレビやラジオのトークショーに出演し、小説の文庫版や公開予定の映画についての宣伝を行った[118]。映画スタジオと出版社バンタムは、ペーパーバック版と映画の広告に共通のタイトルロゴを使うことに合意した[117]。共同マーケティング戦略の中心となったのは、ジョン・ウィリアムズの作曲したテーマ曲と、一人きりの女性スイマーに近づくサメを描いたポスターのイメージであった[59]。ポスターはペーパーバック版の表紙がベースになっており、同じアーティストであるバンタム社の社員ロジャー・カステルが起用された[119]。代表のトニー・サイニガーは、「何をやっても怖さが足りなかった」と述べている。サイニガーは最終的に「サメの歯が見えるようにするため、サメの腹から写す形」に決めた[120]。
映画の公開を機により多くのグッズも製作された。1999年、グレーム・ターナーは『ジョーズ』について「かなり手のこんだタイアップ商品の数々があった」とし、具体的に「サウンドトラックのアルバム、Tシャツ、プラスチック製のタンブラー、メイキング本、原作小説、ビーチタオル、毛布、サメのコスチューム、サメのおもちゃ、ホビーキット、iron-transfers、ゲーム、ポスター、サメの歯のネックレス、寝間着、水鉄砲など」を羅列している[121]。例えば、アイディアル・トイズは、プレイヤーがフックを操作して、サメの顎が閉じる前に、その口の中からアイテムを取り出すオモチャを製作していた[122]。
劇場公開
1975年3月26日にダラスで2回、3月28日にロングビーチで1回の試写会が行われ、この時の映画のラフカットに対する観客の反応は、ベンチリーの原作の成功やユニバーサルのマーケティング戦略の初期段階の成功も相まって映画館オーナーの間で関心を呼び、スタジオは何百もの映画館で『ジョーズ』を同時公開するという計画を促進することになった[123][124]。4月24日にはハリウッドにて最終試写会が行われ、これは以前の試写会での反応を踏まえてカットの追加や変更が加えられたものであった[125]。ユニバーサル会長のルー・ワッサーマンは上映会への出席後、「この映画は夏の間ずっと公開を続けて欲しい。パームスプリングスの住人たちに、パームスプリングスで見てほしくない。車でハリウッドまで観に来て欲しい」と述べて900館もの劇場で予定されていた初回公開を取りやめるように命じた[126]。とはいえ、公開初週にすでに数百の劇場で予約されていたということは、当時として異例のワイドリリース(一度に多くの劇場で封切る手法)であったことを意味している。当時、ワイドリリースを行うということは、映画の質を疑われるような作品と見なされる余地を含んでいた。つまり、否定的なレビューや口コミの影響を減らすことが目的であり、グラインドハウスやエクスプロイテーション映画といったものでは慣習的に採用されていた。ただ、いくつかの例外もあり、『明日の壁をぶち破れ』の再公開とその続編である『ザ・トライアル・オブ・ビリー・ジャック』や『ダーティハリー』の続編である『ダーティハリー2』、007シリーズの最新作などもあった[127][128]。それでも当時の一般的な大手スタジオ作品の劇場公開とは、まずいくつかの大都市でプレミア上映が行われ、その際の批評家や観客の反応が良いことを確認した配給会社が、ゆっくりと全国の他の地域にフィルムを送り出すというものであった。1972年の『ゴッドファーザー』の大成功は、同時公開数を引き上げる傾向をもたらしたが、この作品でさえ、公開2週目の週末までは、わずか5館での上映であった[129]。
6月20日、『ジョーズ』は北米で464の劇場(アメリカで409、残りはカナダ)で上映が始まった[130]。この大規模な公開と、当時としてはさらに珍しい全国放送のテレビマーケティングキャンペーンが組み合ったことで当時において事実上前例のない配給が実現した[131](この1ヶ月前にコロンビア映画は、チャールズ・ブロンソン主演のスリラー映画『ブレイクアウト』で同様のキャンペーンを展開したが、この映画の長期公開の見通しは遥かに暗かった)[132][133]。ユニバーサルの社長であるシド・シャインバーグは、全国的なマーケティングの費用は、従来のゆっくりとした規模のリリースと比べて、1枚あたりのプリントの代金でより有利に償却できると見込んでいた[131][134][135]。この映画の成功を受けて、7月25日には約700館、8月15日には950館以上に上映劇数が拡大された[136]。海外での配給も同様の手法がとられて集中的なテレビでのキャンペーンやワイドリリースが行われ、例えばイギリスでは12月に100館以上の劇場で公開された[137]。
日本では1976年の正月興行に合わせて公開され人気を博した。同年1月2日の東京丸の内ピカデリーの入場者は6500人を記録。札止めに600人近くの行列ができた[138]。
2015年には、劇場公開40周年を記念して6月21日の日曜日と、6月24日の水曜日にアメリカの一部の劇場(約500会場)で公開された[139][140]。
興行成績
『ジョーズ』は409ヶ所の劇場で公開され、公開初週の週末に記録的な700万ドルを達成し[141]、最初の10日間で21,116,354ドルの収益を上げ[142]、制作費を回収してしまった[143]。最初の59日間で954回のプレイデートがあり1億ドルを稼ぎ出した[144]。わずか78日で、それまでの北米の興行収入の最高記録であった『ゴッドファーザー』の8600万ドルを抜き[129][145]、アメリカにおける劇場公開で最初に1億ドル稼いだ作品となった[146]。 初年度においては最終的に1億2,310万ドルの興行収入をもたらした[143]。1976年と1979年夏の劇場での再公開によって、劇場での興行収入は1億3,340万ドルに達した[145]。
1975年12月には北米以外での公開も始まり[147]、北米と同様の成績を収めた。シンガポール[148]、ニュージーランド、日本[149]、スペイン[150]、メキシコ[151]では記録を更新した。1976年1月11日、『ジョーズ』は1億3,200万ドルの配給収入となり、『ゴッドファーザー』の1億3,100万ドルを上回る世界最高興行収入を記録した[152]。1983年に公開されたシリーズ第3作目までには、全世界で2億7,000万ドルの興行収入を獲得したとバラエティ誌は報じている[153]。『ジョーズ』は、その2年後に公開された『スター・ウォーズ』まで、歴代最高興行収入を記録していた。『スター・ウォーズ』は公開から6ヶ月で『ジョーズ』を抜いて全米記録を更新し、1978年には世界記録を樹立した[154][155]。
『ジョーズ』は全世界で4億7,200万ドルの興行収入を記録した[156]。インフレ率を考慮した2011年基準では約20億ドルを稼いだ計算になり、スター・ウォーズシリーズに次ぐ成功した映画シリーズであった[157]。アメリカとカナダでは2020年の基準で12億ドルに相当する、2億6,100万ドルの興行収入(推定128,078,800枚のチケットの販売に基づく)を記録しており[156][158]、チケット価格のインフレ率を調整した場合、歴代7位の興行収入記録となる[159]。イギリスでは1975年以降に公開された映画の中で7番目の興行収入を記録しており、2009年-2010年の基準で7,000万ポンド以上を稼ぎ出し[160]、入場者数は1620万人と推定されている[161]。本作はまたブラジルでも1,300万枚のチケット販売を達成し、これは『タイタニック』に次ぐ歴代2位の観客動員数であった[162]。
地上波ではABC放送が、劇場再上映直後の1979年11月4日に初めて放映した[163]。このアメリカでの初放映は、ニールセン視聴率で39.1%を記録し、全視聴者の57%が肯定的であった。これは『風と共に去りぬ』に次ぐ歴代2位のテレビ映画視聴記録であり、4番目に高い評価であった[164][165]。イギリスでは1981年10月に放送された初回放送で2,300万人が視聴し、長編映画としては『007 死ぬのは奴らだ』に次ぐ歴代2位のテレビ視聴者数記録であった[166]。
批評家
『ジョーズ』は肯定的なレビューを受けた[167][168]。レビュー集計サイト「Rotten Tomatoes」では87件のレビューを基に98%の支持を獲得している。同サイトの批評コンセンサスでは「よく練り上げられた説得力のあるストーリーテリングと的確な恐怖演出は、スティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』が現代における超大作スリル映画の模範であり続けている証となっている」としている[169]。Metacriticでは、21人の批評家を基に100点満点中87点の加重平均スコアを獲得しており、「普遍的な賞賛」としている[170]。
シカゴ・サンタイムズ紙のロジャー・イーバートは、満点の4つ星を与えて、この映画を「センセーショナルで印象的な映画であり、登場人物たちの成長も描かれているがゆえに、より良い作品に仕上がったホラー・スリラーである」と評した[171]。バラエティ誌のA.D.マーフィーはスピルバーグの監督としての技量を称賛し、またロバート・ショウの演技を「絶対的に素晴らしい」と評している[172]。ザ・ニューヨーカー誌のポーリン・ケイルは「これまでに製作された中で最も陽気でひねくれた恐怖映画だった(中略)初期のウディ・アレンの作品よりも活気があり、もっとたくさんの電気が使われていて、ウディ・アレン的で面白い」と述べている[173]。ニュータイムズ誌のフランク・リッチは「スピルバーグは、最近のほとんどのアメリカの映画製作者からは馬鹿げているほど欠けてしまった才能に恵まれている。この男は実際にスクリーンで物語を語る方法を知っている。『ジョーズ』の中で最も恐ろしいシークエンスのいくつかは、サメを見ることすらできないということが、この監督の才能をよく物語っている」と評した[174]。ジュディス・クリストはニューヨーク・マガジン誌への寄稿で、本作を「最高級の爽快なアドベンチャーエンターテインメント」と表現し、その演技と「並外れた技術的成果」を称賛した[175]。レックス・リードは、「神経を使った」アクションシーンを賞賛し、「大体において、『ジョーズ』はすべての分野が見事に機能している心をつかむホラー映画である」と結論づけた[176]。
ニューヨーク・タイムズのヴィンセント・キャンビーは「サメの犠牲者らに特別な共感(同情)を覚えることはないことは、この映画がどのように機能しているかを示している例と言えるだろう。(中略)最高の映画においては、アクションの観点において登場人物が明らかにされていく。ところが『ジョーズ』のような映画においては、登場人物は単なるアクションの機能に過ぎず(中略)、小道具を動かしたり、必要な情報を伝えたりする舞台の裏方のような存在に過ぎない」と説明する。彼はそれを「ナンセンスによって大きく盛り上がれるようなもの」と表現していた[177]。ロサンゼルス・タイムズ紙のチャールズ・チャンプリンは、映画のPGレーティングを批判し「『ジョーズ』は子供たちが観るものとしてはあまりにも陰惨だし、何歳になっても感傷的な人たちだと胃袋がひっくり返る可能性があるほどだ。(中略)この作品はインパクトのために過剰なものに頼っており、粗雑で搾取的(エクスプロイテーショ)だ。陸上のパートは退屈で、ぎこちない演出とくだらない描き方がなされている」と批評している[178]。ナショナル・ボード・オブ・レビューのマルシア・マギルは、本作を「後半は非常に見る価値がある」と述べる一方で、主人公たちがサメを追いかける前に関しては、「展開の早さのためにしばしば欠点がある」と感じたという[179]。Commentary誌のWilliam S. Pechterは、本作を「既に十分に満足している大食漢のための退屈な食事」や「基本的に操作する類の映画構成」と評した。同様にVillage Voice誌のMolly Haskellは「コンピューターのような精度で動作する恐怖の機械だ。(中略)あなたはショック療法を受けるネズミの感覚を味わうだろう」と述べている[174]。この映画で最も頻繁に批判されたのは、その機械的な敵役の不自然さであった。マギルは「予め行動が決められたサメの本当にインチキなクローズアップがある」と言い[179]、2002年にはオンラインレビューのジェームズ・ベラーディネリが「アニマトロニクスの生物の安っぽさに笑いが止まらなくなるだろう」と評した[85]。レスリー・ハリーウェルの『Film Guide』では以下のように説明される。「純粋にサスペンス性に満ちた恐ろしいシークエンスがあるにもかかわらず、この作品はナレーションが緩慢で、時に平坦な扱いのスリラーが展開され、過剰な台詞回しに、そして最後にはまったく説得力のないモンスターが出てくる」[180]。
栄誉
『ジョーズ』はアカデミー賞(第48回)において、作曲賞(ジョン・ウィリアムズ)、録音賞(ロバート・ホイット、ロジャー・ヒーマン、アール・マドリー、ジョン・カーター)、編集賞(ヴァーナ・フィールズ)の3部門を受賞し[77][181]、作品賞にもノミネートされた(受賞は『カッコーの巣の上で』)[182]。しかし、スピルバーグは監督賞にノミネートすらされなかった事実には大いに憤慨した[174]。ウィリアムズの音楽は、オスカー以外にも、グラミー賞[183]、英国アカデミー賞[184]、ゴールデングローブ賞も受賞した[185]。また、フィールズは、アメリカ映画編集者協会によるエディー賞において、長編映画編集賞を受賞した[186]。
ピープルズ・チョイス・アワードでお気に入りの映画に選ばれた[187]。また、第29回英国アカデミー賞では最優秀作品賞・監督賞・俳優賞(リチャード・ドレイファス)・編集賞・音響賞に[184]、第33回ゴールデングローブ賞では最優秀映画ドラマ賞、監督賞、脚本賞にノミネートされた[185]。スピルバーグは全米監督協会から全米監督協会賞にノミネートされ[188]、全米脚本家協会からはピーター・ベンチリーとカール・ゴットリーブの脚本が脚色ドラマ賞にノミネートされた[189]。
『ジョーズ』は公開されてから何年もの間、映画評論家や業界の専門家から史上最高の映画の一作として頻繁に引用されてきた[189]。アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が1998年にまとめた「アメリカ映画ベスト100」では48位であったが、2007年の「10周年エディション」では56位に落ちた[190][191]。またAFIは、2003年の「悪役トップ50(アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100)」ではサメを18位にランクインさせ[192]、2005年の「名セリフベスト100」ではロイ・シャイダーのセリフ「もっとデカい船が必要だ(You're Gonna Need a Bigger Boat)」を35位[193]、同2005年の「映画音楽ベスト100」では6位[78]、そして2002年の「スリルを感じる映画ベスト100」では『サイコ』に次いで本作を第2位とした[194]。
2003年、ニューヨーク・タイムズが選んだ最高の1000本の映画にも含まれた[195]。翌年には、Bravoネットワークの5時間のミニシリーズ「The 100 Scariest Movie Moments」の第1位に選ばれた。シカゴ映画批評家協会は、2006年にこれまで製作された映画の中で6番目に怖い映画に選出した[196]。2008年、『ジョーズ』はエンパイア誌によって歴史上5番目に優れた映画にランクされ[197]、クイントは史上最高の映画キャラクター100人のリストで50位にランクインした[198]。本作は、最高の映画を決めるトップ50または100のランキングの常連であり、レオナルド・モルティン[199]、エンターテインメント・ウィークリー[200]、Film4[201]、ローリング・ストーン[202]、トータル・フィルム[203]、TVガイド (アメリカ)[204]、ヴァニティ・フェア[205]などによって選出されたもので選ばれている。
2001年、米国議会図書館は、画期的なホラー映画および最初の「夏の映画」として認め、本作をアメリカ国立フィルム登録簿に保存することを決定した[206]。2006年、全米脚本家組合は史上最高の脚本の63位に選んだ[207]。2012年に映画編集者組合は、その会員の審査に基づいて、本作を史上8番目に編集が素晴らしい映画として挙げている[208]。
影響
『ジョーズ』は、新作がゆっくりと劇場展開され時間経過と共に支持を得ていく伝統的なプログレッシブ・リリース(progressive release)ではなく、大量のテレビ広告に裏打ちされた幅広い全国展開のメリットを確立する上で重要な役割を果たした[117][129]。映画が何千もの劇場で同時公開されるサキュレーション・ブッキング(Saturation booking)や、大規模なメディア展開は今日おいてハリウッドの大手映画スタジオでは当たり前の手法になっている[209]。ピーター・ビスキンドによれば本作は「出版物における批評の重要性が減り、映画がゆっくりと構築されることは事実上不可能となり、観客は単純なクオリティを基に映画を見つけ出す。(中略)『ジョーズ』は企業が持つ大きな利益への欲求をすばやく刺激した。つまり、スタジオはすべての映画が『ジョーズ』であることを望んだ」と言う[210]。学者のトーマス・シャッツは「ハリウッドのヒット作の潜在的な利益を再調整し、市場性のある商品および文化的な現象としての地位を再定義した。この映画はハリウッドの5年間にわたる不況に大きな終止符を打つと共に、ハイコスト、ハイテク、ハイスピードのスリラーの時代を切り開いた」と指摘する[211]。
本作はまた、夏という季節がスタジオ最大の興行収入源である超大作映画(スタジオがブロックバスターになると予想した映画)の公開シーズンであることを確立する上で大きな役割を果たした[129][212]。それまでの長い間、期待されていたヒット作の多くは冬の時期に配給されるのが一般的だったのに対し、夏は大抵の場合に成績が悪いと想定される映画を廃棄する期間と考えられていた[211]。『スターウォーズ』と共に本作は、(簡単に説明できて興行ができる)「ハイ・コンセプト」な映画を主流とする新しいアメリカ映画のビジネスモデルを確立したと考えられているのと同時に、利益を生む大作映画に注力するために作家主義的な映画が軽視されるといったアメリカン・ニューシネマの時代の終わりの始まりでもあったと考えられている[129][213]。アメリカン・ニューシネマの時代は映画製作者が大手スタジオのシステムの中で相対的な自治権を得ることによってできたと定義されるが、ビスキンドは「スピルバーグはスタジオが再び自分たちの力を得るためのトロイの木馬であった」と評する[210]。
この映画はより幅広い社会的影響もあった。1960年代に映画『サイコ』が観客にシャワーを新たな不安の源としたように、『ジョーズ』はより多くの観客に対して海に入ることを恐れさせた[214][215]。1975年にビーチへの入場者数が減少したのは本作が原因だと考えられており[216]、サメの目撃情報が増えた[217]。本作はサメとその行動についてのネガティブなステレオタイプ、いわゆる「ジョーズ効果」を生み出した責任があると今でも考えられており、「サメ釣りトーナメントで大勢の漁師たちが数千匹もの海の捕食者をボートに積み上げた」事態を招いたと思われる[218][219]。ベンチリーは野生のサメが実際にどのような生態か知っていれば、元の小説は書いてなかっただろうと述べている[220]。保護団体はこの映画のせいで、サメを保護すべきという意見が一般人に納得してもらうのがかなり難しくなったと嘆いている[221]。
1979年のSF映画『エイリアン』の脚本は「宇宙のジョーズ」としてスタジオ幹部に売り込まれたほど、『ジョーズ』はその後の多くのホラー映画の雛形となった[222][223]。1970年代から1980年代にかけては、『オルカ』(1977年)、『グリズリー』(1976年)、『地獄のジョーズ/'87最後の復讐』(1976年)、『呪われた毒々魚』(1978年)、『アリゲーター』(1980年)、『アニマル大戦争』(1977年)、『タイガーシャーク』(1977年)、『悪魔の沼』(1977年)など、人を襲う動物(多くは水棲動物)を題材にした映画が数多く公開された。こうした作品群の中でスピルバーグはジョー・ダンテ監督、ジョン・セイルズ脚本の『ピラニア』(1978年)を「ジョーズのパクリ映画の中で最高の作品」と評価した[182]。『ジョーズ』をベースにした外国のモックバスター(模倣映画)のうち3つはイタリアで製作された。ユニバーサル社の盗作訴訟を引き起こし、一部の国ではジョーズシリーズの1作として公開された『ジョーズ '98 激流篇』[224][225]、『ミステリー・サイエンス・シアター3000』で『デビル・フィッシュ』のタイトルで公開された『死神ジョーズ・戦慄の血しぶき』[224][226]、そして超自然的な要素を取り入れた『ディープ・ブラッド/復讐のシャーク』である[227]。2009年にはジャパニーズホラーの日本映画として『JAWS IN JAPAN』(アメリカでのタイトルは『Psycho Shark』)が製作された[228]。
リチャード・ドレイファスは、『ピラニア』のリメイクである2010年の映画『ピラニア3D』にカメオ出演した。この中でドレイファスは最初の犠牲者である漁師マット・ボイドを演じている。後にドレイファスは、マット・ボイドは、マット・フーパーのパロディであり、彼の生まれ変わりのようなものだと述べている[229]。例えば、マット・ボイドはラジオで「Show Me the Way to Go Home」という曲を聴くが、これはオルカ号でフーパー、クイント、ブロディが一緒に歌った曲である。
ロケ地となったマーサズ・ヴィニヤード島では2005年に映画の30周年を祝うイベント「ジョーズ・フェスト」を開催し[230]、2012年には第2回目も行った[231]。私的なファンのグループが、当時のキャストや撮影クルーにインタビューを行った長編ドキュメンタリー『The Shark Is StillWorking』を制作した。これはロイ・シャイダーがナレーションを担当し、2006年に亡くなったピーター・ベンチリーに捧げられ、2009年のロサンゼルス・ユナイテッド映画祭で初公開された[232][233]。
家庭用メディア
北米で最初に販売されたレーザーディスク版(DiscoVision)は、1978年にMCAによるものであった[234]。1992年には2回目のレーザーディスク版がリリースされ[235]、その後、1995年にMCA/Universal Home VideoのSignature Collectionから3枚目となる最終版がリリースされた。このバージョンには、削除シーンやアウトテイクといった未公開シーンが含まれており、他にローラン・ブゼロー監督による2時間のメイキングドキュメンタリー、原作『ジョーズ』のコピー、ジョン・ウィリアムズによるサウンドトラックのCDなどが収録された豪華なボックスセットであった[236]。
VHS版は1980年にMCAホームビデオがリリースしたのが最初である[237][238]。1995年には公開20周年を記念してMCAユニバーサルホームビデオから『メイキング・オブ・レトロスペクティブ』を収録したコレクターズ・エディションが新たに販売された[239]。これは北米で80万本を売り上げた[240]。2000年の公開25周年を記念して販売された最後のVHS版には、ドキュメンタリー、削除シーン、アウトテイク、予告編を収録した付録テープが付属していた[241]。
DVD版が最初に販売されたのは2000年であり、公開25周年を記念しての大々的な宣伝キャンペーンが行われた[242]。このDVDにはスピルバーグ、シャイダー、ドレイファス、ベンチリー、その他のキャストやクルーのインタビューを含む、50分のメイキングドキュメンタリーが収録されていた(これは1995年にレーザーディスク版に収録されていたドキュメンタリーの編集版であった)。その他にも、削除シーン、アウトテイク、予告編、制作写真、絵コンテなどが収録されていた[243]。このDVDはわずか1ヶ月で100万部を出荷した[242]。2005年6月には、マーサズ・ヴィニヤード島で行われたイベント「ジョーズ・フェスト」にて30周年記念版がリリースされた[230]。新しいDVDには2時間に渡るブゼローのドキュメンタリーや、1974年にジョーズの撮影現場で行われたスピルバーグとの未公開インタビューなど、これまでのホームビデオでは見られなかった多くの特典が収録されていた[244]。2012年8月に開催された「第2回ジョーズ・フェスト」では、Blu-ray版がリリースされ[231]、これには『The Shark Is Still Working』を含む、4時間以上の特典が収録されていた[245]。このBlu-ray版は、ユニバーサルの100周年記念の一環でもあり、チャートには4位で登場し、362,000本以上が売れた[246]。2020年6月1日にはUltra HD Blu-ray版も販売された[247]。
メディア展開
ユニバーサル・スタジオ・フロリダには1990年の開園当初のアトラクションとして本作をテーマとしたものがあった(詳細は「ジョーズ (アトラクション)」を参照)[248]。後に2001年に開演したユニバーサル・スタジオ・ジャパンにおいても同様のアトラクションが設けられたが[249]、フロリダのものは2012年1月に閉鎖された[250]。ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドのアトラクション「スタジオ・ツアー」には、映画のワンシーンをアニマトロニクスで再現したものがある[251]。
本作のミュージカル化は少なくとも2つあった。1つは2004年にミネソタ・フリンジ・フェスティバルで初演された『JAWS The Musical!』であり、もう1つは2006年にトロント・フリンジ・フェスティバルで初演された『Giant Killer Shark: The Musical』である[252]。
本作のゲーム化としては、まず1987年にLJNより販売(開発はアトラス)されたNintendo Entertainment System(海外版ファミリーコンピュータ)の『ジョーズ』がある[253]。その次に2006年にマジェスコ・エンターテインメントより販売されたXbox、PS2、PC向けの『Jaws Unleashed』[254]。また、2011年にはニンテンドー3DSとWiiで同じくマジェスコが販売元となった『Jaws: Ultimate Predator』が販売された[255]。モバイル向けとしてはiPhone版が2010年に出ている[256]。2017年にゲーム開発会社のZen Studiosが、バーチャルピンボールゲーム『Pinball FX 3』のユニバーサル・クラシックスのアドオンパックの一部として、本作をテーマとしたバージョンをリリースしている[257]。
アリストクラットは正式ライセンスを受けて本作をテーマとしたスロットマシンを開発した[258]。日本ではパチンコにおいて、2006年に京楽産業.が正式ライセンスを受けた『CRぱちんこJAWS』をリリースしている[259]。また、2015年には平和が『CR JAWS〜It's a SHARK PANIC〜』をリリースしている[260]。
続編
『ジョーズ』の成功を受けて3つの続編が製作されたが、これらは批評家の支持を得られず興行的にも本作ほどには上手く行かなかった。続編をすべて合わせたアメリカ国内での総売上高でも本作のわずか半分に過ぎなかった[261]。
スタジオは早い段階から続編の企画に乗り出していた。しかし、スピルバーグは1975年10月にサンフランシスコ映画祭で「何かの続編を作るというのは安っぽいカーニバルの芸にすぎない」とスピーチするなど、続編に関わる意思がないことを鮮明にしていた[182]。ただし、当初続編の監督に抜擢されたジョン・D.ハンコックが、撮影開始後に数日で解雇されたときにはスピルバーグは引き継ぐことを検討したという。しかし、これはドレイファスと組んだ『未知との遭遇』の製作のために不可能となった[262]。最終的に続編はヤノット・シュワルツが監督を引き継ぎ、1978年に『ジョーズ2』として公開され、シャイダー、ゲイリー、ハミルトン、ジェフリー・クレイマーらが、同じ役で再登場した。この第2作目は、続編の中ではもっとも優れた作品だったと評価されている[263][264][265]。1983年に3作目となる『ジョーズ3-D』(後に『ジョーズ3』と改題)が製作された。監督は前2作でそれぞれアートディレクターとプロダクションデザイナーを務めたジョー・アルヴスであったが、ブロディ署長の成長した息子マイケルが主人公となるなど、元の俳優は出演しなかった[266]。この作品は偏光フィルター方式のメガネをかけて鑑賞する3D映画であったが批評家たちからは酷評された。1987年に製作されたシリーズ第4作目と同時に完結編となる『ジョーズ'87 復讐篇』はジョセフ・サージェントが監督を努め、ロレイン・ゲイリーがエレン・ブロディ役で再登場し主演を務めた作品であったが、シリーズ中最悪の映画とみなされている[267][268]。興行的には3作とも利益を上げたが(特に『ジョーズ2』と『ジョーズ3』はそれぞれ年間興行収入のトップ20に入っている)、批評家と観客共に映画の出来には大いに不満を示した[269][270][271]。
なお、アメリカ国外においては本作の人気にあやかって作られたエピゴーネンや酷いものでは本作を剽窃した低予算映画にジョーズの続編であるかのように誤認させた現地タイトルをつけ公開されたものもあった。例えば1995年に製作された『Cruel Jaws』はまったくシリーズに無関係であったが、タイトルに「Jaws」の名が入っており、アメリカ国外では『Jaws 5: Cruel Jaws』などとシリーズ5作目であるかのようにして公開された[272]。日本では他にも『ジョーズ』の公開翌年の1976年に製作されたB級映画『Mako: The Jaws of Death』が、4作目『ジョーズ'87 復讐篇』と誤認させるような『地獄のジョーズ/'87最後の復讐』というタイトルで公開されていた[273]。また1998年に日本で公開された『ジョーズ '98 激流篇』(原題:Great White)に至っては、1981年に製作されたイタリア映画で、1982年のアメリカでの公開時にユニバーサルから公開差し止めの訴訟を起こされた剽窃映画であった[225][274]。先述の『Cruel Jaws』も、1996年に公開された日本では『ジョーズ’96/虐殺篇』とシリーズ4作目を模したタイトルが付けられていた[275]。
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | |||
---|---|---|---|---|---|
日本テレビ版 | TBS版 | テレビ東京版 | ソフト版 | ||
マーティン・ブロディ | ロイ・シャイダー | 滝田裕介 | 津嘉山正種 | 羽佐間道夫 | 谷口節 |
クイント | ロバート・ショウ | 北村和夫 | 内海賢二 | 瑳川哲朗 | 内海賢二 |
マット・フーパー | リチャード・ドレイファス | 樋浦勉 | 古川登志夫 | 堀内賢雄 | |
エレン・ブロディ | ロレイン・ゲイリー | 寺田路恵 | 弥永和子 | 高島雅羅 | 佐藤しのぶ |
ベン・メドウズ | カール・ゴットリーブ | 加藤正之 | 有本欽隆 | 塩屋浩三 | 石住昭彦 |
ボーン市長 | マーレイ・ハミルトン | 細井重之 | 吉水慶 | 坂部文昭 | 佐々木梅治 |
ヘンドリックス | ジェフリー・クレーマー | 円谷文彦 | 星野充昭 | 鳥海勝美 | 後藤敦 |
クリッシー・ワトキンス | スーザン・バックリニー | 高橋ひろ子 | 井上喜久子 | 豊嶋真千子 | |
キャシディ | ジョナサン・フィレイ | 高宮俊介 | 川村拓央 | ||
マイケル・ブロディ | クリス・レベロ | 池田真 | 喜田あゆ美 | 亀井芳子 | |
ショーン・ブロディ | ジェイ・メロ | 中村友和 | 大谷育江 | ||
入り江のボートの男 | テッド・グロスマン | 坂東尚樹 | |||
TVレポーター | ピーター・ベンチリー | 小島敏彦 | 登場シーンカット | 田原アルノ | |
演出 | 中野寛次 | 福永莞爾 | 小林守夫 | 高橋剛 | |
翻訳 | 高瀬鎮夫(劇場公開版字幕) 飯嶋永昭(ソフト版字幕) |
飯嶋永昭 | 木原たけし | 小寺陽子 | 伊原奈津子 |
効果 | PAG | リレーション | |||
調整 | 前田仁信 | 金谷和美 | 阿部直子 | ||
担当 | 河村常平 春田由佳 |
||||
配給 | ムービーテレビジョン | ||||
プロデューサー | 上田正人 | 久保一郎 渡邉一仁 寺原洋平 |
|||
制作 | 東北新社 | 東北新社 TBS |
東北新社 | ACクリエイト | |
解説 | 水野晴郎 | ||||
初回放送 | 1981年9月30日 『水曜ロードショー』 正味約120分 |
1991年7月24日 『水曜ロードショー』 |
2004年5月13日 『木曜洋画劇場』 |
2005年8月26日発売 DVD『JAWS 30thアニバーサリー スペシャルエディション』 |
- ユニバーサル思い出の復刻版BDにはソフト版と日本テレビ版の両方の吹き替えを収録。
脚注
注釈
- ^ 日本では早川書房から1975年に刊行。 ASIN B000J953D6
出典
- ^ ジョーズの上映スケジュール・映画情報|映画の時間
- ^ ジョーズ : 作品情報 - 映画.com
- ^ 映画 JAWS/ジョーズ (1975)について 映画 ... - allcinema
- ^ a b AFI Catalog.
- ^ BBFC 1975.
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)342頁
- ^ “Jaws”. Weblio. 2012年12月10日閲覧。
- ^ ““天才”スピルバーグ、ハリウッドの王への第一歩 『ジョーズ』”. 洋画専門チャンネル ザ・シネマ. 2021年1月24日閲覧。
- ^ Priggé 2004, p. 6.
- ^ Scanlon 2009, p. 197.
- ^ a b c d 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「From Novel to Script」.
- ^ a b c d e f Brode 1995, p. 50.
- ^ McBride 1999, p. 231.
- ^ a b c McBride 1999, p. 232.
- ^ a b c Biskind 1998, p. 264.
- ^ McBride 1999, p. 240.
- ^ Gottlieb 2005, p. 52.
- ^ Friedman & Notbohm 2000, p. 8.
- ^ a b c d e Jaws: The Oral History - Empire.
- ^ a b c d e f Jaws: The Inside Story 2010.
- ^ a b Friedman & Notbohm 2000, pp. 11–12.
- ^ a b c d e f 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Casting」.
- ^ McBride 1999, p. 238.
- ^ Omaha World-Herald 2010.
- ^ a b Baer 2008, p. 198.
- ^ a b c Friedman 2006, p. 167.
- ^ a b Biskind 1998, p. 265.
- ^ a b 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Climax」.
- ^ a b Baer 2008, p. 209.
- ^ a b c d e Ain't It Cool News 2011.
- ^ Gottlieb 2005, p. 208.
- ^ Jankiewicz 2009.
- ^ Gottlieb 2005, p. 56.
- ^ Nadler 2006, p. 35.
- ^ Moreau 2020.
- ^ a b c McBride 1999, p. 237.
- ^ McBride 1999, pp. 236–237.
- ^ a b Baer 2008, p. 206.
- ^ a b Jackson 2007, p. 20.
- ^ a b c d Time 1975.
- ^ Nadler 2006, p. 36.
- ^ a b c d e 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Production Stories」.
- ^ Vineyard Gazette 2011.
- ^ Taylor 2012, pp. 250–251.
- ^ a b McBride 1999, p. 236.
- ^ a b c d e f The Roanoke Times 2005.
- ^ a b BBC News 2005.
- ^ a b McBride 1999, p. 233.
- ^ Priggé 2004, p. 7.
- ^ 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Location」.
- ^ 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Photographing Jaws」.
- ^ Gottlieb 2005, p. 92.
- ^ Film Festival 2018.
- ^ a b McBride 1999, p. 241.
- ^ 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「The Shark」.
- ^ a b 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「The Shark Is Not Working」.
- ^ Sokol 2017.
- ^ Priggé 2004, p. 8.
- ^ a b Collins & Radner 1993, p. 18.
- ^ 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「The Orca」.
- ^ Sinyard 1989, p. 31.
- ^ Nadler 2006, p. 36-37.
- ^ Dreyfuss 2012.
- ^ 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Verna Field 'Mother Cutter'」.
- ^ a b Sinyard 1989, p. 36.
- ^ The Advertiser 2015.
- ^ 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「The Live Shark Footage」.
- ^ McBride 1999, pp. 234–235.
- ^ McBride 1999, p. 235.
- ^ The Shark Is Still Working.
- ^ 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Finishing the Film」.
- ^ McBride 1999, pp. 251–252.
- ^ Yewdall 2011, p. 197.
- ^ Yewdall 2011, pp. 178–179.
- ^ Shone 2004, pp. 24–25.
- ^ 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Sneak Previews」.
- ^ a b 映画芸術科学アカデミー 1976.
- ^ a b AFI's 100 Years - 100 SCORES.
- ^ Matessino 1999.
- ^ a b c Tylski 1999.
- ^ a b c Friedman 2006, p. 174.
- ^ Chaundy 2006.
- ^ a b 30th Anniversary Edition DVD 2005, chapter「Music by John Williams」.
- ^ Scheurer 1997, pp. 59–72.
- ^ a b c Berardinelli 2002.
- ^ Cancellaro 2006, p. 170.
- ^ a b Freer, Empire's Jaws Soundtrack Review.
- ^ a b Decca 2000.
- ^ Varèse 2000.
- ^ Lemkin 1984, pp. 277–289.
- ^ Brosnan 1978, p. 99.
- ^ Brosnan 1978, p. 129.
- ^ Biskind 1998, p. 290.
- ^ Baer 2008, pp. 201–202.
- ^ Stringer 2003, p. 25.
- ^ Freer 2001, p. 48.
- ^ Derry 1977, p. 82.
- ^ Ryfle 1998, p. 15.
- ^ a b Sinyard 1989, p. 32.
- ^ Baer 2008, p. 208.
- ^ Heath 1976, p. 510.
- ^ Heath 1976, p. 514.
- ^ Britton 1979, p. 237.
- ^ a b Britton 1979, p. 239.
- ^ Biskind 1998, p. 279.
- ^ Biskind 1975, pp. 1–29.
- ^ Britton 1979, p. 238.
- ^ Jameson 1979, pp. 26–27.
- ^ Jameson 1979, pp. 28–29.
- ^ Hagen 1988, pp. 61–63.
- ^ Robinson 1975.
- ^ Hamilton 1978.
- ^ Ballon 2007.
- ^ Johnson 1980.
- ^ Bryant 2013, p. 178.
- ^ McBride 1999, pp. 255–256.
- ^ a b c d Kochberg 1996, p. 31.
- ^ Shone 2004, pp. 26–27.
- ^ Petersen 1975, p. 70.
- ^ USA Today 2003.
- ^ Turner 1999, p. 8.
- ^ Andrews 1999, p. 115.
- ^ Shone 2004, pp. 23–26.
- ^ McBride 1999, p. 253.
- ^ McBride 1999, p. 254.
- ^ Shone 2004, p. 26.
- ^ Wyatt 1994, p. 111.
- ^ Hall & Neale 2010, pp. 110–112.
- ^ a b c d e PBS 2001.
- ^ Hall & Neale 2010, p. 108.
- ^ a b Wyatt 1998, pp. 78–79.
- ^ Wyatt 1998, p. 78.
- ^ Biskind 1998, p. 277.
- ^ Business Week 2006.
- ^ The Times 2006.
- ^ Siska 1980, p. 125 This, the most detailed source, gives contradictory figures. The totals can variously be interpreted as 675 or 695 for July 25, and 954 or 974 for August 15.
- ^ Wyatt 1998, p. 79.
- ^ 不況、正月風景様変わり 人出ふえ財布固く ウサ晴らし?映画満員『朝日新聞』1976年(昭和51年)1月3日朝刊、13版、23面
- ^ The Hollywood Reporter 2015.
- ^ Business Insider 2015.
- ^ Variety 1977.
- ^ Orijinal Release Domestic - Box Office Mojo.
- ^ a b Morris 2007, p. 44.
- ^ Daily Variety 1975.
- ^ a b Pittsburgh Post-Gazette 1980.
- ^ Hall & Neale 2010, p. 210.
- ^ The Daytona Beach News-Journal 1975.
- ^ Variety 285号 1976.
- ^ Variety 281号 1976.
- ^ Variety 282号 1976.
- ^ Box Office 109号 1976.
- ^ Variety 1976, p. 102, Reprise As To 'Jaws'.
- ^ Daily Variety 1983, p. 3, Film Reviews: Jaws 3-D.
- ^ Evening Independent 1978.
- ^ The StarPhoenix 1978.
- ^ a b Title Summary - Box Office Mojo.
- ^ The Economist 2011.
- ^ All Time Box Office - Box Office Mojo.
- ^ Top Lifetime Adjusted Grosses - Box Office Mojo.
- ^ British Film Institute 2011.
- ^ British Film Institute 2004.
- ^ Folha de S.Paulo 2004.
- ^ United States Patents Quarterly 1980.
- ^ The New York Times 1979.
- ^ Variety 1990.
- ^ The Daily Telegraph 1998.
- ^ Moritz 1978, p. 402.
- ^ Detail view of movies: Jaws - AFI.
- ^ Rotten Tomatoes.
- ^ Metacritic.
- ^ Ebert 1975.
- ^ Murphy 1975.
- ^ Kael 1976, pp. 195–196.
- ^ a b c McBride 1999, p. 256.
- ^ Crist 1975.
- ^ Reed 1975.
- ^ Canby 1975.
- ^ Champlin 1975.
- ^ a b Films in Review 1975.
- ^ Halliwell 1997.
- ^ Morris 2007, p. 45.
- ^ a b c McBride 1999, p. 257.
- ^ 1975 GRAMMYs.
- ^ a b 英国映画テレビ芸術アカデミー.
- ^ a b ハリウッド外国人映画記者協会.
- ^ E! Entertainment Television.
- ^ ピープルズ・チョイス・アワード.
- ^ 全米監督協会.
- ^ a b Writers Guild of America West.
- ^ AFI's 100 Years - 100 Movies(1998).
- ^ AFI's 100 Years - 100 Movies(2007).
- ^ AFI's 100 Years - 100 Heroes & Villains.
- ^ AFI's 100 Years - 100 Quotes.
- ^ AFI's 100 Years - 100 Thrills.
- ^ The New York Times 2003.
- ^ Bravo Company 2004.
- ^ Empire 2008.
- ^ Empire 2010.
- ^ Maltin 1999, p. 13.
- ^ Burr 1999, p. 52.
- ^ Film4.
- ^ Rolling Stone 1999.
- ^ Total Film 2010.
- ^ TV Guide 1998.
- ^ Vanity Fair 2005.
- ^ Library of Congress 2001.
- ^ Writers Guild of America, West 2006.
- ^ Editors Guild Magazine 2012.
- ^ Marich 2005, p. 79.
- ^ a b Biskind 1998, p. 278.
- ^ a b Friedman 2006, p. 176.
- ^ BBC News 2001.
- ^ Wyatt 1994, p. 21.
- ^ Gordon 2008, p. 33.
- ^ Jackson 2007, p. 23.
- ^ ABC News 2010.
- ^ Siska 1980, p. 131.
- ^ National Geographic 2005.
- ^ Sun-Sentinel 2010.
- ^ Metcalf.
- ^ Liverpool Daily Post 2005.
- ^ Montreal Mirror 2003.
- ^ Ochoa 2011, p. 135.
- ^ a b Stanley 1988, p. 220.
- ^ a b Adamson & Morrison 2011, p. 80.
- ^ 『Mystery Science Theater 3000』シーズン9エピソード11(1998年8月15日放映)
- ^ Allrovi.
- ^ Lamar 2010.
- ^ HollywoodNews.com 2010.
- ^ a b Dutka & Los Angeles Times 2005.
- ^ a b Vulture 2012.
- ^ Los Angeles United Film Festival 2009.
- ^ Shark is Still Working 2010.
- ^ Mast & Kawin 2003, p. 198.
- ^ Billboard 1992.
- ^ Billboard 1996.
- ^ Billboard 1980.
- ^ Bowker 1994, p. 419.
- ^ Entertainment Weekly 1995.
- ^ Billboard 5/13 2000.
- ^ King & Los Angeles Times 2000.
- ^ a b Billboard 8/5 2000.
- ^ Venendaal & IGN 2000.
- ^ Total Film 2005.
- ^ Collider 2012.
- ^ Home Media Magazine 2012.
- ^ Blu-ray.com 2020.
- ^ Jaws - ユニバーサル・スタジオ・フロリダ.
- ^ Jaws - ユニバーサル・スタジオ・ジャパン.
- ^ Bevil 2012.
- ^ universalstudioshollywood.com 2014.
- ^ Sutherland 2007.
- ^ Jaws (1987) - GameSpot.
- ^ JAWS Ships Out - IGN.
- ^ Ultimate Predator chomping Wii, 3DS - GameSpot.
- ^ wireless.ign.com 2006.
- ^ polygon 2017.
- ^ Aristocrat 2009.
- ^ 京楽産業WEBサイト.
- ^ 平和WEBサイト.
- ^ franchises Jaws - Box Office Mojo.
- ^ McBride 1999, pp. 257–258.
- ^ Muir 2007, p. 555.
- ^ Empire's Jaws2 Movie Review - Empire.
- ^ Jaws 2 – DVD Review - IGN.
- ^ Fangoria 1979.
- ^ The 25 Worst Sequels Ever Made - EW.com.
- ^ Wilson 2000.
- ^ Jaws 3-D - VARIETY.com.
- ^ Jaws 3-D - The London Free Press.
- ^ James 1987.
- ^ Begg, Ken 2012.
- ^ 地獄のジョーズ/'87最後の復讐 - allcinema.
- ^ ジョーズ’96/激流篇 - allcinema.
- ^ ジョーズ’96/虐殺篇 - allcinema.
参考文献
- Adamson, John E.; Morrison, Amanda (2011). Law for Business and Personal Use. Stamford, Connecticut: センゲージラーニング. ISBN 978-0-538-49690-2
- Andrews, Nigel (1999). Nigel Andrews on Jaws. London: Bloomsbury Publishing. ISBN 978-0-7475-3975-9
- Baer, William (2008). Classic American Films: Conversations with the Screenwriters. Westport, Connecticut: Greenwood. ISBN 978-0-313-34898-3
- Biskind, Peter (1998). Easy Riders, Raging Bulls. New York: サイモン&シュスター. ISBN 978-0-684-85708-4
- Blake, Edith (1975). The Making of the Movie Jaws. New York: Ballantine Books. ISBN 978-0-345-24882-4
- Bowker's Complete Video Directory 1994. New York: en:R. R. Bowker. (1994). ISBN 978-0-8352-3391-0
- Britton, Andrew (1979). “Jaws”. In Grant, Barry Keith. Britton on Film: The Complete Film Criticism of Andrew Britton. (2009). Detroit: Wayne State University Press. ISBN 978-0-8143-3363-1
- Brode, Douglas (1995). The Films of Steven Spielberg. New York: Carol Publishing. ISBN 978-0-8065-1951-7
- Brosnan, John (1978). Future Tense: The Cinema of Science Fiction. London: Macdonald and Jane's. ISBN 978-0-354-04222-2
- Burr, Ty (1999). The 100 Greatest Movies of All Time. New York: Entertainment Weekly Books. ISBN 978-1-883013-68-4
- Cancellaro, Joseph (2006). Exploring Sound Design for Interactive Media. Florence, Kentucky: Delmar Learning. ISBN 978-1-4018-8102-3
- Collins, Jim; Radner, Hilary (1993). Film Theory Goes to the Movies. London: ラウトレッジ. ISBN 978-0-415-90576-3
- Friedman, Lester D. (2006). Citizen Spielberg. Champaign: University of Illinois Press. ISBN 978-0-252-07358-8
- Friedman, Lester D.; Notbohm, Brent (2000). Steven Spielberg: Interviews. Jackson: University Press of Mississippi. ISBN 978-1-57806-113-6
- Gordon, Andrew (2008). Empire of Dreams: The Science Fiction and Fantasy Films of Steven Spielberg. Lanham, Maryland: Rowman & Littlefield. ISBN 978-0-7425-5578-5
- Gottlieb, Carl (2005). The Jaws Log. New York: Newmarket Press. ISBN 978-0-571-20949-1
- Hall, Sheldon; Neale, Stephen (2010). Epics, Spectacles, and Blockbusters: A Hollywood History. Detroit: Wayne State University Press. ISBN 978-0-8143-3008-1
- Heath, Stephen (1976). “Jaws, Ideology, and Film Theory”. In Nichols, Bill. Movies and Methods: An Anthology, Volume II. (1985). Berkeley: University of California Press. ISBN 978-0-520-05408-0
- Jackson, Kathi (2007). Steven Spielberg: A Biography. Westport, Connecticut: Greenwood. ISBN 978-0-313-33796-3
- Jameson, Fredric (1979). “Reification and Utopia in Mass Culture”. Signatures of the Visible. New York and London: Routledge. 130–148. doi:10.2307/466409. ISBN 978-0-415-90012-6. JSTOR 466409
- Kael, Pauline (1976). “Notes on Evolving Heroes, Morals, Audiences”. When the Lights Go Down. (1980). Beverly, Massachusetts: Wadsworth. ISBN 978-0-03-056842-8
- Kochberg, Searle (1996). “Institutions, Audiences and Technology”. In Nelmes, Jill. An Introduction to Film Studies. London: Routledge. ISBN 978-0-415-10860-7
- Lemkin, Jonathan (1984). “Archetypal Landscapes and Jaws”. In Grant, Barry Keith. Planks of Reason: Essays on the Horror Film. Lanham, Maryland: Scarecrow Press. ISBN 978-0-8108-2156-9
- Maltin, Leonard (1999). “100 Must-See Films of the 20th Century”. Leonard Maltin's Movie & Video Guide 2000. New York: ペンギン・グループ. ISBN 978-0-452-28123-3
- Marich, Robert (2005). Marketing to Moviegoers: A Handbook of Strategies Used by Major Studios and Independents. Cambridge, Massachusetts: Focal Press. ISBN 978-0-240-80687-7
- Mast, Gerald; Kawin, Bruce F. (2003). A Short History of the Movies. Harlow, Essex: Longman. ISBN 978-0-321-10603-2
- McBride, Joseph (1999). Steven Spielberg: A Biography. Cambridge, Massachusetts: Da Capo Press. ISBN 978-0-306-80900-2
- Moritz, Charles (1978). Current Biography Yearbook 1978. New York: H. W. Wilson. ISBN 978-99973-770-2-9
- Morris, Nigel (2007). The Cinema of Steven Spielberg: Empire of Light. New York: Wallflower Press. ISBN 978-1-904764-88-5
- Muir, John Kenneth (2007). Horror Films of the 1970s, Volume 2. Jefferson, North Carolina: McFarland. ISBN 978-0-7864-3104-5
- Nadler, Holly (2006). Vineyard Confidential: 350 Years of Scandals, Eccentrics, and Strange Occurrences. Rockport, Maine: Down East Enterprise Inc. ISBN 978-0-89272-687-5
- Ochoa, George (2011). Deformed and Destructive Beings: The Purpose of Horror Films. McFarland. ISBN 978-0-7864-6307-7
- Paszylk, Bartłomiej (2009). The Pleasure and Pain of Cult Horror Films: An Historical Survey. Jefferson, North Carolina: McFarland. ISBN 978-0-7864-3695-8
- Petersen, Clarence (1975). The Bantam Story: Thirty Years of Paperback Publishing. Bantam Books. OCLC 1937339
- Priggé, Steven (2004). Movie Moguls Speak: Interviews with Top Film Producers. Jefferson, North Carolina: McFarland. ISBN 978-0-7864-1929-6
- Scanlon, Jennifer (2009). Bad Girls Go Everywhere: The Life of Helen Gurley Brown. Oxford: オックスフォード大学出版局. ISBN 978-0-19-534205-5
- Shone, Tom (2004). Blockbuster: How Hollywood Learned to Stop Worrying and Love the Summer. New York: サイモン&シュスター. ISBN 978-0-7432-3568-6
- Sinyard, Neil (1989). The Films of Steven Spielberg. London: Hamlyn Bison. ISBN 978-0-600-55226-0
- Siska, William Charles (1980). Toward a Semiotic Theory of Visual Communication in the Cinema. Manchester, New Hampshire: Ayer Publishing. ISBN 978-0-405-12900-1
- Stanley, John (1988). Revenge of the Creature Features Movie Guide: An A to Z Encyclopedia to the Cinema of the Fantastic, or, Is There a Mad Doctor in the House?. Pacifica, California: Creatures at Large Press. ISBN 978-0-940064-08-9
- Stringer, Julian (2003). Movie Blockbusters. Routledge. ISBN 978-0-415-25608-7
- Schatz, Thomas. “The New Hollywood”. Movie Blockbusters. p. 25
- Taylor, Matt (2012). Jaws: Memories from Martha's Vineyard. London: Titan Books. ISBN 978-1-78116-302-3
- Turner, Graeme (1999). Film as Social Practice. London: Routledge. ISBN 978-0-415-21595-4
- Wyatt, Justin (1994). High Concept: Movies and Marketing in Hollywood. Austin: University of Texas Press. ISBN 978-0-292-79091-9
- Wyatt, Justin (1998). “From Roadshowing to Saturation Release: Majors, Independents, and Marketing/Distribution Innovations”. In Lewis, Jon. The New American Cinema. Durham, North Carolina: Duke University Press. ISBN 978-0-8223-2115-6
- Yewdall, David Lewis (2011). Practical Art of Motion Picture Sound. Waltham, Massachusetts: Focal Press. ISBN 978-0-240-81240-3
- Jankiewicz, Patrick (2009). Just When You Thought It Was Safe: A Jaws Companion. Duncan, OK: BearManor Media June 29, 2018閲覧。
- Freer, Ian (2001). The Complete Spielberg. Virgin Books. p. 48. ISBN 9780753505564
- Derry, Charles (1977). Dark Dreams: A Psychological History of the Modern Horror Film. A. S. Barnes. p. 82. ISBN 9780498019159
- Ryfle, Steve (1998). Japan's Favorite Mon-star: The Unauthorized Biography of "The Big G". ECW Press. pp. 15–17. ISBN 9781550223484
- Bouzereau, Laurent (1995). A Look Inside Jaws. Jaws: 30th Anniversary Edition DVD (2005): Universal Home Video.
- Moreau, Jordan (April 5, 2020). “Lee Fierro, ‘Jaws’ Actor, Dies of Coronavirus at 91”. Variety April 12, 2020閲覧。
- “Summer of the Shark”. タイム. (June 23, 1975). オリジナルのNovember 30, 2009時点におけるアーカイブ。 November 9, 2011閲覧。.
- Sokol, Tony. “HBO's 'Spielberg' Documentary Is an Unabashed Love Letter to a Film Lover” October 8, 2017閲覧。
- Matessino, Michael (September 24, 1999). “Letter in response to "A Study of Jaws' Incisive Overture To Close Off the Century"”. Film Score Monthly. オリジナルのOctober 17, 2006時点におけるアーカイブ。 December 17, 2006閲覧。
- Tylski, Alexandre (1999年9月13日). “A Study of Jaws' Incisive Overture To Close Off the Century”. Film Score Monthly 2020年12月5日閲覧。
- Chaundy, Bob (November 6, 2006). “Spies, sports, and sharks”. BBC News November 6, 2006閲覧。
- Scheurer, Timothy E. (March 1, 1997). “John Williams and film music since 1971”. Popular Music and Society 21 (1): 59–72. doi:10.1080/03007769708591655. ISSN 0300-7766.
- Biskind, Peter (1975). “Jaws: Between the teeth”. Jump Cut (9): 1–29 .
- Hagen, Dan (January 1988). “Neal Gabler”. Comics Interview (Fictioneer Books) (54): pp. 61–63
- Robinson, J.A.; Barnett, A (1975). “Letter: Jaws neurosis”. New England Journal of Medicine 293: 1154–1155. doi:10.1056/NEJM197511272932224.
- Hamilton, James W. (1978). “Cinematic Neurosis: A Brief Case Report”. Journal of the American Academy of Psychoanalysis 6 (4): 569–572. doi:10.1521/jaap.1.1978.6.4.569. ISSN 0090-3604. PMID 689967.
- Ballon, Bruce; Leszcz, Molyn (2007). “Horror Films: Tales to Master Terror or Shapers of Trauma?” (英語). American Journal of Psychotherapy 61 (2): 211–230. doi:10.1176/appi.psychotherapy.2007.61.2.211. ISSN 0002-9564. PMID 17760323.
- Johnson, Brian R. (1980-12-01). “General Occurrence of Stressful Reactions to Commercial Motion Pictures and Elements in Films Subjectively Identified as Stressors” (英語). Psychological Reports 47 (3): 775–786. doi:10.2466/pr0.1980.47.3.775. ISSN 0033-2941. PMID 7220719.
- Bryant, Jennings; Zillmann, Dolf (2013-11-05) (英語). Responding To the Screen: Reception and Reaction Processes. Routledge. pp. 178. ISBN 9781136690914
- “"Jaws" breaks b.o. mark in Singapore”. Variety (285): 34. (December 8, 1976).
- “"Jaws" chomps into new b.o. marks at N. Zealand, Japan”. Variety (281): 33. (January 28, 1976).
- “"Jaws" in Spain: record $3.3-mil”. Variety (282): 3. (February 18, 1976).
- “"Jaws" openings break all Mexican records”. Box Office (109): 8. (May 3, 1976).
- “3.2 Inflation-adjusted top 20 films at the UK box office”. Statistical Yearbook 2011. British Film Institute. (2011). p. 24. オリジナルのJune 27, 2012時点におけるアーカイブ。 February 26, 2012閲覧。
- “Universal City Studios, Inc. v. Montgomery Ward & Co., Inc”. United States Patents Quarterly 207 (851). (1980).
- Magill, Marcia (August–September 1975). “Jaws”. Films in Review: 436.
- “The Best 1,000 Movies Ever Made”. ニューヨーク・タイムズ. (April 29, 2003). オリジナルの2010年10月6日時点におけるアーカイブ。 July 4, 2010閲覧。
- Simon Braund, Glen Ferris, Ian Freer, Nev Pierce, Chris Hewitt, Dan Jolin, Ian Nathan, Kim Newman, Helen O'Hara, Olly Richards, and Owen Willams. “The 500 Greatest Movies of All Time”. Empire 2020年12月5日閲覧。
- Travers, Peter (December 1999). “100 Maverick Movies”. ローリング・ストーン (830/831) January 15, 2011閲覧。.
- “Total Film features: 100 Greatest Movies Of All Time”. トータル・フィルム. (January 25, 2010). オリジナルの2010-02-10時点におけるアーカイブ。 August 17, 2010閲覧。.
- “50 Greatest Movies (on TV and Video)”. TVガイド (アメリカ): 14–33. (August 8–14, 1998) January 15, 2011閲覧。.
- "Librarian of Congress Names 25 More Films to National Film Registry" (Press release). アメリカ議会図書館. 2001-12-18. 2020-12-5閲覧。
{{cite press release2}}
:|accessdate=
の日付が不正です。 (説明) - “The 75 Best Edited Films”. Editors Guild Magazine 1 (3). (May 2012) .
- “Rise of the Blockbuster”. BBCニュース. (November 16, 2001) March 12, 2010閲覧。
- Lovgren, Stefan (June 15, 2005). “"Jaws" at 30: Film Stoked Fear, Study of Great White Sharks”. ナショナルジオグラフィック March 12, 2010閲覧。
- Fleshler, David (October 31, 2010). “One-third of world's sharks, skates and rays face extinction”. Sun-Sentinel January 11, 2010閲覧。
- Metcalf, Geoff. “Great white shark, the fragile giant”. geoffmetcalf.com August 4, 2006閲覧。
- Chapple, Mike (September 1, 2005). “Great white hope”. Liverpool Daily Post: p. 3 March 11, 2010閲覧。
- Kramer Bussel, Rachel (August 15, 2012). “Jaws Fanatics Gather to Pray to God of Sharks”. Vulture January 4, 2013閲覧。.
- McGowan, Chris (July 7, 1992). “LaserScans”. ビルボード: 65 January 1, 2012閲覧。.
- McGowan, Chris (March 23, 1996). “LaserDisk Karaoke: In Titles”. ビルボード: 62–63 January 1, 2012閲覧。.
- Nielsen Business Media, Inc (July 26, 1980). “Video Shark”. ビルボード: 64 January 1, 2012閲覧。.
- Fitzpatrick, Eileen (May 13, 2000). “Spielberg Releases 'Jaws' on DVD as Universal Marks Shark's 25th Anniversary”. Billboard: 132 January 1, 2012閲覧。.
- Fitzpatrick, Eileen (August 5, 2000). “Universal 'Jaws' DVD Ships One Million Plus; Spinal Tap Seeks Drummer Through Listen.com”. Billboard: 85 January 1, 2012閲覧。.
- “Joe Alves and Jaws 3-D”. Fangoria (1): 29. (August 1979).
- Derek, Tse (June 10, 2003). “Sequels we wish we'd missed”. The London Free Press March 11, 2010閲覧。
- James, Caryn (July 18, 1987). “Film: 'Jaws the Revenge,' The Fourth in the Series”. The New York Times June 1, 2007閲覧。
WEB
- “Jaws (1975)”. AFI Catalog of Feature Films. AFI. August 12, 2018閲覧。
- “JAWS (12A)”. 全英映像等級審査機構 (June 12, 1975). 2020年12月5日閲覧。
- “Jaws: The Oral History”. Empire. 2015年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。March 23, 2015閲覧。
- Fischbach, Bob (May 20, 2010). “Bob's Take: 'Jaws' script doctor ruthless to character played by him”. Omaha World-Herald. May 23, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。March 6, 2012閲覧。
- Pangolin Pictures (16 June 2010). Jaws: The Inside Story (Television documentary). The Biography Channel.
- Brannen, Peter (May 26, 2011). “Once Bitten: Islanders Reveal More Jaws”. Vineyard Gazette July 7, 2015閲覧。
- Harvey, Neil (June 13, 2005). “30 years of 'Jaws'”. The Roanoke Times. オリジナルのJanuary 4, 2013時点におけるアーカイブ。 March 12, 2010閲覧。
- “10 Things You Probably Didn't Know About JAWS | Edinburgh International Film Festival”. www.edfilmfest.org.uk. Film Festival. 2020年4月2日閲覧。
- Vespe, Eric (Quint) (June 6, 2011). “Steven Spielberg and Quint have an epic chat all about JAWS as it approaches its 36th Anniversary!”. Ain't It Cool News. January 2, 2012閲覧。
- Dreyfuss, Richard (6 December 2012). "Tension Between Richard Dreyfuss and Robert Shaw in "JAWS"" (Interview). Interviewed by Steven Bratter. コペンハーゲン大学. 2015年6月6日閲覧。
- Davies, Nathan (June 19, 2015). “How a big shark and a little man forced Spielberg to make Jaws even better”. The Advertiser January 21, 2016閲覧。
- “Interview with Richard Dreyfuss”. The Shark Is Still Working official website. March 7, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。March 11, 2010閲覧。
- ベラーディネリ, ジェームズ (2002年). “Jaws” August 6, 2006閲覧。
- “Jaws – 25th Anniversary Collector's Edition”. デッカ・レコード. October 6, 2003時点のオリジナルよりアーカイブ。January 2, 2012閲覧。
- Freer, Ian. “Empire's Jaws Soundtrack Review”. Empire. エンパイア. January 5, 2012閲覧。
- “Jaws”. ヴァレーズ・サラバンド・レコーズ. April 27, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。January 1, 2012閲覧。
- Smith, Neil (June 3, 2005). “Shark tale that changed Hollywood”. BBCニュース News March 12, 2010閲覧。
- Horovitz, Bruce (July 21, 2003). “Poster king dreams up images to grab audiences”. USA Today. January 2, 2012閲覧。
- Pisani, Joseph (May 22, 2006). “The Biggest Summer Blockbusters”. ビジネスウィーク. オリジナルのJanuary 25, 2010時点におけるアーカイブ。 September 20, 2009閲覧。
- Ayres, Alice; Fordham, Alice (February 14, 2006). “Man who gave summer blockbuster its bite dies”. タイムズ March 12, 2010閲覧。
- “'Jaws' Returning to Theaters for 40th Anniversary”. ハリウッド・リポーター (May 28, 2015). May 28, 2015閲覧。
- “'TCM Presents' Continues with JAWS 40th Anniversary Presentation in Select U.S. Movie Theaters This June”. ビジネスインサイダー (May 28, 2015). May 28, 2015閲覧。
- Murphy, A.D. (21 June 1977). “'Deep' Opening a 52-year Col Peak at $8.1 mil”. バラエティ.
- “Showbusiness Headlines: Day-By-Day”. デイリー・バラエティ: p. 87. (28 October 1975)
- Anderson, George (January 21, 1980). “Buffs Give Damn About 'Wind' Change”. Pittsburgh Post-Gazette: p. 24
- Los Angeles (AP) (September 10, 1975). “'Jaws' Receipts Most in U.S. Film History”. The Daytona Beach News-Journal: p. 14A
- “Reprise As To 'Jaws'”. バラエティ: 102. (January 21, 1976).
- Loyn. (July 25, 1983). “Film Reviews: Jaws 3-D”. デイリー・バラエティ: 3.
- Fenner, Pat. C. (January 16, 1978). “Independent Action”. Evening Independent: p. 11–A
- New York (AP) (May 26, 1978). “Scariness of Jaws 2 unknown quantity”. The StarPhoenix: p. 21
- “Jaws (1975) - Title Summary”. Box Office Mojo. 2020年12月7日閲覧。
- The Economist online (July 11, 2011). “Pottering on, and on – Highest-grossing film in franchise”. The Economist March 17, 2012閲覧。
- “All Time Box Office Adjusted for Ticket Price Inflation:Est. Tickets”. Box Office Mojo. 2012年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。January 26, 2012閲覧。
- “Top Lifetime Adjusted Grosses(インフレ率調整歴代興行収入記録)”. Box Office Mojo. August 27, 2020閲覧。
- “Jaws Movies”. Box Office Mojo. 2012年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。March 12, 2010閲覧。
- “Jaws (1975) - Orijinal Release Domestic(国内総収入)”. Box Office Mojo. 2020年12月7日閲覧。
- “The Ultimate Chart: 1–100”. 英国映画協会 (2004年). January 31, 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。February 26, 2012閲覧。
- “Estudo confirma hegemonia dos EUA no cinema mundial” (Portuguese). en:Folha de S.Paulo. (May 15, 2004) . "The ten most viewed films in Brazil (million spectators) 1. Titanic (16.4) 2.Jaws (13)"
- Brown, Les (November 7, 1979). “"Jaws" played to 80 million on ABC”. ニューヨーク・タイムズ: p. C29
- “Hit Movies on U.S. TV Since 1961”. バラエティ: 160. (January 24, 1990).
- Boshoff, Alison (February 7, 1998). “TV's jewels fail to shine in list of all-time winners”. デイリー・テレグラフ May 4, 2011閲覧。
- “Detail view of movies: Jaws”. American Film Institute. 2012年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。January 20, 2012閲覧。
- “Jaws (1975)”. Rotten Tomatoes. April 27, 2020閲覧。
- “Jaws”. Metacritic. 2020年12月2日閲覧。
- Ebert, Roger (January 1, 1975). “Jaws”. シカゴ・サンタイムズ August 3, 2006閲覧。
- Murphy, A. D. (June 18, 1975). “Jaws”. バラエティ August 3, 2006閲覧。
- Crist, Judith (June 23, 1975). “Fish Story On a Grand Scale”. New York August 3, 2006閲覧。
- Reed, Rex (June 15, 1975). “Film to Jaw About: 'Le Chat's' Meow”. New York Daily News
- Canby, Vincent (June 21, 1975). “Entrapped by 'Jaws' of Fear”. ニューヨーク・タイムズ August 3, 2006閲覧。
- Champlin, Charles (June 20, 1975). “Don't Go Near the Water”. ロサンゼルス・タイムズ August 31, 2006閲覧。
- Halliwell, Leslie (1997) (English). Halliwell's Film and Video Guide (paperback) (13 ed.). HarperCollins. ISBN 978-0-00-638868-5
- “The 48th Academy Awards (1976) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. October 2, 2011閲覧。
- “18th Annual GRAMMY Awards”. ザ・レコーディング・アカデミー. 2020年12月5日閲覧。
- “Fact Sheet: Jaws”. E! Entertainment Television. March 19, 2005時点のオリジナルよりアーカイブ。January 5, 2012閲覧。
- “And the 2nd Annual "Favorite Movie People's Choice" is ... Jaws!”. ピープルズ・チョイス・アワード. July 25, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。January 5, 2012閲覧。
- “Film Nominations 1975”. 英国映画テレビ芸術アカデミー. February 26, 2012閲覧。
- “33rd Annual Golden Globe Awards Nominations”. ハリウッド外国人映画記者協会. November 24, 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。January 28, 2011閲覧。
- “Awards / History / 1975 – 28th Annual DGA Awards”. 全米監督協会. January 5, 2012閲覧。
- “Writers Guild Foundation Library Catalog: Jaws”. Writers Guild of America West. June 18, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。January 5, 2012閲覧。
- “1,000 Greatest Films (Full List)”. Theyshootpictures.com. 2020年12月5日閲覧。 “102. Jaws - Spielberg, Steven (1975)”
- “AFI's 100 Years ... 100 Movies – 10th Anniversary Edition”. アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI). June 2, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。January 3, 2012閲覧。
- “AFI's 100 Years ... 100 Movies (10th Anniversary Edition)”. アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI). 2020年12月5日閲覧。
- “AFI's 100 Years ... 100 Heroes & Villains”. アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI). 2020年12月5日閲覧。
- “AFI's 100 Years ... 100 Quotes”. アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI). 2020年12月5日閲覧。
- “AFI's 100 YEARS OF FILM SCORES”. アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI). 2020年12月5日閲覧。
- “AFI's 100 Years ... 100 Thrills”. アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI). 2020年12月5日閲覧。
- “The 100 Scariest Movie Moments: 100 Scariest Moments in Movie History—Official Bravo TV Site”. Bravo Company (2004年). October 30, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。July 28, 2010閲覧。
- “Empire's The 100 Greatest Movie Characters”. Empire. 2010年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。May 21, 2010閲覧。
- “Film Four's 100 Greatest Films of All Time”. Film4. Published by AMC FilmSite.org. 2020年12月5日閲覧。 “12. JAWS (1975)”
- “50 Greatest Films”. Vanity Fair (September 2005). January 15, 2011閲覧。
- “101 Best Screenplays”. Writers Guild of America West (April 7, 2006). August 13, 2006時点のオリジナルよりアーカイブ。July 4, 2010閲覧。
- “Jaws–The Monster That Ate Hollywood”. 公共放送サービス(PBS) (2001年). August 6, 2006閲覧。
- Fisher, Luchina (June 18, 2010). “Jaws' Launched Summer Blockbuster 35 Years Ago”. ABCニュース. January 14, 2011閲覧。
- Hays, Matthew. “A Space Odyssey”. Montreal Mirror. June 5, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。July 31, 2007閲覧。
- Wheeler, Jeremy. “Deep Blood (1990)”. Allrovi. January 2, 2012閲覧。
- Lamar, Cyriaque (September 13, 2010). “"Jaws in Japan" promises cyclopean Selachimorphae, breasts”. Jabootu's Bad Movie Dimension. July 31, 2014閲覧。
- “Richard Dreyfuss reveals why he made 'Piranha 3-D:' "to get money";– Film.com”. HollywoodNews.com. Film.com. August 19, 2010閲覧。
- “First look: 'The Shark is Still Working'”. Los Angeles United Film Festival. April 17, 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。January 1, 2012閲覧。
- “JAWS and TSISW in Austin, Texas August 1, 2, 8!”. The Shark is Still Working official website. August 11, 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。January 5, 2012閲覧。
- Nashawaty, Chris (December 1, 1995). “Jaws (1995)”. Entertainment Weekly. 2012年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。January 5, 2012閲覧。
- King, Susan (July 13, 2000). “Feeding 'Jaws' Fans”. Los Angeles Times. January 5, 2012閲覧。
- Venendaal, Matt (July 11, 2000). “Jaws: 25th Anniversary Edition”. IGN. April 15, 2010閲覧。
- Dutka, Elaine (June 14, 2005). “Making this cold fish hot again”. Los Angeles Times. January 5, 2012閲覧。
- “Jaws (12)”. Total Film (August 29, 2005). 2010年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。April 15, 2010閲覧。
- Chitwood, Adam (April 10, 2012). “Universal Confirms Digitally Remastered JAWS Coming to Blu-ray August 14; Watch Steven Spielberg Talk About the Restoration”. Collider. 2013年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。April 11, 2012閲覧。
- Arnold, Thomas K. (August 22, 2012). “'Hunger Games' Sweeps Sales and Rental Charts”. Home Media Magazine. December 20, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。March 9, 2013閲覧。
- Jaws 4K Blu-ray 2020年12月5日閲覧。
- “Jaws”. Universal Orlando. 2009年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月2日閲覧。
- “Jaws”. ユニバーサル・ジャパン. 2010年4月15日閲覧。
- Bevil, Dewayne (2012年1月2日). “It's the end of the line for Jaws at Universal”. Orlando Sentinel. 2012年1月3日閲覧。
- “Studio Tour”. universalstudioshollywood.com. 2014年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月5日閲覧。
- Sutherland, Sam (2007年3月2日). “Giant Killer Shark And Other Meta-Musicals”. AOL Music. 2007年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月15日閲覧。
- “Jaws (1987)”. GameSpot. 2012年1月1日閲覧。
- Dunham, Jeremy (May 23, 2006). “JAWS Ships Out”. IGN. 2012年1月1日閲覧。
- Makuch, Eddie (June 2, 2011). “Jaws: Ultimate Predator chomping Wii, 3DS”. GameSpot. 2012年1月1日閲覧。
- “Jaws Surfaces on the iTunes App Store”. IGN (2006年8月19日). 2012年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月1日閲覧。
- “Pinball FX3 has big names lining up for a table”. Polygon (2017年8月26日). 2019年11月21日閲覧。
- “Aristocrat's newest Hyperlink Slot, JAWS™ makes world premiere at Sycuan Casino”. Aristocrat (2009年3月8日). 2013年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月15日閲覧。
- “ぱちんこJAWS 京楽産業.”. 京楽産業.. 2020年12月5日閲覧。
- “CR JAWS〜It's a SHARK PANIC〜 株式会社平和”. 平和. 2020年12月5日閲覧。
- Dinning, Mark. “Empire's Jaws2 Movie Review”. Empire. October 18, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。January 5, 2012閲覧。
- Nunziata, Nick (May 15, 2001). “Jaws 2 – DVD Review”. IGN. January 5, 2012閲覧。
- Nashawaty, Chris. “The 25 Worst Sequels Ever Made – 10. Jaws: The Revenge (1987)”. Entertainment Weekly. オリジナルの2012年2月10日時点におけるアーカイブ。 March 11, 2010閲覧。
- Wilson, John (2000年8月23日). “1987 Archive”. ゴールデンラズベリー賞. May 1, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。December 11, 2006閲覧。
- “Jaws 3-D”. Variety (January 1, 1983). 2012年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。November 28, 2006閲覧。
- Begg, Ken (2012年8月27日). “Cruel Jaws (1995)”. Jabootu's Bad Movie Dimension. 2014年7月31日閲覧。
- “地獄のジョーズ/'87最後の復讐”. allcinema. 2020年12月5日閲覧。
- “ジョーズ’98/激流篇”. allcinema. 2020年12月5日閲覧。
- “ジョーズ’96/虐殺篇”. allcinema. 2020年12月5日閲覧。
関連項目
- ニュージャージーサメ襲撃事件 - 原作の元の1つになった事件。
- ハンター・スコット - この映画を見たことをきっかけに、インディアナポリス艦長の名誉回復運動を行った。