コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「大同府」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
8行目: 8行目:
[[1288年]]([[至元 (元世祖)|至元]]25年)、[[元 (王朝)|元]]により西京大同府は[[大同路]]と改められた。大同路は[[腹裏|中書省]]に属し、録事司と大同・白登・宣寧・懐仁・[[チャハル右翼前旗|平地]]の5県と弘州と[[渾源県|渾源州]]と[[応県|応州]]に属する[[応県|金城]]・[[山陰県|山陰]]の2県と[[朔州]]に属する[[朔城区|鄯陽]]・[[朔城区|馬邑]]の2県と[[神池県|武州]]と[[豊州 (内モンゴル自治区)|豊州]]と[[東勝州]]と[[雲内州]]の合わせて1司5県8州州領4県を管轄した<ref>『[[元史]]』地理志一</ref>。
[[1288年]]([[至元 (元世祖)|至元]]25年)、[[元 (王朝)|元]]により西京大同府は[[大同路]]と改められた。大同路は[[腹裏|中書省]]に属し、録事司と大同・白登・宣寧・懐仁・[[チャハル右翼前旗|平地]]の5県と弘州と[[渾源県|渾源州]]と[[応県|応州]]に属する[[応県|金城]]・[[山陰県|山陰]]の2県と[[朔州]]に属する[[朔城区|鄯陽]]・[[朔城区|馬邑]]の2県と[[神池県|武州]]と[[豊州 (内モンゴル自治区)|豊州]]と[[東勝州]]と[[雲内州]]の合わせて1司5県8州州領4県を管轄した<ref>『[[元史]]』地理志一</ref>。


[[1369年]]([[洪武]]2年)、[[明]]により大同路は大同府と改められた。大同府は山西省に属し、大同・懐仁の2県と渾源州と応州に属する山陰県と朔州に属する馬邑県と[[蔚州 (山西省)|蔚州]]に属する[[広霊県|広霊]]・[[ライ源県|広昌]]・[[霊丘県|霊丘]]の3県の合わせて4州7県を管轄した<ref>『[[明史]]』地理志二</ref>。
[[1369年]]([[洪武]]2年)、[[明]]により大同路は大同府と改められた。大同府は山西省に属し、大同・懐仁の2県と渾源州と応州に属する山陰県と朔州に属する馬邑県と[[蔚州 (山西省)|蔚州]]に属する[[広霊県|広霊]]・[[源県|広昌]]・[[霊丘県|霊丘]]の3県の合わせて4州7県を管轄した<ref>『[[明史]]』地理志二</ref>。


[[清]]のとき、大同府は山西省に属し、大同・懐仁・山陰・[[陽高県|陽高]]・[[天鎮県|天鎮]]・広霊・霊丘・渾源州・応州の2州7県を管轄した<ref>『[[清史稿]]』地理志七</ref>。
[[清]]のとき、大同府は山西省に属し、大同・懐仁・山陰・[[陽高県|陽高]]・[[天鎮県|天鎮]]・広霊・霊丘・渾源州・応州の2州7県を管轄した<ref>『[[清史稿]]』地理志七</ref>。

2021年3月1日 (月) 05:25時点における版

大同府(だいどうふ)は、中国にかつて存在した遼代から民国初年にかけて、現在の山西省大同市一帯に設置された。

概要

1044年重熙13年)、契丹により雲州が大同府に昇格し、西京とされた。西京大同府西京道に属し、大同雲中奉義天成長青懐仁懐安の7県と弘州に属する永寧順聖の2県と徳州に属する宣徳県を管轄した[1]

のとき、西京大同府は西京路に属し、大同・雲中・天成・白登・懐仁・懐安・宣寧の7県と奉義・安七疃・窟竜城の3鎮を管轄した[2]

1288年至元25年)、により西京大同府は大同路と改められた。大同路は中書省に属し、録事司と大同・白登・宣寧・懐仁・平地の5県と弘州と渾源州応州に属する金城山陰の2県と朔州に属する鄯陽馬邑の2県と武州豊州東勝州雲内州の合わせて1司5県8州州領4県を管轄した[3]

1369年洪武2年)、により大同路は大同府と改められた。大同府は山西省に属し、大同・懐仁の2県と渾源州と応州に属する山陰県と朔州に属する馬邑県と蔚州に属する広霊広昌霊丘の3県の合わせて4州7県を管轄した[4]

のとき、大同府は山西省に属し、大同・懐仁・山陰・陽高天鎮・広霊・霊丘・渾源州・応州の2州7県を管轄した[5]

1913年中華民国により大同府は廃止された。

脚注

  1. ^ 遼史』地理志五
  2. ^ 金史』地理志上
  3. ^ 元史』地理志一
  4. ^ 明史』地理志二
  5. ^ 清史稿』地理志七