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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | ヤクルトスワローズ | 68 | 46 | 16 | .596 | - |
2位 | 読売ジャイアンツ | 65 | 49 | 16 | .570 | 3.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 62 | 50 | 18 | .554 | 5.0 |
4位 | 横浜大洋ホエールズ | 64 | 57 | 9 | .529 | 7.5 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 53 | 71 | 6 | .427 | 20.0 |
6位 | 阪神タイガース | 41 | 80 | 9 | .339 | 30.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 前・後 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 82 | 39 | 9 | .678 | 1・1 |
2位 | 近鉄バファローズ | 71 | 46 | 13 | .607 | 2・2 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 3・4 |
4位 | ロッテオリオンズ | 53 | 62 | 15 | .461 | 5・3 |
5位 | クラウンライターライオンズ | 51 | 67 | 12 | .432 | 4・5 |
6位 | 南海ホークス | 42 | 77 | 11 | .353 | 6・6 |
- 阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝となった。
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月14日(土) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 6 - 5 | ヤクルトスワローズ | 後楽園球場 |
10月15日(日) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 6 - 10 | ヤクルトスワローズ | |
10月16日(月) | 移動日 | ||||
10月17日(火) | 第3戦 | ヤクルトスワローズ | 0 - 5 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月18日(水) | 第4戦 | ヤクルトスワローズ | 6 - 5 | 阪急ブレーブス | |
10月19日(木) | 第5戦 | ヤクルトスワローズ | 7 - 3 | 阪急ブレーブス | |
10月20日(金) | 移動日 | ||||
10月21日(土) | 第6戦 | 阪急ブレーブス | 12 - 3 | ヤクルトスワローズ | 後楽園球場 |
10月22日(日) | 第7戦 | 阪急ブレーブス | 0 - 4 | ヤクルトスワローズ | |
優勝:ヤクルトスワローズ(初優勝) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 若松勉 | ヤクルト | 山田久志 | 阪急 | ||
最優秀新人 | 角三男 | 巨人 | 村上之宏 | 南海 | ||
首位打者 | 水谷実雄 | 広島 | .348 | 佐々木恭介 | 近鉄 | .354 |
本塁打王 | 山本浩二 | 広島 | 44本 | B.ミッチェル | 日本ハム | 36本 |
打点王 | 王貞治 | 巨人 | 118点 | B.マルカーノ | 阪急 | 94点 |
最多安打 | 松原誠 | 大洋 | 164本 | 福本豊 | 阪急 | 171本 |
盗塁王 | 柴田勲 | 巨人 | 34個 | 福本豊 | 阪急 | 70個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) |
王貞治 | 巨人 | 247個 | 佐々木恭介 | 近鉄 | .407 |
最優秀防御率 | 新浦寿夫 | 巨人 | 2.81 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 2.02 |
最多勝利 | 野村収 | 大洋 | 17勝 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 25勝 |
最多奪三振 | 斉藤明雄 | 大洋 | 162個 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 178個 |
最高勝率 | 鈴木康二朗 | ヤクルト | .813 | 山田久志 | 阪急 | .818 |
最優秀救援投手 | 新浦寿夫 | 巨人 | 25SP | 山口高志 | 阪急 | 26SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 新浦寿夫 | 巨人 | 鈴木啓示 | 近鉄 |
捕手 | 大矢明彦 | ヤクルト | 中沢伸二 | 阪急 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 柏原純一 | 日本ハム |
二塁手 | D.ヒルトン | ヤクルト | B.マルカーノ | 阪急 |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 島谷金二 | 阪急 |
遊撃手 | 高橋慶彦 | 広島 | 真弓明信 | クラウン |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | 福本豊 | 阪急 |
若松勉 | ヤクルト | 佐々木恭介 | 近鉄 | |
C.マニエル | ヤクルト | 簑田浩二 | 阪急 | |
指名打者 | 土井正博 | クラウン |
ダイヤモンドグラブ賞
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 堀内恒夫 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 大矢明彦 | ヤクルト | 中沢伸二 | 阪急 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 柏原純一 | 日本ハム |
二塁手 | 土井正三 | 巨人 | B.マルカーノ | 阪急 |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 島谷金二 | 阪急 |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 大橋穣 | 阪急 |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | 福本豊 | 阪急 |
若松勉 | ヤクルト | 簑田浩二 | 阪急 | |
J.ライトル | 広島 | B.ウイリアムス | 阪急 |
オールスターゲーム
→詳細は「1978年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第50回選抜高等学校野球大会優勝:浜松商(静岡県)
- 第60回全国高等学校野球選手権大会優勝:PL学園(大阪府)
大学野球
- 第27回全日本大学野球選手権大会優勝 : 明治大
- 第9回明治神宮野球大会優勝 : 同志社大
社会人野球
メジャーリーグ
→詳細は「1978年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ) (4勝2敗) ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ)
できごと
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1月
- 1月14日 - 南海は柏原純一を大阪市の球団事務所に呼び、日本ハムへのトレード移籍を改め通告するも柏原は拒否、南海は柏原に対し日本ハムへ保有権を譲渡すると通告[1]。
- 1月24日 - 野球体育博物館にに表彰、掲載される野球人を選ぶ競技者表彰委員会が東京・有楽町の「アラスカ」にて開かれ記者投票を開票した結果、松木謙治郎と浜崎真二を選出[2]。
- 1月25日 - 柏原純一が日本ハムへのトレードに応じると表明[3]。
- 1月27日 - 日本ハムは柏原純一と東京・六本木の球団事務所にてトレードの手続きを行い、午後3時より記者会見を行い入団を正式に発表[4]。
- 1月30日 - クラウンは福岡市の西鉄グランドホテルにて前中日のウィリー・デービスの入団を発表。また、テスト生として採用した中学生2名の入団を発表[5]。
2月
3月
- 3月20日 - 巨人が午後4時から東京・大手町の読売新聞社にて大洋からジョン・シピンを金銭トレードで獲得したと正式に発表。巨人はシピンに大洋時代と同じ背番号11を用意したため、それまで11を着けていた新人の角三男の背番号が45に変更される[7]。
- 3月28日 - プロ野球実行委員会が東京・九段下のホテルグランドパレスにて開かれ、ドラフト制度を再検討するため”ドラフト制度審議委員会”の設置を決める[8]。
- 3月30日 - 第50回選抜高等学校野球大会の第4日の第3試合・前橋高校対比叡山高校の試合で、前橋の松本稔が大会史上初の完全試合を達成[9][10]。
4月
- 4月1日
- 4月2日 - 大洋の高橋重行がナゴヤ球場での対中日2回戦に3番手として登板し、プロ通算500試合登板達成[13]。
- 4月4日 - 横浜スタジアムの開場試合となる大洋対巨人1回戦が行われ、大洋が巨人に4-1で勝利する[14]。
- 4月6日
- 4月8日 - ヤクルトの福富邦夫が広島球場での対広島4回戦の4回表に1号本塁打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[18]。
- 4月9日 - 日本ハムの高橋直樹が後楽園球場での対阪急3回戦で1勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[19]。
- 4月14日 - ヤクルトの若松勉が神宮球場での対中日1回戦の1回裏に1号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[20]。
- 4月15日 - 中日の井上弘昭がナゴヤ球場での対阪神戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[21]。
- 4月16日 - 【MLB】セントルイス・カージナルスのボブ・フォーシュがブッシュ・スタジアムでの対フィラデルフィア・フィリーズ戦に先発し、ノーヒット・ノーランを達成[22]。
- 4月19日 - 【MLB】シンシナティ・レッズのジョー・モーガンがドジャー・スタジアムでの対ロサンゼルス・ドジャース戦に出場し、二塁手としてメジャー・リーグタイ記録の89試合連続無失策を達成[23]。
- 4月21日 - 平和台球場でのクラウン対阪急4回戦が行われ、阪急の島谷金二が1回表に5号満塁本塁打を放ち、球団通算3000本塁打を記録[24]。
- 4月25日 - 阪神の藤田平が広島市民球場での対広島9回表に二塁打を放ち、プロ通算1500本安打を達成[25]。
5月
- 5月6日 - 大洋の山下大輔が横浜スタジアムでの対ヤクルト7回戦の7回表にヤクルトの打者山下慶徳の遊ゴロを一塁へ悪投し、1977年8月28日対広島19回戦より続いていた連続無失策の記録が322で途絶える[26]。
- 5月14日 - 西宮球場での阪急対近鉄7回戦で近鉄が16-9プロと勝利、プロ野球史上初の全員打点を、パ・リーグ史上5度目の全員得点を記録[27]。
- 5月20日 - 大洋の長崎慶一が横浜スタジアムでの対阪神10回戦においてサイクル安打を達成[28]。
- 5月21日 - 阪急の島谷金二が大阪球場での対南海9回戦の5回表に6号本塁打、9回表に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[29]。
- 5月23日 - 阪急の加藤秀司が西宮球場での対日本ハム7回戦の3回裏に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[30]。
- 5月27日 - ロッテの山崎裕之が後楽園球場での対日本ハム9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[31]。
6月
- 6月3日
- 6月5日 - 阪神の田淵幸一が神宮球場での対ヤクルト8回戦の3回に17号本塁打、5回に18号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[34]。
- 6月6日 - クラウンの土井正博が西京極球場での対阪急9回戦の4回表に12号本塁打を放ち、プロ通算400本塁打を達成[35]。
- 6月7日 - 阪急の福本豊が西京極球場での対クラウン10回戦1回裏に二盗を成功させ、プロ通算650盗塁を達成[36]。
- 6月8日
- 6月14日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神11回戦の一回裏に20号2点本塁打を打ち、プロ野球新記録となる通算1949打点[39]。
- 6月18日
- 6月21日 - ヤクルトの若松勉が広島球場での対広島14回戦の5回表に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[42]。
- 6月25日 - 広島の水谷実雄が広島球場での対巨人13回戦の4回裏に6号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[43]。
- 6月28日 - ロッテは西宮球場での対阪急13回戦に6-7で敗れ、パ・リーグタイ記録の15連敗となる[44]。
7月
- 7月3日 - 川崎球場でロッテ対阪急後期3回戦でロッテが6-5で勝ち、連敗を15で止める[45]。阪急はこの試合で通算2000試合を記録[46]。
- 7月6日
- 7月10日 - 神宮球場でのヤクルト対巨人16回戦の1回表に、巨人のジョン・シピンがヤクルトの鈴木康二朗から死球を受けた後、鈴木に暴行を働き退場、さらに巨人先発のクライド・ライトも3回に降板を命じられたことに激昂し、カメラマンのカメラを取り上げて放り投げる行為に及ぶ[49][50]。
- 7月14日 - オールスター運営委員会はファン投票の最終結果を発表。パ・リーグは日本ハムの選手が8つのポジションを占め、日本ハムは三塁手で選出された古屋英夫、遊撃手で選出された菅野光夫の出場辞退をコミッショナーに申し出て受理される。代わりに島谷金二、大橋穣が選出される[51]。
- 7月18日 - 阪急の監督の上田利治が高熱で入院、22日からのオールスターのパ・リーグ監督を辞退[52]。
- 7月19日 - オールスター運営委員会は全パ監督を務める予定だった阪急の監督の上田利治の辞退を認め、上田の代わりに南海監督の広瀬叔功が全パ監督を務めると発表[53]。
- 7月24日 - プロ野球のセ・パ合同選手会が東京・品川のパシフィックホテルにて午後2時から行われ、選手会を法人化して独自に運営することを正式に決定[54]。
- 7月31日 - パ・リーグ理事会にてパ・リーグ会長の岡野祐の辞任を了承。クラウンの球団代表の坂井保之が会長代行を務める[55]。
8月
- 8月1日 - 【MLB】シンシナティ・レッズのピート・ローズがアトランタ・ブレーブス戦で5打数0安打に終わり、ナ・リーグ記録を更新中だった連続試合安打が44で止まる[56]。
- 8月3日 - 広島の衣笠祥雄が岡山での対中日16回戦に出場し、日本プロ野球史上3人目の1000試合連続出場を記録[57]。
- 8月8日 - 第49回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場にて行われ、共に川崎市の東芝対日本鋼管の試合は東芝が日本鋼管を4-0で下して優勝[58]。
- 8月9日 - 中日のジーン・マーチンがナゴヤ球場での対巨人20回戦の4回裏に22号本塁打を放ち、プロ野球通算150号本塁打を達成[59]。
- 8月10日 - パ・リーグ会長の岡野祐が10日付で辞任し、パ・リーグ事務所で記者会見[60]。
- 8月13日 - 巨人の柴田勲が後楽園球場での対大洋21回戦の3回裏に二盗を成功させ、プロ通算550盗塁を達成[61]。
- 8月15日
- 8月20日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園において行われ、大阪府のPL学園が高知県の高知商に3-2でサヨナラ勝ちし初優勝[64]。PL学園は準決勝、決勝を逆転で勝利し「逆転のPL」とよばれる。
- 8月26日 - 日本ハムの高橋直樹が後楽園球場での対ロッテ後期11回戦の三回表にレロン・リーから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[65]。
- 8月30日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対23回戦の6回裏に34号本塁打を放ち、プロ野球史上初の通算800号本塁打を達成[66]。
- 8月31日 - 阪急の今井雄太郎が県営宮城球場での対ロッテ8回戦で完全試合を達成、プロ野球史上14人目[67]。
9月
- 9月5日 - 巨人対阪神21回戦の試合が甲子園球場で行われ、巨人は公式戦5000試合を記録[68]。
- 9月6日
- 9月9日
- 9月10日 - 巨人の柳田俊郎が広島市民球場での対広島24回戦の二回表に10号本塁打を打ち、これは球団通算4000号本塁打となる[73]。
- 9月11日 - 近鉄の鈴木啓示が西宮球場での対阪急後期9回戦に先発して5失点で敗戦投手となり、連続完投勝利の記録は10でストップ[74]。
- 9月14日
- 9月22日 - 巨人の王貞治がナゴヤ球場での対中日24回戦の8回表に38号ソロ本塁打を放ち、プロ通算2000打点を達成[77]。
- 9月23日
- 近鉄対阪急の13回戦が藤井寺球場にて行われ、この試合が後期最終戦となる近鉄は勝てば後期優勝が決まったが、阪急が近鉄を4-2と下し、優勝決定は持ち越しとなる。阪急の先発・山田久志が子の試合で勝利投手となり、プロ通算150勝を達成[78]。
- パ・リーグの後期優勝は、阪急が残り2試合の勝敗次第となり、阪急が1勝か2引き分けで阪急優勝、2敗か1敗1引き分けで近鉄優勝となる。
- 9月26日 - パ・リーグの新会長に工藤信一良が就任することが決定し、東京・九段下のホテル・グランドパレスにて記者会見を行う[79]。
- 9月27日 - 阪急が川崎球場でのロッテ12回戦でロッテを4-1で下して勝利し、パ・リーグの後期優勝が決定、阪急は前期も優勝しているため4年連続9回目のリーグ優勝が決定[80]。
- 9月28日 - 巨人の張本勲が後楽園球場での対広島26回戦に出場し、プロ通算2500試合出場を達成[81]。
- 9月30日 - パ・リーグは全日程が終了[82]。
10月
- 10月2日 - ロッテは東京・西新宿の本社で球団役員会を開き、監督の金田正一の辞表を受理し、辞任が決定。この後ロッテ本社にて金田が記者会見し辞任を正式に表明[83]。
- 10月4日 - 神宮球場にてヤクルト対中日24回戦が行われ、ヤクルトが9-0で勝利し、球団創立29年目で初優勝[84]。
- 10月9日
- 10月10日 - 広島の山本浩二がナゴヤ球場での対中日25回戦の二回表に44号本塁打を打ち、広島はプロ野球史上初めてチーム年間200号本塁打を記録[87]。
- 10月11日
- 10月12日
- 10月22日 - 日本シリーズ第7戦が後楽園で行われ、ヤクルトが阪急に4-0で勝利し、初の日本一を達成[92]。この試合の6回裏、ヤクルトの大杉勝男のシリーズ第3号本塁打の判定に対し、阪急の上田利治監督がファウルだと抗議、試合が1時間19分中断[93]。
- 10月23日
- 10月27日 - ロッテは東京・錦糸町のロッテ会館にて記者会見し、野球評論家の山内一弘が新監督に就任したと正式に発表[96]。
11月
- 11月1日 - ヤクルトは監督の広岡達朗と新たに3年契約を結んだと発表[97]。
- 11月4日 - 阪神は午後4時から大阪市梅田区のホテル阪神にて記者会見し、前広島のヘッドコーチのドン・ブレイザーが監督に就任したと正式に発表[98]。
- 11月9日 - 阪神は午後5時から大阪市梅田区のホテル阪神にて記者会見し、中西太が打撃コーチに就任したと正式に発表[99]。
- 11月15日
- 11月18日 - 平和台球場で福岡のライオンズとして最後の試合を行う(シンシナティ・レッズ対クラウン・巨人連合)。
- 11月20日
- 11月21日
- 11月22日 - 第14回プロ野球ドラフト会議が午前11時5分より東京・九段下のホテル・グランドパレスにて開催される。巨人は裁定を不服として欠席し、11球団での開催となる。江川は4球団競合の末、阪神が交渉権を獲得[106]。
- 11月27日
12月
- 12月1日 - 西武は池袋のサンシャインビル60内の球団事務所にて前ロッテの野村克也の入団を発表[109]。
- 12月6日 - 阪神と西武はさる11月に成立した田淵幸一・古沢憲司と真弓明信・若菜嘉晴・竹之内雅史・竹田和史の2対4のトレードを正式に発表[110]。
- 12月19日 - 西武の基満男と大洋の根本隆・鵜沢達雄の交換トレードが成立したと正式に発表[111]。
- 12月21日 - コミッショナーの金子鋭は午後3時東京・芝の東京グランドホテルに巨人の球団代表の長谷川実雄に対し、巨人と江川卓との契約を無効としたセ・リーグ会長の鈴木竜二の裁定を不服とした巨人からの提訴を却下したとの裁定書を通知。午後3時15分から記者会見して発表[112]。
- 12月22日
誕生
1月
- 1月4日 - クリストファー・ギッセル
- 1月6日 - 山北茂利
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
- 1月3日 - 三宅大輔(大日本東京野球倶楽部・阪急軍他の元監督、*1893年)
- 1月13日 - ジョー・マッカーシー(シカゴ・カブス・ニューヨーク・ヤンキース他の元監督、*1887年)
- 1月28日 - ラリー・レインズ(阪急ブレーブス他の元内野手、*1930年)
- 2月11日 - 江田孝(松竹ロビンス他の元投手、クラウンライターライオンズ投手コーチ、*1923年)
- 5月10日 - 鈴木芳太郎(南海ホークス元投手、*1913年)
- 5月20日 - バッキー・ハリス(名古屋軍・後楽園イーグルスの元捕手、*1908年)
- 10月8日 - ジム・ギリアム(ブルックリン→ロサンゼルス・ドジャースの元内野手・コーチ、*1928年)
出典
- ^ 読売新聞1978年1月15日17面「柏原の保有権、ハムに譲渡 南海が最後通牒」読売新聞縮刷版1978年1月p443
- ^ 読売新聞1978年1月25日17面「"球界彦左"の浜崎さん 沢村の好敵手・松木さん 殿堂入り」読売新聞縮刷版1978年1月p771
- ^ 読売新聞1978年1月26日17面「柏原、ハム入りを表明」読売新聞縮刷版1978年1月p807
- ^ 読売新聞1978年1月28日19面「『お騒がせしました』柏原、日ハムと入団契約」読売新聞縮刷版1978年1月p879
- ^ 読売新聞1978年1月31日17面「クラウン⑥デービス」読売新聞縮刷版1978年1月p977
- ^ 読売新聞1978年2月16日夕刊11面「ドラフト国会で意見聞く」読売新聞縮刷版1978年2月p523
- ^ 読売新聞1978年3月21日17面「シピン、巨人入り 背番号11」読売新聞縮刷版1978年3月p731
- ^ 読売新聞1978年3月29日16面「ドラフト審議委新設 両リーグ再検討へ」読売新聞縮刷版1978年3月p994
- ^ 毎日新聞1978年3月31日1面「センバツ 松本(前橋)が完全試合 春夏通じ初の快挙 対比叡山戦」毎日新聞縮刷版1978年3月p923
- ^ 読売新聞1978年3月31日1面「"甲子園"初の完全試合 前橋高・松本投手が快挙」読売新聞縮刷版1978年3月p1055
- ^ 読売新聞1978年4月1日夕刊11面「フレッシュ4月 後楽園に"本番の熱気"」読売新聞縮刷版1978年4月p35
- ^ 読売新聞1978年4月2日18面「近鉄・鈴木投手が通算500試合登板」読売新聞縮刷版1978年4月p54
- ^ 毎日新聞1978年4月3日16面「高橋500試合登板」毎日新聞縮刷版1978年4月p74
- ^ 毎日新聞1978年4月5日16面「『ハマ』の大洋 初戦飾る 巨人に逆転勝ち」毎日新聞縮刷版1978年4月p138
- ^ 毎日新聞1978年4月6日1面「センバツ 浜松商が初優勝 2-0 福井商を振り切る 50回大会」毎日新聞縮刷版1978年4月p155
- ^ 毎日新聞1978年4月6日16面「2000本安打」毎日新聞縮刷版1978年4月p74
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- ^ 読売新聞1978年10月10日19面「ヤクルトついに無得点 『全試合』の大記録 最終戦で逸す」読売新聞縮刷版1978年10月p361
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- ^ 読売新聞1978年10月12日17面「山本浩(本塁打王)水谷(首位打者)が初 セも全日程終了」読売新聞縮刷版1978年10月p395
- ^ 日刊スポーツ1978年10月12日3面「刷新阪神スタート 球団新社長に小津氏就任」
- ^ 読売新聞1978年10月12日夕刊1面「ライオンズ(クラウンライター)身売り 西武系企業に10億円で譲渡」読売新聞縮刷版1978年9月p407
- ^ 読売新聞1978年10月13日17面「土井専任、国松残る 巨人、巻き返しへ新内閣 与那嶺一軍、黒江は退団」読売新聞縮刷版1978年10月p439
- ^ 毎日新聞1978年10月23日1面「ヤクルト初優勝 日本シリーズ大荒れ最終戦 阪急のV4阻む」毎日新聞縮刷版1978年10月p663
- ^ 毎日新聞1978年10月23日22面「大もめV1 中断1時間19分 日本シリーズ ホームランかファウルか」毎日新聞縮刷版1978年10月p684
- ^ 毎日新聞1978年10月24日19面「セ若松 MVP 山田パ 新人王は角(巨人)村上(南海)両投手」毎日新聞縮刷版1978年10月p715
- ^ 毎日新聞1978年10月24日19面「阪急監督に梶本昇格 上田、健康上の理由で辞任」毎日新聞縮刷版1978年10月p715
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- ^ 読売新聞1978年11月21日17面「タイムアップ 西武、江川を断念」読売新聞縮刷版1978年11月p751
- ^ 読売新聞1978年11月21日17面「江川"貝"になって帰国 『今さら話すことも……』あす注目のドラフト」読売新聞縮刷版1978年11月p751
- ^ 読売新聞1978年11月21日夕刊1面「江川投手、巨人と契約 ドラフト前日『期限切れでフリー』」読売新聞縮刷版1978年11月p759
- ^ 朝日新聞1978年11月22日1面「巨人と江川の契約無効 セ会長 実行委に諮り却下」朝日新聞縮刷版1978年11月p779
- ^ 朝日新聞1978年11月22日夕刊1面「江川、阪神に交渉権 注目の中 ドラフト会議」朝日新聞縮刷版1978年11月p809
- ^ 読売新聞1978年11月28日17面「金田留投手、広島へ」読売新聞縮刷版1978年11月p1021
- ^ 読売新聞1978年11月28日17面「広島大下、コーチ専任」読売新聞縮刷版1978年11月p1021
- ^ 読売新聞1978年12月2日17面「ノムさんまたまた一卒兵へ 『奥義極める』- 西武の捕手に」読売新聞縮刷版1978年12月p61
- ^ 読売新聞1978年12月7日17面「『西武田淵』誕生」読売新聞縮刷版1978年12月p247
- ^ 読売新聞1978年12月20日16面「基、複数トレードで大洋へ」読売新聞縮刷版1978年12月p728
- ^ 朝日新聞1978年12月22日1面「『巨人江川』は認めぬ コミッショナーが提訴却下 ドラフト有効 阪神に交渉権」朝日新聞縮刷版1978年12月p763
- ^ 朝日新聞1978年12月23日1面「一転『巨人江川』を指令 来月中に阪神と交換を 金子コミッショナー」朝日新聞縮刷版1978年12月p793
- ^ 朝日新聞1978年12月23日15面「ヤクルト、近鉄で交換トレード」朝日新聞縮刷版1978年12月p807