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岡山県倉敷市の[[連島]]地区育ち。フィギュアスケートの[[髙橋大輔 (フィギュアスケート選手)|高橋大輔]]([[関西大学|関西大学大学院]])は、倉敷市連島保育園、[[倉敷市立連島西浦小学校|連島西浦小]]・[[倉敷市立連島中学校|連島中学校]]と同級生の幼馴染で、「青ちゃん」「大ちゃん」と呼び合う仲である<ref>{{Cite web|publisher=ニッカンスポーツ|date=2014-02-14|url=http://www.nikkansports.com/sochi2014/figureskate/news/p-sochi-tp0-20140214-1257344.html|title=「大ちゃんはチャンプ」広島青山がエール|accessdate=2014-02-22}}</ref>。小学1年生の時、地元クラブチーム川鉄SSでサッカーを始める。強豪クラブチーム・ハジャスFCの1期生であり、同期に[[吉村修平]]、一つ下に[[田中秀哉]]がいる。 |
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2001年、[[岡山県作陽高等学校]]に入学。同級生に[[池松秀明]]がいる。サッカー部では[[野村雅之]]から指導を受けた。2年生の2002年からボランチでレギュラー、2003年にはチームの中心選手となり活躍。同年7月に[[特別指定選手]]として[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]に登録された<ref name="tyugoku20040203">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2004-02-03|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/rookie/2004/asu/04020301.html|title=明日を担う サンフレ新人トリオ|accessdate=2010-01-27}}</ref>。 |
2001年、[[岡山県作陽高等学校]]に入学。同級生に[[池松秀明]]がいる。サッカー部では[[野村雅之]]から指導を受けた。2年生の2002年からボランチでレギュラー、2003年にはチームの中心選手となり活躍。同年7月に[[特別指定選手]]として[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]に登録された<ref name="tyugoku20040203">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2004-02-03|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/rookie/2004/asu/04020301.html|title=明日を担う サンフレ新人トリオ|accessdate=2010-01-27}}</ref>。 |
2020年11月30日 (月) 06:17時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | アオ | |||||
カタカナ | アオヤマ トシヒロ | |||||
ラテン文字 | AOYAMA Toshihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年2月22日(38歳) | |||||
出身地 | 岡山県倉敷市連島町 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | サンフレッチェ広島 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 6 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1992-1998 | 川鉄SS(連島西浦小/連島中) | |||||
1998-2000 | ハジャスFC(連島中) | |||||
2001-2003 | 岡山県作陽高等学校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004- | サンフレッチェ広島 | 394 | (22) | |||
代表歴2 | ||||||
2013-2019 | 日本 | 12 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月7日現在。 2. 2018年1月17日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
青山 敏弘(あおやま としひろ、1986年2月22日 - )は、岡山県倉敷市連島町出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表。2015年のJリーグ最優秀選手賞受賞者。
来歴
プロ入り前
岡山県倉敷市の連島地区育ち。フィギュアスケートの高橋大輔(関西大学大学院)は、倉敷市連島保育園、連島西浦小・連島中学校と同級生の幼馴染で、「青ちゃん」「大ちゃん」と呼び合う仲である[1]。小学1年生の時、地元クラブチーム川鉄SSでサッカーを始める。強豪クラブチーム・ハジャスFCの1期生であり、同期に吉村修平、一つ下に田中秀哉がいる。
2001年、岡山県作陽高等学校に入学。同級生に池松秀明がいる。サッカー部では野村雅之から指導を受けた。2年生の2002年からボランチでレギュラー、2003年にはチームの中心選手となり活躍。同年7月に特別指定選手としてサンフレッチェ広島に登録された[2]。
サンフレッチェ広島
2004年、サンフレッチェ広島に入団。同期に吉弘充志や田村祐基[2]。4月、ナビスコカップ第2節横浜F・マリノス戦において若手中心のメンバー編成となり、右ウイングバックとして公式戦デビュー、同試合でミドルシュートでプロ初ゴールを決めている[3]。それ以降はなかなか出場機会が与えられずベンチ入りすらできなかった[4]。2年目の2005年5月22日、サテライトリーグ対ヴィッセル神戸戦にて左膝前十字靭帯を断裂[5]、シーズンを棒に振った。
2006年6月、ミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任したことが転機となる。ペトロヴィッチは、青山を1ボランチに起用、自身初戦となるJ1第13節対名古屋戦において先発メンバーに抜擢、以降信用し起用し続けた[6]。8月にはリーグ戦初ゴールを決めている[7]。
2008年、森崎和幸との2ボランチが安定[8]、広島のJ1昇格に貢献したが、北京オリンピック本大会には出場が叶わなかった[9]。2009年も引き続き主力として活躍しリーグ4位に貢献したが、11月に左膝内側半月板の縫合手術を行い、2010年序盤を欠場した[10]。
2012年、広島のJ1初優勝に貢献し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。 2013年7月、東アジアカップのメンバーとして日本代表に初選出された。7月21日の中国戦で代表初出場を果たした。 J1リーグ連覇を達成。
2014年、佐藤寿人に変わってキャプテンに就任。2015年はシーズン終盤まで本調子では無いコンディションであったが、累積警告による出場停止を除くリーグ戦33試合に出場(内32試合でフル出場)。シーズン1位で迎えたJリーグチャンピオンシップ決勝・ガンバ大阪戦では、第1戦では2得点に絡み、第2戦では守備でG大阪の攻勢を許さずチーム・自身共に3度目となるリーグ制覇に貢献した[11]。シーズン終了後、Jリーグアウォーズにて最優秀選手賞(MVP)に選出された。
2017年8月26日、第24節・大宮アルディージャ戦で、史上96人目となるJ1通算300試合出場を達成[12]。
日本代表
2007年には北京オリンピックアジア予選メンバーに選ばれ最終予選対サウジアラビア戦ではMVP級の活躍をし同試合での予選突破に貢献するものの[9]、同試合で右第二趾中節骨中枢を剥離骨折してしまい[13]、リーグ終盤および入れ替え戦を欠場、結果広島はJ2へ降格した。
2011年8月、サッカー日本代表候補として代表合宿に初招集された[14]。
2014年5月、2014 FIFAワールドカップの日本代表メンバーに選出された。本大会ではグループリーグ第3戦コロンビア戦のみ出場、スタメンで起用されたが途中交代に終わった。
2015年3月31日、JALチャレンジカップ対ウズベキスタン戦にフル出場し、前半6分に自身A代表初得点となる先制点を挙げた。
2018年5月、キリンチャレンジカップ対ガーナ戦のメンバーに選出、3年ぶりの代表招集となる予定だったが右膝の怪我により辞退した[15]。同年8月に広島でも指揮を執った森保一体制の初陣のメンバーに選出され、9月11日のキリンチャレンジカップ対コスタリカ戦ではキャプテンとして出場した[16]。
2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出され、グループリーグ第3戦のウズベキスタン戦でキャプテンマークを巻いてフル出場した。しかし、大会途中に怪我のため途中離脱となった[17]。
人物
- プレースタイル
主にボランチとしてプレーする。運動量豊富で危機察知能力に優れ、献身的な守備でピンチの芽を摘む。攻守の切り替えも早く、思い切りのいい判断から繰り出される正確なロングフィードですぐさま攻撃を組み立てることもできる[18][6][10]。また、右アウトサイドでもプレーできる。ミハイロ・ペトロヴィッチからは「エンジン」と評されていた[19]。
過去には、約63mのロングシュートを決めた経験がある[20]。
- 幻のゴール
2002年11月10日、高校選手権岡山県予選決勝・作陽高校対水島工業高校戦で、Vゴールとなるはずのシュートを放ったが、最終的にノーゴールと判定された選手が青山である[21]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 広島 | 30 | J1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 |
2005 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2006 | 19 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 21 | 2 | |||
2007 | 6 | 28 | 0 | 6 | 0 | 1 | 1 | 35 | 1 | ||
2008 | J2 | 36 | 4 | - | 4 | 1 | 40 | 5 | |||
2009 | J1 | 29 | 3 | 5 | 1 | 0 | 0 | 34 | 4 | ||
2010 | 23 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 29 | 0 | |||
2011 | 27 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 30 | 2 | |||
2012 | 34 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 38 | 2 | |||
2013 | 33 | 3 | 2 | 0 | 4 | 0 | 39 | 3 | |||
2014 | 25 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 31 | 1 | |||
2015 | 33 | 3 | 2 | 0 | 3 | 1 | 38 | 4 | |||
2016 | 28 | 2 | 2 | 0 | 2 | 1 | 32 | 3 | |||
2017 | 31 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 37 | 0 | |||
2018 | 34 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 36 | 1 | |||
2019 | 14 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 19 | 0 | |||
2020 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 358 | 18 | 41 | 2 | 21 | 4 | 420 | 24 | |
日本 | J2 | 36 | 4 | - | 4 | 1 | 40 | 5 | |||
総通算 | 394 | 22 | 41 | 2 | 25 | 5 | 460 | 29 |
- 2003年 特別指定選手としての試合出場は無し
その他の公式戦
- 2008年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2013年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2014年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2015年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2016年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2010 | 広島 | 6 | 0 | 0 | - | |
2012 | - | 3 | 1 | |||
2013 | 3 | 0 | - | |||
2014 | 8 | 0 | - | |||
2015 | - | 4 | 0 | |||
2016 | 4 | 0 | - | |||
2019 | 0 | 0 | - | |||
通算 | AFC | 15 | 0 | 7 | 1 |
タイトル
クラブ
- サンフレッチェ広島
個人
- JリーグMVP:1回(2015年)
- Jリーグベストイレブン:3回(2012年、2013年、2015年)
- JリーグチャンピオンシップMVP:1回(2015年)
- J1最優秀ゴール賞:1回(2015年)
- Jリーグ・優秀選手賞:2回(2015年、2018年)
出場歴
高校・クラブチーム
- 高校
- 国民体育大会岡山県代表(2003年・3位)
- 全国高等学校サッカー選手権大会(2001年・ベスト8、2003年)
- 全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(2003年)
- クラブチーム
- 公式戦初出場:2004年4月29日ナビスコカップ第2節対横浜F・マリノス戦(横浜国際総合競技場)
- 先発1得点(31分)。45分駒野友一と交代
- Jリーグ初出場:2006年7月19日J1第13節対名古屋グランパスエイト戦(瑞穂陸上競技場)
- 初先発フル出場
- Jリーグ初得点:2006年8月26日J1第20節対鹿島アントラーズ戦(カシマスタジアム)
- 先発フル出場・1得点(49分)
代表歴
出場大会
- U-18日本代表
- 仙台カップ国際ユースサッカー大会(2004年)※注:ケガのため辞退
- U-21日本代表
- ドーハアジア大会(2006年)
- U-22日本代表
- 北京オリンピックサッカーアジア予選(2007年)
- 日本代表
- 東アジアカップ2013(2013年)
- 2014 FIFAワールドカップ(2014年)
- キリンチャレンジカップ(2015年)
- キリンチャレンジカップ(2018年)
- AFCアジアカップ2019(2019年)
試合数
- 国際Aマッチ 12試合 1得点(2013年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2013 | 3 | 0 |
2014 | 4 | 0 |
2015 | 1 | 1 |
2018 | 3 | 0 |
2019 | 1 | 0 |
通算 | 12 | 1 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2015年3月31日 | 日本、調布 | ウズベキスタン | ○5-1 | JALチャレンジカップ2015 |
脚注
- ^ “「大ちゃんはチャンプ」広島青山がエール”. ニッカンスポーツ (2014年2月14日). 2014年2月22日閲覧。
- ^ a b “明日を担う サンフレ新人トリオ”. 中国新聞 (2004年2月3日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ “横浜Mに逆転負け 若い布陣健闘”. 中国新聞 (2004年4月29日). 2010年1月31日閲覧。
- ^ 『サンフレッチェ広島アシストマガジンASSIST』2006年夏号
- ^ “青山敏弘選手の負傷について”. J's GOAL (2005年6月29日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ a b “北京を目指して”. 読売新聞 (2007年6月26日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ “プレーバック'06”. 中国新聞 (2006年12月18日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ “布陣変えて連勝”. 中国新聞 (2008年5月1日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ a b “不運としか言いようのない伊野波と青山敏弘の落選”. ジェレミー・ウォーカーのA View From a Brit (2008年7月3日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ a b “青山が左ひざ手術 加療4-5カ月、来季の開幕微妙”. 中国新聞 (2009年11月16日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ “[https://number.bunshun.jp/articles/-/843823 青山敏弘と森保一が語る最強の広島。 現在も息づくサンフレッチェの伝統。]”. Number Web (2020年6月13日). 2020年6月15日閲覧。
- ^ “2017明治安田生命J1リーグ 第24節 青山 敏弘 選手(広島)J1通算300試合出場達成”. Jリーグ.jp (2017年8月26日). 2018年6月15日閲覧。
- ^ “青山敏弘選手の負傷について”. J's GOAL (2007年11月22日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ “広島から最多4選手 青山敏は初の代表候補選出”. スポーツニッポン (2011年7月28日). 2011年7月29日閲覧。
- ^ “青山敏弘、右ひざ負傷で無念の日本代表離脱…2大会連続W杯出場は絶望的に”. GOAL.com (2018年5月24日). 2018年6月2日閲覧。
- ^ 森保ジャパン主将・青山敏弘「強い日本代表を作っていきたい」サンスポ 2018年9月11日
- ^ 青山敏弘の負傷離脱が決定…アジア杯で8強進出の日本代表に痛手サッカーキング 2019年1月21日
- ^ “選手情報”. Sports Graphic Number. 2009年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月27日閲覧。
- ^ “【J1:第23節 広島 vs 浦和】プレビュー”. J's GOAL (2009年8月21日). 2010年1月27日閲覧。
- ^ “青山敏弘(広島)約63mのスーパーゴール!!”. サカイク (2012年5月13日). 2012年5月15日閲覧。
- ^ “青山敏弘の原風景。あのロングパスの背景には、逆境の日々がある”. ガードかなさる (2014年6月9日). 2018年10月12日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 青山敏弘 - J. League Data Siteによる選手データ
- サンフレッチェ広島F.Cによる公式プロフィール