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2019年9月13日、埼玉県知事選挙で初当選した大野の議員辞職に伴う参議院[[埼玉県選挙区]][[2019年日本の補欠選挙|補欠選挙]]への立候補の意向が報道され<ref>{{Cite news |title=上田清司・前埼玉知事が参院補選出馬へ |newspaper=毎日新聞 |date=2019-9-13 |author= |url=https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190913/k00/00m/010/303000c |accessdate=2019-09-13}}</ref>、9月20日に無所属で立候補することを正式に表明。この選挙で上田は自身がかつて所属した民主党の流れを汲む[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]・[[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]]の県組織から支援を受けたが、自由民主党も上田が[[憲法改正]]に前向きなことから候補者の擁立を見送り、出陣式には与野党の国会議員が出席する相乗りの構図となった<ref>{{Cite news |title=参院埼玉補選、上田前知事が当選 与野党「相乗り」|newspaper=日本経済新聞|date=2019-10-27|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51464030X21C19A0PE8000/|accessdate=2020-10-12}}</ref>。10月27日の投開票の結果、[[NHKから国民を守る党]]党首で参議院議員を一旦辞職して立候補した[[立花孝志]]を破り当選。29日に埼玉県選挙管理委員会による当選の告示がなされ<ref>令和元年(2019年)10月29日埼玉県選管告示第60号(参議院埼玉県選出議員補欠選挙において当選した者の住所及び氏名) : 『埼玉県報』 号外 第26号 (令和元年10月29日)</ref>、同日付で参議院議員となり、16年振りの国政復帰を果たした。当選後、上田は当面は無所属で活動する考えを示した<ref>{{Cite news |title=参院埼玉補選で当選の上田氏、当面は無所属で活動と表明|newspaper=朝日新聞|date=2019-10-28|url=https://www.asahi.com/articles/ASMBX00MPMBSUTNB01N.html|accessdate=2020-10-12}}</ref>。 |
2019年9月13日、埼玉県知事選挙で初当選した大野の議員辞職に伴う参議院[[埼玉県選挙区]][[2019年日本の補欠選挙|補欠選挙]]への立候補の意向が報道され<ref>{{Cite news |title=上田清司・前埼玉知事が参院補選出馬へ |newspaper=毎日新聞 |date=2019-9-13 |author= |url=https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190913/k00/00m/010/303000c |accessdate=2019-09-13}}</ref>、9月20日に無所属で立候補することを正式に表明。この選挙で上田は自身がかつて所属した民主党の流れを汲む[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]・[[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]]の県組織から支援を受けたが、自由民主党も上田が[[憲法改正]]に前向きなことから候補者の擁立を見送り、出陣式には与野党の国会議員が出席する相乗りの構図となった<ref>{{Cite news |title=参院埼玉補選、上田前知事が当選 与野党「相乗り」|newspaper=日本経済新聞|date=2019-10-27|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51464030X21C19A0PE8000/|accessdate=2020-10-12}}</ref>。10月27日の投開票の結果、[[NHKから国民を守る党]]党首で参議院議員を一旦辞職して立候補した[[立花孝志]]を破り当選。29日に埼玉県選挙管理委員会による当選の告示がなされ<ref>令和元年(2019年)10月29日埼玉県選管告示第60号(参議院埼玉県選出議員補欠選挙において当選した者の住所及び氏名) : 『埼玉県報』 号外 第26号 (令和元年10月29日)</ref>、同日付で参議院議員となり、16年振りの国政復帰を果たした。当選後、上田は当面は無所属で活動する考えを示した<ref>{{Cite news |title=参院埼玉補選で当選の上田氏、当面は無所属で活動と表明|newspaper=朝日新聞|date=2019-10-28|url=https://www.asahi.com/articles/ASMBX00MPMBSUTNB01N.html|accessdate=2020-10-12}}</ref>。 |
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同年末から立憲民主党・国民民主党の両党が合流に向けた協議を始めたが、これに対して上田は「合流したら何人かあふれるので受け皿をつくることを考えないといけないのかな」と述べた<ref>{{Cite news |title=政経セミナー 「日本一暮らしやすく」 上田氏・大野知事が対談 /埼玉|newspaper=毎日新聞|date=2020-02-08|url=https://mainichi.jp/articles/20200208/ddl/k11/040/051000c|accessdate=2020-10-12}}</ref>。[[2020年]]9月には両党が合流し[[立憲民主党 (日本 2020 |
同年末から立憲民主党・国民民主党の両党が合流に向けた協議を始めたが、これに対して上田は「合流したら何人かあふれるので受け皿をつくることを考えないといけないのかな」と述べた<ref>{{Cite news |title=政経セミナー 「日本一暮らしやすく」 上田氏・大野知事が対談 /埼玉|newspaper=毎日新聞|date=2020-02-08|url=https://mainichi.jp/articles/20200208/ddl/k11/040/051000c|accessdate=2020-10-12}}</ref>。[[2020年]]9月には両党が合流し[[立憲民主党 (日本 2020)|(新)立憲民主党]]を結成。一方、国民民主党の合流不参加者は[[国民民主党 (日本 2020-)|(新)国民民主党]]を結成し、10月9日に上田は国民民主党の会派に入会した<ref>{{Cite news |title=上田清司氏が国民会派入り|newspaper=産経新聞|date=2020-10-09|url=https://www.sankei.com/politics/news/201009/plt2010090036-n1.html|accessdate=2020-10-12}}</ref>。 |
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== 政策・主張 == |
== 政策・主張 == |
2020年11月1日 (日) 11:09時点における版
上田 清司 うえだ きよし | |
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埼玉県知事在任時の上田清司 (2018年のさきたま火祭りにて) | |
生年月日 | 1948年5月15日(76歳) |
出生地 | 日本 福岡県福岡市 |
出身校 |
法政大学法学部法律学科 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程 |
前職 | 大学校非常勤講師 |
所属政党 |
(新自由クラブ→) (自由民主党→ ) (新生党→) (新進党→) (フロム・ファイブ→) (民政党→) (民主党→) (無所属→) 無所属(国民民主党・新緑風会) |
称号 |
法学士(法政大学) 政治学修士(早稲田大学) |
公式サイト | 上田きよし |
第57代 - 第60代(公選制第16代 - 第19代)埼玉県知事 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2003年8月31日 - 2019年8月30日 |
選挙区 | 埼玉県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2019年10月29日 - 現職 |
選挙区 |
(旧埼玉5区→) 埼玉4区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2003年8月13日 |
上田 清司(うえだ きよし、1948年(昭和23年)5月15日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員(3期)、埼玉県知事(第57・58・59・60代)、全国知事会会長(第12代)などを務めた。
来歴
福岡県福岡市生まれ、大牟田市育ち。福岡県立三池高等学校、法政大学法学部法律学科卒業。大学では当初旧司法試験合格をめざしたが、断念[要出典]。後、法政大学弁論部に所属。大学卒業後は早稲田大学大学院政治学研究科へ進学。大学院在学中に埼玉県所沢市で学習塾「向陽塾」を開業。また、これも大学院在学中の1976年(昭和51年)、新自由クラブの立党に参画する。1977年(昭和52年)、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。その後1979年(昭和54年)から1986年(昭和61年)まで建設大学校(現・国土交通大学校)の非常勤講師を務める[注釈 1]。
1980年(昭和55年)、第36回衆議院議員総選挙に新自由クラブ公認で旧埼玉県第5区から出馬するが、落選する。以後、同区で4度の落選を経験する。新自由クラブ解党後は自民党に入党。
1993年(平成5年)に自民党を離党し、結党されたばかりの新生党の公認を受けて第40回衆議院議員総選挙に出馬し、5度目の出馬で初当選をトップで果たした。なお同区では、のちに共に民主党に所属する枝野幸男も日本新党公認・新党さきがけ推薦で初当選している。また、同区の飛び地区域(現在の埼玉県第4区の区域にあたる)を地盤とする史上唯一の議員となった。翌1994年(平成6年)、新生党解党により新進党結党に参加する。1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙には埼玉県第4区から同党公認で出馬し、自民党の早川忠孝を破り再選する。
1997年(平成9年)、同年末の新進党解党に先駆けて、細川護煕元首相を含む5人で新進党を離党し、細川を党首にフロム・ファイブを結党する。翌1998年(平成10年)、国民の声、太陽党、フロム・ファイブの3党が合併し民政党が結成され、民政党の旧民主党への合流により、民主党が結党された。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙には民主党公認で出馬し、自民党の早川忠孝を再度下し、3選。
2003年(平成15年)8月、埼玉県知事選挙に無所属での出馬を表明し、衆議院議員を辞職する。自民党県連が推薦する候補者など7人を破り、当選した。
2007年(平成19年)8月の埼玉県知事選で、吉川春子らを破り、再選。
2011年(平成23年)、全国知事会会長選挙に出馬したが、京都府知事の山田啓二に敗れた[1]。
同年7月の埼玉県知事選で、埼玉県労働者福祉共済会(埼労共)理事長の原冨悟らを破り3選を果たしたが、投票率は全国の都道府県知事選挙の中で史上最低の24.89%であった[2]。
2015年(平成27年)、同年8月の埼玉県知事選で、元総務省消防庁審議官の塚田桂祐らを破り、4選を果たした。なお、自身で1期目の2004年(平成16年)に施行した、4期以上の知事連続立候補を辞める「多選自粛条例」を自ら破る形での立候補であった[3]。上田は言行不一致の理由について「若気の至りというか、思い上がりだった」と述べている[4]。
2017年(平成29年)8月、2019年夏に任期満了に伴う、次期知事選挙に不出馬の意向を表明した[5]が、この時は前回の知事選挙の一件もあり、不確実的な発言と見られていた。
2018年(平成30年)4月17日、全国知事会会長に選任された[6]。埼玉県議会の多数派(51議席)を自由民主党が握っており、多選自粛条例を自ら破ってからは、旧民主党系(9議席)が支持基盤の上田との対立が顕著になっていた。
2019年6月13日、任期満了を以って知事を退任する意向を示し[7]、6月15日の会見で「任期満了(8月30日)をもって、知事の仕事を終了させていただく。やり残したことはない」と述べ、知事選に立候補しないことを正式に表明した[8]。同年8月執行の埼玉県知事選挙において、参議院議員を辞職して自らの事実上の後継候補として立候補した大野元裕の応援団長を務め、「上田県政の継承と発展」を掲げた大野を埼玉県知事に当選させる一翼を担った[9][10]。
2019年9月13日、埼玉県知事選挙で初当選した大野の議員辞職に伴う参議院埼玉県選挙区補欠選挙への立候補の意向が報道され[11]、9月20日に無所属で立候補することを正式に表明。この選挙で上田は自身がかつて所属した民主党の流れを汲む立憲民主党・国民民主党の県組織から支援を受けたが、自由民主党も上田が憲法改正に前向きなことから候補者の擁立を見送り、出陣式には与野党の国会議員が出席する相乗りの構図となった[12]。10月27日の投開票の結果、NHKから国民を守る党党首で参議院議員を一旦辞職して立候補した立花孝志を破り当選。29日に埼玉県選挙管理委員会による当選の告示がなされ[13]、同日付で参議院議員となり、16年振りの国政復帰を果たした。当選後、上田は当面は無所属で活動する考えを示した[14]。
同年末から立憲民主党・国民民主党の両党が合流に向けた協議を始めたが、これに対して上田は「合流したら何人かあふれるので受け皿をつくることを考えないといけないのかな」と述べた[15]。2020年9月には両党が合流し(新)立憲民主党を結成。一方、国民民主党の合流不参加者は(新)国民民主党を結成し、10月9日に上田は国民民主党の会派に入会した[16]。
政策・主張
地方自治
行財政改革に積極的であり、人口当たりの埼玉県職員の数は、人口1万人当たり12.1人と日本一少ない。また、数値目標を定め「見える化」を進めている。もっとも、これらの政策に対しては、労働組合とのしがらみが少ない自民党県議の中にも「これ以上県職員を減らすべきではない」という意見もあるほか、「数字至上主義」に陥ることを危惧する声もある[17]。
実際、2011年(平成23年)度には、時間外労働が年間1,000時間(1ヶ月当たり約83時間)を超えた職員が20人おり、税務システムの変更を担当する部署にいたという事情があったとはいえ、年間2,017時間もの長時間労働を行った職員や、一部ではあるが慢性的に時間外労働が多い部署も見られた。そのため、2012年(平成24年)10月30日の定例記者会見で、人事管理を徹底すると表明した[18]。
反ジェンダーフリー運動
教育論
2009年(平成21年)7月1日、県議会本会議で、「日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい」と発言し、物議を醸した[22]。この発言を受けて、直後から県庁に電子メールが殺到していることが、翌日分かった。このうち9割以上が「知事に同感」という意見で、電話で寄せられた意見もほぼ同様であった。上田は2日、報道陣に対し「国民や県民の常識は健全だと思う」と話した[23]。
近隣諸国関連
2004年(平成16年)10月、県議会答弁で、「新しい歴史教科書をつくる会」を支持し、同会の歴史教科書を評価。中国・韓国・北朝鮮の抗議を内政干渉であると批判。同年12月20日、同会の副会長であった高橋史朗明星大学教授を埼玉県教育委員に指名したが、教科書の中立性維持という観点からの批判があった[24][25]。
2006年(平成18年)6月議会で、埼玉県平和資料館の展示に関する質問に対し、「古今東西、慰安婦はいても従軍慰安婦というのはいなかった」と答弁。これを批判する活動家との面会で知事は、当時の人々の不幸な境遇につき理解を示したものの、自説を通した。面談後、「慰安婦はいた。異常な戦争状態では強制連行もあったと思う」と強制連行はあったとの認識を示した(面談を要請した李容洙も参照)。
2010年(平成22年)3月18日、鳩山由紀夫内閣が進める高校無償化政策で、無償化の対象に朝鮮学校を含めるかどうかの議論が続く中、上田は朝鮮学校について「一般的に、拉致事件に関与した疑いのある朝鮮総連の配下にある。日本の高校と同じ扱いをするのは無理がある」と述べた[26]。
公共事業関連
県政においては、前知事の土屋義彦が公共事業に熱心であったのに対して、行財政改革の一環として、大型公共事業は減少している[27]。
北朝鮮問題
北朝鮮による日本人拉致問題では家族会・救う会を支援。家族会・救う会とともに訪米。集会・街頭活動にも参加[28]。
安倍晋三・平沢勝栄・平沼赳夫・西村眞悟・松原仁らとともに拉致議連を結成。最初から加入していたメンバーの一人で同会の副会長をつとめていた[29]。
歴史認識
2011年(平成23年)8月16日定例記者会見で、「間違っても『(初代首相の)伊藤博文射殺』などと書いている教科書を選んではいけない」と発言した。その説明として「諸外国での歴史教育とは、自国の歴史や事実関係は正しいと教え、国民に自信と誇りを持たせるものだ」と強調。その上で「日本は逆で、誇りを失い、自信をなくさせる教科書ばかりだ。しかし、そうでない教科書も出てきた。今まで日本の歴史と誇りを傷つけてきた教科書もましになっている」と述べた。「過去にいたノイジーマイノリティ(声高に主張する少数の人々)を目の当たりにしている方々は、時としてそういうのを恐れるきらいがある。事務方サイドの提案をそのまま受け入れて、自分の判断をしない教育委員もゼロではない」と発言した[30]。
2012年(平成24年)2月27日、河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言が中国側から非難されていることについて、県議会代表質問への答弁で「なぜ人口20万人のところに、30万、40万人が虐殺されるのか」「蔣介石も毛沢東も何の抗議声明も出していない」「1977年までは中国の教科書で南京事件に触れていないのに、なぜ80年代になって突然出てきたのか」と述べ、河村を擁護した[31]。
慰安婦問題については「古今東西、慰安婦を連れて軍が行進することはない。当然、危険地域には慰安婦は絶対に来ないわけだから。『いわゆる』という言葉をつけたとしても『従軍』という表現は一切使わないでもらいたい。英霊に対して失礼だ」「慰安婦はいた。戦場の近くに慰安所が設置され、民間が運営する。軍としては衛生管理のために何らかの形で関わるのは当然と思っている。しかし、従軍慰安婦などといい加減な言葉を使ってはいけない」「岸田文雄外相は記者発表で『当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた』と表明した。軍の関与は『衛生管理も含めた管理、設置』を指すが、海外の一部メディアは誤った認識のまま慰安婦を『性奴隷』と表現し、『20万人』などと誇大な数字が一人歩きしている」「民間の研究は自由だから、民間の評論家や歴史家が具体的な事実を挙げて反論すべきだと思う。今の時点で政府が声を大きくすると、かえってこじれる。政府は最終的、不可逆的な解決で合意したのだから、蒸し返さない努力をすればいい。いや、韓国側が1つ蒸し返したら1つ蒸し返せばいい。それが争いを拡大しないための一つの方策だ」「英霊や元兵士の名誉は個人的には回復されていないと思う。政府は国際的に反論する姿勢をアピールしているが、日本は『謙虚が美徳』の国。宣伝合戦では弱い。民間が声を大きくしながら政府をバックアップし、水面下で交渉していくことが必要なのだと思う」などと主張している[32][33]。
受動喫煙問題
2011年に47都道府県知事を対象に行われた「飲食店における喫煙環境のあるべき姿及び今後の方針」のアンケートにおいて、「民間の施設については条例で高圧的に規制するより、事業者やお客の協力を経て禁煙や分煙を進めた方がむしろ効果的だと思います」と回答している[34]。
2019年6月、法律上の義務を上回る受動喫煙防止対策を実施する施設や区域などを認証する制度を設けた。東京都や千葉市では、従業員を雇う飲食店を原則屋内禁煙とする条例が成立しているが、上田は「条例で義務化させるよりも、それぞれが納得しながら運動にしていく方が望ましい」として認証制度に留めている[35]。
支援政党
埼玉県知事在任中の2010年に山田宏・中田宏らが日本創新党を結成すると、上田は日本創新党の支援連合に名前を連ねた[36]。その後山田と中田は大阪維新の会に接近し、大阪市特別顧問などを務めたが、上田は県政に専念するためとして山田らから打診された維新ブレーンへの就任を固辞した。上田は維新を率いる橋下徹の政治手法について、「問題提起して政治が活性化するのはいいこと」と述べた上で、「公務員をいじめて生活保護が減ったり、学力や規律が向上するわけないじゃない」として、「スカッとするけど栄養はないコーラみたいなもの」と評した[37]。
2016年3月にかつて自身も所属した民主党が維新の党や改革結集の会の一部と合流して民進党を結成した際は、「保守の二大政党を構築するために力を尽くすべきだ」として、保守系の鈴木義弘(改革結集の会)の民進党参加を後押しした[38]。
批判
- 日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、2006年5月20日にさいたま市で開催された世界基督教統一神霊協会(統一教会)の関連組織・天宙平和連合の会合に祝電を送っていたことが判明し、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」が質問状を送付していると報じられた[39]。
- エム・テックとの談合疑義[40]について、2015年6月の埼玉県議会定例会にて追及される[41][42]。
大雪対応
2014年2月14日から16日にかけて関東や甲信越地方を中心に発生した大雪災害(平成26年豪雪)の際、秩父市の久喜邦康市長が、埼玉県危機管理防災部に対して自衛隊の災害派遣要請を行い、同部部長も上田に対し現地の状況を伝えていたにもかかわらず上田は「除雪のための派遣要請はできない」と判断し要請を拒否し、出動が遅れる事態となった(県は17日に孤立集落の窮状を把握し、派遣要請を決めた)。上田は要請を受けた15日に「埼玉サイクルエキスポ2014」、翌16日には「埼玉クイズ王決定戦」と、地元のクイズ大会に参加していたことも判明している[43]。
上田は、派遣要請がなされていることは把握しており、秩父市からの要請に応じなかったことについて「当初は東名高速の渋滞のような緊急かつ切迫した状況ではなかった」「要請を断ったわけではなく総合的に判断した結果」と説明した[43]。久喜秩父市長は「秩父地域の危機的状況が県に届いていないと感じる。公務で忙しいのはわかるが、知事や県幹部の方にも現場を見てもらいたかった」と苦言を呈した[43]。
こういった批判がある一方で、前日に県から秩父県土整備事務所に泊まり込みで対処するように指示を出し、17日午後3時前には58人全員の救助を完了する迅速な対応をしている。[44]
著書
- 「法律は「お役人」のメシの種 国会議員が書いた日本的官僚システムのからくり」(オーエス出版 1998年) ISBN 4-87190-489-X
- 「これが政治改革だ 日本の未来を信じる人のために」(五十嵐文彦・石井健祐・進藤初洋・中村博彦・牧野聖修・山田智信との共著)(理想政治研究会発行・明日香出版社発売 1992年)
脚注
注釈
- ^ 埼玉県知事選挙初当選直後の2003年(平成15年)9月、週刊新潮が上田の「建設大学校講師」という経歴について、「上田は建設大学校の分校の研修所で講師を務めていたものであり、東京都小平市の建設大学校本校の講師であったかのように経歴を詐称している」と報道した。これに対し同大学校は「建設大学校の講師はすべて「建設大学校講師」として建設省によって採用され、担当授業・職務によって本校や分校、研修所等に配属されるものであって、「本校講師」「分校講師」のような肩書きや待遇の差はもとより存在しない。全員「建設大学校講師」であり週刊誌報道は誤り」との見解を発表した。上田も「建設大学校の説明の通り」とのみ述べた。週刊誌は記事を取り消し、謝罪文を掲載している。
出典
- ^ 知事会長に山田・京都知事、地方分権・広域連合に重み 日本経済新聞 2011/4/27付
- ^ 埼玉知事に上田氏3選…投票率は知事選史上最低 読売新聞 2011年7月31日、’11埼玉知事選:上田氏、手堅く3選 投票率、全国ワースト1 /埼玉 毎日新聞 2011年8月1日、「埼玉から夢」発信 知事選で上田氏3選 埼玉新聞 2011年8月1日
- ^ 多選自粛条例「実効性ない」上田知事が改廃意向読売新聞2015年8月10日
- ^ “上田知事:釈明 多選自粛条例は「若気の至り」 /埼玉”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2017年12月15日) 2019年10月17日閲覧。
- ^ 埼玉県の上田知事、次回選挙に不出馬の意向表明読売新聞2017年8月29日
- ^ 議案第1号 会長選任について (PDF)平成30年4月17日全国知事会議配付資料 全国知事会
- ^ “埼玉県の上田知事、5選出馬せず 政界は引退しない方向”. 朝日新聞. (2019年6月13日) 2019年6月13日閲覧。
- ^ “<知事選>上田清司知事、5選不出馬を表明「改革の成果出た」「やり残したことはない」 国政復帰には含み”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社). (2019年6月16日) 2019年10月17日閲覧。
- ^ “埼玉県知事選挙、大野もとひろ決意表明”. 埼玉県知事候補 大野もとひろ 特設サイト (2019年8月9日). 2019年10月13日閲覧。
- ^ “知事選を振り返って 劣勢覆した大野さん 上田色、前面に選挙戦”. 東京新聞 (東京新聞社). (2019年8月27日) 2019年10月13日閲覧。
- ^ “上田清司・前埼玉知事が参院補選出馬へ”. 毎日新聞. (2019年9月13日) 2019年9月13日閲覧。
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- ^ “政経セミナー 「日本一暮らしやすく」 上田氏・大野知事が対談 /埼玉”. 毎日新聞. (2020年2月8日) 2020年10月12日閲覧。
- ^ “上田清司氏が国民会派入り”. 産経新聞. (2020年10月9日) 2020年10月12日閲覧。
- ^ 「県庁に『経営感覚』注入 職員数削減で岐路」埼玉新聞2011年6月28日、「『見える化』行政を推進 多角的な見方必要」同2011年6月29日(ともに連載「上田県政2期8年 成果と課題」)
- ^ 「県庁に住んでたの?」 県職員、残業最長2017時間埼玉新聞2012年10月27日、残業2000時間「ばかな」 上田知事、人事管理の不備叱責埼玉新聞2012年10月31日
- ^ 「男女共同参画推進プラン2010」に明記するジェンダーフリーの是正について
- ^ 平成22年12月定例会 一般質問
- ^ “[夫婦別姓問題] 夫婦別姓に反対する国民大会(概要・運動方針)”. 日本会議 (2010年3月20日). 2014年2月20日閲覧。
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- ^ 「上田清司知事とエム・テック代表」との裏の関係が透けて視える「大宮警察署等統合庁舎新築工事」の歪んだ入札の現状/行政調査新聞 2015年6月23日
- ^ 平成27年6月定例会 一般質問 質疑質問・答弁全文 (諸井真英議員) アセアン訪問団参加企業と工事の関係について/埼玉県議会公式ウェブサイト 2015年7月17日
- ^ 平成27年6月定例会 一般質問 質疑質問・答弁全文 (諸井真英議員) 入札の経緯について/埼玉県議会公式ウェブサイト 2015年7月17日
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- ^ 埼玉県議会. “平成26年6月定例会 一般質問 質疑質問・答弁全文 (新井 豪議員)”. 埼玉県. 2019年10月19日閲覧。
関連項目
外部リンク
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