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3年ぶりにC大阪復帰となった2012年シーズンは、開幕当初こそ控えに甘んじたものの、主に[[サッカーのフォーメーション#ツートップ|2トップ]]の一角としてレギュラーに定着し、[[金甫炅|キム・ボギョン]]や[[清武弘嗣]]の移籍、[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドン五輪]][[U-23サッカー日本代表]]に選出された[[扇原貴宏]]、[[山口螢]]の離脱の影響もあり低迷するチームの中でゴールを量産。第21節横浜FM戦の前には、トレードマークの長髪を切り落とし、頭を丸める気合を見せた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/08/22/kiji/K20120822003951050.html 柿谷 不調脱出へ決意の丸刈り「こんな髪形するなんて…」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー] 2012年8月22日</ref>。同年8月には、[[セルジオ・ソアレス]]に代わりC大阪の監督へ再々就任したクルピとの邂逅を果たし、クルピ監督復帰初戦となった第24節[[アルビレックス新潟]]戦では、決勝点を挙げた。試合後クルピは、かつて袂を分った教え子に対し「特別な思いがある。ゴールの瞬間、思いがよぎった。彼がプロ2年目のときに私が監督に就任した。かわいい息子だ。 それがゆえに、過ちを犯したときには正しい道に導いた。今日は一皮むけて成長したプレーをみせてくれた。 技術だけでなく、戦術面も理解してピッチで表現してくれた。再び彼と同じチームで働くチャンスがきてうれしく思う」と、惜しみない賞賛を送った<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00143106.html J's GOAL | J's GOALニュース | 【J1:第24節 新潟 vs C大阪】レヴィークルピ監督(C大阪)記者会見コメント] 2012年9月1日</ref>。クルピ体制移行後は主に[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|トップ下]]のポジションでプレー。チームは最終節まで残留争いに巻き込まれ、シーズン終盤は自身も左足かかとの故障に悩まされたが<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/11/28/kiji/K20121128004654770.html クルピ監督 柿谷&丸橋を強行出場へ「ギプスさせてでも使う」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー] 2012年11月28日</ref>、リーグ戦30試合に出場しチームトップの11得点(カップ戦を含めると40試合17得点)を挙げ、Jリーグ優秀選手賞を受賞した<ref>[http://www.j-league.or.jp/awards/2012/playerlist.html Jリーグ公式サイト:2012Jリーグアウォーズ:優秀選手賞] 2012年12月1日</ref>。2012年には、クルピと、遠征先のホテルで通訳を交え3人で会話する機会を設け、かつての過ちを謝罪した<ref name="smg">[[ベースボール・マガジン社]]『[[週刊サッカーマガジン]]』1428号、2012年11月13日</ref>。 |
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この活躍により[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ1部]]・[[1.FCニュルンベルク|ニュルンベルク]]から移籍オファーを受け<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/31/kiji/K20130131005094450.html 柿谷“4代目ミスターセレッソ”に!栄光の背番「8」に感激 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー] 2013年1月31日</ref>、本人曰く「98%くらい(ドイツへ)行く気やった」というが<ref>[[テレビ朝日]]『[[やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜]]』2013年4月14日放送</ref>、シーズン終了後に[[森島寛晃]]の自宅に招かれ、直々に背番号「8」の継承を要請されたことに感激し、「迷わず、セレッソで8番をつける方を取った」と残留を決意<ref>[http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/130226/wsp13022611370002-n1.htm 「誰にも負けない8番を」 セレッソ伝統の背番号、柿谷が継承] - MSN産経west 2013年2月26日</ref>。4年越しの想いを実らせ、森島、香川、清武と受け継がれてきたC大阪の[[エースナンバー]]を身につけた2013年は、第1節新潟戦から[[フォワード (サッカー)|フォワード]]として起用され、自らの決勝点により、クラブ14年ぶりのJ1開幕戦勝利をもたらした<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/03/02/kiji/K20130302005307520.html C大阪「背番8」柿谷が決勝弾 14年ぶりJ1開幕戦勝利 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー] 2013年3月2日</ref>。その後もハイペースで得点を重ね、5月には[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|Jリーグ月間MVP]]を受賞。7月、[[東アジアカップ2013]]に出場する[[サッカー日本代表|日本代表]]に初選出された。同年はリーグ戦全34試合に出場し、森島が保持していたクラブ日本人J1シーズン最多得点記録(18得点)を更新する21得点をマーク<ref>[http://www.daily.co.jp/soccer/2013/12/01/1p_0006538160.shtml 柿谷“森島超え弾”もC大阪無念V逸] - 2013年12月1日</ref>。[[Jリーグベストイレブン]]に選出されたほか、第33節[[鹿島アントラーズ]]戦前半38分の得点(右サイドからの[[センタリング|クロスボール]]をコントロールした後、[[リフティング]]で[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]をかわして[[キック (サッカー)#アウトサイドキック (Outside kick)|アウトサイド]][[シュート (サッカー)#シュートの種類|ボレー]]でゴールへ蹴りこんだもの<ref>[http://soccer.skyperfectv.co.jp/bestgoal/j1/2013bestgoal_j1.html J1/2013年最優秀ゴール賞のノミネートゴール一覧|Jリーグベストゴールアワード|スカパー!サッカー中継] 2013年12月10日</ref>)が、同年新設された[[Jリーグアウォーズ#最優秀ゴール賞|最優秀ゴール賞]]に選出された。 |
この活躍により[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ1部]]・[[1.FCニュルンベルク|ニュルンベルク]]から移籍オファーを受け<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/31/kiji/K20130131005094450.html 柿谷“4代目ミスターセレッソ”に!栄光の背番「8」に感激 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー] 2013年1月31日</ref>、本人曰く「98%くらい(ドイツへ)行く気やった」というが<ref>[[テレビ朝日]]『[[やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜]]』2013年4月14日放送</ref>、シーズン終了後に[[森島寛晃]]の自宅に招かれ、直々に背番号「8」の継承を要請されたことに感激し、「迷わず、セレッソで8番をつける方を取った」と残留を決意<ref>[http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/130226/wsp13022611370002-n1.htm 「誰にも負けない8番を」 セレッソ伝統の背番号、柿谷が継承] - MSN産経west 2013年2月26日</ref>。4年越しの想いを実らせ、森島、香川、清武と受け継がれてきたC大阪の[[エースナンバー]]を身につけた2013年は、第1節新潟戦から[[フォワード (サッカー)|フォワード]]として起用され、自らの決勝点により、クラブ14年ぶりのJ1開幕戦勝利をもたらした<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/03/02/kiji/K20130302005307520.html C大阪「背番8」柿谷が決勝弾 14年ぶりJ1開幕戦勝利 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー] 2013年3月2日</ref>。その後もハイペースで得点を重ね、5月には[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|Jリーグ月間MVP]]を受賞。7月、[[東アジアカップ2013]]に出場する[[サッカー日本代表|日本代表]]に初選出された。同年はリーグ戦全34試合に出場し、森島が保持していたクラブ日本人J1シーズン最多得点記録(18得点)を更新する21得点をマーク<ref>[http://www.daily.co.jp/soccer/2013/12/01/1p_0006538160.shtml 柿谷“森島超え弾”もC大阪無念V逸] - 2013年12月1日</ref>。[[Jリーグベストイレブン]]に選出されたほか、第33節[[鹿島アントラーズ]]戦前半38分の得点(右サイドからの[[センタリング|クロスボール]]をコントロールした後、[[リフティング]]で[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]をかわして[[キック (サッカー)#アウトサイドキック (Outside kick)|アウトサイド]][[シュート (サッカー)#シュートの種類|ボレー]]でゴールへ蹴りこんだもの<ref>[http://soccer.skyperfectv.co.jp/bestgoal/j1/2013bestgoal_j1.html J1/2013年最優秀ゴール賞のノミネートゴール一覧|Jリーグベストゴールアワード|スカパー!サッカー中継] 2013年12月10日</ref>)が、同年新設された[[Jリーグアウォーズ#最優秀ゴール賞|最優秀ゴール賞]]に選出された。 |
2020年8月28日 (金) 21:41時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | 曜さん、柿谷、カッキー、ジーニアス、曜一朗、Mr.セレッソ[1] | |||||
カタカナ | カキタニ ヨウイチロウ | |||||
ラテン文字 | Kakitani Yoichiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1990年1月3日(34歳) | |||||
出身地 | 大阪府大阪市 | |||||
身長 | 177cm[2] | |||||
体重 | 68kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | セレッソ大阪 | |||||
ポジション | MF (OH) / FW (ST, CF) | |||||
背番号 | 8 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2002-2004 | セレッソ大阪U-15 | |||||
2005 | セレッソ大阪U-18 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2014 | セレッソ大阪 | 130 | (51) | |||
2009-2011 | → 徳島ヴォルティス (loan) | 97 | (14) | |||
2014-2015 | FCバーゼル | 18 | (4) | |||
2016- | セレッソ大阪 | 98 | (18) | |||
代表歴2 | ||||||
2005-2007 | 日本 U-17 | 9 | (6) | |||
2007-2009 | 日本 U-20 | 8 | (3) | |||
2013-2014 | 日本 | 18 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月2日現在。 2. 2014年10月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
柿谷 曜一朗(かきたに よういちろう、1990年1月3日 - )は、大阪府大阪市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 妻はタレントの丸高愛実[3]で、一女の父。
経歴
プロ入り前
4歳からセレッソ大阪の下部組織で育ち、スクールからプロまでセレッソ一筋。追手門学院大手前高等学校在学中の2006年、クラブ史上最年少の16歳でトップチームとプロ契約を結び、C大阪と業務提携しているウィザス高等学校(現 第一学院高等学校)に転校した。同年5月には短期海外研修として、アーセナルやインテルミラノのユースの練習に参加[4]。
セレッソ大阪(第1次)
2006年9月に開催されたAFC U-17アジア選手権では唯一、プロ選手として大会に出場し優勝に貢献。自身も大会MVPに選出された。11月26日のJ1第33節大宮アルディージャ戦で、Jリーグ初出場を果たす。
2007 FIFA U-17ワールドカップのナイジェリア戦で、出場時間900分に達し、プロA契約を締結[5]。大会中、フランス戦およびハイチ戦にて得点を挙げ、同大会にて最も素晴らしいゴールを挙げた得点者と評された[6]。クラブでは、J2第12節ザスパ草津戦で当時のJ2最年少得点記録(17歳3ヶ月25日)となる得点を決めたものの、同期入団の香川真司がレヴィー・クルピ監督に見出されレギュラーとして活躍する中、21試合2得点と目立った成績は残せなかった。
プロ3年目の2008年、早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)に合格[7]。背番号を「11」へ変更して臨んだシーズンだったが、横浜F・マリノスから途中加入した乾貴士の台頭もあり、終盤にはベンチ外となるなど、出場機会は減少。無得点のままシーズンを終えた。また、この年のAFC U-19選手権でもベスト8で敗退し、FIFA U-20ワールドカップへの出場権を逃してしまった。
2009年には練習への遅刻を繰り返すようになり、第3節栃木SC戦終了後、クルピ監督から名指しでプロ意識の欠如を指摘されたが[8]、同時にクルピは香川と比較する形で「シンジとヨウイチロウ、非常に対照的なところがあり、シンジの場合はプロフェッショナルとして責任感が強いが故に、ミスを恐れてしまうところがある。逆にヨウイチロウは責任感がないが、故に、時として非常に勇気のあるプレーができる。好対照なふたりだが、お互いそういったところを変えていけば、間違いなく日本を代表する選手になると思う」と、期待を込めたメッセージを送った[8]。しかし、2得点を決める活躍を見せた第20節ファジアーノ岡山戦の翌日、練習に遅刻した柿谷に対し、クルピは「彼の行為はすべてのサポーターやクラブに対しての裏切りだ」と激怒[9]。約1週間後の6月18日、徳島ヴォルティスへの期限付き移籍が発表された[10]。
徳島ヴォルティス
徳島加入後は出場機会が増え、キャプテンであった倉貫一毅の高いプロ意識に感化されたことや、当時の監督美濃部直彦が柿谷との対話を繰り返したこと、また同じC大阪の下部組織出身の濱田武が辛抱強く生活面のフォローを行ったことで、素行の問題も徐々に改善されていった[11]。
2011年はチームの副キャプテンに任命され[12]、第1節ガイナーレ鳥取戦では、ベンチスタートの倉貫に代わってキャプテンマークを巻いて試合に臨み、決勝点を挙げた[13]。その後もほとんどの試合でフル出場を続けたが、チームは4位に終わり、J1昇格は達成できなかった。
2012年1月6日、レンタル移籍期間満了により、C大阪への復帰が発表された[14]。
セレッソ大阪(第2次)
3年ぶりにC大阪復帰となった2012年シーズンは、開幕当初こそ控えに甘んじたものの、主に2トップの一角としてレギュラーに定着し、キム・ボギョンや清武弘嗣の移籍、ロンドン五輪U-23サッカー日本代表に選出された扇原貴宏、山口螢の離脱の影響もあり低迷するチームの中でゴールを量産。第21節横浜FM戦の前には、トレードマークの長髪を切り落とし、頭を丸める気合を見せた[15]。同年8月には、セルジオ・ソアレスに代わりC大阪の監督へ再々就任したクルピとの邂逅を果たし、クルピ監督復帰初戦となった第24節アルビレックス新潟戦では、決勝点を挙げた。試合後クルピは、かつて袂を分った教え子に対し「特別な思いがある。ゴールの瞬間、思いがよぎった。彼がプロ2年目のときに私が監督に就任した。かわいい息子だ。 それがゆえに、過ちを犯したときには正しい道に導いた。今日は一皮むけて成長したプレーをみせてくれた。 技術だけでなく、戦術面も理解してピッチで表現してくれた。再び彼と同じチームで働くチャンスがきてうれしく思う」と、惜しみない賞賛を送った[16]。クルピ体制移行後は主にトップ下のポジションでプレー。チームは最終節まで残留争いに巻き込まれ、シーズン終盤は自身も左足かかとの故障に悩まされたが[17]、リーグ戦30試合に出場しチームトップの11得点(カップ戦を含めると40試合17得点)を挙げ、Jリーグ優秀選手賞を受賞した[18]。2012年には、クルピと、遠征先のホテルで通訳を交え3人で会話する機会を設け、かつての過ちを謝罪した[19]。
この活躍によりドイツ1部・ニュルンベルクから移籍オファーを受け[20]、本人曰く「98%くらい(ドイツへ)行く気やった」というが[21]、シーズン終了後に森島寛晃の自宅に招かれ、直々に背番号「8」の継承を要請されたことに感激し、「迷わず、セレッソで8番をつける方を取った」と残留を決意[22]。4年越しの想いを実らせ、森島、香川、清武と受け継がれてきたC大阪のエースナンバーを身につけた2013年は、第1節新潟戦からフォワードとして起用され、自らの決勝点により、クラブ14年ぶりのJ1開幕戦勝利をもたらした[23]。その後もハイペースで得点を重ね、5月にはJリーグ月間MVPを受賞。7月、東アジアカップ2013に出場する日本代表に初選出された。同年はリーグ戦全34試合に出場し、森島が保持していたクラブ日本人J1シーズン最多得点記録(18得点)を更新する21得点をマーク[24]。Jリーグベストイレブンに選出されたほか、第33節鹿島アントラーズ戦前半38分の得点(右サイドからのクロスボールをコントロールした後、リフティングでディフェンダーをかわしてアウトサイドボレーでゴールへ蹴りこんだもの[25])が、同年新設された最優秀ゴール賞に選出された。
FCバーゼル
2014年7月7日、同年7月16日付でスイス・スーパーリーグのフースバル・クラブ・バーゼル1893(以下FCバーゼル)へ完全移籍することが発表された[26]。契約期間は2018年6月30日迄で[27]、背番号は14番を着用することになった[28]。
8月2日に行われた第3節FCトゥーン戦に出場し、スイス・スーパーリーグ公式戦デビューを飾った[29]。8月9日の第4節FCチューリッヒでは後半から投入され、移籍後初得点を含む1得点1アシストの活躍を見せた[30]。9月16日の欧州チャンピオンズリーグ第1節レアル・マドリード戦で、途中出場して欧州チャンピオンズリーグデビューを果たした。その後、なかなか出場機会を掴めずにいたが、2015年3月5日のスイス・カップ準々決勝FCミュンジンゲン戦で公式戦10戦ぶりに先発出場すると、3点を決めプロ初のハットトリックを達成。チームの6-1の勝利に貢献した[31]。第35節のFCトゥーン戦で19試合ぶりに先発し、シーズン3点目を挙げた[32]。
2015-16年シーズンは、開幕戦のFCファドゥーツ戦で右MFとして先発して今シーズン初得点をあげたが負傷[33]。一ヶ月後に復帰するが以前と比べて大幅にパフォーマンスが落ち、国内カップ戦では出場した全試合スタメン出場するも得点を挙げる事が出来ずウルス・フィッシャー監督の構想外となる。その後は出場機会に恵まれずリーグ戦4試合1得点で2015年を終えた[34]。
セレッソ大阪(第3次)
2016年よりC大阪に完全移籍により加入した[2]。なお、バーゼルとは昨夏から4年契約を結んでいたが、1年でのJ1昇格に失敗したC大阪側が復帰を要請した事と柿谷が出場機会を求めていた事でクラブ間交渉が成立したと思われる[35]。背番号は移籍前につけていた「8」となる[36]。3月6日、第2節の水戸ホーリーホック戦でキム・ジンヒョンのロングフィードから復帰後初得点を決めた。また、ホーム復帰戦となった第3節のザスパクサツ群馬戦でも得点を決めた。ゲームキャプテンとしてプレーしていた[37] が、6月9日に行われた第17節のV・ファーレン長崎戦で右足関節じん帯を損傷し、長期離脱となってしまった[38]。11月27日、プレーオフの京都サンガF.C.戦では先制点を決め、チームは1-1で引き分けたが年間順位が上位のため決勝に進出、決勝ではフル出場し、チームのJ1昇格に貢献した。
2017年12月23日、天皇杯準決勝のヴィッセル神戸戦では延長戦で勝ち越しゴールを決めて決勝進出に貢献した[39]。
日本代表
東アジアカップ2013にてザッケローニ監督率いる日本代表に初召集されると、その第1戦中国戦で代表戦初出場を果たし、後半14分にデビュー戦初得点を記録した[40]。第3戦韓国戦では2得点の活躍で、日本代表の東アジアカップ初優勝に貢献し、自身も大会得点王を獲得した。
この活躍が評価され、以降代表に定着。新エースとして期待されスタメンで起用され続けたが、なかなか得点に絡めず、W杯ブラジル大会の日本代表メンバーに選出された[41]ものの、スタメンを外れ途中出場2試合の僅かなプレー時間に留まった。W杯後、ハビエル・アギーレ体制下でも召集され試合出場も果たしたが、ポジションは慣れない左ウイングで結果が出せず、監督がヴァヒド・ハリルホジッチに変わってからもバックアップメンバーに選出される事はあったが召集される事はなくなった。
プレースタイル
柿谷の技術の高さについて、2012年にセレッソ大阪の監督を務めたセルジオ・ソアレスは「日本を見渡しても、柿谷ほどの技術を持っている選手はなかなかいない」[42] と評価している。また、ドリブルをする際の姿勢が良く、顔を上げているため、対面する相手の動きを把握して、瞬時にプレーを変更出来るのも強み[42]。
ディフェンスラインの裏への飛び出し、マークを外す駆け引きといったボールを引き出す動きはさほど得意ではないため、佐藤寿人のゴールシーンを参考にして勉強している[42]。
メディアだけでなく、森島寛晃、清武弘嗣、齋藤学といった共にプレーした日本代表選手たちからも「天才」と評されているが[43][44]、本人は「いろんな才能を持っている選手がいて、ボールを奪う才能や、ヘディングには絶対勝つ選手とか、(香川)真司くんやメッシみたいにゴールを取りまくれる選手とか。そういうのを全部できる人が、天才やと思う」と否定している[19]。
試合の際に手首付近に巻いているテーピングは、徳島時代に「気が引き締まる」という理由で始めたもの[45]。
人物
所属クラブ
- ユース経歴
- 1994年 - 1999年 セレッソ大阪スクール[2]
- 2000年 - 2001年 セレッソ大阪U-12[2]
- 2002年 - 2004年 セレッソ大阪U-15[2]
- 2005年 セレッソ大阪U-18[2]
- プロ経歴
- 2006年 - 2014年7月 セレッソ大阪[2]
- 2014年 - 2015年 フースバル・クラブ・バーゼル1893[2]
- 2016年 - セレッソ大阪[2]
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | C大阪 | 30 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2007 | 18 | J2 | 21 | 2 | - | 1 | 0 | 22 | 2 | ||
2008 | 11 | 24 | 0 | - | 0 | 0 | 24 | 0 | |||
2009 | 6 | 2 | - | - | 6 | 2 | |||||
徳島 | 13 | 27 | 4 | - | 1 | 0 | 28 | 4 | |||
2010 | 34 | 4 | - | 2 | 0 | 36 | 4 | ||||
2011 | 36 | 6 | - | 1 | 0 | 37 | 6 | ||||
2012 | C大阪 | J1 | 30 | 11 | 7 | 5 | 3 | 1 | 40 | 17 | |
2013 | 8 | 34 | 21 | 8 | 3 | 0 | 0 | 42 | 24 | ||
2014 | 14 | 1 | - | 0 | 0 | 14 | 1 | ||||
スイス | リーグ戦 | スイス杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2014-15 | バーゼル | 14 | スーパーリーグ | 14 | 3 | 3 | 4 | - | 17 | 7 | |
2015-16 | 4 | 1 | 5 | 0 | - | 9 | 1 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2016 | C大阪 | 8 | J2 | 20 | 5 | - | 0 | 0 | 20 | 5 | |
2017 | J1 | 34 | 6 | 5 | 1 | 3 | 1 | 42 | 8 | ||
2018 | 21 | 4 | 2 | 0 | 2 | 0 | 25 | 4 | |||
2019 | 23 | 3 | 4 | 0 | 3 | 1 | 30 | 4 | |||
2020 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 157 | 46 | 26 | 9 | 11 | 3 | 194 | 58 | |
日本 | J2 | 168 | 23 | - | 5 | 0 | 173 | 23 | |||
スイス | スイスリーグ | 18 | 4 | 8 | 4 | - | 26 | 8 | |||
総通算 | 343 | 73 | 34 | 13 | 16 | 3 | 393 | 89 |
その他公式戦
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2019 | C大23 | 8 | J3 | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J3 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||||
総通算 | 1 | 0 | 1 | 0 |
- 2016年
- J1昇格プレーオフ 2試合1得点
- 2018年
- FUJI XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2014 | C大阪 | 8 | 8 | 4 |
UEFA | UEFA CL | |||
2014-15 | バーゼル | 14 | 3 | 0 |
AFC | ACL | |||
2018 | C大阪 | 8 | 3 | 1 |
通算 | AFC | 11 | 5 | |
通算 | UEFA | 3 | 0 |
- Jリーグ初出場:2006年11月26日 J1第33節 vs大宮アルディージャ (埼玉スタジアム2002)
- Jリーグ初得点:2007年4月28日 J2第12節 vsザスパ草津 (長居第2陸上競技場)
- J2リーグ戦最年少得点記録 (当時) - 17歳3ヶ月25日
- スイス・スーパーリーグ初出場:2014年8月2日 1部第3節 vsFCトゥーン (アレナ・トゥーン)
- スイス・スーパーリーグ初得点:2014年8月9日 1部第4節 vsFCチューリッヒ (ザンクト・ヤコブ・パルク)
- 国際Aマッチ初出場・初得点:2013年7月21日 東アジアカップ2013 vs 中国代表 (ソウルワールドカップ競技場)
代表歴
出場大会
- U-12日本選抜
- U-13日本選抜
- U-14日本選抜
- U-15日本代表
- 2005年 AFC U-17選手権2006 (予選)
- U-16日本代表
- 2006年 AFC U-17選手権2006
- U-17日本代表
- 2007年 2007 FIFA U-17ワールドカップ
- U-18日本代表
- 2007年 AFC U-19選手権2008 (予選)
- U-19日本代表
- 2008年 AFC U-19選手権2008
- 日本代表
- 2013年 東アジアカップ2013
- 2014年 2014 FIFAワールドカップ
試合数
- 国際Aマッチ 18試合 5得点(2013年 - 2014年)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2013 | 9 | 4 |
2014 | 9 | 1 |
通算 | 18 | 5 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2013年7月21日 | 韓国、ソウル | 中国 | △3-3 | 東アジアカップ2013 |
2. | 2013年7月28日 | 韓国 | ○2-1 | ||
3. | |||||
4. | 2013年11月19日 | ベルギー、ブリュッセル | ベルギー | ○3-2 | 国際親善試合 |
5. | 2014年6月2日 | アメリカ、タンパ | コスタリカ | ○3-1 | 国際親善試合 |
タイトル
クラブ
- スーパーリーグ:1回(2014-15)
- Jリーグカップ:1回(2017年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回(2017年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2018年)
代表
個人
- AFC U-17選手権2006 MVP
- AFC優秀ユース選手(2006年、2007年)
- Jリーグ優秀選手賞(2012年、2013年)
- Jリーグ月間MVP(2013年5月)
- 東アジアカップ得点王(2013年)
- Jリーグベストイレブン(2013年)
- Jリーグ最優秀ゴール賞(2013年)
- Jリーグフェアプレー個人賞:2回(2013年、2017年)
書籍
監修
- 『柿谷曜一朗のサッカースーパーテクニックバイブル』(カンゼン、2014年6月10日)ISBN 9784862552563
脚注
- ^ 躍動するミスター・セレッソ、柿谷曜一朗を代表にするなら「今」だ - web Sportiva 2013年5月20日
- ^ a b c d e f g h i j k "フースバル・クラブ・バーゼル1893 柿谷曜一朗選手 完全移籍加入のお知らせ" (Press release). セレッソ大阪. 2016-1-4. 2016-1-9閲覧。
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の日付が不正です。 (説明) - ^ a b “C大阪柿谷曜一朗、グラビアアイドル丸高愛実と結婚”. 日刊スポーツ新聞社 (2016年12月8日). 2016年12月8日閲覧。
- ^ 柿谷曜一朗選手の海外クラブへの短期研修のお知らせ | セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE [リンク切れ]2006年5月1日
- ^ 柿谷曜一朗選手 プロA契約に変更 | セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE 2007年9月1日
- ^ Eaglets rejoice in hat trick FIFA公式サイト 2013.12.21 02:58 (UTC)
- ^ Jリーグ - 早稲田大学人間科学部eスクールにJリーグ所属選手9人が合格 2008年1月25日
- ^ a b J's GOAL | J's GOALニュース | 【J2:第3節 C大阪 vs 栃木】レヴィークルピ監督(C大阪)記者会見コメント 2009年3月22日
- ^ C大阪柿谷6度目遅刻に罰金「裏切りだ」 - サッカーニュース : nikkansports.com 2009年6月11日
- ^ 柿谷 曜一朗選手 セレッソ大阪より期限付き移籍加入のお知らせ 2009年6月17日
- ^ 柿谷曜一朗、早熟の天才が過ごした雌伏の時 - スポーツナビ 2012年2月10日
- ^ 2011年シーズン キャプテン決定のお知らせ 2011年2月24日
- ^ J's GOAL | フォトニュース | 【J2:第1節 徳島 vs 鳥取】 2011年3月6日
- ^ 柿谷曜一朗選手 徳島ヴォルティスより復帰のお知らせ | セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE 2012年1月6日
- ^ 柿谷 不調脱出へ決意の丸刈り「こんな髪形するなんて…」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2012年8月22日
- ^ J's GOAL | J's GOALニュース | 【J1:第24節 新潟 vs C大阪】レヴィークルピ監督(C大阪)記者会見コメント 2012年9月1日
- ^ クルピ監督 柿谷&丸橋を強行出場へ「ギプスさせてでも使う」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2012年11月28日
- ^ Jリーグ公式サイト:2012Jリーグアウォーズ:優秀選手賞 2012年12月1日
- ^ a b ベースボール・マガジン社『週刊サッカーマガジン』1428号、2012年11月13日
- ^ 柿谷“4代目ミスターセレッソ”に!栄光の背番「8」に感激 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2013年1月31日
- ^ テレビ朝日『やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜』2013年4月14日放送
- ^ 「誰にも負けない8番を」 セレッソ伝統の背番号、柿谷が継承 - MSN産経west 2013年2月26日
- ^ C大阪「背番8」柿谷が決勝弾 14年ぶりJ1開幕戦勝利 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2013年3月2日
- ^ 柿谷“森島超え弾”もC大阪無念V逸 - 2013年12月1日
- ^ J1/2013年最優秀ゴール賞のノミネートゴール一覧|Jリーグベストゴールアワード|スカパー!サッカー中継 2013年12月10日
- ^ セレッソ大阪、柿谷のバーゼル移籍を正式発表 - 2014年7月7日
- ^ “Japanese version: Welcome to FC Basel 1893, Yoichiro Kakitani”. FCバーゼル 公式サイト. (2014年7月7日) 2014年7月7日閲覧。
- ^ 柿谷曜一朗、4年契約で背番号は14…移籍先のバーゼルが発表 - 2014年7月7日
- ^ 柿谷曜一朗デビュー。バーゼル選択は正しかった 2014年8月4日付 Sportiva
- ^ 地元紙、1ゴール1アシストの柿谷曜一朗に高評価「約束を果たした」 2014年8月11日付 サッカーキング
- ^ 柿谷がスイス杯でハットの活躍…6発大勝のバーゼルは準決勝へ 2015年3月5日付 サッカーキング
- ^ 地元紙、バーゼルFW柿谷の技ありシュートは「最高の見せ場」 2015年5月26日付 サッカーキング
- ^ “天才”柿谷曜一朗の現在地…苦境の中に見えた成長と復活への道程 サッカーキング 2015年10月30日
- ^ 柿谷曜一朗、模索する自分自身のあり方 2015年11月2日付 スポーツナビ
- ^ 柿谷曜一朗C大阪復帰 違約金大幅減少で完全移籍へ 2015年12月26日付 日刊スポーツ
- ^ バーゼル柿谷がC大阪復帰 背番号は当時の「8」 2016年1月5日付 日刊スポーツ
- ^ 柿谷曜一朗 C大阪主将に就任 2016年2月18日付 デイリースポーツ
- ^ C大阪に痛手、柿谷曜一朗が全治4週間の離脱…長崎戦で負傷交代 2016年8月9日付 サッカーキング
- ^ 柿谷 勝ち越しPK失敗「あっ!やべっ!」こぼれ球ダイビングヘッドで勝ち越し スポニチ(2017年12月23日)
- ^ デビュー戦で1G1Aも…柿谷「残念な感情しかない」 | ゲキサカ - 2013年7月22日
- ^ “W杯臨む日本代表メンバー23名が発表…本田や香川ら、大久保も選出”. サッカーキング (2014年5月12日). 2014年5月13日閲覧。
- ^ a b c “天才”柿谷曜一朗を蘇らせる、C大阪・ソアレス監督の非凡な目。 - Number Web : ナンバー 2012年6月19日
- ^ 清武に「天才」と呼ばれた男 柿谷 起死回生の芸術ボレー ― スポニチ Sponichi Annex サッカー 2012年7月8日
- ^ 齋藤学、「柿谷曜一朗は天才」と褒めちぎる « サッカー専門新聞ELGOLAZO web版 BLOGOLA - Jリーグ練習場レポート毎日更新 - 2013年7月9日
- ^ J's GOAL | J's GOALニュース | 【J1 6月度MIP受賞インタビュー】柿谷曜一朗(C大阪):「C大阪で活躍することが、今の僕にとって何よりもの喜びで幸せ」 2012年7月26日
- ^ “『柿谷曜一朗のサッカー スーパーテクニックバイブル(DVD付き)』発売のお知らせ”. セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト (2014年6月6日). 2020年7月15日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 柿谷曜一朗 - J. League Data Siteによる選手データ
- 柿谷曜一朗 – FIFA主催大会成績
- 柿谷曜一朗 - National-Football-Teams.com
- 柿谷曜一朗 - Soccerbase
- Yoichiro Kakitani - Player profile Transfermarkt
- 柿谷曜一朗 (@yoichiro0103) - X(旧Twitter)
- 柿谷曜一朗 (@yoichiro.no.8) - Instagram
- 柿谷曜一朗オフィシャルブログ(アメブロ) 公式ブログ
- Yahoo!ブログ - CEREZO30 旧ブログのアーカイブ (2007年4月更新停止)