藤本康太
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | コウタ、フジモン | |||||
カタカナ | フジモト コウタ | |||||
ラテン文字 | FUJIMOTO Kota | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年4月2日(38歳) | |||||
出身地 | 熊本県 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2002-2004 | 熊本国府高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2019 | セレッソ大阪 | 216 | (13) | |||
通算 | 216 | (13) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
藤本 康太(ふじもと こうた、1986年4月2日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー・ディフェンダー。現役時代はセレッソ大阪一筋でプレーした。
J1リーグ戦で、プロ初ゴールからの連続得点記録保持者(4試合)。実弟は同じくサッカー選手の藤本大。
来歴
[編集]セレッソ大阪にはボランチとして入団したが、当初は主に右ウイングバックや、サイドバックとして出場。
2005年の優勝がかかった最終節では出場停止になったブルーノ・クアドロスに代わり出場した。
2006年のJ1第19節・対京都戦でJ初得点を決めると、以降4戦連続ゴールを記録した。
2009年シーズンは第3クールに中盤の底(アンカー)のレギュラーを獲得した。
2010年シーズンは先発としてはなかなか出場機会に恵まれなかったものの、CBやアンカー等、守備固めとして試合終盤に投入され、貴重な守備の切り札として役割を果たした。ナビスコカップ第5節では、交代枠を使い切った後に退場処分を受けたキム・ジンヒョンに代わり、急遽GKを務めた。
2011年シーズンも引き続き先発出場の機会には恵まれなかったが、ACLの大阪ダービーでの堅守など、守備陣のバックアップメンバーとして、また、得点源として活躍した。
2012年シーズンはキャプテンを務めたが、2014年以降は負傷が多く年間を通じて試合に出場することがなくなっている。
2019年シーズン、ホームゲーム最終戦となる清水エスパルス戦の前に現役引退を発表[1]。15年間セレッソ一筋を貫き現役生活に幕を下ろした。
2020年、セレッソ大阪アンバサダーに就任[2]。2022年からはアシスタントコーチを務めている。
人物・エピソード
[編集]所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 熊本YMCA
- 熊本国府高等学校
- プロ経歴
- 2005年 - 2019年 セレッソ大阪
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | C大阪 | 26 | J1 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 |
2006 | 14 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 18 | 4 | |||
2007 | 4 | J2 | 18 | 1 | - | 0 | 0 | 18 | 1 | ||
2008 | 14 | 1 | - | 2 | 0 | 16 | 1 | ||||
2009 | 27 | 4 | - | 1 | 0 | 28 | 4 | ||||
2010 | J1 | 17 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 24 | 0 | ||
2011 | 19 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 23 | 2 | |||
2012 | 32 | 0 | 8 | 2 | 2 | 1 | 42 | 3 | |||
2013 | 28 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 35 | 0 | |||
2014 | 17 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 20 | 2 | |||
2015 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2016 | 17 | 0 | - | 2 | 0 | 19 | 0 | ||||
2017 | J1 | 3 | 0 | 7 | 1 | 3 | 0 | 13 | 1 | ||
2018 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
2019 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 140 | 7 | 30 | 3 | 16 | 2 | 186 | 12 | |
日本 | J2 | 76 | 6 | - | 5 | 0 | 81 | 6 | |||
総通算 | 216 | 13 | 30 | 2 | 21 | 2 | 267 | 18 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2016 | C大23 | 4 | J3 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
2018 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||||||
2019 | 5 | 0 | 5 | 0 | |||||||
通算 | 日本 | J3 | 8 | 0 | 8 | 0 | |||||
総通算 | 8 | 0 | 8 | 0 |
その他公式戦
- 2016年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2011 | C大阪 | 4 | 6 | 0 |
2014 | 4 | 0 | ||
2018 | 0 | 0 | ||
通算 | AFC | 10 | 0 |
- Jリーグ初出場 - 2005年7月23日 J1第18節 vsガンバ大阪(万博記念競技場)
- Jリーグ初得点 - 2006年8月23日 J1第19節 vs京都パープルサンガ (京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
代表歴
[編集]- 2004年 U-18日本代表
- 2005年 U-20日本代表 (チーム事情により辞退)
- 2006年 U-21日本代表
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- セレッソ大阪
指導歴
[編集]- 2020年 - セレッソ大阪
- 2020年 - 2021年 アンバサダー
- 2022年 - トップチーム アシスタントコーチ
脚注
[編集]- ^ 藤本康太選手 現役引退のお知らせ セレッソ大阪 2019年11月28日
- ^ “藤本康太氏「セレッソ大阪アンバサダー」就任のお知らせ”. セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト | Cerezo OSAKA. 2022年8月9日閲覧。
- ^ エル・ゴラッソJリーグプレーヤーズガイド2017(スクアッド)p99
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 藤本康太 - Soccerway.com
- 藤本康太 - FootballDatabase.eu
- 藤本康太 - WorldFootball.net
- 藤本康太 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 藤本康太 - J.League Data Siteによる選手データ
- 藤本康太 (@YORIA04) - X(旧Twitter)
- 藤本康太 - セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト