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:2月、株式会社松本山雅社長の大月が退任、後任には2005年に松本山雅FCに在籍した元選手で、取締役管理本部長の[[神田文之]]が就任した。
:2月、株式会社松本山雅社長の大月が退任、後任には2005年に松本山雅FCに在籍した元選手で、取締役管理本部長の[[神田文之]]が就任した。
:飯尾和也が引退、サビアとイが契約満了で退団。野澤が[[アルビレックス新潟シンガポール]]へ、船山が川崎へ、玉林が愛媛へ、ユンが[[ソウルイーランドFC]]へ、多々良が仙台へ完全移籍。犬飼と山本が期限付き移籍期間満了で移籍元へ復帰した。また永井と北井が富山へ、鴇田と蔵田がアスルクラロ沼津へ、岩淵がFC琉球へ、パクが水戸へ期限付き移籍、宮下、中村、松下の移籍期間が延長された。
:飯尾和也が引退、サビアとイが契約満了で退団。野澤が[[アルビレックス新潟シンガポール]]へ、船山が川崎へ、玉林が愛媛へ、ユンが[[ソウルイーランドFC]]へ、多々良が仙台へ完全移籍。犬飼と山本が期限付き移籍期間満了で移籍元へ復帰した。また永井と北井が富山へ、鴇田と蔵田がアスルクラロ沼津へ、岩淵がFC琉球へ、パクが水戸へ期限付き移籍、宮下、中村、松下の移籍期間が延長された。
:補強は栃木SCから[[鈴木智幸]]、東京Vから[[キローラン菜入]]、徳島から[[那須川将大]]、岡山から[[後藤圭太]]・[[石原崇兆]]・[[荒田智之]]、京都から[[酒井隆介]]、北九州から[[池元友樹]]、磐田から[[阿部吉朗]]、[[アメリカFC (ミナスジェライス州)|アメリカFC]]から[[オビナ]]を完全移籍で、鳥栖から[[坂井達弥]]、東京Vから[[前田直輝]]、アメリカFCから[[ドリヴァウ・ダス・ネーヴィス・フェハス・ジュニオール|ドリバ]]を期限付き移籍で獲得。新人では[[順天堂大学]]から[[谷奥健四郎]]、[[拓殖大学]]から[[柴田隆太朗]]が加入した。また5月に[[東海学園大学]]の[[志知孝明]]を[[特別指定選手]]として受け入れたほか、6月に広島から[[工藤浩平]]、C大阪から[[安藤淳]]、[[CSパンドゥリイ・トゥルグ・ジウ]]から[[エリック・デ・オリベイラ・ペレイラ|エリック]]、8月に[[ECバイーア]]から[[ウィリアンス・ドス・サントス・サンターナ|ウィリアン]]、9月に[[ウィガン・アスレティックFC]]から[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]の[[金甫ギョン|キム・ボギョン]]を、それぞれ完全移籍で獲得した。
:補強は栃木SCから[[鈴木智幸]]、東京Vから[[キローラン菜入]]、徳島から[[那須川将大]]、岡山から[[後藤圭太]]・[[石原崇兆]]・[[荒田智之]]、京都から[[酒井隆介]]、北九州から[[池元友樹]]、磐田から[[阿部吉朗]]、[[アメリカFC (ミナスジェライス州)|アメリカFC]]から[[オビナ]]を完全移籍で、鳥栖から[[坂井達弥]]、東京Vから[[前田直輝]]、アメリカFCから[[ドリヴァウ・ダス・ネーヴィス・フェハス・ジュニオール|ドリバ]]を期限付き移籍で獲得。新人では[[順天堂大学]]から[[谷奥健四郎]]、[[拓殖大学]]から[[柴田隆太朗]]が加入した。また5月に[[東海学園大学]]の[[志知孝明]]を[[特別指定選手]]として受け入れたほか、6月に広島から[[工藤浩平]]、C大阪から[[安藤淳]]、[[CSパンドゥリイ・トゥルグ・ジウ]]から[[エリック・デ・オリベイラ・ペレイラ|エリック]]、8月に[[ECバイーア]]から[[ウィリアンス・ドス・サントス・サンターナ|ウィリアン]]、9月に[[ウィガン・アスレティックFC]]から[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]の[[金甫|キム・ボギョン]]を、それぞれ完全移籍で獲得した。
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:初出場となった[[Jリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]では、予選Aグループを戦い、1勝1分け4敗勝ち点4の6位で、決勝トーナメント進出を逃した。
:初出場となった[[Jリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]では、予選Aグループを戦い、1勝1分け4敗勝ち点4の6位で、決勝トーナメント進出を逃した。

2020年8月28日 (金) 21:41時点における版

松本山雅FC
原語表記 松本山雅フットボールクラブ
呼称 松本山雅FC
愛称 ターミガンズ[1]
クラブカラー  [2]
創設年 1965年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J2リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 長野県松本市塩尻市山形村安曇野市大町市池田町生坂村箕輪町朝日村[2]
ホームスタジアム
サンプロ アルウィン[2]
収容人数 20,336[2]
運営法人 株式会社松本山雅[2]
代表者 神田文之[2]
監督 日本の旗 布啓一郎
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社松本山雅
MATSUMOTO YAMAGA Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 390-0825[2]
長野県松本市並柳1-10-20[2]
設立 2010年7月9日[3]
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 神田文之[2]
資本金 1億9,550万円 (2018年1月期)
売上高 19億9,100万円 (2018年1月期)[4]
営業利益 4,500万円 (2018年1月期)[4]
経常利益 7,700万円 (2018年1月期)[4]
純利益 4,700万円 (2018年1月期)[4]
純資産 6億9,900万円 (2018年1月期)[4]
総資産 10億5,300万円 (2018年1月期)[4]
決算期 1月期
主要株主 松本市塩尻市山形村安曇野市大町市池田町[5]
松本山雅支援持株会
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:2004年から2010年までNPO法人アルウィンスポーツプロジェクト (略称・ASP)が運営[2]。 NPO法人ASPは、2011年3月、NPO法人松本山雅スポーツクラブに名称変更。下部組織ユースアカデミー事業を承継。
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松本山雅FC(まつもとやまがエフシー、Matsumoto Yamaga Football Club)は、日本長野県松本市塩尻市山形村安曇野市大町市池田町生坂村箕輪町朝日村[2]をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。登録チーム名は松本山雅フットボールクラブ(まつもとやまがフットボールクラブ)である。

概要

1965年創部の山雅サッカークラブが母体となり[2]2004年に運営法人として特定非営利活動法人アルウィンスポーツプロジェクト(以下、ASP)を設立[2]。2005年よりチーム名を山雅サッカークラブから松本山雅FCに改称した[2]。愛称は一般公募で選ばれた、長野県の県鳥である「雷鳥」を意味する「ターミガンズ英語: Ptarmigans)」である[1]

2010年7月にASPに代わる運営会社として株式会社松本山雅を設立[2] 。2011年2月にクラブ運営を株式会社松本山雅に移行[2]。2011年12月にJリーグへ加盟した。

ホームタウンは長野県松本市(2013年2月26日)から、安曇野市山形村塩尻市へ広域化され[6]、2015年5月21日には大町市[7][8]、同年12月15日には池田町[9][10]、2018年7月31日には生坂村[11][12]、2019年11月18日には箕輪町朝日村が加わった[13][14]

ホームスタジアムはサンプロ アルウィン[2]、練習グラウンドはかりがねサッカー場である[2]

クラブマスコットは「ガンズくん」で、長野県の県鳥であるライチョウ(雷鳥)をモチーフにしている[1][2]Jリーグへ加盟した2012年にオフィシャルマスコットとなった。

歴史

前史

1965年
当時の国体サッカー長野県選抜の選手を中心に山雅サッカークラブが創部される[1]。クラブ名は選手のたまり場だった喫茶店「山雅」に由来している[2](この店名は山好きの店主が「山」と「優雅」を組み合わせて命名したものである)。そのため、初期のエンブレムはコーヒーカップをデザインに取り入れている。なお、喫茶店は松本駅前の再開発事業に伴い1978年に閉店した[15] が、2017年に松本市大手4丁目(通称:緑町)にクラブ直営の「喫茶山雅」がオープンしている[16]

1975年 - 2003年(北信越リーグ)

1975年
北信越フットボールリーグ発足に伴い、リーグに参加する[2]
1985年
北信越リーグ初優勝し、全国地域リーグ決勝大会に初出場。コスモ大協東海リーグ)に敗れるなど1次ラウンドで敗退した。
1997年
長野県サッカー選手権大会初優勝し、天皇杯に初出場。1回戦で旧JFLのブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)に敗退した。

2004年 - 2005年(北信越リーグ2部)

2004年
運営法人として特定非営利活動法人アルウィンスポーツプロジェクト(略称・ASP)が発足[2]し、小林克也監督のもと活動をスタートさせる。(ASPの前身は任意団体「ラズーソ・J・プロジェクト」、松本からJリーグ参入を目指し、2003年に有志数人が発起人となり、2004年にASPを設立[17]。)なお、2004年より北信越リーグが2部制となり、同2部所属となった。
FC東京鏑木享が加入。
リーグは4勝2分8敗の6位でフィニッシュした。
2005年
名称を山雅サッカークラブから松本山雅フットボールクラブ(松本山雅FC)へ改称。
青梅ユース元監督の辛島啓珠が監督に就任。
2005年の北信越2部リーグは前年に発生した新潟県中越地震の影響で、前季のリーグ戦を途中でキャンセルしたクラブの救済措置として、本来の8チームから降格チームなしの10チームに枠を拡大して争われた。1回戦総当たりの前期9試合は4位。前期の成績により上位5チームと下位5チームに分かれた1回戦総当たりの後期4試合は元仙台矢畑智裕や元甲府三本菅崇などの加入により守備面の不安は一掃、全勝優勝し、北信越1部へ昇格。

2006年 - 2009年(北信越リーグ1部)

2006年
辛島体制2年目。
甲府土橋宏由樹白尾秀人、元札幌奈良安剛といった元Jリーガーを中心に補強。開幕戦で前年度1部リーグ優勝の長野エルザサッカークラブ(現・AC長野パルセイロ)を破り、リーグ戦最終節まで長野及びJAPANサッカーカレッジ(JSC)と優勝を争ったが、勝ち点1差で2位に終わった(優勝はJSC)。
天皇杯は2回戦で新日鐵大分サッカー部九州リーグ)に敗退した。
2007年
チームスローガン:団結 ~Break Through~
辛島体制3年目。
これまでの「即戦力選手の獲得により最短距離でJリーグを目指す」方針を改め、元Jリーガーの新入団を1名にとどめ、近畿大学片山真人など、主に大学リーグで活躍した有力選手をアマチュア契約で獲得した。また、前年までは夜間練習を主としており、芝生のグラウンドだけでなく土のグラウンドでの練習を強いられる事も珍しくなかったが、この年からは練習環境の向上を掲げて平日午前練習に移行し、練習場所も長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)周辺及び松本平に点在する各地の芝グラウンドを利用するようになった。リーグ戦は前年同様、最終節までJSC長野金沢と優勝を争い、勝ち点で長野に並ばれたが得失点差で優勝。22年ぶりに全国地域サッカーリーグ決勝大会へ進出。地元アルウィン開催の地域決勝一次ラウンドは2勝1敗のグループ2位となり、決勝ラウンド進出はならなかった。このシーズン限りで土橋が長野に移籍した。
2008年
チームスローガン:Aggressive!
Honda FC元監督の吉澤英生が監督に就任。
湘南から柿本倫明山形から鈴木亮平らを完全移籍で、大分から川田和宏をクラブ初となる期限付き移籍で獲得するなど、JリーグやJFLの経験のある選手を多く獲得した。また完全プロ化を視野に入れ、高校生以上についてホームゲームの入場料を有料化した。リーグ戦は4位、全国社会人サッカー選手権大会も4位に終わった。ただし、出場辞退チームがあり、繰上がりで第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会へ出場したが、2勝1PK敗の2位で2年連続のグループリーグ敗退。
天皇杯は3回戦でJ2の湘南にPK戦で勝利、4回戦でJ1神戸に敗退した。
2009年
チームスローガン:One Soul ~思いは一つ。共に駆け上がろう!~
当初のチームスローガンは「WIN BY ALL ~共に駆け上がろう~」だったが、千葉が使用しているスローガン「WIN BY ALL」と重複するとの指摘を受け変更された[18]
吉澤体制2年目。
ゼネラルマネージャー (GM) に東京Vで長く強化担当を務めた加藤善之が就任。
岐阜北村隆二らを獲得、19名体制で始動した。リーグ戦は終盤までJSC長野金沢と優勝を争ったが、上位チームとの直接対決でいずれも敗退もしくは引分となり、リーグ戦は4位。なお、6月に元鳥栖鐡戸裕史ら4名、9月に横浜FCから中田健太郎をレンタル移籍で獲得した。
第45回全国社会人サッカー選手権大会で優勝。第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会は、一次ラウンドは3戦全勝。決勝ラウンドは2勝1PK敗の成績で優勝し、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を決めた。長野県のサッカークラブが全国リーグに参加するのは、JFLの前身である日本サッカーリーグジャパンフットボールリーグ時代を通じて史上初。なお、この大会はアルウィンが決勝ラウンドの会場となり、優勝がかかった3日目の試合には入場無料ながらも10,965人の観客が集まった。地元紙・信濃毎日新聞はJFL昇格が決まった時点で号外を発行。優勝を決めた後、更に昇格と優勝を報じる号外を発行し、それぞれ県内各地やアルウィンで配布した。
なお、北信越フットボールリーグには、1975年のリーグ発足以来、一度も都道府県リーグに降格することなく、2009年まで35シーズン連続で在籍。これは2020年現在リーグ最長記録である。
天皇杯は2回戦でJ1浦和とアルウィンで対戦し、2-0で勝利。地域リーグ所属クラブとして、史上初めてJ1所属クラブを破った[19]。また、この試合はチケットが完売したため追加販売が行われ、14,494人の観客動員を記録した。3回戦でJ2岐阜に敗退した。

2010年 - 2011年(JFL)

2010年
チームスローガン:One Soul ~Jへの道。共に駆け上がろう~
吉澤体制3年目。
2月16日、社団法人日本プロサッカーリーグからJリーグ準加盟クラブとして承認[2][20]される。7月、ASPに代わる運営会社となる株式会社松本山雅が設立[2][21][22]、代表取締役社長にはASP理事長の大月弘士が就任した。
横浜FCから須藤右介徳島から石田祐樹を獲得。前期は13位で終え、後期に入り東京Vより飯田真輝弦巻健人岡山より武田英明をレンタルで獲得。後期第2節以降は5連勝を含む11試合負けなしを記録するなど、一時は5位まで浮上したが、最終順位は7位に終わった。
天皇杯は2回戦で甲府J2)に敗退した。
2011年
チームスローガン:One Soul
吉澤体制4年目。
2月よりトップチームの運営がASPから株式会社松本山雅に移行。また、それまで使用していた盾と王冠に月桂樹をあしらったエンブレムが、松本城天守の千鳥破風をモチーフとした盾に雷鳥をあしらった現行のエンブレムに変更された。
横浜FMから元日本代表DFの松田直樹[23][24]熊本から渡辺匠水戸から3年ぶりのチーム復帰となる片山真人などを獲得。また、ヘッドコーチに流通経済大学から柴田峡、GKコーチに鳥栖から本間康貴がそれぞれ就任した。
JFL優勝・J2昇格を至上課題としてシーズンに臨んだが、序盤の成績は低迷。6月に吉澤監督を解任、後任監督にGMの加藤が就任した。7月に福岡から李鍾民を獲得。8月2日、チームを引っ張っていた松田直樹が練習中に急性心筋梗塞で突如倒れ、8月4日に死去した。
シーズン中の8月に練習生として練習に参加していた江原FCKリーグ)の大橋正博横浜FCから飯尾和也栃木SCからレンタル移籍で船山貴之を獲得した。リーグ戦は後期第17節のホンダロックSC戦に勝利してJFL4位以内を確定(最終順位も4位)。12月12日のJリーグ臨時理事会で正式にJリーグへの入会が承認され、町田と共に2012年シーズンからのJ2加入が決定した。全国社会人サッカー選手権大会2006年から制度化された「上位入賞チームの全国地域サッカーリーグ決勝大会出場」資格の特権を活かしたチームのJリーグ昇格第1号となった。
天皇杯は2回戦で横浜FC(J2)、3回戦で新潟J1)に勝利し、Jリーグクラブ以外で唯一4回戦進出を果たした。4回戦で横浜FM(J1)に敗退した。
シーズン終了後、加藤善之が監督を退任してGM専任となった。

2012年 - 2014年(J2)

2012年
チームスローガン:One Soul 〜プロフェッショナルへの変革!〜
新潟湘南で指揮をとった反町康治が監督に就任。
木村勝太富山へ完全移籍、山本剛佐藤由将が引退、宮田直樹が移籍期間満了で岡山に復帰した。一方、東京Vから吉田正樹神戸から楠瀬章仁横浜FCから伊藤竜司、湘南から野澤洋輔を完全移籍で獲得、船山が完全移籍へ移行、岡山から久木田紳吾および喜山康平千葉から益山司を期限付き移籍で獲得、流通経済大学から村瀬勇太北越高校から有田光成、チーム初となるブラジル人エイジソンを獲得。6月には元町田尹誠悦崔守斌を獲得した。シーズン開幕後は李鍾民とエイジソンとの契約を解除、吉田正樹FC琉球へ、久富賢藤枝MYFCへ、今井昌太ブラウブリッツ秋田へそれぞれ期限付き移籍で、木島良輔が東京Vへ完全移籍で移籍した一方、清水から橘章斗、岡山から一柳夢吾大分から藤川祐司から三浦雄也、ブラジルからアリソン・リカルドを期限付き移籍で、ブラジルからチアゴ・シルヴァを完全移籍で獲得。さらにクラブ初の特別指定選手として、創造学園高校宮下周歩青山学院大学山田修平を指定した。
Jリーグ初得点は第2節(3月11日山形戦で弦巻健人が記録)、第3節(3月17日北九州戦)でJリーグ初勝利を挙げた。また第8節(熊本戦)から第10節(町田戦)まで3連勝、7試合負けなしを第25節から第31節(3勝4分)、第33節から第39節(5勝2分)の2度記録し、第39節終了時点で9位であった。最終順位は12位となったが、1999年のJ2創設後に加入したチームとしては初年度に初めて勝ち越し(15勝14分13敗)、得失点差プラス (+3) でシーズンを終え、観客動員数もJ2で3番目の数値(詳細は#年度別入場者数を参照)を記録した。
天皇杯は2回戦で京都(J2)に敗退した。
2013年
チームスローガン:One Soul ~山雅スタイルへの挑戦~
反町体制2年目。
喜山が完全移籍へ移行、札幌から岩沼俊介、北九州から川鍋良祐町田から北井佑季SAGAWA SHIGA FCから村山智彦を完全移籍で、名古屋から吉田眞紀人清水から長沢駿、ブラジルからホドリゴ・カベッサを期限付き移籍で獲得した。さらに高卒・大卒選手の獲得も積極的に行い、三菱養和SCユースから永井堅梧帯広北高校から山田満夫興國高校から和田達也静岡学園から木部未嵐、創造学園高校から宮下周歩、明海大学から鴇田周作阪南大学から飯尾竜太朗明治大学から岩渕良太関西国際大学から蔵田岬平中京大学から中村亮太の計10名を獲得。シーズン中もFC東京から阿部巧を完全移籍で、湘南から岩上祐三、清水から犬飼智也、ブラジルからフェリペ・アウベスを期限付き移籍で獲得した。一方、片山・石川・大橋が引退、藤川・北村・須藤・チアゴ・アリソン・崔が退団。また木島徹也が町田へ、阿部が栃木ウーヴァFCへ、吉田正樹と一柳がFC琉球へ、益山が岐阜へ、渡辺が横浜FCへ、三浦が清水へ、今井がMIOびわこ滋賀へ、久富が藤枝MYFCへ完全移籍。橘が移籍期間満了で清水に復帰し、伊藤がFC琉球へ、村瀬と有田の2名が藤枝MYFCへ、鴇田が福島ユナイテッドFCへ期限付き移籍した。また、8月のU-19日本代表のスペイン遠征メンバーに永井堅梧が選出され、アルクディア国際ユースサッカートーナメントに出場。各年代を通じて松本山雅FCから初の日本代表への選出となった。
開幕戦で栃木に勝利し、3年ぶりに開幕戦に勝利したが、その後は勝ち切れない試合が続いた。特にホーム・アルウィンではなかなか勝利を挙げることが出来ず、ホーム初勝利は5月26日の第15節・富山戦まで待つこととなった。前半戦は14位で折り返したが、夏場に入ってから地力を発揮。さらに岩上の加入により安定したセットプレーを展開できるようになり、第29節・千葉戦から第32節・鳥取戦まで4連勝を記録。最終節までJ1昇格プレーオフ進出圏内の6位以内を争ったが、5位の千葉と6位の長崎に勝ち点で並んだものの得失点差で及ばず、最終順位は7位とプレーオフ進出を逃した。
天皇杯は2回戦で群馬J2)に延長戦で勝利、3回戦で鳥栖J1)に延長戦の末に敗退した。
2014年
チームスローガン:One Soul ~走力×創力×総力~
反町体制3年目。
名古屋から元日本代表で松本市出身の田中隼磨徳島から大久保裕樹長崎から岩間雄大川崎から棗佑喜、栃木SCからサビアを完全移籍で獲得、岩上が完全移籍へ移行。犬飼の期限付き移籍期間を延長し、鴇田が移籍期間満了で福島から復帰。帝京高校から柳下大樹慶応大学から松下純土桃山学院大学から道上隼人、流通経済大学から椎名伸志が加入した。また、6月に仙台より山本大貴を育成型期限付き移籍で獲得し、8月にはドイツアイントラハト・ブラウンシュヴァイクより李俊協を完全移籍で獲得した。一方、楠瀬が契約満了で、ホドリゴ、フェリペ、長沢、吉田眞紀人が移籍期間満了で、山田が大学進学のため退団。阿部が福岡へ、川鍋が長野へ、伊藤が藤枝へ、弦巻がタイアユタヤFCへ、宮澤がタイ・シーラーチャーFCへ、村瀬がラインメール青森FCへ、有田が松江シティFCへ完全移籍。岩淵がレノファ山口FCへ、鴇田が盛岡へ、中村がFC大阪へ、宮下がサウルコス福井へ期限付き移籍した。また、シーズン開幕後は5月末に木部との契約を解除(芸能界に転身)、6月に蔵田のアスルクラロ沼津への期限付き移籍、7月に小松のタイ・アユタヤFCへの完全移籍、8月に朴光一インドスーパーリーグFCプネー・シティへの期限付き移籍、9月には松下純土町田へ育成型期限付き移籍。
昨年逃したプレーオフ進出を目標に掲げてシーズンイン。試合終了まで落ちない豊富な運動量と昨年より向上した守備力、決定力の高い多彩なセットプレーを武器に順調に勝点を積み重ね、序盤からプレーオフ進出圏内の6位以内をキープし、前半戦を3位で折り返す。第19節・群馬戦から第30節・湘南戦まで4連勝を含む12試合負けなし(8勝4分)を記録するなど後半戦もさらに勝点を積み上げ、第22節終了時点で磐田をかわして2位に浮上。以後その座を譲ることなく、2014年11月1日、第39節・福岡戦(レベスタ)で2-1で勝利し、J1自動昇格条件の2位を確定。クラブ史上初のJ1昇格を決めた。J2が発足した1999年より後にJ2に加入したクラブのJ1昇格は、横浜FC、徳島に次いで3クラブ目。J2加入後3年でのJ1昇格は、J2初年度の参入クラブで昇格した川崎・FC東京(1999年)、仙台 (2001年)とJ1からの降格クラブを除くと、史上最速である。
天皇杯は2回戦で讃岐(J2)に勝利、3回戦でFC東京(J1)に敗退した。

2015年(J1)

2015年
チームスローガン:One Soul 〜走破!その先を目指して〜
反町体制4年目。
2月、株式会社松本山雅社長の大月が退任、後任には2005年に松本山雅FCに在籍した元選手で、取締役管理本部長の神田文之が就任した。
飯尾和也が引退、サビアとイが契約満了で退団。野澤がアルビレックス新潟シンガポールへ、船山が川崎へ、玉林が愛媛へ、ユンがソウルイーランドFCへ、多々良が仙台へ完全移籍。犬飼と山本が期限付き移籍期間満了で移籍元へ復帰した。また永井と北井が富山へ、鴇田と蔵田がアスルクラロ沼津へ、岩淵がFC琉球へ、パクが水戸へ期限付き移籍、宮下、中村、松下の移籍期間が延長された。
補強は栃木SCから鈴木智幸、東京Vからキローラン菜入、徳島から那須川将大、岡山から後藤圭太石原崇兆荒田智之、京都から酒井隆介、北九州から池元友樹、磐田から阿部吉朗アメリカFCからオビナを完全移籍で、鳥栖から坂井達弥、東京Vから前田直輝、アメリカFCからドリバを期限付き移籍で獲得。新人では順天堂大学から谷奥健四郎拓殖大学から柴田隆太朗が加入した。また5月に東海学園大学志知孝明特別指定選手として受け入れたほか、6月に広島から工藤浩平、C大阪から安藤淳CSパンドゥリイ・トゥルグ・ジウからエリック、8月にECバイーアからウィリアン、9月にウィガン・アスレティックFCから韓国代表キム・ボギョンを、それぞれ完全移籍で獲得した。
日本の「トップ15」を目標にシーズンイン[25]。記念すべき開幕戦は、3月7日にアウェイで名古屋と対戦、一時は2点差をつけてリードしたものの追いつかれ、3-3のドローに終わった[26]同月22日、第3節清水戦でJ1初勝利を[27]4月25日には第7節仙台戦でJ1ホーム戦初勝利を[28]、それぞれ挙げた。1stステージでは、第12節終了時点で、4勝3分5敗の勝ち点15で暫定9位につけたが、その後5連敗し失速、結局1stステージは4勝3分10敗の勝ち点15で、15位に終わった。2ndステージでは、第2節の広島戦に敗れてリーグ通算7連敗を喫し、ついに降格圏に転落したが、翌第3節の鹿島戦に勝利して連敗を止め、すぐに降格圏を脱出すると、続く第4節甲府戦にも勝利し、J1では初の連勝を記録[29]。上昇の兆しを見せたかに思えたが、第5節で再び降格圏に転落すると、その後は連敗や試合終了間際に失点して勝ち点を落とす試合が続いてしまい、結局降格圏から脱出できぬまま、11月7日の第16節神戸戦に敗れて、昇格から1年でのJ2降格が決定した[30]
初出場となったヤマザキナビスコカップでは、予選Aグループを戦い、1勝1分け4敗勝ち点4の6位で、決勝トーナメント進出を逃した。
天皇杯は4回戦で仙台(J1)に敗退した。

2016年 - 2018年(J2)

2016年
チームスローガン:One Soul 新・起動
反町体制5年目。
阿部が引退、エリックがサウジアラビアナジランSC、棗が北信越1部坂井フェニックス、パクが愛媛、キムがKリーグ全北現代、村山が湘南、岩上が大宮、大久保が千葉、池元が北九州、岩沼が京都、和田が栃木SC、塩沢が長野、岩渕が相模原、宮下がJFL栃木U、中村がJFL・沼津、鴇田が北信越1部・JAPANサッカーカレッジへそれぞれ移籍、また、谷奥がJFL・沼津へ期限付き移籍、北井が期限付き移籍先の富山へ完全移籍、前田が期限付き移籍期間満了に伴い退団した。また、シーズン開幕後は6月に酒井が名古屋へ完全移籍した。
補強は、仙台から武井択也山本大貴山形から當間建文宮阪政樹大分から安川有を完全移籍で、仙台からシュミット・ダニエルを期限付き移籍で獲得。尚志大学校からハン・スンヒョン東海学園大学から志知孝明山梨学院大学附属高校から前田大然が加入した。また、シーズン開幕後の3月に鹿島から高崎寛之、6月に千葉からパウリーニョを期限付き移籍で、7月に水戸から三島康平を完全移籍で獲得している。
前年のチームの主力が抜ける中で、リーグ戦では「J1昇格と定着」を見据えて従来のカウンタースタイルに加えてボールポゼッションの要素を取り入れようとするが消化不良に陥り、攻撃陣の怪我も相次いで序盤5試合を1勝2分2敗とスタートダッシュに失敗。しかし高崎加入後に調子を取り戻して4月を無敗で乗り切って[31] 順位を上げ、前半戦を3位で折り返す。後半戦に入っても勢いは衰えず、第22節の金沢戦で勝利して自動昇格圏の2位に浮上すると、第25節からは16試合無敗(9勝7分)を記録。首位札幌の失速もあって、第40節終了時点で札幌と勝ち点で並び、J2優勝も視野に入る状況となった[32]。しかし第41節のアウェイ町田戦で17試合ぶりの黒星を喫し、8連勝で上位を猛追していた清水に勝ち点で並ばれ、得失点差で上回られたために3位に後退。最終節横浜FCに勝利したものの、2位清水も勝ったため順位は変わらず、3位でJ1昇格プレーオフに回ることになった。ホームでの開催となったプレーオフ1回戦では、リーグ戦6位の岡山と対戦して1-2で敗れ、1年でのJ1復帰を逃した。
天皇杯は2回戦でJFL所属のHonda FCに敗退した。Jリーグ加盟後初めてJリーグ所属以外のチームに敗れた。
2017年
チームスローガン:雷鳥奮迅! One Soul
反町体制6年目。
北信越リーグ時代から在籍していた鐡戸町田へ期限付き移籍していた松下が引退、ウィリアンスがブラジル・アトレチコ・ゴイアニエンセへ、柳下が富山へ、飯尾が長崎へ、白井が金沢へ、キローランが鹿児島へ、喜山が岡山へ、椎名が期限付き移籍先の富山へ、蔵田が期限付き移籍先の沼津へ、同じく沼津へ期限付き移籍していた道上がJFL・三重へそれぞれ完全移籍、ハンが富山へ、前田が水戸へ期限付き移籍、シュミットが期限付き移籍期間満了で仙台へ復帰、オビナが契約満了で退団した。
補強は、徳島から橋内優也を、北九州から星原健太を、湘南から2年ぶりのチーム復帰となる村山智彦を完全移籍で獲得、高崎が完全移籍へ移行。パウリーニョの期限付き移籍期間を延長し、鳥栖から藤嶋栄介を期限付き移籍で獲得。谷奥が移籍期間満了で沼津から復帰。桃山学院大学から岡佳樹が加入、新外国人選手として元鳥栖のヨ・ソンヘゴ・ドンミンセルジーニョジエゴ(期限付き移籍加入)を補強した。また、シーズン開幕後の7月にヨ・ソンヘが群馬へ完全移籍し、元甲府ダヴィを獲得、8月には名古屋から宮地元貴を完全移籍で、新潟から鈴木武蔵を期限付き移籍で獲得。
得点力不足が深刻となり、特に試合終盤の得点力の低さは最下位の群馬に次ぐ数値になった。それでも最終節の京都戦に勝利すれば昇格POに進出できる位置にまで上がったが、0-1で敗戦してPO進出はならなかった。最終順位は8位。
天皇杯は4回戦で神戸J1)に敗退した。
2018年
チームスローガン: One Soul 全緑登頂
反町体制7年目。
安藤が愛媛へ、後藤が岡山へ、那須川が大分へ、谷奥が富山へ完全移籍。柴田と武井が現役を引退。ジエゴ、鈴木、藤嶋が期限付き移籍満了に伴い退団。宮阪が大分へ、岡と宮地が沼津に期限付き移籍した。
補強は新潟から守田達弥愛媛から浦田延尚藤田息吹名古屋から永井龍大宮から岩上祐三湘南から安東輝横浜FMから前田直輝鳥栖から中美慶哉を完全移籍で獲得、パウリーニョが完全移籍へ移行。下川陽太森本大貴武藤友樹山田満夫、韓国からジョ・ジヌが加入。水戸前田大然福島志知孝明が期限付き移籍満了でチームに復帰した。3月には産業能率大学から初のユース出身のトップチーム契約選手となる小松蓮が加入した。シーズン中の6月に森本が相模原へ育成型期限付き移籍、7月に工藤浩平千葉へ、前田直輝名古屋へ完全移籍。8月にはから今井智基を完全移籍で、シンガポールのゲイラン・インターナショナルFCからシンガポール代表アンダース・アプリンを期限付き移籍で獲得、さらに甲府との契約を解除となったジネイが加入した。
3月いっぱいまでホームスタジアムのアルウィンが芝の張替えで使用できない関係で、アウェイゲーム5試合に加えてホーム開幕戦(3月17日の第4節・岡山戦)も長野県外(山梨中銀スタジアム)で開催するなど、3月までの6試合すべてを長野県外で行うという過酷な日程を強いられ、この6試合を未勝利(4分2敗)とスタートダッシュに失敗、順位も第6節終了時点で20位まで後退する。しかし初めてアルウィンで開催された第7節で大宮から今季初勝利を飾るとここから徐々に盛り返し、前半戦(第21節)終了時点で順位を4位まで挽回。さらに第20節・熊本戦から第28節・讃岐戦まで5連勝を含む9戦無敗(8勝1分)を記録し、第22節終了時点で首位に浮上。その後は得点力不足と怪我で主力の離脱が相次いだことによる戦力ダウンに苦しむが、42試合中22試合で無失点を記録した失点数リーグ最少の堅守を武器に全員攻撃・全員守備の粘り強い戦いを続け、町田大分と順位を入れ替えながらもJ1自動昇格圏内の2位以内をキープ。終盤までJ2優勝とJ1自動昇格枠を激しく争い、2位大分・3位町田との勝点差1の首位で最終の第42節を迎える。勝利すれば他会場の結果に関係なく優勝が決まるという状況の中、ホームに徳島を迎えた最終戦はスコアレスドローに終わるが、勝点差1で追走する大分と町田も引き分けたために順位はそのまま確定。Jリーグ昇格後クラブ初のタイトルとなるJ2リーグ優勝と、4年ぶりのJ1自動昇格を決めた。勝点77は、J2リーグが22クラブの2回戦総当たり制になった2012年以降、優勝クラブの勝点としては最少である。
天皇杯は3回戦で浦和(J1)に敗退した。

2019年(J1)

2019年
チームスローガン: One Soul 境界突破
反町体制8年目。
武藤が引退。鈴木が東京Vへ、岩間が栃木へ、三島と岡本が熊本へ、志知が水戸へ、石原が仙台へ、宮地がアメリカ・チャタヌーガFCへ完全移。安川とジネイが契約満了で、アプリンが期限付き移籍期間満了で退団。永井が徳島へ、下川が愛媛へ、山田が沼津へ期限付き移籍、小松が金沢へ育成型期限付き移籍。
補強は長野から田中謙吾川崎からエドゥアルド大分から2年ぶりの復帰となる那須川将大湘南から高橋諒、栃木から服部康平岡山から塚川孝輝、徳島から杉本太郎、熊本から米原秀亮千葉から町田也真人ベルギークラブ・ブルッヘ(前年はブラジルシャペコエンセでプレー)からレアンドロ・ペレイラを完全移籍で、千葉から溝渕雄志を期限付き移籍で獲得。宮坂が期限付き移籍期間満了で大分から復帰。阪南大から大野佑哉四日市中央工から山本龍平前橋育英高から榎本樹朝鮮大学からハン・ヨンテが加入。ハンは加入後すぐに鹿児島へ期限付き移籍した。
シーズン途中の7月には那須川が藤枝へ完全移籍、塚川が岐阜へ、前田大然ポルトガルスーペル・リーガCSマリティモへ期限付き移籍した。から高木利弥を、山形から阪野豊史を完全移籍で獲得した。8月にはレアンドロ・ペレイラが広島へ、山本大貴が岡山へ、當間が岐阜へ、榎本(育成型)が群馬へ期限付き移籍し、広島から元日本代表水本裕貴を、千葉から山本真希を期限付き移籍で獲得した。9月にはイランエステグラルFCを6月に退団した元ギニアビサウ代表イズマを獲得し、山本龍平が山形へ育成型期限付き移籍。
また、コパ・アメリカ2019に参加する日本代表のメンバーに前田大然が選出された。当クラブ在籍中の選手がフル代表に選出されるのは、クラブ史上初である。
開幕戦に引き分け、第2節アウェイ大分戦でリーグ戦初勝利を挙げた時点で4位となるが、第3節から3連敗で14位まで順位を落とすと、第6節、第8節と勝利するも第9節から1分3敗、1勝を挟んで第14節からは10試合勝利なし(5分5敗)で、前半戦終了となる第17節にはJ2自動降格圏の17位となる。第22節以降は17位に定着し、第33節終了時点でJ2自動降格となる17位以下となることが確定。前年度J2リーグ優勝チームとしては2008年の札幌以来11シーズンぶりに1年でのJ2降格となった。最終順位は17位。失点数40はリーグ8位と守備は健闘したものの、総得点21はリーグ最少で、次に少ない磐田より8少なく、J1リーグが現在の18チーム体制になって以降でも3番目に少ない数値である[33]。リーグ戦・カップ戦・天皇杯全41試合で1試合3得点以上を記録した試合は1試合もなく、リーグ戦において連勝はゼロ、引き分け13試合、無得点試合16試合はいずれもリーグ最多と、前年から続く得点力不足という課題を解決できず、勝ち点を上積みできない試合が続くシーズンとなった。シーズン終了後、Jリーグ加入から監督として8年に渡ってチームを指揮した反町の辞任が発表された[34]
YBCルヴァンカップでは、グループAで最終節に勝てば逆転で決勝トーナメント進出だったものの、最終節で引き分けたためグループ4位に終わった。
天皇杯は2回戦でJ3八戸に敗退した。

2020年(J2)

2020年
チームスローガン:One Soul 捲土雷鳥
群馬前監督の布啓一郎が監督に就任。
當間が引退、守田とエドゥアルドが鳥栖へ、飯田がJFL岡崎へ、今井がオーストラリアウェスタン・ユナイテッドFCへ、ジョ・ジヌ韓国大邱FCへ、岩上と宮阪が群馬へ、山田がオーストラリア・ウロンゴン・ユナイテッドFCへ、町田が大分へ、パウリーニョと山本大貴が岡山へ、高崎が岐阜へ、岡が長野へ、永井龍が広島へ完全移籍。永井堅梧が北九州へ、ゴ・ドンミンが八戸へ、森本が岡崎へ、下川が金沢へ、安東が水戸、小松が山口へ、ハン・ヨンテが栃木へ期限付き移籍、レアンドロ・ペレイラの広島への期限付き移籍が延長、水本が期限付き移籍期間満了で退団した。
補強はC大阪から圍謙太朗横浜FCから乾大知山形からアルヴァロ・ロドリゲスブラジルシャペコエンセSCからアウグスト、群馬から吉田将也を完全移籍で、山本真希が完全移籍へ移行。C大阪から森下怜哉川崎から鈴木雄斗G大阪から髙木彰人(育成型)、FC東京からジャエルを期限付き移籍で獲得。塚川が岐阜から、山本龍平が山形から、榎本が群馬から期限付き移籍期間満了で復帰。中央大から三ッ田啓希(前年は特別指定選手として在籍)、飯塚高から村越凱光立正大淞南高から山田真夏斗が加入。3月には仙台から常田克人を育成型期限付き移籍で、鹿島から久保田和音(前年は岡山へ育成型期限付き移籍)を完全移籍で獲得。

成績

タイトル・表彰

リーグ戦

カップ戦

表彰

クラブ

(2015年2019年)

  • J2リーグ
    • フェアプレー賞:4回

(2013年2014年2017年2018年)

(2011年)

監督・選手

その他表彰

  • 信濃毎日新聞、信毎文化事業財団
  • 長野県
  • 長野朝日放送
    • abnスポーツ大賞

スタジアム

スタジアム

ホームスタジアムはサンプロ アルウィンである。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「#年度別入場者数」を参照のこと。

年度別入場者数

略記について
年度 所属 合計
入場者数
最多入場者数 最少入場者数 平均
入場者数
試合数 ホームゲーム
開催スタジアム
備考
入場者数 相手 会場 入場者数 相手 会場 リーグ戦 Jリーグ杯
2006 北信越 10,552 2,120 テイヘンズ 松本 1,046 新潟経営大学 松本 1,507 7 松本7 (不参加)
2007 21,311 6,399 長野 483 新潟経営大学 南長野 3,044 7 松本6、南長野1
2008 15,561 4,126 長野 1,122 G新潟 松本 2,223 7 松本7
2009 24,335 6,012 長野 2,334 金沢 3,476 7 松本7
2010 JFL 62,297 8,243 鳥取 3,271 SAGAWA 飯田 5,080 17 松本16、飯田1
2011 128,900 11,956 ソニー 4,032 町田 松本 7,461 17 松本17 JFL年間
入場者数記録
2012 J2 200,143 13,098 山形 4,471 北九州 9,531 21 松本21
2013 231,861 17,148 G大阪 7,153 水戸 11,041 21 松本21
2014 267,402 18,496 水戸 8,608 栃木 12,733 21 松本21
2015 J1 285,992 18,906 横浜FM 11,743 神戸 16,823 17 松本17 松本3
2016 J2 286,246 19,632 横浜FC 10,796 札幌 13,631 21 松本21 (不参加)
2017 255,076 15,872 京都 8,982 岐阜 12,146 21 松本21
2018 278,948 19,066 徳島 サンアル 9,490 山口 サンアル 13,283 21 サンアル20、
中銀スタ1
2019 J1 296,072 19,744 横浜FM 14,078 仙台 17,416 17 サンアル17 サンアル3

スタジアムDJ

  • 田中利彦 (FM長野アナウンサー):2008年 - 2015年3月
  • 岡野真士 (ナレーター):2015年4月[42] - 2015年11月
  • つつみ慶 (ラジオパーソナリティ/ナレーター):2016年3月 ‐ 2016年11月
  • 小出マサト(あづみ野FMパーソナリティ):2017年3月 -

歴代選手・スタッフ

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 緑×黒[1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st) 黄色 黄色 黄色
GK(2nd)
GK(3rd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー

発足当時は緑色で以降は様々な色が使われたが、1991年読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ1969)との練習試合で敗れたことをきっかけに「読売(JSL1部、優勝チーム)のような強豪クラブを目指す」意味を込めて読売と同じ緑色に固定した[43]

  • 2017年3月12日のアウェイでのFC岐阜戦(J2

フィールドプレーヤーがグレー基調の2ndユニフォームを着用した際、ホームチームで緑色基調のFC岐阜との識別が困難となったため、後半からFC岐阜がシャツのみ白基調の2ndユニフォームに着替えるという事態になった。このため、急遽シャツとストッキングが白色、パンツがグレーのフィールドプレーヤー用3rdユニフォームを登録した[44]

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
セイコーエプソン EPSON 2014年 -
鎖骨 ラズーソ RAZUSO 2019年9月 - 右側に掲出
2019年は左側に掲出
背中上部 長野銀行 長野銀行 2010年 -
背中下部 キッセイ薬品工業 キッセイ薬品 2016年 - 2010年 - 2015年は袖
2012年 - 2015年は「キッセイ」表記
アルピコグループ[45] ALPICO 2018年 -
パンツ 信濃毎日新聞 信濃毎日 2007年 -

ユニフォームサプライヤーの遍歴

歴代ユニフォーム

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 鎖骨 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
2005 ESCO
エンジニアリング・システム株式会社
解禁前 サンリン 解禁前 INOUE SANYO|EPSON UMBRO
2006 SANYO|EPSON LEIZ サンリン ESCO
2007 EPSON(※) Hitachi Chemical
Working On Wonders
日立化成工業
信濃毎日 mitre
2008
2009
2010 長野銀行 キッセイ薬品
2011 adidas
2012 キッセイ
2013
2014
2015
2016 キッセイ薬品 -
2017
2018 - ALPICO
2019 - /
RAZUSO
2020 RAZUSO

スポンサー


アカデミー

特定非営利活動法人
松本山雅スポーツクラブ
創立者 〈設立当初の役員〉
理事長  八木誠
副理事長 高橋耕司
理事   香山敬嗣
理事   飯塚肇
理事   大月篤
理事   大月弘士
理事   小林克也
理事   大原篤
他7名
団体種類 特定非営利活動法人
設立 2004年11月18日(認証)[49]
所在地 長野県松本市
主要人物 八木誠(初代理事長)
大月弘士(第二代理事長)
活動地域 日本の旗 日本・長野県
活動内容 サッカースクール、アカデミー(ユース・ジュニアユースなど)の運営他
特記事項:2004年から2010年までの名称は特定非営利活動法人アルウィンスポーツプロジェクト(略称・ASP)。2010年7月、株式会社松本山雅を設立。トップチームは2010年、U-18は2013年に株式会社松本山雅に運営を移管。
テンプレートを表示

2003年5月に育成組織(アカデミー)が発足[50]ユース(U-18)、ジュニアユース(U-15U-14U-13)、ジュニア(U-12U-11U-10)、レディース(U-15)のユースアカデミーを有しており、2013年2月にはU-18の運営を株式会社松本山雅へ移管。選手寮を完備し、監督に岸野靖之を招聘するなど、強化を本格化している。

RAZUSO(ラズーソ)

2019年、育成サポート会員組織「RAZUSO」を設立[51]

RAZUSOとは、松本山雅FCから世界に羽ばたく選手を輩出するための育成サポート会員組織である。(会費は個人会員1口3,000円、法人会員は1口10,000円※3口から)なお、名称はNPO法人アルウィンスポーツプロジェクトの前身である任意団体「ラズーソ・J・プロジェクト」より決める。また、トップチームユニフォーム(鎖骨)にRAZUSOのロゴを表示。RAZUSOの運営は、NPO法人松本山雅スポーツクラブが行う。

主な事業実績
  • レディース U-15 アメリカ遠征
  • 「COPA RAZUSO U-12」開催

ユース

U-18は高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ北信越所属。2011年に第15回北信越クラブユースサッカー選手権(U-18)大会で準優勝し、初の全国大会となる日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会に出場。2016年にはJリーグユース選手権大会(Jユースカップ)でベスト4進出を果たした。

ジュニアユース

U-15は北信越ユース (U-15)サッカーリーグ所属。また、2019年より業務提携を行っているM.A.C SALTOのジュニアユースチームが2020年4月より「松本山雅FC U-15上伊那」と名称を変更して活動を開始している[52]

ジュニア

U-12は2015年に第39回全日本少年サッカー大会長野県大会で初優勝し、この年代では初めての全国大会出場を果たした。

タイトル

レディース

2019年4月、中学生年代の女子サッカーの環境整備、底辺拡大、選手育成を目指すためレディースU-15を設立[53][54][55]。同年4月に行われたJFA 全日本U-15女子サッカー選手権大会長野県大会を初出場で初優勝[56]、続いて5月に行われた北信越大会で準優勝となり[57][58]、設立2か月目で全国大会出場を果たした。

スクール

「松本山雅FCユースアカデミー」とは別に特定非営利活動法人(NPO法人)松本山雅スポーツクラブが運営する「松本山雅ユースアカデミーサッカースクール」があり[59]S-12(小学6年生)・S-11(小学5年生)・S-10(小学4年生)・S-9(小学3年生)・S-8(小学2年生)・S-7(小学1年生)・KIDS(未就学児童)から構成されている[59]

なお、クラブ員、スクール生含めた総会員数は約750人となっている[50]

シニア

2010年、40歳以上の選手を対象とした「松本山雅FCマスターズ」が発足。2009年まで全国大会に5度出場したアルフット安曇野シニアが前身。メンバーは山雅サッカークラブOB、FC上田ジェンシャンOB、長野エルザサッカークラブOBを中心に県内各地の選手が所属している。結成初年度で日本スポーツマスターズ県大会、北信越大会を勝ち上がり、全国大会出場を果たしている。運営はNPO法人松本山雅スポーツクラブが行う。

ブラインドサッカー

2016年からクラブ事業としてブラインドサッカーの普及活動を進めていたが[60]、2020年7月、埴科郡坂城町に拠点を置く長野県内唯一のブラインドサッカークラブ「長野RAINBOW(レインボー)」を母体として、ブラインドサッカークラブ「松本山雅B.F.C(まつもとやまがブラインド・フットボール・クラブ)」を発足させる[61]。監督は元ブラインドサッカー男子日本代表の落合啓士が務め、クラブ運営はNPO法人松本山雅スポーツクラブが行う。

その他

FDA 4号機

  • 松本空港に就航しているフジドリームエアラインズ(FDA)が、4号機の導入(2010年10月就航、機体記号:JA04FJ)に際して、FDAのホームページ上での機体色のアンケートを実施、松本山雅FCは公式サイトでアンケートへの投票を呼びかけた[62]。なお、2010年7月にFDAは総投票数54.5%(3,418票)を集めたグリーンを機体色に決定した[63]

松本市観光大使

メディア

テレビ

  • NHK長野放送局
  • 信越放送
  • 長野放送
  • テレビ信州
    • 『スポーツ ジェネレーション』(毎週火曜 21:54 - 22:00)
    • 情報ワイド ゆうがたGet!』内「山雅 de Get!」(毎週木曜 17:20頃 - )
  • テレビ松本 - 「J702ch 松本山雅&スポーツチャンネル」
    2006年シーズンから応援番組の放映、試合の中継を行ってきた。JFL昇格を機に「松本山雅チャンネル」を開設、2010年2月24日に総務省からチャンネル開設の認可を受け、3月14日より放映開始。単独チームの専門チャンネルはJFLやJリーグを含めても全国初。
    2012年3月1日より「松本山雅&スポーツチャンネル」にリニューアル[68][69]
    • 「松本山雅情報 教えてガチャさん!」(随時放送)
  • スカパー!
    • 「月刊松本山雅」(毎月第4日曜日 19:00 - 19:30)

ラジオ

  • FM長野
    • 「ALL AROUND THE GANS」(毎週木曜 16:40頃 - )

新聞

雑誌・フリーペーパー

  • 松本経済新聞
  • SPOCOLOR(スポカラ)(株式会社スポカラ)
  • Nsports (株式会社杏花印刷)

映画

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j クラブ概要”. 松本山雅FC. 2014年3月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y クラブ一覧:松本山雅FC:プロフィール”. 日本プロサッカーリーグ. 2019年11月18日閲覧。
  3. ^ 信濃毎日新聞 (2010年7月15日). “松本山雅、株式会社に Jリーグ入会要件で運営母体”. http://www.shinmai.co.jp/soccer/2010/07/post-84.html 2016年5月28日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f 2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。
  5. ^ 信濃毎日新聞 (2016年4月28日). “池田町「山雅ホームタウン」 出資確認の調印式”. http://www.shinmai.co.jp/soccer/2016/04/post-1811.html 2016年5月28日閲覧。 
  6. ^ Jリーグ公式HP (26 February 2013). "松本山雅FCホームタウン追加について" (Press release). 2013年2月26日閲覧
  7. ^ Jリーグ公式HP (21 May 2015). "松本山雅FC、ガンバ大阪ホームタウン追加について" (Press release). 2015年5月25日閲覧
  8. ^ 松本山雅FC公式HP (21 May 2015). "大町市ホームタウン追加のお知らせ" (Press release). 2015年5月21日閲覧
  9. ^ Jリーグ公式HP (15 December 2015). "松本山雅FCホームタウン追加について" (Press release). 2015年12月15日閲覧
  10. ^ 松本山雅FC公式HP (15 December 2015). "池田町ホームタウン追加について" (Press release). 2015年12月15日閲覧
  11. ^ Jリーグ公式HP (31 July 2018). "松本山雅FCホームタウン追加について" (Press release). 2018年7月31日閲覧
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  13. ^ Jリーグ公式HP (18 November 2019). "松本山雅FCホームタウン追加について" (Press release). 2019年11月18日閲覧
  14. ^ 松本山雅FC公式HP (18 November 2019). "箕輪町・朝日村 ホームタウン追加について" (Press release). 2019年11月18日閲覧
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  17. ^ 未来の夢と感動へのチャレンジ (旧)松本山雅FC公式サイト
  18. ^ 公式HP (2009年3月16日). “お知らせ : スローガンについて”. 2010年2月26日閲覧。
  19. ^ 第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦【41】日本サッカー協会の公式記録、PDF形式)
  20. ^ クラブ公式HP (2010年2月16日). “お知らせ : Jリーグ準加盟審査結果について”. 2010年2月16日閲覧。
  21. ^ クラブ公公式HP (2010年7月14日). “株式会社設立のご案内”. 2010年7月23日閲覧。
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  24. ^ クラブ公式HP (2011年1月9日). “ニュース : 選手加入のお知らせ”. 2011年1月12日閲覧。
  25. ^ J1残留ではなく、日本のトップ15のクラブに!今季J1初参戦・松本山雅の現在”. J SPORTS (2015年2月2日). 2015年11月10日閲覧。
  26. ^ 2点差追いつかれドロー発進 松本・反町監督「切迫感が出た」”. スポニチアネックス (2015年3月7日). 2015年11月10日閲覧。
  27. ^ 松本、J1初勝利! 反町監督「松本山雅のために尽力した方々に捧げたい」”. スポニチアネックス (2015年3月22日). 2015年11月10日閲覧。
  28. ^ 松本がホーム5戦目でJ1初勝利 岩上V弾”. nikkansports.com (2015年4月26日). 2015年11月10日閲覧。
  29. ^ 松本がJ1初の連勝…プロ9年目のJ1初弾が決勝点の岩沼「正直うれしい」”. SOCCERKING (2015年7月26日). 2015年11月10日閲覧。
  30. ^ 松本、1年でのJ2降格が決定…終盤に2失点を許し無念の逆転負け”. SOCCERKING (2015年11月7日). 2015年11月10日閲覧。
  31. ^ 元川悦子 (2016年5月9日). “松本山雅が手に入れたい真の成功 初めての降格経験も止まらない成長曲線”. スポーツナビ. Yahoo! JAPAN. 2016年11月26日閲覧。
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  33. ^ 過去最低は2014年徳島の16、次いで2007年横浜FCの19。
  34. ^ フットボールチャンネル (2019年12月8日). “松本山雅、反町康治監督の辞任を発表。「この経験は何事にも変えがたいものです」”. https://www.footballchannel.jp/2019/12/08/post351893/ 2019年12月8日閲覧。 
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  38. ^ 長野県より「スポーツ栄誉賞」を受賞しました - 松本山雅FC公式サイト、2015年12月20日
  39. ^ 第21回 平成23年度 - 長野朝日放送
  40. ^ 第21回abnスポーツ大賞 特別賞 受賞のお知らせ - 松本山雅FC公式サイト、2012年5月23日
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関連項目

外部リンク