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*[[外国人による日本論の名著]] [[イワン・ゴンチャロフ|ゴンチャロフ]]から[[モーリス・パンゲ|パンゲ]]まで [[佐伯彰一]]共編 [[中公新書]] 1987
*[[外国人による日本論の名著]] [[イワン・ゴンチャロフ|ゴンチャロフ]]から[[モーリス・パンゲ|パンゲ]]まで [[佐伯彰一]]共編 [[中公新書]] 1987
*[[小出楢重]]随筆集 岩波文庫 1987
*[[小出楢重]]随筆集 岩波文庫 1987
*文学の東西 [[辻ひかる|辻瑆]]共編著 [[放送大学教育振興会]] 1988
*文学の東西 [[辻瑆]]共編著 [[放送大学教育振興会]] 1988
*[[ジョルジュ・ビゴー|ビゴー]]素描コレクション 全3巻 清水勲・[[酒井忠康]]・[[川本皓嗣]]共編 [[岩波書店]] 1989
*[[ジョルジュ・ビゴー|ビゴー]]素描コレクション 全3巻 清水勲・[[酒井忠康]]・[[川本皓嗣]]共編 [[岩波書店]] 1989
*世紀末から新世紀末へ 筑摩書房 1990
*世紀末から新世紀末へ 筑摩書房 1990

2020年8月25日 (火) 11:07時点における版

芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - 2020年2月20日[1])は、日本の文学研究者、比較文学者[2]国際日本文化研究センター東京大学名誉教授[2]京都造形芸術大学名誉学長。日本藝術院会員[3]

来歴

東京府(現・東京都)生まれだが、本籍は山形県。両親の都合で幼時より山形県で過ごし、1941年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)へ転入する。1950年東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。 新制大学第一期生で、1953年東京大学教養学部教養学科フランス分科第一期生として卒業、続いて大学院比較文学比較文化専修課程第一期生。島田謹二に比較文学を学ぶ。修士修了ののちフランスへ留学、1957年帰国。

1963年東大教養学部専任講師、1965年助教授1966年プリンストン大学研究員。1968年に初の単著『大君の使節』を刊行。1977年東京大学教授。1985年東京大学より文学博士。論文の題は「絵画の領分 : 近代日本比較文化史研究 」[4]1983年から1988年まで比較文学比較文化研究室主任教授。1991年国際日本文化研究センター教授(東京大学併任教授)。1992年東京大学定年退官、名誉教授。1997年国際日本文化研究センター定年退官、同名誉教授、大正大学教授。1998年岡崎市美術博物館館長(-2012年)。1999年京都造形芸術大学教授、学長を歴任し、2008年名誉学長。新しい歴史教科書をつくる会の理事を務める。2006年11月1日源氏物語千年紀の呼びかけ人となる。2010年静岡県立美術館館長(-2017年)。2011年『藝術の国日本 画文交響』で蓮如賞受賞。2012年現代俳句大賞受賞。2014年歌会始召人

2020年2月20日、胆嚢がんのため、東京都内の病院で死去[1]。88歳没。死没日をもって正四位に叙される[5]

人物

受賞歴

著書

単著

主な共編著

翻訳

関連項目

脚注

  1. ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2020年2月21日). “比較文化で独創的研究、つくる会にも参加 芳賀徹・東大名誉教授死去”. 産経ニュース. 2020年2月21日閲覧。
  2. ^ a b c d 小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集幻冬舎幻冬舎新書)、2007年9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-344-98055-6、182頁。
  3. ^ 芸術院 芳賀徹氏と馬越陽子氏が新会員に”. www.nikkei.com. 日本経済新聞 (2018年11月30日). 2020年2月22日閲覧。
  4. ^ 博士論文書誌データベース
  5. ^ 『官報』第220号7頁 令和2年3月31日号
  6. ^ huffingtonpost
  7. ^ 諸君!』2004年3月号「イスラムが『ミカド』と『トーゴー』に目醒めた時」の山内昌之との対談より