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:* 7月3日 - [[LINE (アプリケーション)|LINE]]がプラットフォーム化。 |
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:* 7月10日 - 米国[[クラウドファンディング]]サイト[[Kickstarter]]にて[[Android]]家庭用ゲーム機「'''[[Ouya]]'''」プロジェクトが発表され、記録的な資金を獲得し話題となる。以後新興ベンチャー企業によるAndroidゲーム機の発表が相次ぐ。 |
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:* 7月28日 - 任天堂「'''[[ニンテンドー3DS|ニンテンドー3DS LL]]'''」発売。 |
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:* 8月 - [[Kickstarter]]にて[[ヘッドマウントディスプレイ]]「[[Oculus Rift]]」が発表。 |
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2020年8月5日 (水) 09:38時点における版
コンピュータゲーム |
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コンピュータゲーム産業 |
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コンピュータゲームの歴史(コンピュータゲームのれきし)では、これまでのコンピュータゲーム関連の主な出来事を記す。コンピュータ囲碁/コンピュータ将棋/コンピュータチェスについては各リンク先を参照。
ゲーム機、アーケードゲーム、コンシューマーゲーム、携帯型ゲーム、日本におけるゲーム機戦争、パソコンゲーム、パーソナルコンピュータ史、携帯電話ゲーム、クラウドゲームも参照。
黎明
- 1912年
-
- スペインの技術者レオナルド・トーレス・ケベードが、歴史上最初のコンピュータゲームのひとつと呼ばれるチェス機械、エル・アヘドレシスタを作成した[1]。この機械はチェスの終盤のみを扱い白のキングとルークで人間側の黒のキングを詰ませようとするもので、内部の電気機械的な装置により盤面の状況を判断し駒の動きを決めることができ、人間側のキングの最初の位置がどこであってもチェックメイトすることができた。
- 1947年
-
- en:Thomas T. Goldsmith Jr.およびen:Estle Ray Mannによって、陰極線管娯楽装置がアナログ回路を用いて作成される。その名の通り陰極線管に映像を出力してインタラクティブに楽しめるコンピュータゲームとしては世界初のものであり、翌1948年に特許を取得した[2]が、この装置は市販されることはなかった[3]。
- 1950年代前半
-
- Whirlwindで、「バウンシング・ボール(Bouncing Ball)」というゲームが動いていたとされ、何らかの形でコンピュータによるゲームが作られた最古の記録と言われる[4]。ただし、ゲームではなくボールがバウンドする様子を再現した一種のデモプログラムだったとする説もある。
- 日本に駐留するアメリカ軍の娯楽需要を目当てとして、日本にアミューズメント機器を輸入・販売・リースする会社が設立される。これらの会社にはセガの母体となった1951年設立のローゼン・エンタープライゼスやレメーヤー&スチュワート、1953年設立の太東貿易、1955年設立の中村製作所があり、のちに業務用コンピュータゲームに参入することになる[5]。
- 1950年
-
- カナダで開催されたen:Canadian National Exhibitionにおいて、en:Josef Katesが『en:Bertie the Brain』というコンピュータゲームを展示した。三目並べで、人間(HUMAN BRAIN)が人工知能(ELECTRONIC BRAIN)と対戦するものであり、また難易度調節機能も搭載し、好評を博した。
- 1952年
-
- ケンブリッジ大学のEDSACで、同大学の大学院生であったアレキサンダー・ダグラスは、ディスプレイ画面を介してコンピュータと対戦する三目並べの 『OXO』 というプログラムを作成した(「Graphic Tic Tac Toe」とも呼ばれた)。EDSACシミュレータにより、現代でも動作可能である。ゲーム画面の記録が残っている初のビデオゲームとされる。
- 1958年
-
- アメリカの原爆開発協力機関の一つ、ブルックヘブン国立研究所のウィリアム・ヒギンボーサムがアナログコンピュータとオシロスコープを用いた「Tennis for Two」を製作。一般人がプレイしたことがほぼ確実な世界初のコンピュータゲーム。
- 1962年
-
- マサチューセッツ工科大学の学生であったスティーブ・ラッセルが「PDP-1」で『スペースウォー!』を発表。専用のコントロールボックスを備えた最初のコンピュータゲームとなった。このプログラムはアメリカ中の「PDP-1」に広がり、多数の派生版を生み出した[6]。
- 1963年
-
- 日本初のゲーム展示会「アミューズメントマシンショー」を開催。
- 1966年
-
- ラルフ・ベアがそれまで特殊なディスプレイ装置にしか表示出来なかったゲーム映像を、家庭用のテレビ受像機に表示するアイデアを思いつく。彼は所属していたサンダース・アソシエイツ社にて試作品を作り始め、数種類の試作機を完成させる。数年後、同社から世界初の家庭用ゲーム機に関する特許の申請が行われた。
- 1969年
-
- ベアが一般的なテレビ受像機に接続して数種類のゲームが遊べる「ブラウンボックス」を完成させるが製品化には至らなかった。
1970年代
- 1971年
-
- マイク・メイフィールド(Mike Mayfield)がミニコンピュータ「Sigma7」用にアメリカのSFテレビドラマ『スタートレック(宇宙大作戦)』を題材とした『スタートレック (マイコンゲーム)』を制作。その後日米で多くのプログラマーによって移植・改良が続き、日本では1980年代初期まで人気定番ゲームの一つとなった。
- ノーラン・ブッシュネルが『スペースウォー!』をヒントに世界初のアーケードゲーム版コンピュータゲーム『コンピュータースペース』を製作・発売したが、操作が難しく人気が出なかった[4]。
- 1972年
- 1973年
-
- 『PONG』のコピーゲームとしてセガが『ポントロン』、タイトーが『エレポン』を発売[5]。日本初のコンピュータゲームとなる。
- 関西精機製作所が日本ビクターと協力、アミューズメントショーに『プレイトロン』を参考出品。曲線で構成された複雑なキャラクターをカラーで表示するという当時としては高度な技術を用いたものだったが、商品化されずに終わった。
- アタリ『Space Race』 - 世界初のレースゲーム。
- アタリ『ガッチャ』 - 世界初の迷路ゲーム。
- 『Maze War』 - ワイヤーフレーム表示の迷路で戦う3Dシューティング。通信対戦をサポート。FPSの原型。
- アタリが日本法人アタリジャパンを設立。しかし経営不振でアタリジャパンは翌年中村製作所(ナムコ)に買収される。中村製作所はアタリジャパンを通じコンピュータゲームの技術を学んだ[5]。
- 1974年
-
- テーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(略称:D&D)が発売。世界初のロールプレイングゲームであり、D&Dを元にしたコンピュータゲームが多数作られた。初期のコンピュータRPGである『dnd』や、『ダンジョン』にも多大な影響を与えた。
- タイトー『スピードレース』 - 日本初のテレビゲーム式レースゲーム。
- 1975年
-
- 初のアドベンチャーゲーム『アドベンチャー』が登場。
- 『ダンジョン』。最初期のコンピュータRPGの1つ。
- GI(General Instrument)社がTV製造用に開発したワンチップ・テレビゲーム専用LSIの外販を開始し、ゲーム機生産コストが驚異的に低下する[4]。
- 『PONG』を模したGI社製ワンチップ・テレビゲーム用LSIが秋葉原で入手可能となった。
- 9月 - エポック社『テレビテニス』発売。日本初の家庭用ゲーム機。マグナボックスとの技術提携に基づく[7]。販売数量は2万台程度に留まり、これを機にエポック社はNECとゲーム専用LSIの共同開発に乗り出し、日本国内の半導体メーカーがゲーム専用LSIに進出し始めることになる[5]。
- アタリが『PONG』の家庭用である『ホーム・ポン』を開発。シアーズ・ローバック社に独占販売権を与え約15万台を販売する[4]。
- ミッドウェイ『Gun Fight』。タイトーの「ウエスタンガン」のライセンスを受け再設計したもので、マイクロプロセッサ(Intel 8080)を搭載した初めてのアーケード用コンピュータゲーム機[8]。
- 1976年
-
- フェアチャイルドセミコンダクター、世界初のロムカートリッジ式家庭用ゲーム機「Video Entertainment System(後にFairchild Channel F)」発売[4]。
- アタリ『ブレイクアウト』 - 日本では『ブロックくずし』として知られ、多くの類似品が作られた。タイトーが1977年の『TTブロック』において開発したテーブル筐体により、喫茶店などの飲食店を中心に広く普及した[5]。また、このゲームの類似品により新日本企画、IPM、データイースト、日本物産、サン電子など多くのメーカーが業務用コンピュータゲーム製作・販売に参入し、日本のコンピュータゲーム業界の基盤が形成される一助ともなった[9]。
- セガ『ヘビーウェイトチャンプ』。対戦格闘ゲームの先駆けとなる体感型アーケード版コンピュータゲーム。
- マテル『Mattel Auto Race』。世界初の携帯型電子ゲーム機。
- ワーナーがアタリを2800万ドルで買収[4]。
- 1977年
-
- アタリ「Atari 2600(ATARI VCS)」をアメリカで発売。最終的にアメリカ全世帯の1/3を席巻する人気商品となる。
- トミー工業「TV FUN」
- 7月 - 任天堂初の家庭用ゲーム機「カラーテレビゲーム15(カラーテレビゲーム6)」。
- 7月 - バンダイ「TV JACK」
- 日本で様々なメーカーから夥しい種類の家庭用ゲーム機(主に『PONG』クローン)が発売される。大手電機メーカーでは松下電器産業が製造・販売に参入したほか、三菱電機、富士電機、沖電気工業が供給元となった[10]。
- バリー「Bally Home Library Computer」(後に Bally Professional Arcade、Bally Astrocadeと改名)。
- アップル「Apple II」。完成品として大量生産・大量販売された最初期の個人用コンピュータ。
- 1978年
-
- 3月 - ハドソンが日本で初めて、パソコン用パッケージゲームソフトの販売を開始。
- 4月 - 東芝「ビジコン」。日本初のマイクロプロセッサ搭載かつカートリッジ交換式家庭用ゲーム機だが原型はRCAの「Studio II」である[11]。
- 7月 - タイトー『スペースインベーダー』。全国各地にインベーダーハウスやインベーダー喫茶が乱立するなど大きな社会現象をまき起こしたが、一方で青少年のインベーダーをはじめとするゲームにまつわる非行・犯罪の増加やコピーゲームなどの違法行為が問題視され、ブームは1年ほどで終息した。[12]
- すがやみつる作の『ゲームセンターあらし』が「コロコロコミック」で読み切りマンガとして掲載される。翌1979年から連載開始。コンピューターゲームとマンガのメディアミックスの走り。[13]
- 任天堂が『コンピューターオセロゲーム』で業務用コンピュータゲームに参入(任天堂レジャーシステム名義)。
- 任天堂「レーシング112」。
- エポック社「システム10」。
- エポック社「テレビ野球ゲーム」。NECが家庭用ゲーム機用に開発したマイクロプロセッサを搭載しており、野球を題材にした最初期のコンピュータゲーム[11]。
- 1979年
-
- 8月 - Milton Bradley『Microvision』。世界初のカートリッジ交換型携帯型ゲーム機。
- 10月1日 - アクティビジョン設立。ゲーム機史上初のサードパーティーとしてゲームソフトを開発・販売した企業。
- 11月 - ナムコ『ギャラクシアン』。『スペースインベーダー』の人気が一段落した頃にポストインベーダーとして開発された[5]。敵の動きがキャラクター付けされているなど、『スペースインベーダー』を発展させたゲーム内容で大ブームになる。描画にスプライト方式を採用することにより複数のキャラクターを高速かつ滑らかに動作させることに成功しており、スプライト方式をコンピュータゲームの主流に押し上げコンピュータゲームのアイデアを多様化させるという技術的転換点となった[5]。
- 任天堂「ブロック崩し」。
- 『インベーダー攻略法――これであなたも10000点プレイヤー』(ヘラルド・エンタープライズ)。日本初のアーケードゲーム及びコンピュータゲームの攻略本。[14]
1980年代
- 1980年
-
- 5月22日 - ナムコ『パックマン』。日本をはじめ世界各国でヒットし、特にアメリカではアニメや音楽が制作されるなど、ポップカルチャー史に残るキャラクターとなる。
- ウィリアムス『ディフェンダー』。翌年の『スクランブル』と共に、初めてスクロールを本格的に使ったシューティングゲーム。
- Origin Systems『ウルティマ』。『ウルティマオンライン』にいたる人気ロールプレイングゲームのシリーズ第1作。
- シエラオンライン『ミステリーハウス』。世界初のグラフィックアドベンチャーゲーム。
- ユニバーサル『Space Panic』。プラットフォーム・ゲームの先駆け(ただしプレイヤーキャラクターはジャンプ出来ない)[15]。
- エポック社「テレビベーダー」。
- 任天堂が「ゲーム&ウオッチ」を発売。携帯型電子ゲーム機。LSIゲームがブームとなる。このヒットで日本のコンピュータゲーム市場は業務用ゲームとLSIゲームに二分され、アメリカとは異なりカートリッジ交換式家庭用ゲーム機市場の立ち上がりが遅れた[5]。
- 任天堂がアメリカに現地法人Nintendo of America Inc.を設立[5]。
- 任天堂「コンピュータTVゲーム」。任天堂のゲーム機として史上最悪の売り上げを記録したとされる。流通量が極端に少なく『幻のテレビゲーム』とも呼ばれている。
- アタリ『バトルゾーン』。業務用としては初めての3Dシューティング。
- マテル「インテレビジョン」[16]。
- アタリの売上高が前年比の2倍の4億1500万ドル、営業利益が前年比の5倍の7700万ドルに達し、ワーナーグループ全体の営業利益の1/3を占めた[4]。
- 1981年
-
- 1月 - 日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)が発足。
- 9月 - ナムコ『ギャラガ』。4年間に渡ってヒットしたギャラクシアンの続編。
- 10月 - 売上高の急増に生産が追い付かないアタリが、各販売代理店に翌年分の一括注文を要請。代理店は在庫切れを避けるために大量発注を行い、後年の市場崩壊の一因になる[4]。
- 11月 - アメリカでコンピュータゲーム雑誌『Computer Gaming World』が創刊される。
- 11月 - イギリスでコンピュータゲーム雑誌『Computer and Video Games』が創刊される。
- アメリカでコンピュータゲーム雑誌『Electronic Games』が創刊される。
- コナミ『スクランブル』。『グラディウス』(1985年)の原型となった横スクロールシューティングゲーム。
- 任天堂『レーダースコープ』。池上通信機と共同開発したアーケードゲームであったが、『ギャラクシアン』の影響を受けた技術偏重の開発姿勢と約100万円という高価格のため、多くの在庫を抱える[17]。この失敗をきっかけに任天堂は業務用コンピュータゲーム事業を縮小させ、手の空いた技術者たちが「ファミリーコンピュータ」の開発に携わる。
- 任天堂『ドンキーコング』。『レーダースコープ』のハードウェアを再利用し製作された[17]。ジャンプを主体としたアクションゲームの始祖であり、マリオが初めて登場した作品である。
- 『ローグ』。ローグライクゲームの始祖。TRPG『Dungeons & Dragons』をベースにした迷宮突破ゲーム。初期のコンピュータRPGの1つ。
- サーテック『ウィザードリィ』。初期のコンピュータロールプレイングゲーム。コンピュータRPGの発展に大きく影響したシリーズであり、日本では「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」に影響を与えたとして知られている。
- 三立技研『ジャンピューター』。アーケード麻雀ゲームのシステムを確立。
- エポック社「カセットビジョン」。
- NEC「PC-6001」[18]。日本における初期のホビーパソコンの一つ。
- アタリの売上高が10億ドル、利益が3億ドルに[4]。
- 1982年
-
- 3月 - アタリがAtari 2600版『パックマン』を発売。低品質な移植作品であっただけでなく、小売の水増し発注と需要予測の誤りの結果として当時のAtari 2600本体の稼働台数を何百万本も上回った数のゲームカートリッジをアタリが生産したこともあって大量の売れ残り在庫が生じ、アタリと消費者に回復しがたいインパクトを与えた[19][20]。
- 4月23日 - シンクレア「ZX Spectrum」。主にイギリスで人気を得たホビーパソコン。
- 6月3日 - 「ゲーム&ウオッチ」版『ドンキーコング』。LSIゲームの最多売上を記録。
- 8月 - コモドール「コモドール64」。優れた性能と高いコストパフォーマンスを誇るホビーパソコン。ゲームユーザーをターゲットにしたマーケッティング戦略により家庭用ゲーム機のシェアを奪い、アタリショックの原因のひとつとなった。
- 8月20日 - トミー「ぴゅう太」。ゲームパソコン、ホビーパソコン。
- 11月 - General Consumer Electronics「Vectrex」。ベクタースキャンを採用した。
- 11月 - ソード/タカラ「M5」。ゲームパソコン。
- 11月 - コモドール「マックスマシーン」。ホビーパソコン。
- 12月6日 - タイトーが『スペースインベーダー パートII』の無断コピーをめぐり起こした訴訟において、東京地裁がコンピュータプログラムを著作権法上保護されるべき著作物として認める判決(「スペースインベーダー パートII事件」)[21]。
- アタリ『E.T.』。史上最低のゲームとして名高い。高額のライセンス料・大量の売れ残り在庫により、アタリに大きな経済的損失を与え、翌1983年にアタリは赤字に転落、1984年には分割・売却されたため、アメリカのゲーム市場全体が停滞した。
- アタリ「Atari 5200」。「Atari 2600」の後継機。高性能でソフトのクオリティも高かったが2600との互換性は持たず、アタリは5200の発売後も5200より2600に注力したこともあって失敗に終わった。
- コレコ「コレコビジョン」。『ドンキーコング』のアーケード版にほぼ忠実な移植を実現するなど、当時としては高性能を誇った。このハードは1984年に生産終了となったものの、発売からそれまでの短い期間中に600万台以上を売り上げた。
- エマーソン・ラジオ「Emerson Arcadia 2001」。
- トミー『トミー3D』(翌年以降、『The Tomytronic Thundering Turbo 3D』)。トミー3D立体グラフィックゲーム・シリーズ。スコープ・双眼鏡型でディスプレイを2つ搭載し、3D立体表示可能な世界初の携帯型ゲーム機。
- Entex「アドベンチャービジョン」。ドットマトリックスLEDディスプレイを搭載した、ゲームソフト交換式の可搬型家庭用ゲーム機。
- 12月8日 - ワーナーがアタリの売上下降を理由に同年第4四半期の利益を下方修正し、翌9日にワーナーの株価が暴落する。アタリ社の売上は翌年の第1四半期にかけて急落した。いわゆるアタリショックの始まり[4]。
- アタリハード向けソフト販売におけるアタリのシェアが前年の80%から56%に低下[4]。
- 1980年代前半の北米において家庭用ゲーム機市場の売上高が最大になる[4]。
- アメリカでコンピュータゲーム雑誌『Electronic Fun with Computers & Games』、『JoyStik - How to Win at Video Games』、『Video Games』、『Video Games Player』、『Videogaming Illustrated』が創刊される[22]。
- 1983年
-
- 2月 - ナムコ『ゼビウス』。初の縦スクロールシューティングゲーム。さらにシューティングに謎に満ちたストーリーも取り入れたゲームとして知られる。
- 2月 - エニックス『ドアドア』。エニックスのゲームプログラムコンテスト応募作品。製作者は中村光一。
- 4月20日 - 公正取引委員会が、問屋団体「初心会」を介した任天堂「ゲーム&ウオッチ」の販売に関する独禁法違反(小売価格の拘束)について排除勧告を審決。[23]
- 5月10日 - アタリ「Atari 2800」で日本市場に参入。「Atari 2600」の日本仕様[10]。
- 6月27日 - アスキーとマイクロソフトがホビーパソコンの共通規格「MSX」を発表。主に日本の電気機器メーカー多数が参画しこれに基づくパソコンを製造。
- 7月4日 - トミー「ぴゅう太Jr.」。ぴゅう太の機能を削りゲーム機としたもの[10]。
- 7月15日 - セガ「SG-1000」「SC-3000」。
- 7月15日 - 任天堂「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)。
- 7月 - バンダイが「Vectrex」を「コンピュータービジョン 光速船」として日本で発売。
- 7月 - バンダイ「RX-78」。ゲームパソコン。
- 10月 - 学習研究社「TVボーイ」
- 10月 - カシオ計算機「PV-2000」。ゲームパソコン。
- 11月 - 大名マイコン学院『ポイボス』。日本製ロールプレイングゲーム。当時PC-8801やApple IIでしか出来なかったRPGを当時のPC機種(PC-8801、FM-7、X1、MZ系、パソピア7)多数に移植され、多くのPCユーザーにRPGのおもしろさを伝えた。しかし、商業的には成功しなかった。
- 光栄『信長の野望』 - 戦略シミュレーション最初期の作品。
- エニックス『ポートピア連続殺人事件』(パソコン版)。堀井雄二の出世作(デビュー作ではない)。
- シネマトロニクス『ドラゴンズレア』。世界初のレーザーディスクゲーム。ディズニーライクなアニメーションを採用していた。
- セガ『アストロンベルト』。日本初のレーザーディスクゲーム。特撮映像を採用していた。
- ツクダオリジナル「オセロマルチビジョン」。
- 日本物産「マイビジョン」。
- アタリ『I, Robot』。シューティングゲーム。商業用ゲームとしてリアルタイム3Dポリゴンを初めて採用。内容が斬新すぎたこともあり、商業的には大失敗に終わる。
- パソコンにてコマンド入力方式のアドベンチャーゲームが流行する。
- ラショウ『ボコスカウォーズ』。シミュレーションRPGの先駆け。
- 『月刊ログイン』(アスキー)、『コンプティーク』(角川書店)創刊。パソコンゲームを中心としたゲーム情報を取り扱う。
- 1984年
-
- 1月 - ビーピーエス『ザ・ブラックオニキス』。半日本製ロールプレイングゲーム。アイディア等はアメリカ人2人によって考えられた。続編も作られた。
- 2月18日 - 任天堂『ワイルドガンマン』。ファミコン初のシューティングゲーム。
- 3月 - クリスタルソフト『夢幻の心臓』。『ウルティマ』のフィールドマップ移動と『ウィザードリィ』の対面戦闘をアレンジ融合した日本製ロールプレイングゲーム。
- 4月25日 - 『ビデオ・ゲーム・ミュージック』発売。日本初のゲームミュージックのサウンドトラックアルバム。
- 6月 - ナムコ『ドルアーガの塔』。アクションロールプレイングゲームの原点。リアルタイムの戦闘が新鮮で、今でも根強いファンが多く、その後の「ハイドライド」などに強い影響を与えた。
- 6月 - データイースト『空手道』。最初期の対戦格闘ゲーム。
- 6月 - アタリ「Atari 7800」。1986年にアタリコープから再発売。
- 6月21日 - 任天堂「ファミリーベーシック」。当時の8ビットパソコンにならって発売するがほとんど普及せず。
- 7月17日 - エポック社「スーパーカセットビジョン」発売。しかしシェア争いに敗れ、エポック社はソフト交換式の家庭用ゲーム機から撤退することになった[10][24]。
- 7月20日[25] - ハドソン『ナッツ&ミルク』・『ロードランナー』。日本初のサードパーティーソフト。
- 7月 - アタリのハードウェア部門がコモドールの創業者ジャック・トラミエルに買収される[4]。
- 7月 - セガ「SG-1000II」。
- 8月 - ナムコ『パックランド』。ドットイートゲームとして開発されてきたパックマンシリーズとは異なり、純粋な横スクロールアクションゲームとして発表された。
- 9月28日 - ナムコが『パックマン』ROMの無断コピーを映画上映権の侵害として起こした訴訟について、東京地裁は『パックマン』が映画の著作物に該当すると判断。[26]
- 11月 - 日本ファルコム『ドラゴンスレイヤー』。アクションロールプレイングゲームの元祖と言われているが、それは誤りで実際は「インジケーター」と呼ばれる画面右下にある人の形をしたアイコンが左から右に移動している間にプレイヤーが行動する「時間制限のあるターン制」のロールプレイングゲームである。
- 12月13日 - T&E SOFT『ハイドライド』。アクションロールプレイングゲームで最初にアクティブロールプレイングゲームというジャンルで発売されたゲーム。発売以来ロングセラーを続け「ハイドライド・シンドローム」と呼ばれる一大ブームを巻き起こした。MSXロム版ではあまり普及していなかったデータレコーダや高価すぎて搭載できなかったバッテリーバックアップの代わりにパスワードを記録(セーブ)に初めて利用した。
- 12月21日 - アスキー『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』。コマンド選択式を初めて採用したアドベンチャーゲーム。
- テーカン『スターフォース』。地上・空中の撃ち分け無しの縦スクロールシューティングゲーム。
- 『Elite』。PC向けのワイヤフレーム3Dゲームとして最初期のもののひとつ。星々を巡って交易を行なうなど、広大な仮想世界の中での自由度の高いゲームプレイを実現。
- Brøderbund『カラテカ』。ベルトスクロールアクションゲームの先駆け。
- Brøderbund『The Ancient Art of War』。最初のリアルタイムストラテジー。
- 日本ソフトバンクが『Beep』を創刊。コンピュータゲームの総合雑誌。
- マテルが電子事業部門を売却[4]。
- 1985年
-
- 2月 - ナムコがアタリの業務用ゲーム部門を子会社「アタリゲームス」とする[4]。
- 2月13日 - 日本で「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(風俗営業法)が施行され、ゲームセンターの営業に際し、設置される遊技設備や施設形態によっては風俗営業の許可が必要になる。
- 4月11日 - イギリスでコモドール64用ゲーム雑誌『Zzap!64』が創刊される。
- 5月29日 - コナミ『グラディウス』。横スクロールシューティングゲームとして革新的であった。
- 8月 - 徳間書店がファミリーコンピュータ専門雑誌『ファミリーコンピュータMagazine』を創刊。日本における家庭用ゲーム機専門雑誌の走り。
- 8月6日 - ナムコ『ドルアーガの塔』。ファミリーコンピュータ初のRPG。
- 9月13日 - 任天堂『スーパーマリオブラザーズ』。世界一の売り上げを誇るアクションゲーム。
- 10月 - セガ「セガ・マークIII」。
- 10月 - コモドール「Amiga 500」。ヨーロッパで人気を博したホビーパソコン[27]。
- 10月18日 - 任天堂がファミリーコンピュータの日本国外向け仕様である「Nintendo Entertainment System」をアメリカで発売。崩壊したアメリカの家庭用ゲーム機市場を回復させていく。
- 10月28日 - 日本ファルコム『ザナドゥ』。アクションロールプレイングゲームの名作。売り上げ40万本は当時のパソコンの普及台数の数割にあたる驚異的な数字で、日本国内のパソコンゲーム販売の不倒記録として今なお破られていない。
- 12月13日 - T&E SOFT『ハイドライドII SHINE OF DARKNESS』(MSX版)。最初にバッテリーバックアップを採用したゲームソフト。
- 『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』(徳間書店)が120万部のミリオンセラーとなり、書籍ベストセラーの1位となる。さらに翌1986年も1位となる。[28]
- エポック社「ゲームポケコン」。日本初のロムカセット交換式携帯型ゲーム機である。
- 大宇電子「Zemmix」。MSXをベースに韓国で販売されたゲーム機のブランド。
- アメリカの家庭用ゲーム機市場が1982年に比べて1割未満にまで縮小した[4]。
- 1986年
-
- 2月21日 - 任天堂「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」。書き換え可能な「ディスクカード」が使用できるファミリーコンピュータの周辺機器。
- 2月21日 - 任天堂『ゼルダの伝説』。ゼルダの伝説シリーズの第1作。ユーザーや評論家から高い評価を受けているゲームシリーズであり、『時のオカリナ』『風のタクト』『スカイウォードソード』『ブレスオブザワイルド』は特に高い評価を受けている。
- 4月 - 新声社がアーケードゲーム専門雑誌『ゲーメスト』創刊。
- 4月21日 - ブラザー工業がパソコンソフト自動販売機「ソフトベンダーTAKERU」の本サービスを開始。オンライン販売の先駆け。
- 5月27日 - エニックス『ドラゴンクエスト』。ドラゴンクエストシリーズの第1作。日本市場における大作シリーズとなる。
- 6月6日 - ゲーム雑誌『ファミコン通信』創刊。1995年に誌名が『ファミ通』に変更された。
- 7月1日 - シャープ「ツインファミコン」。
- 10月21日 - マカダミアソフトのアダルトゲーム『177』が衆議院決算委員会で有害ソフトとして取り上げられる。
- ファミリーコンピュータのライセンスを取得しないソフト(同人ソフト、当時は裏ソフトと呼ばれていた)において、性的描写の濃厚なソフトが市場に多く出回ったため、警察やPTAなど市民団体が任天堂にクレームを集中させた。そのことにより、任天堂は、非ライセンスソフトの市場からの締め出しを実行し、裏ソフトの撲滅に成功する。
- 社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協、後のコンピュータソフトウェア協会)が発足。会長は孫正義。
- 1987年
-
- 1月26日 - エニックス『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』。前作の人気を受けて発売前から大きな話題を呼び、発売日には全国の販売店に本作を求めて行列するファンの姿も多く見られた。こうした熱狂は一部のマニアだけのものではない社会現象として多くのマスメディアで取り上げられた。
- 7月13日 - コナミ『メタルギア』。ステルスゲームを広く普及させた作品とされる。後年『メタルギアソリッド』シリーズとして世界的に有名となる。
- 10月30日 - NECホームエレクトロニクス「PCエンジン」。CPUの処理速度、グラフィックの美しさや迫力のあるサウンドなど、当時の常識を覆す高速・高性能を実現した。
- 12月18日 - スクウェア『ファイナルファンタジー』。ファイナルファンタジーシリーズの第1作。スクウェア社の最後の作品となるソフトなので「ファイナル」と銘打たれたが、ヒット作となって世界的にも有名なシリーズとなった。
- ケスマイ『エア・ウォーリア』。娯楽用としては世界初のオンライン・フライトシミュレーションゲーム。運営会社が運用するサーバに接続してプレイするタイプであり、最初期のMMOゲームとも言える。日本では富士通により1992年から数年間に渡って運用された。
- シャープ「X68000」。優れたAV能力によって業務用ゲームの高度な移植を可能とし、基板のセルフチェック動作までも再現する“完全移植”の概念を後に定着させたパソコン。
- ドイツのメーカーRainbow Arts『The Great Giana Sisters』(日本未発売)。あからさまな『スーパーマリオブラザーズ』の盗作でかつ同作を挑発するキャッチコピーだったため任天堂から訴訟が起きて発禁処分となる。後年、このゲームの開発者が欧米ゲーム市場における重鎮となったことから、欧米において伝説的なカルトゲームとなる。
- 1988年
-
- 2月10日 - エニックス『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』。これを買うために発売日に子供が学校を休み、また恐喝の被害が出るなど、社会問題となった。
- 3月18日 - 光栄『信長の野望 全国版』。当時としても高額の9800円という価格設定。このソフトの発売を皮切りに、PSやSSのCD-ROM時代になるまで、1万円を超えるソフトが発売されるようになった。
- 10月29日 - セガ「メガドライブ」。日本での売り上げはそこそこだったが、海外市場では日本市場を超える程の売り上げを達成している。
- 12月4日 - NECホームエレクトロニクス「CD-ROM2」。世界初となるCD-ROMを媒体として採用した家庭用ゲーム機。PCエンジンの周辺機器。
- 12月4日 - ハドソン『ファイティング・ストリート』と『No・Ri・Ko』。世界初のCD-ROMを媒体として用いたゲームソフト。
- 12月22日 - ビーピーエス『テトリス』。これにより、日本でテトリスブームが起こる。以後、落ち物パズルがジャンルの1つとして定着する。
- Game Developers Conference(GDC)の第1回(当時はComputer Game Developers Conferenceと呼称)がクリス・クロフォードの自宅(米国カリフォルニア州サンノゼ)で開催される。
- 米任天堂(Nintendo of America)がゲーム雑誌『Nintendo Power』を創刊。
- 1989年
-
- 4月21日 - 任天堂「ゲームボーイ」。別途ゲームソフトを購入して利用するタイプの携帯型ゲーム機としては、エポック社「ゲームポケコン」に次いで2機種目。
- 10月 - アタリコープ「Atari Lynx」。
- 12月 - カプコン『ファイナルファイト』。
- 12月4日 - NECホームエレクトロニクス PCエンジンをRF映像からコンポジット映像にしたモデル「コアグラフィックス」と上位機種「PCエンジンスーパーグラフィックス」発売。
- 12月15日 - スクウェア『魔界塔士Sa・Ga』。ゲームボーイ初のRPGであり、携帯型ゲームソフトとしても初のRPGである。スクウェア初のミリオンセラー作品でもある。
1990年代
- 1990年
-
- 6月 - セガ『コラムス』発売。初めて連鎖というシステムを組み込んだ落ち物パズル。
- 9月 - アムストラッド「GX4000」。イギリスで発売されるが商業的に失敗。
- 10月6日 - セガ「ゲームギア」。日本国産初、カラー液晶を搭載したカートリッジ交換式携帯ゲーム機。
- 11月21日 - 任天堂「スーパーファミコン」。ファミリーコンピュータの後継機。
- SNK(旧社)「ネオジオ」。家庭でゲームセンターのゲームができるといううたい文句だった。当初はレンタル機として提供された。
- 12月 - コモドール「Commodore 64 Games System」。コモドール64をゲーム機としてデザインし直したものだが商業的に失敗。
- 12月1日 - NECホームエレクトロニクス「PCエンジンGT」。世界初となる据え置き型ゲーム機との互換性がある携帯型ゲーム機。
- アタリゲームズ『ピットファイター』。実写取り込みのキャラクターによる対戦型格闘ゲーム。
- 1991年
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- 3月 - AOL『Neverwinter Nights』。世界初のグラフィカルMMORPG。インターネットが未発達の時代であり、AOLのパソコン通信サービス上で運用された。
- 3月 - カプコン『ストリートファイターII』。世界的に大ヒットし、対戦型格闘ゲームをジャンルの1つとして定着させた。
- 4月20日 - バンプレスト『スーパーロボット大戦』。スーパーロボット大戦シリーズの始まり。
- 7月1日 - 「ネオジオ」の一般販売が始まる[29]。
- 7月12日 - 『ファミコン通信』が週刊化される。
- 6月23日(日本では7月26日) - セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』。日本ではそこそこの売上だったが、海外では爆発的ヒットを記録。これとサードパーティーの囲い込み成功のため、海外での「メガドライブ(海外名称ジェネシス)」のシェアを「スーパーファミコン(海外名称SNES)」に対抗しうるまで持ち上げる。
- 9月21日 - NECホームエレクトロニクス「PCエンジンDuo」。
- 10月25日 - コンパイル『ぷよぷよ』。翌年アーケードゲームに移植され、落ち物パズルの対戦のはしりとなる。
- 11月25日 - X指定(フェアリーテール)のアダルトゲーム『沙織 -美少女達の館-』を中学生が万引きした事件に端を発し、『沙織』発売元等関係各社を京都府警が家宅捜索(沙織事件)。コンピュータソフトウェア倫理機構設立のきっかけとなる。
- 12月 - フィリップスがCD-iプレイヤーを発売。
- 12月12日 - セガ「メガCD」。
- 12月13日 - NECホームエレクトロニクス「SUPER CD-ROM2」、「PCエンジンLT」。
- 任天堂が日本で小売店のフランチャイズ制度「任天堂エンターテイメントショップ」を開始。これに加盟した小売店は任天堂機の人気ソフトが優先的に供給された。[30]
- 1992年
-
- 1月9日 - 任天堂とフィリップスがスーパーファミコンの周辺機器「スーパーファミコンCD-ROMアダプタ」を1993年に発売予定にすると発表するもお蔵入りに(この企画にはソニーも加わっており、スーパーファミコンとCD-ROMアダプタの一体型のマルチメディアマシン「PlayStation」も発売する予定だった(後述のPlayStationとは別物))。
- 2月28日 - 公正取引委員会がゲームソフト卸売会社藤田屋に対し、『ドラゴンクエストIV』の抱き合わせ販売について独禁法違反として排除措置命令を審決(藤田屋事件)。[31]
- 3月7日 - チュンソフト『弟切草』。アドベンチャーゲームの一形式としてサウンドノベルを創始。
- 4月 - 家庭用コンピュータゲーム販売チェーン各社の団体であるジャパンテレビゲームチェーン協会(JAG)が設立される。
- 4月1日 - 日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協)がゲームタイトルに性的描写の存在する旨を伝える「18禁シール」を製作、販売。
- 4月13日 - アメリカの発明家ジャン・コイルがセガを相手取り提起していた特許侵害訴訟で、セガに43億円(当時)の支払いを命ずる判決が下る。[32]
- 4月24日 - セガ「ワンダーメガ」。
- 4月27日 - 任天堂『星のカービィ』。星のカービィシリーズの第1作。後に大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ等を手がける桜井政博のデビュー作。
- 5月5日(日本では1994年) - id Software『ウルフェンシュタイン 3D』(「DOS」用ソフト)。初期のファーストパーソン・シューティングゲーム(FPS)の代表作であり、FPSというジャンルを確立したとされる。
- 5月21日 - 「Nintendo Entertainment System」用チートシステム「ゲームジニー」を巡って争われた「Galoob vs. Nintendo」について、アメリカの合衆国控訴裁判所はゲームジニーが著作権を侵害していないとの判断を下す。[33]
- 8月25日 - 日本のアダルトゲーム制作各社により、アダルトゲームを中心としたコンピュータソフトのレイティング団体、コンピュータソフトウェア倫理機構(EOCS、ソフ倫)が設立される。
- 8月27日 - 任天堂『スーパーマリオカート』。日本におけるスーパーファミコン用ソフトとして売上本数最高記録となる。
- 10月30日 - アトラス『真・女神転生』。『女神転生シリーズ』としては同社初の自社販売ソフト。多数のハードに移植され、後に同社の看板シリーズとなる。
- 12月17日 - エルフ『同級生』。恋愛アドベンチャーゲームの草分けであり、ストーリー重視のアダルトゲームの草分けでもある。
- ミッドウェイ『モータル・コンバット』。実写取り込みのキャラクターによる対戦型格闘ゲームで、身体の切断や出血といった残虐な描写が特徴。
- 1993年
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- 2月16日 - 富士通「FM TOWNS マーティー」。パソコン「FM TOWNS」をゲーム機型に簡素化し普及を狙ったが失敗した。世界初の32bit CPU搭載ゲーム機とされる。
- 7月 - ハドソン『HI-TEN ボンバーマン』。世界初のハイビジョンゲーム[34]。
- 8月20日 - パイオニア「レーザーアクティブ」。PCエンジンまたはメガドライブに対応した拡張パックを組み合わせることでレーザーディスクベースの専用ゲームをプレイできるレーザーディスクプレイヤー。
- 9月17日 - コモドール「Amiga CD32」。欧米圏で最初に32bit CPUを搭載したゲーム機。
- 10月7日 - ナムコ『リッジレーサー』。アーケード用としては初めてテクスチャマッピングを施したポリゴン表示を実用化。
- 11月23日 - アタリコープ「Atari Jaguar」[35](日本では1994年12月8日発売[36])。1995年9月21日には外付けCD-ROMドライブ「Atari Jaguar CD」が発売されたが[37]商業的に失敗し、これを最後にアタリはハードウェア事業から四半世紀に渡り遠ざかる。
- 12月1日 - 任天堂「ニューファミコン」。ファミコン発売10周年を機にリニューアル。
- 12月10日 - id Software『DOOM』。FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)が一躍メジャージャンルになるとともに、後の同ジャンルに多大な影響を与える。
- 12月15日 - EAスポーツ『FIFA インターナショナルサッカー』。FIFAシリーズの第1作。最も売れたスポーツゲームシリーズ。
- 12月 - セガ『バーチャファイター』。世界初の3D格闘ゲームとして大ヒット。シリーズ化もされ第5作が稼働中。
- 日本国内での家庭用ゲームソフトの流通において、過剰在庫に起因する小売価格の暴落が頻発するようになる。[38]
- 1994年
-
- 日本において、ハードメーカー各社から相次いで新機種が登場。次世代機戦争などと言われた。この頃になるとニュースなどでもゲームの話題が取り上げられるようになる。
- 3月 - 松下電器「3DO REAL」。
- 3月12日 - NECホームエレクトロニクス「アーケードカード」。PCエンジン用周辺機器。
- 4月23日 - セガ『ヘブンリーシンフォニー』。CD-ROM媒体によるレースシミュレーションゲーム。
- 4月29日 - コモドールが倒産。
- 5月27日 - コナミ『ときめきメモリアル』。恋愛シミュレーションゲームの走り。
- 6月14日 - 任天堂「スーパーゲームボーイ」。スーパーファミコンでゲームボーイのソフトをプレイするための拡張機器。
- 8月 - エス・エヌ・ケイ『ザ・キング・オブ・ファイターズ'94』。
- 9月 - セガがセガユナイテッドを設立。日本国内において「セガサターン」のハードとソフトを専門に扱う販売会社であり、一次問屋の機能を持つとともに大手ゲーム販売専門店との直接取引を行った。これによりセガは日本国内での販売店舗数を急拡大することに成功したが、CD-ROMの生産設備を所有しなかったため、CD-ROMの特性を生かした柔軟な生産調整を行うことはできなかった。[38]
- 9月9日 - エス・エヌ・ケイ「ネオジオCD」。
- 9月23日 - バンダイ「プレイディア」。
- 9月23日 - 光栄『アンジェリーク』。女性向け恋愛シミュレーションゲーム(乙女ゲーム)の草分け。
- 11月22日 - セガ「セガサターン」。同時発売としてビクターVサターン・日立Hiサターンがある。
- 11月下旬 - セガ『バーチャファイター2』稼動。新たな3D対戦格闘ゲームの幕開けとなった。
- 12月3日 - セガ「スーパー32X」、ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation」。
- 12月23日 - NECホームエレクトロニクス「PC-FX」。
- 12月 - ナムコ『鉄拳』。バーチャファイターに次ぐ3D格闘ゲームとしてシリーズ化されロングヒットを記録。
- エンターテインメントソフトウェアレイティング委員会(ESRB)が設立される。米国およびカナダにおけるコンピュータゲームのレイティングなどの審査を行う団体。
- 1995年
-
- スーパーファミコン用ソフトが大容量化により価格が高騰。1万円を越えるソフトが珍しくなかった。
- Electronic Entertainment Expo(E3)の第1回が米国のロサンゼルスで開催される。
- 7月21日 - 任天堂「バーチャルボーイ」。サードパーティーがつかず、半年で新作ゲームソフトの発売が途絶える。同ゲーム機開発者の一人である横井軍平はその後、任天堂を自主退社してコトを設立。「ワンダースワン」の開発に携わる。
- 8月25日 - マイクロソフトがパソコン用OS『Windows 95』を発売。以後、Windowsがパソコン用OSのデファクトスタンダードとなる。
- 9月30日 - マイクロソフトがWindowsにおけるゲーム用APIであるDirectXのバージョン1.0をリリース[39]。
- 10月 - セガ「ノーマッド」。北米市場向けの携帯型ゲーム機(日本未発売)。メガドライブ(ジェネシス)のソフトと互換性があった。
- 10月 - カシオ計算機「ルーピー」。
- 11月1日 - 任天堂、セントギガのBS放送を利用してスーパーファミコン向けデータ配信事業である衛星データ放送を開始、専用周辺機器「サテラビュー」を販売。
- 1996年
-
- スクウェアが『ファイナルファンタジーVII』をPlayStationで発売することを発表。スクウェアが任天堂との決別を公言する。これをきっかけに、SCEIと任天堂との力関係が逆転する。
- コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が発足。
- 1月26日 - Leaf『雫』。アドベンチャーゲームの一形式としてビジュアルノベルを創始。
- 2月 - スクウェアが子会社デジキューブを設立。日本でのコンビニエンスストアにおけるゲームソフトの販売のはじまりであり、一次問屋としてのソニー・コンピュータエンタテインメントを介さない新たなゲームソフト流通網を構築する試みであった。[38]
- 2月27日 - 任天堂『ポケットモンスター 赤・緑』。縮小していたゲームボーイ市場が本作の成功により復活する。モンスター育成ゲームの先駆けであり、収集・育成・通信交換といった要素は、同ジャンルの多くのゲームに引き継がれている。
- 3月22日 - カプコン『バイオハザード』。バイオハザードシリーズの第1作。世界的にヒットしてホラーゲームを一般に広く浸透させる。
- 3月28日 - バンダイ「ピピンアットマーク」。世界で最も売れなかったゲーム機とされている。
- 4月 - コナミを先駆けとして、大手サードパーティーが日本国内でゲームソフトの自主流通(小売店への直接販売)を開始する[38]。
- 6月23日 - 任天堂「NINTENDO64」。3Dスティックによるアナログ入力や、コントローラの振動機能を普及させる。
- 7月21日 - 任天堂「ゲームボーイポケット」。従来のゲームボーイを小型化したもの。
- 8月9日 - エコールソフトウェア『デスクリムゾン』。インターネットを中心にムーブメントの起こったカルトゲームの先駆け。以後10年以上ファンイベントが行われている。
- 8月22日~24日 - 第1回東京ゲームショウである東京ゲームショウ'96が東京ビッグサイトで開催される。
- 9月 - 3DO『Meridian 59』。世界初のインターネットベースの本格的商用MMORPG。3D描画を採用していた。プラットフォームはWindows。
- 9月 - Imagine Mediaが『Imagine Games Network』として自社のゲーム雑誌別に5つのウェブサイトを開設。これが1998年に『IGN』ブランドの下で再編・統合される。
- 11月23日 - バンダイ「たまごっち」。発売後、社会現象にもなった。
- 12月6日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント『パラッパラッパー』、『クラッシュ・バンディクー』。
- インターチャネル『センチメンタルグラフティ』の発売を発表。ゲームそのものは1998年発売となるものの、膨大な量のグッズとイベントなど関連情報を大量発信するスタイルを行い、本編のゲームが無いのにヒット作という評価となる。
- 日本におけるPlayStation用ソフトの販売契約方法(再販価格維持、中古品売買禁止、同業他社への在庫転売禁止)をめぐり、独占禁止法違反容疑が浮上[38]。ソニーを支持するか否かについてジャパンテレビゲームチェーン協会(JAG)加盟のフランチャイズチェーン間で対立が生じ、JAGは協調派のテレビゲームビジネス協議会と徹底抗戦派のテレビゲームソフトウェア流通協会(ARTS)に分裂した。
- 任天堂が問屋団体「初心会」を解散させ「一心会」に再編する流通改革を実施。二次問屋の排除が試みられた[38]。
- 1997年
-
- 1月14日 - エニックスも『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』をPlayStationで発売することを発表。
- 1月31日 - スクウェア『ファイナルファンタジーVII』。それまでのRPGの常識を覆したフルポリゴンRPG。それまで拮抗していたPlayStationとセガサターンの売り上げの差が大きく開き、PlayStationが次世代ハード戦争の覇者となるきっかけとなった。以降同作品のようにフルポリゴン化された画面やCGムービーの挿入など高度な画像処理を前面に押し出し、ストーリー性などにも力を注いだ「重厚長大」な作品が人気となる。
- 9月24日 - オリジン・システムズ『ウルティマオンライン』。MMORPGとして初めての大ヒット作。
- 9月30日 - ローソンと任天堂が日本国内のローソン店頭でのゲームソフトデータ販売サービス「ニンテンドウパワー」を開始。当初はスーパーファミコン用ソフトがサービス対象、2000年3月1日にはゲームボーイソフトも対象に。
- 10月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本の小売店の不良在庫となったゲームソフト約200タイトル(70万本)を1本あたり2000円で回収する。ソニーが家庭用ゲーム機ビジネスに参入するにあたって日本において構築した流通システムが機能不全を起こしていることを示す出来事であった。[38]
- 10月21日 - Rockstar Games『グランド・セフト・オート』。グランド・セフト・オートシリーズの第1作。世界的に有名なゲームシリーズの1つであり、シリーズとしてはマリオ、ポケモンに次ぐ3番目の売上である。
- 11月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが従来小売店に課していたPlayStation用ソフトの値引き販売禁止政策が消滅し値引き販売が一般的になる。[40]
- 12月 - コナミ『beatmania』。音楽ゲームの先駆け。
- セガとバンダイが合併し、新社名をセガバンダイとすると発表。しかし、後にこの計画は解消された。
- セガがセガ・ユナイテッドをムーミン(問屋)と合併しセガ・ミューズへ再編。ソニー・コンピュータエンタテインメントの流通システムに倣い小売店への直販化やソフトのリピート発注の迅速化を行う流通改革を行った。[38][41]
- 任天堂系問屋団体「一心会」が解散する。[38]
- 12月18日 - ハドソン「てくてくエンジェル」。世界初の育成散歩計[42]。ゲーム付き歩数計市場を構築するきっかけとなった。
- 1998年
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- 1月14日 - コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会(CESA)、コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)、日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)が合同で「違法中古ゲームソフト撲滅キャンペーン」を開始する。
- 1月20日 - 公正取引委員会がソニー・コンピュータエンタテインメントに対して独占禁止法に基づく排除勧告を行う。ソニー・コンピュータエンタテインメントは応諾せず、審判手続へと移行した。[43]
- 1月30日 - 任天堂「スーパーゲームボーイ2」。ポケモン人気を反映してか、ゲームボーイポケット用の通信ケーブル端子を備えて発売された。本体色も、当時流行のスケルトンカラー(青)である。
- 3月27日 - 任天堂「スーパーファミコンジュニア」。スーパーファミコンのモデルチェンジ版。
- 4月6日 - セガ『バーチャファイター』。コンピュータソフトウェアとして歴史的な足跡を残したことを評価され、スミソニアン総合博物館に各種資料が保管されることになる。
- 4月14日 - テレビゲームビジネス協議会加盟各社によりテレビゲーム専門店協会が設立される。
- 5月 - 任天堂とハドソンが合弁で招布株式会社を設立。
- 10月21日 - 任天堂「ゲームボーイカラー」。
- 10月28日 - エス・エヌ・ケイ「ネオジオポケット」。ドリームキャストとの連動で話題になる。
- 11月27日 - セガ「ドリームキャスト」。湯川専務が出演する自虐的なCMで話題になる。
- 日本において中古ゲームソフトの販売を違法とみなし排除を目論むソフトメーカーと、中古ゲームソフト販売を求める小売店団体(テレビゲームソフトウェア流通協会)の対立が深刻化し、法廷闘争に発展した(中古ゲームソフト裁判)。
- この年から日本ゲーム市場の利益が減収へとシフトしはじめる。以後、ニンテンドーDSの記録的ブームとなる2006年まで売上本数や利益の減少、および市場の縮小が続く。
- 1999年
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- 1月21日 - 任天堂『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』。高いキャラクター性と対戦ゲーム性を両立した作品として話題となる。
- 2月11日 - スクウェア『ファイナルファンタジーVIII』。記録的な売り上げを達成し、スクウェアの経営方針転換のきっかけとなる。
- 3月4日 - バンダイ「ワンダースワン」発売。
- 3月18日 - 『三國志III』のゲームデータ改造ツールを巡って争われた三國志III事件について、東京高裁は『三國志III』は著作権法上の「映画の著作物」に該当せず、そのゲームデータ改造ツールは著作権を侵害しないという判断を示す。[44]
- 3月19日 - SNK(旧社)「ネオジオポケットカラー」発売。
- 4月27日 - 『ときめきメモリアル』の改造済みセーブデータの入ったメモリーカードの販売を巡って争われたときめきメモリアルメモリーカード事件について、大阪高裁は『ときめきメモリアル』は著作権法上の「映画の著作物」に該当し、その改造済みセーブデータの入ったメモリーカードの販売は著作権を侵害するという判断を示す[45]。なお、2001年3月18日に控訴棄却により判決が確定した[46]。
- 7月15日 - スクウェア『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』。高い売上記録を残すが、スクウェア内部では上記の『ファイナルファンタジーVIII』と比較して少ない売上だったことが指摘され、前年発売の『ゼノギアス』製作スタッフなどとともに『ファイナルファンタジー』偏重の流れ(FFシフト)に反発した社員の集団退社が起こりはじめる。
- 8月23日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStationのエミュレータ「bleem!」の販売差し止めを求めていた訴訟で、サンフランシスコ連邦地裁が販売継続を認める判決を下す[47]。
- 9月 - 新声社の倒産により、『ゲーメスト』廃刊。ゲーメストスタッフの一部により、アスキー(現:エンターブレイン)から『アルカディア』創刊。
- 11月 - 公正取引委員会が、ドリームキャストのハードとソフトの卸売を行っているセガの子会社セガ・ミューズを独占禁止法違反(再販売価格維持)容疑で立ち入り検査。セガは翌2000年7月に販売部門を自社に新設し、卸売業務を自社に移すことで摘発を免れた[48]。
- 12月 - ゲーム業界の老舗メーカーであるデータイーストが和議を申請し経営破綻。後、2003年6月に破産宣告。
- 12月11日 - 任天堂「64DD」。
- 日本コンピュータゲーム協会が発足。主にパソコン向けのコンピュータゲームを開発する企業による業界団体。
2000年代
- 2000年
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- 3月4日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本で「PlayStation 2」を発売。
- 4月1日 - アスキーよりエンターブレインが分社。『ファミ通』などの出版事業を移管。
- 4月18日 - 日本で家庭用ゲームソフトを販売するフランチャイズチェーン本部と流通会社14社がTVゲームビジネス協議会を設立。「PlayStation 2」発売に際し、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStation.comで一般流通より安い価格での直販を開始したことと、フランチャイズチェーン本部へのバックマージンを廃止したことに対する危機感が背景にあった[49]。なおTVゲームビジネス協議会は2002年4月にGRA(GAME RETAILERS ASSOCIATION)に名称を変更した[50]。
- 5月30日 - セガがドリームキャスト向けにゲーム配信サービス「ドリームライブラリ」を開始[51]。クラシックタイトルのダウンロード販売の先駆け。
- 6月15日 - 青少年の精神に悪影響を与えるからという理由で、中国政府が中国国内向けの外国製ゲーム機の製造・販売を禁止した[52][53]。
- 8月3日 - セガがドリームキャスト用ソフトのレンタルを「TSUTAYA」において2000年9月30日から開始すると発表[54]。
- 8月3日 - コーエー『真・三國無双』。真・三國無双シリーズの第1作。前作の三國無双は対戦型格闘ゲームであったが、本作から複数の敵と戦う三人称視点のアクションゲームとなっている。無双系と呼ばれる新たなジャンルを確立したとされる。
- 9月20日~21日 - 第1回CEDECが開催される。
- 10月1日 - 日本において国立国会図書館法の一部を改正する法律が施行され、コンピュータゲームソフトを含むパッケージ系の電子出版物に納本義務が課せられた。
- 10月8日 - 韓国でeスポーツ大会「World Cyber Games」の第1回(World Cyber Games Challenge)が開催される[55]。
- 11月 - ハドソンがフランスのアンフォグラム社と合弁で「アンフォグラムハドソン株式会社」を設立。
- 12月19日 - バンダイ「ワンダースワンカラー」発売。
- Blizzard Entertainment社『DIABLO2』。以後のゲームに影響を及ぼした要素が多数散見される。
- 2001年
-
- 1月26日 - NTTドコモがJava機能「iアプリ」搭載携帯電話「503i」シリーズを発売。日本において携帯電話上で動作するコンピュータゲームの市場が生まれる。
- 3月21日 - 任天堂「ゲームボーイアドバンス」。
- 3月27日 - ゲームソフト販売店チェーン・カメレオンクラブを展開する株式会社上昇に中古ソフトの販売中止を要求したため権利不存在確認訴訟を起こされたエニックスに対し、東京高裁は控訴を棄却。[56]さらに3月29日にはカプコン、コナミ、スクウェア、ナムコ、ソニー・コンピュータエンタテインメント、セガの6社によるテレビゲームソフトウェア流通協会加盟会社への訴訟において、大阪高裁が小売側勝訴の判決を下す。[57]これらにより、日本における中古ゲームソフト売買が合法であるというコンセンサスが出来上がる。
- 3月31日 - セガが「ドリームキャスト」の製造を打ち切り、ハード事業から完全撤退。
- 4月2日 - エス・エヌ・ケイが民事再生法を申請(10月31日に破産宣告)。エス・エヌ・ケイが開発したゲームの版権は、10月30日の入札でSNKプレイモアが落札。
- 8月1日 - 公正取引委員会がソニー・コンピュータエンタテインメントに対し、「PlayStation」ソフトウェア販売に関する独禁法違反(再販売価格維持)について排除措置命令を審決。[58]
- 9月14日 - 任天堂「ニンテンドーゲームキューブ」。
- 11月15日(日本は2002年2月22日、欧州は2002年3月14日) - マイクロソフト「Xbox」。Xbox Liveが開始。
- 『ファイアーエムブレム』の類似作品であるとして任天堂より警告を受けていた発売予定ソフト『エムブレムサーガ』(当初名称)が『ティアリングサーガ』とタイトルを変えて発売されたことに対し、発売元であるエンターブレインなどを相手取り、任天堂などが著作権と不正競争防止法に関する訴訟を起こす。詳細はファイアーエムブレムを参照。
- コナミによるプロ野球のゲーム化権利や音楽ゲームの特許の独占、他社製品名による登録商標の申請が問題となる。プロ野球のゲーム化権利については、他社製野球ゲームへの再許諾を遅延させるなどの行為が行われ、後に公正取引委員会より独占禁止法に基づく警告を受けた[59]。
- 2002年
-
- 2月 - 日本テレビゲーム商業組合結成。かねてより乱立状態にあったゲームソフト販売店関係団体の統合が果たされる。
- 4月25日 - 最高裁が中古ゲームソフト売買を合法と判断。日本における中古ゲームソフトを巡るゲームソフトメーカーと小売業者間の法廷闘争が終結。[60]
- 4月25日 - ドイツでエアフルト事件が発生。犯人の少年が『カウンターストライク』に耽溺していたことから、暴力的な内容のコンピュータゲームの規制を強化する動きが起き、青少年保護法の制定とソフトウェア事前審査機構(USK)の設置に繋がった[61]。
- 6月1日 - 岩田聡が山内溥の指名により、任天堂の代表取締役社長に就任した。任天堂は創業して以来、山内家の同族経営であったため、入社2年目の岩田の就任は異例の人事とされた。
- 6月 - 日本においてコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)が発足し、同年10月から活動を開始。これ以後の日本の家庭用ゲーム機用ソフトは対象年齢などのレイティング審査が課せられるようになる。
- 7月 - ギリシャにおいて全てのコンピューターゲームの所持・利用を禁止する法律(ギリシャ法第3037号)が制定される(2004年廃止)。
- 7月12日 - バンダイ「スワンクリスタル」。
- 8月12日 - セガがPC用ゲームソフトのオンライン・レンタルシステム「B-CLUB」をISP向けに開始[62]。
- 10月30日 - 欧州において任天堂と現地ディストリビュータ7社がゲーム機とゲームソフトの並行輸入を妨害したとして、欧州委員会が任天堂らに対し合計1億6780万ユーロの課徴金を決定。そのうち首謀者と認定された任天堂に課せられたのは1億4912万8千ユーロ[63]。
- 11月21日 - 任天堂『ポケットモンスター ルビー・サファイア』。ポケモンの関連商品の販売などを行う事業を『ポケモン』という略称をそのまま使って社名にし、分社化(株式会社ポケモン)。
- 日本のゲーム市場が前年比で1000億円近い減収となり、日本における市場縮小が顕著化し始める(ゲーム離れ)。同時期の欧米市場は大規模な拡大を見せるとともに欧米製ソフトが市場に普及、日本の世界シェアが著しく低下する。
- 2003年
-
- 1月21日 - セガ『甲虫王者ムシキング』。昆虫相撲とトレーディングカードを取り入れたアーケードゲーム。男児を中心にヒットし、ブームを巻き起こした。
- 2月14日 - 任天堂「ゲームボーイアドバンスSP」。
- スクウェアが任天堂との対立関係を解消する。同社は任天堂系ハードにおける、ソフト供給を再開する。
- 4月1日 - スクウェアとエニックスが合併、スクウェア・エニックスとなる。
- 9月12日 - Valveが「Steam」クライアントの初版を公開。[64]当時のSteamはオンラインゲームの更新用プラットフォームであった。
- 10月29日 - Infinity Ward、アクティビジョン『コール オブ デューティ』。コール オブ デューティシリーズの第1作。最も売れたファーストパーソン・シューティング(FPS)シリーズ。
- 9月30日 - 任天堂、「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」の生産およびディスクカード書き換えサービスを終了。
- 11月26日 - コンビニエンスストアへのゲーム流通を確立させたデジキューブが破産し、解散。デジキューブ出版部門の一部は、スクウェア・エニックス出版部門に、著作権とともに吸収される。
- 汎欧州ゲーム情報(PEGI)が設立される。欧州におけるコンピュータゲームのレイティング審査機関。
- 日本における市場規模が5000億円を下回る。
- 2004年
-
- 2月14日 - 任天堂が、ファミコン生誕20周年企画として、『ファミコンミニ』シリーズ(過去の名作ファミコンソフト)をゲームボーイアドバンスで完全復刻。
- E3にて任天堂がそれまでの非ゲームユーザーもターゲットとした新機軸の携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を発表。同イベントにてソニー・コンピュータエンタテインメントは「PlayStation Portable」を発表し、任天堂のゲームボーイアドバンスの牙城に挑もうとする。
- 9月21日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation Portable」の重大な発表をすることをこの日に予告。しかし同日に任天堂が対抗するような形で「ニンテンドーDS」の発売日と価格を発表し、ソニーの発表会は予定より遅れて開始され有耶無耶のまま終了する(空白の17分間)。
- 10月1日 - セガとサミーが経営統合、セガサミーホールディングス設立。
- 11月21日(日本では12月2日) - 任天堂「ニンテンドーDS」発売。
- 11月27日 - スクウェア・エニックス『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』。360万本を超える本数を販売、PlayStation 2用ソフトとして日本国内1位の記録を樹立。
- 12月12日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Portable」(PSP)。DSとともに年末に発売され、携帯型ゲーム機戦争として年末商戦の話題となる。ちなみにPSPは任天堂以外の他社製の携帯型ゲーム機で最初から完全カラー表示となるのはゲームギアから約14年振りとなる。
- 12月16日 - Valve『Half-Life 2』。Steamを介してダウンロード販売が行われ、Steamがゲーム配信プラットフォームとして成立する礎となる。
- 2005年
-
- 4月11日 - コナミがハドソンを傘下に。
- 5月19日 - 任天堂『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』。幅広い年齢層をターゲットとした作品。「脳トレ」ブームの火付け役となる。
- 6月 - Rockstar Games『グランド・セフト・オート・サンアンドレアス』のWindows版用Mod(性行為が可能なミニゲームに関するデータの封印を解除してプレイ可能にするもの)が発端となり、そのゲーム内容とレイティングがアメリカで大きな問題となる(「ホットコーヒー問題」)。
- 6月7日 - Rockstar Games『グランド・セフト・オートIII』(日本でのパブリッシャーはカプコン)が神奈川県に有害図書指定される[65]。
- 9月13日 - 任天堂「ゲームボーイミクロ」。
- 9月28日 - スクウェア・エニックスがタイトーを傘下に。
- 9月29日 - バンダイとナムコが経営統合、バンダイナムコホールディングス設立。
- 11月22日(日本では12月10日発売) - マイクロソフト「Xbox 360」。
- 12月29日- 任天堂『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』。この作品の発売と正月商戦の相乗効果で任天堂の予測を超える爆発的な売上を記録し、翌年1月2日-3日頃には市場在庫を払底、深刻な供給不足に陥る。任天堂から異例の謝罪広告と増産体制構築のアナウンスが出されるが、半年経っても需要が供給を上回る状態が続いた。同様にニンテンドーDSが各メディアに取り上げられるなど社会現象化し、女性や中高年といった既存ゲームユーザー以外の消費者にも普及・浸透する。
- Valveが「Steam」で他社タイトルの販売を開始。
- 新世代株式会社「Xavix PORT」。任天堂「Wii」「Wii Fit」の先駆け的存在。
- 2006年
-
- 1月19日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント『RULE of ROSE』。11月には欧州で発売されたが、EUの司法大臣フランコ・フラッティーニが作中における描写を「みだらで残酷」と評しPEGIのレーティングシステムの変更を求めたり、英国での発売がキャンセルされたりするなど、物議を醸した[66]。
- 3月2日 - 任天堂「ニンテンドーDS Lite」。9000万台以上を売り上げ、同一モデルとしては最も売れたゲーム機である。
- 3月31日 - コナミグループ再編に伴い、ゲーム部門をコナミデジタルエンタテインメントとして分社化。ナムコがバンダイの家庭用ゲーム事業を譲受し、バンダイナムコゲームスへ商号変更。
- 4月20日 - 任天堂『MOTHER3』。任天堂としては発表から発売まで最も時間がかかったゲーム(約12年間)となる。
- 4月25日 - コーエーネットが家庭用ゲームソフトのレンタル事業「RentaNet」を発表[67]。RentaNetは5月から試験運用が行われたが、結局1年足らずで頓挫した[68]。
- 5月31日 - CEROのレーティングが4区分から5区分に細分化される。各区分にアルファベットが付与され、旧来の「18歳以上対象」が「D(17歳以上)」と「Z(18歳以上のみ対象」に2分割され、Z区分の商品は新品・中古品ともに18歳未満の者に販売しないこととされた[69]。
- 11月11日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本・米国で「PlayStation 3」(PS3)を発売。発売当初は品薄が続いた。PS3の発売に合わせ、オンラインサービス「PlayStation Network」(PLAYSTATION Network)も開始される。
- 任天堂、ゲームボーイアドバンスおよびゲームキューブのハード・ソフト開発が終了。
- 11月19日(日本では12月2日発売) - 任天堂「Wii」。2006年末までの販売台数は98万9118台に達し、一気にライバル「PS3」を追い越す。
- 12月12日 - スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』をニンテンドーDSで発売することを発表。ドラゴンクエストシリーズのナンバリングタイトルが約10年ぶりに任天堂プラットフォームに復帰かつ、シリーズ初の携帯型ゲーム機進出。
- 「ニンテンドーDS Lite」のハードおよびソフトが人気となり、長期・過度の品不足状態が続く。
- 国内ゲーム市場規模が1997年の5,332億円以来、過去最高の6,285億円に更新[70]。
- 2007年
-
- 2月22日 - カプコン『モンスターハンターポータブル 2nd』。日本国内でPSP初のミリオンセラーを達成。
- 6月29日 - アップルがアメリカで「iPhone」を発売[71]。
- 7月5日 - マイクロソフトが「Xbox 360」の不具合について、購入日からの無償保証期間を3年に延長。修理費用として10億5000万~11億5000万米ドルを2007年4月~6月期決算に計上した。[72]
- 9月20日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PSP「PSP-2000」。発売から2ヶ月で100万台を達成。
- 9月28日 - セガサターンおよびドリームキャストの修理サポート終了。
- 10月31日 - 任天堂の時価総額が10兆円突破し、日本3位(トヨタ、三菱UFJ FGに続く)となった。DSとWiiの好調から。
- 10月31日 - ファミリーコンピュータ、ディスクシステム、およびスーパーファミコンの修理サポート終了。
- 12月1日 - 任天堂『Wii Fit』。
- 12月2日 - アクティビジョンとヴィヴェンディ・ゲームズが合併し、アクティビジョン・ブリザードが誕生。世界最大のゲームソフト会社となる。
- 12月 - kensington(京仕敦)「Vii」。中華人民共和国で発売されたWiiに似たゲーム機。任天堂のライセンスを受けていないパチモノ機。
- ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)大手のFacebookがアプリケーション開発用のAPI「Facebook Platform」を提供。後の「ソーシャルゲーム」の基礎となる。
- 2008年
-
- 1月22日 - 「Wii」の日本国内における累計販売台数が500万台を突破。PS2を抜き、家庭用ゲーム機最速の60週で達成。
- 1月31日 - 任天堂『大乱闘スマッシュブラザーズX』。シリーズで初めて任天堂以外のキャラクターであるソリッド・スネーク(メタルギアシリーズ)、ソニック・ザ・ヘッジホッグ(ソニックシリーズ)がプレイヤーキャラクターとして登場している。
- 2月19日 - マイクロソフト、インテル、AMD、NVIDIAによってPC Game Allianceが設立。
- 3月25日 - Wiiオリジナルソフトオンライン販売『Wiiウェア』のサービス開始。
- 3月27日 - カプコン『モンスターハンターポータブル 2nd G』。わずか1ヶ月で200万本以上を売り上げ、『モンスターハンターポータブル 3rd』発売までPSPで最も売れたソフトであった[73]。
- 4月10日 - 任天堂『マリオカートWii』。世界で最も売れたレースゲーム作品。
- 7月11日 - アップル「App Store」開始。
- 10月23日 - Google「Android Market」(現・Google Play)開始。
- 10月16日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PSP「PSP-3000」。携帯機器でも最高クラスの液晶ディスプレイを搭載。
- 11月1日 - 任天堂「ニンテンドーDSi」。画面を拡大、カメラ・SDカードスロット搭載。
- 12月10日 - スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン』をWiiで発売することを発表。異例の前作(『DQ9』)発売前の新作発表。
- 2009年
-
- 2月12日 - ミッドウェイゲームズが倒産。
- 3月6日 - 世界全体におけるニンテンドーDSシリーズの累計販売台数が1億台を突破。
- 3月23日 - Zeebo「Zeebo」を発表。ブラジル資本による新興国向けの安価なゲーム機で、携帯電話の部品をベースに作られており、ゲームソフトは3Gネットワークを利用しオンラインで販売された[74]。しかし2011年には販売が終了した[75]。
- 6月3日 - E3にてPSPの新モデル「PlayStation Portable go」を発表。外見とともにUMDを廃止しソフトウェアはオンライン販売のみであるなど、概要が公表される。
- E3にて、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPS3に「PlayStation Move」、マイクロソフトがXbox 360に「Natal(後のKinect)」という新インターフェイスの導入を発表。Wiiへの対抗を見せる。また、任天堂は「Wiiバイタリティセンサー」を発表(しかし開発に躓き商品化されず)。
- 7月11日 - スクウェア・エニックス『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』。『ドラゴンクエストシリーズ』で最多の初週売上本数を記録する。また搭載された「すれちがい通信」機能を使った遊びが注目された[76]。
- 8月19日~23日 - コンピュータゲームの見本市であるgamescomの第1回がドイツのケルンで開催される。
- 9月3日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PS3「CECH-2000」発売。従来モデルの問題点だったサイズや価格を改善し、販売台数を持ち直す。
- 10月27日 - Riot Games『League of Legends』運営開始。
- 11月1日(北米では10月1日発売) - ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Portable go」。
- 11月21日 - 任天堂「ニンテンドーDSi LL」。それまでの携帯型ゲーム機の流れとは異なる「大型化・大画面化」。
- 12月10日 - サン電子が2007年に経営破綻した日本テレネットが開発したゲームの版権を取得。
- 12月11日 - Rovio Entertainment『アングリーバード』がApp Storeで販売開始。翌2010年に世界的大ヒットとなる。
- 成長を続けてきた北米ゲーム市場が減収となる。
2010年代
- 2010年
-
- 2月17日 - 主にケイブのアーケードゲームの販社であったエイエムアイが倒産[77]。
- 3月23日 - 任天堂「ニンテンドー3DS」を同年のE3で公開すると発表。
- 4月1日 - テクモがコーエーに吸収合併され、コーエーテクモゲームス設立。
- 4月3日 - アップルがタブレット型コンピュータ「iPad」を米国で発売。これをきっかけにタブレット型端末の普及が進み、モバイル端末向けゲーム市場が拡大する。
- 4月27日 - 梅原大吾が日本人としては初のMadCatzからプロ契約を締結しプロゲーマー(プロ格闘ゲーマー)となった。
- 6月15〜17日(北米時間) - E3にて、任天堂「ニンテンドー3DS」、ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Move」、マイクロソフト「Kinect」の実物がそれぞれ出展・展示される。
- 9月15日(欧州時間。北米では9月17日、日本では10月21日発売) - ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation 3」の新インターフェイス「PlayStation Move」。
- 9月18日 - 任天堂『ポケットモンスター ブラック・ホワイト』。日本ゲーム史上における最多の初週売上を記録(263万本。ただし、この記録は2本合計の記録であり、1本としての記録は『ファイナルファンタジーVIII』が最多)。
- 11月4日(日本では11月20日発売) - マイクロソフト、「Xbox 360」の新インターフェイス「Kinect」。
- 12月1日 - カプコン『モンスターハンターポータブル 3rd』。わずか2ヶ月で前作を超える売り上げ[73]となり、2011年2月末には日本のサードパーティーで最も売れたゲームソフトとなる。
- 世界市場の50%を占めていた日本市場は10%にまで低下した[78]。
- 2011年
-
- 1月27日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「NGP(後の「PlayStation Vita」)」と「PlayStation Suite」(現・PlayStation Mobile)を発表。
- 2月13日 - 『Sid Meier's Civilization IV』「Baba Yetu」がゲーム音楽史上初となるグラミー賞(第53回グラミー賞)を受賞[79]。
- 2月26日 - 任天堂「ニンテンドー3DS」発売。
- 3月9日 - マイクロソフト「Kinect」の世界販売台数が1000万台を超えたことと、「世界最速で1000万台を販売した家庭用電化製品端末」としてギネス世界記録に認定されたことを発表。
- 3月 - パナソニックが2010年に発表した携帯型ゲーム機「The Jungle」の開発を中止した。
- 4月1日 - ハドソンがコナミの完全子会社となる。
- 4月 - 17〜19日にかけて、PlayStation Networkで大規模なクラッキングおよびそれによる大量の個人情報流出が起き、21日から同サービスを停止し、再開まで1ヶ月強を要した。被害対象が7000万人を超える史上最悪の個人情報流出事件となる(PlayStation Network個人情報流出事件)。
- 4月25日 - 任天堂「Wii」の後継機となるゲームハード(後の「Wii U」)を同年のE3で公開すると発表。
- 6月 - コンピュータゲームの実況プレイを専門でライブストリーミングするウェブサービス「Twitch」が「Justin.tv」(2007年サービス開始)から分離する形で始まる。
- 6月7〜9日(北米時間) - E3にて、ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Vita」の正式名称・価格などを発表。任天堂「Wii U」の名称および仕様を発表するとともに実物を展示する。
- 8月11日 - 任天堂「ニンテンドー3DS」の定価を日本で1万円値下げ(後に海外市場でも順次値下げされる)。
- 10月14日 - アップルが「iPhone 4S」を発売。自然言語処理システム・Siriを搭載している。処理速度の向上により、ゲーム機としても評価された。
- 11月18日 - Mojang『Minecraft』。2019年にそれまで売上1位だったテトリスを抜き世界で最も売れたゲームとなった。
- 12月6日 - TCG業界からの新規参入であるブシロードがソーシャルゲームサービス『ブシモ』の正式運用を開始。最初のタイトルは『BOUND MONSTERS(バウンドモンスターズ)』と『恋愛リプレイ』。
- 12月17日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Vita」発売(任天堂以外の同じ他社製のハードメーカーで次世代の携帯型ゲーム機が発売されたのはこれが初めて。ネオジオポケットとワンダースワンは最初はモノクロ表示であったが、後にカラー表示化をしたマイナーチェンジ版が発売をした)。
- 「Wii」の日本市場における年間の本体販売台数が全盛期(2007年)の3分の1未満にまで減少し、次世代機への世代交代を待たずに競合相手の「PlayStation 3」に年間の本体販売におけるトップシェアを奪われる。[80]
- 2012年
-
- 1月 - 任天堂『Wii Fit』と『Wii Fit Plus』の合計が「世界一売れた体重計」としてギネス世界記録に認定される。
- 2月20日 - ガンホー・オンライン・エンターテイメントから『パズル&ドラゴンズ』が配信開始。
- 3月1日 - ハドソンがコナミグループに合併吸収された。
- 4月1日 - チュンソフトがスパイクを吸収合併しスパイク・チュンソフトを発足。
- 4月26日 - 任天堂が2012年3月期通期連結決算を発表。最終損益が432億円の赤字となり、1962年の上場以来で初めて赤字に転落した。[81]
- 5月5日 - ソーシャルゲームの「コンプリートガチャ」について消費者庁が景品表示法違反とする方針である旨を読売新聞が報道。これを受けて5月9日にはグリーとディー・エヌ・エーがソーシャルゲーム内でのコンプガチャを終了する方針を発表。5月25日にはNHN Japan(当時)、グリー、サイバーエージェント、ディー・エヌ・エー、ドワンゴ、ミクシィから成る6社協議会が「コンプリートガチャガイドライン」を発表した。[82]
- 7月2日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントがクラウドゲーミングサービスGaikaiを買収。
- 7月3日 - LINEがプラットフォーム化。
- 7月10日 - 米国クラウドファンディングサイトKickstarterにてAndroid家庭用ゲーム機「Ouya」プロジェクトが発表され、記録的な資金を獲得し話題となる。以後新興ベンチャー企業によるAndroidゲーム機の発表が相次ぐ。
- 7月28日 - 任天堂「ニンテンドー3DS LL」発売。
- 8月 - Kickstarterにてヘッドマウントディスプレイ「Oculus Rift」が発表。
- 9月20日 - 「世界初のWi-Fiクラウドゲーム機」としてブロードメディア「G-cluster」を発表。2013年6月20日に発売された。
- 11月8日 - ソーシャルゲームの自主規制、青少年等への啓発、カスタマーサポート品質向上のための活動を行う業界団体「一般社団法人ソーシャルゲーム協会」(JASGA)の発足が発表される。[83]
- 11月18日 - 任天堂が北米で「Wii U」を発売(欧州は11月30日、日本は12月8日)。
- 12月7日 - 任天堂がカナダで「Wii」の廉価版モデル「Wii Mini」を発売(2013年5月には欧州、2013年11月には米国でも発売)。
- 12月20日 - THQが倒産。
- テンセントのゲーム部門の売上高がエレクトロニック・アーツやアクティビジョン・ブリザードを抜き、世界一となった[84]。
- 2013年
-
- 1月7日 - CES 2013にてGPUメーカーNVIDIAがAndroid搭載の携帯型ゲーム機「Project SHIELD」を発表。同じくCESにてSteamを運営するValveが同社のリビング向けSteam専用ゲーミングPC規格「Steam Box」(「Steam Machine」)に準ずる小型機「Piston」を発表。
- 2月21日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation 4」を発表。Twitter、Facebook、Ustream、Twitch等のソーシャル・ネットワーキング・サービスや動画共有サイトとの連携の強化を謳った。
- 3月22日 - テンセントがEpic Gamesを傘下に置く[85]。
- 5月13日 - ガンホー・オンライン・エンターテイメントの時価総額が1兆5455億円に達し、一時的に任天堂を上回った。
- 5月21日 - マイクロソフトが「Xbox One」を発表。Kinectを標準装備し、スマートテレビ機能の強化を謳った。
- 6月 - エドワード・スノーデンがアメリカ政府機関によるインターネット上での情報収集工作活動をマスメディアに暴露。これをきっかけとして、マイクロソフト、Yahoo!、Google、Facebook、PalTalk、YouTube、Skype、AOL、AppleなどのIT企業が情報収集工作活動に協力していたことが判明。
- 6月10日 - E3に際して開催されたプレスカンファレンスにおいて、マイクロソフトが「Xbox One」の価格を発表。続いてソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStation 4の本体デザインと価格を発表するとともに、PlayStation 4用パッケージソフトウェアの中古流通承認・DRMの不適用を発表。
- 6月19日 - マイクロソフトが「Xbox One」のパッケージソフトウェアに適用すると発表していたDRMを撤回。
- 6月25日 - 北米・英国小売店にて「Ouya」の販売が開始される。
- 6月27日 - インデックスが民事再生手続を申請。のち、11月1日付けでセガの100%子会社であるインデックス(セガドリームより社名変更、のちアトラス)に「アトラス」ブランドを含む大半の事業を譲渡。
- 7月 - 『League of Legends』のゲーマーが米政府からスポーツ選手と認定された[86]。
- 7月31日 - NVIDIAが北米で「SHIELD」の販売を開始。
- 9月17日 - Rockstar Games『Grand Theft Auto V』。「24時間で最も売れたビデオゲーム」としてギネス世界記録を樹立。
- 9月24日 ^ マイクロソフトが中国のIPテレビ会社である百視通新媒体と合弁会社上海百家合情報技術発展を設立し、中国でのゲーム機の生産・販売解禁に向けて準備を始める[53]。
- 10月10日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本で「PlayStation Vita」の新型モデル「PCH-2000」を発売。
- 10月12日 - 任天堂が北米・欧州・豪州で「ニンテンドー3DS」の廉価版モデル「ニンテンドー2DS」を発売。
- 10月17日 - マイクロソフトが「Xbox 360」の全世界での販売数が2013年9月で8000万台に到達したと発表。[87]
- 10月22日 - 任天堂が「Wii」の生産終了を発表。[88]
- 10月26日 - ソフトバンクが、フィンランドを拠点とするモバイル端末向けゲーム事業大手のSupercell社を15.3億ドルで買収すると発表。[89]
- 10月31日 - ValveがSteamのユーザー登録数が6500万人を突破(前年比30%増)したと発表。
- 11月14日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本で「PlayStation Vita TV」を発売。
- 11月15日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが北米で「PlayStation 4」を発売(欧州主要国、豪州等は11月29日)。
- 11月15日 - PlayJam「GameStick」。
- 11月22日 - マイクロソフトが北米・欧州主要国・豪州で「Xbox One」を発売。
- 12月9日 - アメリカ国家安全保障局(NSA)が少なくとも2006年頃からオンラインゲームの盗聴を行っていたことをThe New York Timesが報道。[90]
- 12月13日 - ValveがSteamOSのベータ版を公開。
- 国際年齢評価連合が設立された。
- 2014年
-
- 1月7日 - CES 2014にてソニー・コンピュータエンタテインメントがクラウドゲーム提供サービス「PlayStation Now」を発表。
- 2月22日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本で「PlayStation 4」を発売。
- 3月14日 - ハムスターが日本物産のゲームの権利を取得。
- 3月25日 - Facebookが「Oculus Rift」を開発するOculus社を20億ドルで買収[91]。
- 3月25日 - 日本のスマートデバイス用ゲーム市場が家庭用ゲーム市場の2.2倍となった[92]。
- 3月31日 - PlayStationおよびPlayStation Oneの修理サポート終了。
- 4月2日 - Amazon.comがセットトップボックス「Fire TV」を発表[93]。
- 4月21日 - 上海市政府が上海自由貿易試験区内でゲーム機の生産・販売を正式に解禁。ただし事前審査を経ての許可制[53]。
- 4月28日 - KADOKAWAがフロム・ソフトウェアを完全子会社化。
- 5月14日 - KADOKAWAとドワンゴがKADOKAWA・DWANGOを設立。
- 5月26日 - ソニーの子会社である索尼(中国)と上海東方明珠(集団)の子会社である上海東方明珠文化発展が上海自由貿易試験区に合弁会社として上海東方明珠索楽文化発展と索尼電脳娯楽(上海)を設立することが判明[94][95]。
- 9月4日 - マイクロソフトが日本で「Xbox One」を発売。
- 9月15日 - マイクロソフトがMojangの買収を発表[96]。
- 9月29日 - マイクロソフトが中国で「Xbox One」を発売し、2000年に禁止されて以来14年ぶりに中国で据え置き型ゲーム機が正規販売される[97]。
- 10月11日 - 任天堂、ニンテンドー3DSの上位モデル「Newニンテンドー3DS」を発売。
- 国内ゲーム市場規模が過去最高の1兆1,925億円に更新[98]。
- 2015年
-
- 3月17日 - 任天堂がディー・エヌ・エーとの提携を発表し、スマートフォン向けアプリケーションへの参入と新ハード「NX(後のNintendo Switch)」の開発を表明。
- 4月1日 - セガが商号をセガゲームスへ、バンダイナムコゲームスが商号をバンダイナムコエンターテインメントへそれぞれ変更。
- 国内ゲーム市場規模が過去最高の1兆3,591億円に更新[99]。
- 2016年
-
- 2月27日 - 任天堂「ニンテンドー2DS」を『ポケットモンスター 赤・緑』20周年のキャンペーン品として日本でも発売。
- 3月 - Oculus社、「Oculus Rift」を発売。
- 3月17日 - 任天堂、初めてのスマートフォン用アプリケーションとしてソーシャルゲーム『Miitomo』をリリース。
- 4月1日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントがソニー・インタラクティブエンタテインメントに商号を変更。
- 4月5日 - HTC、「HTC Vive」を発売。
- 7月6日 - オーストラリア、ニュージーランド、アメリカで『Pokémon GO』を先行サービス開始。モバイルゲームとして配信初月のダウンロード数最多記録などで、5つのギネス世界記録に認定された。
- 9月15日 - 任天堂、日本における「ニンテンドー2DS」の一般販売を開始。
- 10月13日 - ソニー・インタラクティブエンタテインメントが「PlayStation VR」を発売。
- 11月10日 - ソニー・インタラクティブエンタテインメントが「PlayStation 4 Pro」を発売。
- 10月20日 - 任天堂、「Nintendo Switch」を正式に発表。
- 国内ゲーム市場規模が過去最高の1兆3,801億円に更新[100]。
- 2017年
-
- 3月1日 - マイクロソフトが「Xbox Game Pass」を発表。
- 3月3日 - 任天堂が「Nintendo Switch」を発売。
- 7月13日 - 任天堂が「Newニンテンドー2DS LL」を発売。
- 7月25日 - Epic Games『フォートナイト』有料早期アクセス版。9月25日にバトルロイヤルの早期アクセス版が開始。同時接続プレイヤー数が最も多いビデオゲームとしてギネス世界記録に認定された(1080万人)。
- 11月7日 - マイクロソフトが「Xbox One X」を発売。
- 2018年
-
- 7月21日 - 国際オリンピック委員会(IOC)がeスポーツと五輪運動の今後をテーマにしたフォーラム(討論会)を開催[101]。
- 2019年
-
- 3月19日 - 「Google Stadia」を発表。
- 3月25日 - 「Apple Arcade」を発表。
- 4月16日 - マーク・サーニーは次世代PlayStationについて言及した[102]。
- 5月17日 - ソニーとマイクロソフトは戦略的提携に向けた意向確認書を締結した[103]。
- 7月10日 - 任天堂が「Nintendo Switch Lite」を発表。
- 9月20日 - 任天堂が「Nintendo Switch Lite」を発売。
2020年代
- 2020年
-
- 3月 - アタリが四半世紀ぶりにゲーム機業界に復帰し、「Atari VCS」を発売。
- 10月10日 - マテルがゲーム機業界に復帰し、「Intellivision Amico」を発売予定。
- 年末商戦期 - ソニー・インタラクティブエンタテインメントが「PlayStation 5」を発売予定。
- 年末商戦期 - マイクロソフトが「Xbox Series X」を発売予定。
- Panicが「Playdate」を発売予定。
脚注
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- ^ 14年の国内ゲーム市場、過去最大に スマホゲームがけん引 「ファミ通ゲーム白書2015」
- ^ 2015年国内ゲーム市場は過去最高の1兆3,591億円 - アプリゲームが牽引
- ^ 2016年の国内ゲーム市場規模は過去最高の1兆3801億円に スマホゲーム含むオンラインPF市場が約75%を占める 6月8日発刊の『ファミ通ゲーム白書2017』より
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