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「内親王」の版間の差分

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2020年7月14日 (火) 20:00時点における版

内親王(ないしんのう、:Princess)は、皇族女子の身位または称号の一つ[1]。または、内親王の身位を与えられた皇族のこと。現行の皇室典範では天皇からみて嫡男系嫡出で2親等以内の女性及び天皇の姉妹に与えられる。かつては、内親王宣下を受けた皇族女子に与えられた。

概要

称号:内親王
敬称 殿下
Her Imperial Highness the Princess

かつての律令制では、天皇皇女および姉妹を内親王(ないしんのう、うちのみこ、ひめみこ)といった。なお、中国では皇女の封号は原則的に「公主」であり、「内親王」は「ひめみこ」の訓に対応するものとして日本で考案されたものとみられる。

明治時代に入り、皇室典範成案が起草されるにあたり、その第35条にて従来の皇女に留まらず、親王妃にも内親王、王妃女王と規定する条文の策定が検討された。しかし、有栖川宮熾仁親王が「名分よろしからず」と述べ、これに反対した。内親王は皇女の称であり、王号は皇統から出たものに限るというのがその理由だった。結果、内親王はその身位の成立以来、皇女の称号として存続した[2]

現在の皇室典範では、天皇の嫡出の皇女および天皇の嫡男系の嫡出の皇孫で女子であるもの(6条)、また、天皇の姉妹(7条)を内親王という。天皇・皇太子の娘である場合、さらに「○宮」の御称号が与えられる。

内親王・女王が皇族以外の臣下に嫁すことを降嫁といい、結婚に際し皇族の身分を失う。また、古語では内親王を母として生まれること、または生まれた子を「皇女腹」(みこばら)といった[3]

また、天皇の嫡出の3親等以遠の女子(天皇の姉妹は除く)は女王という。

現在の内親王

現在、合計3人がその身位にある。

読み 生年月日 現年齢 今上天皇から
見た続柄
世数[4] 御称号
愛子内親王 あいこ 2001年(平成13年)12月1日 23歳 第一皇女子 一世 敬宮
眞子内親王 まこ 1991年(平成3年)10月23日 33歳 皇姪 / 秋篠宮文仁親王第一女子 二世
佳子内親王 かこ 1994年(平成6年)12月29日 29歳 皇姪 / 秋篠宮文仁親王第二女子 二世

近代以降の内親王一覧

読み 続柄 備考
薫子 しげこ 明治天皇第2皇女 (夭折)
韶子 あきこ 明治天皇第3皇女 (夭折)
章子 ふみこ 明治天皇第4皇女 (夭折)
静子 しずこ 明治天皇第5皇女 (夭折)
昌子 まさこ 明治天皇第6皇女 竹田宮恒久王と婚姻
房子 ふさこ 明治天皇第7皇女 北白川宮成久王と婚姻(戦後皇籍離脱)
允子 のぶこ 明治天皇第8皇女 朝香宮鳩彦王と婚姻
聡子 としこ 明治天皇第9皇女 東久邇宮稔彦王と婚姻(戦後皇籍離脱)
多喜子 たきこ 明治天皇第10皇女 (夭折)
成子 しげこ 昭和天皇第1皇女 盛厚王と婚姻(戦後皇籍離脱)
祐子 さちこ 昭和天皇第2皇女 (夭折)
和子 かずこ 昭和天皇第3皇女 鷹司平通に降嫁し皇籍離脱
厚子 あつこ 昭和天皇第4皇女 池田隆政に降嫁し皇籍離脱
貴子 たかこ 昭和天皇第5皇女 島津久永に降嫁し皇籍離脱
甯子 やすこ 三笠宮崇仁親王第1女子 近衞忠煇に降嫁し皇籍離脱
容子 まさこ 三笠宮崇仁親王第2女子 千宗室(裏千家第16代)に降嫁し皇籍離脱
清子 さやこ 上皇第1皇女 黒田慶樹に降嫁し皇籍離脱

[5]

脚注

  1. ^ 新村出広辞苑 第六版』(岩波書店2011年)2063頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂2006年)1862頁参照。
  2. ^ 鈴木正幸『皇室制度』(岩波書店2005年) 63頁参照。
  3. ^ 「大辞泉」(小学館)
  4. ^ 直系尊属の天皇から数えた数
  5. ^ 『皇族 天皇家の近現代史』 小田部雄次 中公新書 2009

参照文献

  • 鈴木正幸著『皇室制度』(岩波書店、2005年) ISBN 4004302897
  • 新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)ISBN 400080121X
  • 松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)ISBN 4385139059

関連項目

外部リンク