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「かもめ (列車)」の版間の差分

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**# 一部の定期列車で減車を実施。
**# 一部の定期列車で減車を実施。
**# なお5月2日から6日までは、JR九州管内の在来線特急列車が全て運休となったため「かもめ」も全列車運休となった。
**# なお5月2日から6日までは、JR九州管内の在来線特急列車が全て運休となったため「かもめ」も全列車運休となった。
** 6月19日:通常ダイヤでの運行再開。ただし週末など運転の臨時列車(81 - 84号)は引き続き運休<ref>{{Cite web|url=http://http://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/info/list/__icsFiles/afieldfile/2020/06/08/200608zairaisenzensenuntensaikai.pdf|title=在来線特急・D&S列車の運転計画変更について|accessdate=2020-6-8|publisher=九州旅客鉄道}}</ref>。
** 6月19日:通常ダイヤでの運行再開。ただし週末など運転の臨時列車(81 - 84号)は引き続き運休<ref>{{Cite web|url=http://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/info/list/__icsFiles/afieldfile/2020/06/08/200608zairaisenzensenuntensaikai.pdf|title=在来線特急・D&S列車の運転計画変更について|accessdate=2020-6-8|publisher=九州旅客鉄道}}</ref>。


===列車名の由来===
===列車名の由来===

2020年6月28日 (日) 23:59時点における版

かもめ
885系「かもめ」(長崎駅) (2011年10月9日)
885系「かもめ」(長崎駅)
(2011年10月9日)
概要
日本の旗 日本
種類 特別急行列車(下記以外)
普通列車(104号の博多駅 - 吉塚駅間)
現況 運行中
地域 福岡県佐賀県長崎県
運行開始 1976年7月11日
運営者 九州旅客鉄道(JR九州)
運営者 日本国有鉄道(国鉄)
路線
起点 門司港駅吉塚駅博多駅
終点 佐賀駅肥前鹿島駅長崎駅
営業距離153.9 km (95.6 mi
使用路線 鹿児島本線長崎本線
車内サービス
クラス グリーン車普通車
座席 グリーン車指定席
普通車指定席
普通車自由席
(詳細は使用車両・編成を参照)
技術
車両 885系電車
787系電車
783系電車(いずれも南福岡車両区
軌間 1,067 mm
電化 交流20,000 V・60 Hz
テンプレートを表示

かもめは、九州旅客鉄道(JR九州)が門司港駅吉塚駅博多駅 - 佐賀駅肥前鹿島駅長崎駅間を、鹿児島本線長崎本線経由で運行する特急列車である。

本項では、東京駅 - 神戸駅間で運行されていた「」および、長崎本線で運転されていた優等列車の沿革についても記述する。

概要

特急「かもめ」は、1976年7月1日に長崎本線と佐世保線全線の電化により、それまで小倉駅・博多駅 - 長崎駅間で運行していた急行「出島」の一部を特急に格上げする形で、7往復で運行を開始した。運行区間の線路容量の都合から、6往復については小倉駅・博多駅 - 肥前山口駅間で佐世保駅発着の特急「みどり」を併結していた。また、残りの1往復に関しては「みどり」編成を「かもめ」の付属編成として連結し、肥前山口駅で増解結していた。

1980年10月1982年11月の2段階に分けて残りの「出島」は「かもめ」に格上げされ、福岡市長崎市を鹿児島本線・長崎本線経由で結ぶ昼行優等列車は「かもめ」に統一された。また小倉駅乗り入れは1980年9月30日をもっていったん終了した後、一部列車が小倉駅発着や門司港駅始発で運行された時期もあった。2005年3月1日に門司港駅始発の列車が博多駅始発に短縮されて以降、特急列車としての博多駅以北への乗り入れは行っていなかったが、2020年3月14日のダイヤ改正で門司港駅 - 佐賀駅間の列車が設定された。

「みどり」との併結は1978年10月2日に全列車で行うようになった後、1985年3月14日に日中の一部列車が単独運行となり、1986年11月1日にはいったん全列車単独運行となった。国鉄分割民営化以降「かもめ」が増発されたのを受けて1988年3月13日に「みどり」との連結が復活し、以後増発されるたびに連結列車が増える傾向にあった。1992年からは「みどり」を連結する列車の一部でハウステンボス駅発着の「ハウステンボス」も連結するようになった。

新型車両の投入が進んだことで1996年3月16日に運行開始当初から使用されていた485系電車は「みどり」を連結する列車のみで用いられるようになり、2000年3月11日には単独運行の列車は885系電車、「みどり」連結列車はそれまで単独運行の列車で使用されていた783系電車に置き換わった。2011年3月12日のダイヤ改正で783系充当の列車のほとんどが787系電車での運行になったのと合わせて「みどり」との連結運行は終了した。

「かもめ」の列車名の由来および使用列車

列車名は海鳥のカモメが由来である。「かもめ」の名称を使用した列車は戦前から運行されており、日本国有鉄道(国鉄)・JRグループでは特急列車の名称として使用されている。なお、戦前は「」と漢字表記であったが、戦後はすべて平仮名表記になっている。

  • 1937年 - 1943年:東京駅 - 神戸駅間を東海道本線経由の特急「」。
    • 特急「」は「富士」「」の運行開始に際して公募されていた愛称で、当時は8位であった。
  • 1953年 - 1975年:京都駅 - 博多駅間、のちに京都駅 - 長崎駅・西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間に変更し、山陽本線・鹿児島本線・日豊本線経由の特急「かもめ」。
  • 1976年以降:主に博多駅 - 長崎駅間の長崎本線特急「かもめ」。

なお、定期の特急列車とは別に海水浴客向けの臨時列車として「かもめ」の名称が使用されたことがあり、1934年夏季に東京鉄道局が発行したパンフレットには他の列車と一緒に藤沢行きに「かもめ」と記載されているほか、1964年から1967年までは房総西線臨時快速列車に起用されたことがある。

特急「かもめ」

運行概況

定期列車は博多駅 - 長崎駅間24往復(1 - 48号)、門司港駅→佐賀駅間下り1本(101号)、博多駅 - 佐賀駅間下り1本・上り2本(下り103号/上り100・108号)、肥前鹿島駅→博多駅間上り1本(102号)と、平日のみ佐賀駅→吉塚駅間上り1本(104号。博多駅からは普通列車)、土曜・休日のみ佐賀駅→博多駅間に上り1本(106号)が運行されている。なお101号は2020年3月14日ダイヤ改正時点で、列車種別を変更せずに博多駅を跨いで運行する唯一の定期運行の在来線特急列車である。

博多駅 - 長崎駅間の列車は、基本的には朝・夕方は毎時2本、日中・夜間は毎時1本運行されている。かつては885系充当列車が毎時1本、時間帯によって787系充当列車が毎時1本運行されるという原則があったが、2020年3月14日のダイヤ改正でこの原則が崩れた。100番台の列車は朝・夜間に運行される。なお2004年3月13日から2018年3月16日までは諫早駅 - 長崎駅間の列車の設定もあり、200番台の号数が与えられていた。

臨時列車は博多駅 - 長崎駅間に5往復設定されており、81 - 84号は土曜・休日など、91 - 96号はゴールデンウィーク・お盆・3連休などに運行される。これとは別に、福岡PayPayドームなどでのコンサートや長崎ランタンフェスティバルの際に「コンサートかもめ」や「ランタンかもめ」の列車名、または「かもめ19〇号」として臨時列車が運行されることがある。さらに、ピーク期には博多駅 - 佐賀駅間の臨時列車が、原則片道のみ5 - 6本程度運行される。佐賀駅発着の臨時列車には60号以降の号数が与えられている。また2014年からは佐賀インターナショナルバルーンフェスタの期間中の早朝に、肥前鹿島駅始発の列車に送り込む車両を用いて、博多駅→肥前山口駅間に下り1本が運行されている。

列車番号は、定期列車の1 - 48号が号数+2000M、100番台が号数+1970M(104号の普通列車区間も同様)である。

停車駅

門司港駅 - 門司駅 - 小倉駅 - 戸畑駅 - 黒崎駅 - 折尾駅 - 赤間駅 - (吉塚駅) - 博多駅 - (二日市駅) - 鳥栖駅 - 新鳥栖駅 - 佐賀駅 - (肥前山口駅) - 肥前鹿島駅 - 諫早駅 - 浦上駅 - 長崎駅

  • ()の駅は一部列車のみ停車。
    • 吉塚駅は104号のみ停車(104号は博多駅から普通列車)。
    • 二日市駅・肥前山口駅については以下の通り。
      • 1・3・41・46・48号:双方とも停車。
      • 5・10・11・14・15・29・30・33・34・37・38・42・44号:二日市駅のみ停車。
      • 上記以外の長崎駅発着列車:肥前山口駅のみ停車。
      • 100番台の列車:肥前鹿島駅始発列車(102号)は肥前山口駅停車・二日市駅通過。佐賀駅発着列車は二日市駅には101・103・108号が停車。
      • なお臨時列車は、80番台・90番台の列車は二日市駅・肥前山口駅とも通過するほか、60号以降の列車も二日市駅は通過する。
  • 以下の駅に臨時停車することがある。
    • バルーンさが駅佐賀インターナショナルバルーンフェスタ期間中に一部の列車が臨時停車。なお、2006年までは下り列車のみだったが、2007年以降は上り列車も設定がなされている。
    • 肥前七浦駅:毎年初夏に行われる「鹿島ガタリンピック」開催日に一部の列車が臨時停車。
    • 湯江駅:JR九州主催の「諫早干拓ウォーク」開催時に一部の列車が臨時停車。かつて通年停車する列車が存在した。
    • このほか、2010年までは佐賀県神埼市の名勝「九年庵」の一般公開期間中に一部の列車が神埼駅に停車していたが、2011年以降は「かもめ」は停車せず、代わりに「みどり(・ハウステンボス)」が停車している。また多良駅にはかつて通年停車する列車が存在し、その後も2018年 - 2019年まではカニのシーズン(主に12月 - 2月)に一部の列車が臨時停車していたが、2019年 - 2020年より臨時停車は中止となった。

使用車両・編成

2020年3月14日現在の編成図
かもめ
← 長崎・佐賀
博多・吉塚・門司港 →
下記以外
1 2 3 4 5 6
G
1・5・9・11・13・23・25・29・33・41・43号
6・10・14・18・20・30・32・34・40・44・48号
1 2 3 4 5 6 7
DX,G G個4 指・b
  • 8両編成で運転される場合がある
103号
100号(ハウステンボス1・10号非運転日)
1 2 3 4 5 6
DX,G G個4 自・b
101号・108号(平日)
1 2 3 4 5 6 7 8 9
G G
  • 4・5号車間は通り抜け不可
101号・108号(土曜・休日)
1 2 3 4 5
G
104号
100号{ハウステンボス1・10号運転日)
1 2 3 4 5 6 7 8
G G
  • 1 - 4号車は100号のみ連結
  • 104号の博多駅 - 吉塚駅間はグリーン車も含め全車自由席

  • 全車禁煙
  • 座席種別は変更される場合がある
凡例
G=グリーン車座席指定席
G個4=グリーン車4人個室(座席指定席)
DX=DXグリーン席(座席指定席)
指=普通車座席指定席
b=普通車4人用ボックスシート(座席指定席。ただし103・100号は自由席)
自=普通車自由席

南福岡車両区に所属する885系電車787系電車783系電車が充当されている。JR九州管内を運行する特急列車の中では唯一、3形式の車両が使用されている。

  • 783系:佐賀駅発着の1.5往復(下り101号/上り104・108号)
  • 787系:博多駅 - 長崎駅間の11往復と佐賀駅発着の1往復(下り1・5・9・11・13・23・25・29・33・41・43・103号/上り6・10・14・18・20・30・32・34・40・44・48・100号)、および博多駅 - 長崎駅間の臨時列車3往復(下り81・91・95号/上り84・92・96号)
  • 885系:上記以外の定期列車、および博多駅 - 長崎駅間の臨時列車2往復(下り83・93号/上り82・94号)

885系は2000年3月11日の車両投入時より使用されている。当初は黄帯の「白いかもめ」編成(1次車・6両編成)で運用されていたが、2次車である青帯の「白いソニック」編成が5両から6両に増結されてからは次第に「白いソニック」での運行が増えた。現在は1次車と2次車は共通運用となっており、1次車は青帯化され、ロゴも「KAMOME EXPRESS」から共通運用を前提とした「AROUND THE KYUSYU」ロゴに変更されている。車両投入以来、博多駅 - 長崎駅間の列車のうち16往復に使われ続けてきたが、2020年3月14日のダイヤ改正で13往復に削減された。

787系は4人用グリーン個室とデラックスグリーン席を備えた7両編成(佐賀駅発着列車は6両編成)で運転されている。なお100号は「みどり1・10号」が「ハウステンボス」を併結する日に限り、783系「みどり」編成+「ハウステンボス」編成で運転される(「かもめ100号」は博多駅に到着後、「みどり1号」の運用に入るため)。

1994年3月のダイヤ改正時に「つばめ」に用いられていた編成が単独運行の列車5往復に投入されたが(当時連結していたビュフェも営業していた)、単独運行の「かもめ」が783系に統一されたことに伴い1996年3月15日をもって撤退した。その後、2001年3月3日に「有明」用の4両編成が博多駅 - 肥前山口駅間の列車1往復に充当されたが、これもこの年の10月5日に撤退していた。2011年3月12日の九州新幹線全線開業に伴い、廃止または大幅削減となった「リレーつばめ」・「有明」用の7両編成から付随車1両を抜いた6両編成が充当され、787系は9年半ぶりに「かもめ」の定期運用に復帰した。なお、885系と783系に予備車が少ないため、それ以前にも臨時列車で運用されたことがある。2014年のダイヤ改正からは従来の6両編成から7両編成に増結された。

783系は、101・108号は平日が旧「にちりん」用の4両編成と、現「にちりん」用の5両編成を連結した9両編成、土曜・休日は現「にちりん」用の5両編成、104号は「みどり」用の4両編成で運行されている。各車両とも中央の乗降口を境に佐賀寄りのA室と門司港寄りのB室に分かれており、駅や車内でもそのように案内されている。2020年3月13日までは104号も「みどり」編成+「ハウステンボス」編成の8両編成で運行されていたが、この列車の由来は鹿児島本線長洲駅始発で運転されていた特急「有明4号」(2014年3月14日までは6号)で、2017年3月4日のダイヤ改正で「ハウステンボス」編成を「かもめ」に変更して、鳥栖駅→吉塚駅間は「有明4号・かもめ104号」として併結運転を行うようになった。その後、2018年3月17日のダイヤ改正で両編成とも「かもめ104号」になったのを経て、2020年3月14日ダイヤ改正で「みどり」編成のみに変更されたものである。また101号は2020年3月14日ダイヤ改正で「きらめき5号」を編入したが、車両がそれまでの787系から「きらめき5号」時代を引き継いで783系に変更となり、折り返しとなる108号も787系から783系に変更された。

1989年の投入当初は、帯色を青と赤で塗り分けた専用編成(7両・全室グリーン車・繁忙期9両)が使用されていた。1990年3月から1994年7月まで、車両愛称の「ハイパーサルーン」にちなみ「ハイパーかもめ」として運転されていた。運転開始時よりカフェテリアの営業も行っていたが、1992年に営業を終了している。

その後、前述の通り1996年に単独運行の「かもめ」は783系6両編成に統一されたが、2000年3月11日に885系が投入されると783系は「みどり」併結列車での運用がほとんどとなり、編成も4両編成となった。ただし、多客期に5両編成で運行したのが2006年9月以降は常態化し、2007年3月18日のダイヤ改正で正式に5両編成に増結された。2011年3月12日のダイヤ改正で「みどり」との併結運行が終了したことに伴い、783系は佐賀駅発着2往復のみの運転に縮小され、編成も再び4両となった。なお、従来用いられていた5両編成は日豊本線で運行される特急列車に転用された。2016年3月26日のダイヤ改正で1往復が5両編成に変更され、2017年3月4日のダイヤ改正で104号が運行を開始した。2018年3月17日のダイヤ改正で783系は104号のみとなったが、2020年3月14日のダイヤ改正で上記の通り787系の運用を1往復置き換えている。

なお885系と783系は諫早駅 - 長崎駅間運転の200番台に充当されたこともあるが、200番台ではグリーン車は締切扱いのため利用できなかった。

1976年から2000年までは485系電車も使用されていた。JR九州は1990年以降、自社所有の485系を外装を赤一色にするなどのリニューアルを施工し、「かもめ」塗装の車両に関しては「KAMOME EXPRESS」の愛称があった。しかし「KAMOME EXPRESS」車両は単独運行の「かもめ」の車両更新が進んだことから1996年に全廃され、その後は2000年の485系撤退まで「にちりん」などで用いられる「RED EXPRESS」車両(「MIDORI EXPRESS」車両が組込まれることもあった[要出典])で運行された。

所要時間

博多駅 - 長崎駅間の所要時間はおおよそ885系が1時間50分前後、787系が2時間前後である。885系と787系の時間差は、主に肥前七浦駅 - 諫早駅間の急曲線連続区間での振り子車と非振り子車の速度制限の格差である。2011年3月12日のダイヤ改正によって新鳥栖駅にも停車するようになったため、改正前より全体的に所要時間がわずかに延びたが、肥前山口駅での「みどり」との連結・切り離しが廃止されたことと、787系は基本的に肥前山口駅を通過するようになったことにより、783系が使われていた時期に比べると格差は小さくなっている。2020年3月14日ダイヤ改正により一部列車は車種変更及び所要時間差減少、787系最速2時間台は1時間50分台へとスピードアップ、885系充当列車は二日市停車列車(下り15・37号/下り28・36号)により博多駅 - 長崎駅の所要時間は885系充当列車13往復平均で増加した。

特急「

1937年7月1日から東京駅 - 神戸駅間で運行を開始した。「」よりも30分先行する時刻で運行されていたが、東京駅は午後に発車、神戸駅は午前に発車し所要時間は「燕」より20分ほど長く、同区間を走っていた「」や、同時間帯を走る「富士」と「櫻」の補助的性格が強い列車であった。

列車は、一・二・三等各車両と洋食堂車で編成されていた。展望車1939年3月まで連結が見送られ、利用率次第ではすぐに臨時列車へ格下げする予定であったといわれている。この「」の設定された頃が、戦前の鉄道の最盛期であった。しかしながら同列車の設定された6日後の7日に盧溝橋事件が起こって日中戦争が勃発し、日本は次第に戦時体制に突入して行き、鉄道を取り巻く環境も変化していくことになり、1943年2月に戦況の悪化に伴い廃止された。なお、戦後の1950年代に東京駅 - 大阪駅間で運行されていた特急列車「はと」は、戦前の「鷗」とほぼ同じ時刻に運行されていた。

長崎本線優等列車沿革

山陽本線・鹿児島本線特急「かもめ」の運行開始

編成の変遷[* 1]
号車番号 1 2 3 4 5 6 7 8 9
三階級制度下での表記。
1953年3月
運転開始
スハニ35 スハ44 スハ44 スロ54 スロ54 スシ47[* 2] スロ54 スロ54 スハフ43
荷三
1953年11月
二等車減車
スハニ35 スハ44 スハ44 スハ44 スシ48[* 3] スロ54 スロ54 スロ54 スハフ43
荷三
1957年6月
軽量客車置換え前
スハニ35 スハ44 スハ44 スハ44 マシ49 スロ54 スロ54 (連結なし) スハフ43
荷三
1957年6月5日博多発以降
10系客車置換え
オハニ36 スロ54 スロ54 スロ54 マシ49 ナハ11 ナハ11 ナハ11 ナハフ11
荷三
1959年7月
食堂車をオシ17形に置換え
オハニ36 スロ54 スロ54 スロ54 オシ17 ナハ11 ナハ11 ナハ11 ナハフ11
荷三
これより二階級制度下での表記。
1961年3月5日[* 4] オハニ36 ナロ10 ナロ10 ナロ10 オシ17 ナハ11 ナハ11 ナハ11 ナハフ11
荷2 1 1 1 2 2 2 2
記号凡例
脚注
  1. ^ 中村光男「かもめ客車覚書き」、『国鉄時代』Vol.13 p.40-46
  2. ^ スシ47は1953年の称号改正によりマシ29形100番台となる。
  3. ^ 食堂車は1954年夏から冷房改造でマシ49となる。
  4. ^ 一等車(1969年以降のグリーン車、1960年までの二等車)をナロ10に置換え。ただし、『鉄道ピクトリアル 1961年3月号 No.116』電気車研究会 p.57 の1月16日付け読者短信によれば、それ以前にナロ10が投入されている。また年末年始にはナハ11が2両増結された。
  5. ^ 運行当時、特別急行列車は座席指定制であり、二等車には当時の特別二等車が充当された。そのため、営業案内上二等車となる。特別二等車#概要も参照されたい。
  • 1953年昭和28年)3月15日:
    1. 京都駅 - 博多駅間を山陽本線・鹿児島本線経由で運転する特急「かもめ」が運行開始。
      • 両線では戦前に「富士」「」といった特急が設定されていたが、戦中の1944年(昭和19年)に「富士」を最後にして廃止されたため、戦後初の同線における特急列車となった。
      • 運行前には山陽特急との仮称があり、新形式の一等展望車の設計等がなされたとされるが(もし実現していた場合は新形展望車が東海道線の特急に使用され、山陽特急にはマイテ39形などの戦前製展望車が転用されていたかもしれないともいわれている)、実際には二等三等車食堂車のみの組成となった。
      • また、運行ダイヤ上では、下りは始発駅の京都駅で、上りは大阪駅東海道本線夜行急行列車「明星」・「彗星」と接続するようにしていた。
    2. 門司港駅 - 長崎駅間を早岐駅大村駅経由で運行する臨時準急列車として、3107・3108列車が運行を開始。鳥栖駅までは熊本駅発着の「407・408列車」に併結されていた。
    • 11月:3107・3018列車が定期列車に昇格。
  • 1954年(昭和29年)10月1日:3107・3108列車単独運行に変更。なお、このとき通称として「ながさき」の名称が与えられる。
  • 1956年(昭和31年)11月19日:従来、広島駅 - 門司駅間を運行していた山陽本線の準急3207・3208列車が延長され、407・408列車と博多駅を介して直通運転を実施。これにより、広島駅 - 長崎駅間を運行する列車番号が405・406列車に変更される。

特急列車の乗り入れの再開

1961年10月1日国鉄ダイヤ改正実施時の編成図
PJRPJRNC
かもめ
← 長崎・宮崎
京都 →
キハ80系特急編成図(2編成併結)
編成 長崎駅発着編成 宮崎駅発着編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
座席[1]
形式 キハ
82
キロ
80
キシ
80
キハ
80
キハ
80
キハ
82
キハ
82
キロ
80
キシ
80
キハ
80
キハ
80
キハ
82
凡例
一等車1969年よりグリーン車)、二:二等車(1969年より普通車)、食:食堂車
  • 長崎駅発着編成:(向日町運転所配置)
  • 宮崎駅発着編成:(向日町運転所配置)
  • 京都駅 - 小倉駅間で併結運転。
  1. ^ 座席車は全席座席指定席
  • 1957年(昭和32年)
    • 6月5日:同日博多発より「かもめ」の三等車をスハ44系客車から「軽量客車」の10系客車に変更。
      • 博多駅方でのデルタ線による編成の回転がしづらいことなどからの採用であったが、急行列車と共通するボックスシートを三等車に用いざるを得なかった。このため、走行区間では海が見える区間より山中を走る区間が多いことや、「つばめ」「はと」と比べ見劣りする編成内容から「『かもめ』でなく『からす』だ」と揶揄やゆされたこともあった。なお、座席が特急用車両の水準に満たなかったのみならず、三等車には冷房も搭載されていなかったが、この当時は、冷房のないおよび座席が特急用車両の水準に満たない車両でも、特急料金を割引く規定が存在していなかったため、通常の特急料金のままであった(冷房がない場合、および座席が特急用車両の水準に満たない場合の割引制度が制定されたのは1961年10月1日以降)。
    • 10月1日:同年7月に東京駅 - 博多駅間で運行を開始した臨時寝台特急列車「さちかぜ」を長崎駅発着に延長。長崎本線に再び特急列車が乗り入れる。
  • 1958年(昭和33年)10月1日:「さちかぜ」を「平和」(へいわ)に名称を変更。
  • 1959年(昭和34年)
    • 7月:「平和」を「さくら」に名称を変更。同時に「さくら」には20系客車が導入される。
    • 9月22日:405・406列車に「ふたば」の名称が与えられる。
  • 1960年(昭和35年)5月1日:以下のように運行体系が変更される。
    1. 長崎本線肥前鹿島駅経由の気動車による準急列車「ながさき」が新設される。この列車は、佐世保線佐世保駅発着の準急列車「弓張」を肥前山口駅で分割運転を行うこととなった。
    2. 「ながさき」・「弓張」の補助列車として博多駅 - 長崎駅間を大村線経由で運行する準急列車出島でじま」運行開始。
    3. 「ふたば」の運行区間を広島駅 - 博多駅間に短縮。以降は山陽本線優等列車沿革を参照されたい。
  • 1961年(昭和36年)
    • 9月1日:「ながさき」が島原鉄道線よりの乗り入れを拡大。下り1本が加津佐発長崎行き、博多駅 - 南島原駅間1往復(ただし、上りは加津佐発)となる。
    • 10月1日サンロクトオのダイヤ改正に伴い、以下のように運行体系が変更される。
    1. 従来京都駅 - 博多駅間の特急「かもめ」の使用車両を特急形気動車であるキハ80系気動車に変更のうえ、運行区間を京都駅 - 長崎駅日豊本線経由宮崎駅間に変更。
    2. 「ながさき」1往復増発し、1往復を門司港駅発着に変更。
    3. 熊本駅 - 長崎駅間を佐賀線経由で運行する準急列車「ちくご」を運行開始。
  • 1962年(昭和37年)9月10日:「ながさき」の門司港駅発着の1往復を小倉駅発着に変更。
  • 1963年(昭和38年)6月1日:「出島」の運行区間を肥前鹿島駅経由広島駅 - 長崎駅間に変更。同時に急行列車に昇格。ただし、広島駅 - 小倉駅間を別府駅発着の「べっぷ」と併結運転。
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月20日:「出島」の運行区間を呉線呉駅 - 長崎駅間に変更し、全区間単独運転となる。
    • 4月10日久大本線経由で別府駅 - 長崎駅・佐世保駅間を運行する急行列車「西九州にしきゅうしゅう」を運行開始。
    • 10月1日:「西九州」の長崎駅発着編成に臨時増結車両として博多駅発着編成を連結開始。

山陽本線・鹿児島本線「かもめ」の廃止まで

1975年廃止時点の編成図
かもめ
← 長崎・早岐
佐世保/京都 →
編成 佐世保駅発着編成(筑豊本線経由) 長崎駅発着編成(博多駅経由)
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
座席 G G D
形式 キハ82 キロ80 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82 キハ82 キロ80 キシ80 キハ80 キハ80 キハ80 キハ82
凡例
G=グリーン車座席指定席、指=普通車座席指定席、D=食堂車
  • 両編成とも向日町運転所所属
  • 京都駅 - 小倉駅間で併結運転。佐世保駅発着編成は早岐駅で進行方向を変える
  • 1965年(昭和40年)10月1日:ダイヤ改正により以下のように変更する。
    1. 「かもめ」の宮崎駅発着編成を鹿児島本線経由西鹿児島駅発着に変更するとともに、食堂車は西鹿児島駅発着編成のみに連結。宮崎駅発着の編成は新設された「いそかぜ」に代替される。
    2. 「ながさき」1往復の運行区間を日豊本線・豊肥本線経由で熊本駅 - 博多駅(ただし、博多行きは三角線三角発)の急行「くさせんり」に吸収。熊本駅 - 別府駅 - 博多駅 - 長崎駅・佐世保駅間を運行する急行列車「九重くじゅう」とする。これにより、「ながさき」が1往復減って3往復となる。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月5日:準急制度改変に伴い、「ながさき」・「ちくご」が急行列車に格上げ。
    • 3月25日:ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
    1. 「出島」に佐世保駅発着の編成を連結開始。
    2. 「西九州」の博多駅 - 長崎駅編成を定期列車化。これにより、「西九州」の運行区間は久大本線(久留米駅)経由別府駅 - 佐世保駅・長崎駅間および二日市駅経由博多駅 - 長崎駅間となる。
  • 1967年(昭和42年)10月1日:「九重」の運行系統を分割し、日豊本線経由別府駅 - 佐世保駅・長崎駅間運行の「べっぷ」とする。
  • 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
    1. 「かもめ」の西鹿児島駅発着編成を筑豊本線経由佐世保駅発着に変更するとともに(両編成の分割・併合は小倉駅で行う)、長崎駅発着編成の食堂車が3年ぶりに復活。西鹿児島駅発着の列車は別に大阪駅 - 西鹿児島駅間運行の「なは」として分離。
    2. 「西九州」の博多駅 - 長崎駅間・「べっぷ」の大分発長崎行き列車・「ながさき」の全列車の名称を変更し、長崎本線急行列車の総称として「いなさ」の名称が与えられ、臨時列車1往復を含めた5往復体制を採る。
    • 黒崎駅 - 原田駅間は筑豊本線経由(60.5km)であると鹿児島本線経由(70.8km)に比べると営業キロで10.3km程度短縮されることや筑豊地域とりわけ現在の飯塚都市圏への便を図るためとされているが、原田駅 - 肥前山口駅間では同じ名前の列車が2本続けて運行されることとなった。なお、この区間の停車駅は鳥栖駅佐賀駅であるが、鳥栖駅は佐世保駅発着編成のみ停車、佐賀駅は双方とも停車した。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月15日:「いなさ」と「ゆのか」の大分駅発を延長し、大分駅発着1往復とする。また、博多発下り1本を増発し、下り7本上り6本となる。
    • 10月2日:「いなさ」の上り博多行き1本を増発し、7往復となる。また、これまで優等列車を含めた全列車が長与駅経由だったが、同日、市布駅経由のルートが新しく完成したため、これ以降優等列車は原則として市布駅経由となる。ただし、線路容量の問題から一部の「出島」・「平戸」が長与駅を経由していた時期はある。
  • 1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線博多駅乗り入れにより、以下のように変更する。
    1. 山陽本線の昼行優等列車は新幹線へ移行する施策がなされたことから、「かもめ」全区間と「出島」の博多駅以東廃止。この廃止から翌年電化されるまでの約1年間、長崎本線を走る昼行特急列車は設定されなかった。
    2. 「いなさ」を「出島」に名称を変更。「出島」山陽新幹線連絡急行列車として、小倉駅発着3往復、博多駅発着7往復の合計10往復となる。
  • 1976年(昭和51年)3月1日:従来無名であった、門司港駅 - 長崎駅・佐世保駅間を佐世保線・大村線経由で運行されていた寝台車連結の夜行普通列車に、「ながさき」の愛称を与える[1]
    • なお、この経路の夜行普通列車の歴史は古く、長崎本線のルートが、それまでの早岐駅・大村駅ルートから現在の肥前鹿島駅ルートになった1934年(昭和9年)12月の段階で、既に門司駅[2] - 長崎港駅(長崎 - 上海間航路接続のための駅で、船の入港しない日は長崎駅止まりとなった)と同じ経路を通る列車として設定されていた。

長崎本線の特急「かもめ」として

1976年運転開始時の編成図
PJRPJRNC
「かもめ」「みどり」
← 長崎・早岐
佐世保/博多・小倉 →
編成 「かもめ」
長崎駅 - 博多駅・小倉駅間
「みどり」
佐世保駅 - 博多駅・小倉駅間
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
座席 G G
形式 クハ481 モハ484 モハ485 サロ481 サハ481 モハ484 モハ485 クハ481 クハ481 モハ484 モハ485 クロ481
座席種類
G=グリーン車座席指定席
指=普通車座席指定席
自=普通車自由席
  • 1976年(昭和51年)7月1日:長崎本線・佐世保線全線電化により、以下のように変更する。
    1. 「出島」4往復を特急列車に格上げ。「かもめ」の愛称を与えエル特急に指定。7往復を設定し、うち3往復が小倉駅発着とし、4往復が博多駅発着となる。
    2. 「かもめ」は6往復で佐世保線佐世保駅発着の「みどり」を併結し、1往復は「みどり」編成を「かもめ」の付属編成として運転。分割・併合は肥前山口駅で行う。
    3. 「出島」は、小倉駅発着を1往復含む6往復とする。なお、気動車による運行であったことから、2往復は島原鉄道加津佐駅へ乗り入れを行う。
    4. また、この改正からしばらくは、優等列車の補完として、長崎・佐世保線内を快速として走る門司港 - 長崎・佐世保間の普通列車が421系電車で1往復(夜の下りと朝の上り)設定された。快速区間では停車駅・速度とも急行とほぼ同じであった。
「みどり」と併結の「かもめ」(文字マーク時代)
  • 1978年(昭和53年)10月2日ゴーサントオのダイヤ改正に伴い以下のように変更する。
    1. 「かもめ」の1往復のみ連結していた付属編成を「みどり」に編入し運転区間を佐世保駅へ延長、全列車「みどり」併結となる。ただし、実際は佐世保線西有田信号場の完成を待って翌1979年から運転開始、それまで当該「みどり」1往復は佐世保線内を運休していた。
    2. 「西九州」別府行きの大分駅→別府駅間を普通列車化。
  • 1980年(昭和55年)10月1日1980年10月1日国鉄ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
    1. 「出島」の3往復を「かもめ」に格上げし、「かもめ」10往復、「出島」3往復体制とする。また小倉駅および島原鉄道線への乗り入れを終了し、全列車博多駅 - 長崎駅間の運行とする。
      • なお、この改正は将来の急行列車の総特急化を前提としたものであったため、「かもめ」の号数には欠番が生じ、「出島」は「かもめ」の欠番を埋める形で運行された。
    2. 「西九州」の運行区間を博多駅 - 大分駅間とし、「由布」に名称を変更。
    3. 「ちくご」を廃止。
  • 1981年(昭和56年)6月7日:長崎本線久保田駅 - 牛津駅間を走行中の「かもめ・みどり」11号が、線路の一部が波打っているのを発見して急停車。「かもめ」の後ろ2両と「みどり」の全編成が脱線した。のちに損傷の激しかった「みどり」の後3両は廃車になった。この事故は国鉄時代に485系電車が事故廃車になった唯一の事例である。
  • 1982年(昭和57年)11月15日1982年11月15日国鉄ダイヤ改正により「出島」の3往復を電車化し、「かもめ」に昇格。「かもめ」が博多駅 - 長崎駅間を13往復体制となる。これにより「出島」を廃止。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:「ながさき」を廃止。
  • 1985年(昭和60年)3月14日1985年3月14日国鉄ダイヤ改正により、「かもめ」の日中の5往復について「みどり」との連結運転を廃止。ただし、運行本数は13往復と変更なし。
  • 1986年(昭和61年)11月1日1986年11月1日国鉄ダイヤ改正により、以下のように変更する。
    1. 「かもめ」と「みどり」は全列車単独運転となる。同時に「かもめ」1往復が小倉駅まで延長される。
    2. 臨時列車の「ながさき」を廃止。

国鉄分割民営化後

  • 1988年(昭和63年)3月13日:「かもめ」を1往復増発し、14往復となる。同時に下り1本で「みどり」との連結運転を再開。小倉駅発着列車は再び消滅。
  • 1989年(平成元年)3月11日:「かもめ」を14往復から18往復に増発(下り4本・上り3本は「みどり」併結)。また、2往復で783系電車(ハイパーサルーン)の使用を開始[3]。またこの列車ではカフェテリアの営業も行われた。
  • 1990年(平成2年)3月10日:「かもめ」を3往復増発し、21往復(下り7本・上り5本は「みどり」を連結)となる。783系充当の5往復を「ハイパーかもめ」と命名。また、この頃から485系を使用した「かもめ」を赤い外観の「KAMOME EXPRESS」(7・8両編成)・「RED EXPRESS」(5両編成)にリニューアルする。なお、原則として「KAMOME EXPRESS」は単独運転の列車に、「RED EXPRESS」は「みどり」との連結列車に用いられた。
    • この頃には高速バスへの対抗策として、途中停車駅を鳥栖駅・佐賀駅・諫早駅の3駅のみとした列車も存在した。
  • 1992年(平成4年)
    • 3月25日:「みどり」併結列車の一部でハウステンボス駅発着の「ハウステンボス」併結開始。
    • 6月1日:「ハイパーかもめ」のカフェテリアの営業終了。
    • 7月15日:「かもめ」を1往復増発し、「ハイパーかもめ」と合わせて22往復とする。また、この日以降多良駅と湯江駅に通年停車する列車はなくなる。
  • 1993年(平成5年)12月1日:いわゆるホームライナー的な運行で毎日運行の臨時列車として博多駅 - 肥前山口駅間を運行する「かもめ」101・102号を新設。使用車両は主に「ハウステンボス」に使用する485系が用いられる。
  • 1994年(平成6年)
    • 3月1日:「かもめ」のうち5往復に「つばめ」用の787系電車を投入[3]し、ビュッフェ営業も行われた。
    • 7月1日:「ハイパーかもめ」の名称を廃止。ただし、一部の駅の発車標などでは「赤いかもめ」と区別するために783系使用列車には「ハイパーかもめ」と表示されることがあった。
  • 1995年(平成7年)4月20日:「かもめ」101・102号を定期列車化し、車両を783系とする。
  • 1996年(平成8年)3月16日:「かもめ」は単独運転列車を783系(17往復)、「みどり」を連結する列車を485系(5往復)に統一。783系の一部編成は「つばめ」・「にちりん」で使用していた編成から転用。これに伴い787系は撤退してビュッフェ営業も終了。485系に関しては「RED EXPRESS」編成のみの運転となる。
  • 1997年(平成9年)11月29日:「かもめ」5号を門司港発とする。

2000年代の動き

2011年3月11日(「みどり」との併結運転最終日)時点の783系編成図
かもめ・みどり・ハウステンボス
← 長崎・早岐・ハウステンボス
佐世保/博多 →
列車名
区間
「かもめ」
博多駅 - 長崎駅間
「ハウステンボス」
博多駅 - ハウステンボス駅間
「みどり」
博多駅 - 佐世保駅間
号車 1 2 3 4 5 7 8 9 10 11 12 13 14
座席 G G G
  • 各号車とも長崎・早岐・ハウステンボス寄りのA室と佐世保/博多寄りのB室に分かれる
  • 「かもめ」「ハウステンボス」の一方を連結しない場合がある
  • 7 - 10号車は「みどり」として運転する場合がある
  • 「かもめ」「みどり(・ハウステンボス)」は肥前山口駅で分割・併合
  • 「みどり」「ハウステンボス」は早岐駅で分割・併合、「みどり」は進行方向を変える
座席種類
G=グリーン車座席指定席
指=普通車座席指定席
自=普通車自由席
  • 2000年(平成12年)3月11日:ダイヤ改正、885系デビューに伴い、以下のように変更する。
    1. 「かもめ」は長崎駅発着列車24往復(5号は門司港駅始発、下り8本・上り7本は「みどり」併結)、肥前山口駅発着列車(101・102号)1往復、佐賀駅発着列車(103・104号)1往復の計26往復体制となる。
    2. 使用車両を、48号を除く長崎駅発着の単独運転の列車16往復および103・104号は885系電車[3]「白いかもめ」、「みどり」併結列車および48・101・102号は783系電車とし、485系電車は「かもめ」から撤退。なお、従来「かもめ」に充当されていた783系は「にちりん」系統および改造の上で「みどり」・「ハウステンボス」に転用され(そのためダイヤ改正直前には「みどり・ハウステンボス」編成で走る「かもめ」も見られた)、この改正からは従来「有明」で使用されていた4両編成(多客期は5両に増結)が充当されるようになる。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月3日:101・102号を787系電車(「有明」用4両編成)での運行とする。787系は5年ぶりに運用復帰。
    • 10月6日:101・102号を783系電車(「ハウステンボス」用4両編成)での運行とする。787系は再び撤退。
  • 2002年(平成14年)
    • 6月:土曜・休日のみ佐賀駅→博多駅間に上り1本増発(106号)。
    • 10月21日:101 - 104号の運行を以下のように変更する。
      1. 101・104号は佐世保駅発着に変更の上で「みどり」に編入(佐賀駅・肥前山口駅 - 佐世保駅間は臨時列車扱い)。号数は変更なしで885系を充当。なお、この列車は翌年3月15日に全区間定期列車化し、車両も783系に変更となる。
      2. 102号は肥前鹿島駅始発に変更(肥前鹿島駅→佐賀駅間は臨時列車扱い)。
      3. 103号は使用車両を783系「ハウステンボス」編成に変更。
  • 2003年(平成15年)
    • 3月:102・103・106号の運行を以下のように変更。
      1. 102・103号は使用車両を885系に変更し、102号は全区間定期列車化。同時に103号は号数を101号とする。
      2. 106号は号数を104号に変更。
    • 7月18日:長崎本線内で「かもめ46号」が落石に衝突し脱線する長崎線特急列車脱線転覆事故が発生。
  • 2004年(平成16年)3月13日:平日のみ諫早駅→長崎駅間に下り1本増発(201号・885系)。
  • 2005年(平成17年)
    • 3月1日:ダイヤ改正により以下のように変更する。
      1. 同日廃止された寝台特急「さくら」の九州内区間が「かもめ」に編入され、博多駅 - 長崎駅間の列車を25往復に増発。門司港駅乗り入れは終了。また、この改正で区間運転の列車を除き、単独運転の列車(16往復)は885系、「みどり」を連結する列車(9往復)は783系での運転に統一された。
      2. 平日のみ長崎駅→諫早駅間に上り1本増発(202号・783系)。
    • 7月11日:長崎本線市布駅 - 肥前古賀駅間で「かもめ3号」の窓ガラスが破損し、乗客6人が負傷。この事故を受けて、783系電車のエンブレムおよびルーバー塞ぎ板は同日中に全て撤去された。のちに塞ぎ板のみ再取付、エンブレムはステッカーになった。
  • 2006年(平成18年)
    • 9月:この頃から、783系で運行する列車は1両増結して5両編成での運行が常態化する。
    • 11月1日:佐賀駅→博多駅間の列車を上り1本増発(100号)。なお100号は翌年3月17日までは臨時列車扱いであった。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日:ダイヤ改正により以下のように変更。
      1. 佐賀駅発着列車を783系2往復(101・103・106・108号)、885系1往復(100・105号)の計3往復に増発。
      2. 783系で運行する列車を所定でも5両編成に増結。ただし佐賀駅発着列車は「きらめき」で使用される4両編成で運行。
      3. 全列車全車禁煙化。
    • 7月1日:運転開始70周年を記念し、大分鉄道事業部大分車両センターの485系を使用した特急「かもめ70周年記念号」(団体扱い)を運転。
    • 博多駅 - 長崎駅間の途中停車駅は鳥栖駅・佐賀駅・肥前山口駅・肥前鹿島駅・多良駅(往路のみ)・湯江駅(復路のみ)・諫早駅・浦上駅。また、長崎駅 - 諫早駅間でも臨時団体列車として運行された。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月15日:ダイヤ改正により以下のように変更。
      1. 同日廃止された寝台特急「あかつき」の九州内区間が「かもめ」に編入され、博多駅 - 長崎駅間の列車を1往復増発し26往復とする。増発分には783系が充てられたが、下り列車は単独運転としたため783系を充当する博多駅 - 長崎駅間の単独運転が復活した。
      2. 201号は増発された博多駅 - 長崎駅間の列車に統合する形で運行終了。
    • 7月頃:エル特急の呼称を中止。
  • 2009年(平成21年)3月14日:783系で運行する佐賀駅発着列車を、博多駅 - 長崎駅間の列車と編成を共通化し5両編成とする。

2010年代の動き

  • 2011年(平成23年)
    • 3月12日:ダイヤ改正により以下のように変更[4]
      1. 博多駅 - 長崎駅間の列車を1往復削減し25往復とする。「みどり」との併結運転は終了し、全列車全区間単独運転となる。
      2. 使用車両を、博多駅 - 長崎駅間の16往復および102・104・202号は885系、博多駅 - 長崎駅間の9往復および101・106号は787系(DXグリーン席連結の6両編成・繁忙期8両編成)、103・105・100・108号は783系「みどり」用4両編成での運行とする。787系は定期運行としては9年半ぶりに運行に復帰、長崎駅には15年ぶりの乗り入れとなる。
      3. 全列車を新鳥栖駅に停車。また二日市駅と肥前山口駅は原則としてどちらか1駅に停車する「千鳥停車」の形を取るようになる。
  • 2014年(平成26年)3月15日:ダイヤ改正に伴い以下のように変更。
    1. 博多駅→佐賀駅間に下り1本増発(103号・787系)。これに伴い、従来の103・105号は105・107号に変更。
    2. 787系で運行する列車を従来の6両編成から7両編成に増結。
  • 2015年(平成27年)
    • 3月14日:車内販売を廃止[5]
    • 5月22日肥前竜王駅で、「かもめ20号」(885系SM11編成)が駅で1番線に停車中に、「かもめ19号」(787系BM8編成)が待避列車と同じ1番線に進入して緊急停止、両車の距離が93mに接近、重大インシデントと認定された[6][7]
  • 2016年(平成28年)3月26日:ダイヤ改正に伴い、107・100号を「にちりん」などに用いられる783系5両編成での運転とする。
  • 2017年(平成29年)3月4日:ダイヤ改正に伴い以下のように変更[8]
    1. 博多駅 - 長崎駅間の列車を1往復増発(うち下り1本は103号を延長)し、2011年3月11日までの26往復体制に戻る。これに伴い105・107号は103号・105号に変更。
    2. 平日のみ佐賀駅→吉塚駅間に上り1本増発(104号・783系「ハウステンボス」編成)。なおこの「かもめ104号」は鳥栖駅→吉塚駅間は長洲駅始発の特急「有明4号」(「みどり」編成)に併結、博多駅→吉塚駅間は普通列車となる。これにより他の列車と併結運転を行う「かもめ」が6年ぶりに、また博多駅以北に直通運転する「かもめ」が12年ぶりに復活。これに伴い従来の104 - 108号は106 - 110号に変更。
  • 2018年(平成30年)3月17日:ダイヤ改正に伴い以下のように変更[9]
    1. 博多駅 - 長崎駅間の列車のうち787系充当の2往復を臨時列車に格下げ。同区間の定期列車は24往復となる。
    2. 103・110号、202号の運行を終了。これに伴い従来の105号は103号に変更。また103・100号は車両を783系5両編成から787系6両編成に変更。
    3. 104号は「有明」との併結を終了し、全区間783系「みどり」編成+「ハウステンボス」編成での運行となる。これにより全列車全区間単独運転に戻る。なお定期運行の「かもめ」で783系を充当するのは104号のみとなる。
    4. 上り列車の佐賀駅 - 博多駅間、一部下り列車の諫早駅 - 長崎駅間で行ってきた、自由席特急券で普通車指定席の空席を利用できるサービスが終了。[10]

2020年代の動き

  • 2020年令和2年)
    • 3月14日:ダイヤ改正に伴い以下のように変更[11]
      1. きらめき5号」を統合する形で101号の運転区間を門司港駅 - 佐賀駅間に延長。これにより、吉塚駅以北に直通運転する「かもめ」が15年ぶりに復活。また列車種別を変えずに博多駅を跨いで運転する在来線定期優等列車の設定が9年ぶりに復活。
      2. 一部列車で車両を変更。博多駅 - 長崎駅間の列車は885系13往復、787系11往復での運行になる。また週末・繁忙期運転の臨時列車5往復も787系のみから885系2往復・787系3往復の併用に変更。これにより、2000年の885系投入より続いてきた「1時間あたり885系を1本、時間帯によっては783系→787系を1本運転」の原則が崩れることになる、佐賀駅発着の列車は、101・108号は787系7両編成から783系9両編成(土曜・休日は5両編成)に変更、104号は783系「みどり」編成のみとする。783系の運用は1.5往復に増加。
    • 3月20日 - 6月18日:新型コロナウイルス感染症による利用客減少に伴い、「かもめ」では以下の通りの対応を行った。なお、社会情勢の変化に伴い随時追加の対応が発表されており、当初発表されていた内容から変更された点も生じた[12][13][14][15][16][17][18][19]
      1. 4月24日以降、博多駅 - 長崎駅間の定期列車3往復(11・15・28・32・36・37号)を運休。
      2. 5月11日以降は、上記の3往復に加えてさらに2往復(14・29・33・44号)を運休。また5・40号は長崎駅発着から佐賀駅発着に変更。
      3. 臨時列車は3月27日の81 - 84号を除いて全て運転中止。
      4. 一部の定期列車で減車を実施。
      5. なお5月2日から6日までは、JR九州管内の在来線特急列車が全て運休となったため「かもめ」も全列車運休となった。
    • 6月19日:通常ダイヤでの運行再開。ただし週末など運転の臨時列車(81 - 84号)は引き続き運休[20]

列車名の由来

五十音順

  • いなさ」…長崎市にある稲佐山(いなさやま)から。
  • 九重」(くじゅう)…経由地である九重連山(くじゅうれんざん)にちなむ。
  • ちくご」…列車経由地である佐賀線の大部分が旧国名令制国上)筑後国(ちくごのくに)の領域にかかることから。
  • 出島」(でじま)…江戸時代オランダ商館所在地であった長崎市にある地名である出島から。
  • ながさき」…目的地である長崎県・長崎市および運行路線である長崎本線にちなむ。
  • 西九州」(にしきゅうしゅう)…目的地である長崎県・佐賀県を指す広域地域名から。
  • ふたば」…広島市にある「二葉山」(ふたばさん)にちなむとされる。
  • べっぷ」…目的地である別府市にちなむ。

脚注

  1. ^ 「ながさき」の列車愛称制定は、旧国鉄の座席指定オンラインシステム「MARS」へ収容するためで、他の全国の座席指定席・寝台車を連結した普通列車に対しても列車愛称を与えた。そのため、従前運行地域のみ発券であった夜行普通列車の寝台券を全国で販売が行われることとなった。また、「ながさき」の愛称は、寝台車が連結されていた長崎発着編成にのみ宛がわれていた。
  2. ^ 門司駅は関門鉄道トンネル開業以降の門司港駅で、現在の門司駅は当時大里駅と称した。
  3. ^ a b c “JR7社14年のあゆみ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 9. (2001年4月2日) 
  4. ^ "平成23年春ダイヤ改正" (Press release). 九州旅客鉄道. 17 December 2010. 2010年12月20日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2017年2月6日閲覧 {{cite press release2}}: 不明な引数|deadlinkdate=は無視されます。 (説明)
  5. ^ “「かもめ」「ソニック」の車内販売3月で終了 JR九州、駅店舗増加で売り上げ減”. 産経WEST (産業経済新聞社). (2015年1月28日). オリジナルの2015年6月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150629133200/http://www.sankei.com/west/news/150128/wst1501280062-n1.html 2015年1月29日閲覧。 
  6. ^ “JR長崎線:わずか93メートルまで…特急同士が衝突寸前”. 毎日新聞. 毎日新聞社. (2015年5月22日). オリジナルの2015年6月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150623174744/http://mainichi.jp/select/news/20150523k0000m040111000c.html 2017年2月6日閲覧。 
  7. ^ 九州旅客鉄道株式会社 長崎線 鉄道重大インシデント (平成27年5月22日発生) 調査報告書 説明資料” (PDF). 運輸安全委員会. 国土交通省 (2016年6月30日). 2017年2月6日閲覧。
  8. ^ 平成29年春ダイヤ改正について” (PDF). 九州旅客鉄道 (2016年12月16日). 2017年3月20日閲覧。
  9. ^ 平成30年3月にダイヤを見直します” (PDF). 九州旅客鉄道 (2017年12月15日). 2017年12月15日閲覧。
  10. ^ JR九州、佐賀→博多間の指定席開放を廃止 「サービス低下」不満の声”. 2018年4月22日閲覧。
  11. ^ 山陽・九州新幹線、特急列車時刻表-2020年春ダイヤ-” (PDF). 九州旅客鉄道. 2019年12月12日閲覧。
  12. ^ 新型コロナウイルス感染拡大に伴う今後の運転計画について”. 九州旅客鉄道. 2020年3月16日閲覧。
  13. ^ “JR九州 新幹線・特急の一部臨時列車運休へ 新型コロナ影響で3月は鉄道収入半減”. 乗りものニュース. (2020年3月13日). https://trafficnews.jp/post/94493 2020年3月18日閲覧。 
  14. ^ 新型コロナウイルス感染拡大に伴う追加の運転計画について(3月24日追加)”. 九州旅客鉄道. 2020年3月20日閲覧。
  15. ^ 新型コロナウイルス感染拡大に伴う追加の運転計画について(4月8日追加) - 九州旅客鉄道(2020年4月8日)
  16. ^ 新型コロナウイルス感染拡大に伴う運転計画について(4月15日更新) - 九州旅客鉄道(2020年4月15日)
  17. ^ 新型コロナウイルス感染拡大に伴う運転計画について (2020年4月21日追加)”. 九州旅客鉄道. 2020年4月21日閲覧。
  18. ^ 新型コロナウイルス感染拡大に伴う追加の運転計画について”. 九州旅客鉄道. 2020年4月21日閲覧。
  19. ^ 新新型コロナウイルス感染拡大に伴う運転計画について(在来線)”. 九州旅客鉄道. 2020年5月8日閲覧。
  20. ^ 在来線特急・D&S列車の運転計画変更について”. 九州旅客鉄道. 2020年6月8日閲覧。

関連項目

外部リンク