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2019年5月場所は自身初の十両での中日勝ち越しを記録。直近6場所の最高成績が8勝であるだけに、この見違えるほどの好調はNHK大相撲中継でも触れられ、[[大道健二|21代音羽山]]から期待を寄せられた。9日目終了時点では兄の貴ノ富士と共に全勝をキープしており、報道でも兄弟による同時各段優勝が期待された<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/20/kiji/20190520s00005000262000c.html 双子の十両・貴源治と幕下・貴ノ富士 同時優勝へ前進] Sponichi Annex 2019年5月20日 17:29(スポーツニッポン新聞社、2019年5月21日閲覧)</ref>。14日目の5月25日、大翔丸を寄り切って13勝1敗として十両優勝を決め、前日に幕下優勝を決めた貴ノ富士と双子同場所優勝となった<ref>{{Cite web|title=珍しい双子同場所V 貴源治初の十両優勝 兄・貴ノ富士も前日幕下優勝|url=https://mainichi.jp/articles/20190525/k00/00m/050/143000c|website=毎日新聞(2019年5月25日)|accessdate=2019-07-26|language=ja|publisher=}}</ref>。この成績によって新入幕が決まり、西前頭10枚目として7月場所を迎えた<ref>{{Cite web|title=貴源治が新入幕 入門6年半での昇進に「長かった。遅かった」/デイリースポーツ online|url=https://www.daily.co.jp/general/2019/06/24/0012456991.shtml|website=デイリースポーツ online(2019年6月24日)|accessdate=2019-07-26|language=ja|publisher=}}</ref>。栃木県からは戦後4人目となる新入幕<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201906230001111.html 豊ノ島と琴勇輝復帰、貴源治うれしい新入幕 新番付] 日刊スポーツ 2019年6月24日6時0分(2019年12月17日閲覧)</ref>。ところがその7月場所は4勝11敗と負け越した。9月場所も負け越し、十両へ陥落した11月場所も5勝10敗で負け越した。 |
2019年5月場所は自身初の十両での中日勝ち越しを記録。直近6場所の最高成績が8勝であるだけに、この見違えるほどの好調はNHK大相撲中継でも触れられ、[[大道健二|21代音羽山]]から期待を寄せられた。9日目終了時点では兄の貴ノ富士と共に全勝をキープしており、報道でも兄弟による同時各段優勝が期待された<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/20/kiji/20190520s00005000262000c.html 双子の十両・貴源治と幕下・貴ノ富士 同時優勝へ前進] Sponichi Annex 2019年5月20日 17:29(スポーツニッポン新聞社、2019年5月21日閲覧)</ref>。14日目の5月25日、大翔丸を寄り切って13勝1敗として十両優勝を決め、前日に幕下優勝を決めた貴ノ富士と双子同場所優勝となった<ref>{{Cite web|title=珍しい双子同場所V 貴源治初の十両優勝 兄・貴ノ富士も前日幕下優勝|url=https://mainichi.jp/articles/20190525/k00/00m/050/143000c|website=毎日新聞(2019年5月25日)|accessdate=2019-07-26|language=ja|publisher=}}</ref>。この成績によって新入幕が決まり、西前頭10枚目として7月場所を迎えた<ref>{{Cite web|title=貴源治が新入幕 入門6年半での昇進に「長かった。遅かった」/デイリースポーツ online|url=https://www.daily.co.jp/general/2019/06/24/0012456991.shtml|website=デイリースポーツ online(2019年6月24日)|accessdate=2019-07-26|language=ja|publisher=}}</ref>。栃木県からは戦後4人目となる新入幕<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201906230001111.html 豊ノ島と琴勇輝復帰、貴源治うれしい新入幕 新番付] 日刊スポーツ 2019年6月24日6時0分(2019年12月17日閲覧)</ref>。ところがその7月場所は4勝11敗と負け越した。9月場所も負け越し、十両へ陥落した11月場所も5勝10敗で負け越した。 |
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12月23日、冬巡業中の12月11日に佐賀県佐賀市で行われた巡業先の病院で診察を受け「[[インフルエンザ]]A型」「少なくとも5日間または解熱後2日間は自宅安静を要する」 |
12月23日、冬巡業中の12月11日に佐賀県佐賀市で行われた巡業先の病院で診察を受け「[[インフルエンザ]]A型」「少なくとも5日間または解熱後2日間は自宅安静を要する」する診断書を提出<ref>{{Cite web|title=インフル力士、冬巡業に出場 貴源治、部長の判断で|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/list/201912/CK2019122402000128.html|website=東京新聞 TOKYO Web(2019年12月24日)|accessdate=2019-12-24|language=ja|publisher=}}</ref>、協会関係者に報告したにも関わらず指示を受け取組を行っていたことが報じられた。師匠の千賀ノ浦は巡業に同行しておらず、二所ノ関一門からは審判部の[[玉春日|片男波]]が同行していた。取材に対して、片男波は病名を知っていたが「私の意見ではない。私の個人的意見では何も決められない」と話しており、『巡業の運営を行う巡業部の指示である可能性が極めて高い』と報じられた。同日、芝田山広報部長が都内で行われた理事会と年寄総会後に取材に応じ、「病院に行って巡業場所に帰ってきたのが取組の寸前だったが、対策が取れなかったのは落ち度だ。貴源治に相撲を取らせて、大変申し訳なかった」<ref>{{Cite web|title=インフル診断の十両力士が取組出場 日本相撲協会が謝罪:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASMDR67CPMDRUTQP01M.html|website=朝日新聞デジタル(2019年12月24日)|accessdate=2019-12-24|language=ja|publisher=}}</ref>と誤りを認め、「春日野(巡業)部長は23日の理事会で、11日は十両力士の巡業最終日で、報告を受けてから取組まで十分な時間がなく、取組を変更するなどの対応ができなかったと説明した」<ref name=":0">{{Cite web|title=インフル感染の貴源治が巡業で相撲 診断書提出も春日野部長が判断|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20191223/sum19122320350002-n1.html|website=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2019-12-23|accessdate=2019-12-23|language=ja-JP}}</ref>と話した。今後は力士や関係者がインフルエンザと診断された場合はすぐに隔離して休ませると理事会で決め<ref>{{Cite web|title=協会「間違いだった」インフル感染貴源治が巡業取組 - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201912230000792.html|website=nikkansports.com(2019年12月23日)|accessdate=2019-12-23|language=ja|publisher=}}</ref>、年寄総会でも確認をしたという<ref>{{Cite web|title=インフル感染の貴源治、冬巡業で取組 相撲協会、申告受けても出場指示|url=https://mainichi.jp/articles/20191223/k00/00m/050/222000c|website=毎日新聞(2019年12月24日)|accessdate=2019-12-24|language=ja|publisher=}}</ref>。 |
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⚫ | 八角理事長は春日野巡業部長から報告を受けて師匠の千賀ノ浦に謝罪し、それが千賀ノ浦から貴源治に伝えられるという<ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/12/23/kiji/20191223s00005000252000c.html|title=芝田山広報部長 インフル感染貴源治に撲を取らせたことは「間違いだった」 理事長が親方に謝罪|accessdate=2019-12-23|publisher=スポニチAnnex(2019年12月23日)}}</ref><ref>{{Cite web|title=インフルと診断の力士が冬巡業参加 相撲協会 落ち度認める|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191223/k10012225941000.html|website=NHKニュース(2019年12月23日)|accessdate=2019-12-23|last=日本放送協会|publisher=}}</ref>。千賀ノ浦は23日の朝稽古後「(貴源治が東京に)帰ってきた時はしんどそうだった。みんなにうつったら困る」と語り、貴源治は「何も話すことはできません」と述べた<ref name=":0" />。冬巡業では約30人の力士ら協会員が体調不良などを理由に休場、力士内にはインフルエンザがまん延しており、少なくとも関取衆8人以上、また巡業副部長の花籠親方(元関脇・太寿山)も途中離脱している事態であった。インフルエンザの感染拡大を助長する対応について親方衆の危機管理意識の欠如、そして高齢者や児童も多い観客への感染の危険が考慮されていなかった点も指摘されている。 |
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同23日、芝田山広報部長が都内で行われた理事会と年寄会後に取材に応じ、「病院に行って巡業場所に帰ってきたのが取組の寸前だったが、対策が取れなかったのは落ち度だ」と認め、「春日野(巡業)部長は23日の理事会で、11日は十両力士の巡業最終日で、報告を受けてから取組まで十分な時間がなく、取組を変更するなどの対応ができなかったと説明した」<ref name=":0">{{Cite web|title=インフル感染の貴源治が巡業で相撲 診断書提出も春日野部長が判断|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20191223/sum19122320350002-n1.html|website=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2019-12-23|accessdate=2019-12-23|language=ja-JP}}</ref>と話した。今後は力士や関係者がインフルエンザと診断された場合、すぐに隔離して休ませると理事会で決めたという<ref>{{Cite web|title=協会「間違いだった」インフル感染貴源治が巡業取組 - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201912230000792.html|website=nikkansports.com(2019年12月23日)|accessdate=2019-12-23|language=ja|publisher=}}</ref>。 |
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⚫ | 八角理事長は春日野巡業部長から報告を受けて師匠の千賀ノ浦に謝罪し、それが千賀ノ浦から貴源治に伝えられるという<ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/12/23/kiji/20191223s00005000252000c.html|title=芝田山広報部長 インフル感染貴源治に撲を取らせたことは「間違いだった」 理事長が親方に謝罪|accessdate=2019-12-23|publisher=スポニチAnnex(2019年12月23日)}}</ref><ref>{{Cite web|title=インフルと診断の力士が冬巡業参加 相撲協会 落ち度認める|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191223/k10012225941000.html|website=NHKニュース(2019年12月23日)|accessdate=2019-12-23|last=日本放送協会|publisher=}}</ref>。千賀ノ浦は23日の朝稽古後「(貴源治が東京に)帰ってきた時はしんどそうだった。みんなにうつったら困る」と語り、貴源治は「何も話すことはできません」と述べた<ref name=":0" />。 |
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== 力士として・取り口など == |
== 力士として・取り口など == |
2019年12月24日 (火) 02:14時点における版
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両国国技館での土俵入り | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 貴源治 賢 | |||
本名 | 上山 賢 | |||
愛称 | 貴ツインズ[1] | |||
生年月日 | 1997年5月13日(27歳) | |||
出身 | 栃木県小山市 | |||
身長 | 191cm | |||
体重 | 170kg | |||
BMI | 46.60 | |||
所属部屋 | 貴乃花部屋→千賀ノ浦部屋 | |||
得意技 | 突き押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 西十両10枚目 | |||
最高位 | 西前頭10枚目 | |||
生涯戦歴 | 210勝182敗(41場所) | |||
幕内戦歴 | 8勝22敗(2場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2013年3月場所 | |||
入幕 | 2019年7月場所 | |||
備考 | ||||
元・初切担当力士 | ||||
2019年12月24日現在 |
貴源治 賢(たかげんじ さとし、1997年5月13日 - )は、栃木県小山市出身[2]で、千賀ノ浦部屋(入門時は貴乃花部屋)所属の現役大相撲力士。本名は上山[3] 賢(かみやま さとし)。身長191cm、体重170kg、血液型はO型[4]。好きな音楽はヒップホップ。趣味はトレーニング[5]。最高位は西前頭10枚目(2019年7月場所)。得意手は突き押し。
同じ部屋に所属していた元貴ノ富士は双子の兄であり、2016年の夏巡業から[6]2017年春巡業まで[7]、兄弟で初切を担当していた。貴ノ富士が貴公俊の四股名だった2018年3月場所で新十両に昇進したため、先に関取となっていた自身と合わせて、史上19組目の兄弟関取となった。その中で、双子は初の事例である[8]。
来歴
父が日本人、母がフィリピン人という家庭に一卵性双生児の弟として栃木県小山市に生まれ、茨城県猿島郡境町で育った[9]。大相撲入門後に公称出身地を茨城県から栃木県へ変更したのも、小山は父親の出身地であり、自らの出生地でもあるという理由だった[10]。
少年時代より空手やキックボクシングなどに親しんできたが[11]、境町立境第一中学校在学中には特にバスケットボールに打ち込み、茨城県選抜の主力選手として全国3位になっている[12]。延岡学園高等学校、土浦日本大学高等学校、福岡第一高等学校など、バスケットボールの強豪高校からスカウトも来たが、両親の勧めもあり、相撲未経験ではあったが中学卒業と同時に大相撲の貴乃花部屋へ入門した[9][13]。
当時は貴月芳(2014年5月場所限りで引退)と貴斗志(2014年11月場所限りで引退)の兄弟も所属しており、複数の双子が同じ部屋に同時に所属する初の事例となった[14]。
本人は「バスケでは金にならない。体を使うことが好きだったので、体を使って親孝行したかった」と入門の動機について後に語っている[9]。また、中学3年生の8月に貴乃花部屋に体験入門しており、当時貴乃花部屋に関取がいなかったことから、上山兄弟が小学4年生の頃から相撲を取るように勧めていた父から「貴乃花親方を助けてやれ」と後押しされたことも、双子兄弟揃っての入門に関係している[9]。
入門後
2013年3月場所で初土俵を踏むと、この場所に取った前相撲は二番出世だった。師匠の貴乃花からは突っ張る相撲を指導されて[15]順調に番付を上がっていった。
三段目3場所目の2014年7月場所では、11日目の6番目で元学生横綱で入門以来負けなしの正代と対戦し、正代にプロ初黒星を付けて周囲を驚かせた[16]。この白星で自身は無傷の6連勝となったが、13日目の7番目で芝に土俵際の巻き替えから寄り切りで敗れて全勝はならなかった[17]。
2015年3月場所では、初土俵から2年の速さで兄と同時に新幕下に昇進したが、これについては「時間がかかりすぎた」と、悔しさを露わにしている[18]。その新幕下の場所は緊張もあって白星が遠く[19]、壁に跳ね返されて3勝4敗と負け越して1場所で三段目へ転落した。
その後はスランプ状態となってしまい[20]、幕下では勝ち越せない時期が1年ほど続いたが、3度目の幕下昇進となった2016年1月場所では6勝1敗の好成績を挙げて幕下の優勝決定戦に進出し[21]、これ以降の貴源治は幕下の地位に定着した。
幕下に定着した貴源治に対し、日本相撲協会の業務では巡業部長を務めている師匠の貴乃花は、巡業にて初切を兄の貴公俊と共に務めることを命じた[22]。同じく初切の担当である篠原と高三郷の指導を受けて2016年の夏巡業で初切デビューを果たした[23]。双子のコンビで務めるのは異例の事であり、初切では一卵性双生児ならではの「顔が似すぎて分からない」などのネタが取り入れられている[24]。番付のほうも上昇し、同年11月場所では初めて、成績次第では関取昇進の可能性が出てくる幕下15枚目以内に入った。東幕下7枚目で迎えたこの場所は14日目の7番目で元関脇の豊ノ島を一方的に押し出す相撲もあり[25]、最終的に5勝2敗の勝ち越しで終わった。
2017年3月場所は、関取目前の西幕下筆頭の地位で迎えた。初日の1番相撲では対戦相手の豊ノ島が休場したことで不戦勝となり、2日目の2番相撲では十両の照強を突き出して、この場所最初の自力勝利。11日目に4勝目を挙げて勝ち越したことで、場所後の番付編成会議にて5月場所での新十両昇進が決定した。10代での関取昇進[26]は、部屋の弟弟子の貴景勝(十両昇進当時の四股名は佐藤)以来であり[27]、栃木県出身の関取は日出ノ国以来14年ぶりの誕生だった[28]。
昇進に際して、18歳までの昇進が目標だったため「遅かった」と不満を口にしたが、一方で「十両は1、2場所で抜けたい」と番付を駆け上がる決意を表明した[5]。初切については新十両決定直後でまだ幕下力士として参加していた春巡業を最後に役目を終えた[7]。
7月場所は十両尻の西14枚目で新十両として迎えた。初日の明生戦に勝利して幸先の良いスタートを切ったが、そこから5連敗。12日目に負け越しが決まった残りも全敗するなど4勝11敗に終わり、十両の壁に跳ね返される結果となった。7月場所は西幕下5枚目で迎え、5勝2敗と再十両が伺える星を上げたが、十両からの陥落者が少なく再十両とはならなかった。
9月場所は東幕下筆頭の地位で4勝3敗と勝ち越し、11月場所で十両に復帰した。東十両14枚目となったこの場所は、14日目を終わった時点で7勝7敗の成績であり、千秋楽には幕下力士と事実上の入れ替え戦が組まれたが、勝利して8勝7敗となり、関取として初めての勝ち越しを決めた。
その後、2018年の1月場所と3月場所も、千秋楽に8勝目を挙げており、3場所連続で千秋楽に勝ち越しを決める形となっている。9月場所は持ち前のしぶとさが影をひそめる場所であったが、千秋楽に勝ち越しを決めている[29]。
2018年10月1日の理事会で、千賀ノ浦部屋(小結・隆三杉)への移籍が承認された[30]。
同年12月の貴ノ岩の付き人への暴行事件に対しては師匠の貴乃花が暴力根絶に尽力していただけに「言い訳なし」「これが貴ノ岩関の人生」と失望感を露わにするコメントを残した[31][32]。
2019年5月場所は自身初の十両での中日勝ち越しを記録。直近6場所の最高成績が8勝であるだけに、この見違えるほどの好調はNHK大相撲中継でも触れられ、21代音羽山から期待を寄せられた。9日目終了時点では兄の貴ノ富士と共に全勝をキープしており、報道でも兄弟による同時各段優勝が期待された[33]。14日目の5月25日、大翔丸を寄り切って13勝1敗として十両優勝を決め、前日に幕下優勝を決めた貴ノ富士と双子同場所優勝となった[34]。この成績によって新入幕が決まり、西前頭10枚目として7月場所を迎えた[35]。栃木県からは戦後4人目となる新入幕[36]。ところがその7月場所は4勝11敗と負け越した。9月場所も負け越し、十両へ陥落した11月場所も5勝10敗で負け越した。
12月23日、冬巡業中の12月11日に佐賀県佐賀市で行われた巡業先の病院で診察を受け「インフルエンザA型」「少なくとも5日間または解熱後2日間は自宅安静を要する」する診断書を提出[37]、協会関係者に報告したにも関わらず指示を受け取組を行っていたことが報じられた。師匠の千賀ノ浦は巡業に同行しておらず、二所ノ関一門からは審判部の片男波が同行していた。取材に対して、片男波は病名を知っていたが「私の意見ではない。私の個人的意見では何も決められない」と話しており、『巡業の運営を行う巡業部の指示である可能性が極めて高い』と報じられた。同日、芝田山広報部長が都内で行われた理事会と年寄総会後に取材に応じ、「病院に行って巡業場所に帰ってきたのが取組の寸前だったが、対策が取れなかったのは落ち度だ。貴源治に相撲を取らせて、大変申し訳なかった」[38]と誤りを認め、「春日野(巡業)部長は23日の理事会で、11日は十両力士の巡業最終日で、報告を受けてから取組まで十分な時間がなく、取組を変更するなどの対応ができなかったと説明した」[39]と話した。今後は力士や関係者がインフルエンザと診断された場合はすぐに隔離して休ませると理事会で決め[40]、年寄総会でも確認をしたという[41]。
八角理事長は春日野巡業部長から報告を受けて師匠の千賀ノ浦に謝罪し、それが千賀ノ浦から貴源治に伝えられるという[42][43]。千賀ノ浦は23日の朝稽古後「(貴源治が東京に)帰ってきた時はしんどそうだった。みんなにうつったら困る」と語り、貴源治は「何も話すことはできません」と述べた[39]。冬巡業では約30人の力士ら協会員が体調不良などを理由に休場、力士内にはインフルエンザがまん延しており、少なくとも関取衆8人以上、また巡業副部長の花籠親方(元関脇・太寿山)も途中離脱している事態であった。インフルエンザの感染拡大を助長する対応について親方衆の危機管理意識の欠如、そして高齢者や児童も多い観客への感染の危険が考慮されていなかった点も指摘されている。
力士として・取り口など
兄の貴ノ富士が左四つを得意とするのに対して、貴源治は突き押し相撲を得意とする。元々は右でも左でも取れる四つ力士であったが、2015年に三段目と幕下を行ったり来たりしたことから、予てより勧められていた突き押しに転向。以降、成績が伸び、関取昇進に至った。そこに至るまでについて後に貴源治は「稽古場で言われたことが素直に出来なかった。突けと言われても自分で廻しを引いて負けた。自分の情けなさ、ふがいなさ、やりきれない気持ちでいっぱいだった。苦しかった」と振り返っている[9]。貴源治の突き押しは長身とリーチの長さを活かした突っ張りが中心であり、突き切れない時は頭から当たって崩す。幕下に上がったばかりの頃は白鵬の真似をして前褌を狙う立合いを導入していたが、貴乃花から突き押しに徹するように言われてこれは次第に行わなくなった。一方で突き押しを行っている際に腰高になりがちであり、もろ差しのうまい力士には差されてそのまま負けることもある。
稽古熱心な力士として知られており、2016年10月の秋巡業徳島場所ではぶつかり稽古の最中に右ひざを脱臼したものの、しばらくして脱臼した膝の関節を入れ直してぶつかり稽古をやり遂げたことなどはその好例である[9]。
2017年11月場所前の二子山(元大関・雅山)のコラムでは現状について、突っ張ることを忘れて差しに行っていると指摘されている[44]。
2019年5月場所のNHK大相撲中継では解説の21代音羽山が「幕内で取ってもおかしくない体」と稽古で鍛えた体について評した。
エピソード
- かつて所属した貴乃花部屋の方針を守り、よほどのことがない限りテーピングやサポーターはつけずに土俵に上がる[45]。
- 新十両昇進を決めた際、関取になって初めて給料を手にするだけに、貴乃花からは財布をプレゼントされた[45]。
- 野州相撲甚句会は2017年7月4日、小山市役所で郷土の貴源治、貴公俊を激励する相撲甚句を披露した[46]。
- 2017年7月場所前の二子山のコラムでは「次代を担う期待感があるのが貴源治ぐらいですよね」と語られている[47]。
不祥事
2019年9月場所4日目の9月11日、日本相撲協会のコンプライアンス委員会(青沼隆之委員長=元名古屋高検検事長)が兄の貴ノ富士の暴行問題について貴源治に聞き取り調査を行った[48]。同月19日には師匠の千賀ノ浦とともに同委員会の会合に呼び出され、貴ノ富士が自らの暴行について弁明するところに同席している[49]。
同月26日に相撲協会が発表した文書によると、貴源治は5月~7月までの間、新弟子4人が言いつけられた仕事を忘れたり、あいさつの仕方が悪かったりしたことに対し「腕立て伏せ、罰金、外出禁止のどれかを選べ」などと命じ、罰を与えていた。新弟子の誰かが失敗すると連帯責任として、4人全員に罰を与えていたという。7月場所中には他の力士がいる前で1人に片腕を頭上に挙げる格好をさせて「自分は頭が悪いです」と言うよう命じ、その様子をスマートフォンで録画する動作もしたという[50]。また8月31日には新弟子が言いつけに従って鉄砲柱や壁の掃除をしていたにも関わらずしていないと決めつけ、4人全員の連帯責任として腕立て伏せ50回を2セット行うように命じ、同部屋所属の別の力士に様子を録画して自身のスマートフォンに送信するように命じている[51]。この行為に対し、コンプライアンス委員会は「貴源治の行為は、失敗した当事者か否かにかかわらず、連帯責任として新弟子4人に腕立て伏せを命じた理不尽なものであり、指導の範囲を逸脱している」「新弟子の1人に『自分は頭が悪いんです』と言わせた行為も悪質である」との見解を示した。しかし、貴源治は暴力を加えておらず、過去に懲戒・指導歴も無く、事実を認めて反省し二度と行わない事を誓約しているため、処分はけん責に留まった[52][53]。
同月28日に両国国技館で行われた佐ノ山の襲名披露大相撲でマスコミの取材に応じ、自らが処分を受けたことについて「申し訳ない気持ち。しっかりと受け止める。来場所からはゼロではなく、マイナスからスタートする」と反省の弁を述べた。協会の処分を不服として27日に貴ノ富士が行った記者会見については、千賀ノ浦の反対を押し切ったことが明かされたという。「会見を開くと報道で知り『やめた方がいい』と言いました。それから連絡が取れなくなりました」「兄貴もうすうす戻れないと思っているのでは」と話している[54][55]。兄の二度目の暴力についても謝罪し、差別的な発言があったことも認めた[56]。
10月11日に貴ノ富士は代理人弁護士を通じて相撲協会に引退を届け出た[57][58]。それに伴い、貴源治との双子後援会は貴源治後援会と改称して再スタートすることが同月17日に発表された[59]。また11月10日、貴源治は後援会代表発起人を通じて「移籍してこの1年色んなことがあり、応援してくださるファンの皆様にご迷惑をお掛けしました。これから応援してくださるファンの皆様に恩返しできる様これからも相撲道に精進していきます。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます」とのコメントを発表した[60]。
主な成績
2019年11月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:210勝182敗(41場所)
- 幕内成績:8勝22敗(2場所)
- 十両成績:92勝88敗(12場所)
各段優勝
- 十両優勝:1回(2019年5月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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---|---|---|---|---|---|---|
2013年 (平成25年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口14枚目 6–1 |
西序二段29枚目 2–5 |
東序二段64枚目 4–3 |
東序二段41枚目 4–3 |
2014年 (平成26年) |
東序二段19枚目 5–2 |
東三段目83枚目 4–3 |
西三段目65枚目 3–4 |
西三段目78枚目 6–1 |
東三段目21枚目 4–3 |
東三段目10枚目 3–4 |
2015年 (平成27年) |
西三段目23枚目 5–2 |
西幕下58枚目 3–4 |
西三段目11枚目 6–1 |
西幕下35枚目 2–5 |
西幕下50枚目 2–5 |
西三段目11枚目 4–3 |
2016年 (平成28年) |
西幕下60枚目 6–1[61] |
西幕下28枚目 3–4 |
西幕下36枚目 5–2 |
西幕下25枚目 4–3 |
東幕下20枚目 6–1 |
東幕下7枚目 5–2 |
2017年 (平成29年) |
西幕下4枚目 5–2 |
西幕下筆頭 4–3 |
西十両14枚目 4–11 |
西幕下5枚目 5–2 |
東幕下筆頭 4–3 |
東十両14枚目 8–7 |
2018年 (平成30年) |
西十両11枚目 8–7 |
東十両10枚目 8–7 |
西十両8枚目 10–5 |
西十両2枚目 6–9 |
西十両5枚目 8–7 |
東十両4枚目 8–7 |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
東十両2枚目 6–9 |
東十両4枚目 8–7 |
東十両2枚目 優勝 13–2 |
西前頭10枚目 4–11 |
東前頭17枚目 4–11 |
東十両6枚目 5–10 |
2020年 (令和2年) |
西十両10枚目 – |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 貴源治 賢(たかげんじ さとし)2013年3月場所 -
脚注
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p101などでこの愛称が確認される。
- ^ 2015年3月場所までの公称出身地は茨城県猿島郡境町
- ^ 『相撲』誌では2019年6月号まで「染谷」と記載されていた(同号では略歴一覧表は染谷、十両以下各段優勝者紹介は上山とページによって表記が異なっていた)
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年5月号(夏場所展望号)別冊付録 平成28年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑 32頁
- ^ a b 「未来の横綱」貴源治、十両昇進!バスケから転身相撲歴5年目「今年中に幕内に」 2017年3月30日6時0分 スポーツ報知
- ^ “貴公俊&貴源治が双子「初っ切り」デビュー”. 日刊スポーツ. (2016年8月14日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ a b “双子力士の貴公俊&貴源治、最後の初っ切り披露”. 日刊スポーツ. (2017年4月30日) 2017年4月30日閲覧。
- ^ “初の双子関取貴公俊、炎鵬は最速出世/春場所新番付”. 日刊スポーツ. (2018年2月26日) 2018年2月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 『大相撲ジャーナル』2017年6月号28-29頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年6月号(夏場所総決算号) 98頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年10月号(秋場所総決算号) 91頁
- ^ “【新風力士】兄・貴公俊、弟・貴源治 バスケ逸材が初の双子関取へ”. スポニチアネックス. (2015年3月14日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ “18歳の「双子力士」今後の活躍誓う 実家の小山訪問”. 東京新聞. (2016年1月29日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ “貴乃花部屋に2組目双子 バスケ、空手など経験の上山ツインズ”. 日刊スポーツ. (2013年3月2日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年2月号(初場所総決算号) 90頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年9月号(秋場所展望号) 78頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年8月号(名古屋場所総決算号) 75頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年3月号(春場所展望号) 77頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年7月号(名古屋場所展望号) 79頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年3月号(春場所展望号) 77頁
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年2月号(初場所総決算号) 76頁
- ^ “貴乃花部屋の双子力士が「初っ切り」デビュー”. 日刊スポーツ. (2016年8月13日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年9月号(秋場所展望号) 78頁
- ^ “大相撲夏巡業で異例の双子による「初っ切り」が実現”. スポーツ報知. (2016年8月13日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ “豊ノ島「最低ライン」復帰場所は収穫の4勝3敗”. 日刊スポーツ. (2016年11月26日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ 番付発表日である5月1日の時点では19歳であるが、初日である5月14日の前日が20歳の誕生日であるため、10代の関取として本場所の土俵に立つことは無い
- ^ “新十両に貴源治=大相撲”. 時事ドットコム. (2017年3月29日) 2017年3月29日閲覧。
- ^ “貴源治が新十両 貴乃花親方が育てた3人目の関取”. 日刊スポーツ. (2017年3月29日) 2017年3月29日閲覧。
- ^ 『相撲』2018年10月号 p.64
- ^ “貴乃花親方、角界去る 力士らの移籍承認で貴乃花部屋は消滅”. SANSPO.COM. (2018年10月1日) 2018年10月1日閲覧。
- ^ 貴ノ岩暴行に元貴部屋力士ショック 貴源治「これが貴ノ岩関の人生なんだな」 貴景勝は… Sponichi Annex 2018年12月7日 07:32(スポーツニッポン新聞社、2019年1月25日閲覧)
- ^ 貴景勝「歯がゆい」 貴源治は失望感 貴ノ岩の暴行問題を受け デイリースポーツ 2018.12.07.(株式会社デイリースポーツ、2019年1月25日閲覧)
- ^ 双子の十両・貴源治と幕下・貴ノ富士 同時優勝へ前進 Sponichi Annex 2019年5月20日 17:29(スポーツニッポン新聞社、2019年5月21日閲覧)
- ^ “珍しい双子同場所V 貴源治初の十両優勝 兄・貴ノ富士も前日幕下優勝”. 毎日新聞(2019年5月25日). 2019年7月26日閲覧。
- ^ “貴源治が新入幕 入門6年半での昇進に「長かった。遅かった」/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online(2019年6月24日). 2019年7月26日閲覧。
- ^ 豊ノ島と琴勇輝復帰、貴源治うれしい新入幕 新番付 日刊スポーツ 2019年6月24日6時0分(2019年12月17日閲覧)
- ^ “インフル力士、冬巡業に出場 貴源治、部長の判断で”. 東京新聞 TOKYO Web(2019年12月24日). 2019年12月24日閲覧。
- ^ “インフル診断の十両力士が取組出場 日本相撲協会が謝罪:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル(2019年12月24日). 2019年12月24日閲覧。
- ^ a b “インフル感染の貴源治が巡業で相撲 診断書提出も春日野部長が判断”. SANSPO.COM(サンスポ) (2019年12月23日). 2019年12月23日閲覧。
- ^ “協会「間違いだった」インフル感染貴源治が巡業取組 - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2019年12月23日). 2019年12月23日閲覧。
- ^ “インフル感染の貴源治、冬巡業で取組 相撲協会、申告受けても出場指示”. 毎日新聞(2019年12月24日). 2019年12月24日閲覧。
- ^ “芝田山広報部長 インフル感染貴源治に撲を取らせたことは「間違いだった」 理事長が親方に謝罪”. スポニチAnnex(2019年12月23日). 2019年12月23日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “インフルと診断の力士が冬巡業参加 相撲協会 落ち度認める”. NHKニュース(2019年12月23日). 2019年12月23日閲覧。
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p32
- ^ a b 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p59
- ^ 下野新聞 2017年7月7日 朝刊
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号p24-25
- ^ 相撲協会、貴源治から聞き取り 弟・貴富士の暴力問題で SANSPO.COM 2019.9.11 21:36(2019年9月14日閲覧)
- ^ “貴ノ富士が暴力問題弁明 処分決定は26日理事会へ - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2019年9月20日). 2019年9月25日閲覧。
- ^ “相撲協会が自主引退を促した貴ノ富士の“悪質すぎる言動” – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社(2019年9月26日). 2019年9月26日閲覧。
- ^ 月刊相撲(ベースボールマガジン社)2019年12月号のp126-127、9月26日に日本相撲協会が発表した文書「貴ノ富士による暴力等について」
- ^ “貴源治と千賀ノ浦親方処分 新弟子に「理不尽」行動”. gooニュース (2019年9月26日). 2019年9月26日閲覧。
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- ^ 共同通信 (2019年9月28日). “貴源治、けん責に反省の弁 貴ノ富士の弟、指導逸脱行為 | 共同通信”. 共同通信. 2019年9月28日閲覧。
- ^ “貴源治「やめた方がいい」貴ノ富士会見制止も実らず(日刊スポーツ)”. Yahoo!ニュース(2019年9月28日). 2019年9月28日閲覧。
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- ^ 共同通信 (2019年10月11日). “十両貴ノ富士関が現役引退 暴力行為、回答期限に決断 | 共同通信”. 共同通信(2019年10月11日). 2019年11月10日閲覧。
- ^ “暴行の貴ノ富士が引退「協会の将来に失望」/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online(2019年10月11日). 2019年11月10日閲覧。
- ^ “「貴源治・貴ノ富士双子応援会」サイト名変更に関するお知らせ|貴源治応援会”. Pando(パンドゥ・2019年10月17日). 2019年11月10日閲覧。
- ^ JDAC久岡和也 (2019年11月9日). “[https://twitter.com/kazjdac/status/1193184804226748417 【貴源治よりコメント】 皆様こんにちは、貴源治です。 移籍してこの1年色んなことがあり、応援してくださるファンの皆様にご迷惑をお掛けしました。 これから応援してくださるファンの皆様に恩返しできる様これからも相撲道に精進していきます。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。]”. @kazjdac. 2019年11月10日閲覧。
- ^ 8人による幕下優勝決定戦に進出(トーナメント形式の1回戦敗退)