「千容子」の版間の差分
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* [http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/news/news082/news082.html 裏千家ホームページ・千万紀子様、第54代斎王代に] |
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2019年5月29日 (水) 00:01時点における版
千 容子 | |
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続柄 | 三笠宮崇仁親王第二王女(大正天皇皇孫) |
身位 | 内親王 → 降嫁 |
敬称 | 殿下 → 降嫁 |
お印 | 楓 |
出生 |
1951年10月23日(73歳) 日本・東京都品川区上大崎 三笠宮邸 |
配偶者 | 千宗室 |
子女 | 2男1女 |
父親 | 三笠宮崇仁親王 |
母親 | 三笠宮妃百合子 |
千 容子(せん まさこ、1951年〈昭和26年〉10月23日[1] - )は、日本の元皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第二女子。旧名は容子内親王[2]。千宗室(茶道裏千家第16代家元)夫人。お印は楓(かえで)。勲等は勲一等[3]。学位は法学士(学習院大学)。
略歴
松濤幼稚園、学習院初等科、学習院女子中等科、同高等科を経て、学習院大学法学部法学科に入学。3年修了後、スイスの全寮制の学校で学び、後にパリに移り、ソルボンヌ大学で学ぶ。その間に、奔放な生活ぶりを母・百合子妃が心配し、連れ戻しにいったこともあるという[4]。
帰国後は、学習院大学法学部に復学。卒業後は、兄・寬仁親王が主宰する「柏朋会」などで、フランス語の講師を行なったりと、皇族内でも語学堪能のため皇室内の外国交際の際は重宝されたという。
1983年(昭和58年)10月14日、裏千家15代家元・鵬雲斎千宗室(現・千玄室大宗匠)の長男・坐忘斎千宗之(後に16代家元・千宗室)と結婚[5]。
翌1984年(昭和59年)に長男・明史、1987年(昭和62年)に長女・万紀子、1990年(平成2年)に次男・敬史(裏千家茶人・家元付)をもうける。
2002年(平成14年)、夫の家元襲名に伴い第16代目家元夫人となる。茶道裏千家淡交会副理事長・国際茶道文化協会会長[6]等、裏千家および茶道関連の法人の要職に就いている。
長女・万紀子は、立命館大学4年在学中の2009年(平成21年)、葵祭・第54代斎王代に選ばれ、容子とそろって取材を受けた。2017年(平成29年)、阪田修三・佳子夫妻の長男で医師の宗弘と結婚しており、この時、皇室から三笠宮家及び高円宮家の妃や女王達も参列した[7]。
長男・明史は、「菊池明史」として独立(分家)した。
系譜
容子内親王 | 父: 崇仁親王(三笠宮) |
祖父: 大正天皇 |
祖母: 貞明皇后 | ||
母: 百合子 |
祖父: 高木正得 | |
祖母: 高木邦子 |