コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ツイッギー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:インターネットアーカイブ - log
51行目: 51行目:
[[東レ|東洋レーヨン]]、[[トヨタ|トヨタ自動車販売株式会社]]、[[森永製菓]]の3社合同招待にて[[1967年]][[10月18日]]17時に[[東京国際空港|羽田]]へマネージャー兼恋人であるデ・ヴィルヌーヴと共に降り立った彼女はカメラマンの群れを避けるように宿舎である[[キャピトル東急ホテル|東京ヒルトンホテル]]へ向かった。当時のサイズは身長165cm、体重41kg<ref name="twiggy"/>。当時、彼女の訪日と比較されたのが前年に来日した[[ザ・ビートルズ|ビートルズ]]である。また彼女はこの頃、年に1000万ドル(36億円)を稼ぎ出す売れっ子ファッションモデルで「'''[[ミニスカート|ミニ(スカート)]]の女王'''」として日本では若い女性から羨望の的とされ、ツイッギーをイメージしたコンテストが催されるほどの加熱ぶりであった。滞在中は森永製菓の「チョコフレーク」や「[[トヨタ・コロナ#3代目(T40系、1964年~1970年)|トヨタ・コロナ]]」(1967年)のCM撮影などをこなし、大阪の[[吉兆]]を訪れたり、京都の[[時代祭]]を楽しんだりした後、[[11月8日]]に帰国。
[[東レ|東洋レーヨン]]、[[トヨタ|トヨタ自動車販売株式会社]]、[[森永製菓]]の3社合同招待にて[[1967年]][[10月18日]]17時に[[東京国際空港|羽田]]へマネージャー兼恋人であるデ・ヴィルヌーヴと共に降り立った彼女はカメラマンの群れを避けるように宿舎である[[キャピトル東急ホテル|東京ヒルトンホテル]]へ向かった。当時のサイズは身長165cm、体重41kg<ref name="twiggy"/>。当時、彼女の訪日と比較されたのが前年に来日した[[ザ・ビートルズ|ビートルズ]]である。また彼女はこの頃、年に1000万ドル(36億円)を稼ぎ出す売れっ子ファッションモデルで「'''[[ミニスカート|ミニ(スカート)]]の女王'''」として日本では若い女性から羨望の的とされ、ツイッギーをイメージしたコンテストが催されるほどの加熱ぶりであった。滞在中は森永製菓の「チョコフレーク」や「[[トヨタ・コロナ#3代目(T40系、1964年~1970年)|トヨタ・コロナ]]」(1967年)のCM撮影などをこなし、大阪の[[吉兆]]を訪れたり、京都の[[時代祭]]を楽しんだりした後、[[11月8日]]に帰国。


それ以来、何度か来日している。[[2004年]][[3月4日]]には[[東京都]]内で、ファッションブランド「Twiggy」の発表会に出席した<ref>[http://web.archive.org/web/20041010141211/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2004/03/05/07.html ツィギー「日本大好き」 ]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2004年3月5日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。
それ以来、何度か来日している。[[2004年]][[3月4日]]には[[東京都]]内で、ファッションブランド「Twiggy」の発表会に出席した<ref>[http://web.archive.org/web/20041010141211/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2004/03/05/07.html ツィギー「日本大好き」 ]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2004年3月5日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。


== エピソード ==
== エピソード ==

2017年9月4日 (月) 18:21時点における版

ついっぎー/Twiggy
ツイッギー
ファイル:Failuresque Twiggy drawing.jpg
ツイッギー・ローソンの肖像
プロフィール
別名義 ツイッギー・ローソン
生年月日 1949年9月19日
現年齢 75歳
出身地 イギリスの旗 イギリス
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 168 cm / kg
活動
デビュー 1965年
ジャンル ファッション
他の活動 女優
歌手
外部リンク
データベース IMDb
モデル: テンプレート - カテゴリ

ツイッギー[1]: Twiggy1949年9月19日[2] - )は、イギリス女優、モデルおよび歌手。現在は結婚後の名前ツイッギー・ローソン(Twiggy Lawson)として広く知られる。

プロフィール

ツイッギーは、ロンドン郊外のニースデンで、レズリー・ホーンビーLesley Hornby)という名で生まれた。彼女は16歳で当時のボーイフレンドかつマネージャーであるジュスタン・デ・ヴィルヌーヴの影響の下で有名になった。

間もなく1960年代スウィンギング・ロンドンにおける「顔」と見なされ、その華奢な体型から「ツイッギー」(小枝)の愛称を得て、世界的な知名度と人気を得た。

彼女は成熟と共にデ・ヴィルヌーヴの元を去り、1971年ケン・ラッセル監督作品『ボーイ・フレンド』に出演し、女優および歌手としてその活動の幅を広げた。この作品でゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞。その後彼女は映画や演劇で様々な役柄を演じた。

2004年の来日時に『週刊文春』の対談にて、やせていたのは体質で「今でもかなり食べますけど、当時は太りたくていっぱい食べていたんです」と語っている[3]

日本での活動など

東洋レーヨントヨタ自動車販売株式会社森永製菓の3社合同招待にて1967年10月18日17時に羽田へマネージャー兼恋人であるデ・ヴィルヌーヴと共に降り立った彼女はカメラマンの群れを避けるように宿舎である東京ヒルトンホテルへ向かった。当時のサイズは身長165cm、体重41kg[3]。当時、彼女の訪日と比較されたのが前年に来日したビートルズである。また彼女はこの頃、年に1000万ドル(36億円)を稼ぎ出す売れっ子ファッションモデルで「ミニ(スカート)の女王」として日本では若い女性から羨望の的とされ、ツイッギーをイメージしたコンテストが催されるほどの加熱ぶりであった。滞在中は森永製菓の「チョコフレーク」や「トヨタ・コロナ」(1967年)のCM撮影などをこなし、大阪の吉兆を訪れたり、京都の時代祭を楽しんだりした後、11月8日に帰国。

それ以来、何度か来日している。2004年3月4日には東京都内で、ファッションブランド「Twiggy」の発表会に出席した[4]

エピソード

  • 1967年の第14回東京モーターショーのトヨタブースでゴールド塗装(特別色)のトヨタ2000GTのモデルを務めた。この2000GTはモーターショー終了後に彼女へプレゼントされ、英国へ渡った。現在はアメリカのトヨタミュージアムで展示されている[5]
  • メリー・ホプキンの発掘者である。テレビ番組『オポチュニティ・ノックス』でホプキンを見たツイッギーがポール・マッカートニーに推薦したことにより、彼女はアップル・レコードの第1号アーティストしてデビューを飾ることとなった[6]
  • 1971年発売の森永「小枝」は、彼女の来日の後、ツイッギー(小枝)の名をヒントに誕生したと言われている。
  • ピチカートファイブの楽曲「トゥイギー・トゥイギー」(野宮真貴のソロデビューアルバム収録曲ツイッギー・ツイッギーのカバー)は彼女のことが題材となっている。

出典

関連項目

外部リンク