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プロ入り前は[[50メートル競走|50メートル走]]のタイムが6.1秒、遠投110メートルを記録する身体能力だった<ref>[http://www1.fbs.co.jp/hawks_mvp/archives/000830.html ホークス週間MVP]</ref><ref name="leadership" />。特に三塁到達までは11.59秒とトップスピードが速く、2008年には両リーグトップの三塁打を記録している<ref name="matsuda2010"></ref>。 |
プロ入り前は[[50メートル競走|50メートル走]]のタイムが6.1秒、遠投110メートルを記録する身体能力だった<ref>[http://www1.fbs.co.jp/hawks_mvp/archives/000830.html ホークス週間MVP]</ref><ref name="leadership" />。特に三塁到達までは11.59秒とトップスピードが速く、2008年には両リーグトップの三塁打を記録している<ref name="matsuda2010"></ref>。 |
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守備では主に[[三塁手]]として起用されるが、[[一塁手]]で起用されたこともあり、2010年には[[左翼手]]に就いたこともあった。三塁守備では[[2008年]]に17失策を記録するなど不安定さが目立っていたが、バントの処理を向上させた2010年には得点換算や[[アルティメット・ゾーン・レーティング|UZR]]で平均を上回る数値を残している<ref>[http://archive.baseball-lab.jp/column_detail/&blog_id=8&id=56 Baseball Lab守備評価〜Third Baseman] - SMR Baseball Lab(2011年1月20日)</ref>。2016年シーズン終了時点で、通算5回の[[ゴールデングラブ賞]]を受賞しているが、遊撃手の[[今宮健太]]とは、鉄壁の守備を築いて、共に2013年から4年連続でゴールデングラブ賞を受賞し続けていることもあり、2016年のシーズンオフには、今宮とのコンビを「黄金の三遊間」と称する記事が登場したほどである<ref name="matsudathird2016" />。三塁線の打球を例え倒れ込んで捕球しても起き上がってから十分にアウトにできる肩の強さが最大の武器<ref>松田宣浩 (スポーツアルバム No. 31) 、ベースボール・マガジン社、2012年、P32</ref>。当初は守備に不安があったが「打球の予測や飛んでくる前の準備などの大事さを教わり、練習では取れない打球が試合で取れるようになった」と内野守備走塁コーチの[[鳥越裕介]]に感謝していた<ref>[http://web.archive.org/web/20131112102637/http://nishinippon.co.jp/hawks/article/51150 松田 生涯サード宣言 2度目GG賞] 西日本新聞 2013年11月8日(2013年11月8日時点の[[インターネット |
守備では主に[[三塁手]]として起用されるが、[[一塁手]]で起用されたこともあり、2010年には[[左翼手]]に就いたこともあった。三塁守備では[[2008年]]に17失策を記録するなど不安定さが目立っていたが、バントの処理を向上させた2010年には得点換算や[[アルティメット・ゾーン・レーティング|UZR]]で平均を上回る数値を残している<ref>[http://archive.baseball-lab.jp/column_detail/&blog_id=8&id=56 Baseball Lab守備評価〜Third Baseman] - SMR Baseball Lab(2011年1月20日)</ref>。2016年シーズン終了時点で、通算5回の[[ゴールデングラブ賞]]を受賞しているが、遊撃手の[[今宮健太]]とは、鉄壁の守備を築いて、共に2013年から4年連続でゴールデングラブ賞を受賞し続けていることもあり、2016年のシーズンオフには、今宮とのコンビを「黄金の三遊間」と称する記事が登場したほどである<ref name="matsudathird2016" />。三塁線の打球を例え倒れ込んで捕球しても起き上がってから十分にアウトにできる肩の強さが最大の武器<ref>松田宣浩 (スポーツアルバム No. 31) 、ベースボール・マガジン社、2012年、P32</ref>。当初は守備に不安があったが「打球の予測や飛んでくる前の準備などの大事さを教わり、練習では取れない打球が試合で取れるようになった」と内野守備走塁コーチの[[鳥越裕介]]に感謝していた<ref>[http://web.archive.org/web/20131112102637/http://nishinippon.co.jp/hawks/article/51150 松田 生涯サード宣言 2度目GG賞] 西日本新聞 2013年11月8日(2013年11月8日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 |
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ネクストサークルで素振りをした後、右足で片足跳びを数回行うことをルーティンとし、「あれが僕の調子のバロメーターなんですよ。上半身と下半身、そして体の左右のバランスがバッチリな時は、ケンケンがキマるんです。体のバランスが悪い時はうまく力を逃がしてやれず、ケンケンができない。下半身がグチャッと崩れてしまう感覚になるんです」という<ref>[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34549?page=3 Close up〝前手ギュン打法〟で世界を驚かす 松田宣浩 福岡ソフトバンク「ジャパンのサードは任せろ!」] - フライデー(2013年1月13日)</ref>。 |
ネクストサークルで素振りをした後、右足で片足跳びを数回行うことをルーティンとし、「あれが僕の調子のバロメーターなんですよ。上半身と下半身、そして体の左右のバランスがバッチリな時は、ケンケンがキマるんです。体のバランスが悪い時はうまく力を逃がしてやれず、ケンケンができない。下半身がグチャッと崩れてしまう感覚になるんです」という<ref>[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34549?page=3 Close up〝前手ギュン打法〟で世界を驚かす 松田宣浩 福岡ソフトバンク「ジャパンのサードは任せろ!」] - フライデー(2013年1月13日)</ref>。 |
2017年9月4日 (月) 15:10時点における版
福岡ソフトバンクホークス #3 | |
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2012年10月3日、三塁守備につく松田 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 滋賀県草津市 |
生年月日 | 1983年5月17日(41歳) |
身長 体重 |
180 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手 |
プロ入り | 2005年 希望入団枠 |
初出場 | 2006年3月25日 |
年俸 |
4億円+出来高(2017年) ※2016年から4年契約[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2013年、2017年 |
プレミア12 | 2015年 |
この表について
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松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、滋賀県草津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。プロ野球滋賀県人会会長。愛称は「マッチ」「熱男」など。妻はKBC元アナウンサーの柴田恵理。
経歴
プロ入り前
1983年5月17日に滋賀県草津市矢橋町で生まれた[2]。草津市立老上小学校2年生の時に矢橋レモンズで軟式野球を始めた[2]。中学校では栗東ボーイズで硬式野球に転向した[2]。
中京高等学校では主に3番・遊撃手で出場し、高校通算61本塁打を記録した[2]。2年時に第82回全国高等学校野球選手権大会に双子の兄とともに出場(当時の校名は中京商、3年時に校名変更)も、対沖縄県立那覇高等学校戦で延長の末、自らの悪送球で決勝点を与え、1対2で初戦敗退した。
亜細亜大学入学後は1年春(2002年)から4番を任され東都大学リーグ戦に出場し、同シーズンで3本塁打と力を見せた[2]。同年は第1回世界大学野球選手権日本代表メンバーに選出されて5番を務め、3位に貢献した[2][3]。2003年も2年連続で第35回日米大学野球選手権大会日本代表メンバーに選出された。井口忠仁(青学大)が持つリーグ通算24本塁打の記録更新も期待されていた。しかし、3年時に部員の不祥事が発覚し、亜細亜大学は半年間の対外試合禁止の処分を受けた。その結果リーグ戦、入替戦は不戦敗扱いとなりリーグ2部へ降格となったため、松田が在籍中の1部復帰は不可能となり記録更新はならなかった[4]。3年生時までの松田の通算本塁打は15本、シーズン最多は2年秋の6本である。その後、亜細亜大学は主将に就任した松田を中心に2005年秋のリーグ2部で優勝し、1部へ復帰した。1部リーグでは通算76試合出場、275打数62安打、打率.225、15本塁打、41打点でベストナインを1回獲得した。2部リーグでは通算10試合出場、37打数9安打、打率.243、4本塁打、10打点を残した。
ソフトバンク時代
2005年11月18日に行われた大学生・社会人ドラフト会議にて希望入団枠制度により選択され、12月2日に仮契約を行い福岡ソフトバンクホークスに入団した[5]。12月5日に入団会見を行い、背番号は「5」に決まった[6]。ソフトバンクはチームの若返りを図る方針へ転換し、同年27本塁打を記録した正三塁手のトニー・バティスタとの契約を1年残して打ち切り[7]、松田を江川智晃らと競わせるとし、二塁手へのコンバート案も挙げていた[6]。
2006年は開幕一軍入りを果たすと、3月25日のパシフィック・リーグ開幕戦でスタメン出場[8]。新人野手が一軍の開幕戦にスタメンで出場したのは、小久保裕紀以来チーム12年振りであった。しかし6月15日に二軍落ちすると、そのままシーズンを終えた[8]。
2007年は前年まで読売ジャイアンツに在籍していた小久保裕紀がチームに復帰したため、シーズン前半は出場機会がなかった。しかし二軍で打率.331、チームトップの9本塁打の好成績を残し、多くの故障者を抱えるチーム事情から6月に一軍に昇格し、そのまま一軍に定着。8月には月間打率3割を記録し、200に満たない打数で7本塁打と長打力の片鱗を見せた。
2008年は三塁手のレギュラーに定着。長期の離脱もなくシーズン通して活躍し、打率や本塁打など前年に比べ確実な成長を見せた。9月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、初回に岩隈久志から本塁打。これは同シーズンに岩隈がパ・リーグの選手から打たれた唯一の本塁打となった。同年10月、九州朝日放送の柴田恵理アナウンサーと結婚。6月1日にマーク・クルーンがプロ野球記録となる球速162km/hを記録した時の打者でもある(結果は空振り三振)。
2009年は秋山幸二新監督体制の目玉の一つとして3番打者に指名されていたが、開幕戦で一塁へ帰塁した際に右手甲を骨折し離脱。6月5日の広島東洋カープ戦で一軍に復帰し、勢いに乗るチームと共に活躍を見せたが、7月18日の千葉ロッテマリーンズ戦で唐川侑己から死球を受けて右手首を骨折。46試合の出場に終わった。
2010年4月18日の楽天戦で9回裏に田中将大からプロ入り初のサヨナラ打を打った。5月4日の対オリックス・バファローズ戦で山本省吾から自身初の満塁本塁打を打った。5月9日に左手首を骨折のため離脱したが、6月22日の日本ハム戦で一軍に復帰、7月10日のロッテ戦では普段守らない左翼手として先発出場した。年間で打率こそ.255だったが、19本塁打、71打点、17盗塁と本塁打、打点、盗塁で自己最高の結果を残し、優勝に貢献した。
2011年4月17日の埼玉西武ライオンズ戦で自身初のサヨナラ本塁打を含む2本塁打を、20日と21日には2試合連続の本塁打(21日はホセ・オーティズとの2者連続本塁打)を放った。4月はリーグ2位の4本塁打、同2位のOPS1.014を残した。その後も打撃は好調で、松中信彦、小久保、アレックス・カブレラが相次いで離脱した9月25日以降は最終戦まで4番を任された。結果的に自身初めて全試合にフルイニング出場し(他にチーム内では川崎宗則・本多雄一も記録。1チーム3人の全試合フルイニング出場は2リーグ制以後、初の記録[9])、いずれも自己最高の打率.282、25本塁打、83打点、27盗塁、OPS.854を記録し、リーグ連覇に大きく貢献した。西武と戦ったクライマックスシリーズファイナルステージでは、4番にはカブレラが座り松田は5番で出場、第2戦で決勝点となるソロホームランを放ったものの、全3戦で打った安打はこのホームラン1本だけで、13打席10打数1得点1安打1本塁打1打点2四球で打率.100と、レギュラーシーズンと比べると結果は良くなかった。プロ入り後初の出場となる日本シリーズでは、カブレラの不振により第1戦・第2戦では4番・三塁手としてフル出場したものの、この2試合で2安打無打点1盗塁と4番としての役目は果たせなかった。小久保と入れ替わる形で第3戦で5番に打順が下がるとすぐに1安打1打点と、以降第5戦までは5番、松中がDHスタメン出場した第6戦・第7戦では6番で出場して得点にからむ安打・犠打・盗塁及び第5戦での押し出し死球での1打点などは出たものの、7戦通しての成績は28打席25打数2得点4安打2打点3盗塁1犠打1四球1死球5三振で打率.160に終わった。
2012年は一時、盗塁数がトップを記録するなど開幕から好調であったが、5月から本塁打数と盗塁数が減少し、徐々に失速。それでも中盤まで首位打者争いで上位につけるなど、高打率を維持していた。しかし、8月1日の楽天戦で美馬学から死球を受けてしまい、そして、右第4中手骨骨折で全治3ヶ月と診断される。骨折するまで9本塁打、56打点と好調だった[10]。しかし、シーズン終盤の10月5日のオリックス戦から復帰した。シーズン通算では怪我もあって、95試合の出場、9本塁打に終わるも、打率は規定打席未到達ながら3割、盗塁数は16個を記録した。オフの11月6日に「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出された[11]。12月4日には第3回WBC日本代表候補選手34人に選出されている[12]。また2017年からは背番号を5から自身が侍ジャパン強化試合で付けており、かつ尊敬する元巨人長嶋茂雄の付けていた3に変更する。
2013年2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人に選出[13]。主に「9番・三塁手」として活躍。打率.333、5打点を記録し、準決勝進出に貢献した。
この年のシーズンでは、4月11日のオリックス戦ではサヨナラ本塁打を放った[14]。シーズン序盤は打率が2割3分台まで下降するなど低調だったが、交流戦に入ると徐々に調子を上げ、チームの4番に定着。内川聖一、長谷川勇也らと強力なクリーンナップを形成し、6月13日のヤクルト戦ではプロ初の1試合5安打をマークするなどチームの交流戦優勝の原動力となった[15]。夏場以降は好不調の波が激しく、柳田悠岐が頭角を現したこともあり、6番を打つこともあったが、最終的にはフルイニング出場を果たし、2年ぶりの20本塁打、打率.279、キャリアハイとなる90打点でシーズンを終えた。同年2年ぶり2度目のゴールデングラブ賞を受賞した。
2014年から選手会長に就任[16]。レギュラーシーズンでは、5月13日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で、涌井秀章からNPB公式戦通算9万5000本目の本塁打を放った。また、オールスターゲームのファン投票および選手間投票では、パシフィック・リーグの三塁手部門でいずれも1位を獲得している[17]。しかし、7月2日の対ロッテ戦(ヤフオクドーム)試合前練習中に、ノックの打球が右手人差し指を直撃。同日の試合には出場したが、翌3日に病院で診察を受け、右人さし指末節骨骨折で全治に6週間を要することが判明した。結局、3日付で出場選手登録抹消。2012年10月5日対オリックス戦からの公式戦連続フルイニング出場記録が218試合で止まった。また、7月4日には、球団を通じてオールスターゲーム出場の辞退を届け出[18](楽天の銀次が代替選手として出場)。結局、一軍復帰は8月26日の対日本ハム戦まで持ち越された[19]。復帰後は、9月10日の同カードで、大学の先輩に当たる木佐貫洋から球団通算8,000号本塁打を記録[20]。レギュラーシーズン最終戦であった10月2日の対オリックス戦(ヤフオクドーム)では、1対1で迎えた延長10回裏1死満塁の場面で比嘉幹貴から左中間へサヨナラ安打を放って、チームのパシフィック・リーグ優勝を決めた[21]。この安打は、スカパー!が選ぶドラマティックサヨナラ賞で、同リーグの年間大賞に選ばれている[22]。クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ阪神タイガースとの日本シリーズでは、第3戦まで不振に陥っていた。しかし、10月29日の第4戦では先制2点打[23]、翌30日の第5戦(いずれもヤフオクドーム)ではチームをシリーズ制覇に導く適時打を放っている[24]。その一方で、日本シリーズ後の日米野球2014には、日本代表の一員として出場[25]。11月14日の第2戦(東京ドーム)では、MLB選抜に選ばれていた元チームメイトの和田毅(シカゴ・カブス)から、チームの大会第1号本塁打(ソロ本塁打)を放った[26]。
2015年2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された[27]。3月10日の第1戦に「6番 三塁手」で先発出場し[28]、3月11日の第2戦には代打で途中起用され、ルーク・ゾマーから三振している[29]。シーズンでは主に6番打者として、シーズンの序盤から好調を維持していた。レギュラーシーズンの公式戦では、6月9日の対阪神戦(ヤフオクドーム)で公式戦通算1000安打を岩田稔からの2点本塁打で記録する[30]など、自己最多の35本塁打・94打点を記録。7月5日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では公式戦では自身初の1イニング2安打[31]、同月12日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では公式戦通算1000試合出場[32]、8月11日の対オリックス戦(ヤフオクドーム)では金子千尋から公式戦通算150本塁打を達成した[33]。また、2年振りにオールスターゲームへ出場。レギュラーシーズンの延長戦ではNPB史上3人目(パシフィック・リーグタイ記録)となるシーズン3本のサヨナラ本塁打[34]、チームの同リーグ連覇・クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、10月24日の第1戦(ヤフオクドーム)で先制本塁打を記録。シリーズでは自身の初本塁打であった[35]。本人曰く、このシーズンは「自分にとってとても自信になったシーズン」になったとのことである[36]。
この年のオフには第1回WBSCプレミア12の日本代表に選出され[37][38][39]、1次ラウンド第4戦(11月14日)アメリカ戦で7回表2死満塁の打席で満塁本塁打を記録し、チームの決勝トーナメント進出に貢献した。
その一方で、6月17日に海外FA権を取得したことを受けて、プレミア12開催中の11月9日にこの権利の行使を宣言。行使の選択肢を「メジャーリーグ(MLB)球団への移籍」か「ソフトバンクへの残留」に絞った上で、MLB球団から松田獲得のオファーが出された場合には、同大会の終了後に交渉へ応じる意向を表明した。ソフトバンクでは、球団史上初めて、「宣言後の残留」を松田への特例として容認[40]。11月11日には、NPBから海外フリーエージェント宣言選手として公示された[41]。公示後はMLBの複数球団が松田を獲得する動きを見せ、松田側はサンディエゴ・パドレスと交渉を進めていたが、三塁以外に複数の守備位置を守るという球団からの条件提示に難色を示し[42]、結局正式オファーには至らなかった[43]。松田は王貞治ソフトバンク会長からの要請で残留を決断し、12月24日の記者会見で残留を表明した。なお、残留に際しては、推定年俸総額16億円に出来高の条件を加えた4年契約を結んでいる[44]。
2016年開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された[45]。レギュラーシーズンでは主に5番(64試合)及び6番(72試合)で出場したが、7月には1番打者を7試合務めた機会があった(チームが28イニング連続で無得点に陥るなど不調の時期であることの起爆剤の意味合いがあったとのことである)[46]。全試合にスタメン出場したが、打率.259、27本塁打、85打点と前年より数字を落とした。特に、8月10日の対オリックス戦では「あと1人」の場面で代走を出されて、これにより「全試合フルイニング出場」を惜しくも逃すこととなってしまった[36][注 1]。クライマックスシリーズ・ファイナルシリーズでチームは日本ハムに敗退したが、球団最多タイの3本塁打を記録した[47]。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[48]。オフとなる12月22日、契約更改に臨み、複数年契約のため現状維持の4億円でサイン。同時に、背番号を佐々木誠や松中信彦らが使用していた「3」に変更することが発表された[49]。
2017年は、「侍ジャパンの開幕戦から、日本シリーズの最後まで、全部出続けたいな、と思います。それができたら本当に最高の1年になりますね」[36]と位置付けてキャンプインした。 侍ジャパンの小久保裕紀監督は2017年のWBCでキャプテンは置かないとしているが、チームのまとめ役に松田を指名している(キャプテン的な存在になる)。具体的には、円陣声出しの指名など。試合の方では、本大会、日本代表最終打者となった。
WBC終了後、シーズンが開幕すると、不振が続いた。4月30日の対オリックス・バファローズ戦でようやく第1号本塁打が出た[注 2]。6月27日の日本ハム戦では史上101人目となる200号本塁打を達成。同打席では左翼ポール際への打球でビデオ判定が行われたもののファールとなり、その直後の投球で同記録を達成[50]。
選手としての特徴
攻守走すべてにおいてスピード感あるプレーが持ち味で[51]、強肩を生かしたスローイングと三拍子揃ったプレーが魅力[52]。球界を代表する三塁手の一人と評価されることが多く、2016年のシーズンでは、「規定打席に到達&100試合以上三塁手を務めた」3人の日本人選手のうちの1人であった[53][54][55][注 3]。
打撃
安打のおよそ6割がレフト方向に飛ぶプルヒッター[56]。強靱なリストを生かした長打力を持ち味とし、かつてはリストの強さが諸刃の剣となり安定感に欠けていたが[57]、打撃コーチの立花義家から指導を受け、さらにリストの強さを生かした体の近くでボールを捉える打撃が2011年から2012年に導入されていた飛ばないボール(基準違反統一球)に合い[58]、多くの選手の本塁打数が減少した中、2011年には25本塁打を記録した。本人は「ボールを前でとらえて手をギュンと押し出す」というこの打撃を、金泰均の名前をもじった前テギュン打法と呼んでいる[59][60]。
打席で2ストライクに追い込まれるまでは小指がグリップエンドに触れる位置でバットを握り、追い込まれてからは指2本分短く持ちなおしてミートを重視する打撃にも2011年から取り組んでいる[61]。2012年には激減した三振の数が示すように打撃ではしぶとさと確実性が増した[52]。一方で2009年には打率.185を記録するなど内角に弱い[62]。
2014年まではライナー性の打球を持ち味としていたが、2015年には福岡ドームにホームランテラスが新設されたことで「常に外野フライを打つイメージ」とテラス対策に取り組んだ。自身初のシーズン30本塁打に到達し[63]、最終的に35本塁打を放ったが、内12本がホームランテラスへの本塁打だった[64]。
守備・走塁・その他
プロ入り前は50メートル走のタイムが6.1秒、遠投110メートルを記録する身体能力だった[65][2]。特に三塁到達までは11.59秒とトップスピードが速く、2008年には両リーグトップの三塁打を記録している[57]。
守備では主に三塁手として起用されるが、一塁手で起用されたこともあり、2010年には左翼手に就いたこともあった。三塁守備では2008年に17失策を記録するなど不安定さが目立っていたが、バントの処理を向上させた2010年には得点換算やUZRで平均を上回る数値を残している[66]。2016年シーズン終了時点で、通算5回のゴールデングラブ賞を受賞しているが、遊撃手の今宮健太とは、鉄壁の守備を築いて、共に2013年から4年連続でゴールデングラブ賞を受賞し続けていることもあり、2016年のシーズンオフには、今宮とのコンビを「黄金の三遊間」と称する記事が登場したほどである[54]。三塁線の打球を例え倒れ込んで捕球しても起き上がってから十分にアウトにできる肩の強さが最大の武器[67]。当初は守備に不安があったが「打球の予測や飛んでくる前の準備などの大事さを教わり、練習では取れない打球が試合で取れるようになった」と内野守備走塁コーチの鳥越裕介に感謝していた[68]。
ネクストサークルで素振りをした後、右足で片足跳びを数回行うことをルーティンとし、「あれが僕の調子のバロメーターなんですよ。上半身と下半身、そして体の左右のバランスがバッチリな時は、ケンケンがキマるんです。体のバランスが悪い時はうまく力を逃がしてやれず、ケンケンができない。下半身がグチャッと崩れてしまう感覚になるんです」という[69]。
人物
愛称は「マッチ」「まばたきマッチ」[注 4]。また、2016年シーズン以後は、「熱男」が、松田の愛称の一つとして呼ばれるようになった(元来は、2016年のチームスローガンとして使われた言葉であった)[36]。
大学時代は最上級生になるまで誰より先に日課をこなしてグラウンド整備も最後まで残り、活動停止期間も早朝練習を1日も欠かさなかった事などから、亜細亜大学の桑原務部長は「背中で周りを引っ張るタイプ。今の時代、口だけの人が多いが、松田は率先して自分から行動を起こす。」とリーダーシップを評価していた[2]。2006年2月当時の小川一夫スカウト部長は「他人に言われなくても、自分を追い込んで練習できる。」と述べた[70]。
2015年までのチームメイトであった松中信彦とは、家に招かれ会食するなど懇意な間柄で、例年オフにグアムで行う自主トレにもよく帯同している[71]。松中の引退後は、古澤勝吾(滋賀県出身としての後輩)、宮崎祐樹(亜細亜大学の後輩)と共に、シーズンオフのグアムでの自主トレに取り組んでいるとのことである[36]。
MLB球団への移籍については、2012年のシーズン終了後に、「日本人プレーヤーの待遇も(一時期とは)変わった。自分の評価を下げてまで行こうとは思わない。世界とはWBCでも戦える」と述べていた[72]。2015年に海外FA権の行使を宣言した際には、ソフトバンク球団を通じて、「『短い野球人生。悔いのない決断をするために自分の評価が聞きたい』との思いから、あえて海外FA権を行使しようと決意した。メジャーでのプレーの可能性があるのかを探ってみたい」というコメントを出している[40]。
2011年の終盤からヒーローインタビューを「1、2、3、マッチ!」という掛け声で締めることが恒例となっている[73][74][75]。
2015年と2016年は、ホームランを放つたびに、当時のスローガンであった「熱男〜!!」ポーズを披露することが恒例だった。当初は熱男ポーズを披露しなかったが、徐々に形成されていった[76]。2017年は、スローガンが「1(ワン)ダホー!」に変更されたことに伴い、「1ダホー!」ポーズに変更することとなった。
本人曰く、「全試合フルイニング出場」に強いこだわりがあるとのことであり、「僕の究極の目標であり続けている」と述べている[36]。理由として、「打って走れて守れる(=走攻守三拍子揃う)選手の証明であるから」とのことである[36]。そのため、2016年シーズンにおいて、「あと1球」で代走を出されてフルイニング出場を逃したことは「とても悔しかった」とのことである[36]。
2016年のシーズンオフに、背番号を「5」から「3」へと変更したが、本人曰く、下記のことを理由として述べている。
- 2015年のプレミア12における野球日本代表において、背番号「3」を着用したが、その際、もともと憧れの人物であった長嶋茂雄の背番号を実際に代表で着用できたことがとても嬉しくて、そして「かっこいい、所属チームでもいつか着用できれば」と思うようになったから[36]。
- (2016年に3連覇を逃したので)「王座奪還」への意気込みを示すため[36]。
- (2016年シーズンにおいて)わずか「1球」で「全試合フルイニング出場」を逃した悔しさから[36]。
- 個人として、キャリアハイを追い求め続ける思いを込めて[36]。
- チームも個人も成長し続けるために、チームリーダー役である自分自身にプレッシャーを掛けるため[36]。
先述のように、2016年シーズン以後、「熱男」が、自身の愛称の一つとして呼ばれるようになっているが、本人曰く、「『熱男』という愛称で呼んでもらうこと、あるいはそのように認識して頂けることがとても嬉しい。自分の中では野球選手をしていく上で本当にいい言葉をもらったと思っていて、本当に気に入っているんですよ」とのことである[36]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | ソフトバンク | 62 | 220 | 204 | 17 | 43 | 8 | 3 | 3 | 66 | 18 | 0 | 0 | 3 | 0 | 11 | 0 | 2 | 53 | 2 | .211 | .258 | .324 | .582 |
2007 | 74 | 221 | 193 | 28 | 49 | 13 | 2 | 7 | 87 | 22 | 3 | 0 | 6 | 2 | 17 | 0 | 3 | 35 | 5 | .254 | .321 | .451 | .772 | |
2008 | 142 | 595 | 551 | 68 | 154 | 33 | 10 | 17 | 258 | 63 | 12 | 6 | 8 | 1 | 28 | 1 | 7 | 115 | 11 | .279 | .322 | .468 | .790 | |
2009 | 46 | 175 | 160 | 21 | 45 | 13 | 2 | 8 | 86 | 24 | 1 | 0 | 7 | 0 | 7 | 0 | 1 | 32 | 1 | .281 | .315 | .537 | .853 | |
2010 | 113 | 458 | 424 | 61 | 108 | 20 | 3 | 19 | 191 | 71 | 17 | 3 | 8 | 6 | 14 | 2 | 6 | 90 | 7 | .255 | .284 | .450 | .735 | |
2011 | 144 | 582 | 525 | 77 | 148 | 31 | 7 | 25 | 268 | 83 | 27 | 9 | 3 | 3 | 41 | 3 | 10 | 128 | 11 | .282 | .344 | .510 | .854 | |
2012 | 95 | 390 | 360 | 41 | 108 | 28 | 7 | 9 | 177 | 56 | 16 | 10 | 0 | 2 | 27 | 5 | 1 | 63 | 7 | .300 | .349 | .492 | .840 | |
2013 | 144 | 626 | 584 | 86 | 163 | 26 | 5 | 20 | 259 | 90 | 13 | 7 | 2 | 7 | 27 | 1 | 6 | 124 | 11 | .279 | .314 | .443 | .758 | |
2014 | 101 | 423 | 392 | 54 | 118 | 20 | 3 | 18 | 198 | 56 | 12 | 6 | 1 | 4 | 24 | 0 | 2 | 80 | 13 | .301 | .341 | .505 | .846 | |
2015 | 143 | 603 | 533 | 91 | 153 | 22 | 2 | 35 | 284 | 94 | 8 | 10 | 0 | 8 | 60 | 3 | 2 | 135 | 17 | .287 | .357 | .533 | .889 | |
2016 | 143 | 609 | 548 | 79 | 142 | 23 | 5 | 27 | 256 | 85 | 6 | 6 | 0 | 5 | 48 | 2 | 8 | 141 | 14 | .259 | .325 | .467 | .792 | |
通算:11年 | 1207 | 4902 | 4474 | 623 | 1231 | 237 | 49 | 188 | 2130 | 662 | 115 | 57 | 38 | 38 | 304 | 17 | 48 | 996 | 99 | .275 | .325 | .476 | .802 |
- 2016年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
WBCでの打撃成績
年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 日本 | 7 | 23 | 21 | 5 | 7 | 2 | 0 | 1 | 12 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | .333 | .429 | .571 |
2017 | 7 | 25 | 24 | 8 | 8 | 1 | 0 | 1 | 12 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | .333 | .320 | .500 |
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2006 | ソフトバンク | - | 58 | 30 | 104 | 9 | 9 | .937 | - | ||||||||||
2007 | 22 | 170 | 11 | 1 | 14 | .995 | 47 | 17 | 81 | 4 | 7 | .961 | - | ||||||
2008 | - | 142 | 85 | 238 | 17 | 27 | .950 | - | |||||||||||
2009 | - | 45 | 27 | 66 | 5 | 6 | .949 | - | |||||||||||
2010 | 2 | 30 | 1 | 0 | 5 | 1.000 | 108 | 41 | 187 | 8 | 11 | .966 | 13 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2011 | - | 144 | 97 | 296 | 13 | 26 | .968 | - | |||||||||||
2012 | - | 95 | 49 | 189 | 6 | 12 | .975 | - | |||||||||||
2013 | - | 144 | 76 | 269 | 11 | 20 | .969 | - | |||||||||||
2014 | - | 101 | 50 | 166 | 7 | 10 | .969 | - | |||||||||||
2015 | - | 143 | 76 | 256 | 8 | 19 | .976 | - | |||||||||||
2016 | - | 143 | 84 | 264 | 12 | 27 | .967 | - | |||||||||||
通算:11年 | 24 | 200 | 12 | 1 | 19 | .995 | 1170 | 632 | 2116 | 100 | 174 | .965 | 13 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
- 2016年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 太字年はゴールデングラブ賞受賞年
表彰
- ゴールデングラブ賞:5回 (三塁手部門:2011年、2013年 - 2016年)
- スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞 年間大賞:2回 (2011年、2014年)
- スカパー! サヨナラ賞:2回 (2013年3・4月、2015年3・4月)
- ベスト・プラウド・ファーザー賞 in「プロ野球部門」 (2013年)
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2006年3月25日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、2回裏に久保康友から一塁前犠打
- 初安打:2006年3月28日、対西武ライオンズ1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、3回裏に帆足和幸から左越二塁打
- 初打点:2006年4月5日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(東京ドーム)、7回表に武田久から三塁ゴロの間に記録
- 初本塁打:2006年4月22日、対オリックス・バファローズ5回戦(大阪ドーム)、7回表に松村豊司から左越2ラン
- 初盗塁:2007年9月7日、対オリックス・バファローズ19回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回裏に二盗(投手:大久保勝信、捕手:前田大輔)
- 節目の記録
- 100本塁打:2013年8月1日、対オリックス・バファローズ14回戦(京セラドーム大阪)、8回表に近藤一樹から右越3ラン ※史上269人目
- 1000本安打:2015年6月9日、対阪神タイガース1回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、3回裏に岩田稔から左越2ラン ※史上280人目
- 150本塁打:2015年8月11日、対オリックス・バファローズ17回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、2回裏に金子千尋から中越ソロ ※史上161人目
- 200本塁打:2017年6月27日、対北海道日本ハムファイターズ10回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、4回裏に高梨裕稔から中越3ラン ※史上101人目[77]
- その他記録
- サヨナラ振り逃げ:2014年5月6日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、9回裏に増井浩俊から ※史上2人目
- 日本プロ野球通算95000号本塁打:2014年5月13日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(QVCマリンフィールド)、2回表に涌井秀章から中越2ラン [78]
- オールスターゲーム出場:6回 (2011年 - 2013年、2015年 - 2017年) ※2014年はファン投票選出されるも出場辞退
背番号
- 5 (2006年 - 2016年)
- 3 (2017年 - )
現在の登場曲
- 関ジャニ∞ 『オモイダマ』
- キング・クリームソーダ『ゲラゲラポーのうた』
- Dream5+ブリー隊長 『ダン・ダン ドゥビ・ズバー!』
- 近藤真彦 『ギンギラギンにさりげなく』
- ビーグルクルー 『熱男』
- ドン・オマール『Danza Kduro』
- Ryo 『HOMARE』
- RADWIMPS 『前前前世』
- 星野源 『恋』
過去の登場曲
- 倖田來未『Butterfly』(ルーキーイヤーに使用。)
- GReeeeN 『愛唄』
- 嵐『Believe』
- 嵐 『Troublemaker』
- 少女時代 『Gee』
- 少女時代 『MR.TAXI』
- Kra 『artman』
- 斉藤和義 『やさしくなりたい』
- GReeeeN 『ミセナイナミダハ、きっといつか』
- AKB48 『フライングゲット』
- miwa 『ヒカリヘ』
- ゴールデンボンバー 『女々しくて』
- PSY 『江南スタイル』
- 嵐『Breathless』
- David Guetta feat, Nicki Minaj 『Turn Me On』
- B'z『LOVE PHANTOM』
- B'z『裸足の女神』
- B'z『ultra soul』
- ポルノグラフィティ『ミュージックアワー』『アポロ』
- May J.『Let It Go』
代表歴
- 侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
- 日米野球2014
- GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 野球日本代表
- 2015 WBSCプレミア12 日本代表
- 侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ 野球日本代表
- 侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合 野球日本代表
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
関連情報
著書
- 松田宣浩 メッセージBOOK マッチアップ(2013年10月、廣済堂)
出演
CM
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脚注
注釈
- ^ この試合は、「6番・三塁手」としてスタメン出場。9回二死から四球により出塁したが、直後に代走として城所龍磨を送られて途中交代となり、次打者である吉村裕基が1球目を三ゴロで試合終了となった。そのため本人は、「あと1球で逃して悔しかった」ことを、2017年1月のインタビューにて繰り返し言及している。
- ^ この日は「KANSAI CLASSIC 2017」として、オリックスが近鉄バファローズ、ソフトバンクが南海ホークスの復刻ユニフォームをそれぞれ着用して試合に臨んだ。
- ^ 他の2人とは、村田修一(巨人)、川端慎吾(ヤクルト)である。このため松田は、2016年シーズンにて、パリーグの日本人選手としては「規定打席に到達&100試合以上三塁手を務めた」唯一の選手であったことになる。
- ^ 2017年2月現在、自身のツイッターのアカウントに、「マッチ(match)」という言葉が含まれている。
出典
- ^ “ホークス松田 念願の背番号3”. 西日本新聞. 2017年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 【ドラフト連載】松田にリーダーシップの資質 2005年12月5日 日刊スポーツ九州
- ^ 希望枠・松田は「五輪に出たい」 2005年11月19日
- ^ 「ガンガン押していく」鷹の希望枠・松田が“井口超え”宣言 2005年11月19日SANSPO.COM
- ^ 希望枠・松田が仮契約 2005年12月2日 日刊スポーツ九州
- ^ a b 希望枠・松田「どこでもやります」鷹が新入団選手発表 2005年12月6日SANSPO.COM
- ^ ソフトバンクがバティスタを解雇 2005年12月2日 日刊スポーツ九州
- ^ a b 『激闘!!逆襲の予感 HAWKS 2006』西日本新聞社、2006年、58頁頁。ISBN 4-8167-07-07-7。
- ^ 2リーグ制移行初!本多、川崎、松田がフルイニング出場 - スポーツニッポン(2011年10月23日)
- ^ 【ソフトB】松田右手骨折で今季ほぼ絶望 - 日刊スポーツ
- ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
- ^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
- ^ 2013WBC日本代表28選手の発表 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
- ^ サヨナラ賞にセ福留、パ松田 - 日刊スポーツ
- ^ 【ソフトB】松田初5安打で交流戦Vに花 - 日刊スポーツ
- ^ ソフトB新選手会長に松田「ビールかけの音頭をとりたい」 - スポーツニッポン(2013年11月23日)
- ^ “松田 離脱 右手骨折全治6週間”. 西日本新聞. (2014年7月4日) 2014年7月5日閲覧。
- ^ 松田宣浩選手のオールスター出場辞退について - 福岡ソフトバンクホークス公式サイト(2014年7月4日)
- ^ ソフトバンク松田スタメン復帰「完全に復活」 - 日刊スポーツ(2014年8月26日)
- ^ ソフトバンク松田が球団通算8000号 - 日刊スポーツ(2014年9月10日)
- ^ ソフトバンク 3年ぶりリーグV!サヨナラ決着、22年ぶりマジック点灯なしの頂点スポーツニッポン2014年10月2日配信
- ^ ソフトバンク松田 来季もサヨナラ男だ - 日刊スポーツ(2014年12月2日)
- ^ ソフトバンク松田、絶不調5番が先制の2点打 - 日刊スポーツ(2014年10月30日)
- ^ V打松田、師匠秋山監督いたから今が… - 日刊スポーツ(2014年10月31日)
- ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧
- ^ 松田、先輩和田斬り侍1号 - 日刊スポーツ(2014年11月14日)
- ^ 欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集 侍ジャパン公式サイト (2015年2月16日) 2015年3月22日閲覧
- ^ ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第1戦 2015年3月10日(火) 東京ドーム 打席結果・投打成績 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年3月10日) 2016年3月10日閲覧
- ^ ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第2戦 2015年3月11日(水) 東京ドーム 打席結果・投打成績 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年3月11日) 2016年3月10日閲覧
- ^ ソフトバンク松田1000安打は14号2ラン「熱男~」 - 日刊スポーツ(2015年6月9日)
- ^ ソフトバンク松田「初めてです」1イニング2安打- 日刊スポーツ(2015年7月5日)
- ^ ソフトバンク松田、プロ通算1000試合出場を達成- 日刊スポーツ(2015年7月12日)
- ^ ソフトバンク松田が通算150号 史上161人目- 日刊スポーツ(2015年8月11日)
- ^ ソフトバンク松田3人目延長サヨナラ弾シーズン3発- 日刊スポーツ(2015年9月6日)
- ^ ソフトバンク松田、貴重な先制点は日本シリーズ初本塁打 - 日刊スポーツ(2015年10月24日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『週刊ベースボール』2017年2月13日&2月20日合併号、9頁~13頁。
- ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年7月16日) 2015年8月4日閲覧
- ^ 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧
- ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年10月9日) 2015年10月9日閲覧
- ^ a b ソフトバンク、メジャー視野の松田慰留へ FA宣言残留を特例許可で待つ - スポーツニッポン(2015年11月10日)
- ^ 2015年度 フリーエージェント宣言選手 - 2015年11月17日閲覧
- ^ プロ野球:FA宣言の松田が残留…ソフトバンク 毎日新聞 2015年12月24日
- ^ 松田内野手:ソフトに残留 パドレス正式オファーに至らず 毎日新聞 2015年12月24日
- ^ 松田 ソフトバンク残留表明、王会長の言葉で決断 - スポーツニッポン(2015年12月24日)
- ^ 3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年2月15日) 2016年2月17日閲覧
- ^ ソフトバンク奇策、4季ぶり1番松田から初回3点日刊スポーツ 2016年7月7日掲載
- ^ ソフトバンク松田3ラン CSファイナル3本目日刊スポーツ 2016年10月16日掲載
- ^ 11月に東京ドームで開催する侍ジャパン強化試合に出場する選手28名が決定 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2016年10月18日) 2016年10月18日閲覧
- ^ ホークス松田 念願の背番号3 西日本新聞 2016年12月23日
- ^ “ソフトバンク松田200号 リプレー幻弾後打ち直し - 野球”. 日刊スポーツ (2017年6月27日). 2017年7月2日閲覧。
- ^ 松田宣浩 (スポーツアルバム No. 31) 、ベースボール・マガジン社、2012年、P10
- ^ a b ベースボールマガジン増刊 WBC公式プログラム 2013年 04月号、ベースボール・マガジン社、P25
- ^ “ホークス松田 念願の背番号3”. 西日本新聞. 2017年1月15日閲覧。
- ^ a b ““黄金の三遊間” 松田宣浩&今宮健太の偉業”. ベースボールキング. 2017年1月15日閲覧。
- ^ “かつては花形ポジションも…日本の三塁手事情”. ベースボールキング. 2017年1月15日閲覧。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、22頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクトムック、2010年、345頁頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ 侍ジャパンのムードメーカー宣言! 松田宣浩、WBC日本代表への道。 - Number Web(2013年1月8日)
- ^ 【ソフトB】松田が「手ギュン」適時打 - 日刊スポーツ(2012年4月1日)
- ^ ソフトB松田 前テギュンに小学生困惑? - 日刊スポーツ(2012年12月23日)
- ^ 松田“不動心”で決勝弾!ソフト再び単独首位 - スポーツニッポン
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、109頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ 松田 10本目“テラス弾”で初30号 発案者の孫オーナー上機嫌 - スポーツニッポン(2015年9月6日)2015年9月14日閲覧。
- ^ ホークスの懸案、松田&李大浩の去就 主砲2選手のメジャー希望の行方は? - フルカウント(2015年11月19日)2015年11月29日閲覧。
- ^ ホークス週間MVP
- ^ Baseball Lab守備評価〜Third Baseman - SMR Baseball Lab(2011年1月20日)
- ^ 松田宣浩 (スポーツアルバム No. 31) 、ベースボール・マガジン社、2012年、P32
- ^ 松田 生涯サード宣言 2度目GG賞 西日本新聞 2013年11月8日(2013年11月8日時点のアーカイブ)
- ^ Close up〝前手ギュン打法〟で世界を驚かす 松田宣浩 福岡ソフトバンク「ジャパンのサードは任せろ!」 - フライデー(2013年1月13日)
- ^ 松田三塁獲りリード! 2006年2月5日 日刊スポーツ九州
- ^ 開幕戦逆転勝利!!! - ウェイバックマシン(2008年6月15日アーカイブ分) - 松田宣浩公式ブログ(2008年3月21日)
- ^ ソフトB・松田はメジャーより日本「自分の評価下げてまで…」 - スポーツニッポン(2012年12月24日)
- ^ 「ここいくしかない!」松田が今季チーム初サヨナラ打 2012年7月13日スポニチ
- ^ ソフトB松田 来季も明るく「1、2、3、マッチ!」 2013年12月31日東スポWeb
- ^ ソフトB松田、松坂のお立ち台手掛ける 2014年12月15日 日刊スポーツ
- ^ ホークス・松田の「熱男ポーズ」まとめ パシフィック・リーグTV 2016年1月8日
- ^ “ソフトバンク松田、打ち直しで快挙!史上101人目通算200本塁打 ファウル直後に”. デイリースポーツ. (2017年6月27日) 2017年6月27日閲覧。
- ^ ソフトB 松田がプロ野球9万5000号「区切りとなる本塁打 うれしい」スポーツニッポン2014年5月13日配信
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 松田宣浩 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手名鑑 3 松田 宣浩 - 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
- 松田宣浩オフィシャルブログ「1・2・3!Match!」 - Ameba Blog
- 松田宣浩 (@match_NO3) - X(旧Twitter)