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[[サッカーアルジェリア代表|アルジェリア代表]]として[[1978年]]から[[1992年]]までの14年間プレーし、[[1982 FIFAワールドカップ|1982年]]と[[1986 FIFAワールドカップ|1986年]]のワールドカップに出場した。87試合で40得点を挙げ、アルジェリア代表での最多得点者になっている。 |
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地元クラブやフランスのクラブを経て、[[FCポルト]]に移籍。[[1986年|1986]]/[[1987年|87]]シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]決勝の[[バイエルン・ミュンヘン]]戦では、ヒールキックのゴールを決めて同点とし、直後に決勝点をアシストして優勝に貢献。この活躍から同年の[[アフリカ年間最優秀選手賞]]に輝いている。 |
地元クラブやフランスのクラブを経て、[[FCポルト]]に移籍。[[1986年|1986]]/[[1987年|87]]シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]決勝の[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦では、ヒールキックのゴールを決めて同点とし、直後に決勝点をアシストして優勝に貢献。この活躍から同年の[[アフリカ年間最優秀選手賞]]に輝いている。 |
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[[1987年|1987]]/[[1988年|88]]シーズンは[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]、[[プリメイラ・リーガ|ポルトガルリーグ]]に優勝。その後[[バレンシアCF]]を経てポルトに戻り、[[1990年|1990]]/[[1991年|91]]シーズンを最後に引退した。引退後は監督の道に進み、アルジェリア代表監督にもなった。 |
[[1987年|1987]]/[[1988年|88]]シーズンは[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]、[[プリメイラ・リーガ|ポルトガルリーグ]]に優勝。その後[[バレンシアCF]]を経てポルトに戻り、[[1990年|1990]]/[[1991年|91]]シーズンを最後に引退した。引退後は監督の道に進み、アルジェリア代表監督にもなった。 |
2017年8月29日 (火) 09:51時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | 踵の魔術師 | |||||
ラテン文字 | Rabah MADJER | |||||
アラビア語 | رابح ماجر | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルジェリア | |||||
生年月日 | 1958年2月15日(66歳) | |||||
出身地 | フセイン・デイ | |||||
身長 | 178kg | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
代表歴 | ||||||
1978-1992 | アルジェリア | 87 | (28) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ラバー・マジェール(رابح ماجر, Rabah Madjer、1958年2月15日 - )は、アルジェリア出身のサッカー選手、サッカー指導者。アルジェリアサッカー史上最も偉大な選手とされる。ヒールキックが得意であったため、タロンナード(Talonnade=踵の魔術師)と呼ばれた。
来歴
アルジェリア代表として1978年から1992年までの14年間プレーし、1982年と1986年のワールドカップに出場した。87試合で40得点を挙げ、アルジェリア代表での最多得点者になっている。
地元クラブやフランスのクラブを経て、FCポルトに移籍。1986/87シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、ヒールキックのゴールを決めて同点とし、直後に決勝点をアシストして優勝に貢献。この活躍から同年のアフリカ年間最優秀選手賞に輝いている。
1987/88シーズンはトヨタカップ、ポルトガルリーグに優勝。その後バレンシアCFを経てポルトに戻り、1990/91シーズンを最後に引退した。引退後は監督の道に進み、アルジェリア代表監督にもなった。
2009年現在はUEFAトロフィーツアー親善大使に就任している。
選手経歴