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2017年7月29日 (土) 00:15時点における版
仙台駐屯地 JGSDF Camp Sendai | |
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位置 | |
所在地 | 宮城県仙台市宮城野区南目館1-1 |
座標 | 北緯38度15分41.8秒 東経140度55分13.7秒 / 北緯38.261611度 東経140.920472度座標: 北緯38度15分41.8秒 東経140度55分13.7秒 / 北緯38.261611度 東経140.920472度 |
概要 | |
主要部隊 |
東北方面総監部 東北方面警務隊 自衛隊仙台病院 ほか |
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開設年 |
1941年(昭和16年)(旧陸軍) 1960年(昭和35年) |
仙台駐屯地(せんだいちゅうとんち)は、宮城県仙台市宮城野区南目館1-1に所在する陸上自衛隊の駐屯地。方面総監部をはじめとする方面直轄部隊・機関が多数駐屯しており、東北方面隊の中核となる駐屯地である。
最寄の演習場は、王城寺原演習場。駐屯地司令は、東北方面総監部幕僚長が兼務。
沿革
大正時代までの仙台市域は概ね仙台城下町を基礎にする市街地のみであったが、1926年(大正15年)郡制が完全廃止となると、1928年(昭和3年)の原町等を皮切りに1941年(昭和16年)の岩切村等まで、隣接する宮城郡・名取郡の町村を仙台市は次々編入合併し、市内に旧宿場町や農村地帯を抱え込んで人口も増加した[1]。
一方、1927年(昭和2年)に内務省が土地区画整理審査標準を定めたことで土地の造成が容易になった。これにより仙台市は、仙台市街地東郊の新市域において、1932年(昭和7年)に東北本線に東仙台駅が新設されたのに伴って、宮城野原練兵場の東側に広がる田圃等を住宅地や工業地域として順次開発していった。その一角に工場である陸軍造兵廠(のちの仙台駐屯地)も設置された。
占領期に陸軍造兵廠が進駐軍キャンプに転用されてからは同区画のみ軍事施設として使用され続け、現在も仙台駐屯地となっている。他方、同駐屯地以外の開発地域は、国道4号・仙台バイパスの建設・開通に合わせて、さらに周囲の土地も含めて流通・工業地区(東部流通団地・東部工業団地)等への開発が行われた。また、宮城野原練兵場および周辺の軍事施設は、公園・病院・学校・合同庁舎等に転用された。なお、仙台市電原の町線は戦後の開通である。
東京第一陸軍造兵廠仙台製造所
- 1925年(大正14年)6月5日:宮城電気鉄道開通。当地付近には陸前原ノ町駅が設置される(北緯38度15分58.2秒 東経140度54分39.3秒)。
- 1928年(昭和3年):原町・長町・七郷村南小泉を仙台市に編入。宮城電気鉄道に新田駅設置(北緯38度16分20.9秒 東経140度55分27.1秒)。
- 1932年(昭和7年):大年寺山断層[2]と東北本線とが交差する辺りに東仙台駅が開業(北緯38度16分35.6秒 東経140度55分11.7秒)。同年より、東仙台駅周辺から現苦竹駅北側までの地域[3]において、旧都市計画法に基く組合土地区画整理事業が施行された[4]。
- 1938年(昭和13年):東仙台の造成終了の翌年、同区画整理地区の南側に隣接する長町 - 利府線(断層)[2]東南方の沖積平野にある田圃を1反当たり500円で買い上げ、陸軍造兵廠の建設が開始。
- 1941年(昭和16年):「東京第一陸軍造兵廠仙台製造所」が設置される。
- 1942年(昭和17年):陸軍造兵廠を取り囲むように、原町工業都市建設土地区画整理事業が開始された(終戦後も継続)[5]。
- 1943年(昭和18年)2月8日:梅田川左岸(北岸)にあった新田駅を、陸軍造兵廠がある梅田川右岸(南岸)に移転させて苦竹駅に改称 (北緯38度16分7.3秒 東経140度55分7.7秒)。
- 1945年(昭和20年)7月10日:仙台空襲。当廠は被害を免れた。
キャンプ・シンメルフェニヒ
- 1945年(昭和20年)9月:陸軍造兵廠が接収され、進駐軍の「キャンプ・シンメルフェニヒ[† 1][† 2]」(Camp Schimmelpfennig[† 3]。略称:Camp Schimm。別名:苦竹キャンプ)となる[6]。
- 1948年(昭和23年)5月5日:仙台市電原の町線が全線開業し、原町駅前電停が設置される(北緯38度16分1.9秒 東経140度54分40.5秒)。
- 1950年(昭和25年):警察予備隊が苦竹キャンプ内に創設される。
- 1957年(昭和32年)
仙台駐屯地
- 1958年(昭和33年)3月25日:南仙台駐屯地開設[7]。
- 1960年(昭和35年)
- 1月14日:東北方面総監部が設置。
- 8月12日:南北駐屯地を併合。仙台駐屯地となる[8]。
- 1961年(昭和36年)8月10日:第22普通科連隊が多賀城へ移駐。
- 1971年(昭和46年)7月24日:陸上自衛隊仙台地区病院が新設される[9]。
- 1976年(昭和51年)4月1日:仙台市電廃止に伴い、原町駅前電停廃止。
- 2006年(平成18年)3月27日:方面混成団、方面後方支援隊及び方面衛生隊を新編
- 2008年(平成20年)3月26日:第305保安中隊を東北方面警務隊隷下に編成替え
- 2009年(平成21年)3月26日:東北方面情報処理隊を新編
- 2010年(平成22年)3月26日:第2特科群を東北方面特科隊に改編
駐屯部隊・機関
- 東北方面総監部
- 東北方面総監部付隊
東北方面総監直轄部隊・機関
- 東北方面混成団
- 東北方面特科隊
- 東北方面通信群
- 東北方面後方支援隊
- 本部付隊
- 第108全般支援大隊
- 第102特科直接支援隊
- 第303通信直接支援隊
- 第301弾薬中隊
- 東北方面衛生隊
- 東北方面会計隊
- 東北方面指揮所訓練支援隊
- 東北方面情報処理隊
- 東北方面音楽隊
- 陸上自衛隊東北補給処
- 仙台駐屯地業務隊
防衛大臣直轄部隊・機関
- (警務隊)
- 東北方面警務隊
- 第305保安警務中隊
- 東北方面警務隊
- (陸上自衛隊会計監査隊)
- 東北方面分遣隊
施設
防衛館
戦国時代から昭和までの陸戦や陸上自衛隊に関する写真・資料を展示している博物館。
最寄の幹線交通
- 高速道路:仙台東部道路仙台東IC
- 一般道路:国道4号、国道45号、国道48号、国道286号、宮城県道23号仙台塩釜線、宮城県道・山形県道62号仙台山寺線、宮城県道137号荒浜原町線、宮城県道235号荒井荒町線、宮城県道264号大衡仙台線
- 鉄道:JR東日本東北新幹線/東北本線/仙石線/仙山線/仙台市地下鉄南北線 仙台駅、仙石線 苦竹駅
- 港湾:仙台塩釜港(特定重要港湾)、石巻港(重要港湾)
- 飛行場:仙台空港(第二種空港)松島基地、霞目飛行場(その他の飛行場)
その他
- 仙台駐屯地は、周囲を国道45号、JR仙石線、JR東北本線(宮城野貨物線)、市道舘西町7号線[10]、都市計画道路元寺小路福室線、市道苦竹中線[11]で囲まれている。
- 正門は南側にあり、門前から南方向に「東の杜大通」が延びている。
- 北門から西にすぐの場所に仙石線・苦竹駅がある。これは、造兵廠への通勤者のために設置されたもの。設置された当時は宮城電気鉄道の駅で、戦時買収で国有化された。
- 造兵廠への物資輸送のため、仙石線・苦竹駅のやや仙台駅寄りから造兵廠へ引込み線が分岐していた。また、仙台駅の東側には、仙石線と東北本線との間で短絡線も設置された(両線とも現在は廃線)。
- アメリカ陸軍参謀総長などを歴任したジョージ・ケイシー・ジュニア将軍は進駐軍の将校だった父ジョージ・ケイシー・シニアの元、この駐屯地が苦竹キャンプだった頃にキャンプ内で生まれた。
- 自衛隊のCamp Sendaiはこの仙台駐屯地であるが、進駐軍のCamp Sendaiは大日本帝国陸軍・第2師団等跡地(旧仙台城二の丸等)に設営された方を指す。現在は東北大学川内キャンパスとなっている。
- 現在の仙台駐屯地の東側(市道苦竹中線[11]より東側)にも造兵廠の土地は広がっていた。自衛隊に引き継がれなかったこの土地では、1967年(昭和42年)4月14日〜6月12日に東北大博覧会が開催された。1983年(昭和58年)5月31日に払い下げられた6,500m2分は、仙台トラックターミナルとなった。また、1985年(昭和60年)3月に19億8300万円で払い下げられた26,268m2分は、仙台市中央卸売市場本場花き部の移転地となった[12]。
- 市内でバイク・自転車店を展開するハヤサカサイクルが、駐屯地内に「陸上自衛隊仙台駐屯地店」を出店している。
アクセス
- JR仙石線・苦竹駅より徒歩2分。
- 仙台市地下鉄東西線・卸町駅より徒歩14分。
- 仙台東部道路・仙台東ICから宮城県道23号仙台塩釜線(産業道路)を西進し、「大和町4丁目」交差点で東の杜大通に入って北進すると正門に至る。道程3.8km。
- 防衛館観覧者用駐車場
- 普通車10台、バス1台
脚注
注釈
出典
- ^ 仙台市区政概要 (PDF) (仙台市)
- ^ a b 図1-4-1-1(H10 宮城県:長町-利府線断層帯(稠密浅層ボーリング調査・地層抜き取り調査)「2 既往調査成果の概要」)
- ^ 土地区画整理事業地区位置図(平成21年9月現在) (PDF) (仙台市)
- ^ 仙台市の土地区画整理事業のあゆみ(仙台市)
- ^ 仙台市の土地区画整理事業(仙台市)
- ^ a b c 8. 苦竹 苦竹御蔵と舟曳堀(仙台市中央市民センター「仙台藩をささえた米の道 蒲生から原町」)
- ^ a b 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和33年3月22日政令第34号)
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和35年8月6日政令第229号)
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和46年7月20日政令第247号)
- ^ 仙台市道宮城野1196号・舘西町7号線
- ^ a b 仙台市道宮城野1094号・苦竹中線
- ^ 仙台市中央卸売市場本場花き部の沿革
関連項目
- せんだい 宮の杜(陸軍造兵廠の小田原地区の跡地)
- 仙台城(二の丸が進駐軍キャンプ・センダイとして利用された)
- 榴岡公園(歩兵第4連隊跡地に進駐軍キャンプ・ファウラーが設置され、のちに公園化。宮城野練兵場の西側に隣接)
- 宮城野原公園総合運動場(陸軍造兵廠の西側にあった宮城野練兵場の跡地に設置)
- 騎兵第2連隊(宮城野練兵場の南側に隣接)
- 国立病院機構仙台医療センター(宮城野練兵場の北側に隣接。仙台陸軍病院臨時宮城野原分院を端緒とする)
外部リンク
- 仙台駐屯地の紹介(東北方面隊公式サイト)
- 造兵廠~米軍キャンプ~陸上自衛隊(仙台市中央市民センター『仙台の歴史と暮らしの原風景「宮城野」』)
- 苦竹に軍需工場があった・・・・・戦時下の生徒たち(宮城県仙台第三高等学校新聞部)
- Camp Schimmelpfennig