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||1962年 - 1964年6月28日||兼 合宿所およびレッスン場。豊島区西池袋1-3-6の芸能事務所「名和プロダクション」が運営していたタレント養成所「新芸能学院」。 |
||1962年 - 1964年6月28日||兼 合宿所およびレッスン場。豊島区西池袋1-3-6の芸能事務所「名和プロダクション」が運営していたタレント養成所「新芸能学院」。 |
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||東京都 |
||東京都[[新宿区]][[四谷]]3-1-3-2F |
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||1964年6月29日 - ||兼 合宿所。1Fは当時お茶漬け屋だったが、元々はメリー喜多川が経営していたカウンターバー「スポット」だった。 |
||1964年6月29日 - ||兼 合宿所。1Fは当時お茶漬け屋だったが、元々はメリー喜多川が経営していたカウンターバー「スポット」だった。 |
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2016年11月29日 (火) 00:16時点における版
ジャニーズ事務所 | |
種類 | 株式会社 |
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略称 | ジャニーズ |
本社所在地 |
日本 〒107-0052 東京都港区赤坂8丁目11番20号 北緯35度40分6.6秒 東経139度43分43.8秒 / 北緯35.668500度 東経139.728833度座標: 北緯35度40分6.6秒 東経139度43分43.8秒 / 北緯35.668500度 東経139.728833度 |
設立 |
1962年6月 - 創業 1975年1月30日 - 法人登記 |
業種 | 芸能プロダクション |
代表者 |
喜多川 擴(代表取締役社長) 藤島・メリー・泰子(代表取締役副社長) 藤島・ジュリー・景子(代表取締役副社長) |
関係する人物 | 喜多川 擴(創業者) |
外部リンク | http://www.johnnys-net.jp/ |
株式会社 ジャニーズ事務所(ジャニーズじむしょ)は、日本の芸能プロダクション。
沿革
創設者の喜多川 擴(ジャニー喜多川)が、第二次世界大戦終了後、再渡米した際に劇場のステージマネージャーをしており、袖口から舞台を観ていて感動したことをきっかけに芸能事務所の創設を考えるようになる。また、アメリカに滞在していた高校時代に、ロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」でアルバイトをしており、様々なステージを観ている内に、エンターテインメントに感銘を受けたという説もある。
帰国後の1950年代初頭、知人が野球チームを作っていたために、これを真似て自らも野球チーム「ジャニーズ」を作った。近所の少年約30名を集め、東京都・代々木にあった占領軍施設「ワシントンハイツ」にてコーチをしていた。メンバーには、浜田光夫、小畑やすし、設楽幸嗣らがおり、応援団には松島トモ子がいた。プロ球団や力道山などに支援され、練習場は後に池袋の立教大学グラウンドへ移行した。チーム名は、「オール・ヘターズ」、「オール・エラーズ」を経て、喜多川擴のアメリカ国籍でのニックネーム「ジャニー」から採った「ジャニーズ」に落ち着いた。この中の4名の少年でジャニーズを結成させジャニーズ事務所の設立に繋がった。
初期に公表された経緯では1962年1月過ぎのある雨の日、野球チームでたまに球拾いをしていた仲良しメンバー4人組を誘い、映画『ウエスト・サイド物語』を観せに連れて行く。そして、映画に感動を覚えた4人組が同年4月に「ジャニーズ」を結成したとされている。ジャニー喜多川の姉・メリー喜多川は1950年代にカウンターバーを経営しており、バーの客だった東京新聞記者(後に作家)の藤島泰輔と結婚。弟のジャニーが事務所を興すと、メリーもバーを閉店し、事務所の経理を担当するようになった。
当時はマネジメントを渡辺プロダクションに委託していたが、1962年6月に独立しジャニーズ事務所を創立。1975年1月、株式会社に法人登記した。元々は代表・ジャニー喜多川の個人事務所で正式名はなく「ジャニーズの所属事務所」の意でこの名を使用していた。
特色
男性アイドルの養成・育成
伝統的に男性アイドルの育成に力を入れている。特に、ジャニーズJr.から独り立ちしたグループの養成・育成に力を入れている。また、あくまで芸能事務所としての活動を本分としている。たとえば先行したホリプロダクションが所属タレントの山口百恵らの主演映画を子会社のホリ企画制作によって製作し、東宝には配給しか任せなかった(撮影所や製作機構すら日活をレンタルした)のに対し、この後を襲う形で東宝のドル箱となったたのきんトリオ、少年隊らの主演映画については製作も東宝に一任した。自社のウィングを広げるよりは外部との提携を重んじるスタンスともいえる。
女性アイドルの在籍実績
1980年代中頃まで女性タレントも在籍していた時期があるが(飯野矢住代、嶋田じゅん、藤島ジュリー景子、VIP、スリーヤンキース、オレンジ・シスターズなど)、1985年のオレンジ・シスターズの引退後は男性アイドルの育成に特化しており、女性タレントは所属していない。
タレント育成方針およびレコード・CDデビュー
未来のアイドルを目指すジャニーズJr.を育成している。
グループが結成され、そのグループに提供された楽曲をテレビなどで歌唱したり単独コンサートを開催したりしても、社長のジャニー喜多川が認めなければCDデビューはできない(現在、事務所に所属している少年隊、SMAP、TOKIO、KinKi Kids、関ジャニ∞、KAT-TUN、Kis-My-Ft2は、グループ結成からレコード・CDデビューまでかなりの期間を要した)。またレコード・CDデビューの前に、ビデオソフトの発売や楽曲の音楽配信が行なわれる場合があるが、これらは正式なデビューとは認められない(例外的に、A.B.C-Zが2012年にDVDを発売した際は「DVDデビュー」としている)。現在、中にはCDデビューしないが俳優として活動する者もおり、生田斗真、屋良朝幸、風間俊介、長谷川純、佐野瑞樹のように俳優業だけでジャニーズJr.を卒業した例もある。
著作権・肖像権管理
レコード会社・出演映画・ドラマ・CM・音楽番組の公式サイトや新聞の電子版上で、所属タレントの顔写真や動画を使用することを制限しており[2]、マネージャー等も同等とされている[3]。また、『ミュージックステーション』や『Music Lovers』のように「番組の放送終了後に、出演アーティストによる直筆メッセージがウェブサイトに掲載される」場合でも、所属タレントによる直筆メッセージは掲載されていない。一方で例外もあり、TBSラジオでSMAPの香取慎吾が『スクランブルSMAP』のラジオパーソナリティを務めていた頃(終了する1997年頃)に同局ウェブサイト内で開設されたプロフィールでは、彼の顔写真を掲載していた[4]。
2010年頃から[1]、Adobe フラッシュプレイヤーの技術を利用し、閲覧ページを閲覧者が容易に画像などを保存できない設定になっているためかなり緩和されてきているが、2006年開設の台湾公式ウェブサイトや、契約している広告企業が配布する壁紙などは必ず顔写真に加工を入れたり、また事務所および所属レコード会社の公式ウェブサイト以外のウェブサイト(インターネットショップサイトなど)では、所属タレントのCDジャケットの掲載を行わない場合が多い(掲載する場合は、CDの品番を掲載するようになっている)。
2000年に近藤真彦が経営するレーシングチームの運営会社「エムケイカンパニー」が開設した「MK net Circuit 近藤真彦オフィシャルサイト」では、開設当時から顔写真を掲載している[5]。
声の出演・音源の扱い 所属タレントの声の露出も制限される場合がある。テレビアニメでは、『アストロボーイ・鉄腕アトム』で香取が演じた役はDVD化の際、手塚眞に代えられている。香取は『赤ずきんチャチャ』にも出演していたが、同作のサウンドトラックに収録されたミニドラマには出演していない。ラジオ番組でも、2008年から2010年までTBSラジオで放送していた番組枠『JUNK ZERO』のうち、TOKIOの城島茂がラジオパーソナリティを務めた『城島茂のどっち派?!』のみポッドキャスト配信が行われなかった。映画では、Hey! Say! JUMPの山田涼介、知念侑李が声優を務めた『スマーフ』で同グループの楽曲「Magic Power」が主題歌に起用されたが、DVD化の際は主題歌とならなかった。
ラジオ番組のストリーミング配信においては地域を限定したradikoにおいてはインターネットでの配信を認めている一方、有料での配信となっているradikoプレミアムやLISMO WAVE、ドコデモFMでは番組が差し替えられている(大半はフィラー音楽となり、代替番組は放送しない)。
1980年代以降の音源は原盤権を事務所が所有している。契約しているレコード会社の独自リリースや音源貸出は原則認めておらず、レコード会社の枠を超えてコンピレーション・アルバムに収録されたことがあるのみ。着うたフルやメロディコールの他社経由配信は一部楽曲をドワンゴのみで行っている。その他は公式携帯サイト「Johnny's web」のみでの提供。
賞レースへの不参加方針
「所属タレントに優劣をつけさせない」との方針により、「候補者を何人か選び、その中から大賞やグランプリ獲得者を決める」という形式の賞レースへの参加は原則辞退している[6][7]。受け取るのはそのタレントに直接賞を贈呈するもの(例として「ベストジーニスト」)や日本国外での表彰のみとなっている。
日本レコード大賞
- 1987年に近藤真彦が日本レコード大賞にノミネートされている時、亡くなった母親の骨つぼを盗まれ「大賞を辞退しろ」と脅迫を受けた事件[8]や、1990年の日本レコード大賞において、忍者が演歌・歌謡曲部門ではなくロック・ポップス部門にノミネートされたのを不服としたことが引き金とされている[6][7]。2003年にSMAPの「世界に一つだけの花」が日本レコード大賞の候補に挙がったが「歌詞の中にあるように“ナンバー1”を目指すよりも“オンリーワン”を大切に歌ってきた。そのメッセージを貫きたい」という理由で辞退している[9]。
- 2010年の第52回日本レコード大賞には近藤真彦が最優秀歌唱賞(第50回以降、同賞はノミネート形式から選考形式に変更された)に選ばれた。この時は「近藤はレコード大賞に育てられた歌手」と受賞を受け入れている[10]。
日本アカデミー賞
- 2006年12月の第30回日本アカデミー賞発表の席上で、「武士の一分」に主演したSMAPの木村拓哉が「事務所の方針で、最優秀賞をほかの人と競わせたくない」との理由で主演男優賞を辞退した事を発表している[6][9]。同年の第49回ブルーリボン賞においてSMAPの木村拓哉と岡田准一(花よりもなほ)が主演男優賞の選考に挙げられた際にも「お世話になっている俳優や所属タレント同士で賞を争うのは本意ではない」と辞退している[7]。
- 2015年1月、第38回日本アカデミー賞に岡田准一が主演男優賞(永遠の0)と助演男優賞(蜩ノ記)にノミネートされた。ジャニーズ事務所は「岡田はこれまで弊社最多の20本の映画に出させていただいており、映画に育てていただいた俳優といっても過言ではございません」というコメントを発表し、受賞を受け入れた[11]。
- 2016年3月、二宮和也が「母と暮せば」の演技で第39回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞してジャニーズ事務所としては2年連続の受賞となった。また、山田涼介が新人賞を受賞して日本アカデミー賞にも参加するようになった。
コンサート
※ 所属タレントのコンサート・舞台等の主催、企画、チケット販売などを行う「ヤング・コミュニケーション」が設立されており、「ジャニーズチケット販売約款」という規約が作られている。
チケットの販売 コンサートのチケットはファンクラブ会員に最優先で販売される。グループによっては一般プレイガイド発売が行われないこともある。舞台などのチケットに関しても、通常の販売と異なった販売を行うことが多い。なお、公演によっては、コンサート事務局では取り扱わない場合もある。コンサートや舞台に限らず、所属タレントで行われる興行のプレイガイド販売においては、インターネット販売は原則行われない。(『SUMARRY 2011』の東京ドーム公演は、チケットぴあにてインターネット販売が行われた。)チケットの転売行為には厳しい対応を取っており、ネットオークションなどでの第三者への転売行為が判明した場合、コンサート・舞台などの優先販売の通知は発送停止となり、一切のチケット予約が不可能になる。定価以下の販売であっても同様の対応を取る。また、追加公演などで振り替えられた公演が当選した旨の連絡が来た場合、当選したチケットの購入拒否は「個人の意向でキャンセルした」とみなされ、次の公演やそれ以降の公演のチケット購入および購入の為の抽選の対象外となる。
コンサートの内容 基本的に所属タレント自身が構成を考えている。1995年 - 1999年にかけて複数のグループが同じステージセットで公演を行っていた。その理由としては、複数のグループが年に3回のコンサートツアーを行っていたため、1グループごとにステージセットを変更することが限られた日程・経費では不可能であったことなどが挙げられる。その後はどのグループもコンサートツアーは年1 - 2回しか行わないため、このようなことは起きていない。たとえ同じ会場で複数のグループが公演を行っても、グループごとにセットを変更している。ただし、ジャニーズカウントダウンライブは、年末年始に行われているKinKi Kidsの公演をはさんで開催されているためセットチェンジが不可能な事から、KinKi Kidsの公演のセットを同公演でも使用している。
所属タレント全体でのスケジュール管理
所属タレントがレギュラー出演している番組の裏番組には、原則として改編期などでその番組が休止となる時しか出演しなかったが、後にバラエティ番組とドラマ、バラエティ番組同士で出演時間が重なることも増えた[独自研究?]。
- 実例:
- 『あさイチ』(NHK総合)V6・井ノ原快彦/『白熱ライブ ビビット』(TBSテレビ)TOKIO・国分太一
- 『ニュース シブ5時』(NHK総合)Sexy Zone/『news every.』(日本テレビ)NEWS・小山慶一郎
- 『Rの法則』(NHK Eテレ)TOKIO・山口達也&『テストの花道』(NHK Eテレ)TOKIO・城島茂/『有吉ゼミ』(日本テレビ)タッキー&翼・滝沢秀明
- 『NEWS ZERO』(日本テレビ)嵐・櫻井翔/『キスマイBUSAIKU!?』(フジテレビ)Kis-My-Ft2
- 『月曜から夜ふかし』(日本テレビ)関ジャニ∞・村上信五/『Momm!!』(TBSテレビ)SMAP・中居正広
- 『グッと!スポーツ』(NHK総合)嵐・相葉雅紀/『幸せ!ボンビーガール』(日本テレビ)TOKIO・山口達也
- 『Rの法則』(NHK Eテレ)TOKIO・山口達也/『おじゃMAP!!』(フジテレビ)SMAP・香取慎吾
- 『ナカイの窓』(日本テレビ)SMAP・中居正広/『リトルトーキョーライブ』(テレビ東京)Hey!Say!JUMP&ジャニーズWEST
- 『Rの法則』(NHK Eテレ)TOKIO・山口達也/『VS嵐』(フジテレビ)嵐
- 『あさイチ』(NHK総合)V6・井ノ原快彦/『白熱ライブ ビビット』(TBSテレビ)NEWS・加藤シゲアキ
- 『NEWSな2人』(TBSテレビ)NEWS・小山慶一郎&NEWS・加藤シゲアキ/『「ぷっ」すま』(テレビ朝日)SMAP・草彅剛
- 『ブラタモリ』(NHK総合)SMAP・草彅剛/『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ)嵐・相葉雅紀&Hey!Say!JUMP・伊野尾慧/『炎の体育会TV』(TBSテレビ)KAT-TUN・上田竜也/『超ハマる!爆笑キャラパレード』(フジテレビ)NEWS・増田貴久
- 『シューイチ』(日本テレビ)KAT-TUN・中丸雄一/『ペットの王国 ワンだランド』(朝日放送)Kis-My-Ft2・横尾渉
- 『男子ごはん』(テレビ東京)TOKIO・国分太一/『スクール革命!』(日本テレビ)Hey!Say!JUMP・知念侑李&Hey!Say!JUMP・山田涼介&Hey!Say!JUMP・八乙女光&ジャニーズjr.SixTONES・高地優吾
- 『みんなの手話』(NHK Eテレ)V6・三宅健/『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ)TOKIO
- 『林先生が驚く初耳学!』(TBSテレビ)Sexy Zone・中島健人/『トーキョーライブ22時 → 〜突撃!はじめましてバラエティ〜イチゲンさん』((テレビ東京)NEWS・小山慶一郎&TOKIO・松岡昌宏&KinKi Kids・堂本剛&関ジャニ∞・安田章大
- 『Going!Sports&News』(日本テレビ)KAT-TUN・亀梨和也/『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日)関ジャニ∞
その他
ファンクラブ 「ジャニーズファミリークラブ」を母体として、各タレントのファンクラブが作られている。またファンクラブが結成されていないタレントについては「情報局(ジャニーズJr.)」「ジャニーズアーティストクラブ(解散したグループのメンバー)」がタレントの情報をハガキで提供している。
親族のメディア露出 原則として所属タレントの親族はメディアには顔を出さないようにしているが、例外もある[12]。
成人式 かつては成人の日に、先輩タレントが立ち会う中でタレントの成人式を独自に明治神宮で行うことが恒例となっていた。しかし、2007年は該当者の不祥事により自粛され[13]、2008年に簡易な成人式を行ったのを最後にその後は実施されていない[14]。
年 | 新成人 | 立会人 |
---|---|---|
1999年 | 長瀬智也(TOKIO)、堂本光一(KinKi Kids)、森田剛(V6) | 近藤真彦 |
2000年 | 堂本剛(KinKi Kids)、三宅健(V6) | 東山紀之(少年隊) |
2001年 | 岡田准一(V6)、大野智(嵐) | 城島茂(TOKIO) |
2002年 | タッキー&翼(滝沢秀明、今井翼)、櫻井翔(嵐) | 坂本昌行(V6) |
2003年 | 相葉雅紀(嵐) | 山口達也(TOKIO) |
2004年 | 二宮和也(嵐)、松本潤(嵐) | 長野博(V6) |
2005年 | 生田斗真、赤西仁、小山慶一郎(NEWS)、安田章大(関ジャニ∞)、錦戸亮(関ジャニ∞) | 国分太一(TOKIO) |
2006年 | 長谷川純、山下智久、亀梨和也(KAT-TUN)、田口淳之介、田中聖、大倉忠義(関ジャニ∞) | 松岡昌宏(TOKIO) |
所属タレント
2011年3月に、同月に発生した東日本大震災に対する支援目的で、所属全タレントが参加する『Marching J』プロジェクトを立ち上げた際に、同時点での所属タレント(ジャニーズJr.の主要メンバーを含む)を「全83名」と発表している[15][16]。
以下はその際に発表されたリスト[17]に基づき、その後デビューしたグループなどを加えたもの。
所属タレントは原則本名で活動するが、例外的に芸名を用いる者もいる。
ジャニーズ事務所に所属しているタレントは、設立当時より基本的にアイドル活動が中心である(個人・グループを問わず、俳優やアーティストなど、他のジャンルと兼務した活動を行っている者も少なからず存在している)。ただし例外もあり、男闘呼組のようにアイドルグループとしてではなく、ロック・バンドグループとして所属していた例もある(ジャニーズ事務所がアイドル活動を中心としないタレントが所属した例は極めて少ない)。
グループ
- 少年隊
- SMAP
- TOKIO
- V6
- KinKi Kids
- 嵐
- タッキー&翼
- NEWS
- 関ジャニ∞
- KAT-TUN
- Hey! Say! JUMP
- Kis-My-Ft2
- Sexy Zone
- A.B.C-Z
- ジャニーズWEST
ソロ(年長順)
- 近藤真彦(元・たのきんトリオ)
- 内海光司(元・イーグルス、元光GENJI)
- 岡本健一(元・男闘呼組)
- 佐藤アツヒロ(元光GENJI)
- 佐野瑞樹
- 屋良朝幸
- 風間俊介
- 生田斗真
- 山下智久(元・NEWS)
- 長谷川純
- 内博貴(元・NEWS、元・関ジャニ∞)
- 中山優馬(元・NYC)
ジャニーズJr.(グループ・ソロ)
過去の所属者など 以下の項目を参照。
- 過去のジャニーズ所属者
- ジャニーズJr. 解散したグループ
- ジャニーズ関連企画ユニット
- ジャニーズ関連OBユニット
- ジャニーズJr.一覧(五十音順検索)
所属タレントの所属レコード会社
自社レーベルのほか、他のレコード会社に所属タレントが所属している。
タレント | 所属レコード会社 | 所属レーベル |
---|---|---|
ソニー・ミュージックレコーズ | ソニー・ミュージックレコーズ | |
ビクターエンタテインメント | ビクターエンタテインメント | |
エイベックス | avex trax | |
ジャニーズ・エンタテイメント | ジャニーズ・エンタテイメント | |
ワーナーミュージック・ジャパン | ワーナーミュージック・ジャパン | |
ジェイ・ストーム | J Storm | |
J-One Records | ||
INFINITY RECORDS | ||
ポニーキャニオン | ポニーキャニオン | |
ジャニーズ・エンタテイメント ジェイ・ストーム |
ジャニーズ・エンタテインメント ジェイ・ストーム |
会社概要
事務所の所在地変遷
所在地 | 日付 | 備考 |
---|---|---|
東京都豊島区雑司が谷 | 1962年 - 1964年6月28日 | 兼 合宿所およびレッスン場。豊島区西池袋1-3-6の芸能事務所「名和プロダクション」が運営していたタレント養成所「新芸能学院」。 |
東京都新宿区四谷3-1-3-2F | 1964年6月29日 - | 兼 合宿所。1Fは当時お茶漬け屋だったが、元々はメリー喜多川が経営していたカウンターバー「スポット」だった。 |
東京都渋谷区代々木1-37-3 岩崎ビル3F | - 1968年春 | 兼 合宿所およびレッスン場 |
東京都渋谷区神宮前2-18-13-2F | 兼 合宿所 | |
東京都渋谷区広尾1-1-22 恵比寿グリーンハイム204号 | 1971年 - | |
東京都港区青山3丁目 | 1973年 - | |
東京都港区六本木5-13-13 フォンテーヌビル2F | 1974年 - | このビルの地下深くには劇場のようなスペースがあり、そこではファンの集いも開催された |
東京都港区赤坂8-5-24 赤坂エイトビル3F | 現存しない。最寄り駅は「青山一丁目駅」または「乃木坂駅」 | |
東京都港区六本木2-3-9 亀甲ビル7 - 8F | 亀甲ビルのオーナーは夏目雅子の母親。このビルが建つ前は同地にて「亀甲屋」という雑貨商を営んでいた。 ジャニーズ事務所の撤退後、7Fは「夏目雅子ひまわり基金」の事務所となった | |
東京都港区赤坂8-11-20 | 1998年4月 - | 創業以来初の自社ビル 最寄り駅は「乃木坂駅」 |
主な役員
氏名 | 役職名 | 備考 |
---|---|---|
ジャニー喜多川 | 代表取締役社長 ジェイ・ドリーム代表取締役社長 ヤング・コミュニケーション代表取締役社長 ジャニーズ出版代表取締役社長 つづきスタジオ代表取締役社長 |
本名:喜多川 擴 |
メリー喜多川 | 代表取締役副社長 | 本名:藤島・メリー・泰子 小説家・藤島泰輔の妻 元・フォーリーブスのスタイリスト |
藤島ジュリー景子 | 代表取締役副社長 ジェイ・ストーム代表取締役社長 エム・シィオー代表取締役社長 ユニゾン代表取締役社長 東京・新・グローブ座代表取締役社長 |
メリー喜多川と藤島泰輔の長女 元・所属タレント 元・スタイリスト |
小杉理宇造 | 顧問 ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長 |
スマイルカンパニー代表取締役社長 近藤真彦の元・ディレクター |
主要関連企業
- 株式会社ジャニーズ・エンタテイメント
- 〒150-0041 渋谷区神南1-19-11 パークウェースクエア 2 3F
- レコード会社。代表取締役社長:小杉理宇造
- 株式会社ジェイ・ストーム
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10 ミヤマスタワー
- レコード会社・映画制作会社。代表取締役社長:藤島・ジュリー・景子
- 株式会社東京・新・グローブ座
- 東京都新宿区百人町3-1-2
- 東京グローブ座の運営。代表取締役社長:藤島・ジュリー・景子
- 株式会社ジェイ・ドリーム
- 2005年6月設立。代表取締役社長:ジャニー喜多川
- ジャニーズファミリークラブ
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10
- ファンクラブ運営
- 株式会社ヤング・コミュニケーション
- コンサート及び舞台主催、代表取締役社長:ジャニー喜多川
- コンサート事務局
- 株式会社ヤング・コミュニケーションのチケット販売部門。
- 株式会社エム・シィオー
- 東京都渋谷区渋谷1-16-9 渋谷K・Iビル6F
- 書籍、マーチャンダイジング、宣伝ツールの企画・制作、コンサートグッズ販売。代表取締役社長:藤島・ジュリー・景子
- 有限会社ジェイ・ステーション(別表記は「J-STATION」)
- 東京都新宿区1-26-1
- タレントグッズ販売、ジャニーズショップの経営。1989年5月にジャニーズ事務所51%、日本廣明社49%の出資で設立。
- ユニゾン株式会社
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10 ミヤマスタワー3F
- 広告事業。代表取締役社長:藤島ジュリー景子
- 株式会社ジャニーズ出版(別名:「ジャニー・カンパニー」、「ジャニーズ・パブリッシング」)
- 音楽出版事業。代表取締役社長:ジャニー喜多川。野村義男が一時期所属。
- 株式会社ミュージックマインド
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10 ミヤマスタワー1F
- 音楽出版事業。
- 株式会社アートバンク
- 携帯コンテンツ事業、2003年5月14日からスタートしたモバイル公式サイト「Johnny's web」のために設立。
- 株式会社クンクン
- 代表取締役社長:月丘夢路。雑誌、カレンダー等の企画制作の各出版社との契約折衝代行。その他、化粧品製造販売も行っている。
- 株式会社つづきスタジオ
- 東京都港区麻布十番4-6-9
- リハーサル・レコーディングスタジオ。1991年12月より、ジャニーズ事務所の直営となった。代表取締役社長:ジャニー喜多川、企業番号:293792410。
- 提携
-
- 株式会社日本広明社
- 東京都新宿区富久町8-21
- 広告宣伝会社・タレントグッズの企画
- 株式会社ケイ・プランニングセンター
- 日本広明社系列、広告代理店・タレントマネージメント
- ジャニーズショップ
- ジェイ・ステーションが運営する、ジャニーズ事務所公認のグッズ販売店。『Johnny's Jr. 名鑑』シリーズの発行・販売も行っていた。
- ジャニーズ原宿
- 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-14-21 イルサリチェビル1F
- ジャニーズ大阪
- 〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋1-12-8 大美建築ビル2F (1999年より)
- 旧住所: 〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋1-12-8 大美建築ビル2F
- ジャニーズ名古屋
- 〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-17-6 ナカトウ丸の内ビル1F(2012年9月24日より。新店舗オープン記念で、限定ショッピングバッグの配布が行われた)
- 旧住所:〒461-0005 愛知県名古屋市東区東桜2-14-7 プロト東桜ビル2F
- ジャニーズプラザ(京都・嵐山店)
- 〒616-8384 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町40-8(1999年まで)
- 〒616-8384 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺造路町37-3(かつてビートたけしの「元気が出るハウス」があった場所。「ジャニーズ大阪」の業務拡大による統合に伴い、2007年12月31日をもって営業を終了)
- ジャニーズ福岡
- 〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神3-15-17 三天第2ビル2F
脚注
- ^ a b ジャニーズ画像ついにネット解禁!? ドラマサイトが続々"イラスト→実写"に サイゾー 2010年1月20日付
- ^ TBSテレビのドラマ番組『3年B組金八先生』公式サイトでは、ジャニーズ事務所所属タレントのみ顔写真が掲載されておらず、CBCラジオの放送枠『サタデーティーンズナイト』でも、松岡昌宏が担当する『TOKIOナイトCLUB』のみ番組サイトがないなど。たとえNHKが相手でもこの対応は変えず、『MUSIC JAPAN』で出演者紹介の画像表示を認めない。『私立バカレア高校』の制作記者発表でも、所属タレント達の写真掲載を認めなかったために、第一カトレア学園の生徒を演じるAKB48メンバーのすぐ隣にいるはずの、所属タレント達が演じる馬鹿田高校の生徒達が削られた写真のみが載った。
- ^ 現在、SMAPのマネージャーを務めている元俳優の藤原秀樹が獣電戦隊キョウリュウジャーVSゴーバスターズでノンクレジットとなっている。
- ^ 当時掲載されたプロフィール(インターネットアーカイブ1999年4月18日付保存キャッシュより)
- ^ 参考:2000年当時のオフィシャルサイト内インデックスページ(インターネットアーカイブ2000年6月20日付保存キャッシュより)
- ^ a b c “キムタクが日本アカデミー賞辞退”. 日刊スポーツ. (2006年12月20日) 2015年2月27日閲覧。
- ^ a b c 国分敦 (2015年2月1日). “【リレーコラム国分論】岡田准一受賞で盛り上がる映画界”. スポーツ報知 2015年2月27日閲覧。
- ^ 骨つぼは発見されていないが、この時近藤は「自分の心の中にある母親の思い出までは盗めない」とコメントし同賞に出席、大賞を獲得した。
- ^ a b “事務所の一分で?キムタク辞退”. スポーツニッポン. (2006年12月20日) 2015年2月27日閲覧。
- ^ 平本淳也 (2013年12月30日). “盛り上がらない「日本レコード大賞」にトドメを刺したジャニーズとは?”. 東京ブレイキングニュース 2015年2月27日閲覧。
- ^ “岡田准一、アカデミー賞を辞退せず受賞”. デイリースポーツ. (2015年1月14日) 2015年2月27日閲覧。
- ^ 2010年の総選挙時には、山下智久の妹が鳩山邦夫衆議院議員の私設秘書として、邦夫議員の息子の選挙活動をしている様が多くのメディアに取り上げられた。山ピー妹は秘書、美人すぎるビラ配り 2010年8月9日閲覧。
- ^ この年に成人を迎えた内博貴は、未成年時の飲酒騒動により2008年末まで謹慎していた。なお、もう一人の新成人タレントである増田貴久は、成人の日に袴姿で単独の記者会見に臨んだ。
- ^ 「誰のせい!?」恒例の『ジャニーズ成人式』は今年も開催せず 日刊サイゾー2009年1月21日
- ^ 4・1から3日間 ジャニーズ"全員"で募金活動 - スポーツニッポン・2011年3月30日
- ^ ジャニーズ、史上初の勢揃い!東北のため、83人集合!!…4・1から3日間 代々木第一体育館で募金イベント - スポーツ報知・2011年3月30日
- ^ 東京中日スポーツ・2011年3月30日付 12面
関連項目
- ヤラカシ - ジャニーズのタレントに対しストーキングなどの犯罪行為を行う悪質なファンを示す隠語、およびそれから派生した俗語。