コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松島トモ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まつしま ともこ
松島 トモ子
松島 トモ子
浅草寺・浅草観音文化芸能人節分会にて(2016年(平成28年))
本名 松島まつしま 奉子ともこ
生年月日 (1945-07-10) 1945年7月10日(79歳)
出生地 満洲国の旗 満洲国奉天省
国籍 日本の旗 日本
職業 女優歌手タレント
活動期間 1949年(昭和24年) -
配偶者 独身
テンプレートを表示

松島 トモ子(まつしま ともこ、本名:松島 奉子[1](読みは同じ)、1945年昭和20年)7月10日 - )は、日本女優歌手タレント[2]。現在、毒蝮三太夫が所属する、まむしプロダクションと業務提携をしている。

1955年(昭和30年)

満州国奉天(現・瀋陽市)生まれ[3]東京都目黒区育ち。目黒区立東根小学校を経てザ・マスターズ・ハイスクール英語版卒業。現在も東京都在住。

略歴

[編集]

三井物産に勤める父の仕事の関係で満州に母と移住した後、1945年に松島が生まれた[3]。生後まもなく満洲国からの引き揚げを体験。本名の奉子は生誕地の奉天に帰する。

乳児期に「くる病」にかかって右脚が曲がり、脚の矯正のため[3]3歳から石井漠舞踊研究所に入門し、バレエを始める。

映画館の劇場ニュースにて、石井門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていたトモ子を阪東妻三郎スカウト[3]

1949年(昭和24年)、阪東が出演する東横映画『獅子の罠』に出演し、わずか4歳で芸能界デビュー[3]。このほか、嵐寛寿郎主演の時代劇『鞍馬天狗』(杉作)、大友柳太郎との『丹下左膳』(ちょび安)、江利チエミとの『サザエさん』(磯野ワカメ)など多くの映画に出演、80本の映画で主演を務めた[2][4]

歌手としても米山正夫門下となり、1953年(昭和28年)、コロムビアより「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」でデビュー。その後も、「三匹の子豚」(ディズニーの「狼なんか怖くない」のカバー)、「雨に唄えば」などを吹き込み、「杉作太鼓」、「悦ちゃん」、「ワカメちゃん」、「怪傑黒頭巾」、「赤いカンナの花咲けば」など映画主題歌挿入歌を吹き込んだ。

少女雑誌『少女』では、表紙を10年間一人で務め[2]、芸能雑誌『平凡』でも雑誌モデルを務めた。このように子役として活躍したが、当時松島母子の身近には子役活動に否定的な人がいたり、本人も食べていくために子役として活動していたなど複雑な思いもあったという[注 1]

映画『やがて青空』右端、松島(1955年)

大東学園高等学校在学中に渡米。ザ・マスターズ・ハイスクール英語版に2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金を貰い、研修し、帰国。

帰国後はミュージカルラジオパーソナリティ、CMでは江利チエミの後任として石垣食品ミネラル麦茶、『ひょっこりひょうたん島』の声優などで活躍を見せた。[5]

松島が70歳の時に母が認知症を発症し5年5カ月の介護生活を余儀なくされた[4]

エピソード

[編集]

巣鴨プリズン慰問

[編集]

1950年(昭和25年)11月19日、5歳の松島は、舞踏の師匠石井漠らと共に、当時第二次世界大戦戦犯の収容施設であった巣鴨プリズンの鈴木英三郎所長から、収容所近くの米軍専用の劇場に招かれ慰問した。司会者が、三井物産タイハジャイ出張所所長であった松島の父・高橋健が満州奉天で召集をうけたのちシベリアに抑留され生死も不明で、松島は母と二人でかろうじて帰国したことを紹介すると、会場は静まり返った(後日、父はナホトカ郊外の収容所で1945年(昭和20年)10月29日に死亡していたことが判明)。続いて法被姿に鉢巻をしめ大きな目をした少女の松島が現れ、洋舞「かわいい魚屋さん」を踊った[3]。並んだ約1千名の戦犯らは涙を流して深く感動し、何度もアンコールし、彼女もそれに応えた。

2度の猛獣襲撃事故

[編集]

1986年(昭和61年)の41歳の時に日本テレビTIME21』の撮影でケニアを訪れて、10日の間にライオンヒョウに立て続けに2度襲われ、帰国後にギプス姿で記者会見して話題になった[6]1月28日ジョイ・アダムソン(『野生のエルザ』の作者)の夫であるジョージ・アダムソンと共にナイロビコラ動物保護区英語版エルザの子孫でジョージによりラクダの肉で餌付けされ人に慣れた雌ばかり7頭らライオンの群れと接触し子ライオンと戯れていたところ、ジョージがキャンプとの無線で松島とライオン達から目を離した隙にその子ライオンの母親に襲われ、松島は宙に飛び10メートルほど引きずられサファリスーツはズタズタ、首や太腿に全治10日の怪我を負う[7](目を離していたジョージは耳が遠く助けに行くのが遅れた)。その際にジョージにより松島は助けられた。このとき周りには複数のライオンがいたが、攻撃を加えたのは一頭のみである。

10日の入院予定だったが3日で退院して仕事を再開[7]、再び別の動物保護区を訪れ、万全の態勢でロケに挑むが、10日後の2月7日に保護区のスタッフで責任者のトニー・フィッツジョン英語版と共にこの保護区で飼育されている雌ヒョウの「コムンユ」を見に、周りを高い柵で囲われた施設に行った。施設の外に出たところ、そのヒョウが夜陰に乗じて柵を跳び越えて待ち伏せており、迂闊にも目を合わせてしまった松島に体当たりで奇襲してきた。奇襲を受けて地に倒された松島はそのまま首を噛み付かれ、なおかつ持ち上げられた。このとき骨がガリガリと囓られる音が聞こえ[7]、「死んだ」と思ったという。これは、松島の隣にいたこのヒョウの飼い主のトニーが、松島と親しくしているように見えたためヒョウが嫉妬したと考えられている。また、松島の目が大きいのも襲われる理由だと後で言われた[7]

この後、松島は救助隊救急ヘリを要求したが、「夜間の飛行は危険」との理由で拒否されてしまう。結局、朝まで止血しながら耐える羽目になり、その後、朝になり救急ヘリが到着し、ようやく病院に運ばれ、第四頚椎粉砕骨折[注 2]という診断を受けたが、ヒョウの噛む位置があと1ミリずれていたら松島は間違いなく死んでいただろうとされる[7]。第四頚椎粉砕骨折は後遺症も無く生還するのが奇跡と言われており(高確率で死亡。良くても首から下が動かなくなる程の後遺症が残る)、松島の症例はニューヨークの学会で発表されたほどである[7][注 3]

ヒョウに襲われた後も撮影を続けて、2月17日に帰国、コルセットをつけて記者会見に臨み「それでも動物が好き」とコメントした[10]。このときに撮影された映像は3月31日に「それでも私はライオンが好き」と題して『TIME21』で放送された[11]

この事故が発生する前、1986年の元日に松島からアナウンサーの伊藤勉に送られてきた年賀状には、仕事でアフリカに行く予定である旨が書かれていると同時に、「ライオンに食べられないように祈って下さいませ。またお目にかかれますように」とも書かれていた。後年、この件について伊藤は「まさか本当にあんな事件が起こるとは思ってませんでしたから、笑って軽く読み流したんです。あの時は本当に私の祈りが足らなかったのではないかと悔やみました」と語った。一方、松島本人は、年賀状の効果はなかったのではないかと問われた際に「いいえ、ありましたよ。あれを書いていなかったら命があったかどうか。皆さんの祈りが通じて、噛まれただけですんだんだと思います」と返答している[7]

後年永六輔の番組にゲスト出演した際、永が「今日のスペシャルゲスト、ライオンの餌・松島トモ子!」と松島を紹介、その時は驚きのあまりステージの袖で立ちすくんだものの観客は大受けし、松島自身もその後この「ライオンの餌」が気に入ったフレーズになっており、自身の公式ブログのタイトルにも用いられている[12]

その他

[編集]

私生活では幼い頃から母親と支え合うように暮らしてきたため、周りから「一卵性母子」と呼ばれるほど仲が良かった[3]。また、長年に渡って家事全般は全て家政婦にしてもらっており、2021年に母を亡くしたことで77歳にして生まれて初めて一人暮らしとなったが、現在もお手伝いさんに週5日来てもらい家事をしてもらっている[3]

ある年の浅草寺の豆まきに陸上競技指導者の瀬古利彦と共にゲストに招かれ、これが縁で交流するようになった。瀬古の方が年下だが「お兄ちゃん」と呼び慕い、時々食事に行くなどしている[3]。瀬古からは「上品で独特の雰囲気がある人なんだけど、ふわふわとして何を喋りだすかわからない。目がものすごく大きいし、ちょっと宇宙人みたいな所がある人(笑)」と評されている[3]

主な出演

[編集]

映画

[編集]
『鞍馬天狗 御用盗異変』(1956) 左は嵐寛寿郎

ラジオドラマ

[編集]

テレビドラマ

[編集]

ラジオ

[編集]

バラエティー

[編集]

その他のバラエティー

[編集]

CM

[編集]

ラジオ

[編集]

テレビアニメ

[編集]

吹き替え

[編集]

人形劇

[編集]

舞台

[編集]
  • 絵本昔話狐嫁入(1988年、劇団すぎのこ) - おこん(声の出演)[22]

著書

[編集]
  • 『ニューヨークひとりぼっち ミュージカル留学記』集英社 1965年(昭和40年). NCID BA3886773X 
  • 『母と娘の旅路』文芸春秋 1993年(平成5年)3月ISBN 978-4163472607
  • 『車椅子でシャル・ウイ・ダンス』海竜社 1999年(平成11年)7月ISBN 978-4759305951
  • 『ホームレスさんこんにちは』めるくまーる 2004年(平成16年)2月ISBN 978-4839701154
  • 『老老介護の幸せ 母と娘の最後の旅路』飛鳥新社 2019年(令和元年)12月ISBN 978-4864107372

ディスコグラフィー

[編集]

シングル

[編集]
コロムビア
A面 B面 発売年月 規格品番 備考
村の駅長さん 風にゆれるレイの花 1953年 C-197 デビュー曲
雨に唄えば(Singin' in the Rain) 三匹の子豚(Who's Afraid of the Big Bad Wolf?) 1953年 JL-58
たん子たん吉珍道中
(with吉利公男
たん子の馬子唄 1954年 C-270
ママの思い出 芝刈りローラの歌 1954年3月 A-1907 『花祭底抜け千一夜』主題歌 
グッド・モーニング青い空 レモンと卵 1954年6月 C-256
母恋人形 母の呼ぶ声
(with小島秀人
1954年7月 A-2057 『母恋人形』主題歌
赤いカンナの花咲けば
(with小畑やすし
トモ子の花売娘 1955年5月 A-2289 『赤いカンナの花咲けば』主題歌
ビルマに眠るお父さま 仔馬の誕生日 C-311
魔法つかいのお母さん わたしの好きなママ
(初代コロムビア・ローズ
1956年5月 A-2549
潮来の兄妹
(with青木光一
あやめ月夜
島倉千代子
1956年6月 A-2527
ご存知鞍馬天狗
中島孝
杉作太鼓
(with中島孝)
1956年6月 A-2568 『鞍馬天狗』主題歌
サザエさん
泉友子
ワカメちゃん 1956年9月 A-2612 『サザエさん』劇中歌
お誕生日の歌(ハッピー・バース・デイ・トゥ・ユー) 私の誕生日 1956年12月 CP-21
こけし子守唄
君和田民枝
夕焼けがらす 1957年3月 A-2726 『こけし子守唄』主題歌 
悦ちゃん ママ 1957年4月 A-2718
船頭姉妹
(君和田民枝)
潮来船 1957年5月 A-2781 『船頭姉妹』主題歌
ジングル・ベル 金と銀のクリスマス
渡辺敏子
1957年10月 C-473
こだまの山 アルプスのふもと 1958年 SC-1 『アルプスの少女』主題歌
パパ・ママ・ソング 赤い風船 1958年 C-479
怪傑黒頭巾 父恋い角兵衛獅子
伊丹章子
1958年8月 A-3073 『怪傑黒頭巾』主題歌 
ピンク・シュー・レーセス(Pink Shoe Laces) スイート・ピーの嘆き 1960年9月 SA-451
夢のナポレターナ(Luna Napoletana) パイナップル・プリンセス英語版(Pineapple Princess) 1960年12月 SA-507
赤い帽子白い帽子 かもめの水兵さん
久保木幸子
1960年 SC-28
15本のキャンドル 1961年 SA-544
月影のマジョリカ
スリー・グレイセス
汽車ポッポのタンゴ 1961年4月 SA-601
谷間の灯ともし頃(When It's Lamp Lightin' Time In The Valley) 峠の我が家(Home on The Range) 1961年11月 SA-741
シンデレラ(Cinderella) つめたい言葉(We Had Words) 1961年12月 SA-762
カッコーの森(Cuckoo Time) 1962年4月 SA-853
おもちゃのチャチャチャ チューリップ畠のベンチ 1962年 BK-3001
旅のハミング
井上ひろし
若い風の歌 1962年5月 SA-894
丘にのぼろう 帽子とそよ風
トミー藤山
1962年 SA-913
眠りの森の物語 七人のボーイフレンド 1962年11月 SA-999
幸せをつかもう
飯田久彦
あしたの幸福 1963年 SAS-92
ティーンエイジ・ウエディング(Teenage Wedding) 夢のイタリア(Zwei Kleine Italiener) 1963年5月 SAS-39
シオジャケの歌 春風はもういない
真理ヨシコ
1963年 BK-3004 NHKホームソング
それだけがおねがいなのママ ほんとかしら 1964年 BK-3039
ニューヨークひとりぼっち(Wonderful New York) 恋の太陽(Love In The Sun) 1965年8月 JPS-17
チム・チム・チェリー(Chim Chim Cheree) 2ペンスを鳩に(Feed The Birds) 1965年11月 JPS-26
遥かなお父さま 真珠 1966年 JPS-33
ひとりで恋して 別れられなくなっちゃった 1967年12月 SAS-1004
日本マーキュリー
A面 B面 発売年月 規格品番 備考
かねてつ音頭
楠トシエ
てっちゃんの歌 M2245 かねてつ蒲鉾(現:カネテツデリカフーズ)CMソング
我が家は楽し
(東唱コーラス)
てっちゃんの歌 M2246 かねてつ蒲鉾(現:カネテツデリカフーズ)CMソング
東宝レコード
A面 B面 発売年月 規格品番 備考
コーヒーと仔犬 独占(ひとりじめ) 1971年2月 AS-1041
白い色が好きな娘 バラひと枝と友だち二人 1971年9月 AS-1088
こどもの眼 明日の午後ならいいわ 1972年3月 AS-1125
ポリドール
A面 B面 発売年月 規格品番 備考
ふるさとの四季 なんだべ坂の七ふしぎ 1976年 DQ-1006 『まんが・ふるさと昔話』主題歌
テイチク
A面 B面 発売年月 規格品番 備考
ホアンホアンとカンカン パンダのマーチ RS-3001

アルバム

[編集]
  • トモ子ちゃんの童謡集(1958年、コロムビア、KK-53)
    靴が鳴る」「汽車ぽっぽ」「七つの子」「お猿のかごや」「はとぽっぽ」「私の人形」の6曲を収録。
  • 家をでるとき(1976年、ポリドール、MR-3018)
    荒井由実(「過ぎたことだから」収録)らが楽曲を提供した。
  • 心に残るうたの贈りもの(1985年、東芝EMI、TP-80203)
    「峠の我が家」、「ディズニーメドレー」など収録
  • 決定盤 松島トモ子大全集(2014年5月21日、日本コロムビア、COCP-38509〜10)
    2枚組ベスト・アルバム

コンピレーション・アルバム

[編集]
  • 日本童謡名曲集 その一 かもめの水兵さん(1960年、コロムビア、AL-3015)
    「かもめの水兵さん」を松島トモ子が歌唱。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 本人によると、「今なら売れっ子子役として周りから羨望の的になったでしょうが当時の私は違いました。女性の社会進出が少ない時代でしたし、親戚から『子役になるなんて、かわいそうに』と泣かれたり、母は他の人からも『小さい女の子を働かせるなんて』と言われることもありました。でもしょうがないですよ、当時父はシベリアで生死不明の状態だったし、子役をやってでも食べていくしかなかった」と述懐している[3]
  2. ^ 正式には「第四頚椎棘突起及び椎弓粉砕骨折」である[8]
  3. ^ 日本では、1986年(昭和61年)4月26日に開催された第494回関東整形災害外科学会月例会において、主治医の林良彦(昭和大学病院整形外科)らによる症例報告が行われた[9]

出典

[編集]
  1. ^ 『声優名鑑』成美堂出版、1999年8月、268頁。ISBN 4-415-00878-X 
  2. ^ a b c 松島トモ子とはコトバンク
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『週刊女性』2024年7月9日号.
  4. ^ a b 「胡蝶蘭のウエディングドレス」女優・松島トモ子さん【インタビュー前編】~日々摘花 第48回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2024年6月21日). 2024年6月27日閲覧。
  5. ^ 徹子の部屋
  6. ^ 「芸能・ゴシップ」『噂の真相』1986年4月号、p.96
  7. ^ a b c d e f g フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。 
  8. ^ 松島トモ子『母と娘の旅路』文藝春秋、1993年2月1日、239頁。ISBN 4163472606 
  9. ^ 「咬創による頚椎椎弓粉砕骨折の1例」『関東整形災害外科学会雑誌』第17巻第5号、関東整形災害外科学会、1986年10月、[要ページ番号]国立国会図書館サーチR100000002-I000000035536-i6372911 
  10. ^ ナンシー関『何の因果で』角川文庫、1999年、p.139
  11. ^ 松島トモ子プロフィール 講演依頼.com|講演会の講師紹介
  12. ^ 松島トモ子「ライオンの餌」と紹介され…「フリーズして動けなかった」,スポーツニッポン,2022年6月3日
  13. ^ 安寿と厨子王丸”. メディア芸術データベース. 2016年10月29日閲覧。
  14. ^ 松島トモ子主演のサメ映画「松島トモ子 サメ遊戯」の製作・配給が決定”. 東京スポーツ (2023年12月15日). 2024年9月13日閲覧。
  15. ^ 『松島トモ子 サメ遊戯』国内最速上映ジャパンプレミアも!!! サメあがりの朝焼けの空に君はなにを見るー。 オールナイトSHOW「福山国産サメ映画まつり2024」開鮫♡”. フクヤマアニメ7 (2024年8月16日). 2024年9月13日閲覧。
  16. ^ 【マンガ探偵局がゆく】松島トモ子起用ラジオドラマの原作 少女と犬の放浪旅を描いた、山田えいじ「ペスよおをふれ」”. zakzak. 夕刊フジ (2021年3月20日). 2021年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月5日閲覧。
  17. ^ バルコの空想手帖”. テレビドラマデータベース. Furusaki Yasunari. 2021年1月18日閲覧。
  18. ^ 悦ちゃん(1)”. テレビドラマデータベース. 獅子文六アワー. Furusaki Yasunari. 2021年1月18日閲覧。
  19. ^ おまわりさん、敬礼!”. テレビドラマデータベース. Furusaki Yasunari. 2021年1月17日閲覧。
  20. ^ 松島トモ子の「ライオン事件」 本当の本当の真相とは!?”. TBSラジオ (2017年10月19日). 2017年10月19日閲覧。
  21. ^ 毎日新聞毎日新聞社。1976年12月31日・(東京)朝刊 同日付の朝刊テレビ欄より。16頁。
  22. ^ 『芸能』9月号、芸能学会、1988年、34頁。 

参考文献

[編集]
  • 「人間ドキュメント「敗戦日本を元気にしてきたザ・昭和スター~松島トモ子」『週刊女性』2024年7月9日号、主婦と生活社、2024年6月25日、36-42頁、JAN 4910203620744 

外部リンク

[編集]