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* 高蔵寺ニュータウン計画(1967年)高山英華編集 |
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* 私の都市工学 東京大学出版会 1987年 ISBN |
* 私の都市工学 東京大学出版会 1987年 ISBN 4130630156 ISBN-13: 978-4130630153 |
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* 講演会『戦後日本の都市計画伝説 高山英華』 梶田佳孝 都市計画 58(4), 112, 2009-08-25 |
* 講演会『戦後日本の都市計画伝説 高山英華』 梶田佳孝 都市計画 58(4), 112, 2009-08-25 |
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* 高山英華による都市計画の学術的探求に関する研究--「都市計画の方法について」の歴史的文脈に着目して 中島直人 都市計画論文集 (43), 169-174, 2008 |
* 高山英華による都市計画の学術的探求に関する研究--「都市計画の方法について」の歴史的文脈に着目して 中島直人 都市計画論文集 (43), 169-174, 2008 |
2016年11月15日 (火) 19:53時点における版
高山 英華(たかやま えいか 1910年4月20日 - 1999年7月23日)は日本の都市計画家、建築家。東京大学工学部名誉教授。近代都市計画学の創始者。建築系の都市計画学者で、また都市工学の先駆者として都市再開発から広く地域開発、都市防災の推進等を通しまちづくり事業に貢献し、都市計画分野に大きな足跡を残す。工学博士。東京出身。
人物
1910年4月生まれ。東京育ち。幼少の頃住みかは高輪から代々木、代々木から大久保、その後に兄が結核にかかり、一家で阿佐ヶ谷に引越す。以来東京都杉並区に在住した。東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1934年東京帝国大学工学部建築学科卒。
成蹊時代はバスケットボールの選手で活躍。中学時代と大学在学中サッカーの選手として活躍し、旧制中学サッカー部時代全国優勝を経験。文芸評論家中島健蔵は旧制中学と東大サッカー時代の先輩にあたり、彼の自伝小説『自画像』にも登場する。帝大在学中の1930年第9回極東選手権大会で日本代表フォワードに選出されている。その他戦前に開催を計画されていたオリンピック東京大会パンフレット用ポスターの絵を手掛ける。また、ベルリンオリンピック代表の候補にも選ばれ、戦後の1964年東京オリンピックでは、オリンピック施設特別委員会の副委員長となり、サッカー会場となった駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場等の設計に携わることになる。ベルリンオリンピックは出発直前に盲腸を発症し辞退、これにより兵役の任官も遅れたため同期の士官らが招集されたノモンハン事変に遭遇を免れる。
1933年西山卯三らと、日本文化工作聯盟と対峙する「青年建築家クラブ」を結成、資本論やフリードリヒ・エンゲルスの住宅問題の読書会を開催していたが、マルクス主義思想を理由に特別高等警察の手入れを受ける。このため、兵役時には毎日往復びんたの日々であったという。1934年に大学を卒業。卒業制作でこの年の辰野金吾賞を受賞。この年はほかに日建設計社長となる塚本猛次、山下設計事務所社長となる野崎謙三が受賞している。 卒業後は財団法人同潤会への就職を予定していたが都市計画の研究のため助手になって大学にそのまま残る。
1936年財団法人同潤会創立10年を記念して資金援助を受け、岸田日出刀らと共同研究としておもに外国における住宅敷地割の調査研究をまとめ、「外国に於ける住宅敷地割類例集」として出版した。
1938年、内田祥三の指導の下、内田祥文・関野克らと満州国大同都市計画(大同都邑計画)立案に参画するが徴兵を受ける。1941年大学に戻り、都市計画関連の委託研究をもっぱら手がける。同年、高山の下に丹下健三が大学院に進学してくるが、日米開戦となり高山は中国戦線、満州野線砲兵大7連隊に召集される。1942年3月除隊し、1943年には千葉県稲毛に設置された東京帝国大学第二工学部へ移籍する。移籍後は企画院事件ですっかり骨抜きになっていた企画院の戦時物資動員計画等に関与し、国土防衛と自給自足の資料調査に従事した。
戦後は内田祥文や丹下健三、浅田孝らと国土会を結成し、戦災復興都市計画に従事するべく、建築系の人材を人手が足りない戦災復興院嘱託に送り込むほか、自らも長岡市など、全国各地の都市計画事業に従事する。国土会はその後日本建築文化聯盟に再組織化し、土地の国有地化を主張しながら1947年に戦後結成された建築諸団体と新日本建築家集団(NAU)として合併し、高山は初代の中央委員長になる。
1949年に東京大学教授。1961年からは東京工業大学教授を併任したが、1962年東京大学工学部に都市工学科を設立し移籍、国土計画、地方計画、農村計画、住宅地計画などを担当する。 同時期に、武蔵野市から研究室への吉祥寺駅周辺都市計画案の作成委託をうけ「高山案」を立案。
1964年の東京オリンピックでは、開催会場一帯の配置計画や道路や輸送体制を含む全体計画のプロデュースを行なう。駒沢会場の総合計画を検討では公園内の貫通道路(現駒沢通り)が人と車を分ける立体交差を採用、中央には広場を置きその両側に体育館と競技場を配置した構成の会場を立案。
また国策として高度成長政策が展開された1960年、国土計画協会から工業都市のプランニングが委託される。こうして三重県四日市市などの工業都市の都市計画にかかわるが、今度は四日市ぜんそくといった公害の対策案作成が後に都市計画協会に委託され、高山が公害対策の研究会を設置しその中心となって、1969年に公害対策マスタープランを発表することになる。 1960年に日本都市計画学会に委託された富山県の第二次県勢総合計画「射水地域総合開発計画」の構想具体化は1961年から1962年にかけて高山研究室が中心となり「射水地域広域都市計画」としてまとめている。
1966年からは江東防災総合委員会委員長に就任し江東十字ベルト構想を発表。提案した6防災拠点の一つである白髪西地区の再開発素案は1973年に立案し、11月に発表された。
1965年から1967年まで日本建築学会会長。そのほか、都市計画中央審議会委員、国土総合開発審議会委員、日本原子力産業会議常任理事、財団法人都市防災研究所会長、日本沿岸域会議顧問、人間道路会議会長など多くの要職を歴任している。安田火災海上本社ビル(現損保ジャパン日本興亜本社ビル)では建設委員の一人に名を連ねたが、会議には毎回欠席している。
1975年から1979年にかけて、国土庁と住宅都市整備公団からの委託で、面積約1.200haに及ぶ東京都臨海都心部開発プロジェクトを手掛ける。同時期の筑波研究学園都市建設では研究学園都市開発基本計画策定委員会の副委員長を務め、マスタープランづくりに深く関与した。
1971年に東京大学を退官。1978年からは日本地域開発センター理事長や再開発コーディネーター協会の初代会長を努める。同協会に都市再開発の賞として「高山賞」が、また防災まちづくりのための「高山英華基金」が創設されている。
また、平成7年度ひろしま街づくりデザイン賞大賞を受賞した広島市のA・CITYヒルズ&タワーズ」では磯崎新とともに総合監修をつとめた。
晩年は地元杉並区でのまちづくりカレッジの校長と、杉並区にあった研究機関(蚕糸試験場と気象研究所)2跡地周辺の密集市街地の不燃化まちづくり事業推進機関として設立した防災不燃化公社(現まちづくり公社)の理事として、防災不燃化事業のほか公社運営や事業展開について指導していた。
略歴
- 1910年(明治43年) 出生
- 1928年(昭和3年) 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業
- 1931年(昭和6年) 成蹊高等学校卒業
- 1934年(昭和9年) 東京帝国大学工学部建築学科卒業、東京帝国大学工学部建築学科助手
- 1935年(昭和10年) 野戦重砲兵第一連隊入隊
- 1938年(昭和13年) 東京帝国大学工学部建築学科助教授
- 1945年(昭和20年) 日本建築学会常議員(編修)
- 1949年(昭和24年) 工学博士(「都市における密度に関する研究」)
- 1949年(昭和24年) 東京大学第2工学部建築学科教授
- 1951年(昭和26年) 日本都市計画学会理事
- 1952年(昭和27年) 結婚
- 1953年(昭和28年) 東京大学工学部建築学科教授
- 1956年(昭和31年) 日本建築学会学術理事
- 1958年(昭和33年) 日本建築学会副会長
- 1961年(昭和36年) 東京工業大学教授併任
- 1962年(昭和37年) 東京大学工学部都市工学科教授
- 1964年(昭和39年) 「オリンピック代々木競技場および駒沢公園の企画設計ならびに監理」で日本建築学会賞特別賞受賞
- 1965年(昭和40年) 日本建築学会会長
- 1966年(昭和41年) 建築審議会委員
- 1967年(昭和42年) 中央公害対策審議会委員(総理大臣)
- 1969年(昭和44年) 「高蔵寺ニュータウン計画」で日本都市計画学会石川賞受賞
- 1971年(昭和46年) 東京大学定年退官、東京大学名誉教授
- 1972年(昭和47年) 沖縄国際海岸博覧会・会場計画委員会委員長
- 1974年(昭和49年) 都市計画中央審議会会長
- 1975年(昭和50年) 国土総合開発審議会副会長(総理大臣)、「沖縄国際梅洋博覧会、アクアポリス計画」でイタリア海洋スポーツ・海洋交通協会から特別大賞受賞
- 1976年(昭和51年) 日本建築学会名誉会員
- 1978年(昭和53年) 「都市・農村計画の体系化と発展および建築・都市行政の推進に寄与した功績」で日本建築学会大賞受賞
- 1978年(昭和53年) 日本地域開発センター理事長
- 1979年(昭和54年) 郡市防災研究所会長
- 1980年(昭和55年) 日本都市計画学会名誉会員
- 1981年(昭和56年) 学校法人工学院大学理事長
- 1981年(昭和56年) 日本建築学会創立100周年記念事業組織委員会委員長、同事業募金委員会委員長
- 1985年(昭和60年) 再開発コーディネーター協会会長
- 1993年(平成5年) 森記念財団会長
- 1999年(平成11年) 逝去
主著
- 新都市の形態 技術資料刊行会(S.E.サンダース・A.J.ラバック共著の共訳、市川清志らと)1950年
- 21世紀に向けての都市づくり(都市整備の長期ビジョン 特集) 座談会 建設月報 33(4), 1980-04
- オリンピック代々木競技場および駒沢公園の企画・設計ならびに監理(特別賞)(日本建築学会賞特集)岸田 日出刀、芦原 義信、井上 宇市、神谷 宏治、小場 晴夫、高山 英華、丹下 健三、坪井 善勝、中山 克巳、堀内 享一、村田 政真 建築雑誌 80(957), 557, 1965-08-20
- オリンピック代々木競技場および駒沢公園の企画・設計ならびに監理(日本建築学会賞特集)建築雑誌 80(957), 611-612, 1965-08-20
- ごく普通のまちづくりを! : 専門分化と縦割り行政を超えて : 高山英華名誉会員に聞く(特別研究課題・連載シリーズ(3))高山英華 建築雑誌 113(1420), 65-70, 1998-03-20
- デザイン(創立70周年記念特集)堀口 捨巳、浅田 孝、市浦 健、小野 薫、近江 栄、伊藤 喜三郎、市川 清志、高山 英華、武 基雄、坪井 善勝、西山 卯三、浜口 隆一、亀井 勇、神代 雄一郎 建築雑誌 71(833), 7-27, 1956-04-20
- パートナーシップとリーダーシップと 高山英華、両角光男 建築雑誌 108(1344), 15-16, 1993-07-20 日本の都市と都市計画(地域開発を考える(〔地域開発〕創刊300号記念対談)特集) 対談:高山英華、伊東光晴 地域開発 (300), p2-15, 1989-09
- まちづくり計画調査昭和55年度〔日本都市計画〕学会活動状況報告(学会賞報告・受託研究報告)昭和55年度日本都市計画学会受託研究報告 高山英華 (他) 都市計画 (117), p22-23, 1981-08
- 温泉とまちづくりを考える(地域における生活と文化の再生 - 湯布院「この町に子どもは残るか」 シンポジウム) - (シンポジウムでの報告とコメント)地域開発 (148), p110-111, 1977-01
- 開会のあいさつ(沖縄シマおこし研究交流会議 - 第1回 地場産業の振興 特集) 高山英華、大浜賢永 地域開発 (174), p4, 1979-03
- 開会の挨拶から(田園都市を考える秩父会議 特集) 高山英華、清家 清 地域開発 (196), p1, 1981-01
- 開発と文化財保護(建築史・都市計画)(38年度日本建築学会東北大会特集)稲垣 栄三、高山 英華 建築雑誌 79(936), 135-137, 1964-02-20
- 笠原先生の想い出 高山 英華 建築雑誌 84(1014), 20, 1969-09-20
- 観光とまちづくり(観光とまちづくり - シンポジウム・松山にとって観光とは何か 特集)地域開発 (150), p20-23, 1977-03
- 基調挨拶 中央に吸収されぬ独自性を(明日の四国を考える - 「'81高松会議」から 特集)地域開発 (207), p2-3, 1981-12
- 巨大都市と地方都市振興(都市計画特集)磯村 英一、川名 吉エ門、下河辺 淳、高山 英華、日笠 端、山田 正男、石原 舜介 建築雑誌 77(918), 647-657, 1962-10-20
- 近畿圏計画について(特別講演(近畿大会))高山 英華、伊藤 滋 建築雑誌 81(966), 157-161, 1966-04-20
- 九州の基幹都市と将来(昭和36年度日本建築学会 : 創立75周年 : 九州支部設立25周年記念大会特集)建築雑誌 77(908), 71-75, 1962-02-20
- 建築と都市の狭間の50年(インタビュー)(特集 戦後建築をつくった人々 : 人とその逸話で歴史の行間を照らし出す)高山英華、南條道昌 建築雑誌 110(1376), 24, 1995-08-20
- 建築会館の竣工を迎えて(建築会館)高山英華 建築雑誌 98(1202), 14, 1983-01-20
- 建築高層化の限度(第1回日本建築祭特集)高山 英華、川上 秀光 建築雑誌 80(951), 200-201, 1965-03-20
- 現代建築の諸問題(創立70周年記念ゼミナール)池辺 陽、大江 宏、大村 栄太郎、加藤 渉、木村 幸一郎、小谷 喬之助、小宮 賢一、後藤 一雄、佐藤 鑑、鹿野 昌夫、清水 一、高山 英華、竹山 謙三郎、武 基雄、坪井 善勝、永井 久雄、西山 夘三、浜口 隆一、平賀 謙一、藤岡 通夫、宮内 嘉久、師橋 孝 建築雑誌 71(841), 45-53, 1956-12-20
- 高山英華と語る - 日本地域開発センタ-とその時代(〔地域開発〕400号記念特集 日本地域開発センタ-と地域開発)高山英華、国枝正治 地域開発 (400), 15-28, 1998-01
- 高山英華先生が語る、戦後の防災都市づくりと阪神・淡路大震災 高山英華、中林一樹、吉川仁 都市計画 45(1), 139-145, 1996-05-20
- 国際的な視野をもって(基調挨拶)(明日の四国を考える-2-「'82高松会議」から 特集) 高山英華 地域開発 (218), p2, 1982-11
- 国土改造の動向と地方自治 - 最近の立法と提案をめぐって-2- 座談会 自治研究 44(8), 67-80, 1968-08
- 国土計画と海(国土計画と海 特集) 高山英華 地域開発 (235), p1-5, 1984-04
- 国土計画のあり方(地域開発セミナ-より「地域の可能性をひらく」 特集 -1-)地域開発 (144), p3-14, 1976-09
- 座談會 : 住宅量産と不燃構造 : 住宅問題をめぐつて(2) 藤田 金一郎、鎌田 隆男、本城 和彦、清水 一、小野 薫、星野 昌一、坪井 善勝、高山 英華、勝田 高司、濱口 隆一、池邊 陽 生産研究 1(2), 64-66, 1949-11-01 機関リポジトリ
- 最近の土地問題をめぐって(特集 土地と建物)高山英華 建築雑誌 102(1266), 16-21, 1987-11-20
- 四十二万戸の空想部落 文芸春秋 34(6), 1956-06
- 市街地土地事情の地域的差異について 高山 英華、市川 清志、小島 重次 日本建築學會研究報告 (12), 177-180, 1951-06
- 私の都市計画史(日本都市計画学会30周年記念講演)高山英華 都市計画 (122), p2-8, 1982-06
- 集団住宅の配置計画と共同施設 : 競技設計全國審査概評(住宅特集)高山 英華、池辺 陽 建築雑誌 72(846), 20-21, 1957-05-20
- 住宅と社会生活 中央公論 68(8), 118-120, 1953
- 住宅地の計画 生産研究 4(11), 414-418, 1952-11-01 機関リポジトリ
- 都市の美化 公園緑地 13(1), 21-24, 1951-04
- 都市は市民のものだ - 東京問題調査会の提案をめぐって(市民に住宅を(特集))対談 高山 英華, 都留 重人 朝日ジャーナル 10(35), 90-96, 1968-08-25
- 都市計画(1953年建築界回顧)建築雑誌 69(808), 14-15, 1954-03-20
- 都市計画 建築雑誌. 研究年報 59, 20-21, 1960-02-25
- 都市計画からみた宅地問題 - 主集 都市の宅地問題 都市問題 48(4), 459-465, 1957-04
- 都市計画における体育施設 - 特集・社会体育 高山 英華 他 体育の科学 8(10), 412-416, 1958-10
- 都市計画における第3の道 高山英華 建築雑誌 101(1244), 7-12, 1986-03-20
その他の実績
- 都市計画における密度に関する研究 : 東京大学学位論文, 1949年
- 1968年新都市計画法制定に関与 : 「まち」づくりの将来展望(都市計画法施行10周年記念講演)高山英華 新都市 33(9), p30-42, 1979
- 日本地域開発センター設立に参画 : 「地域開発の20年をふりかえって」 - (財)日本地域開発センター設立20周年を記念して(特集・地域開発の20年)座談会 地域開発 (232), p1-20, 1984-01
- 1968年十勝沖地震における十和田市の出火機構アンケート調査(亀井幸次郎、村上處直 らと : 都市計画 大会学術講演梗概集. 計画系 44(計画系), 763-764, 1969-07-23
- 1966年北九州市の基本計画 : 主題研究報告(光吉健次、井波益雄、古賀士平、松尾仁美らと)日本建築学会論文報告集 号外,学術講演要旨集 (41), 585, 1966
- 沖縄国際海洋博覧会会場総合計画 : 沖縄国際海洋博覧会に取り組んで(沖縄海洋博まで 特集)座談会 SD (132), p6-15, 1975
- 月島火災實驗に於ける燃燒熱量と火災状況 : (岸田日出刀、關野克、内田祥文らと)建築學會論文集 (13), 437-446, 1939-04-30
- 工場公害の都市計画 : 建築基準法第49, 50条但書許可建築物について 工場公害の都市計画的処理に関する研究No. 4 (大庭常良, 北畠照躬 らと)日本建築學會研究報告 (33-2), 143-144, 1955
- 戦災都市の調査研究 : 建物の構造及用途よりみたる戦災都市の調査研究(高瀬三郎らと)大会学術講演梗概集. 計画系 23(2), 30-31, 1948
- 建物不燃化の諸要因研究 : 其の1-路線調査について(小島重次、宮沢美智雄、川上秀光、川手昭二, 碓井憲一、藤田甚一、入沢恒らと)、其の2-商店街の区劃整理について(池袋調査-1、小島重次, 宮沢美智雄、川上秀光、入沢恒、川手昭二、碓井憲一、藤田甚一らと)、其の3-商店街の不燃化について(池袋調査-2、小島重次、川手昭二、川上秀光、宮沢美智雄、入沢恒、碓井憲一、藤田甚一 らと)、其の4-商店街の不燃共同化について (池袋調査-3、小島重次、川手昭二、宮沢美智雄、川上秀光、入沢恒、碓井憲一、藤田甚一らと)日本建築學會研究報告 (29-2), 1954年
- 商業地域の建築活動の分析、池袋第二次調査(其の2) 高山 英華、小島 重次、川手 昭二、紺野 昭、宮沢 美智雄、村田 聖二、川上 秀光 日本建築学会研究報告 (31-2), 1955-05
- 商業地域副都心化の観察 : 池袋第二次調査・其の1 高山 英華、小島 重次、川手 昭二、村田 聖二、宮沢 美智雄、川上 秀光、紺野 昭 日本建築学会研究報告 (31-2), 1955-05
- 公害面から見た建築基準法別表工場規制 : 工場公害の都市計画的処理に関する研究No.3 (大庭常良、小島重次、横山厳らと)日本建築學會研究報告 (33-2), 141-142, 1955
- 川崎鶴見地区調査 : 工場と居住施設との関係(小島重次、大庭 常良らと)、混合地域について : 川崎・鶴見地区の場合(小島重次、大庭常良らと)日本建築學會研究報告 (24), 347-348, 1953-10-10
- 市街地内部の容積的研究 高山 英華 日本建築學會研究報告 (12), 169-172, 1951-06
- 住宅地の地価と階数について 高山 英華, 小島 重次 日本建築學會研究報告 (20), 273-274, 1952-10-10
- 住宅統計よりみた都市別住宅事情 高山 英華, 小島 重次 日本建築學會研究報告 (18), 262-263, 1952-05
- 昭和の街,昭和の住宅(状況への直言) 高山英華 新建築 55(6), p139-142, 1980-06
- 新しい街づくり(若き日の人と学との出会い-3-) 高山英華 知識 (23), p226-232, 1981-07
- 新しい国土開発計画について(地域開発研究懇談会から) 地域開発 (150), p48-64, 1977-03
- 新しい都市生活を 新建設 (2), 2-4, 1949
- 人間・生活・都市および農村(70年代・日本海地域の開発〔地域開発セミナー(昭45.10)〕(特集)) シンポジウム 地域開発 (75), 55-69, 1970-12
- 千葉市に於ける都市公共施設 高山 英華、米永 代一郎 日本建築学会研究報告 (6), 404-417, 1950-05
- 千葉市に於ける土地所有及び地目の変遷 高山 英華, 三輪 雅久, 北川 充昭 日本建築學會研究報告 (6), 408-411, 1950-05
- 千葉市の都市計畫について(第3部會)村井 敬二, 小島 重次, 高山 英華 建築雑誌 62(734), 15, 1947-09-20
- 川崎市の工業と土地利用 高山 英華 他 都市計画 4(1), 1955-05
- 戦後モダニズム建築の軌跡・丹下健三とその時代 第9回 高山英華 藤森 照信、高山 英華、石崎 順一 新建築 73(10), 124-128, 1998-10
- 総合的な政策策定を(基調挨拶)(明日の四国を考える-4-「'84高松会議から」 特集) 高山英華 地域開発 (243), p3-4, 1984-12
- 大都市における軽工業地域の調査研究 高山 英華, 金野 勝美 大会学術講演梗概集. 計画系 21(2), 50-51, 1945-11-22
- 大都市の環境形成(事務所規制と都市機能(特集))地域開発 (93), 1-10, 1972-06
- 大都市の建設活動における公共投資と民間投資の実証的研究 建築雑誌. 研究年報 62, 327-328, 1962-09-20
- 大都市の人口密度に就て 高山 英華、小島 重次、村井 敬二 大会学術講演梗概集 計画系 22(3), 6-7, 1946-07
- 題・戦後10年の住宅問題の動き(都市計画・経済部会)(昭和30年度秋季連合大会特集)建築雑誌 71(830), 50, 1956-01-20
- 地域開発と広域計画(富山)(37年度日本建築学会大会特集)建築雑誌 78(922), 95, 1963-02-20
- 地域開発の新段階と石央地域(新しい地域開発をめざして - 「地域開発セミナ-・明日の石央地域」 特集)地域開発 (159), p3-5, 1977-12
- 地域開発政策の再検討 地域開発 (18), 41-49, 1966-04
- 地域計画と行財政計画と社会計画 自治研究 40(13), 3-14, 1964-12
- 地価より見た土地利用について 高山 英華、市川 清志、小島 重次 日本建築學會研究報告 (12), 173-175, 1951-06
- 長岡市の都市計畫について(第3部會)小島 重次、恒成 一訓、高山 英華 建築雑誌 62(734), 15, 1947-09-20
- 帝国ホテル旧館の保存について 池辺 陽、稲垣 栄三、関野 克、高山 英華、前川 国男、山本 学治 建築雑誌 82(988), 757-766, 1967-11-20
- 鉄道貨物交通需要の分布 : 東京都区部に就いて 高山 英華, 小島 重次, 宮沢 美智雄 日本建築學會研究報告 (27), 83-84, 1954-05
- 都市(インタビュー)高山 英華、中西 肇 開発金融 (14), 62-74, 1970-03
- 都市と環境(主集 昭和47年度日本建築学会(九州)大会) 建築雑誌 88(1062), 177-181, 1973-03-20
- 都市と建築とその法規をめぐる諸問題 内田 祥三、大高 正人、高山 英華、丹下 健三、松田 軍平、前川 喜寛、清家 清、河合 正一、松谷 蒼一郎 建築雑誌 75(888), 435-447, 1960-08-20
- 都市と住宅の将来(第1回日本建築祭特集)建築雑誌 80(951), 158-159, 1965-03-20
- 都市の環境と健康(都市と保健 特集)高山英華 都市問題研究 31(12), p2-14, 1979-12
- 都市の機能と配置(都市・産業の配置とネットワーク〔地域開発セミナー(昭43・8)講義要旨〕(特集)) 地域開発 (49), 1-10, 1968-10
- 都市の土地利用及居住密度 高山 英華、小島 重次、村井 敬二 大会学術講演梗概集 計画系 22(1-2), 18-19, 1947-11-22
- 都市計画の転換期と法制(1)(主集 都市計画の転換期と法制) 川名 吉エ門、市浦 健、郭 茂林、竹内 藤男、高山 英華、三宅 俊治 建築雑誌 82(989), 777-785, 1967-12-20
- 都市計画よりみた大都市圏調査について 都市問題 50(3), 249-257, 1959-03
- 都市計画研究の動向と今後の課題(都市計画-評価と展望)浅田 孝、大谷 幸夫、高山 英華、中嶋 泰、三輪 雅久、吉田 美津子、渡辺 俊一 建築雑誌 94(1151), 40-47, 1979-06-20
- 都市計画方法論概説 大会学術講演梗概集. 計画系 23(3), 39-40, 1948-05-29
- 都市工学科設立に際して(都市計画特集)高山 英華、川上 秀光 建築雑誌 77(918), 613-618, 1962-10-20
- 都市再開発雑感(都市再開発 特集)高山英華 新都市 42(4), p2-4, 1988-04
- 土地問題と都市計画(土地問題と都市計画 特集)対談:高山英華, 日笠端 地域開発 (295), p2-17, 1989-04
- 東京の土地所有 1911年(明治44年末)の状況 高山 英華、小島 重次 日本建築學會研究報告 (6), 400-403, 1950-05
- 東京の防災計画の基本理念と構想(白鬚東地区防災拠点計画 特集)高山英華 建築文化 (381), p33, 1978-07
- 東京都区部における人口密度分布について : 大都市の土地利用構成に関する研究:2 日笠 端、八沢 恒、大庭 常良、高山 英華、小島 重次 日本建築學會研究報告 (24), 343-344, 1953-10-10
- 東京都区部における土地利用比率について : 大都市の土地利用構成に関する研究:1 入沢 恒、日笠 端、大庭 常良、高山 英華、小島 重次 日本建築學會研究報告 (24), 341-342, 1953-10-10
- 東京湾奥問題を考える(東京湾構想をめぐって 特集)高山英華 地域開発 (287), p1-5, 1988-08
- 東北地域開発について(38年度日本建築学会東北大会特集)高山 英華、桂 久男 建築雑誌 79(936), 82-84, 1964-02-20
- 奈良の保存と開発 - 文化財に対する姿勢を正せ 朝日ジャーナル 7(29), 88-96, 1965-07
- 二、三の感想 建築雑誌 66(774), 32, 1951-05-20
- 日本の住宅問題をいかに解決すべきか(住宅問題特集)(3) 有泉 亨、幸島 礼吉、高山 英華 建築雑誌 74(870), 13-19, 1959-05-20
- 日本の地域開発(地域開発の展望 特集)対談 高山英華、佐藤 竺 地域開発 (200), p1-14, 1981-05
- 日本建築学会大賞を受けての感想(昭和53年日本建築学会大賞・昭和52年度日本建築学会賞 主集)高山英華 建築雑誌 93(1140), p9, 1978-08
- 農山漁村計画の意味(主集 農村計画)建築雑誌 87(1051), 409-410, 1972-05-20
- 農村の将来と建築(農村住宅)建築雑誌 82(981), 279-281, 1967-05-20
- 陸・海・空の広範囲の開発を(基調挨拶)(明日の四国を考える高松会議'83)高山英華 地域開発 (232), p23-24, 1984-01
- 緑地の価値 不動産研究 9(3), 20-22, 1967-07
筑波移転主要跡地の利用計画
高山は、首都圏にある国の機関の筑波研究学園都市移転後跡地の利用について、跡地利用に関する国有財産中央審議会委員として具体的な跡地利用計画策定に関与。利用計画について主要跡地と非主要跡地に区分し答申、以下の通り処分を行うこととした。
- 農林水産省林業試験場本場跡地(目黒区下目黒・品川区小山台) - 林試の森公園、周辺地域不燃化推進を条件としている
- 農林水産省蚕糸試験場本場跡地(和田) - 蚕糸の森公園(周辺地域不燃化推進が条件の防災公園)、小学校移転(杉並区立第十小学校),新高円寺駅入り口(地下鉄駅務舎)
- 農林水産省蚕糸試験場日野桑園跡地(日野市) - 日野市自然体験広場「仲田の森」、残りは日野市立仲田小学校校庭と留保地に
- 農林水産省農業技術研究所(現農業環境技術研究所)、獣疫研究室(現動物衛生研究所)跡地(北区西ヶ原) - 北区滝野川公園、東京都北区防災センター、滝野川体育館、国立印刷局東京病院、消防署移転し東京消防庁第五消防方面本部#滝野川消防署に
- 農林水産省農事試験場畑作部跡地(埼玉県北本市) - 留保地。1984年の関東地方審答申で病院及び研究施設等を予定
- 農林水産省家畜衛生試験場跡地(小平市) - 国分寺市営けやき公園、東京都立小平南高等学校、国分寺市民スポーツセンター、残りは周辺都市整備事業用地
- 農林水産省畜産試験場跡地(千葉県千葉市) - 千葉県立青葉の森公園、一部は隣接する星久喜小学校校庭拡張と周辺都市整備事業用地、千葉大学代替地
- 農林水産省果樹試験場本場跡地(神奈川県平塚市) - 平塚市総合公園、平塚市立大原小学校、神奈川県立平塚中等教育学校と留保地。留保地は1985年の関東地方審答申で公園を予定
- 旧通商産業省東京工業試験所本所跡地(渋谷区本町) - 新国立劇場(第二国立劇場東京オペラシティ)
- 旧通商産業省東京工業試験所目黒分室跡地(目黒区三田) - 東京二十三区清掃一部事務組合目黒清掃工場および目黒清掃工場緩衝緑地(通称「クリーン公園」)
- 旧通商産業省機械技術研究所本所跡地(杉並区井草) - 井草森公園、不燃ごみ中継施設
- 旧通商産業省機械技術研究所東村山分室跡地(東村山市富士見町) - 東京都立東村山西高等学校、東村山市立富士見小学校、東京都立公園東村山中央公園、東村山立富士見文化センター、東京都水道局八坂給水所、また、通産研究所研修部施設の拡張用地、周辺都市整備事業用地
- 旧通商産業省工業技術院電子技術総合研究所田無分室跡地(田無市、現・西東京市) - 田無市民公園、遊水池、東京都立田無高等学校、西東京市総合体育館、周辺都市整備事業用地
- 旧通商産業省工業技術院公害資源研究所本所跡地(埼玉県川口市) - 川口駅西口再開発事業用地。川口リブレ、川口総合文化センターリリア、駅前公園の川口西公園などに
- 旧通商産業省工業技術院公害資源研究所浮間分室跡地(北区浮間) - 東京都下水道局浮間水再生センター(下水処理場。地上は公園・浮間子どもスポーツ広場)、新幹線等JR線線路用地、公務員宿舎浮間住宅・経済産業省浮間独身寮(集約立体化用地)
- 旧通商産業省計量研究所跡地(板橋区加賀) - 板橋区加賀1丁目公園、板橋区東板橋体育館、残りは周辺都市整備事業用地
- 気象庁気象研究所本所跡地(杉並区高円寺) - 馬橋公園。土地利用については、周辺地域不燃化推進を条件にしている
- 旧建設省土木研究所千葉支所跡地(千葉県千葉市稲毛区) - 稲毛区穴川中央公園、稲毛区穴川コミュニティセンター、千葉県立京葉工業高等学校拡張、一部は放射線医学総合研究所拡張用地、のこりは周辺都市整備事業用地
- 旧建設省土木研究所鹿島試験所跡地(茨城県神栖町、現・神栖市) - 留保地
- 旧建設省建築研究所跡地(新宿区百人町) - 新宿区立百人町ふれあい公園と都営百人町三丁目アパート(周辺地域再開発事業用地)
- 旧建設省国土地理院跡地(目黒区東山) - 区民施設/東山公園と区立老人ホーム東山
- 東京教育大学本部跡地(文京区大塚) - 教育の森公園・文京区文京スポーツセンター・占春園、筑波大学学校教育部(既存建物利用)、筑波大学附属小学校校庭拡張 放送大学東京文京学習センター、筑波大学#大学院
- 東京教育大学農学部跡地(目黒区駒場) - 駒場野公園・目黒区立駒場体育館、東京都立国際高等学校、大学入試センター
- 東京教育大学体育学部跡地(渋谷区西原) - 渋谷区スポーツセンター、ガールスカウト会館、高齢者住宅(ライフピア西原)、渋谷区総合ケアコミュニティ・せせらぎ
- 東京教育大学保谷農場・保谷寮・保谷グラウンド跡地(保谷市、現・西東京市) - 文理台公園、西東京市立明保中学校、東町下水ポンプ所,周辺都市整備事業用地
- 東京教育大学光学研究所跡地(新宿区百人町) - 社会保険中央総合病院が移転。ほか社会保険中央総合病院看護専門学校、国立科学博物館分館
- 東京教育大学祖師谷農場跡地(世田谷区上祖師谷) - 祖師谷公園(一部)、祖師谷国際交流会館(旧・留学生会館)、周辺都市整備事業用地
- 東京教育大学板橋寄宿舎・桐花寮跡地(板橋区常盤台) - 板橋区平和公園
- 東京教育大学板橋寄宿舎・茗花寮跡地(常盤台) - 筑波大学附属桐が丘特別支援学校(同校敷地の一部へ)
- 東京教育大学坂戸農場跡地(埼玉県坂戸市・鶴ヶ島町、現・鶴ヶ島市) - 筑波大学附属坂戸高等学校(同校農場の一部が旧坂戸農場の一部に)ワカバウォーク等と留保地。大部分は1985年関東地方審答申で、中小工場移転用地の予定。
東京教育大学跡地は国立学校特別会計所属財産、東京教育大学跡地以外の21跡地については、特々会計所属の財産。この他に一部道路予定地へと組み込まれたものもある。学校が隣接する場合一部を学校用地に、もしくは新設の予定地として提供。その他はできるだけ防災施設・公園施設となるよう策定し実現させている。
関連項目
おもな門下
参考文献
- 高蔵寺ニュータウン計画(1967年)高山英華編集
- 私の都市工学 東京大学出版会 1987年 ISBN 4130630156 ISBN-13: 978-4130630153
- 講演会『戦後日本の都市計画伝説 高山英華』 梶田佳孝 都市計画 58(4), 112, 2009-08-25
- 高山英華による都市計画の学術的探求に関する研究--「都市計画の方法について」の歴史的文脈に着目して 中島直人 都市計画論文集 (43), 169-174, 2008
- 高山英華の戦時下「東京都改造計画」ノート (特集 トーキョー・メタボリズム2010/50 Years After 1960) 中島直人 TenPlusOne (50), 104-113, 2008
- 高山英華先生の足跡 大西隆 都市計画 48(5), 83, 1999-12-25
- 名誉会員・高山英華先生ご逝去 : 追悼のことば(会員フォーラム) 伊藤滋 建築雑誌 114(1445), 65, 1999-10-20
- 名誉会員高山英華先生を悼む 石田頼房 農村計画学会誌 18(2), 97, 1999-09-30
- 追悼企画 高山英華先生を偲んで 再開発コーディネーター (82), 30-35, 1999-11
- 東京の都市計画家高山英華 東秀紀 2010年6月、鹿島出版会 ISBN 978-430609407-9 3
- 高山英華先生を偲ぶ 地域開発 (420), 67-75, 1999-09
- 高山 英華 ケンプラッツ
- 高山英華基金
- 五輪アイスホッケーに学ぶ サッカーのフィルターを通して見た共通点 賀川サッカーライブラリー
外部リンク
- 戦後都市計画を再考する:高山英華の生涯 - 第42回NSRI都市・環境フォーラム, 2011年