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==系図== |
==系図== |
2016年11月15日 (火) 18:10時点における版
坊城家 | |
---|---|
坊城羽雀・竹に雀 | |
本姓 | 藤原北家勧修寺家庶流 |
家祖 |
坊城俊定? 坊城俊実? |
種別 |
公家(名家) 華族(伯爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 | 山城国 |
支流、分家 |
町口家(公家) 穂積家(奈良華族) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
坊城家(ぼうじょうけ)は、名家の家格を有する公家(公家貴族)。藤原北家勧修寺流のうち勧修寺家の支流。「小川坊城」とも称する。家業は紀伝道と装束。家紋は竹に雀。江戸時代の家禄は180石。伯爵。
鎌倉時代に吉田経俊の子・坊城俊定を祖として創設されたといわれているが、俊定の子である定資の長男俊実(俊定の孫にあたる)を祖とする説もある。戦国時代末期、一時期中絶したが、後に勧修寺晴豊の三男、俊昌が入って再興された。
1884年(明治17年)俊章(としあや)が伯爵を授けられる。俊章は貴族院議員、陸軍少将、山形県知事などを務めた。俊良は侍従、皇太后宮大夫、伊勢神宮大宮司を務めた。俊民(としたみ)は東京都立高校の教諭、校長を歴任。1951年(昭和26年)以来、宮中で行われる歌会始の講師(こうじ)を務め、披講会会長を務めた。
坊城俊成は堂上会会員。
歴代当主
※カッコ内は生没年
- 坊城俊定 (1251年 - 1310年)
- 坊城定資 (1275年 - 1330年)
- 坊城俊実 (1296年 - 1350年)
- 坊城俊冬 (1319年 - 1367年)
- 坊城俊任 (1346年 - )
- 坊城俊秀 (1423年 - 1465年)
- 坊城俊顕 (1443年 - 1471年)
- 坊城俊名 (1463年 - 1540年)
- 坊城俊昌 (1582年 - 1609年)
- 坊城俊直 (1606年 - 1688年)
- 坊城俊完 (1609年 - 1662年)
- 坊城俊広 (1626年 - 1702年)
- 坊城俊方 (1662年 - )
- 坊城俊清 (1667年 - 1743年)
- 坊城俊将 (1699年 - 1749年)
- 坊城俊逸 (1727年 - 1773年)
- 坊城俊親 (1757年 - 1800年)
- 坊城俊明 (1782年 - 1860年)
- 坊城俊廸 (1808年 - 1810年)
- 坊城俊克 (1802年 - 1865年)
- 坊城俊政 (1826年 - 1881年)
- 坊城俊章 (1843年 - 1906年)
- 坊城俊徳 (1889年 - 1911年)
- 坊城俊良 (1893年 - 1966年)
- 坊城俊民 (1917年 - 1990年)
- 坊城俊成 (1962年 - )[1][2]
系図
坊城家
出典
- ^ 野島, 寿三郎 (Nojima, Jusaburō) (1986) (snippet). 神道人名事典(Shintō jinmei jiten). 神社新報社. p. 264. ISBN 4-915-26556-0 ISBN 978-4-915-26556-3
- ^ 小和田, 哲男; 菅原, 正子; 仁藤, 敦史 (2003) (snippet). 日本史諸家系図人名辞典. 日本史諸家系図人名辞典. p. 572. ISBN 4-062-11578-6 ISBN 978-4-062-11578-0
- ^ 勧修寺経茂の子。
- ^ 勧修寺晴豊の4男。
- ^ 勧修寺尹隆の子。
外部リンク
- 公卿類別譜(公家の歴史)坊城
- 坊城家(名家)(世界帝王辞典)