坊城俊定
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 建長4年(1252年) |
死没 | 延慶4年12月4日(1310年12月25日) |
別名 | 号:坊城大納言 |
官位 | 参議 |
主君 | 伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇 |
氏族 | 藤原北家勧修寺流吉田家庶流坊城家 |
父母 | 父:吉田経俊、母:平業光の娘 |
兄弟 | 吉田俊氏、吉田俊方、俊定、中御門経継、吉田経世、経誉、経円、吉田経藤室、堀川具守室、中納言貞平室、藤原忠雄室、正親町三条実仲室 |
妻 | 宮仕女房 |
子 | 定資、俊平、吉田国房、基定、俊海、俊助、俊子 |
坊城 俊定(ぼうじょう としさだ)は、鎌倉時代後期の公家。藤原北家勧修寺流吉田家、中納言・吉田経俊の子。官位は参議。能力に富んだ公卿と言われる[1]。
経歴
[編集]正応元年(1288年)7月11日に参議となる。徳治3年(1308年)8月28日に出家。