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坊城俊政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
坊城俊政
坊城俊政
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政9年8月21日1826年9月22日
死没 明治14年(1881年9月16日[1]
官位 従三位参議
主君 仁孝天皇孝明天皇
氏族 坊城家
父母 父:坊城俊明、母:家女房
養父:坊城俊克
兄弟 坊城俊迪勧修寺顕彰中御門経之俊政芝小路豊訓芝山敬豊波多野広善穂穙俊弘南坊城梓
婉御
今園国映俊延芝山祐豊、録子、直、美津、式子、梓子、本田あふひ
養子:俊章
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坊城 俊政(ぼうじょう としただ)は、幕末公家、明治期の官僚華族

経歴

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山城国京都坊城俊明の六男として生まれ、父の弟坊城俊克の養子となる[2][3]天保8年3月28日1837年5月2日)に元服し昇殿を許される[2]。安政4年5月15日(1857年6月6日)侍従となる[2]。以後、右少弁蔵人、御祈奉行、左少弁、賀茂下上社奉行、氏院別当、兼右衛門権佐右中弁などを歴任[2]

慶応3年12月9日1868年1月3日)王政復古を迎え、慶応4年3月29日(1868年4月21日)参議右大弁参与に就任[4]。以後、弁官事、兼内弁事、給禄取調御用掛、大弁、制度分局御用、大嘗会御用掛、式部長などを務め、明治4年8月10日(1871年9月24日)式部頭に就任[4]。以後、宮中の祭祀、典礼を司った[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 『明治維新人名辞典』78頁。
  2. ^ a b c d 『公家事典』551頁。
  3. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』下巻、469-471頁。
  4. ^ a b 『百官履歴 上巻』179-182頁。
  5. ^ 華族坊城俊政三男捨麿ヲ本覚寺住職波多野広善ノ養子トス国立公文書館デジタルアーカイブ
  6. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、484頁。

参考文献

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  • 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 橋本政宣編『公家事典』吉川弘文館、2010年。
公職
先代
(新設)
日本の旗 式部頭
1871年 - 1881年
式部長
1871年
次代
(欠員→)鍋島直大