坊城俊賢
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坊城 俊賢(ぼうじょう としよし、1897年(明治30年)2月2日[1] - 1984年(昭和59年)6月5日[1][2])は、大正末から昭和期の農林技師、政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]東京府[3]で伯爵・坊城俊章の五男として生まれ、はとこの男爵・坊城俊延の養子となる[1]。養父の死去に伴い1910年(明治43年)6月4日、男爵を襲爵[1][4]。学習院高等科を経て[5]、1922年(大正11年)東京帝国大学農学部を卒業[2]。1924年(大正13年)以降、東京市技手、埼玉県技手、農林技手、富山県農林技師などを務めた[2]。
1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[2][6][7]、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。この間、農林省委員、農商省委員などを務めた[2]。
戦後、全国米菓協同組合連合会理事長を務めた[3]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 日外アソシエーツ編『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。ISBN 4-8169-0763-7
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 坊城俊延 |
男爵 坊城家(分家)第2代 1910年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |