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* サイレント・コメディ全史(新野敏也著、1992年、[[喜劇映画研究会]] ISBN |
* サイレント・コメディ全史(新野敏也著、1992年、[[喜劇映画研究会]] ISBN 978-4906409013) |
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* グロリア・スワンソン自伝(吉野美恵子訳、[[双葉十三郎]]監修、1994年、[[文藝春秋]] ISBN |
* グロリア・スワンソン自伝(吉野美恵子訳、[[双葉十三郎]]監修、1994年、[[文藝春秋]] ISBN 978-4163493503) |
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*〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る(マック・セネット著、石野たき子訳/新野敏也監訳、2014年、[[作品社]] ISBN |
*〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る(マック・セネット著、石野たき子訳/新野敏也監訳、2014年、[[作品社]] ISBN 4861824729) |
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== 参考文献 == |
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2016年11月15日 (火) 15:34時点における版
グロリア・スワンソン Gloria Swanson | |||||||||
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宣材写真 | |||||||||
本名 | Gloria May Josephine Swanson | ||||||||
別名義 | Gloria Mae[1] | ||||||||
生年月日 | 1899年3月27日 | ||||||||
没年月日 | 1983年4月4日(84歳没) | ||||||||
出生地 | アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ | ||||||||
死没地 | アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 | ||||||||
身長 | 155 cm[2] | ||||||||
職業 | 女優 | ||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||
活動期間 | 1914年 - 1974年 | ||||||||
配偶者 |
ウォーレス・ビアリー (1916-1919) ハーバート・K・ソンボーン (1919-1922) アンリ・ド・ラ・ファレーズ (1925-1931) マイケル・ファーマー (1931-1934) ジョージ・ウィリアム・デイヴィ (1945-1948) ウィリアム・ダフティ (1976-1983) | ||||||||
主な作品 | |||||||||
『サンセット大通り』(1950年) | |||||||||
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グロリア・スワンソン (Gloria Swanson, 1899年3月27日 - 1983年4月4日)は、アメリカ合衆国の女優である。サイレント時代に活躍した。
生涯
イリノイ州シカゴにて、スウェーデン系の父親 (Joseph Theodore Swanson) とポーランド系の母親 (Adeline Klanowsky Woodruff) の間に生まれる[3][4]。出生名はGloria Mae (or May) Josephine Swanson (or Svensson)。プエルトリコ、シカゴ、キー・ウエストなどで育つ。学校を終えた後はデパートで販売員として働くようになる。
特にショービジネスに興味はなかったが、1914年からエキストラとして映画に出演するようになる[5] 。1916年にロサンゼルスに移り、マック・セネットのコメディなどに出演。1919年にパラマウント映画と契約。セシル・B・デミルに見いだされる。身長約150センチと小柄ながら、豪華なセット、衣装を用いたゴージャスな作品で、人気を博す。
週に100万ドル稼ぎ、100万ドル使うスターと呼ばれた。1916年に俳優のウォーレス・ビアリーと結婚するが3年後に離婚。2度目の夫、実業家ソンボーン(Herbert K. Somborn)との間に娘グロリア(Gloria)を出産。出産後もスターとしての人気は衰えず、初めての子持ちのスターでもあった。3度目の夫は、『在りし日のナポレオン』撮影中、フランスで通訳を務めたクードレイエ侯爵アンリ・ド・ラ・ファレーズ(Henry de La Falaise)。貴族と結婚した初めてのハリウッド女優だった(貴族と結婚したポーラ・ネグリと張り合ったと言われる)。この結婚と同時期に、ケネディ大統領の父親であるジョセフ・P・ケネディと不倫の関係にあったことを、50年後に出版した自伝で初めて明かした[6]。関係は3年続き、カトリックであるため離婚のできない彼のため、身を引いたという。4度目にはマイケル・ファーマーという男性と結婚し、2人目の娘ミシェル(Michele)をもうけるが3年で離婚。5番目の夫ジョージ・ウィリアム・デイヴィとは45日間しか共に生活しなかったという。最後の夫となったウィリアム・ダフティ(William Dufty)は作家・脚本家で、彼女の死まで共に暮らした。
1950年のビリー・ワイルダー監督作品『サンセット大通り』において、サイレント時代に活躍し忘れ去られた女優という、彼女自身を投影した役でカムバックした。この作品でゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)を受賞、アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。
その後は主にテレビを中心に活動を続けた。遺作は本人(をモデルとした同姓同名の女優)役で出演した映画『エアポート'75』(1974年)。
1983年に心臓病により死去[7]。
主な出演作品
公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1915 | チャップリンの役者 His New Job |
短編、クレジットなし | |
1919 | 夫を変へる勿れ Don't Change Your Husband |
レイラ・ポーター | |
連理の枝 For Better, for Worse |
シルヴィア・ノークロス | ||
男性と女性 Male and Female |
レディ・メアリー・ラセンビー | ||
1920 | 何故妻を換へる? Why Change Your Wife? |
ベス・ゴードン | |
人間苦 Something to Think About |
ルース・アンダーソン | ||
1921 | 大事な時 The Great Moment |
ナダ/ナディーン | |
アナトール The Affairs of Anatol |
ヴィヴィアン・スペンサー | ||
銃口に立つ女 Under the Lash |
デボラ | ||
言はぬが花 Don't Tell Everything |
マリアン | ||
1922 | 夫の商標 Her Husband's Trademark |
ロイス・ミラー | |
黄金の籠 Her Gilded Cage |
スザンヌ | ||
巨巖の彼方 Beyond the Rocks |
テオドラ・フィッツジェラルド | ||
白絹の女 The Impossible Mrs. Bellew |
ベティ | ||
大陸に鳴る女 My American Wife |
ナタリー・チェスター | ||
1923 | 放埓娘 Prodigal Daughters |
スィフティ・フォーブス | |
幸福の扉 Bluebeard's Eighth Wife |
モナ | ||
舞姫ザザ Zaza |
ザザ | ||
1924 | 蜂雀 The Humming Bird |
トワネット | |
焔の女 A Society Scandal |
マージョリー・コーベット | ||
嬲られ者 Manhandled |
テッシー | ||
ありし日のナポレオン Madame Sans-Gêne |
カトリーヌ | ||
1925 | 女心 The Coast of Folly |
ナディーン | |
当り狂言 Stage Struck |
ジェニー | ||
1926 | 女王蜂 The Untamed Lady |
セントクレア・ヴァン・タッセル | |
野薔薇 Five Manners |
オーキッド・マーフィー | ||
1927 | 五つの魂を持つ女 The Love of Sunya |
サンヤ・アシュリング | |
1928 | 港の女 Sadie Thompson |
サディ・トンプソン | |
1929 | クィーン・ケリー Queen Kelly |
キティ・ケリー | |
トレスパッサー The Trespasser |
マリオン・ドネル | ||
1930 | 陽気な後家さん What a Widow! |
タマリンド・ブルック | |
1931 | 恋愛即興詩 Indiscreet |
ジェラルディン・トレント | |
今宵ひととき Tonight or Never |
ネラ・ヴァゴ | ||
1933 | 完全な諒解 Perfect Understanding |
ジュディ・ロジャース | |
1934 | 空飛ぶ音楽 Music in the Air |
フリーダ | |
1950 | サンセット大通り Sunset Boulevard |
ノーマ・デズモンド | ゴールデングローブ賞 受賞 |
1956 | わが息子暴君ネロ Mio figlio Nerone |
アグリッピナ | |
1960 | 喜劇の王様たち When Comedy Was King |
- | ドキュメンタリー |
1974 | 恐怖の殺人蜜蜂 Killer Bees |
Madame Maria von Bohlen | テレビ映画 |
エアポート'75 Airport 1975 |
グロリア・スワンソン |
受賞歴
アカデミー賞
ゴールデングローブ賞
- 受賞
- 1951年 主演女優賞 (ドラマ部門):『サンセット大通り』
日本での伝記関連
- サイレント・コメディ全史(新野敏也著、1992年、喜劇映画研究会 ISBN 978-4906409013)
- グロリア・スワンソン自伝(吉野美恵子訳、双葉十三郎監修、1994年、文藝春秋 ISBN 978-4163493503)
- 〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る(マック・セネット著、石野たき子訳/新野敏也監訳、2014年、作品社 ISBN 4861824729)
参考文献
- ^ “Gloria Swanson” (英語). AllMovie. 2013年12月14日閲覧。
- ^ “Gloria Swanson - Biography” (英語). IMDb. 2013年12月14日閲覧。
- ^ Quirk, Lawrence J. (1984). The Films of Gloria Swanson. Citadel Press. p. 256. ISBN 0-8065-0874-4
- ^ Harzig, Christiane (1996). Peasant Maids, City Women. Cornell University Press. p. 283. ISBN 0-8014-8395-6
- ^ Swanson, Gloria (1981). Swanson on Swanson. Chapter 2: Random House. ISBN 0-394-50662-6
- ^ See, for example, Gloria and Joe: The Star-Crossed Love Affair of Gloria Swanson and Joe Kennedy by Axel Madsen, 1988 (ISBN 0877959463) or Joseph P. Kennedy Presents: His Hollywood Years by Cari Beauchamp, 2009 (ISBN 1400040000)
- ^ Peter B. Flint (1983年4月5日). “GLORIA SWANSON DIES; 20's FILM IDOL” (英語). ニューヨーク・タイムズ 2013年12月14日閲覧。