「スチュアート・サトクリフ」の版間の差分
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2016年10月18日 (火) 08:47時点における版
スチュアート・サトクリフ Stuart Sutcliffe | |
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出生名 | Stuart Fergusson Victor Sutcliffe |
生誕 | 1940年6月23日 |
出身地 | スコットランド エディンバラ |
死没 |
1962年4月10日(21歳没) 西ドイツ ハンブルク |
学歴 | リヴァプール・カレッジ・オブ・アート |
ジャンル | ロックンロール |
職業 |
画家 詩人 ベーシスト ミュージシャン |
担当楽器 | ベース |
共同作業者 | ザ・ビートルズ |
スチュアート・ファーガソン・ヴィクター・サトクリフ(Stuart Fergusson Victor Sutcliffe、1940年6月23日 - 1962年4月10日)はザ・ビートルズの元ベーシスト。愛称は「スチュ」。しばしば、「5人目のビートルズ」と呼ばれる。
来歴
スコットランドのエディンバラに生まれ、マージーサイド州フイトン(Huyton)で育つ。リヴァプール・カレッジ・オブ・アートに進学。ルックスもよく、画家としての実力にも優れた彼は学校のスター的存在であった。在学中にジョン・レノンと出会い、共同生活をするほどに親しくなる。その仲の良さにはポール・マッカートニーが嫉妬するほどだった。元々楽器は弾けなかったが、1960年に自分の絵が60ポンド[1]または65ポンド[2]の高値で売れたことからジョンとポールに勧められてベースを購入、バンドに加入した[3]。
1960年8月、ハンブルクで演奏するためにビートルズの一員としてドイツへ行く。そこでクラウス・フォアマンの紹介で写真家の卵であったアストリッド・キルヒヘルと知り合う。意気投合した二人は11月には婚約。労働許可証不所持などを理由にメンバーたちが海外追放されるなか、同じく退去命令を受けていたサトクリフは1961年2月末に帰国するが、3月15日、単独でハンブルクへ戻る。
4月1日、ビートルズは2度目のハンブルク巡業を行う。この巡業後、サトクリフは本格的に画家の道に進むことを決意し、ビートルズを脱退。これにより、ギターを担当していたポール・マッカートニーはベーシストに転向することになった。
ビートルズを辞めたサトクリフは、アストリッドと同居するために奨学金を得てハンブルク州芸術大学に編入。画家としての創作活動に専念するが1961年の夏頃から頭痛などの体調不良を訴え始める。1962年4月10日に容態が急変し、救急車で病院へ搬送される途中で脳出血により死去した。3回目の巡業のためにビートルズがハンブルクを訪れる前日のことで、メンバーは到着した空港内でアストリッドによりその事実を知らされたという。脳出血の原因について詳しくは明らかになっていないが、学生時代に喧嘩した際に頭を強く打ち付けたことが要因ではないかと言われている[4]。
レノンは彼の死を知らされた際「泣き叫んだってスチュは戻ってこない」と言い大声で笑い出したとされ、その後の葬式に出席もしなければ花も贈らなかった。しかし、後年の伴侶であるオノ・ヨーコによればレノンはしばしばサトクリフの名を口にし、「彼はもう一人の自分のような存在だった」と語っていたという。
幻のビートルズ・メンバー
- 初期ビートルズの象徴のひとつとも言えるマッシュルームカットはアストリッドがサトクリフに施したのが始まりと言われている。
- ビートルズがレコードデビューする前に脱退したため、サトクリフの演奏の録音はこれまで存在しないと言われてきたが、1995年にリリースされた『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』に、1960年にポールの自宅で録音された曲(「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」、「ユール・ビー・マイン」、「カイエンヌ」)が発表され、この3曲でサトクリフがベースを弾いていることが発覚した。また、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットに「artist / former Beatle」としてサトクリフが登場している。
- サトクリフとジョンの友情を描いた、ビートルズデビュー前を舞台にした映画『バック・ビート』で、サトクリフをスティーヴン・ドーフが演じている。また『ジョン・レノン/青春のビートルズ』にも学友、ハンブルク時代の仲間として登場するが、リー・ウィリアムス演じたサトクリフの方が、『バック・ビート』で演じたドーフよりも顔が似ていたと言われている。また、『バック・ビート』では彼の死因について酒場でチンピラに暴行を受けた際の後遺症としている。
脚注
- ^ 『ジョン・レノン全仕事―John Lennon super one』(2001年出版)による。
- ^ The beatles anthology 日本語版(リットーミュージック刊: ISBN 4845605228)でのポールのコメント
- ^ The beatles anthology 日本語版(リットーミュージック刊: ISBN 4845605228)より。
- ^ Spitz (2005) p241