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「松永幹夫」の版間の差分

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{{騎手
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|名 = 松永幹夫
|名 = 松永幹夫
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|厩 = 山本正司(1986年3月1日 - 引退)
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|G1 = 11勝(中央6勝/地方交流5勝)
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|通 = 12607戦1428<br />(中央12416戦1400勝/地方143戦28勝/国外2戦0勝
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|調初 = [[2006年]](2007年開業)
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|調重 = 17勝(中央10勝/地方交流6勝/国外1勝)
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'''松永 幹夫'''(まつなが みきお、[[1967年]][[4月10日]] - )は[[日本中央競馬会]] (JRA) の[[調教師]]、元[[騎手]]。
'''松永 幹夫'''(まつなが みきお、[[1967年]][[4月10日]] - )は[[日本中央競馬会]](JRA)に所属する元[[騎手]]、現[[調教師]][[熊本県]][[合志市]](旧・[[菊池郡]][[西合志町]])出身<ref name="kimura" />


童顔で甘いマスクを持ち、騎手デビュー直後から女性ファンが多くついた<ref name=jra14>{{cite web|url=http://jra.jp/topics/column/jockeys/14.html|title=競馬の神様に愛された男 松永幹夫||publisher=JRA|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。名前をもじって'''ミッキー'''とい愛称でも呼ばれる<ref name=jra14 />
1986年に騎手デビュー。同年[[JRA賞最多勝利新人騎手|最多勝利新人騎手]]となるなど早くから頭角を現す。1991年に[[イソノルーブル]]で[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]で[[競馬の競走格付け|GI競走]]を初制覇したことをはじめとして[[牝馬]]限定競走で顕著な成績を挙げ、「牝馬の松永」の異名を取った。また、1980年代後半に勃興した第2次競馬ブーム期にあっては、端正な容姿と相俟って多くの女性ファンを獲得し、「ミッキー」の愛称と共にアイドル的な人気を博した<ref name=jra14>{{cite web|url=http://jra.jp/topics/column/jockeys/14.html|title=競馬の神様に愛された男 松永幹夫||publisher=JRA|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。騎手通算成績は12607戦1428勝、ちGI競走11勝を含む重賞69勝([[地方競馬]]成績含む)

2007年より調教師。GI・JpnIに優勝した管理馬には2009年の[[秋華賞]]優勝馬[[レッドディザイア]]、2014年の[[中山大障害]]優勝馬[[レッドキングダム]]がいる。2015年度[[JRA賞優秀技術調教師|JRA優秀技術調教師]]。

== 経歴 ==
=== デビューまで ===
1967年、熊本県西合志町に生まれる<ref name="kimura" />。県の畜産試験場に勤務していた父親が馬好きだったことから、幼少の頃より父親に連れられて近郊の[[荒尾競馬場]]を訪れ、また同じ九州出身の騎手[[吉永正人]]の活躍などに触れて、将来の目標に騎手を志した<ref name="kimura">木村(1998)pp.204-212</ref>。中学校卒業後、[[競馬学校|JRA競馬学校]]騎手課程に第2期生として入学。同期には[[横山典弘]]、[[熊沢重文]]らがいる<ref name="kimura" />。また、1期下には後に中央競馬の通算最多勝利記録を樹立する[[武豊]]がいたが、武は先輩である松永の様子を見て「あの人は勝ちまくるだろう」と考えていたという<ref name="shimada">島田(1997)pp.131-141</ref>。卒業後は[[栗東トレーニングセンター]]の[[山本正司]]厩舎に所属。以後松永は引退まで山本厩舎に所属を続ける<ref name="yu0604-1">『優駿』2006年4月号、pp.44-46</ref>。


== 来歴 ==
=== 騎手時代 ===
=== 騎手時代 ===
1986年3月1日に騎手デビュー。同23日に騎乗馬ツルマイスワローで初勝利を挙げる<ref name="yushun8702">『優駿』1987年2月号、p.176</ref>。初年度は夏の北海道開催から成績を伸ばし始め<ref>『優駿』1987年2月号、p.38</ref>、新人としては[[加賀武見]]の58勝(1960年)、[[小屋敷昭]]の41勝(1981年)に次ぐ史上3位の記録(当時)となる40勝を挙げて[[関西放送記者クラブ賞]](関西新人賞)を受賞した<ref name="yushun8702" />。3年目の1988年9月、サザンビーナスで[[函館2歳ステークス|函館3歳ステークス]]を制し、重賞初勝利を挙げる<ref name=book>{{cite web|url=http://www.keibado.com/keibaguest/event/matsunaga/|title=特別企画 松永幹夫騎手 引退メモリアル|work=競馬道Online|publisher=競馬ブック|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。以後も順調に成績を上げ、翌1989年には初出場した[[ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]に優勝<ref>『優駿』1990年1月号、p.33</ref>。年間では88勝を挙げ、武豊に次ぐ関西2位(全国4位)を記録した<ref>『優駿』1990年2月号、p.121</ref>。この頃、松永と武は関西の女性ファンの人気を二分し<ref name="yushun8906">『優駿』1989年6月号、pp.82-85</ref>、特に[[京都競馬場]]では入場人員が14年ぶりに10万人を突破するという集客効果ももたらした<ref>『優駿』1990年1月号、p.68</ref>。
JRAの[[競馬学校]]の第2期生。同期には[[横山典弘]]、[[熊沢重文]]らがいる<ref>{{cite web|url=http://www.jra.go.jp/school/student/student.html|title=騎手卒業生名簿|author=|publisher=JRA|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。1986年にデビューし、引退するまで[[山本正司]]厩舎に所属した<ref name=jra14 />。


1991年、松永は[[イソノルーブル]]とのコンビで牝馬[[中央競馬クラシック三冠|クラシック戦線]]に臨む。クラシック初戦・[[桜花賞]]では1番人気に支持されたが、スタート前に馬の右前脚の蹄鉄が外れ、再装着できないままの発走した結果、5着と敗れる<ref name="number">『Number』738号、pp.38-41</ref>。この出来事に松永はかつてなく落胆したが<ref name="number" />、しかし二冠目の[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]では雪辱を果たし、松永はデビュー6年目でGI初制覇を果たした<ref name="yushun9107">『優駿』1991年7月号、pp.33-34</ref>。これは逃げきりでの勝利であったが、松永は勝因について「桜花賞でのアクシデントで、イソノルーブルという馬は、馬場に出たら蹄鉄の履き替えもさせない気性の激しい馬だというイメージができあがっていたと思う。ほかの馬に乗っていた騎手にもそのイメージはあったはず。イソノルーブルが逃げても、どうせ引っかかって自滅する、そう見られていたので、楽に逃がしてもらえたのでしょう」と述べ、「桜花賞の落鉄があったから、オークスは勝てたのだと思う」としている<ref name="yushun9107" />。
初騎乗は1986年[[3月1日]]、[[阪神競馬場|阪神競馬]]第1競走のインターアビリティで13頭立ての12着だった<ref name=jraret>{{cite web|url=http://jra.jp/datafile/meikan/jretire/657.html|title=引退騎手情報 松永 幹夫 (マツナガ ミキオ) |author=|publisher=JRA|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。初勝利は同年3月23日、阪神競馬第7競走でツルマイスワローに騎乗してのものであった<ref name=jraret />。重賞初勝利は1988年、[[函館2歳ステークス|函館3歳ステークス]]でサザンビーナスに騎乗して挙げた<ref name=book>{{cite web|url=http://www.keibado.com/keibaguest/event/matsunaga/|title=特別企画 松永幹夫騎手 引退メモリアル|work=競馬道Online|publisher=競馬ブック|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。1991年には[[イソノルーブル]]で[[優駿牝馬]](オークス)を制し[[グレード制|GI]]初勝利<ref name=book />。同年12月に[[香港]]に遠征し、初騎乗初勝利を挙げている<ref>{{cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=26522|title=日高にて|author=島田明宏|publisher=netkeiba|date=2014-05-17|accessdate=2015-06-13}}</ref>。


1996年3月には、重賞勝ち馬[[ゼネラリスト (競走馬)|ゼネラリスト]]の調教に臨む際に落馬し、同馬に腹部を蹴られて左[[腎臓]]の半分の摘出しなければならなくなる重傷を負った<ref name="kimura2">木村(1998)pp.384-389</ref>。しかし秋には復帰すると、[[ファビラスラフイン]]で当年新たな牝馬三冠最終戦として創設された[[秋華賞]]を制してGI2勝目を挙げた<ref name="kimura2" />。翌1997年には[[キョウエイマーチ]]に騎乗して桜花賞を制し、オークス、秋華賞と合わせ、騎手として[[嶋田功]]、[[河内洋]]に次ぐ史上3人目の「牝馬三冠」を達成<ref>『優駿』1997年6月号、p.149</ref>。年間では自己最高となる101勝を挙げ<ref name=book />、全国3位を記録した<ref>『優駿』1998年2月号、p.156</ref>。
また、1989年の暮れに開催された[[ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]に優勝している<ref>{{cite web|url=http://www.jra.go.jp/keiba/thisweek/2014/1129_2/playback.html|title=ワールドスーパージョッキーズシリーズ 過去の成績|author=|publisher=JRA|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。夏の主戦場は[[北海道]]だった<ref name=nikkan>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20090803-526540.html|title=松永幹師ダンスで重賞初V/小倉記念|author=|publisher=日刊スポーツ|date=2009-08-03|accessdate=2015-06-13}}</ref>。1996年、調教中に事故で[[腎臓]]を摘出する重傷を負ったが、復帰後も活躍を続け、1997年には自身最多となる101勝を挙げた<ref name=book />。


2000年には[[チアズグレイス]]で桜花賞2勝目を挙げたほか、秋には古牝馬混合競走の[[エリザベス女王杯]]で、これを最後に引退が決まっていた二冠牝馬[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]]に騎乗、自身が「ジョッキーとして会心のレース」と語る好騎乗で勝利に導き、同時に騎手として史上初の「牝馬四冠」も達成した<ref name="number" />。また同年8月27日には、騎手として史上15人目となる[[中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧|JRA通算1000勝]]を達成している<ref>『優駿』2000年10月号、p.71</ref>。
所属先の山本厩舎が管理する馬にも多く騎乗した。ダートで活躍した[[カネツフルーヴ]]や[[レギュラーメンバー]]<ref name=book />、[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]勝ち馬[[マイシンザン]]や、クラシック三冠全てに騎乗した[[メガスターダム]]などがそれである<ref name=book /><ref name=jraret />。2005年には[[ヘヴンリーロマンス]]に騎乗し、[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]を制した<ref name=book />。所属厩舎でのJRAGI初勝利、[[エアグルーヴ]]以来の[[牝馬]]による天皇賞制覇に加え、[[投票券_(公営競技)|3連単]]の配当が100万円を超えるなど、記録ずくめの勝利となった<ref name=gallop>『Gallop臨時増刊号2005重賞年鑑』産業経済新聞社、2005年、113-115頁。</ref>。


2000年代には、所属する山本厩舎の管理する馬でも活躍し、[[レギュラーメンバー]]、[[カネツフルーヴ]]に騎乗して[[ダートグレード競走|地方交流路線]]のGI競走を制した<ref name=book />ほか、[[2005年]]には牝馬[[ヘヴンリーロマンス]]に騎乗し、中央競馬発足後初の[[天覧試合|天覧競馬]]となった[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]に優勝。所属厩舎での中央GI初勝利、[[エアグルーヴ]]以来の[[牝馬]]による天皇賞制覇に加え、[[投票券_(公営競技)|3連単]]の配当が100万円を超えるなど、記録ずくめの勝利となった<ref name=gallop>『Gallop臨時増刊号2005重賞年鑑』産業経済新聞社、2005年、113-115頁。</ref>競走後にはスタンドで観戦する[[明仁|天皇]]・[[皇后美智子|皇后]]に向かい、松永がヘルメットを胸に抱えて馬上から最敬礼を行った。ライターの片山良三は、「立ち居振る舞いに華がある松永だったからこそ最高の絵になった」とこれを評している<ref name="number" />。
2006年度のJRA調教師試験に合格したため38歳の若さで鞭を置くこととなった<ref name=jra14 />。現役騎手としての最終騎乗日となった2006年2月26日の阪神競馬第11競走・[[阪急杯]]で[[ブルーショットガン]]に騎乗し、出走馬15頭中単勝11番人気という低評価を覆し勝利<ref name=blue>{{cite web|url=http://jra.jp/topics/column/g_files2010/10_0228.html|title=The G-Files 060 松永幹夫騎手 現役最終日の重賞勝利 勝利の美酒をともに ブルーショットガン||publisher=JRA|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。続く最終12競走でも[[フィールドルージュ]]で勝利<ref name=blue />。引退レースにてJRA通算1400勝を達成し、「競馬の神様に愛された男」と呼ばれた<ref name=blue />。


同年、2006年度の調教師免許試験の受験が報じられ<ref name="yu0604-1" />、これに合格したことから38歳の若さで鞭を置くこととなる<ref name=jra14 />。師匠の山本が翌年に70歳で定年引退を迎えるため、これに合わせての引退という見方があったが、松永によればそれは理由の一つに過ぎず、最大の理由は自らの技術の衰えと、それに伴う騎乗依頼馬の質の低下にあったという<ref name="yushun0912">『優駿』2009年12月号、pp.38-43</ref>。現役騎手としての最終騎乗日となった2006年2月26日の阪神競馬第11競走・[[阪急杯]]で[[ブルーショットガン]]に騎乗し、出走15頭中単勝11番人気という評価を覆し勝利。重賞最終騎乗での勝利は、1975年に目黒記念を勝った[[野平祐二]]以来2人目の記録であった<ref name="yushun0604">『優駿』2006年4月号、p.56</ref>。さらに続く最終12競走も[[フィールドルージュ]]で勝利。最後の騎乗でJRA通算1400勝を達成し、有終の美を飾った<ref name="yushun0604" />。引退式で挨拶に立った松永は、今日1日は、自分のところに競馬の神様が降りてきてくれたような気がします」などと述べた<ref name="yushun0604" />。
=== 調教師以後 ===
2007年2月で引退した師匠の山本の後を継ぎ、3月1日に厩舎を開業<ref>{{cite news|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-140019.html|title=東西で7調教師、明日厩舎開業|publisher=ラジオNIKKEI|date=2007-02-28|accessdate=2015-06-13}}</ref><ref name=blue />。管理馬の初出走は3月4日、阪神競馬第8競走のダノンシャトルで5着<ref name=jratr>2015年6月13日現在。[http://jra.jp/datafile/meikan/traner.html JRA調教師調教師情報]「ま行」→「ま」→「松永 幹夫」(直接リンクができないため、このような表記をしている)</ref>。初勝利は同年3月25日中京競馬第7競走のアグネススピリッツで<ref name=jratr />、騎手は松永と同期の横山典弘だった<ref>{{cite news|url=http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-140415.html|title=松永幹夫調教師がJRA初勝利!|publisher=ラジオNIKKEI|date=2007-03-25|accessdate=2015-06-13}}</ref>。


なお、松永は引退までに中央競馬のGI競走で6勝を挙げたが、その全てが牝馬によるものだった。騎手時代に牝馬限定GIで未勝利の競走は、[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]のみである。このように牝馬限定重賞で活躍することが多いため「牝馬の松永(ミキオ)」と呼ばれることがあった<ref name=gallop /><ref name=jra14 />。一方で松永自身は「牝馬に強い、と言われるのは牡馬で勝っていないからそう言われるだけで、うれしくはありません。だって、牡馬でもチャンスはあったんですから」と述べている<ref name="number" />。
2009年8月2日、[[ダンスアジョイ]]が[[小倉記念]]に勝ち、馬ともども重賞初制覇<ref name=nikkan />。奇しくも騎手時代に重賞勝ちがなかった[[小倉競馬場]]での達成となった<ref name=nikkan />。同年10月18日、[[レッドディザイア]]が[[秋華賞]]で勝利。騎手時代に[[ファビラスラフイン]]で制した競走で、調教師としてのGI初制覇を果たした<ref name=nikkei>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-174563.html 【秋華賞】(京都)~レッドディザイア 激戦制してブエナに雪辱] - ラジオNIKKEI 2009年10月18日(2015年3月22日閲覧)</ref>。


=== 調教師時代 ===
2014年12月13日、[[中山大障害]]で[[レッドキングダム]]が優勝し、JRA障害GIレースで初勝利した<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_4943.html 【中山大障害(J・GI)】(中山)~ディープインパクト産駒レッドキングダムがGI初制覇 ] - ラジオNIKKEI 2014年12月20日(2015年3月22日閲覧)</ref>。
騎手引退後は師の山本のもとで技術調教師(研修中の状態)として過ごし、うち1カ月間は[[森秀行]]厩舎でも学んだ<ref name="yushun0912" />。2007年2月で引退した山本の後を継ぎ、3月1日に厩舎を開業<ref>{{cite news|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-140019.html|title=東西で7調教師、明日厩舎開業|publisher=ラジオNIKKEI|date=2007-02-28|accessdate=2015-06-13}}</ref><ref name=blue>{{cite web|url=http://jra.jp/topics/column/g_files2010/10_0228.html|title=The G-Files 060 松永幹夫騎手 現役最終日の重賞勝利 勝利の美酒をともに ブルーショットガン||publisher=JRA|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>。管理馬の初出走は3月4日、阪神競馬第8競走のダノンシャトルで5着<ref name=jratr>2015年6月13日現在。[http://jra.jp/datafile/meikan/traner.html JRA調教師調教師情報]「ま行」→「ま」→「松永 幹夫」(直接リンクができないため、このような表記をしている)</ref>。初勝利は同年3月25日中京競馬第7競走のアグネススピリッツで<ref name=jratr />、騎手は松永と同期の横山典弘だった<ref>{{cite news|url=http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-140415.html|title=松永幹夫調教師がJRA初勝利!|publisher=ラジオNIKKEI|date=2007-03-25|accessdate=2015-06-13}}</ref>。


2009年8月2日、[[ダンスアジョイ]]が[[小倉記念]]に勝ち、馬ともども重賞初制覇<ref name=nikkan>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20090803-526540.html|title=松永幹師ダンスで重賞初V/小倉記念|author=|publisher=日刊スポーツ|date=2009-08-03|accessdate=2015-06-13}}</ref>。騎手時代に重賞勝ちがなかった[[小倉競馬場]]での達成となった<ref name=nikkan /><ref name="yushun0912" />。同年10月18日、[[レッドディザイア]]が[[秋華賞]]で勝利。騎手時代に[[ファビラスラフイン]]で制した競走で、調教師としてのGI初制覇を果たした<ref name=nikkei>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-174563.html 【秋華賞】(京都)~レッドディザイア 激戦制してブエナに雪辱] - ラジオNIKKEI 2009年10月18日(2015年3月22日閲覧)</ref><ref name="yushun0912" />。同馬は翌2010年3月にアラブ首長国連邦・ドバイで行われたマクトゥームチャレンジラウンドIII(G2)を制し、日本国外の重賞初勝利も挙げている<ref>『優駿』2010年11月号、pp.76-79</ref>。
== 騎手成績 ==

{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:right; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
2014年12月13日、[[中山大障害]]で[[レッドキングダム]]が優勝し、JRA障害GIレースで初勝利した<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_4943.html 【中山大障害(J・GI)】(中山)~ディープインパクト産駒レッドキングダムがGI初制覇 ] - ラジオNIKKEI 2014年12月20日(2015年3月22日閲覧)</ref>。
!||1着||2着||3着||騎乗数||勝率||連対率

2015年には年間284回の出走で重賞6勝を含む44勝、勝率1割5分5厘、獲得賞金9億4249万7000円という成績を残し、1馬房あたりの成績から決定される[[JRA賞優秀技術調教師|優秀技術調教師]]のタイトルを獲得。調教師として[[JRA賞]](年度表彰)を初受賞した<ref>『優駿』2016年2月号、p.66</ref>。

== 人物 ==
騎手時代から「爽やか、穏やかで人間味のある人物」との評があり<ref>木村(1998)pp.383-390</ref>、松永を慕う者は一般ファンのみならず厩舎関係者、マスコミ関係者にも多かったという<ref name="yu0604-2">『優駿』2006年4月号、pp.28-29</ref>。[[河内洋]]が引退してから自身が引退するまでの3年間は[[日本騎手クラブ]]関西支部長を務めたが<ref name="yu0604-1" />、河内は「僕がジョッキーをしているときから真面目で人当たりのいい男だった。僕が乗り役を引退した後、関西騎手クラブの会長を次いでくれたのは自然の流れだっただろう」と述べている<ref name="yu0604-2" />。

フリーランスになる騎手が増えていった時代にあって、デビューから20年間、[[山本正司]]厩舎を離れることがなかった。松永は自身の騎手人生について「山本先生のおかげでこれだけ勝たせていただいたと思います。よその厩舎だったら、こんなに勝てなかったと思います<ref name="yu0604-1" />」「よその厩舎に騎乗馬がいると、うちの馬の予定をずらしてまで『乗れ』と言ってもらえた。そんな先生、いませんよね<ref name="yushun0912" />」と、その後援態勢についての感謝の念を述べている。一方で山本は松永の騎乗ぶりについては厳しく監督し、またB級馬の依頼を受けたあとにA級馬の依頼があったとしても、最初の依頼を反故にし信用を失うことのないよう言い含めていたともいう<ref name="yushun0912" />。松永は調教師転身に当たり、「機会があれば騎手を育ててみたい。ただ、山本先生みたいにはできない」とした<ref name="yu0604-1" />。それは成績が管理馬房数に直結するメリット制があるため「弟子を育てる前に自分が苦しくなる」からだといい、「これからはやりたくてもできないですよ。<small>''(中略)''</small>昔の環境でも、なかなかできないですよ。だから、感謝しています」と述べた<ref name="yu0604-1" />。

== 通算成績 ==
=== 騎手成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align: right;"
!開催!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!!勝率!!連対率
|-
|-
!中央
!平地
|1400||1272||1208||12416||.113||.215
|1400||1272||1208||12416||.113||.215
|-
|-
!地方
!障害
|0||0||0||0||0||0
|28||25||16||143||.196||.371
|-
!国外
|0||0||0||2||.000||.000
|-
!総計
|1428||1297||1224||12561||.114||.217
|}
|}

* 出典:[http://jra.jp/datafile/meikan/jretire/657.html JRA 引退騎手情報]
* 出典:[http://jra.jp/datafile/meikan/jretire/657.html JRA 引退騎手情報]


63行目: 89行目:
!||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順||出典
!||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順||出典
|-
|-
|初騎乗||1986年3月1日||1回阪神3日1R||4歳未勝利||インターアビリティ||13頭||7||12着||<ref name=jraret />
|初騎乗||1986年3月1日||1回阪神3日1R||4歳未勝利||インターアビリティ||13頭||7||12着||<ref name=jraret>{{cite web|url=http://jra.jp/datafile/meikan/jretire/657.html|title=引退騎手情報 松永 幹夫 (マツナガ ミキオ) |author=|publisher=JRA|date=|accessdate=2015-06-13}}</ref>
|-
|-
|初勝利||1986年3月23日||2回阪神2日7R||5歳上900万下||ツルマイスワロー||10頭||2||1着||<ref name=jraret />
|初勝利||1986年3月23日||2回阪神2日7R||5歳上900万下||ツルマイスワロー||10頭||2||1着||<ref name=jraret />
76行目: 102行目:
|}
|}


{|class="wikitable"
=== 主な勝ち鞍・騎乗馬 ===
|-
*[[イソノルーブル]] (1991年[[優駿牝馬]])<ref name=jra14 />
!年!!開催!!勝利数!!騎乗数!!勝率!!重賞勝利馬(勝利競走)!!表彰
*[[ファビラスラフイン]] (1996年[[秋華賞]])<ref name=jra14 />
|-
*[[キョウエイマーチ]] (1997年[[桜花賞]])<ref name=jra14 />
|rowspan="3"|1986年||中央||40勝||352回||.114||rowspan="3"|&nbsp;||rowspan="3"|[[関西放送記者クラブ賞]]
*[[チアズグレイス]] (2000年桜花賞)<ref name=jra14 />
|-
*[[レギュラーメンバー]] (2000年[[ダービーグランプリ]]、2001年[[川崎記念]]・[[JBCクラシック]])<ref name=book />
|地方||-||-||-
*[[ファレノプシス]] (2000年[[エリザベス女王杯]])<ref name=jra14 />
|-
*[[カネツフルーヴ]] (2002年[[帝王賞]]、2003年川崎記念)<ref name=book />
|計||40勝||352回||.114
*[[ヘヴンリーロマンス]] (2005年[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞・秋]])<ref name=jra14 />
|-
|rowspan="3"|1987年||中央||44勝||455回||.097||rowspan="3"|&nbsp;||rowspan="3"|[[優秀騎手賞]](勝利度数)<br />フェアプレー賞
|-
|地方||-||-||-
|-
|計||44勝||455回||.097
|-
|rowspan="3"|1988年||中央||61勝||556回||.110||rowspan="3"|サザンビーナス(函館3歳ステークス)<br />メイショウエイカン([[京都大賞典]])<br />カツトクシン([[愛知杯]])||rowspan="3"|
|-
|地方||-||-||-
|-
|計||61勝||556回||.110
|-
|rowspan="3"|1989年||中央||88勝||596回||.148||rowspan="3"|カツトクシン([[京都金杯|スポーツニッポン賞金杯]])<br />メモリーバイス([[新潟大賞典]])<br />ミスターシクレノン([[鳴尾記念]])||rowspan="3"|優秀騎手賞(勝利度数、賞金、獲得賞金)
|-
|地方||0勝||1回||.000
|-
|計||88勝||597回||.147
|-
|rowspan="3"|1990年||中央||53勝||535回||.099||rowspan="3"|メジロワース([[マイラーズカップ]])||rowspan="3"|
|-
|地方||-||-||-
|-
|計||53勝||535回||.099
|-
|rowspan="3"|1991年||中央||79勝||633回||.125||rowspan="3"|[[イソノルーブル]]([[フィリーズレビュー|報知杯4歳牝馬特別]]、'''[[優駿牝馬]]''')<br />[[メジロパーマー]]([[札幌記念]])||rowspan="3"|優秀騎手賞(勝利度数)
|-
|地方||-||-||-
|-
|計||79勝||633回||.125
|-
|rowspan="3"|1992年||中央||60勝||562回||.107||rowspan="3"|[[キョウエイボーガン]]([[神戸新聞杯]])||rowspan="3"|フェアプレー賞
|-
|地方||-||-||-
|-
|計||60勝||562回||.107
|-
|rowspan="3"|1993年||中央||65勝||595回||.109||rowspan="3"|シクレノンシェリフ([[毎日杯]])<br />マイシンザン([[NHK杯 (競馬)|NHK杯]])<br />ボディーガード([[デイリー杯2歳ステークス|デイリー杯3歳ステークス]])||rowspan="3"|フェアプレー賞
|-
|地方||-||-||-
|-
|計||65勝||595回||.109
|-
|rowspan="3"|1994年||中央||73勝||614回||.119||rowspan="3"|マキシムシャレード(デイリー杯3歳ステークス)||rowspan="3"|フェアプレー賞
|-
|地方||-||-||-
|-
|計||73勝||614回||.119
|-
|rowspan="3"|1995年||中央||88勝||646回||.136||rowspan="3"|マイティーフォース(京成杯)<br />ユウキビバーチェ([[チューリップ賞]])<br />[[インターマイウェイ]]([[大阪杯]])<br />イブキインターハイ([[京都4歳特別]])<br />ボディーガード(阪急杯)<br />[[キョウトシチー]]([[東海ステークス|ウインターステークス]])||rowspan="3"|優秀騎手賞(勝利度数)
|-
|地方||-||-||-
|-
|計||88勝||646回||.136
|-
|rowspan="3"|1996年||中央||24勝||316回||.076||rowspan="3"|ゼネラリスト(シンザン記念)<br />キョウトシチー([[名古屋大賞典]]<ref>『優駿』1996年5月号、p.121</ref>、[[東京大賞典]]<ref>『優駿』1997年2月号、p.124</ref>)<br />[[ファビラスラフイン]]('''[[秋華賞]]''')<br />[[メジロブライト]](ラジオたんぱ杯3歳ステークス)||rowspan="3"|
|-
|地方||2勝||4回||.500
|-
|計||26勝||320回||.081
|-
|rowspan="3"|1997年||中央||101勝||661回||.153||rowspan="3"|ヒコーキグモ(きさらぎ賞)<br />メジロブライト([[共同通信杯|共同通信杯4歳ステークス]])<br />ブレーブテンダー(アーリントンカップ)<br />[[キョウエイマーチ]](報知杯4歳牝馬特別、'''[[桜花賞]]'''、[[ローズステークス]])<br />ゼネラリスト([[金鯱賞]])<br />キョウトシチー([[白山大賞典]]<ref>『優駿』1997年12月号、p.131</ref>、[[浦和記念]]<ref>『優駿』1998年2月号、p.133</ref>)<br />ボールドエンペラー(デイリー杯3歳ステークス)<br />[[ロンドンブリッジ]]([[ファンタジーステークス]])||rowspan="3"|優秀騎手賞(勝利度数、勝率、獲得賞金)
|-
|地方||3勝||17回||.176
|-
|計||104勝||679回||.153
|-
|rowspan="4"|1998年||中央||90勝||730回||.123||rowspan="4"|キョウトシチー(白山大賞典<ref>『優駿』1998年12月号、p.132</ref>)||rowspan="4"|フェアプレー賞
|-
|地方||3勝||19回||.158
|-
|国外||0勝||1回||.000
|-
|計||93勝||750回||.124
|-
|rowspan="3"|1999年||中央||70勝||689回||.102||rowspan="3"|[[マイネルラヴ]](シルクロードステークス)||rowspan="3"|フェアプレー賞
|-
|地方||1勝||18回||.056
|-
|計||71勝||707回||.100
|-
|rowspan="3"|2000年||中央||99勝||782回||.127||rowspan="3"|[[チアズグレイス]]('''桜花賞''')<br />[[レギュラーメンバー]]('''[[ダービーグランプリ]]'''<ref>『優駿』2001年1月号、p.120</ref>)<br />[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]]('''[[エリザベス女王杯]]''')<br />[[ダイタクリーヴァ]](鳴尾記念)||rowspan="3"|優秀騎手賞(勝利度数、獲得賞金)<br />フェアプレー賞
|-
|地方||2勝||10回||.200
|-
|計||101勝||792回||.128
|-
|rowspan="4"|2001年||中央||93勝||769回||.121||rowspan="4"|レギュラーメンバー('''[[川崎記念]]'''<ref>『優駿』2001年3月号、p.144</ref>、'''[[JBCクラシック]]'''<ref>『優駿』2001年12月号、p.146</ref>)<br />ダイタクリーヴァ(京都金杯)<br />ロードプラチナム(函館記念)<br />サダムブルースカイ(函館2歳ステークス)<br />ゲイリーイグリッド([[さきたま杯]]<ref>『優駿』2001年11月号、p.152</ref>、[[兵庫ゴールドトロフィー]]<ref>『優駿』2002年2月号、p.151</ref>)<br />[[ダイヤモンドビコー]](ローズステークス)<br />[[エアエミネム]](神戸新聞杯)<br />[[ビハインドザマスク (競走馬)|ビハインドザマスク]](スワンステークス)||rowspan="4"|フェアプレー賞
|-
|地方||7勝||20回||.350
|-
|国外||0勝||1回||.000
|-
|計||100勝||790回||.127
|-
|rowspan="3"|2002年||中央||63勝||739回||.085||rowspan="3"|[[カネツフルーヴ]]('''[[帝王賞]]'''<ref>『優駿』2002年8月号、p.138</ref>)<br />ブレイクタイム(京王杯オータムハンデキャップ)<br />ファインモーション(ローズステークス)||rowspan="3"|
|-
|地方||3勝||13回||.231
|-
|計||66勝||752回||.088
|-
|rowspan="3"|2003年||中央||68勝||710回||.096||rowspan="3"|カネツフルーヴ('''川崎記念'''<ref>『優駿』2003年3月号、p.145</ref>、[[オグリキャップ記念]]<ref>『優駿』2003年6月号、p.77</ref>)<br />ブレイクタイム(京王杯オータムハンデキャップ)||rowspan="3"|
|-
|地方||4勝||17回||.235
|-
|計||72勝||727回||.099
|-
|rowspan="3"|2004年||中央||83勝||728回||.114||rowspan="3"|アンドゥオール(マーチステークス、東海ステークス)<br />ケイアイガード([[ラジオNIKKEI賞|ラジオたんぱ賞]])<br />カシマフラワー([[エーデルワイス賞]]<ref>『優駿』2004年12月号、p.75</ref>)<br />[[ヘヴンリーロマンス]](阪神牝馬ステークス)||rowspan="3"|フェアプレー賞
|-
|地方||2勝||18回||.111
|-
|計||85勝||746回||.114
|-
|rowspan="3"|2005年||中央||48勝||653回||.074||rowspan="3"|メガスターダム(中京記念)<br />ヘヴンリーロマンス(札幌記念、'''[[天皇賞|天皇賞・秋]]''')||rowspan="3"|
|-
|地方||1勝||5回||.200
|-
|計||49勝||658回||.074
|-
|rowspan="3"|2006年||中央||10勝||94回||.106||rowspan="3"|ブルーショットガン(阪急杯)||rowspan="3"|
|-
|地方||0勝||1回||.000
|-
|計||11勝||95回||.105
|}
#出典:[http://www.jra.go.jp/datafile/meikan/jretirement.html 日本中央競馬会公式サイト・引退騎手名鑑]「松永幹夫」。掲載されていない情報については個別に出典を付す。
#競走名太字はGI競走。


== 調教師成績 ==
=== 調教師成績 ===
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順||出典
!||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順||出典
99行目: 252行目:
|}
|}


{|class="wikitable"
=== 重賞勝ち馬 ===
|-
* [[ダンスアジョイ]](2009年[[小倉記念]])<ref name=jratr />
!年!!開催!!勝利数!!騎乗数!!勝率!!重賞勝利馬(勝利競走)!!表彰
* [[サンダルフォン (競走馬)|サンダルフォン]](2009年[[北九州記念]])<ref name=jratr />
|-
* [[レッドディザイア]](2009年[[秋華賞]])<ref name=jratr />
|rowspan="3"|2007年||中央||16勝||175回||.090||rowspan="3"|&nbsp;||rowspan="3"|
* [[セレスハント]](2010年[[サマーチャンピオン]]、2011年[[東京スプリント]]、2012年[[北海道スプリントカップ]]、2013年北海道スプリントカップ)<ref>{{cite news|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_4981.html|title=セレスハント引退、種牡馬に|publisher=ラジオNIKKEI|date=2014-12-25|accessdate=2015-06-14}}</ref>
|-
* [[フラガラッハ (競走馬)|フラガラッハ]](2012年・2013年[[中京記念]])<ref name=jratr />
|地方||3勝||6回||.500
* [[レッドキングダム]]([[2014年]][[中山大障害]])<ref name=jratr />
|-
* ヴァンセンヌ([[2015年]][[東京新聞杯]])<ref>[http://db.netkeiba.com/race/201505010411 2015年レース結果] - netkeiba、2015年2月16日閲覧</ref>
|計||19勝||123回||.104
* アムールブリエ([[2015年]][[エンプレス杯]])<ref>[http://www.nankankeiba.com/win_uma/48.do 「エンプレス杯競走優勝馬 」] -南関東4競馬公式 2015年3月8日閲覧</ref>
|-
* ラニ([[2016年]][[UAEダービー]])<ref>{{cite news|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=108622|title=ラニが日本調教馬初のV! ユウチェンジも3着に/UAEダービー |publisher=netkeiba.com|date=2016-03-26|accessdate=2016-03-27}}</ref>
|rowspan="3"|2008年||中央||16勝||287回||.056||rowspan="3"|&nbsp;||rowspan="3"|

|-
== 牝馬の松永 ==
|地方||1勝||6回||.167
松永は引退までにGIを6勝したが、1991年の[[イソノルーブル]]([[優駿牝馬]])以来、その全てが牝馬によるものだった。騎手時代に牝馬限定GIで未勝利の競走は、[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]のみである。このように牝馬限定重賞で活躍することが多いため「牝馬の松永(ミキオ)」と呼ばれることがあった<ref name=gallop /><ref name=jra14 />。
|-

|計||17勝||293回||.058
2005年には[[ヘヴンリーロマンス]]に騎乗して天皇賞(秋)を制したが、これは松永自身、牝馬限定競走以外では唯一のJRAGI勝利{{Refnest|group="注"|JRAGI優勝はないが、[[ダートグレード競走]]では、[[カネツフルーヴ]]([[帝王賞]]、[[川崎記念]])、[[レギュラーメンバー]]([[ダービーグランプリ]]、[[川崎記念]]、[[JBCクラシック]])でGIを勝利している<ref name=book />。}}である<ref name=jraret />。この競走は[[中央競馬]]史上初めて[[天皇賞#天覧競馬|天覧競馬]]として施行されたが、松永は優勝を決めたあと、メインスタンドの貴賓席で観戦していた[[明仁|天皇]]・[[皇后美智子|皇后]]両陛下に向かい、馬上から{{Refnest|group="注"|騎乗馬が故障した場合をのぞき、競走後にコース内で騎手が下馬することは禁止されているため。<ref>[http://jra.jp/company/law/law07.html#chap8 日本中央競馬会競馬施行規程第8章第106条3、第120条 - JRAホームページ JRA関連法令等]</ref>}}ヘルメットを脱いで敬礼をした<ref name=gallop />。
|-
|rowspan="3"|2009年||中央||26勝||286回||.091||rowspan="3"|ダンスアジョイ(小倉記念)<br />サンダルフォン(北九州記念)<br />[[レッドディザイア]]('''秋華賞''')||rowspan="3"|
|-
|地方||2勝||8回||.250
|-
|計||28勝||295回||.095
|-
|rowspan="4"|2010年||中央||33勝||291回||.113||rowspan="4"|レッドディザイア([[マクトゥームチャレンジラウンド3]])<br />[[セレスハント]]([[サマーチャンピオン]]<ref>『優駿』2010年10月号、p.119</ref>)||rowspan="4"|
|-
|地方||4勝||10回||.400
|-
|国外||1勝||4回||.250
|-
|計||35勝||305回||.125
|-
|rowspan="3"|2011年||中央||19勝||241回||.079||rowspan="3"|セレスハント([[東京スプリント]]<ref>『優駿』2011年6月号、p.163</ref>)||rowspan="3"|
|-
|地方||4勝||16回||.250
|-
|計||23勝||257回||.089
|-
|rowspan="3"|2012年||中央||24勝||268回||.090||rowspan="3"|フラガラッハ(中京記念)<br />セレスハント([[北海道スプリントカップ]]<ref>『優駿』2012年8月号、p.163</ref>)||rowspan="3"|
|-
|地方||2勝||10回||.200
|-
|計||26勝||278回||.094
|-
|rowspan="3"|2013年||中央||19勝||263回||.072||rowspan="3"|フラガラッハ(中京記念)<br />セレスハント(北海道スプリントカップ<ref>『優駿』2013年8月号、p.161</ref>)||rowspan="3"|
|-
|地方||2勝||14回||.143
|-
|計||21勝||277回||.076
|-
|rowspan="3"|2014年||中央||38勝||288回||.132||rowspan="3"|[[レッドキングダム]]('''[[中山大障害]]''')||rowspan="3"|
|-
|地方||1勝||10回||.100
|-
|計||39勝||298回||.131
|-
|rowspan="3"|2015年||中央||41勝||279回||.147||rowspan="3"|ヴァンセンヌ(東京新聞杯)<br />アムールブリエ([[エンプレス杯]]<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/race/result/20150304/221/11/ |title=2015年3月4日(水)13回川崎3日 |publisher=JBISサーチ |date=2016-03-26|accessdate=2016-06-11}}</ref>、[[ブリーダーズゴールドカップ]]<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/race/result/20150813/236/10/ |title=2015年8月13日(木)9回門別3日 |publisher=JBISサーチ |date=2016-03-26|accessdate=2016-06-11}}</ref>、[[名古屋グランプリ]]<ref>『優駿』2016年2月号、p.161</ref>)<br />アウォーディー(シリウスステークス)<br />サナシオン([[東京ハイジャンプ]])||rowspan="3"|JRA賞優秀技術調教師<br />優秀調教師賞(関西)1位
|-
|地方||3勝||5回||.600
|-
|計||44勝||294回||.155
|-
|rowspan="4"|2016年||中央||||||||rowspan="4"|サナシオン([[阪神スプリングジャンプ]])<br />アウォーディー([[アンタレスステークス]])<br />アムールブリエ([[エンプレス杯]]<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/race/result/20160302/221/11/ |title=2016年3月2日(水)13回川崎3日 |publisher=JBISサーチ |date=2016-03-26|accessdate=2016-06-11}}</ref>)<br />[[ラニ (競走馬)|ラニ]]([[UAEダービー]]<ref>{{cite news|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=108622|title=ラニが日本調教馬初のV! ユウチェンジも3着に/UAEダービー |publisher=netkeiba.com|date=2016-03-26|accessdate=2016-03-27}}</ref>)||rowspan="4"|
|-
|地方||||||
|-
|国外||||||
|-
|計||||||
|}
#出典:[http://www.jra.go.jp/datafile/meikan/traner.html 日本中央競馬会公式サイト・調教師名鑑]「松永幹夫」。掲載されていない情報については個別に出典を付す。
#競走名太字はG1またはJpn1競走。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
<references group="注"/>
{{Reflist|group="注"}}


=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
*木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896912982
*『優駿』1989年6月号(日本中央競馬会)
**「杉本清の競馬談義#51 松永幹夫騎手」
*『優駿』1990年1月号(日本中央競馬会)
**「杉本清の競馬談義#58 幡新洋介理事」
*『優駿』2006年4月号(日本中央競馬会)
**「CLOSE UP 06年度新規調教師&騎手 松永幹夫・岩田康誠」
**「杉本清の競馬談義#251 松永幹夫調教師」
*『2007年プロスポーツ年鑑』、財団法人[[日本プロスポーツ協会]]、2007年、ISBN978-4-9901009-6-4
*『Sports Graphic Number(738)』(文藝春秋、2009年)
**片山良三「松永幹夫と名牝物語」
*『優駿』2009年12月号(日本中央競馬会)
**河村清明「松永幹夫 試行錯誤、その先に待つもの」
*『優駿』2010年11月号(日本中央競馬会)
**「杉本清の競馬談義#306 松永幹夫調教師」


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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{{ワールドスーパージョッキーズシリーズ優勝騎手}}
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[[Category:日本の騎手]]
[[Category:日本の騎手]]

2016年6月12日 (日) 11:43時点における版

松永幹夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県合志郡西合志町
(現・熊本県合志市
生年月日 (1967-04-10) 1967年4月10日(57歳)
身長 162cm(騎手引退年)
体重 49kg(騎手引退年)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 山本正司(1986年 - 引退)
初免許年 1986年3月1日
騎手引退日 2006年2月28日
重賞勝利 69勝(中央54勝/地方交流15勝)
G1級勝利 11勝(中央6勝/地方交流5勝)
通算勝利 12607戦1428勝
(中央12416戦1400勝/地方143戦28勝/国外2戦0勝)
調教師情報
初免許年 2006年(2007年開業)
重賞勝利 17勝(中央10勝/地方交流6勝/国外1勝)
G1級勝利 2勝
経歴
所属 栗東T.C.(2006年 - 現在)
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松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する元騎手、現調教師熊本県合志市(旧・菊池郡西合志町)出身[1]

1986年に騎手デビュー。同年最多勝利新人騎手となるなど早くから頭角を現す。1991年にイソノルーブル優駿牝馬(オークス)GI競走を初制覇したことをはじめとして牝馬限定競走で顕著な成績を挙げ、「牝馬の松永」の異名を取った。また、1980年代後半に勃興した第2次競馬ブーム期にあっては、端正な容姿と相俟って多くの女性ファンを獲得し、「ミッキー」の愛称と共にアイドル的な人気を博した[2]。騎手通算成績は12607戦1428勝、うちGI競走11勝を含む重賞69勝(地方競馬成績含む)。

2007年より調教師。GI・JpnIに優勝した管理馬には2009年の秋華賞優勝馬レッドディザイア、2014年の中山大障害優勝馬レッドキングダムがいる。2015年度JRA優秀技術調教師

経歴

デビューまで

1967年、熊本県西合志町に生まれる[1]。県の畜産試験場に勤務していた父親が馬好きだったことから、幼少の頃より父親に連れられて近郊の荒尾競馬場を訪れ、また同じ九州出身の騎手吉永正人の活躍などに触れて、将来の目標に騎手を志した[1]。中学校卒業後、JRA競馬学校騎手課程に第2期生として入学。同期には横山典弘熊沢重文らがいる[1]。また、1期下には後に中央競馬の通算最多勝利記録を樹立する武豊がいたが、武は先輩である松永の様子を見て「あの人は勝ちまくるだろう」と考えていたという[3]。卒業後は栗東トレーニングセンター山本正司厩舎に所属。以後松永は引退まで山本厩舎に所属を続ける[4]

騎手時代

1986年3月1日に騎手デビュー。同23日に騎乗馬ツルマイスワローで初勝利を挙げる[5]。初年度は夏の北海道開催から成績を伸ばし始め[6]、新人としては加賀武見の58勝(1960年)、小屋敷昭の41勝(1981年)に次ぐ史上3位の記録(当時)となる40勝を挙げて関西放送記者クラブ賞(関西新人賞)を受賞した[5]。3年目の1988年9月、サザンビーナスで函館3歳ステークスを制し、重賞初勝利を挙げる[7]。以後も順調に成績を上げ、翌1989年には初出場したワールドスーパージョッキーズシリーズに優勝[8]。年間では88勝を挙げ、武豊に次ぐ関西2位(全国4位)を記録した[9]。この頃、松永と武は関西の女性ファンの人気を二分し[10]、特に京都競馬場では入場人員が14年ぶりに10万人を突破するという集客効果ももたらした[11]

1991年、松永はイソノルーブルとのコンビで牝馬クラシック戦線に臨む。クラシック初戦・桜花賞では1番人気に支持されたが、スタート前に馬の右前脚の蹄鉄が外れ、再装着できないままの発走した結果、5着と敗れる[12]。この出来事に松永はかつてなく落胆したが[12]、しかし二冠目の優駿牝馬(オークス)では雪辱を果たし、松永はデビュー6年目でGI初制覇を果たした[13]。これは逃げきりでの勝利であったが、松永は勝因について「桜花賞でのアクシデントで、イソノルーブルという馬は、馬場に出たら蹄鉄の履き替えもさせない気性の激しい馬だというイメージができあがっていたと思う。ほかの馬に乗っていた騎手にもそのイメージはあったはず。イソノルーブルが逃げても、どうせ引っかかって自滅する、そう見られていたので、楽に逃がしてもらえたのでしょう」と述べ、「桜花賞の落鉄があったから、オークスは勝てたのだと思う」としている[13]

1996年3月には、重賞勝ち馬ゼネラリストの調教に臨む際に落馬し、同馬に腹部を蹴られて左腎臓の半分の摘出しなければならなくなる重傷を負った[14]。しかし秋には復帰すると、ファビラスラフインで当年新たな牝馬三冠最終戦として創設された秋華賞を制してGI2勝目を挙げた[14]。翌1997年にはキョウエイマーチに騎乗して桜花賞を制し、オークス、秋華賞と合わせ、騎手として嶋田功河内洋に次ぐ史上3人目の「牝馬三冠」を達成[15]。年間では自己最高となる101勝を挙げ[7]、全国3位を記録した[16]

2000年にはチアズグレイスで桜花賞2勝目を挙げたほか、秋には古牝馬混合競走のエリザベス女王杯で、これを最後に引退が決まっていた二冠牝馬ファレノプシスに騎乗、自身が「ジョッキーとして会心のレース」と語る好騎乗で勝利に導き、同時に騎手として史上初の「牝馬四冠」も達成した[12]。また同年8月27日には、騎手として史上15人目となるJRA通算1000勝を達成している[17]

2000年代には、所属する山本厩舎の管理する馬でも活躍し、レギュラーメンバーカネツフルーヴに騎乗して地方交流路線のGI競走を制した[7]ほか、2005年には牝馬ヘヴンリーロマンスに騎乗し、中央競馬発足後初の天覧競馬となった天皇賞(秋)に優勝。所属厩舎での中央GI初勝利、エアグルーヴ以来の牝馬による天皇賞制覇に加え、3連単の配当が100万円を超えるなど、記録ずくめの勝利となった[18]競走後にはスタンドで観戦する天皇皇后に向かい、松永がヘルメットを胸に抱えて馬上から最敬礼を行った。ライターの片山良三は、「立ち居振る舞いに華がある松永だったからこそ最高の絵になった」とこれを評している[12]

同年、2006年度の調教師免許試験の受験が報じられ[4]、これに合格したことから38歳の若さで鞭を置くこととなる[2]。師匠の山本が翌年に70歳で定年引退を迎えるため、これに合わせての引退という見方があったが、松永によればそれは理由の一つに過ぎず、最大の理由は自らの技術の衰えと、それに伴う騎乗依頼馬の質の低下にあったという[19]。現役騎手としての最終騎乗日となった2006年2月26日の阪神競馬第11競走・阪急杯ブルーショットガンに騎乗し、出走15頭中単勝11番人気という評価を覆し勝利。重賞最終騎乗での勝利は、1975年に目黒記念を勝った野平祐二以来2人目の記録であった[20]。さらに続く最終12競走もフィールドルージュで勝利。最後の騎乗でJRA通算1400勝を達成し、有終の美を飾った[20]。引退式で挨拶に立った松永は、今日1日は、自分のところに競馬の神様が降りてきてくれたような気がします」などと述べた[20]

なお、松永は引退までに中央競馬のGI競走で6勝を挙げたが、その全てが牝馬によるものだった。騎手時代に牝馬限定GIで未勝利の競走は、阪神ジュベナイルフィリーズのみである。このように牝馬限定重賞で活躍することが多いため「牝馬の松永(ミキオ)」と呼ばれることがあった[18][2]。一方で松永自身は「牝馬に強い、と言われるのは牡馬で勝っていないからそう言われるだけで、うれしくはありません。だって、牡馬でもチャンスはあったんですから」と述べている[12]

調教師時代

騎手引退後は師の山本のもとで技術調教師(研修中の状態)として過ごし、うち1カ月間は森秀行厩舎でも学んだ[19]。2007年2月で引退した山本の後を継ぎ、3月1日に厩舎を開業[21][22]。管理馬の初出走は3月4日、阪神競馬第8競走のダノンシャトルで5着[23]。初勝利は同年3月25日中京競馬第7競走のアグネススピリッツで[23]、騎手は松永と同期の横山典弘だった[24]

2009年8月2日、ダンスアジョイ小倉記念に勝ち、馬ともども重賞初制覇[25]。騎手時代に重賞勝ちがなかった小倉競馬場での達成となった[25][19]。同年10月18日、レッドディザイア秋華賞で勝利。騎手時代にファビラスラフインで制した競走で、調教師としてのGI初制覇を果たした[26][19]。同馬は翌2010年3月にアラブ首長国連邦・ドバイで行われたマクトゥームチャレンジラウンドIII(G2)を制し、日本国外の重賞初勝利も挙げている[27]

2014年12月13日、中山大障害レッドキングダムが優勝し、JRA障害GIレースで初勝利した[28]

2015年には年間284回の出走で重賞6勝を含む44勝、勝率1割5分5厘、獲得賞金9億4249万7000円という成績を残し、1馬房あたりの成績から決定される優秀技術調教師のタイトルを獲得。調教師としてJRA賞(年度表彰)を初受賞した[29]

人物

騎手時代から「爽やか、穏やかで人間味のある人物」との評があり[30]、松永を慕う者は一般ファンのみならず厩舎関係者、マスコミ関係者にも多かったという[31]河内洋が引退してから自身が引退するまでの3年間は日本騎手クラブ関西支部長を務めたが[4]、河内は「僕がジョッキーをしているときから真面目で人当たりのいい男だった。僕が乗り役を引退した後、関西騎手クラブの会長を次いでくれたのは自然の流れだっただろう」と述べている[31]

フリーランスになる騎手が増えていった時代にあって、デビューから20年間、山本正司厩舎を離れることがなかった。松永は自身の騎手人生について「山本先生のおかげでこれだけ勝たせていただいたと思います。よその厩舎だったら、こんなに勝てなかったと思います[4]」「よその厩舎に騎乗馬がいると、うちの馬の予定をずらしてまで『乗れ』と言ってもらえた。そんな先生、いませんよね[19]」と、その後援態勢についての感謝の念を述べている。一方で山本は松永の騎乗ぶりについては厳しく監督し、またB級馬の依頼を受けたあとにA級馬の依頼があったとしても、最初の依頼を反故にし信用を失うことのないよう言い含めていたともいう[19]。松永は調教師転身に当たり、「機会があれば騎手を育ててみたい。ただ、山本先生みたいにはできない」とした[4]。それは成績が管理馬房数に直結するメリット制があるため「弟子を育てる前に自分が苦しくなる」からだといい、「これからはやりたくてもできないですよ。(中略)昔の環境でも、なかなかできないですよ。だから、感謝しています」と述べた[4]

通算成績

騎手成績

開催 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
中央 1400 1272 1208 12416 .113 .215
地方 28 25 16 143 .196 .371
国外 0 0 0 2 .000 .000
総計 1428 1297 1224 12561 .114 .217
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順 出典
初騎乗 1986年3月1日 1回阪神3日1R 4歳未勝利 インターアビリティ 13頭 7 12着 [32]
初勝利 1986年3月23日 2回阪神2日7R 5歳上900万下 ツルマイスワロー 10頭 2 1着 [32]
重賞初騎乗 1986年8月17日 1回函館6日9R 函館記念 トーホウカムリ 12頭 4 2着 [7][33]
重賞初勝利 1988年9月25日 2回函館8日9R 函館3歳S サザンビーナス 11頭 3 1着 [7][34]
GI初騎乗 1987年4月12日 2回阪神6日10R 桜花賞 オカノアスティー 18頭 11 10着 [7][35]
GI初勝利 1991年5月19日 3回東京2日10R 優駿牝馬 イソノルーブル 20頭 4 1着 [7][36]
開催 勝利数 騎乗数 勝率 重賞勝利馬(勝利競走) 表彰
1986年 中央 40勝 352回 .114   関西放送記者クラブ賞
地方
40勝 352回 .114
1987年 中央 44勝 455回 .097   優秀騎手賞(勝利度数)
フェアプレー賞
地方
44勝 455回 .097
1988年 中央 61勝 556回 .110 サザンビーナス(函館3歳ステークス)
メイショウエイカン(京都大賞典
カツトクシン(愛知杯
地方
61勝 556回 .110
1989年 中央 88勝 596回 .148 カツトクシン(スポーツニッポン賞金杯
メモリーバイス(新潟大賞典
ミスターシクレノン(鳴尾記念
優秀騎手賞(勝利度数、賞金、獲得賞金)
地方 0勝 1回 .000
88勝 597回 .147
1990年 中央 53勝 535回 .099 メジロワース(マイラーズカップ
地方
53勝 535回 .099
1991年 中央 79勝 633回 .125 イソノルーブル報知杯4歳牝馬特別優駿牝馬
メジロパーマー札幌記念
優秀騎手賞(勝利度数)
地方
79勝 633回 .125
1992年 中央 60勝 562回 .107 キョウエイボーガン神戸新聞杯 フェアプレー賞
地方
60勝 562回 .107
1993年 中央 65勝 595回 .109 シクレノンシェリフ(毎日杯
マイシンザン(NHK杯
ボディーガード(デイリー杯3歳ステークス
フェアプレー賞
地方
65勝 595回 .109
1994年 中央 73勝 614回 .119 マキシムシャレード(デイリー杯3歳ステークス) フェアプレー賞
地方
73勝 614回 .119
1995年 中央 88勝 646回 .136 マイティーフォース(京成杯)
ユウキビバーチェ(チューリップ賞
インターマイウェイ大阪杯
イブキインターハイ(京都4歳特別
ボディーガード(阪急杯)
キョウトシチーウインターステークス
優秀騎手賞(勝利度数)
地方
88勝 646回 .136
1996年 中央 24勝 316回 .076 ゼネラリスト(シンザン記念)
キョウトシチー(名古屋大賞典[37]東京大賞典[38]
ファビラスラフイン秋華賞
メジロブライト(ラジオたんぱ杯3歳ステークス)
地方 2勝 4回 .500
26勝 320回 .081
1997年 中央 101勝 661回 .153 ヒコーキグモ(きさらぎ賞)
メジロブライト(共同通信杯4歳ステークス
ブレーブテンダー(アーリントンカップ)
キョウエイマーチ(報知杯4歳牝馬特別、桜花賞ローズステークス
ゼネラリスト(金鯱賞
キョウトシチー(白山大賞典[39]浦和記念[40]
ボールドエンペラー(デイリー杯3歳ステークス)
ロンドンブリッジファンタジーステークス
優秀騎手賞(勝利度数、勝率、獲得賞金)
地方 3勝 17回 .176
104勝 679回 .153
1998年 中央 90勝 730回 .123 キョウトシチー(白山大賞典[41] フェアプレー賞
地方 3勝 19回 .158
国外 0勝 1回 .000
93勝 750回 .124
1999年 中央 70勝 689回 .102 マイネルラヴ(シルクロードステークス) フェアプレー賞
地方 1勝 18回 .056
71勝 707回 .100
2000年 中央 99勝 782回 .127 チアズグレイス桜花賞
レギュラーメンバーダービーグランプリ[42]
ファレノプシスエリザベス女王杯
ダイタクリーヴァ(鳴尾記念)
優秀騎手賞(勝利度数、獲得賞金)
フェアプレー賞
地方 2勝 10回 .200
101勝 792回 .128
2001年 中央 93勝 769回 .121 レギュラーメンバー(川崎記念[43]JBCクラシック[44]
ダイタクリーヴァ(京都金杯)
ロードプラチナム(函館記念)
サダムブルースカイ(函館2歳ステークス)
ゲイリーイグリッド(さきたま杯[45]兵庫ゴールドトロフィー[46]
ダイヤモンドビコー(ローズステークス)
エアエミネム(神戸新聞杯)
ビハインドザマスク(スワンステークス)
フェアプレー賞
地方 7勝 20回 .350
国外 0勝 1回 .000
100勝 790回 .127
2002年 中央 63勝 739回 .085 カネツフルーヴ帝王賞[47]
ブレイクタイム(京王杯オータムハンデキャップ)
ファインモーション(ローズステークス)
地方 3勝 13回 .231
66勝 752回 .088
2003年 中央 68勝 710回 .096 カネツフルーヴ(川崎記念[48]オグリキャップ記念[49]
ブレイクタイム(京王杯オータムハンデキャップ)
地方 4勝 17回 .235
72勝 727回 .099
2004年 中央 83勝 728回 .114 アンドゥオール(マーチステークス、東海ステークス)
ケイアイガード(ラジオたんぱ賞
カシマフラワー(エーデルワイス賞[50]
ヘヴンリーロマンス(阪神牝馬ステークス)
フェアプレー賞
地方 2勝 18回 .111
85勝 746回 .114
2005年 中央 48勝 653回 .074 メガスターダム(中京記念)
ヘヴンリーロマンス(札幌記念、天皇賞・秋
地方 1勝 5回 .200
49勝 658回 .074
2006年 中央 10勝 94回 .106 ブルーショットガン(阪急杯)
地方 0勝 1回 .000
11勝 95回 .105
  1. 出典:日本中央競馬会公式サイト・引退騎手名鑑「松永幹夫」。掲載されていない情報については個別に出典を付す。
  2. 競走名太字はGI競走。

調教師成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順 出典
初出走 2007年3月4日 1回阪神4日8R 4歳上500万下 ダノンシャトル 14頭 3 5着 [23]
初勝利 2007年3月25日 1回中京8日7R 4歳上500万下 アグネススピリッツ 11頭 3 1着 [23]
重賞初勝利 2009年8月2日 2回小倉6日10R 小倉記念 ダンスアジョイ 18頭 16 1着 [25]
GI初勝利 2009年10月18日 4回京都4日11R 秋華賞 レッドディザイア 18頭 2 1着 [26]
開催 勝利数 騎乗数 勝率 重賞勝利馬(勝利競走) 表彰
2007年 中央 16勝 175回 .090  
地方 3勝 6回 .500
19勝 123回 .104
2008年 中央 16勝 287回 .056  
地方 1勝 6回 .167
17勝 293回 .058
2009年 中央 26勝 286回 .091 ダンスアジョイ(小倉記念)
サンダルフォン(北九州記念)
レッドディザイア秋華賞
地方 2勝 8回 .250
28勝 295回 .095
2010年 中央 33勝 291回 .113 レッドディザイア(マクトゥームチャレンジラウンド3
セレスハントサマーチャンピオン[51]
地方 4勝 10回 .400
国外 1勝 4回 .250
35勝 305回 .125
2011年 中央 19勝 241回 .079 セレスハント(東京スプリント[52]
地方 4勝 16回 .250
23勝 257回 .089
2012年 中央 24勝 268回 .090 フラガラッハ(中京記念)
セレスハント(北海道スプリントカップ[53]
地方 2勝 10回 .200
26勝 278回 .094
2013年 中央 19勝 263回 .072 フラガラッハ(中京記念)
セレスハント(北海道スプリントカップ[54]
地方 2勝 14回 .143
21勝 277回 .076
2014年 中央 38勝 288回 .132 レッドキングダム中山大障害
地方 1勝 10回 .100
39勝 298回 .131
2015年 中央 41勝 279回 .147 ヴァンセンヌ(東京新聞杯)
アムールブリエ(エンプレス杯[55]ブリーダーズゴールドカップ[56]名古屋グランプリ[57]
アウォーディー(シリウスステークス)
サナシオン(東京ハイジャンプ
JRA賞優秀技術調教師
優秀調教師賞(関西)1位
地方 3勝 5回 .600
44勝 294回 .155
2016年 中央 サナシオン(阪神スプリングジャンプ
アウォーディー(アンタレスステークス
アムールブリエ(エンプレス杯[58]
ラニUAEダービー[59]
地方
国外
  1. 出典:日本中央競馬会公式サイト・調教師名鑑「松永幹夫」。掲載されていない情報については個別に出典を付す。
  2. 競走名太字はG1またはJpn1競走。

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d 木村(1998)pp.204-212
  2. ^ a b c 競馬の神様に愛された男 松永幹夫”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
  3. ^ 島田(1997)pp.131-141
  4. ^ a b c d e f 『優駿』2006年4月号、pp.44-46
  5. ^ a b 『優駿』1987年2月号、p.176
  6. ^ 『優駿』1987年2月号、p.38
  7. ^ a b c d e f g 特別企画 松永幹夫騎手 引退メモリアル”. 競馬道Online. 競馬ブック. 2015年6月13日閲覧。
  8. ^ 『優駿』1990年1月号、p.33
  9. ^ 『優駿』1990年2月号、p.121
  10. ^ 『優駿』1989年6月号、pp.82-85
  11. ^ 『優駿』1990年1月号、p.68
  12. ^ a b c d e 『Number』738号、pp.38-41
  13. ^ a b 『優駿』1991年7月号、pp.33-34
  14. ^ a b 木村(1998)pp.384-389
  15. ^ 『優駿』1997年6月号、p.149
  16. ^ 『優駿』1998年2月号、p.156
  17. ^ 『優駿』2000年10月号、p.71
  18. ^ a b 『Gallop臨時増刊号2005重賞年鑑』産業経済新聞社、2005年、113-115頁。
  19. ^ a b c d e f 『優駿』2009年12月号、pp.38-43
  20. ^ a b c 『優駿』2006年4月号、p.56
  21. ^ “東西で7調教師、明日厩舎開業”. ラジオNIKKEI. (2007年2月28日). http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-140019.html 2015年6月13日閲覧。 
  22. ^ The G-Files 060 松永幹夫騎手 現役最終日の重賞勝利 勝利の美酒をともに ブルーショットガン”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
  23. ^ a b c d 2015年6月13日現在。JRA調教師調教師情報「ま行」→「ま」→「松永 幹夫」(直接リンクができないため、このような表記をしている)
  24. ^ “松永幹夫調教師がJRA初勝利!”. ラジオNIKKEI. (2007年3月25日). http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-140415.html 2015年6月13日閲覧。 
  25. ^ a b c “松永幹師ダンスで重賞初V/小倉記念”. 日刊スポーツ. (2009年8月3日). http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20090803-526540.html 2015年6月13日閲覧。 
  26. ^ a b 【秋華賞】(京都)~レッドディザイア 激戦制してブエナに雪辱 - ラジオNIKKEI 2009年10月18日(2015年3月22日閲覧)
  27. ^ 『優駿』2010年11月号、pp.76-79
  28. ^ 【中山大障害(J・GI)】(中山)~ディープインパクト産駒レッドキングダムがGI初制覇 - ラジオNIKKEI 2014年12月20日(2015年3月22日閲覧)
  29. ^ 『優駿』2016年2月号、p.66
  30. ^ 木村(1998)pp.383-390
  31. ^ a b 『優駿』2006年4月号、pp.28-29
  32. ^ a b 引退騎手情報 松永 幹夫 (マツナガ ミキオ)”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
  33. ^ 第22回函館記念(G3)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
  34. ^ 第20回函館3歳ステークス(G3)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
  35. ^ 第47回桜花賞(G1)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
  36. ^ 第52回優駿牝馬(G1)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
  37. ^ 『優駿』1996年5月号、p.121
  38. ^ 『優駿』1997年2月号、p.124
  39. ^ 『優駿』1997年12月号、p.131
  40. ^ 『優駿』1998年2月号、p.133
  41. ^ 『優駿』1998年12月号、p.132
  42. ^ 『優駿』2001年1月号、p.120
  43. ^ 『優駿』2001年3月号、p.144
  44. ^ 『優駿』2001年12月号、p.146
  45. ^ 『優駿』2001年11月号、p.152
  46. ^ 『優駿』2002年2月号、p.151
  47. ^ 『優駿』2002年8月号、p.138
  48. ^ 『優駿』2003年3月号、p.145
  49. ^ 『優駿』2003年6月号、p.77
  50. ^ 『優駿』2004年12月号、p.75
  51. ^ 『優駿』2010年10月号、p.119
  52. ^ 『優駿』2011年6月号、p.163
  53. ^ 『優駿』2012年8月号、p.163
  54. ^ 『優駿』2013年8月号、p.161
  55. ^ “2015年3月4日(水)13回川崎3日”. JBISサーチ. (2016年3月26日). http://www.jbis.or.jp/race/result/20150304/221/11/ 2016年6月11日閲覧。 
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  57. ^ 『優駿』2016年2月号、p.161
  58. ^ “2016年3月2日(水)13回川崎3日”. JBISサーチ. (2016年3月26日). http://www.jbis.or.jp/race/result/20160302/221/11/ 2016年6月11日閲覧。 
  59. ^ “ラニが日本調教馬初のV! ユウチェンジも3着に/UAEダービー”. netkeiba.com. (2016年3月26日). http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=108622 2016年3月27日閲覧。 

参考文献

  • 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896912982
  • 『優駿』1989年6月号(日本中央競馬会)
    • 「杉本清の競馬談義#51 松永幹夫騎手」
  • 『優駿』1990年1月号(日本中央競馬会)
    • 「杉本清の競馬談義#58 幡新洋介理事」
  • 『優駿』2006年4月号(日本中央競馬会)
    • 「CLOSE UP 06年度新規調教師&騎手 松永幹夫・岩田康誠」
    • 「杉本清の競馬談義#251 松永幹夫調教師」
  • 『2007年プロスポーツ年鑑』、財団法人日本プロスポーツ協会、2007年、ISBN978-4-9901009-6-4
  • 『Sports Graphic Number(738)』(文藝春秋、2009年)
    • 片山良三「松永幹夫と名牝物語」
  • 『優駿』2009年12月号(日本中央競馬会)
    • 河村清明「松永幹夫 試行錯誤、その先に待つもの」
  • 『優駿』2010年11月号(日本中央競馬会)
    • 「杉本清の競馬談義#306 松永幹夫調教師」

関連項目

外部リンク