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「名鉄7000系電車」の版間の差分

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{{鉄道車両
{{複数の問題|ソートキー=鉄めいてつ7000|出典の明記=2012年12月
|車両名 =名鉄7000系電車<br/>(7700系・7100系)<br/><small>パノラマカー</small>
|独自研究=2012年12月}}
|社色 =#C00029<!--スカーレット 鉄道ピクトリアル通巻816号(2009年3月号臨時増刊)「特集・名古屋鉄道」 p.233の表から色を抽出-->
{{右|
|画像 =Meitetsu 7000 Series EMU 017.JPG
{{ブルーリボン賞 (鉄道)|5|1962}}
|pxl = 300px
{{-}}
|画像説明 =名鉄パノラマカー7000系
[[ファイル:Meitetsu7000-p6-kanayama-20070601.jpg|250px|thumb|right|パノラマカーの始祖、7000系(2007年6月1日 金山駅)]]
|unit =self
[[ファイル:Meitetsu-7700-Shiroobi.jpg|250px|thumb|right|貫通型の7700系 特急仕様の白帯車時代(1996年1月2日 東岡崎駅)]]
|編成 =2両編成{{refnest|group="注釈"|name="2両"|1963年5月26日のみ<ref name="rp812-17"/>。}}<br/>4両編成{{refnest|group="注釈"|name="4両"|1967年4月から<ref name="rp812-29"/>運用終了まで。}}<br/>6両編成{{refnest|group="注釈"|name="6両"|登場当時から2008年9月<ref name="rp812-37"/>。}}<br/>8両編成{{refnest|group="注釈"|name="8両"|1967年12月末から1968年9月まで<ref name="rp812-46"/>。}}<br/>10両編成{{refnest|group="注釈"|name="10両"|1961年9月の試運転時のみ<ref name="rp812-17"/>。}}
|営業最高速度 =110km/h<ref name="colotan137"/>
|設計最高速度 =150km/h<ref name="rp120-22"/>
|最高速度 =
|起動加速度 =2.3[[メートル毎秒毎秒|km/h/s]]<ref name="rp120-22"/>
|減速度 =4.5km/h/s<ref name="rp120-22"/>
|編成定員 =
|車両定員 =
|編成長 =
|最大寸法 =
|全長 =19,715[[ミリメートル|mm]]<ref name="1985-ys-168"/>(モ7000形)<br/>18,830mm<ref name="1985-ys-168"/>(モ7700形)<br/>18,950mm<ref name="1985-ys-168"/>(モ7100形)<br/>18,830mm<ref name="1985-ys-168"/>(モ7050形・モ7150形・モ7750形)
|全幅 =2,736mm<ref name="1985-ys-168"/>
|全高 =4,200mm<ref name="1985-ys-168"/>(集電装置付)<br/>4,065mm<ref name="1985-ys-168"/>(集電装置なし・モ7000形)<br/>3,830mm<ref name="1985-ys-168"/>(集電装置なし・モ7150形)<br/>3,880mm<ref name="1985-ys-168"/>(集電装置なし・モ7050形の一部・モ7700形・モ7750形・モ7100形)<br/>3,845mm<ref name="1985-ys-168"/>(集電装置なし・モ7050形の一部)
|車体長 =
|車体幅 =
|車体高 =
|車体材質 =
|編成質量 =
|車両質量 =
|軸配置 =
|軌間 =1,067mm
|電気方式 =[[直流電化|直流]]1,500[[ボルト (単位)|V]]<br/>([[架空電車線方式]])
|編成出力 =
|総出力 =
|機関 =
|機関出力 =
|機関出力2 =
|機関出力3 =
|機関出力4 =
|主電動機 =[[東洋電機製造]] TDK825/1-A<ref name="1985-ys-168"/><br/>東洋電機製造 TDK825/3-A2<ref name="1985-ys-168"/>
|主電動機出力 =75[[ワット|kW]]<ref name="1985-ys-168"/>([[直巻整流子電動機]]・[[公称電圧|端子電圧]]340V<ref name="rp120-21"/>・定格回転数2,000[[rpm (単位)|rpm]]<ref name="rp812-44"/>)
|主電動機出力2 =
|主電動機出力3 =
|主電動機出力4 =
|搭載数 =
|端子電圧 =
|定格速度 =
|定格引張力 =
|歯車比 =78:16=4.875
|駆動装置 =東洋電機製造 DND-102HJ<ref name="rp120-22"/><br/>[[中空軸平行カルダン駆動方式]]<ref name="1985-ys-169"/>
|変速機 =
|変速段 =
|制御装置 =[[東芝|東京芝浦電気]] MC-11C<ref name="1985-ys-169"/><br/>東京芝浦電気 MC-11E1M<ref name="1985-ys-169"/>
|台車 =[[住友金属工業]] FS335<ref name="rp120-22"/><br/>住友金属工業 FS335B<ref name="1985-ys-168"/><br/>住友金属工業 FS384<ref name="1985-ys-168"/><br/>住友金属工業 FS384A<ref name="1985-ys-168"/>
|ブレーキ方式 =[[発電ブレーキ|発電制動]]併用[[電磁直通ブレーキ]]・可変荷重装置付 (HSC-D)<ref name="1985-ys-169"/>
|保安装置 =[[M式ATS]]
|製造メーカー =[[日本車輌製造]]<ref name="1985-ys-177"/>
|備考 =
|備考全幅 ={{ブルーリボン賞 (鉄道)|5|1962}}
}}
}}
'''名鉄7000系電車'''(めいてつ7000けいでんしゃ)は、[[名古屋鉄道]](名鉄)が[[1961年]]から[[2009年]]まで運用した[[電車]]である。
'''名鉄7000系電車'''(めいてつ7000けいでんしゃ)は、[[名古屋鉄道]](名鉄)の2扉クロスシートの[[電車]]である<ref>1975年までは名鉄の1500V用電車は多くが2扉(セミ)クロスシートで製作されていて、そのほとんどが登場後しばらくは特急専用として運用され、後続車の増備につれて次第と広汎に運用されるようになっている。なお、本系列は1982年以降は白帯車のみが特急列車に充当されていたが、名鉄では5000番代と7000番代は2扉クロスシート車に分類しているが、特急形、一般形のように○○形といった明確な定義をしていない([[名古屋鉄道の車両形式]]を参照)。</ref>。


[[日本]]では初めて、[[操縦席|運転台]]を2階に設置した上で最前部に[[展望車|展望席を設けた車両(展望車)]]で、「[[パノラマカー]]」という愛称がつけられ、[[1962年]]には[[鉄道友の会]]より第5回[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]受賞車両に選定された<ref name="BL88-80"/>。改良を加えつつ[[1975年]]まで継続して増備され<ref name="1982-s-12"/>、合計116両が製造された<ref name="1982-s-9"/>。長期間にわたり名鉄を代表するシンボル的な車両として扱われ<ref name="1982-s-8"/><ref name="1985-ys-20"/>、一時期は名鉄では最多両数の形式となり<ref name="rj505-46"/>、[[鉄道ファン]]からは「名鉄不朽の名車」<ref name="1982-s-9"/>「永遠の名車」<ref name="1985-ys-20"/>ともいわれている。
[[1988年]]([[昭和]]63年)に[[名鉄1000系電車|1000系「パノラマSuper」]]が登場するまでは本系列が名鉄を代表する車両であり続けてきた。[[1999年]]([[平成]]11年)までは支線区への直通列車ではあったが定期的に[[特別急行列車|特急列車]]にも使用されていた。


なお、本項では本系列の中間車を先頭車化改造した'''7100系電車'''、先頭車(運転台)以外がほぼ同じ設計の'''7700系電車'''、性能は異なるが車体ほぼ同じ'''7500電車'''についても解説する。さらに、本項において個別の編成を指す場合は、[[豊橋駅|豊橋]]先頭車の[[鉄道の車両番号|車両番号]]を用い「7001F」末尾「F」は[[編成 (鉄道)|編成]]を意味する''Formation''の頭文字のように表記する
本項では形式に準じた両仕様で前面貫通型とて[[1973年]]に24両が製造された'''7700系'''式からの改造によって[[1984年]]に2両登場した'''7100系'''についても記述する。また、名鉄の社内では[[名鉄5000系電車 (初代)|5000系]]以降の高性能車ついて「SR車」{{refnest|group="注釈"|「スーパーロマン (Super Roman) 車」の略<ref name="1985-ys-110"/>。}}と呼称している<ref name="1985-ys-110"/>ことに倣い、本項でもそのよう表記する。また、特定の編成について記す場合は、[[豊橋駅|豊橋]]向きの先頭車の[[鉄道の車両番号|車両番号]]をもっ編成呼称とする例:豊橋向き先頭車の車両番号がモ7001の編成であれば「7001編成)。


== 登場の経緯 ==
7000系と7500系は、[[パノラマカー]]の愛称でも広く知られてきた。
=== 前史 ===
[[1955年]]に名鉄の副社長に就任した<ref name="2013-ft-48"/>[[土川元夫]]は、[[第二次世界大戦]]後、日本国外の交通調査資料などを熱心に読み、日本が主権を回復すると積極的に日本国外の[[鉄道]]の視察も行っていた<ref name="2013-ft-51"/>。また、[[1953年]]から経営コンサルタントとして名鉄から依頼を受けていた荒木東一郎は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の交通事情を視察しており「鉄道は凋落し、[[自動車]]の時代になる」と予測していた<ref name="2013-ft-51"/>。これを背景として、土川は「交通機関には寿命がある」という持論のもと、社員には「名鉄が鉄道としての魅力を失わない施策」「営業エリアの拡大につながる新しい乗り物」について社員に考えさせていた<ref name="2013-ft-51"/>。


一方、[[1948年]]に名鉄に入社していた[[白井昭]]は、[[1952年]]から乗務員や検修担当者の教育を行う部署である名古屋鉄道教習所の教官として着任していた<ref name="2013-ft-36"/>が、名鉄社内で行われていた「合理化委員会」の会議にも、出席できるものには積極的に出席していた<ref name="2013-ft-48"/>。こうした白井の積極性を見て、土川は白井にも頻繁に声をかけるようになっていた<ref name="2013-ft-52-53"/>。白井も「聞かれたことを答えるだけではつまらない」と考え、本来の業務とは異なる[[名古屋鉄道のダイヤ改正|ダイヤ改正]]などについて考え、土川に意見を伝えるようになっていた<ref name="2013-ft-53"/>。
また、7000系は[[1962年]]の第5回[[鉄道友の会]][[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]選考会において2位の[[国鉄キハ80系気動車|国鉄キハ82形]]の約6倍という大差の得票数で受賞を果たした。


また、白井はアメリカの鉄道車両や[[航空機]]・自動車で興味深いと思ったものをノートに記録し、デザインを研究していた<ref name="2013-ft-53-54"/>。ある時、白井と土川が車両の話をしていた時に、「前の景色が見える電車を作りたい」と話すと、土川は「それはいいな」とだけ答えたという<ref name="2013-ft-54"/>。
== 系列別概要 ==
=== 7000系 ===
{{右|
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 019.JPG|thumb|right|250px|7000系4両編成(7001F)<br />(2008年7月2日 鳴海駅)]]
}}
[[1961年]](昭和36年)に[[日本車輌製造]]で製造され、[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]の[[特別急行列車|特急]]に投入された。


=== 未来の見える電車 ===
名鉄の主な路線を持つ[[愛知県]]は[[トヨタ自動車]]のお膝元であり、当時芽生え始めていた[[モータリゼーション]]への対策として、乗客にインパクトを与えられる車両の製作を企画していた。
名鉄では、[[1959年]]に[[エアー・コンディショナー|冷房装置]]を搭載した車両として[[名鉄5500系電車|5500系]]を登場させていた。特別料金を徴収しない列車での冷房化は、戦前にわずかな実績があるのみであり<ref name="1985-ys-33"/>、冷房を搭載した一般列車は日本国内の鉄道他社や<ref name="1982-s-24"/>乗用車でもほとんど存在せず<ref name="1985-ys-152"/>、一般家庭にも冷房装置などない時代であり<ref name="1985-ys-152"/>、利用者や沿線住民を驚かせた<ref name="1985-ys-33"/><ref name="1982-s-24"/>。しかし、白井は5500系に対して「独創的なところが何もない」と感じており<ref name="2013-ft-60"/>、土川からの5500系をどう思うかという質問にも「夢も希望もない」と即答した<ref name="2013-ft-61"/>。そのやりとりの後、白井は「あるべき車両」について土川に長い手紙を書くと<ref name="2013-ft-61"/>、すぐに土川に呼ばれ「今までにない[[展望車]]の計画の創造に全面的に努力せよ」という特命が下った<ref name="2013-ft-61-62"/>。


{{Double image aside|right|Mar2003-etr302-010203codogno.jpg|190|Connecticut trolley museum 3.jpg|200|イタリアの「セッテベッロ」|モントリオールの「ゴールデン・キャリオット」}}
[[1960年]](昭和35年)8月に名鉄社内でデザインされた[[スケッチ]]が[[新聞]]紙上で発表されたが、いざクレイモデル(=[[粘土]]で製作された検討用の模型)を作成してみたところ、社内で否定的な意見が出され、日本車輌製造へ再デザインを依頼した。同社は民間工業デザイナーの萩原政男に依頼し、現在のスタイルとなった。ちなみに、名鉄が発表したスケッチにはすでに展望室があったが、その前に[[ボンネット]]が突き出た格好であった。
土川は[[イタリア]]の鉄道を視察した際に[[フェッロヴィーエ・デッロ・スタート|イタリア国鉄]]の[[イタリア国鉄ETR300電車|ETR300電車「セッテベッロ」]]を気に入ったとされ、このため帰国後に車両部に写真や資料を回付したという話が伝えられている<ref name="rp812-10"/>が、土川は「…のような」というようにイメージを縛るような言い方は絶対にしなかったともいわれている<ref name="2013-ft-63"/>。また、当時ライバル視していた[[近畿日本鉄道]](近鉄)の社長である[[佐伯勇]]から、[[近鉄10100系電車|10100系「ビスタカー」]]が[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞したことを自慢されたために、「名鉄もブルーリボン賞を取れる車を」という命令があったともいわれている<ref name="rp812-10"/>が、後に白井がブルーリボン賞の受賞式典のために社内で根回しを行った際には、どの部署も[[鉄道友の会]]の存在を知らず<ref name="2013-ft-89"/>、「どのような賞なのか説明するのに苦労した」と白井は回想している<ref name="rf525-141"/>。


いずれにしても、土川が展望車の実現を望んでいたことは確かで、[[1960年]]に役員会で展望車の企画が通ったときには、嬉しそうな顔をしながら白井に企画が通ったことを伝えたという<ref name="2013-ft-69-70"/>。
車体色は過去に例を見ない[[赤|スカーレット]]一色とし、今なお衰えない奇抜なデザインとともに鮮烈なデビューとなった。


一方の白井は、アメリカ人の友人から送られた[[保存鉄道]]ライブラリに掲載されていた、[[モントリオール]]の観光用電車である「ゴールデン・キャリオット」をイメージしていたという<ref name="2013-ft-63"/>。白井は、それまでの展望車が後ろの景色しか見えなかったことについては「過去を見ていることにしかならない」として<ref name="2013-ft-63"/>、このように主張した。
6両組成で出場しているが、将来の10両組成化を見越した設計がなされ、完成(引き渡し)直後には実際に10両組成での試運転を実施している<ref>「写真が語る名鉄80年」には10両組成で試運転した時の写真が掲載されている。一方で、1963年には特別列車であるが先頭車のみの2両編成で人を乗せて走行した記録も残っている。</ref>。
{{Quotation|人間の本質として、過去よりも未来が見たいはずだ。これから作る展望車は、”未来”が見えるものでなければならない。ことに、子どもにそれを見せたい。|[[白井昭]]|[[#高瀬2013|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.63]]}}
土川もこの「すべての人が前を見られる」というコンセプトに賛成し、さらに「立っている乗客にも前が見えるつくり」を望んだ<ref name="2013-ft-64"/>。


こうして、白井を企画責任者として、展望車の開発が開始された<ref name="2013-ft-64"/>。新型車両の開発は車両を統括する車両部計画課が担当するが、企画責任者の白井は、この時点では教習所の所属のままであった<ref name="2013-ft-64"/>。車輌の製造は[[日本車輌製造]]が担当することになった<ref name="2013-ft-65"/>。
当初、車両最前部には不死鳥の"[[フェニックス|Phoenix]]"名を刻んだエンブレムが取り付けられていたが、1年ほどで「[[逆さ富士]]」型の行先表示板が設置されたため、撤去された。この逆さ富士型の行先表示板は、[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]受賞直後に掲げられていた記念[[ヘッドマーク]]の形が基になっているとも、当時すでに行先表示器の試作が行われ、記念ヘッドマークを同様の形で製作し、装着状況を確認したとも言われている。


=== 安全な電車 ===
1961年から刊行された鉄道趣味誌の一つである『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』は、地元出版社の[[交友社]]が本系列の登場に触発されて創刊したとされた。実際の同誌の創刊号には本系列が表紙を飾り、また初代編集長には本車両のデザイナーである萩原が務めていた。
ところが、名鉄の社内から、この企画に反対する意見があった<ref name="2013-ft-66"/>。


この当時、名鉄では[[踏切障害事故|踏切事故]]が激増していた<ref name="2013-ft-67"/>。[[1958年]]12月24日に[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]で特急に使用されていた[[名鉄3850系電車|3850系]]が[[踏切]]で[[オート三輪|オート三輪車]]と衝突した際には、オート三輪車の積荷が可燃物の[[シンナー]]であったために炎上して車両は全焼、乗務員・乗客にも死傷者が出ていた<ref name="rp120-33"/><ref name="rp812-15"/>。翌1959年にも、10月1日・10月9日・11月20日・11月29日・12月8日と踏切事故が多発しており<ref name="rp120-33-34"/>、乗務員の殉職もあった<ref name="2013-ft-67"/>。こうした事情から、「乗客を危険にさらすわけにはいかない」という理由で、列車の運転を統括する運転部の部長が車両部に対して抗議を申し入れたのである<ref name="2013-ft-66"/>。
本系列を製造する際、車両開発部は当時の副社長<ref>後に社長・会長を歴任する[[土川元夫]]。副社長は当時2人在籍していたが、土川は社長の[[千田憲三]]から全幅の信頼(権限委譲)を受けて、社内に関してはほぼ全般に亘る権限を有していた。</ref>から「ブルーリボン賞を取れなかったら車両開発部・部長以下全員クビだ。」と言われていた。製作費は1編成(6両)で2億円弱(1両あたり約3,150万円)と当時の通常型車両(5500系・約2,500万円)より1.3倍ほど高価であり、正に社運を賭けた車両であった。


しかし、土川はその抗議を受けても、展望車の開発を中止することはしなかったため、車両部では「衝突しても安全な電車」を作らなければならなくなった<ref name="2013-ft-67"/>。安全性の確保を検討するうち、沿線企業の[[カヤバ工業|萱場工業]]から[[ショックアブソーバー|ダンパー]]を先頭部分に設置するという提案があった<ref name="2013-ft-67"/>。計算した結果、オイルダンパーを前面に2本設置することによって、車体を守れるという結果が出た<ref name="2013-ft-67-68"/>ため、衝突の状態や吸収力などのシミュレーションが行われた<ref name="2013-ft-68"/>。
==== 特徴 ====
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 007.JPG|thumb|right|200px|モ7008の展望室部分。隅柱・窓柱ともにハシゴ形で、乗務員扉の後に窓を持つ。台車枕ばねはベローズ式からの改造で、ばね座の張り出しが大きい。冷房装置は5500系と同型である(2008年4月17日 神宮前駅)。]]
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 006.JPG|thumb|right|200px|モ7042の展望室部分。隅柱がX形、窓柱がH形で、乗務員扉の後に窓はない。台車枕ばねは当初よりダイヤフラム式で、張り出しが小さい。(2008年4月16日 堀田駅)]]
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 021.JPG|200px|thumb|right|モ7010の展望室内最前部]]
[[ファイル:Meitetsu7000-driver-door-20070601.jpg‎|thumb|right|200px|運転士は車体側面のハシゴを登って運転台に乗り込む(2007年6月1日 名鉄岐阜駅)]]
[[ファイル:Meitetsu7000-conductor-door-20070601.jpg‎|thumb|right|200px|車掌台は連結面側にある(2007年6月1日 金山駅)]]
本系列の特徴は、[[操縦席|運転室]]を前面上部に上げ、通常の鉄道車両で[[操縦席|乗務員室]]が位置する部分に低床の[[展望車|展望室]]を配置したことである。この展望車の構想は、当時の名鉄幹部が[[フェッロヴィーエ・デッロ・スタート|イタリア国鉄 (FS) ]]の視察へ行った際に、[[1952年]](昭和27年)から[[特別急行列車|特急]]「セッテベロ」<ref>「settebello-denari(7人の美女)」という[[トランプ|トランプ・ゲーム]]の役(切り札)が語源。</ref>に充当されていた[[イタリア国鉄ETR300電車|ETR300形]]に強い感銘を受けたのが始まりと言われ、車両の図面自体はすでに[[1954年]](昭和29年)頃からあった。しかし、固定ガラス張りとなる展望室内には温度調節を行うシステム([[エア・コンディショナー|冷暖房]])が不可欠なため、当時は全電動車方式の高性能車に搭載できる見通しが立たず、車両案は保留となっていた。


そのほか、運転台へ乗務員がどう出入りするか<ref name="2013-ft-68"/>、運転台からの見通しがどうかなどが検証された<ref name="2013-ft-69"/>ほか、監督官庁にも指導を仰ぎ、車両設計において例外的な認可の箇所を減らすべく検討が行われた<ref name="rf525-137"/>。日本では前例がない車両構造のため、監督官庁も扱いに困ったといわれている<ref name="rj275-142"/>。
その後、[[名鉄5500系電車|5500系]]製造時に機器類を可能な限り小型化し、日本国内で初めて全電動車の車両冷房を実現させた。これにより高性能展望車の実現に目途が付いた。なお、展望室部分だけは屋上に冷房装置を搭載できないため、室内最前席の前のキャビネット内に床置き式の冷房装置を設置した。この前面展望式の構造は、後の[[小田急電鉄]][[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]][[小田急3100形電車|3100形「NSE」]]を始め、国鉄時代の[[パノラマエクスプレスアルプス|165系改造車「パノラマエクスプレスアルプス」]](2003年より[[富士急行]][[富士急行2000形電車|2000形「フジサン特急」]])などにも受け継がれた。


[[1960年]]夏には役員会で新造計画が決定した<ref name="rf525-138"/>。これを受けて、白井は正式に車両部へ移動となり、新型展望車の開発に専念できるようになった<ref name="2013-ft-70"/>。
万一の衝突から展望室の乗客を守るため、強力な「[[ショックアブソーバー|油圧式ダンパ]]」を標識灯の横に設置している。この装置は、1961年[[11月]]に[[木曽川堤駅]]隣接の[[踏切]]でモ7004号が砂利を積載した[[ダンプカー]]と衝突した際に威力を発揮した<ref>会社としては、油圧式ダンパの威力についてダンプカーとの衝突以上に、当時営業用として残存していた[[木造車]]との衝突を恐れていたという。</ref>ことから、地元の[[新聞]]が「ダンプキラー」と報道して一躍有名となり、今もって[[鉄道ファン|ファン]]の間などで語り継がれている。


=== デザイン決定の紆余曲折 ===
運転室への出入りは、当初案は客室内からとする構想であったが、展望を妨げるとの理由から、旅客用ドアと展望窓との間の外部に設置された[[梯子|はしご]]を用いて出入りする方式が採用された<ref>同じ前面展望車である小田急ロマンスカーのうち3100形「NSE」・7000形「LSE」・10000形「HiSE」・50000形「VSE」の4形式は、先頭車1階の車内にある運転室扉から折り畳み式の階段を上って運転室へ出入りする構造となっている。「パノラマエクスプレスアルプス(フジサン特急)」や[[国鉄キハ183系気動車#JR九州所属車(1000番台)|JR九州キハ183系1000番台]]などの国鉄→JRの前面展望車は、厳密には2階運転室ではなく、高運転台に近い構造で、室内への張り出しが大きくなっている。</ref>。蹴込みには夜間用の照明も備わっているが、室内側の張り出しを極力抑えるため、その奥行きは必要最小限となっている。また、昇り降りの際は[[運転士]]の両手が塞がるため、乗務用の鞄には肩掛け用のストラップを付けて対処した。通常は使用しないが、非常出入口として運転席後部にハッチが存在し、縄梯子を下ろして直接客室から出入りできるようにもなっている。
1960年8月に入ると、デザインを検討するためにクレイモデルが3種類製作され<ref name="rp812-41"/>、その後にモックアップが製作された<ref name="rp812-41"/>が、モックアップは3種類のクレイモデルのどの形とも違うものになった<ref name="rp812-41"/>{{refnest|group="注釈"|name="プロトタイプ"|白井はこの件について「苦労した割には、誰もが納得するデザインが得られなかった」と回想している<ref name="rp812-41"/>。}}。さらに9月には車両のデザイン画も出来上がり、新聞にも掲載された<ref name="2013-ft-74"/>が、これもモックアップとは違うものになった<ref name="rp812-41"/><ref group="注釈" name="プロトタイプ"/>。それらはいずれも衝撃吸収用のダンパーを覆うボンネットが突き出たスタイル<ref name="2013-ft-74"/>で、白井の気に入るものではなかった<ref name="rp812-41"/>。デザインを提案した日本車輌の担当者は「このデザインのどこが悪い」と憤った<ref name="2013-ft-75"/>が、白井は土川に「デザインをやり直すべき」と進言<ref name="2013-ft-75"/>、それを受けて土川は「先頭部のデザインをやり直す」と決めた<ref name="2013-ft-75"/>。


このため、日本車輌では日本国有鉄道(国鉄)の臨時車輌設計事務所を通じて<ref name="2013-ft-76"/>、インダストリアルデザイナーの[[萩原政男]]に車輌のデザインを依頼することになった<ref name="rf525-138"/>。実は、萩原は[[小田急電鉄]]の特急用車両である[[小田急3000形電車 (初代)|3000形SE車]]の計画段階において展望車のデザインの相談を受けていたが、実現していなかった<ref name="2013-ft-76"/>。また、国鉄の車両設計ではデザイナーの名前が出ることはなかったが、それではデザイナーの役割を世の中に認識させることはできなかった<ref name="2013-ft-76"/>。萩原は私鉄の車両であればそれが可能であると考え<ref name="2013-ft-76"/>、国鉄の仕事を辞めて名鉄の展望車の仕事を担当するようになった<ref name="2013-ft-77"/>。
本系列は展望室構造や前述の床置き式冷房装置のため、先頭車の車両全長は中間車の18.830mに対して19.715mと長く採られた。車体断面は[[日本国有鉄道]](国鉄)[[国鉄151系電車|151系]]のように側窓部を内傾させ、窓下の裾を絞った形状とした。但し、車体幅(外板間)は2730mmで、裾の絞りは緩く、屋根高さは5500系と同じ3500mmであり、以後の名鉄車両ではこの車体断面形状が多少の寸法変更を伴いながらも[[名鉄3500系電車 (2代)|2代目3500系]]まで適用されている。先述のように、展望室部分は床面の高さが他の1150mmに対して、1040mmの低床構造となっている。


また、車体の色も[[画家]]の[[杉本健吉]]によって決められることになった<ref name="2013-ft-79"/>。杉本は当初濃い緑色を考えていたが、車両部の担当者の提案を受け<ref name="2013-ft-79"/>、[[スカーレット]]1色とすることになった<ref name="rf525-139"/>。
展望室・運転台ともにすべて平面ガラスのみで構成されており、コスト抑制の観点から曲面ガラスは一切用いられていない。ガラス面積が広くなったことや、防音・断熱構造を強化したことにより、自重は5500系に比べて1両当たり1 - 2t程度重くなっている。展望室構造の先頭車についてはさらに重く、40t近くに達する。そのため編成質量は6両組成が約219.3t、4両組成が約148.2tとなる(製造年次によって差異あり)。また、中間車のうちモ7150形は検車庫内での分割に備えて簡易運転台を設置したための形式区分であり、後年簡易運転台を撤去しモ7050形との相違はなくなった。


1960年秋には、どんな車両になるかを新聞記者が取材していた際に、親しみやすい愛称として白井が萩原と相談して「パノラマカー」と述べた<ref name="rf525-139"/>ところ、マスコミでは「パノラマカー」と大見出しで報道され<ref name="2013-ft-81"/>、たちまち「パノラマカー」という名称が広まったという<ref name="2013-ft-81"/>。
[[車掌]]業務は高所にある運転台では都合が悪いため、別個に車掌台と車掌扉を先頭車の後位車端に設けた。ここには跳ね上げ式の補助席が設置されており、車掌台として使用しない時は着席することができる。なお、本系列の2次車以降は展望室の最前部と後方の上部に[[ニキシー管]]式[[デジタルメーター|デジタル]]表示(後に[[7セグメントディスプレイ]]式に換装)の速度計が設置されている。


このような経過を経て登場したのが、7000系パノラマカーである。
制御方式は[[直巻整流子電動機]]を用いた[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]方式で、出力75kW(340V・246A・2000rpm)の[[電動機|主電動機]]を各車に4基ずつ搭載する全[[動力車|電動車]]方式である。[[電気車の速度制御#弱め界磁制御|弱め界磁]]率は30%まで可能だったが、初代5000系・5200系 (50%) との兼ね合いから40%で使用してきた(40%界磁でも定格速度は110km/h:動輪径860mm時)<ref>後に8800系が中間付随車を増結した際に33%まで使用するようになった。なお、名鉄では定格速度の低い[[名鉄100系電車|100系<!--・200系:200系は全車VVVFの215Fのみが該当しますが、VVVFインバータ制御に弱め界磁という概念はありません。-->]]が地下鉄線内を除いて30%弱め界磁を常用している。</ref>。[[歯車比]]は78:16=4.875:1である。
初代5000系や5200系と[[増解結|併結]]運転が可能であるが、[[主制御器]]は5500系と同じ[[東芝]]MC11型[[名古屋鉄道の車両形式#走行性能・技術|パッケージ制御器]]で、[[マスター・コントローラー|マスコン]]は[[電気車の速度制御#直並列組合せ制御|直列指定段と並列指定段]]を持つものである<ref>マスコンと主制御器のノッチ対応は次の通り。 (1) 直列1ノッチ:直列起動 (2) 直列2ノッチ:直列最終段+弱め界磁 (3) 並列1ノッチ:並列起動(微低速ノッチ) (4) 並列2ノッチ:並列起動→並列最終段全界磁 (5) 並列3ノッチ:並列最終段+弱め界磁。ハンドルが右真横を向いている状態がオフ位置( (1) と (3) の間)で、そこから直列指定はハンドルを奥へ、並列指定は手前に回す。従って直列起動から並列運転に移る際は一旦オフにする必要があり、この間5秒ほど惰行状態となる。スピードアップが叫ばれた[[1990年代]]以降、低速運転時や電圧降下が著しい場合以外は並列指定段に投入して起動するようになった。[[名鉄5700系電車#5700系|5700系]] - [[名鉄1000系電車|1000系列]](除く1600系→1700系)および[[名鉄5000系電車 (2代)|2代目5000系]]も同方式のマスコンであるが、並列指定ノッチに投入しても主制御器は直列段から進段する。すなわち、 (3) :直列起動 (4) :直列起動→直並列自動切替→並列最終段全界磁となる。一方、初代5000系・5200系はごく一般的な4ノッチ( (1) :直列起動 (2) :直列最終段全界磁 (3) :直列起動→直並列自動切替→並列最終段全界磁 (4) :並列最終段+弱め界磁)のマスコンであった。7500系の制御器更新後、また現存車では[[名鉄6000系電車|6000系列]]と100系・200系(VVVF車だが運転操作を統一)もこちらの方式である。</ref>。直列指定段で[[力行]]を持続した場合も直列の最終段から弱め界磁制御を行うことができ、[[電力]]事情の悪かった[[支線]]や[[豊橋駅|豊橋]] - [[平井信号場]]間の[[飯田線]]([[東海旅客鉄道|JR東海]])共用区間でも[[変電所]]への[[負荷]]を抑え、また、電動機の高速特性から[[名鉄3700系電車 (2代)|HL車]]以上の高速運転を行うことができた。これは、並列段へ移行しないため、[[消費電力]]を低減できるためである<ref>現用車両では1700系を除く1000系列と2代目5000系および5700・5300系がこのような運転操作が可能であり、これらは[[歯車比]]などを含めた性能面で、現存最後の初期高性能車の直系に当たる車両であることが言える。</ref>。制御段数は力行が抵抗制御17段(3次車以降13段)・弱め界磁4段、[[発電ブレーキ]]が17段(3次車以降13段)で、いずれも抵抗制御と発電ブレーキの1段目が緩衝ノッチ(弱め界磁)となっている。


== 車両概説 ==
当時の資料によれば、設計最高速度は140km/h(モーターの許容回転数4500rpm、車輪直径820mm時)に達し、これは7500系を除いた5500系から7700系、さらに[[名鉄8800系電車|8800系「パノラマDX」]](登場時)までの全車電動車編成の系列に共通である<ref>やはり75kWモーターの全車電動車編成で歯車比も同じ[[名鉄5000系電車 (初代)|初代5000系・5200系]]は、モーターの許容回転数が低く、弱め界磁制御範囲が狭いため、設計最高速度は125km/hであった。その機器を流用した[[名鉄5700系電車#5300系|5300系]]も台車未交換車についてはこれと同じである。</ref>。
7000系は6両編成で登場し<ref name="1985-ys-21"/>、[[1967年]]4月から4両編成も登場した<ref name="rp812-29"/>。設計段階では、将来10両編成に増強することを考慮しており<ref name="rf1-37"/>、[[1968年]]ごろには8両編成での運用も行われた<ref name="rp812-46"/>ほか、試運転や臨時列車では2両編成や10両編成で運用されたこともある<ref name="rp812-17"/>。[[1990年]]以降は7700系中間車が7000系の編成に組み込まれた<ref name="dj314-55"/>。一方、7700系は[[1973年]]4月に4両編成と2両編成が同時に登場した<ref name="1985-ys-124"/>。前面が展望席スタイルではなく貫通構造となっており、1990年以降はすべて2両編成で運用され<ref name="dj314-55"/>、7700系中間車は7000系の編成に組み込まれた<ref name="dj314-55"/>。


7000系は系列中に3形式が、7700系は系列中に2形式が存在し、すべて電動車である。奇数番号の車両(Mc1・M1)に補助機器を搭載、偶数番号の車両(Mc2・M2)に[[主制御器|制御装置]]と[[集電装置]]を搭載し<ref name="rp812-43"/>、奇数番号の車両と偶数番号の車両をもって1つのユニットとして扱い<ref name="rp120-21"/>、この原則を守ることで、どのような編成にもすることが可能である<ref name="rm102-26"/>。名古屋本線上において、ユニットの豊橋側が奇数番号車となる<ref name="rf1-41"/>。
<gallery>
ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 023.JPG|室内<br />出入り口付近、乗務員用非常口、展望室の様子
ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 024.JPG|室内<br />車掌台
ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 025.JPG|室内<br />車掌台
</gallery>
(以上はモ7010・2008年4月)


;モ7000形 : 7000系の編成において両端の先頭車となる[[制御車|制御電動車]](Mc1・Mc2)。
==== 沿革 ====
;モ7050形 : 7000系編成中間に組み込まれる[[電動車|中間電動車]](M1・M2)。
{{右|
;モ7150形 : 7000系編成中間に組み込まれる中間電動車(M1・M2)で、工場内での入換用に簡易運転台を装備する<ref name="rp812-43"/>。
[[ファイル:Meitetsu-7000-whiteline.jpg|thumb|right|200px|白帯が施された当時の7000系特急仕様車。冷房装置がポンプレス式の中期型。座席指定表示窓の跡が確認できる。(1996年1月2日 東岡崎駅)]]
;モ7700形 : 7700系の編成において両端の先頭車となる制御電動車(Mc1・Mc2)。
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 042.JPG|thumb|right|200px|行先・種別表示器に特徴を残す元白帯車の7011F。その後、白帯は復活した。(2008年9月15日 木曽川堤駅)]]
;モ7750形 : 7700系の編成中間に組み込まれる中間電動車(M1・M2)。
}}
本系列は、まず1961年に3編成18両が落成し、同年[[6月1日]]から[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]の[[名鉄特急|特急]]に投入された。翌[[1962年]](昭和37年)には2次車(7007 - 7013編成)が加わって計7編成となり、同線急行の他、[[名鉄犬山線|犬山線]]にも進出している。


本節では以下、7000系について、1961年の登場当時の仕様を基本として記述し、増備途上での変更点と7700系については別途節を設けて記述する。更新による変更や7100系については沿革で後述する。編成については、編成表を参照のこと。
また、[[1963年]](昭和38年)からは名古屋本線用に改良版の7500系を製造し、順次6 - 8両組成として投入されたが、支線でも広がるパノラマカーの人気に対応するため、[[1967年]](昭和42年)に3次車として4両組成が登場した(7015 - 7023編成、冷房装置などを変更、室内各部の無塗装化)。


=== 車体 ===
[[1968年]](昭和43年)には一部の車両が8両固定編成を組んでいたが、それが短期間で解消し、以降従前車も4両組成に組成変更して増備されていった。そのため、[[1969年]](昭和44年)製の5次車(7029・7031編成)は4両フル編成での落成であるが、その前後の4次車と6次車は先頭車のみの製造となる。
先頭車は車体長19,000[[ミリメートル|mm]]<ref name="rp120-22"/>・全長19,715mm<ref name="rp120-22"/>、中間車は車体長18,000mm<ref name="rp120-23"/>・全長18,830mm<ref name="rp120-23"/>で、車体幅は2,730mm<ref name="rp120-23"/>である。


車体色は前述の通り[[名鉄スカーレット|スカーレット]]1色である<ref name="rf525-139"/>。車体側面には近鉄の[[ビスタカー]]に倣って「パノラマ」というロゴを入れる案があった<ref name="rf525-139"/>が、デザインを担当した萩原は「泥臭い」として採用しなかった<ref name="rf525-139"/>。
[[1971年]](昭和46年)登場の7次車(7039 - 7043編成)も4両組成で、冷房装置が再度変更されている。ちょうど[[日本国有鉄道|国鉄]]や他の[[私鉄]]にも冷房[[通勤形車両 (鉄道)|通勤車]]が普及し始めた時期に当たる<ref>本系列登場10周年に当たり、パノラマカー3形式(7000系・7500系・7300系)をあしらった記念乗車券が発売された。この時点で7000番台形式の合計両数は194両であった。</ref>。


==== 構体 ====
[[1973年]](昭和48年)から4両組成の大部分を連結可能に改造し、本系列の4+4=8両編成はもとより他系列との連結運転も可能になり、同年暮れの第一次[[オイルショック]]に伴う輸送需要増にも対応することができた。
車体は全て普通鋼製で、軽量化のため強度計算を入念に行った<ref name="rp120-22"/>。また、車体の防音にも注力し、床板はキーストンプレートを採用した<ref name="rp120-23"/>。


側面窓は日本車輌の提案により<ref name="2013-ft-65"/>、窓柱を車内に収め、[[ガラス]]で柱部分も覆う「連続窓」という固定窓構造が採用された<ref name="2013-ft-65"/>。側面のガラスは熱線吸収複層ガラスを使用し、基本的な寸法は幅1,500mm・高さ850mmで<ref name="rp120-22"/><ref name="rp120-23"/>、ガラスの厚さは外側5mm・内側5mmとし<ref name="rj275-142"/>、2枚のガラスの間には6mmの空間を設定している<ref name="rj275-142"/>。扉と扉の間では、先頭車ではこのガラスが4枚<ref name="rp120-22"/>、中間車では5枚並ぶ<ref name="rp120-23"/>。中間車の戸袋部分の窓には幅850mm・高さ850mmのガラスを使用した<ref name="rp120-23"/>。客用扉は幅1,100mmの片開き扉<ref name="rp120-22"/><ref name="rp120-23"/>を2箇所に配した<ref name="rp812-43"/>。
[[1974年]](昭和49年)増備の8次車2本(7045・7047編成)は久々の6両組成での落成となり<ref>知多新線部分開通の準備という名目で登場している。</ref>、前頭の種別・行先表示が電動幕式となった先頭車の最終タイプを含んでいる。また、今回より車内の荷棚が7700系までの[[網棚]]からパイプ棚に変更され、これが現在まで一般車・通勤車の標準となっている。


レール上面から床面までの高さは、先頭の展望室が1,040mm<ref name="rp812-44"/>、それ以外の客室では1,150mmである<ref name="rp812-11"/>。
非連結仕様の4両組成も[[1975年]](昭和50年)に最終増備車の両開き扉中間車(9次車、モ7050形7100番台)を組み込み、6両組成となっている。最終的に本系列として製造されたのは116両(モ7000形48両・モ7050形54両・モ7150形14両)である。


==== 先頭部 ====
全車が健在の時期には、6両組成10本(60両)と4両組成14本(56両)という陣容であった。
{{Double image aside|right|Meitetsu 7000 Series EMU 007.JPG|230|Meitetsu 7000 Revolving light.jpg|90|運転室を2階に上げた先頭部|前照灯と尾灯を兼用した標識灯}}
先頭部の形状は運転室を2階に上げ、最前部まで客室とした<ref name="rp120-22"/>。萩原は「ボンネットが突き出していると乗客に事故を連想させて不安を与える」として<ref name="2013-ft-77"/>、前面ガラスを車両先端まで延長し、後述するダンパーを車体の中に収納する構造とした<ref name="2013-ft-77"/>。


前面窓は、当時の日本の技術では曲面の複層ガラスの製造ができなかった<ref name="2013-ft-78"/>ことと、製造数の少ない鉄道車両においてはコストが高くなるため<ref name="rf1-45"/>、すべて平面ガラスで構成した<ref name="rf1-45"/>。前面に使用されたガラスは外側8mm・内側5mmとし<ref name="rj275-142"/>、2枚のガラスの間には6mmの空間を設定しており<ref name="rj275-142"/>、当時の価格で1枚10万円という高価なものである<ref name="rp120-30"/>。
[[1977年]](昭和52年)のダイヤ改正で「特急」をすべて「座席指定」制に移行した際、当局からの行政指導で「特急」優先使用車の整備を行うこととなり、5次車以降の座席シート(赤モケット化)とカーテンを交換する整備を行った。またこの頃から、先に連結化されていた4両組成車に6000系で本格採用となったM式[[自動解結装置]]が装備された。


衝突事故対策として、先頭部には最大吸収エネルギー77,000kg/m・容量250tのダンパーが2基設置された<ref name="rp120-23"/>。このダンパーの中心高さは、当時の大型[[ダンプカー]]の床面に合わせてレール面から1,300mmとし<ref name="rf1-45"/>、突き出し部分のバッファーは前部標識灯(前照灯)と一体のケースに収めた<ref name="2013-ft-77"/>。
[[1982年]](昭和57年)には、4両組成の一部に白帯が巻かれて特急仕様車(通称『白帯車』 = はくたいしゃ)となり、併せて行先表示板も「逆さ富士」形から楯形(通称『小富士形』)に交換された<ref>1986年までに末尾01・03・21・23・29・31・33・35・37・39・41・47の12組成が白帯車となった。以降の格下げと追加は別項を参照。</ref>。当初の白帯車は原型の座席のままモケットのみツートンに張り替えた内装であった。この『白帯車』の登場当時は名古屋本線を中心とした特急運用に限定して使用され、行先表示板に付属する種別も『特』(特急)と『回』(回送)の2種類のみが表示できる設計となっていた<ref>『白帯車』を増備する過程において[[名鉄特急#高速|高速]]・急行などの列車にも使用する運用が現れ、その時に全種別が表示できるものへ交換されている。</ref>。この頃から展望室の速度計が[[ニキシー管]]の入手難(製造中止・在庫切れ)で徐々に使用停止となり、初期『白帯車』には上から[[禁煙車|禁煙]]プレートが装着された<ref>これは後に全先頭車の速度計にも波及した。</ref>。


[[前照灯]]は、正面窓の上下に2灯ずつ、合計4灯設けた<ref name="rj459-117"/>。このうち、窓下の2灯については、前述のダンパーと一体化されたケースに収めたほか、光源そのものが[[サーチライト]]のように円錐を描くように回転することによって、地上から光が明滅しているように見える「旋回式前照灯」を採用した<ref name="rp120-25"/>。これは運転台にある旋回スイッチを入れることによって作動するもので、対向列車とのすれ違い時に減光していてもスイッチを投入すると旋回を開始する<ref name="rp120-25"/>。なお、窓上の2灯については固定式として、運転士の目が疲れないようにしている<ref name="rp120-25"/>。この前照灯は前後切り替えにより赤い[[フィルター]]がかかり尾灯として機能する<ref name="rp120-25"/>。非常時には尾灯の状態で旋回を行うことも可能である<ref name="rp120-25"/>。
[[1983年]](昭和58年)から[[1987年]](昭和62年)にかけて1 - 3次車のうち42両について特別整備が行われ、種別・行先表示が8次車と同様の電動幕式に交換された。特別整備と同時に白帯化された組成が4本あり、第1編成の7001F(白帯は数年で解除)や最後まで残った7011Fもそのうちである<ref>他の2本は7003F(以後の経過は7001Fと同様)と7017F。加えて7033F・7035F・7037Fの中間車計6両も該当する。なお、特別整備は当時白帯化されたばかりの7015Fを飛ばして7017F、7019Fまで完了したが、翌年から7500系に着手したため、それ以降は行われていない。整備内容にも途中から側灯のLED化、客扉の全開化などの変化があった。</ref>。延べ15本<ref>7001F・7003Fは6両組成から4両組成に短縮し、9次車の中間車4両は7100系に改造・改組、別の編成に組み込まれていた1・2次車の中間車が8800系に再生された。白帯車は最初12本整備されたが、1986年以降7001F・7003F・7023F・7041Fの4本を解除格下げ、7011F・7015F・7017Fの3本を新規追加したため、最終的には(1989年時点)11本が存在した。</ref>に施工された特急仕様装備のうち、外装の白帯に関しては1000系列の増備が本格化した1990年代に入って解除が始まり、1600系が就役した[[1999年]](平成11年)には全車が一旦解除されている。


正面窓下中央部には "[[フェニックス|Phoenix]]" と記したエンブレムが取り付けられた<ref name="rp120-27"/>。これは「ダンプカーに衝突しても無事であるように」といういう願いを込めたものであるという<ref name="2013-ft-87"/>。行先表示器は設置されていないが、これは岐阜と豊橋を結ぶ特急列車のみに運用することになっていたため、車両そのもので行先と種別を表すという考えによる<ref name="rp120-29"/>。車両番号の表記は、それまでは側面窓下中央であった<ref name="rf1-47"/>が、7000系では客用扉横の下部に変更された<ref name="2009-kt-98"/>。書体はそれまでと同様のローマン体である<ref name="rf1-47"/>。
[[1984年]](昭和59年)から8800系に走行機器を譲るため特別整備未施工車の[[廃車 (鉄道)|廃車]]が発生したが、本格的に廃車が始まるのは[[1998年]](平成10年)からである。[[2007年]](平成19年)からは特別整備車の廃車も始まり、同年には最盛期のちょうど半数に減少した。この時点までに残った本系列のほとんどは製造年次の異なる車両や7700系の中間車が混在した編成となっていた他、6両組成の行先表示が電動方向幕式に統一された。また同時期に7005F・7009Fの2本のみについて、7050形7100番台を除く4両がラッシュ時対策のため扉付近のクロスシートが撤去された。[[2008年]](平成20年)[[6月29日]]のダイヤ改正ではさらなる廃車によりその6両組成が消滅、トップナンバーの7001Fも廃車となり、本系列は4両組成3本の12両(ただし7043Fの中間車は7700系のモ7750形)を残すのみとなる予定であったが、7001F・7007Fは同改正後も運転されていた(前者は7041F、後者は5700系6両組成のそれぞれの代用。)ため、同年[[9月]]までは20両(およびモ7750形2両)が残っていた。


=== 内装 ===
[[鉄道車両の座席|座席]]は、[[戸袋]]部のロングシートと車掌台の補助席を除きすべて[[鉄道車両の座席|転換クロスシート]]である。座席本体は7次車から寸法や掴み手の形状が変更されている<ref>座席のメーカーが変わったため。掴み手が角形で、座面が高いため背もたれが低く感じられる。7700系の原型座席も同じである。7000系8次車のみは掴み手が大径の丸形に、背もたれが高くなり改善された。</ref>。座席の枕カバーは当初[[ビニール]]製であったが、1982年以降特急仕様車(白帯車)ではセパレートの布製が、一般車でも本系列と7500系・7700系にのみ白色の[[合成繊維]]製が装着されている。なお、1986年以降に白帯車仕様であった車両は一般車格下げ後にビニール製に交換された。この改装時に交換された座席のままモケットだけ赤(7021F・7031Fのソファ風ロングシートのみ)や紫系に張り替えた車両もあった。
{{Triple image aside|right|Meitetsu 7000 Series EMU 024.JPG|160|Meitetsu 7000 Series EMU 021.JPG|160|Meitetsu 7000 Series EMU 025.JPG|70|車掌台付近と貫通路|室内からみた展望席。隅柱が露出している|車掌台に設けられた折りたたみ座席}}
室内の配色については、落ち着いて気品に満ちた色彩とすることを図った<ref name="rf1-43"/>。側壁は窓より上はペールグレー<ref name="rf1-43"/>、窓より下はグレーのフロスト柄とし<ref name="rf1-43"/>、床の色はグレーで天井をホワイトとした<ref name="rf1-43"/>。座席のモケットは灰緑色で、名鉄では「ピーターパン・ブルー」と称している<ref name="rf1-43"/>。


連続窓構造のため、客室内には鋼柱が露出している<ref name="rj459-117"/>が、ここに横引式のカーテンをおくことで窓柱を目立たなくした<ref name="rp120-28"/>。カーテンはベージュ色を基調とした。座席は[[鉄道車両の座席#転換式クロスシート(転換腰掛)|転換式クロスシート]]をシートピッチ900mmで配置した<ref name="rp812-44"/>。ただし戸袋窓部分のみ[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]としている。
登場時のインテリアカラーは、化粧板がクリスタル柄の淡灰色、座席モケットが灰緑色(オリーブグリーン)、カーテンが濃黄色(ゴールドもしくは山吹色)であったが、その後座席の色は7700系登場後赤色に(8・9次車は当初から赤色<ref>ただし、9次車の中には組み込まれた編成の他車に合わせて一時的に灰緑色モケットや鋳鉄制輪子に仕様変更された車両もあった。</ref>)、さらに1200系登場後これと同じ紫系に変わった。カーテンについては幾度となく変更され、晩年には白帯車と一般仕様車で異なるものが使用されていた。各面が異なる配色の同一カーテンを表裏逆にして使い分けていた時期もある(7011Fの画像を参照)。


車両間の貫通路は1,200mm幅の両開き扉とした<ref name="rp812-43"/>。
特別整備を受けた一般仕様車の化粧板は同じクリスタル柄であるが、青灰色となった。また、[[1986年]](昭和61年)以降の白帯車に限っては化粧板をクリーム色に張り替え、座席や荷棚、照明カバーも交換され、展望室にはデジタル速度計が5700系と同型の赤色LEDを用いた[[7セグメントディスプレイ]]となって復活した(7700系は座席交換のみ)。白帯時代の座席モケットは着席部が橙色、周囲が濃茶色のツートンであった。また、1982年改装分も含めて床面中央にカーペット調の敷き物が施されている。本系列で白帯車仕様の設備で残っているものは2007年初頭の時点では4両組成4本が在籍していたが、同年[[4月]]の[[名鉄3300系電車 (3代)#3150系|3150系2次車]]就役に伴って3編成が廃車され、以降は7011Fを残すのみとなった。また、2008年[[10月19日]]からは同編成に白帯が施され、9年ぶりに白帯編成が復活し、[[2009年]](平成21年)[[8月30日]]の最終運行日に至るまで白帯を復活した姿で運用された。


モ7000形の連結面には車掌台を設けた<ref name="rp120-23"/>が、使用していないときには客室として使用する<ref name="rp120-23-24"/>ように、[[鉄道車両の座席#収容式座席|折りたたみ座席]]を設けた<ref name="dj290-19"/>。客室と車掌台の仕切り壁は設けられていない<ref name="rm102-26"/>。また、モ7150形の車端部には工場内での入換用に簡易運転台を設けた<ref name="rp812-43"/>。
本系列を含めた5200系から7700系、8800系(登場時)までの名鉄の2扉オールM高性能車は、豊橋方の[[電動発電機]]・[[圧縮機|空気圧縮機]]搭載車と岐阜方の[[集電装置|パンタグラフ]]・主制御器搭載車の2両で1ユニットを組み、車番の末尾を前者は奇数、後者は偶数としている。従って、編成を特定する場合は必ず奇数の車番で表すことになる。例えば、再び白帯を巻いて最後まで残った編成は7011編成もしくは7011Fと呼ぶ(Fはformationの略)。
<gallery>
ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 031.JPG|元白帯車・室内<br />展望室<br />窓上の速度計はLEDに変更
ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 033.JPG|元白帯車・室内<br />特急仕様時代のままの座席
ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 034.JPG|元白帯車・室内<br />仕切りが追加された車掌台
ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 035.JPG|元白帯車・室内<br />車掌台
</gallery>
(以上はモ7012・2008年7月撮影)
{{-}}


==== 警笛 ====
=== 主要機器 ===
主要機器については5500系を基本とし、若干の変更を加えたものとした<ref name="rp120-24"/>。
[[警笛]]においては、通常の空気式に加えてその補助として[[トランジスタ]]式のトランジスタホーン(今で言う電子警笛)を装備している。3音階で製作された音楽を奏でる[[警笛#鉄道車両|ミュージックホーン]](音楽ホーン)と3音同時吹奏による電気笛(電笛)である。このミュージックホーンは営業初日まで車両開発の関係部署以外役員にさえその存在を知らせない徹底した極秘プロジェクトとして企画され、発車式にて初めてミュージックホーンが披露された。なお、空気笛も音が最後で切れる独特のタイプとなっている。


====電装品====
このミュージックホーンは、本系列の後継特急車となる1000系や[[名鉄1600系電車|1600系→1700系]]はもとより、[[中部国際空港]]の連絡特急用として[[2004年]](平成16年)に新製された[[名鉄2000系電車|2000系]]・[[名鉄2200系電車|2200系]]などにも受け継がれ、[[名鉄特急]]には欠くべからざる存在として、鉄道ファンや利用者からも親しまれている。また、[[中京競馬場]]で開催される[[名鉄杯]]の[[ファンファーレ]]にもこのメロディの一部を使っている。
[[主制御器|制御装置]]は、5500系では[[ゼネラル・エレクトリック]]と[[東芝|東京芝浦電気(東芝)]]の技術提携によってMCM形パッケージ型制御装置が採用されていた<ref name="rf525-136"/>。これは、5500系が全車電動車であることから、床下に冷房用電源の搭載スペースを捻出するために採用されていた<ref name="1985-ys-33"/>もので、7000系も全車電動車であることから、同様の理由で採用することになった。7000系で採用されたのは東芝のMC-11C形で<ref name="rp120-22"/>、制御器1台で8基の電動機の制御を行う方式 (1C8M) <ref name="1985-ys-158"/>の多段電動カム軸式パッケージ型制御装置である<ref name="rp120-22"/>。制御段数は、直列・並列とも17段、弱め界磁4段で、直列段と並列段は主幹制御器で指定する方式である<ref name="rp812-44"/>。


[[主電動機]]については、東洋電機製造の補償巻線付直流[[直巻整流子電動機]]であるTDK-825/1-A形が採用されている<ref name="1985-ys-168"/>が、これは5500系で採用されたTDK-825A形とほぼ同型で、出力は5500系の主電動機と同じ75[[ワット (単位)|kW]]である<ref name="rp812-44"/><ref name="1985-ys-171"/>。また、駆動方式も5500系と同様の[[中空軸平行カルダン駆動方式]]<ref name="1985-ys-169"/><ref name="1985-ys-171"/>で、[[歯車比|歯数比]]の78:16=4.875という設定も5500系と同様である<ref name="1985-ys-169"/><ref name="1985-ys-171"/>。
電気笛(電笛)は元来ミュージックホーンと組み合わせて吹鳴されることが多く、駅を発車する際は『電笛→ミュージックホーン』の順、駅到着時には『ミュージックホーン→電笛』の順で吹鳴されていた。晩年には電笛単体(またはミュージックホーン単体)で吹鳴されることが多くなり、ミュージックホーンと組み合わせて吹鳴する運転士が少なくなっていった<ref>電笛・ミュージックホーンとも吹鳴は各運転士の裁量に任されており、騒音問題などにより一部区間に限って吹鳴を禁止する箇所がある程度であった(吹鳴を要請・推奨する箇所は時代に応じて設定されていた)。</ref>。


[[鉄道のブレーキ|制動装置(ブレーキ)]]については、5000系以降の高性能車で採用実績のある<ref name="1985-ys-159"/>[[発電ブレーキ]]併用のHSC-D形[[電磁直通ブレーキ]]が採用された<ref name="rp120-22"/>。
==== 車体塗色 ====
鮮やかな[[名鉄スカーレット|スカーレット]]一色の塗装は[[画家]][[杉本健吉]]の進言によるとされる。第一案では濃緑、第二案でスカーレットが示された<ref>杉本氏は『濃緑』案を推奨され、第二案の『スカーレット』は担当社員(当時)の原案を聞き入れての提案であったとも言われている。</ref>。当時では本系列のみが身に纏っていたスカーレット塗装も1968年頃より高性能車(優等列車)の基本色となり、以降の新製(更新)車両を始め、既存車両もその強烈な個性にあやかるかのように[[1970年代]]後半から順次スカーレット一色へと塗り替えられ、現在の「赤い電車=名鉄」とのイメージが定着するきっかけとなった。


====台車====
前述の『白帯車』では車体腰板部に250mmの白帯を巻き、前面は独特の『逆さ富士(小富士)』を回り込むような塗装がされていた。登場当初は白色の塩化ビニール製テープ(現在のラッピングトレインと同じ工法)を貼付して対応したが、後に通常の焼付け塗装(2色塗り)へ変更されている。最晩年に実現した7011Fを使用した白帯復活運転の際にも当初の「塩ビテープ巻き工法」が再登場した。
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 008.JPG|thumb|名鉄では初の空気バネ台車となったFS335形]]
[[鉄道車両の台車|台車]]は、[[住友金属工業]]製のペデスタル式[[空気バネ]]台車であるFS335形台車が採用されたが、乗り心地向上のほか、荷重に対する車体高さの均一化を図る目的で<ref name="rp812-44"/>、ベローズ形空気バネは車体直結式となった<ref name="rp812-44"/>。また、これは名鉄では初の空気バネ台車採用となった<ref name="1985-ys-157"/>。


この台車の採用に先立ち、1960年に5000系モ5003で先行試作台車による試験が行われている<ref name="rp812-45"/>。なお、試作台車は量産化改造の上、モ7006に使用されている<ref name="rp812-45"/>。
なお、時代によってスカーレット(赤)の色合いに差があり、本系列の登場時は現在の色合いに近いと言われているが、1970年代は全体的に濃いめ(暗め)の色合いが採用され、また既存車両の塗り替えでは車両(塗り替え時期など)により多少の明暗が存在していた(経年による退色・色焼けなどの差も今日より大きかった)。[[塗料]]の進化や塗装工程の自動化などにより、現在では明るいスカーレットを基本として車両間の誤差(色合いの違い)は解消されている。


====運転室====
また、先頭車前面の油圧ダンパー(緩衝器)頭部とスカート([[排障器]])は登場時より乳白色で塗装されていたが、[[2000年]](平成12年)頃より6500系初期車の前面上部と同色のグレーに変更されている。
[[運転士]]が乗務する[[操縦席|乗務員室(運転室)]]は2階に上げた構造とした<ref name="rp120-22"/>。土川が気に入ったイタリアの「セッテベッロ」では客室内に運転室への[[階段]]を設けていたが、それより後ろの客室からは前方風景は見えなかった<ref name="2013-ft-68"/>。しかし、7000系のコンセプトは「すべての人が前を見られる」ことだった<ref name="2013-ft-64"/>。これを解決するため、運転室への出入りは車体側面にステップを設けることによって、客室内への張り出しをなくした<ref name="2013-ft-68"/>。これによって、客室の中央部からでも前面展望を楽しむことが可能になった<ref name="rf525-137"/>。車外ステップには夜間の昇降用に階段灯を内蔵した<ref name="rf1-47"/>。なお、非常用として客室内への昇降口を設け、折り畳み[[梯子]]を備えた<ref name="colotan139"/>。運転席の左右斜め後方には窓を設けた<ref name="rp816-215"/>、後方には排気ダクトを設けた<ref name="rp816-215"/>。
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2階の運転室は車両限界内に納める必要があるため、当時発売された[[軽自動車]]の[[スバル・360]]を参考にし<ref name="rp812-10-11"/>、運転士からの「運転室が狭いのではないか」という意見についても「スバル360を屋根に載せたと考えてほしい」と説明し納得させた<ref name="2013-ft-68"/>。運転席と助士席には座席を設置し<ref name="rp120-23"/>、その後ろには可搬式の折り畳み椅子を使用して2名程度が座れる程度の広さで<ref name="dj290-29"/>、詰めれば5名まで乗車可能である<ref name="rf1-47"/>。
==== フロントアイ ====
{{右|
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 001.JPG|200px|thumb|right|フロントアイ<br />(2008年4月16日 東岡崎駅)]]
}}
前頭部中央の窓上に斜め下を向いて設置されている、一見スポットライトのようなものは、発車時に車両直前の安全確認を徹底させるための装置で、「フロントアイ」と呼ばれている。


運転席の機器については、[[マスター・コントローラー|主幹制御器]]・ブレーキハンドルとも小型化を図った<ref name="rp120-31"/>。運転席の足元には左側から前照灯の減光・ミュージックホーン・電気笛・空気笛の順に4つのペダルが備わっている<ref name="dj290-29"/>。
当時、名鉄の車両部で勤務していた[[小山義一]]が本部より後述する当時の[[運輸省]]の許可を得るための開発を任され、その努力の末に完成したのがこの「フロントアイ」である。


====警笛====
他の案としては、ミラーを取り付ける案などがあったが、最終的にはシンプルな形で完成した。
7000系の警笛は通常の空気笛のほかに、補助警報音として電子音楽を流すミュージックホーンを装備した<ref name="2013-ft-82"/>。このミュージックホーンは計画段階では公表されておらず<ref name="2013-ft-82"/>、後述する展示会において初めて公表された<ref name="2013-ft-82"/>。


このミュージックホーンは[[トランジスタ]]を用いた回路を使用して発振音を生成し、増幅器を通してスピーカーで前方に音を流す仕組みで<ref name="rp816-231"/>、すでに補助警報音を装備していた[[小田急3000形電車 (初代)|小田急SE車]]のテープ式と異なり、保守に手数を要さない点が特徴である<ref name="rp120-25"/>。登場当初は300Hz{{refnest|group="注釈"|name="ソ"|イ長調の「ソ」の音に近い音<ref name="rp816-231"/>。}}・450Hz{{refnest|group="注釈"|name="ド"|イ長調の「ド」の音に近い音<ref name="rp816-231"/>。}}・600Hz{{refnest|group="注釈"|name="ミ"|イ長調の「ミ」の音に近い音<ref name="rp816-231"/>。}}の3音階を用いており<ref name="rp816-231"/>、1963年ごろには330Hz<ref group="注釈" name="ソ"/>・440Hz<ref group="注釈" name="ド"/>・555Hz<ref group="注釈" name="ミ"/>の3音階とされた。また、[[ビブラート]]のための変調周波数は6Hzと指定された<ref name="rp816-231"/>。運転士足元にある4つのペダルのうち、左から2番目のペダルを踏むことで鳴動を開始し、もう一度踏むと停止する<ref name="rp816-231"/>。
広角凸レンズを用いて運転席から車両直前の10mにも及ぶ死角が見えるようになっている。当時、特に支線では停止位置の直前が構内[[踏切]]という箇所が多かったための安全対策である。また、[[犬山橋]]は自動車や歩行者と並走するため運転室が2階にあることで死角ができ、当時の運輸省から許可がおりなかったためでもある。この装置は3次車から採用され、後に従前車にも設置された。ちなみに、運転席からフロントアイを覗くと天地が逆さに見える。


また、このミュージックホーンの回路を利用した電気笛も装備した<ref name="rp816-232"/>。これはミュージックホーンで使用している3音を[[和音]]として同時に鳴動させるもので<ref name="rp816-232"/>、運転士足元にある4つのペダルのうち、右から2番目のペダルを踏むことで鳴動を開始し、もう一度踏むと停止する<ref name="rp816-232"/>。
レンズは、[[新城市]]内の[[望遠鏡]]メーカーが製造した。
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==== 旋回式標識灯 ====
====その他機器====
冷房装置は、5500系で採用実績のある東芝TAC-153形の改良型で、4,500[[カロリー|kcal/h]]の能力を有するTAC-15形を、先頭車に6基・中間車には8基搭載した<ref name="rp120-22"/>ほか、展望室には床置き形で4,500[[カロリー|kcal/h]]の能力を有するTAC-18形を2基搭載した<ref name="rp120-22"/>。これらの冷房は乗務員室から1つのスイッチで一斉操作できるようにした<ref name="rp120-24"/>。
[[ファイル:Meitetsu 7000 Revolving light.jpg|thumb|150px|赤色フィルターが回転しているところ]]
上下に4灯ある[[前照灯]]のうち油圧式ダンパと一体になった窓下の2灯は、列車後尾となった時は赤色のフィルターを掛けて[[尾灯]]となる。さらに、この2灯は運転障害で不時停止した際などに前照灯・尾灯いずれの状態でも光源を旋回させることによって、他の列車に緊急事態を知らせる機能を持っている。
{{-}}


補助電源装置は、出力60kVAのCLG-326-D形電動発電機を装備した<ref name="rp120-22"/>。固定窓のため冷房停止は致命的な障害となるため、信頼性の向上に注力した<ref name="rp120-24"/>。電動空気圧縮機はD-3-FR形を採用した<ref name="rp120-22"/>。
==== 空気バネ台車 ====
{{vertical images list
|1=Meitetsu 7000 Series EMU 008.JPG
|2=FS335形台車<br />(ベローズ式モ7162)
|3=Meitetsu 7000 Series EMU 009.JPG
|4=FS335形台車<br />(改造ダイヤフラム式モ7011)
}}
名鉄の車両で初めて[[空気バネ]]台車を本格的に採用した。当時はまだ珍しかった車体直結式(ダイレクトマウント)空気バネで、1・2次車がベローズ式 (FS-335) 、3 - 7次車がダイヤフラム式 (FS-335B) となった他、後に2次車の一部がダイヤフラム式に改造された。改造された台車はばね座の車体外側への張り出しが大きい。設計年次の新しい7500系の台車は当初からダイヤフラム式 (FS-335A) である。


連結器は、先頭部分が小型の自動連結器<ref name="rm102-27"/>、編成中間は棒連結器である<ref name="rp120-21"/>。
以上は軸箱支持がペデスタル式であるが、7000系の8・9次車のみは先に7700系で採用されたS型ミンデン式 (FS-384) に変更されている。後年、8800系に流用されたのはこのS型ミンデン式台車である。但し、同系列は7000系中間車の初期製造分を廃車して主要機器を流用しているため、7000系後期車および7700系との間で台車の振り替えを行っている。


=== 増備途上での変更点 ===
7062廃車→FS335→7713→FS384→8801
;1962年5月製造(2次車):6両編成が4本増備された<ref name="rp812-29"/>。運転台前面窓の寸法拡大により、窓の寸法と形状が一部変更された<ref name="rm102-27"/>ほか、排障器の形状変更が行われた<ref name="rm102-27"/>。また、車側灯は1灯式から2灯式に変更され<ref name="rp812-29"/>、制御装置がMC-11D形に変更された<ref name="rp812-29"/>。車内では展望席の座席の位置が変更となり、最前部座席と冷房装置との間隔が500mmから600mmに変更された<ref name="rp812-29"/>ほか、展望席付近に速度計が装備された<ref name="2009-kt-98"/>。また、このときの増備車からは前面に「逆富士形」と呼ばれる行き先表示板が設けられた<ref name="rm102-27"/>。
;1967年3月製造(3次車):4両編成が登場、5本が増備された<ref name="1985-ys-116"/>。車体構造が一部変更され、窓柱などに変化がある<ref name="rp812-29"/>。運転室の窓配置は7500系に準じた使用に変更され<ref name="rp812-45"/>、運転室側面に排気口が設けられ<ref name="rp812-29"/>、運転室後方の窓が隅に2箇所から背面に1箇所に変更された<ref name="rm102-27"/>。電装品についても、制御装置がMC-11E形に変更され、制御段数も直列・並列とも13段に変更された<ref name="rp812-45"/>ほか、冷房装置がRPU-1504形に変更され<ref name="1985-ys-116"/>、台車がダイヤフラム式空気バネを使用したFS335B形に変更された<ref name="rm102-28"/>。また、このときの増備車から前頭部にフロントアイと称する広角凸レンズの機器が設置され<ref name="rp812-45"/>、正面に連結対応準備工事が施された<ref name="rp812-31"/>。
;1968年10月製造(4次車):既存の編成を組成変更して4両編成を増加させるための増備で<ref name="rm102-28"/>、先頭車のみ4両が製造された<ref name="1985-ys-116"/>。車内のロングシート部分に[[つり革]]が設けられた<ref name="rp812-49"/>。
;1969年4月製造(5次車):4両編成が2本増備された<ref name="1985-ys-117"/>。側面に電照式の座席指定表示器が設けられ、各車両に号車番号札差しが設けられた<ref name="rm102-28"/>。
;1970年4月製造(6次車):4両編成を増加させるために<ref name="1985-ys-117"/>、先頭車のみ6両が製造された<ref name="rm102-28"/>。主電動機がTDK825/2-A形に変更された<ref name="rp812-30"/>。
;1971年7月製造(7次車):4両編成3本が増備された<ref name="1985-ys-117"/>。この時の増備車から冷房装置が8,500[[カロリー|kcal/h]]の能力を有するRPU-2208形に変更され<ref name="rp812-31"/>、先頭車に3台・中間車に4台が搭載された<ref name="rm102-28"/>。また、展望室部分のみシートピッチを880mmに変更し、最前部座席と冷房装置との間隔が600mmから660mmに変更された<ref name="rp812-50"/>。
[[ファイル:Meitetsu 7700 series 006.JPG|thumb|FS384形台車]]
;1973年4月製造(7700系):2両編成と4両編成が4本ずつ増備された<ref name="1985-ys-124"/>。展望席がなく、前面が貫通形になったのが特徴で、先頭車連結面側の車掌台もない<ref name="1985-ys-124"/>。機器と性能は7000系とまったく同じであるが<ref name="1985-ys-124"/>、台車がS形ミンデン式のFS384に変更され<ref name="rp812-35"/>、制御装置はMC11-E1M形とMC11-E2M形が採用された<ref name="rp812-35"/>。室内では座席のモケットの色がスカーレットに変更された<ref name="rp812-35"/>。
;1974年6月製造(8次車):6両編成が2本増備された<ref name="1985-ys-117"/>。台車は7700系と同様のFS384に変更され<ref name="rp812-31"/>、座席のモケットの色も7700系と同様にスカーレットに変更された<ref name="rp812-31"/>。また、当初より正面に電動式の行先・種別表示器が設けられた<ref name="rm102-29"/>。簡易運転台の必要はなくなっていたため、モ7150形は製造されていない。
;1975年7月製造(9次車):一部の4両編成を6両編成化するため<ref name="1985-ys-118"/>、中間車のみ12両が製造された<ref name="rm102-29"/>。ラッシュ時対策として側面扉を幅1,200mmの両開き扉とした<ref name="rp812-31"/>ほか、扉両脇をロングシートとした<ref name="rm102-29"/>。クロスシート部分は座席定員確保のためシートピッチが840mmに縮小されている<ref name="rp812-31"/>。車両番号は7100番台となったが、形式はモ7050形のままである<ref name="rp812-51"/>。


== 沿革 ==
7161廃車→FS335→7714→FS384→8802
=== 運行開始 ===
1961年4月22日、完成した7000系パノラマカーの最初の編成が[[神宮前駅]]で報道公開された<ref name="rp120-26"/>。この時は報道関係者が撮影のために本線上に脚立を立て<ref name="rp120-26"/>{{refnest|group="注釈"|[[#白井1|鉄道ファン創刊号のp.37]]でも、同年5月6日に行われた報道関係発表会で、本線上に脚立を立てて撮影している姿が確認できる。当時はこのような撮影も列車運行の支障にならない限り、特に問題にならなかった。}}、運転台には6人も入り込む騒ぎであった<ref name="rp120-26"/>。名鉄でも積極的に試乗会などを行い、運行開始までに20,000kmほど走行することになった<ref name="rp120-27"/>。


また、この時期には新しい鉄道趣味雑誌として『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』が創刊されたが、この雑誌の初代編集長には7000系のデザインを担当した萩原が就任し<ref name="2013-ft-86"/>、『鉄道ファン』創刊号の表紙は[[廣田尚敬]]の撮影による7000系の写真であった<ref name="2013-ft-86"/>。
7163廃車→FS335→7105→FS384→8803


同年6月1日、豊橋駅を午前9時4分に発車する特急[[名鉄岐阜駅|新岐阜]]行きから、7000系パノラマカーの営業運行が開始された<ref name="2001-kt-48"/>。同年6月12日にはダイヤ改正が行われ、最高速度は110km/hに引き上げられた<ref name="rp812-12"/>。これによって豊橋と岐阜の間を3時間で往復する運用が可能となり<ref name="rm102-27"/>、日本の私鉄では初めて1日の走行距離が1,000kmを超える運用も登場した<ref name="rm102-27"/>。運行開始後のパノラマカーは人気を集め<ref name="2001-kt-49"/>、特急の始発駅である豊橋駅と新岐阜駅では、展望席の最前列に着席するために数時間も前から待つ光景も見られた<ref name="2001-kt-49"/>。
7064廃車→FS335→7106→FS384→8804


これとあわせて、宣伝用の短編映画『ぼくらの特急』の撮影も行われた<ref name="2013-ft-83"/>{{refnest|group="注釈"|この当時はテレビも一般家庭には普及しておらず、映画館で上映する方が媒体力があった<ref name="2013-ft-85"/>。}}。この映画の撮影のために、1961年9月には機能試験も兼ねて10両編成での運転が行われた<ref name="2009-kt-97"/>。また、複線の線路上で、撮影用電車と7000系を同じ方向に走らせ<ref name="2013-ft-83-84"/>、7000系が追い上げてくるシーンの撮影も行われた<ref name="2013-ft-84"/>{{refnest|group="注釈"|この撮影方法は、[[フランス]]の[[TGV]]ではよく使用される方法である<ref name="rj562-56-57"/>。}}。国鉄の特急「こだま」を並行区間で追い越すシーンを撮影しようとした<ref name="2013-ft-84"/>が、この時は注意信号が出ていて減速せざるを得ず、これは失敗であった<ref name="2013-ft-85"/>。また、「パノラマカーは沿線住民の通勤の足に使われてこそ価値がある」という思想を反映し、展望室でスーツ姿で新聞を読む乗客や、立っている乗客も映された<ref name="2013-ft-85"/>。
7151廃車→FS335→7085→FS384→8805


=== ダンプカーとの衝突事故 ===
7052廃車→FS335→7088→FS384→8806
このように好評をもって迎えられた7000系パノラマカーであったが、踏切事故に対する開発関係者の懸念は残っていた<ref name="2013-ft-87"/>。考えられる対策はすべて採り<ref name="2013-ft-87"/>、名鉄では「10トンのダンプカーが80キロのスピードでぶつかっても大丈夫」とした<ref name="rp120-31"/>ものの、本来はこうした機能は使われない方が望ましいものであった<ref name="2009-kt-97"/>。


運行開始から半年ほど経過した1961年11月29日、名古屋本線の[[木曽川堤駅]]付近を特急新岐阜行きとして85km/hで走っていたパノラマカーの前に<ref name="2013-ft-87"/>、砂利を満載した大型ダンプカーが踏切警報を無視して入り込んできた<ref name="rp812-15"/><ref name="2009-kt-98"/>。運転士はすぐに非常ブレーキを操作したが衝突し<ref name="rj275-142"/>、ダンプカーは40mも引きずられ<ref name="2009-kt-98"/>、パノラマカーは286mも走った木曽川橋梁の中央部付近で停止した<ref name="2013-ft-87"/>。
7153廃車→FS335→7089→FS384→8807


しかし、負傷者は乗客8名が軽傷を負っただけで<ref name="2013-ft-87"/><ref name="2009-kt-98"/>、しかもそれはダンプカーが側面にぶつかった際に側面ガラスが割れ、その破片が当たったものであった<ref name="2013-ft-88"/>。展望席のガラスはひびが入った程度で<ref name="rp812-15"/><ref name="2009-kt-98"/>、展望席に座っていた乗客は無傷だった<ref name="2013-ft-88"/>。その後の調査と分析で、車体は完全に原形をとどめており、衝突事故防止の対策はすべて設計どおりに機能していることが明らかになった<ref name="2013-ft-88"/>。
7054廃車→FS335→7092→FS384→8808
{{-}}


この事故は「ダンプカーキラー」「ダンプキラー」と報道され、パノラマカーの安全性は立証された<ref name="2013-ft-88"/>。
==== 連続固定窓 ====
前面のみならず、側面もパノラマカーの名に相応しく、[[日本板硝子]]の協力を得て開発された最大180cm×85cmの[[ガラス]]構成によるヒドゥンピラー式の連続固定窓である。扉と窓の配置は、展望室・車掌台部分を除き5500系までの2連2段窓が固定1枚ガラスに変わったものと見て良い。当初は金属枠支持の[[複層ガラス]]であったが、曇り防止のため7次車からHゴム支持の[[合わせガラス]]に変更された。後に6次車以前もすべて合わせガラスに交換し、特別整備を受けた車両はHゴム支持化も行われている(ただし展望室の窓のみは金属枠支持のままで変更なし)。この窓の形状は、[[名鉄キハ8000系気動車|キハ8000系]]を始めとして6000系初期車や5300系・5700系、また1枚窓ではあるが100系・200系にも採用され、室内の横引きカーテンとともに[[通勤形車両 (鉄道)|通勤車]]に至るまでパノラマカーのイメージが受け継がれている。また、名鉄特急 = 連続窓という伝統は1000系・1200系において一旦途切れたが、1600系(→1700 - 2300系)や2000系・2200系では間柱部分の処理など従前と異なる形状で復活した。
{{-}}


しかし、名鉄の社内では新たな懸念が発生した。当時の名鉄には、車体の一部が木造の半鋼製車どころか、木造車体の車両も残っていた<ref name="rp812-16"/>。「万が一AL車とでも衝突したらと思うとぞっとした」といい<ref name="rp812-16"/>、その後[[自動列車停止装置]] (ATS) が整備されるまでは、列車同士の事故が起きた際に、7000系が絡んでいないと分かると安堵したという<ref name="rp812-16"/>。
==== その他 ====
本系列は15年間にわたって製造され、さらに特別整備や特急仕様化改装を受けた車両もあるため、台車、冷房装置、側窓支持方式、前頭表示板、座席などの変化の組み合わせにより、実にバラエティに富んでいる。外観で最も変化の判りやすい冷房装置は、1・2次車が5500系の量産版である[[分散式冷房装置|分散式]] (TAC-15T2、4500kcal/h) 、3 - 6次車が能力は同じでポンプレス型と呼ばれるタイプ(RPU-1504)<ref>1965年にキハ8000系で初採用され、翌1966年には3780系に搭載。以降本系列と7500系の3次車以降に搭載される。室内が当時では珍しい平天井となるタイプであった。装置の詳細は3780系を参照。また、室外機はキハ8000系のみ連続形カバーで、他は個別カバーとなる。いずれもカバーの側面開口部グリルの向きや密度が左右で異なるという特徴がある。横桟側は阪急のRPU-2202型を小振りにしたような外観である。</ref>、7 - 9次車が[[集約分散式冷房装置|集約分散式]] (RPU-2208、8500kcal/h) <ref>天井中央に[[新幹線0系電車|新幹線0系]]と同様のダクトが張り出し、床面からダクト下面までの高さは2100mmと低い。また、補助送風機がなく吹き出し口が直下を向いた8ヶ所(本系列先頭車は6ヶ所)のみのため、冷房の効きムラが目立つ。</ref>として台数を半減した。なお、先頭車は展望室の床置集中式冷房装置が6000kcal/h×2と、屋上搭載が4500kcal/h×6または8500kcal/h×3である。展望室の冷気対流ファンも、3次車より押し出し式から吸い込み式に変更されている。ブレーキの制輪子は7次車から[[合成樹脂|レジン]][[制輪子|シュー]]に変更され、従前車も特別整備の際などにレジン化されたが、中には比較的後年まで[[鋳鉄]]シューのまま残った編成もあった(7015F・7021F・7023F・7027F・7029F・7031F。そのため廃車の時期も他の車両より早かった。)。


なお、事故のあった7003編成は、その後しばらくは事故で損傷したモ7004・モ7053の代わりに5500系を連結して運用された<ref name="rp812-15"/>。7000系と5500系の性能は同じであり<ref name="2001-kt-50"/>、その後も非常時には同じ方策が採られるようになった<ref name="2001-kt-50"/>。
元来は[[特急形車両|特急用]]であった本系列だが、増備につれて通勤列車に充当される機会が増えたため、4次車(モ7025-7028)からロングシート部分の高い位置に[[つり革]]が4本設置された(後年の特別整備車では低くなり3本)<ref>一度でも白帯車となったことがある車両はいずれも撤去されている(7700系の1990年改装分を除く)。</ref>。さらに1973年暮れのオイルショック以降、[[ラッシュ時]]の混雑が激化していたため、クロスシート2扉車<ref>従来の名鉄の片開き扉は標準的に全幅は1100mmだが、開扉時の手指引き込まれ対策として10cmの引き残しがあり、実質有効幅は1000mmであった。本系列の7次車以降と特別整備施工車では引き残しをなくして改善している。</ref>とロングシート3扉車とで比較実験が行われた。パノラマカーでのラッシュ対策車として1975年に登場したモ7050形7100番台車では扉が両開きとなり、ドア付近のクロスシート4脚分をロングシートに変更した。シートピッチも840mmに詰められている。しかし、実験の結果、3扉車とではラッシュ時の収容力や乗降時間の短さは比べ物にならず、以後、7100番台車に準じた両開き2扉・転換クロスシートの5700系・5300系(1986年)を唯一の例外として、一般車は3扉車の時代へと入って行く。後に1984年、先の7100番台車のうちの2両が先頭車に改造されて[[#7100系電車|7100系]]となった。なお、モ7050形7100番台車の転換クロスシートは前年にAL車・HL車の扉付近から撤去された流用品で、肘掛けの形状など5500系のものとほぼ同型である。
{{右|
[[ファイル:Meitetsu7000Coupling.JPG|thumb|right|200px|2008年6月28日まで存在していた7000系P4同士の連結<br />(2006年8月29日 新鵜沼駅)]]
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 005.JPG|thumb|right|200px|連結に備えた4両組成の前部。油圧ダンパー頭部の突き出し量もわかる。(モ7041、2008年4月16日 東岡崎駅)]]
}}
[[1990年]](平成2年)に7700系の中間車を編入して以来、6両組成の中でも自動解結装置・電気連結器の有無によって連結運転が可能な車両と不可能な車両があり、内部的には前者(モ7750形組み込み)を「SR6」(5700系6両編成と共通運用)、後者(モ7050形7100番台組み込み)を「P6」(7500系と共通運用)と呼んで明確に区別していたが、[[2005年]](平成17年)1月改正以降は連結運用が消滅したため、両者は共通運用となった(「P・NSR」運用。5700系6両組成2本も含み、7500系についてはこの時に置き換えを前提として別運用となった。)。しかし、その6両組成は順次廃車が進み、2008年9月までに5700系6両組成の代用として7007Fのみが残されていたが、同月[[9月14日|14日]]の[[さよなら運転]]をもって運用を離脱し、その後廃車となった。なお、4両組成はすべて連結運転が可能だったため、「P4」と略称された。


また、モ7004には事故復旧時に試験的に光電管式の速度計を客室内に設置した<ref name="2009-kt-99"/>が、この速度表示が好評だったことから<ref name="2009-kt-98"/>、その後の増備車では速度計を装備することになった<ref name="2009-kt-98"/>。
同年[[12月26日]]まで定期ダイヤとして残ってきた4両組成 (P4) は普通の運用が中心であった。しかし、平日の朝に5700系・5300系4両組成を連結した8両編成での運用が存在しており(美合発急行新鵜沼行と折り返しの新鵜沼発準急内海行〈名鉄名古屋から急行。7000系は太田川で分離後常滑行普通として運転。〉)、土曜・休日の朝にはP4+SRs(7700系または7100系2両)という編成も時々見られていた(下りの普通犬山行1本のみ〈鳴海までは7000系4両単独〉)他、5300系・5700系4両編成の代走で早朝の[[名鉄一宮駅|名鉄一宮]]発[[中部国際空港駅|中部国際空港]]行全車一般席特急の運用に就いたこともあった。また、6両固定編成 (P・NSR) には[[準急列車|準急]]・[[急行列車|急行]]・[[快速急行]]の運用が若干あったが、6月29日のダイヤ改正で6両固定編成の定期運用は消滅し、7007Fのみは5700系6両組成の予備車として不定期ながら使用されていたものの、9月14日のさよなら運転をもって運用を離脱した。[[名鉄西尾線|西尾線]]には1999年の特急運用からの撤退以降ほとんど入線していなかった。また、[[名鉄竹鼻線|竹鼻]]・[[名鉄羽島線|羽島]]両線には建設限界の関係上で規制され、[[名鉄豊田線|豊田線]]にはそもそも地下鉄への直通路線という位置付けのため、それぞれ入線したことがなかった。[[名鉄築港線|築港線]]にもホーム長さの関係から廃車時を除いて入線せず、[[名鉄小牧線|小牧線]]にも入線しなかった(ATCが導入されている地下区間には入線不可)。しかし、西尾線と津島線には2008年[[8月9日]]に快速急行「三河湾 吉良吉田」号などで快速急行(佐屋 - 吉良吉田間)の一部列車に7011Fが使用された。また、各務原・広見両線には同月[[8月30日|30日]]に特急「日本ライン 新可児」号として、尾西線には[[11月16日]]に「いちょう号」として[[森上駅]]まで、豊川線には[[12月6日]]に「いなり号」として入線しているが、いずれも同編成が使用された。


=== ブルーリボン賞受賞 ===
方向幕は7037F(試験当時は72コマだったが後に撤去)での試験を経て一部編成に設置された。コマ数は特急仕様車両(最後まで残った車両では7011F)では15コマ、一般車両では50コマ(最近まで現役だった車両では7001F。三河線の駅などが少ない他、八百津や古見など使用することのないコマが入っていた)であり、6000系や3500系などで見られる標準の60コマより少なかった。また、白帯特急用の15コマは英字付きに更新されておらず(白帯解除後に従来の緑幕から青幕に変更されている)、「岐阜」や「豊橋」などの他に使用することが皆無な「日本ライン」や「三河湾」といったコマも入っていた。特急に用いられた当初、この15コマの方向幕は行先を表すものではなく列車名を表すものだったためである(後に豊明や金山などが追加され、行先としても使われている)。そのため、表示できない行先(豊川稲荷、吉良吉田など)のために行先板を用いることもあった。一般車両の種別幕にはかつて座席指定や座席特急と書かれたコマも入っていたが、こちらは7045Fを最後に消滅した。また、同編成は方向幕も特殊表示となっており、「岐阜(犬山経由)」など駅名の略表示や「広見(名古屋経由)」などといった他の車両では見られないコマも見られた。方向幕を装備していない車両で行先を表す場合、近年は系統板を使わず、シールを貼付して表示することがあった(盗難防止やブック式で通常使わないコマを隠すなどが理由。この場合、東岡崎は岡崎と表示される。)。まれに臨時列車などにおいてチョーク書きで行き先を表示したこともあった。白帯車登場前は、座席指定特急には黄色い方向板(当時は列車名を表示)が使われ、白帯車が特急として使われた時は緑色の方向板が使われていた。方向幕のない車両の場合、種別は普通や回送の時は無表示であるが、急行や準急として使われる場合は青地に黄文字で表す(漢字1文字のみで「急」「準」と表示。高速や快速急行〈2005年以降〉の場合は2文字表示のシールが使われていた。)。また、晩年は見られなくなっていたが、特急を表す時は白帯車では灰色地に赤文字、一般車では青地に赤文字で「特」と表示していた。
[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 046.JPG|thumb|先頭車の前面に設けられた方向板]]
1962年には、7000系は[[鉄道友の会]]より[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞した<ref name="BL88-80"/>。白井が受賞式典のために名鉄の社内に根回しを行った際には、「どこの馬の骨か」という反応ばかりであった<ref name="2013-ft-89"/>が、[[摂家|五摂家]]の一つだった[[鷹司家]]の27代目当主[[鷹司平通]]が鉄道友の会の世話役を務めていると分かると、社内の反応は一気に好転したという<ref name="2013-ft-89"/>。同年5月26日の受賞式典において運行された「ブルーリボン賞受賞記念列車」には、白井のデザインによるヘッドマークがつけられた<ref name="2013-ft-89"/>。


この年の6月25日のダイヤ改正からは増備車(2次車)が運用に入れられたが、このときから運用範囲に[[名鉄犬山線|犬山線]]が加わったほか、名古屋本線でも急行などに使用されることになった<ref name="2001-kt-49"/>。このため、乗り間違いを防ぐために先頭車の前面に方向板が設けられた<ref name="2001-kt-49"/>。この方向板は、ブルーリボン賞受賞記念列車のヘッドマークのデザインがそのまま採用された<ref name="2013-ft-89"/>。
5次車以降の側面には、6000系などの側面方向幕のような形をした枠があった。これは座席指定表示灯(8・9次車は[[デジタル数字]]で号車も併記)の跡であり、白帯車登場後に下記のサボを掲出するようになって以降は使用されることは皆無となったため、赤いカバーで覆われていた。しかし、7100系・7700系も含めて完全に埋め込まれたため、晩年は見られなくなっていた。


1963年5月26日には国際かんがい排水委員会のための団体臨時列車が運行されたが、この列車には2両編成に短縮された7000系が運用された<ref name="rp812-17"/>。7000系が2両で営業運行をしたのはこのときだけである<ref name="rp812-17"/>。
4両組成と自動解結装置付き6両組成、および7045Fではドア横にサボ受けが2つずつ上下に並べて設置してあった。特急時代は号車札や特急を表す種別札や指定席車を表すサボなどを差し込んでいたが、近年は使用されていなかった(同編成は併結のできない6両組成であったため、廃車時まで号車札が差し込んであった。)。


=== 支線区への直通 ===
パノラマカーには車内放送を行う際のチャイムが搭載されていた。メロディは現在の1000系・1200系パノラマスーパーと同じだが、それらが4音に対しパノラマカーは3音でありテンポも遅い。(8800系パノラマDXもこれと同じ)基本的に特急運用でなければ使用しなかった。
[[File:Meitetsu 7000 Series EMU 001.JPG|thumb|1967年から設置されるようになったフロントアイ]]
1963年12月に[[名鉄7500系電車|7500系]]が登場し、しばらくは大きな変化はなかったが、社長に就任していた土川から「パノラマカーの特急を支線区へ直通させる」という方針が打ち出された<ref name="2013-ft-91"/>。これに伴い、本線特急には7500系を使用し、支線への直通に7000系が運用されるようになった<ref name="rp812-45"/>が、短い編成が必要となったため<ref name="rp812-45"/>、1967年3月に7000系の4両編成が登場することになった<ref name="rp812-45"/>。しかし、7000系が全車電動車であったため、支線の変電所容量では電力が不足する可能性があった<ref name="2013-ft-92"/>。この問題については2両の動力をカットすることで解決できた<ref name="2001-kt-137"/>が、切り替え操作を避ける目的で<ref name="2001-kt-137"/>、電圧を検知するリレーの設定値に差をつけ、電力不足になった際には2両の動力が自動的に切られるようにするという方策を採った<ref name="2001-kt-137"/>。この時の増備車からは、支線内において車両直前の安全確認を行えるようにするため「フロントアイ」と呼ばれる機器が前頭部に設置された<ref name="2001-kt-50"/>。この「フロントアイ」は広角の凸レンズを使用したもので<ref name="rp812-45"/>、レンズを通して見ると、天地が逆になるものの展望席の直前の様子が分かる<ref name="dj290-32"/>。フロントアイは、これより前に製造された車両にも追設された<ref name="rp812-45"/>。


1967年12月から、6両編成4本を4両編成・8両編成2本ずつへと組成の変更が行われた<ref name="rp812-49"/>。8両編成は名古屋本線の特急8両編成化に対応したものであった<ref name="rp812-49"/>が、7500系の増備に伴い<ref name="rp812-49"/>1968年10月に8両編成は解除され、この年に増備された先頭車4両を加えて6両編成と4両編成に組成変更された<ref name="rp812-49"/>。その後も支線直通用の4両編成の増強は進み、1969年4月には4両編成2本が<ref name="2001-kt-53"/>、1971年4月には4両編成3本が増備された<ref name="2001-kt-54"/>ほか、1970年4月には先頭車のみ6両が製造され<ref name="2001-kt-53"/>、6両編成3本が4両編成6本に組成変更された<ref name="rp812-47"/>。なお、工場の設備が更新され、6両編成でも同時に入場できるようになったことから、モ7150形に設置されていた簡易運転台は1968年9月に撤去された<ref name="rp812-43"/>。
かつて、各駅(瀬戸線を含む)では名鉄のりばを表す[[ピクトグラム]]にパノラマカーのものが使われていた。後にパノラマスーパー(1000系特別車の側面)のものに変更となり、さらに一般的な電車を表すものに変更されている。現在でも変更されずに残っている駅もある。この他、名鉄の踏切周辺に設置された「電車に注意せよ」の看板にもパノラマカーのイラストが使われていた。
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なお、1971年9月3日には犬山線[[下小田井駅]]と[[中小田井駅]]の間にある踏切で、警報機を無視した2.5tトラックと衝突する事故が発生した<ref name="2009-kt-107-108"/>。このトラックの積荷が可燃物のシンナーであったため衝突後に炎上し<ref name="rp812-15"/>、この年に製造されたばかりのモ7040が炎上する事故が発生している<ref name="2009-kt-108"/>。
==== 廃車 ====
1984年と1987年に主要機器を8800系(パノラマDX)に譲受するため、中間車8両が廃車された。このうち冷房装置を[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]用の[[名鉄6000系電車#6600系|6600系]]に転用している。1998年からは編成単位での廃車も始まり、2007年までにほぼ半数の56両が廃車になっている。以後、残存車両も新型車両(3代目3300系・3150系・2代目5000系)に置き換えられて2009年度までに全廃となる予定が明らかにされ、中でも6両組成の運転は2008年[[6月]]までに5700系6両組成の代用である7007Fを除いて終了した。その7007Fも同年9月14日のさよなら運転を最後に運用を離脱し、また、4両組成の運転も同年12月26日をもって終了し、その後イベント用として使用された。それによって本系列の6両組成は消滅した。


[[ファイル:Meitetsu 7700 series 041.JPG|thumb|1973年に登場した7700系]]
なお、廃車の順序は車齢順ではなく検査期限切れ順であり、特別整備が未施工である中・後期車の廃車が早い傾向にあった<ref>例えば、ラストナンバーの7047編成の廃車は2007年だが、トップナンバーの7001Fは2008年11月まで予備車として使用されていた。また、ポンプレス式冷房装置の中期型が最も急ピッチで淘汰され、真っ先に姿を消している。</ref>。特に7001Fはかつて7041Fから引き継いだモ7750形(モ7757 ・モ7758)を2両挟んだSR6組成となっており、正面が電動方向幕、自動解結装置・電気連結器装備に変化しているものの4両が健在であった。2008年に入り、4両組成の7035Fの中間に7001編成の中間に組み込まれていたモ7750形2両を連結して6両組成とし、廃車回送が行われたため、再び4両組成に戻っている。
このように支線への直通が多くなった7000系であったが、[[名鉄三河線|三河線]]と[[名鉄尾西線|尾西線]]には閉塞方式がタブレット閉塞であったため、運転台の高い7000系は入線していなかった<ref name="2001-kt-137"/>。これらの線区に運行されている特急の冷房化率向上のため、1971年10月にはAL車の機器に7000系7次車とほぼ同一仕様で前面貫通型の車体を架装した[[名鉄7300系電車|7300系]]が登場した<ref name="2009-kt-108"/>。さらに、1973年には7300系の高性能車版ともいえる7700系が登場した<ref name="2009-kt-185"/>。7700系は7000系をはじめとして、7500系を除くすべてのSR車との連結が可能な車両で<ref name="rp370-96"/>、2両編成と4両編成が4本ずつ製造され<ref name="1985-ys-124"/>、車両運用の合理化と輸送単位の調整が図られた<ref name="2009-kt-110"/>。


社長の土川はパノラマカーを気に入っており<ref name="2013-ft-94"/>、[[愛知県公安委員会]]の委員長に就任すると、愛知県内の踏切標識を蒸気機関車ではなくパノラマカーに変えてしまった<ref name="2013-ft-94"/>。さすがにこれは苦々しく思われたようで<ref name="2013-ft-94"/>、土川が公安委員長から退任すると標識は元に戻された<ref name="2013-ft-94"/>。
廃車の進行によって、2008年9月時点での本系列は4両組成4本16両(7001F・7011F・7041F・7043F)のみとなっていた。このうちトップナンバーの7001Fが最初に運用を離脱、先頭車2両については[[舞木検査場]]において静態保存し、中間車2両については後に解体された。同時に最終増備車の7050形7100番台も先頭車化改造された7101 - 7104を除き廃車となった。さらに、残りの4両組成3本も同年12月26日をもって基本運用からは離脱したが、2009年8月30日の旅客営業運転終了までの間、7011Fを中心にイベントなどで臨時列車として運用される予定として残された。このうち7041Fと7043F<ref>共に1971年製の7次車で、前者は1982年の白帯車1期生、後者は終生一般車仕様である。</ref><ref>元々は7750形(モ7753 ・モ7754)を中間に組み込んだ6連だったが、4連化の際に先頭車とユニットを組んでいた2両(モ7083 ・モ7084)を廃車したため、7750形を中間車とした4連となった。</ref>は結局本系列の最終期まで特別整備未施工のまま残った<ref>2008年12月改正後は「逆さ富士」を取り外して留置され、イベントなどで稼働することはなかった。</ref>車両であるが、2009年6月から7月にかけて廃車となり、同年8月30日のさよなら運転で使用された7011Fも9月15日に廃車となった<ref>廃車時に「ありがとう パノラマカー 回」と表記された特製系統板が装着された。</ref>。これをもって、パノラマカーの始祖7000系は、登場から48年にして終焉を迎えた。


=== 7500系 ===
=== 通勤混雑の激化 ===
この時期になると、朝夕のラッシュ時の混雑が激しくなり、すでに1967年からは犬山線でも8両編成の列車が走り始めていた<ref name="rp370-95"/>。しかし、名鉄の社内から出た「通勤輸送にまとまった投資を行い、通勤用の新車を作ってはどうか」という意見にも、社長の土川は「それは不経済車である」として、パノラマカーを列車体系の中心として、クロスシートに座って通勤という理想像を変えようとしなかった<ref name="2013-ft-109"/>。土川は、財務的現状からも輸送力増強には旧型車両の鋼体化が最適としていたのである<ref name="2013-ft-109"/>。
[[ファイル:Meitetsu 7500 nagoya.jpg|thumb|right|250px|7500系(1988年頃 ナゴヤ球場前駅)]]
[[ファイル:Meitetsu 7000 7500.jpg|thumb|right|250px|7500系(左)と7000系(右)(2001年 犬山遊園駅)]]
[[ファイル:Meitetsu 7665.jpg|thumb|right|250px|7500系7665。重整備入場車捻出の限定運用変則4両組成。]]
1963年、7000系の前面展望方式をベースに走行性能を大幅に改良して登場した。7000系は先頭車の展望席の床面のみが110mm低くなっているが、本系列では重心を下げるために車両全体を床面高さ990mmへと低床化したことにより差がなくなっており、外観上も車体裾や客室窓の高さが揃っている。


{{Double image aside|right|Meitetsu7000Coupling.JPG|150|Meitetsu 7000 series 102.JPG|240|7000系4両編成を2本連結|両開き扉となったモ7050形7100番台}}
[[操縦席|運転台]]の屋根の高さは7000系と同一 (4065mm) にされたため、外観上運転台部分が同系列より突出した感じとなっている。また、[[集電装置|パンタグラフ]]は高さを稼ぐために高めのパンタ台の上に装備されている点が同系列とは異なる。
通勤輸送に対応するため、1973年からは7000系の4両編成7本については連結化改造が行われることになり<ref name="2001-kt-55"/>、ラッシュ時には4両編成を2本連結した8両編成が走るようになった<ref name="rp370-95"/>。1974年6月には6両編成が2本増備された<ref name="rp812-31"/>。また、1975年には中間車が12両製造された<ref name="2009-kt-111"/>が、この時の増備車ではロングシートを増加させ<ref name="rp812-51"/>、扉も両開きに変更された<ref name="rp812-51"/>。形式はモ7050形のままであるが、車両番号は7100番台となった<ref name="rp812-51"/>。これによって4両編成のうち6本が6両編成に組成変更された<ref name="rp812-51"/>が、これが7000系では最後の増備となった<ref name="1985-ys-118"/>。


この時点で、7000系は合計116両となり<ref name="rp370-95"/>、名鉄の車両では最多両数の形式となっていた<ref name="rj505-46"/>。また、7500系の72両を合わせるとパノラマカーだけで当時の名鉄における架線電圧1,500Vの区間に運用される車両の約3分の1を占めていた<ref name="rp370-95"/>。
[[1970年]](昭和45年)をもって増備が終了し、製造両数は72両に留まったが、それでも当時の名鉄では7000系に次ぐ勢力であった<ref>但し、3730系と3770系を同一車両と見做せば計77両となり、本形式より僅かに多かった。</ref>。


[[File:Meitetsu 7000 Series EMU 005.JPG|thumb|M式自動解結装置の設置が行われた連結器周り]]
主[[電動機]]出力75kW、営業最高速度110km/hという数値こそ従来のSR車と同じであるが、定格回転数2400rpmの[[複巻整流子電動機|複巻電動機]](340V,246A)を使用して、許容最高速度までの広範囲で弱め界磁制御を行う。当時の資料によれば、[[最高速度#日本の最高速度(鉄道)|平坦線均衡速度]]は180km/h<ref>これにより100km/h時の引張力は7000系の40%界磁運転の約2倍とされている。なお、歯車比4.93では主電動機の回転数は180km/hで5750rpm(動輪径820mmの場合)にも達する計算になり、電動機回転数を度外視した数値であることには注意を要する。ノッチ曲線は160km/hまでしか描かれていないほか、文献によっては設計最高速度170km/hと記されたものもある。ちなみに、日本の在来線最高速度179.5km/hを記録した[[国鉄381系電車|国鉄381系]]の歯車比は4.21である。</ref>。また、95km/hの[[定速運転|定速度運転]]<ref>直列段でも弱め界磁併用で50km/hから95km/hまでの間の任意の速度で定速度制御が可能であった。</ref>や1ユニットカットの4M2Tで走行しても本線特急で定時運行ができたという逸話もある。なお、歯車比は4.93 (74:15) で同系列よりもわずかに大きいが、高回転型モーターのため、全界磁定格速度は77km/h(動輪径840mm時)と、約10km/hも高い。
この時期のラッシュ輸送では、本線では8両編成でないと運用できず、連結ができないパノラマカーの6両編成は普通列車や支線などで運用させていた<ref name="rp812-14"/>。それでもなお、津島線などでは人海戦術で乗客を車内に押し込む有様で<ref name="rp812-14"/>、しかもそれでも積み残しが出てしまい<ref name="2009-kt-40"/>、乗客からの苦情も多かった<ref name="2009-kt-40"/>。このような状況下、7000系をはじめとする2扉クロスシートのSR車のラッシュ時運用は、もはや限界であることが明確になった<ref name="rp812-14"/>。1975年には急遽[[東京急行電鉄]](東急)から3扉ロングシート車である[[東急3700系電車|3700系電車]]を購入して3880系として運用されるようになり<ref name="2001-kt-57"/>、1976年には3扉の通勤車両である[[名鉄6000系電車|6000系]]の登場に至ったのである<ref name="2001-kt-58"/>。


なお、1975年から[[800形]]モ809・モ810で試験を行っていた「名鉄式自動解結装置」(M式自動解結装置)を7000系でも試験運用を行うことになり<ref name="2001-kt-58"/>、7021編成と7023編成を4両編成に組成変更した上でM式自動解結装置の設置が行われた<ref name="2001-kt-58"/>。この試験運用の結果を踏まえ、1977年2月には7000系のすべての4両編成に対してM式自動解結装置の設置が行われた<ref name="2009-kt-112"/>。
登場時は廃車時と同様の6両であったが、すぐに性能面の余裕を利用して[[付随車]]サ7570形(後の8両化の際に電装されモ7570形となる)を含んだ7両編成で一時期に運行されていた。また、登場当時は将来的に130km/h運転の構想もあった<ref>1960年代、すでに最高速度を名古屋本線130km/h、支線も110km/hまで引き上げる構想があった。なお、現状については[[名古屋鉄道#路線網配置|各路線]]の記事を参照されたい。</ref>が、重軌条化やPC枕木化などの路盤整備が追い付かず、営業運転速度の120km/hへの引き上げは1000系登場以降となり、110km/hを超える営業運転は実現しなかった(機器流用の1030系で実現)。なお、現在の120km/h運転では合成制輪子を装着し、ブレーキ性能を増強する改造が他車には施工されたが、7000系や本系列などは未施工のままであった(7000系は合成制輪子化のみ施工済み)。


=== 特急専用車の登場 ===
本系列は、元々[[制輪子#鉄道の踏面ブレーキ|鋳鉄制輪子]]の使用を前提としたシステムで増圧ブレーキを備え<ref>低速域で摩擦係数が急激に増大する鋳鉄制輪子を備えながら全速度域で増圧システムが作動するため、常用ブレーキでは急停止にならないように停止直前の一瞬制動弁ハンドルを完全に緩め位置に戻し、停止直後緩ブレーキ位置を取るという熟練を要するブレーキ操作が行われていた。なお、当然ながら[[非常ブレーキ|非常制動]]による止まり際のショックはかなり強かった。</ref>、性能としては120km/h運転でも法令に定められた「最高速度から600m以内の制動距離」をクリアしていたが、加速に時間(距離)をとられて[[ダイヤグラム|ダイヤ]]上の時間短縮効果がわずかに留まる点、当時の名鉄は[[踏切事故]]が多かったため、速度向上に比例して事故のリスク(被害の規模)が大きくなる点などがネックとなり、120km/h運転の実現には至らなかった。本系列が最も本領を発揮した期間は、110km/h定速運転を駆使した「S速度」でダイヤが組まれた1968年8月 - 1970年12月のわずか2年余りであった。
7000系が運用を開始した頃は、特急でも特急料金は不要であった<ref name="rp120-21"/>が、1962年からは観光路線で座席指定料金を徴収する特急の運行が開始されており<ref name="rp370-9"/>、その後1965年には[[名鉄キハ8000系気動車|キハ8000系]]を使用した座席指定特急が定期列車として設定されていた<ref name="rp370-9"/>。これをさらに進める形で、1977年3月20日のダイヤ改正では特急はすべて座席指定車両となり<ref name="2009-kt-113"/>、座席指定車両のない特急は「高速」という新種別に変更された<ref name="2009-kt-113"/>。この特急施策の変更に伴い、特急は原則として7000系・7500系・7700系で運用されることになった<ref name="2009-kt-113"/>ため、座席のモケットを赤色に変更し<ref name="2009-kt-113"/>、座席の枕カバーを白色<ref name="2009-kt-113"/>、カーテンも緑色地のものに変更された<ref name="2009-kt-113"/>。


1980年7月21日、[[名鉄河和線|河和線]]を走行していた特急[[新鵜沼駅|新鵜沼]]行きの7000系6両編成が、[[青山駅 (愛知県)|南成岩駅(当時)]]から[[成岩駅]]の区間を走行中、暑さによってレールが歪んでいたところを走行した際に、後部2両が脱線した<ref name="rp812-16"/>。この列車は300mほどそのまま進んだあと、踏切の護輪軌条によって脱線した車両は線路に戻った<ref name="rp812-16"/>。この珍しい現象はマスコミに注目され<ref name="rp812-16"/>、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[テレビ三面記事 ウィークエンダー]]』にも取り上げられた<ref name="rp812-16"/>。
==== 特徴 ====
制御方式は[[複巻整流子電動機]]を用いた[[界磁位相制御|他励界磁制御]]である。これは複巻電動機の分巻界磁を制御する電源にMG([[電動発電機]])を利用するもので、これにより[[回生ブレーキ]]だけでなく一定の速度を保つ[[定速運転|定速度制御]]による運転も可能とした。主制御器は主電動機(TDK848-0A)と同じく[[東洋電機製造]]製のES-758系、制御電源となる電動発電機が[[日立製作所]]製<ref>7000系などのものに比べて低めの独特な音を発し、容量も75kVAと大きい。1230系・1850系に流用されている。MGが回生ブレーキも含めた他励界磁制御の電源となるため、力行時はもとより回生ブレーキの作動中にも照明がわずかに暗くなる。</ref>という当時の名鉄の高性能車では珍しい取り合わせである。最弱め界磁率は分巻き界磁電流を0とする6%とされ、抵抗制御終了後180km/hまでの全速度域で定格出力を発揮できることとなる(1030系への流用後は1000系に合わせるため抑えて20%)。また電動空気圧縮機も、当初は高効率なロータリー式を採用し搭載した。


{{Double image aside|right|Meitetsu-7000-whiteline.jpg<!--特急運用に入っていた時期の白帯車の画像がほかにないようなので-->|175|Meitetsu-7700-Shiroobi.jpg<!--特急運用に入っていた時期の白帯車の画像がほかにないようなので。特に7700系は方向板の色も違うから-->|185|「白帯車」に改装された7000系(左)と7700系(右)}}
このように、当時としては先進的な足回り装備を施したが、他車両との併結はこの制御装置のために行うことができなかった。後に1979年から制御回路の[[名古屋鉄道の車両形式#走行性能・技術|磁気増幅器]]をトランジスタ回路からIC回路に置き換え、定速度制御機構を撤去するなど制御装置の更新を行ったが、基本構造には手を加えられなかったため、車両運用上では最後まで異端車として扱われ、7000系の項で述べた「P6」(他車とは連結しない)運用で使用されていた。制御装置更新の際に[[マスター・コントローラー|主幹制御器]]もそれまでの50km/h - 110km/h・5km/h刻みの定速ノッチから一般的な4ノッチに変更している。ちなみに、本系列の機器を流用した1030系・1230系・1850系は弱め界磁率や主幹制御器のさらなる変更などによって他系列との総括制御が可能となっており、これの一派である1380系と7000系の連結運転も行われたことがある。
1982年3月には、国鉄が[[東海道本線]]に[[国鉄117系電車|117系]]を「東海ライナー」として快速列車に導入することが決まった<ref name="rj183-75"/>。これに対して競争力を高めるため<ref name="2001-kt-59"/>、名古屋本線の特急を増発した上で、一部は特急専用車両を投入することになった<ref name="rj183-75"/>。これに伴い、まず7000系4両編成のうち5本が特急専用車両に改装された<ref name="rj183-75"/>。改装内容は以下の通りである。
*座席モケットをオレンジとブラウンのツートーンに変更し<ref name="2009-kt-115"/>、座席の枕カバーも1人分ずつ別々のものとした<ref name="rj183-75"/>
*通路にカーペットを敷いた<ref name="2009-kt-115"/>
*各座席にくずもの入れを設置<ref name="2009-kt-115"/>
*妻面の戸袋窓を閉鎖し埋め込み<ref name="2009-kt-115"/>
*車体に200mm幅の白帯を配して識別<ref name="2009-kt-115"/>
*前面方向板のデザインを変更<ref name="rj183-75"/>
改装された車両は「白帯車」{{refnest|group="注釈"|「はくたいしゃ」と読む<ref name="dj290-6"/>。}}と通称され<ref name="rj196-98"/>、翌1983年にはさらに7000系4両編成4本と7700系2両編成2本が「白帯車」に改装された<ref name="rj196-98"/>。この時期に先頭車客室内の速度計は撤去された<ref name="dj290-7"/>。


[[ファイル:Meitetsu 7100 series 013.JPG|thumb|中間車の先頭車化改造によって登場した7100系]]
車体は7000系をそのまま160mm低くした形だが<ref>すなわち屋根高さは3340mmで[[国鉄181系電車|国鉄181系]] (3350mm) よりも低くなった。</ref>、ホームの建築限界に抵触しないように裾の絞りがやや大きく、扉下ステップの張り出しもなかった。また、車体のみの長さを先頭車19.05m・中間車18.1mとし、連結面の隙間は730mmとなった。また、パンタグラフは折り畳み高さを4200mmに揃えるため、台座が嵩上げされていた。低床構造のためコンパクトに作られた床下機器は本系列の全廃後も1030系・1230系・1850系で観察することができる。なお、本系列は増備終了が早かったため、集約分散式冷房装置を搭載したタイプは登場していない。また、上記運用上の制約の関係(SR・SRs車の増結ができない)から、本系列で特急仕様化改装(白帯車化)が行われた車両は皆無である。
これと前後して、1983年4月からは登場後20年を経過した7000系の特別整備が開始された<ref name="dj290-7"/>。この整備では正面の行先板の電動幕への改造や、妻面の戸袋窓の廃止などが行われた<ref name="dj290-7"/>。改造は2両単位で行われ<ref name="2009-kt-115"/>、先頭車が整備されている場合はもっぱら5500系のモ5519・モ5520の2両編成を代わりに連結して運用した<ref name="2009-kt-116"/>。また、1984年には6両編成のうち4本が4両編成化された<ref name="rp436-40"/>が、捻出された8両のうちモ7062・モ7064・モ7161・モ7163の4両は、[[名鉄8800系電車|8800系「パノラマDX」]]に機器を流用するため廃車となり<ref name="dj290-7"/>、冷房装置は[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]の[[名鉄6000系電車|6600系]]の冷房化改造に使用された<ref name="1985-ys-152-153"/>。これが7000系では初の廃車となった<ref name="dj290-7"/>。また、残る4両のうち、モ7101・モ7104については日本車輌に入場して6000系と同一仕様の運転台をする先頭車化改造が行われ<ref name="rp436-40"/>、7100系モ7100形に形式が変更された<ref name="1985-ys-25"/>。7100系は中間にモ7102・モ7103{{refnest|group="注釈"|この2両の形式はモ7050形のままで変更されていない<ref name="dj290-6"/>。}}を組み込んだ4両編成で<ref name="rp436-40"/>、他のSR車4両編成と共通運用されるようになった<ref name="dj314-57"/>。


なお、7700系のうち、モ7714については1983年7月から1990年11月まで、日本車輌のND701形ボルスタレス台車の試験運用が行われた<ref name="rp812-53"/>。この試験の結果は、国鉄DT50形台車などの設計に反映された<ref name="rp812-53"/>。
なお、本系列の異端車としては、運転台を装備しながら普段は中間車として使用された先頭車モ7566・モ7665が挙げられる。これは踏切事故など万一先頭車が使用不能となった場合に代用するためのものであった。本来の目的で使用されることはなかったが、重整備工事(体質改善工事)を行っている間は、入場車捻出の限定運用4両組成において頻繁に先頭に出ていた。[[名鉄7300系電車|7300系]]や[[名鉄3700系電車 (2代)|3780系]]を低運転台にしたような切り妻型の前頭形状であった。
この編成は、先頭車の逆さ富士が他の編成の物より一回り大きかった。また、種別表示が異なり「準急」「急行」「特急」と二文字表記であった。「高速」は「高」と「速」の間がやや空けてあった。


{{Double image aside|right|Meitetsu 7000 warning head clearance image.png|180|Meitetsu Jingu Mae Station 04 closeup.JPG|180|乗務員交代時にホーム上屋に頭部をぶつけてしまうおそれがある(左)ため、神宮前の駅ホームではホーム上屋を二重にして対応した(右)}}
なお、7000系と7500系では乗務員の運転台の出入りには車体外側のステップを昇降するが、運転室に入る際に体をかがむようにしないと、ホーム上屋の角に頭をぶつけるおそれがある<ref name="2001-kt-81"/>。このため、ほとんどの列車で乗務員交代のある[[神宮前駅]]<ref name="2001-kt-81"/>において、構内配線が1984年に改良された際には<ref name="2001-kt-81"/>、パノラマカーの乗務員の頭部負傷事故を防止するため<ref name="2001-kt-81"/>、ホーム上屋を二重にして対応した<ref name="2001-kt-81"/>。


1985年9月に[[市川團十郎 (12代目)|第十二代市川團十郎]]が犬山市の[[成田山名古屋別院大聖寺]]へ襲名報告を行う際に、同年9月29日[[名鉄名古屋駅|新名古屋駅(当時)]]から[[犬山駅]]まで市川團十郎と共に鉄道を利用する主催旅行が企画された<ref name="2009-kt-117"/>。この主催旅行は申し込みが多かったため、この団体の専用列車は当初4両編成の予定を6両編成に増結することになった<ref name="2009-kt-117"/>が、7000系「白帯車」の4両編成に7700系「白帯車」の2両編成を増結するのではなく、別の7000系「白帯車」の中間車を2両組み込むこととした<ref name="2009-kt-117"/>。7000系「白帯車」の6両貫通編成で営業運行を行ったのは、この時だけである<ref name="2009-kt-117"/>。なお、この年の12月ごろから側面の座席指定表示は使用されなくなった<ref name="2009-kt-105"/>。
登場後しばらくは回生ブレーキに対応した[[変電所]]システムが本線系統だけであったため、一時的な運用変更で西尾線に入線した際に回生電力が影響して変電所の[[回転変流機]](交流-直流変換機)の回転数が異常に上昇し、遮断機(ブレーカー)が動作して[[停電]]になったという逸話が残っている。


[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 033.JPG|thumb|1987年ごろにグレードアップされた特急仕様車の車内]]
==== 廃車の経緯 ====
1986年になると、国鉄東海道本線の普通列車の増発などが行われることになったため<ref name="2001-kt-61"/>、この対抗策として1986年から1987年にかけて、特急車両のグレードアップが行われることになった<ref name="2001-kt-61"/>。この時には7000系4両編成のうち11編成が「白帯車」として整備されることになったが、1982年から1983年に改装された車両も6本が含まれている<ref name="2001-kt-61"/>。改装内容は以下の通りである。
制御装置更新後、1984年頃から電動空気圧縮機 (CP) がC-2000型に換装され編成中2台搭載(7515Fのみ3台)とされた。さらに[[1988年]]度より、登場後20年以上を経過した車両から順次車体外板の張り替えや配線配管の更新など重整備(特別整備)工事を施行し、1・2次車のうち42両が竣工していた。重整備が最初に施されたのは7501Fの中間車2両であった<ref>同編成は1977年夏に名電長沢駅付近で線路の座屈現象によって脱線転覆事故に遭遇している。</ref>。しかし、[[1992年]](平成4年)以降はラッシュ時にダイヤを乱す元凶である2扉クロスシート車の延命措置がすべて中止された。このため、主に3次車以降の車両からなる7515 - 7523編成の5編成30両は廃車の方針が取られ、その機器を利用して「一部指定(現・特別車)編成」と同様の車体を新製し、1030系・1230系・1850系に生まれ変わった。また、床面が他車(1100 - 1150mm)よりもかなり低い990mmのため、駅の[[バリアフリー]]化([[プラットホーム]]を嵩上げし順次1070mmに統一する計画)を妨げる<ref>それまではプラットホームの標準高さが960mmであり、むしろ本系列だけがバリアフリー仕様的な存在であった。基準はホームの高さを最も低い電車の床面よりも3cm低くすることにある。本系列が入線しない路線では以前からホーム高さが1000mmの駅もあった。なお、JR東海との共同使用駅である豊橋駅の3番線の場合は現在980mmである。</ref>うえ、名鉄名古屋駅のホーム嵩上げ工事が予定される<ref>この工事が利用者の妨げになる事が判明したため、工事は延期された。</ref>等の事情もあって[[2004年]](平成16年)度に再び廃車処分が開始され、かつ[[名鉄空港線|空港線]]への乗り入れにも対応しないまま3150系・3代目3300系に置き換えられて[[2005年]](平成17年)[[8月7日]]までに残る7編成(7501 - 7513編成)もすべて廃車・解体された。運用終了時には6両3編成の計18両が在籍していたが、上記の理由で同線に入ることは一度もなかった。
*座席を独立したヘッドレストに変更<ref name="2009-kt-118"/>
*室内化粧板をクリーム色の模様入りに変更<ref name="2001-kt-61"/>
*車両間の貫通扉を山吹色に変更<ref name="2009-kt-118"/>
*蛍光灯カバーを和紙模様のものに変更<ref name="2001-kt-61"/>
*各座席のくずもの入れを埋め込み式に変更<ref name="2009-kt-118"/>
*展望室にデジタル式の速度計を新設<ref name="2001-kt-61"/>
*車掌台に仕切りを新設<ref name="2009-kt-118"/>
*豊橋側先頭車には座席1脚を撤去して公衆電話を設置<ref name="rp812-52"/>
このとき、7100系の中間に組み込まれていたモ7050形は7000系に組み込まれ<ref name="dj314-57"/>、以後7100系は2両編成で他のSR車2両編成と共通運用されることになった<ref name="dj314-57"/>。


1987年には8800系「パノラマDX」の増備車に機器を流用するため、モ7052・モ7054・モ7151・モ7153の4両が廃車となった<ref name="2001-kt-61"/>。
なお、重整備工事施行車は[[方向幕|側面行先表示器]]が正面の行先表示の電動幕への改造とともに取り付けられた。本系列よりも前に重整備工事を受けた7000系には取り付けられなかったため、同系列と見分けるポイントの一つとなっていた。客室化粧板も5700系と同じものになるなど、高性能ぶりに見合った更新内容であった。


=== 7700系 ===
=== 特急運用から離脱 ===
1988年に新型特急車両として[[名鉄1000系電車|1000系「パノラマSuper」]]が登場したことに伴い、7000系「白帯車」は7編成を残して一般用車両に格下げされることになった<ref name="dj290-8"/>。
[[ファイル:Meitetsu 7700 series 041.JPG|240px|thumb|right|7700系<br />5300系との併結仕業<br />(2009年4月20日 鵜沼宿 - 羽場)]]
{{vertical images list
|1=Meitetsu 7700 series 101.JPG
|2=7750形奇数車
|3=Meitetsu 7700 series 102.JPG
|4=7750形偶数車
|5=Meitetsu 7700 series 006.JPG
|6=FS384A形台車(モ7712)
|7=Meitetsu 7700 series 005.JPG
|8=FS335形台車(モ7713)
}}
1973年春に登場した車両で<ref>第一陣は3月中に落成し、4月1日に入籍した。先の7300系が機器流用車であったため、実質的な車両増となる新造車への要望に応じて登場した。なお、第一次オイルショックは同年末で、本系列登場後の出来事であり、直接の登場背景ではない。</ref>、7000系が入線できない支線区への運用と途中駅での増・解結運用を考慮して、先頭車も運転台が2階ではなく通常の平屋構造になった。それ以外の車体構造や車内見付け、制御機器などは同系列の直列/並列指定式抵抗制御と同様である。前照灯を前面上部に3灯並べた前頭形状は同系列以前に登場した5200系・5500系の流れを受け継ぎ、1971年に製造された7300系をさらに改良し、洗練されたデザインとなった。


ところが、1990年に特急施策の変更が行われ、名古屋本線の特急については指定席車両と一般席車両(自由席)を連結することになった<ref name="2001-kt-63"/>。指定席車両が不足するため<ref name="2009-kt-121"/>、7700系の4両編成の中間車を2両編成とした上で「白帯車」に改装<ref name="2001-kt-63"/>、捻出された7700系の中間車は7000系4両編成に組み込んで6両編成化された<ref name="rp812-52"/>。これに伴い、1000系「パノラマSuper」や7700系「白帯車」に一般席車両として7000系を連結した特急も運行されるようになった<ref name="2009-kt-121"/><ref name="rp812-53"/>。しかし、この編成では指定席車両と一般席車両の通り抜けができず<ref name="2001-kt-63"/>、誤乗の問題も発生した<ref name="2009-kt-122"/>。中部運輸局からの指導もあり<ref name="2009-kt-122"/>、1000系「パノラマSuper」で指定席車両と一般席車両の通り抜けができる貫通編成を組成して対応したことから、1991年10月21日のダイヤ改正で名古屋本線の特急から一般席車両として7000系を連結した特急は解消された<ref name="rp812-53"/>。
==== 特徴 ====
本系列は座席指定特急に優先使用する目的で登場したため、名鉄特急伝統のミュージックホーンも装備している。また、S型ミンデン台車や赤色モケットの座席は本系列が初採用である。7000系7次車や7300系からさらに室内各部の無塗装化が進められ、座席肘掛け板の形状が異なる他、冷房吹き出し口が結露防止のため金具からFRPへと変更された。寸法の面では、7500系に続いて車体のみの長さを18100mmに、連結部の隙間を730mmとし、7000系8・9次車を始め、6000系以降の新形式車両の標準寸法となる。7300系やそれ以前の5500系などよりも乗務員室の奥行きが拡大され、側面の間取りは戸袋部分が先頭車と中間車で同寸となった(以前は先頭車の方が広かった)。形式番号は、7000系(7000・7050・7150形)、7300系(7200・7300・7400・7450形)、7500系(7500・7550・7570・7650形)によって7000〜7600番が埋まっていたため、7700番台(7700・7750形)となった。その他機構面の特徴としては、登場当初は非常ブレーキも発電ブレーキ併用であった点が挙げられる。


なお、中部運輸局からの指導によって、1990年以降は指定席車両には1000系か7000系・7700系「白帯車」が限定運用されることになった<ref name="2009-kt-203"/>。しかし、1991年の豊川線の初詣輸送においては特急に使用できる車両が不足するため、7000系・7500系の一般車6両編成を使用した座席定員制の列車として「ライナー」という種別が新設された<ref name="2009-kt-203"/>。この「ライナー」は1993年の初詣輸送まで運行された<ref name="2009-kt-203"/>。
==== 沿革 ====
1973年4月1日に犬山ラインパーク(現・[[日本モンキーパーク]])で開催されていたイベント「大怪獣展」への利便を図るために設定された犬山線の臨時座席指定特急『[[バロムワン]]』号としてデビューした。登場から1999年頃までは、7000系とともに座席指定の特急にも用いられていた。一部白帯化前の1970年代後半には、原型座席のまま固有の白色ビニール製枕カバーや淡緑色のカーテンを装着した時期もあった。


その後、「白帯車」は支線直通の特急に使用されていたが、1999年には[[名鉄1600系電車|1600系「パノラマSuper」]]が登場した<ref name="rp812-53"/>。これに置き換えられるかたちで、同年5月10日のダイヤ改正をもって「白帯車」は特急運用から外れた<ref name="2009-kt-124"/>。特急運用から外れた「白帯車」の一部は白帯だけを撤去して一般車になった<ref name="2001-kt-64"/>が、「白帯車」のままで廃車になった車両もあった<ref name="2001-kt-64"/>。
登場時の編成は、24両のうち7701 - 7707編成が中間にモ7750形を組み込んだ4両組成、7709 - 7715編成が先頭車のみの2両組成であった。先頭車は、1990年の名古屋本線での「一部指定席特急」運転にあたって内装を有料の「指定席車」仕様にグレードアップ改造された。いずれも前年から1990年にかけて一般車に格下げされた7021F・7031F・7033F・7035Fとの間で座席を交換している。7709 - 7716はそれ以前の1983年から白帯車仕様であり、一方の7701 - 7708は1990年に初めて白帯車に昇格した。後者はロングシート部の吊革撤去や妻窓の埋め込みが施されていない。同時期にすべてが2両編成となり、余った4両編成の中間車モ7750形8両は7000系に組み込まれた。こちらは先の改造を受けていない。これとは別に、モ7714は1983年7月から1990年11月まで日車製[[鉄道車両の台車|ボルスタレス台車]]ND-701の長期試験を行い、終了後は相棒のモ7713とともにFS-335を履いていた(画像参照。元来のFS-384は8800系に転用)。その他、モ7703は事故復旧のため室内化粧板が6000系中期車と同じ柄であった。なお、通称セミパノラマカーではあるが、前面がすべて高窓のため、特に着席客にとって客室からの前方展望は皆無に等しい。


=== 終焉 ===
なお、本系列は2005年の5500系退役以降唯一の四角形の正面種別・行先方向板使用車で、電動式の方向・種別幕は取り付けられていなかった。
[[ファイル:Meitetsu 7700 series 015.JPG|thumb|三河線のワンマン列車に使用される7700系]]
<gallery>
2001年には、[[名鉄三河線|三河線]]の[[知立駅]]から[[猿投駅]]までの区間において[[ワンマン運転]]が実施されることになった<ref name="rp812-53"/>ため、7700系と7100系についてワンマン化改造が実施された<ref name="2009-kt-125"/>。改造内容は、自動放送装置・足踏み式デッドマン装置・対話式非常通報装置というワンマン対応機器の設置が主である<ref name="2009-kt-125"/>が、この区間のワンマン運転では車内での運賃収受を行わないため、運賃箱は設置されていない<ref name="2009-kt-125"/>。
ファイル:Meitetsu7700inside1.jpg|室内<br />白帯車時代のままの座席
ファイル:Meitetsu7700inside2.JPG|室内<br />連結面側
</gallery>
(以上はモ7702・2007年9月撮影)
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ファイル:Meitetsu 7700 series 007.JPG|室内<br />乗務員室側
ファイル:Meitetsu 7700 series 008.JPG|室内<br />各ドア内寄りの転換腰掛1列ずつが撤去されている
ファイル:Meitetsu 7700 series 010.JPG|座席<br />写真は表皮が一般用に張り替えられたもの
</gallery>
(以上はモ7704・2009年4月撮影)
{{-}}


一方、7000系については、少し遡る1998年から1999年にかけて22両廃車になった<ref name="2001-kt-64"/>のを皮切りに、特別整備を施工していない車両かつ検査期限切れとなる車両から順次廃車が開始された<ref name="rj459-120"/>。一方で、2003年には7000系6両編成のうち2編成について、先頭車の展望室側を除いた扉脇のクロスシートを撤去した<ref name="2009-kt-129"/>。2005年11月からは7700系でも同様の改造が行われた<ref name="rp812-56"/>。なお、1998年に廃車になった車両の中には中間車2両が含まれる<ref name="2001-kt-64"/>が、この中間車は6両編成に組み込まれていた車両で、残った4両は先頭車が7000系で中間車が7700系という編成となった<ref name="rp812-3"/>{{refnest|group="注釈"|ただし、7700系の中間車の外観は7000系と同様で<ref name="rp812-3"/>、見た目は他の編成との差はない<ref name="rp812-3"/>。}}。
[[1993年]](平成5年)に名古屋本線用として1000系・1200系および1030系・1230系による新編成16本が出揃い、本系列は本線特急の任を解かれた。これ以降定期特急での使用が減り、1999年までは臨時特急の増結の「指定席車」(7000系白帯車との連結運用)として用いられていたが、その他は急行や普通として運用された。


なお、2005年1月29日に[[名鉄空港線|空港線]]が開業することになったのに合わせて<ref name="rp812-56"/>、7000系6両編成の前面にある行先板をすべて電動式方向幕に統一するための組成変更が行われた<ref name="rp812-56"/>。その空港線には、7500系が乗り入れ不可能であった<ref name="rp812-25"/>のに対し、7000系では開業初日から普通列車・急行で運用された<ref name="2009-kt-54"/>。
[[2001年]](平成13年)の[[名鉄三河線|三河線]]山線での[[ワンマン運転]]に伴い、それに対応する改造工事(ホームセンサー対応、車内通話機やドアチャイム、自動放送装置の設置など)を行った。また、2006年春のダイヤ改正から同線海線でもワンマン運転が開始されることになったため、運転台にはホーム監視用モニターが設置された。


その後、2006年9月には名鉄における特急施策の見直しを発表した<ref name="rj505-48"/>が、この時に7000系パノラマカーが2009年度内に全廃されることが記された<ref name="rj505-48"/>。翌2007年には4両編成3本と6両編成1本が廃車となり<ref name="2009-kt-54"/>、2008年6月29日のダイヤ改正では7000系の運用自体が大幅に減少し<ref name="2009-kt-134"/>、同年9月14日に運行されたイベント列車「さようならP6」{{refnest|group="注釈"|「P6」とは「パノラマカー6両編成」の意味。}}に運用されたのを最後に、6両編成の営業運行は終了した<ref name="2009-kt-136"/>。
==== 廃車まで ====
2008年度に、まず中間車であるモ7750形から廃車が始まっている。2008年4月に7000系の1編成が6両から4両へ組成を変更した際、中間に組み込まれていた2両(モ7757 ・モ7758)が最初に廃車となり、その後も淘汰が進み、7043Fに組み込まれていた最後の2両<ref>7043Fは4連であり、6連としては7019Fに組み込まれていた2両(モ7751 ・モ7752)が最後。</ref>(モ7753 ・7754号)も同年12月26日のダイヤ改正前日に基本運用を終え、2009年6月に廃車となっている。


この時期になると名鉄のホームページでも「ありがとう パノラマカー」と称するイベントの一環として、パノラマカーの運用が公表されるようになった<ref name="rj505-45"/>が、鉄道ファンだけではなく、一般市民も名残りを惜しんで乗車するようになった<ref name="2013-ft-242"/>。開発にかかわった白井が[[日本放送協会|日本放送協会 (NHK) ]]名古屋放送局の取材に応じてパノラマカーの展望席に乗り込んだ時、最前列で祖父と孫が前面展望を楽しみながら語り合っている姿を目撃し、白井は深く満足したという<ref name="2013-ft-242"/>。
モ7700形の2両組成(モ7700奇数番車+モ7700偶数番車の編成)は2009年度に入って同年9月から置換えが始まったが、[[2010年]][[1月20日]]時点では全3編成6両が在籍しており、2009年11月までは後述の7100系と共通運用されていた。晩年の小改造としては、立席スペース確保のため、各扉内寄りのクロスシートが一列ずつ(計4脚)撤去された他、7709 - 7716で撤去されていたロングシート部のつり革の復活が挙げられる。また、7703Fは座席の表皮が晩年在来の通勤車両で交換が進んでいるワインレッド系のものに交換されていたが、こちらの方は本系列の他の編成には波及していない。
{{Quotation|トップ席にお孫さんを連れたお祖父さんの姿が多く、これこそ私がパノラマカーで目指したものであった。|[[白井昭]]|[[#白井816|鉄道ピクトリアル 通巻816号 『パノラマカーと犬山モノレールの初期の思い出』 (2009) p.213]]}}


[[ファイル:Meitetsu 7000 Series EMU 063.JPG|thumb|「白帯車」として再度整備された7011編成]]
三河線でのワンマン運用の他、広見線や各務原線(犬山線犬山 - 新鵜沼間を含む)では[[車掌]][[乗務員|常務]](非ワンマン)による運用があり、[[豊明検車区]]から各線区への[[回送]]や送り込みを兼ねた列車を名古屋本線や犬山線でも見ることができた。
2008年10月19日には、1999年に一般車に格下げされた後も内装が特急仕様車のままだった7011編成が「白帯車」として再度整備された<ref name="2009-kt-136"/>。また、トップナンバーの7001編成は10月27日に定期運用から離脱したが、豊橋向き先頭車のモ7001は[[舞木検査場]]において1961年登場当時の外観に復元された<ref name="rp816-276"/>。まずジャンパ栓やケーブル類・空気ホース、フロントアイをすべて撤去し、前面の方向板を撤去の上で "[[フェニックス|Phoenix]]" のエンブレムを装着、展望室周りの外板修理と再塗装を行った<ref name="rp816-276"/>。この状態で、11月9日には「一度限りのフェニックス復活運転」と題したイベント列車の運転が行われた<ref name="2009-kt-137"/>後、再度舞木検査場に入場し、列車無線アンテナ撤去や展望室部分以外の補修を行い<ref name="rp816-276"/>、モ7002とともに舞木検査場内の展示場に設置された<ref name="rp816-276"/>。なお、中間車は同年12月1日に[[名電築港駅]]に移送され、廃車となった<ref name="2009-kt-137"/>。


この時点で残っていた7000系は4両編成3本のみであった<ref name="2009-kt-137"/>が、2008年12月26日限りで7000系の定期運用はなくなった<ref name="rj517-143"/>。定期運用最終日の3本の列車では前面に記念系統板が掲出され<ref name="2009-kt-138"/>、最後の営業列車となった[[東岡崎駅]]を午後8時29分に発車する[[岩倉駅|岩倉]]行き普通列車では、神宮前駅で名鉄の副社長から運転士に花束が贈呈された<ref name="2009-kt-138"/>。その後、7011編成のみがイベント用として使用されるようになった<ref name="rp816-276"/>が、2009年8月30日の団体専用列車「ありがとうパノラマカー」の運転をもって7000系の営業運行は全て終了した<ref name="rj517-143"/>。
2009年[[7月11日]]・[[7月12日|12日]]開催のイベントに先立って、同年[[6月29日]]、[[新川検車区]]にて7711Fに再び白帯が施され、翌[[6月30日|30日]]から通常運用に復帰した。なお、7700系の白帯は6年ぶりの復活である(最後の白帯編成は7715F<ref name="rail fan">{{Cite journal|和書
|author = 外山勝彦
|date = 2003-05-01
|title = 鉄道記録帳2003年2月
|journal = RAIL FAN
|issue = 5
|volume = 50
|publisher = 鉄道友の会
|pages = 21 }}</ref>)。


一方、7700系・7100系はその後も運用されていたが、7100系は2009年11月29日に運行された[[さよなら運転]]を最後に運用から外れて廃車となった<ref name="dj314-60"/>。7700系も2010年2月26日限りで定期運用から外れ<ref name="dj314-56"/>、同年3月21日に運行されたさよなら運転を最後に営業運行を終了した<ref name="dj314-61"/>。
この7700系も、老朽化や部品調達が困難になってきたことなどを理由に、2009年末期から本格的な廃車が始まった。


この時点で、名鉄の7000番台の形式を有する車両は全廃となった<ref name="dj314-54"/>。
7000系の営業運行終了と同時に7707Fが他の車両にワンマン機器を譲るためモ7700形で初めて運用を離脱して舞木検車場に留置されていたが、同年[[10月19日]]、7703Fとともに廃車回送された。[[11月29日]]には7100系とともに7713Fも営業運行から離脱し、同所に留置されていたが、[[12月21日]]に廃車回送された。ワンマン機器は、6000系の6004F、6005F、6014Fに転用され、妻面窓なし車として初の廃車となった。この時点で残存編成は7701F・7705F・7709F・7711F(白帯)・7715Fの5本となった。


== 保存車両 ==
[[2010年]]に入り、[[1月15日]]に7705Fが営業運行から離脱した他、7701Fも翌[[1月16日|16日]]に7711Fとの団体臨時列車を最後に運行から外れた。この2編成の廃車により、名鉄の在籍車両から妻面窓のある車が全滅した(6750系の中間車や保存されている7000系を除く)。[[1月31日]]と[[2月1日]]にかけてこの2本も廃車回送された。そして、同年[[2月26日]]を最後に営業運転から離脱し、[[3月21日]]にさよなら運転が行われた。これに合わせて「7000番代最終章!!ありがとう7700系 今までありがとう」のメッセージと7000系・7100系・7700系のイラストが書かれた特製系統板の装着や記念入場券台紙の進呈の他、「7700系さよなら記念乗車券」も発売された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1198391_1139.html ~パノラマカー縁の「7000番代」最後の車両が引退します~ 7700系車両の引退を記念して「記念乗車券の発売」や「記念系統板の掲出」などを行います。]</ref><ref>記念乗車券は、猿投・碧南・知立・吉良吉田・豊川稲荷・津島からの乗車券の裏面が方向板となっており、7700系前面のイラストに乗車券を差し込む仕組みだった。</ref>。運転終了後は舞木検査場に留置されていた<ref>つまり2010年3月31日(2009年度末)時点では車籍があり、年度が変わって間もなく除籍(廃車)となった。</ref>。[[4月4日]]から[[4月5日|5日]]にかけて最後の3本(さよなら運転時の編成の真ん中に7709Fを挟む)が廃車回送された。廃車時には前後のサボ受けに「ありがとう7700系 さようなら7000番代」と書かれた特製系統版がそれぞれ色違いで掲出されていた。
[[ファイル:Meitetsu 7000 Panorama station.jpg|thumb|中京競馬場で保存されている7027F(2006年4月1日)]]
;[[舞木検査場]]:7000系のトップナンバーである7001編成のうちの両先頭車(モ7001・モ7002)は、2008年12月に[[舞木検査場]]に静態保存された<ref name="rp816-276"/>。モ7001は前頭部を改修し、デビュー当時の原形に近い外観に復元された<ref name="rp816-276"/>。通常は非公開となるがイベント時のみ公開される<ref name="モ7001"/>。
;[[中京競馬場]]:[[2002年]]に廃車された7027編成のうちの3両(モ7027・モ7092・モ7028)が、2002年8月から[[愛知県]][[豊明市]]にある[[中京競馬場]]内で静態保存され、「パノラマステーション」として展示・公開されている<ref name="2009-kt-129"/>。中間車モ7092は車内をカフェテリアに改造されている<ref name="2009-kt-129"/>。競馬開催日・場外馬券発売日には車内と運転台を公開している<ref name="2009-kt-129"/>。


== 編成表 ==
本系列の全廃に伴い、名鉄から7000番代の車両が姿を消し、48年間の歴史に幕を閉じた。これにより名鉄の在籍車両は全車両方向・種別幕装備となり、方向・種別板はイベント板、種別・方向幕故障時や方向幕設定がない種別・行先以外原則使用されなくなる。また、名鉄からミュージックホーンを持つ一般車両<ref>一部特別車特急固定編成の岐阜方先頭車(モ1400・モ1430・モ2300)を除く。</ref>と片開き扉を持つ車両も消滅することになった。更に、全盛期には5500系を含めて170両<ref>8800系の中間付随車サ8850形4両は含めない。</ref>在籍したTDK-825系主電動機とMC-11系主制御器を備える車両が消滅したことになる<ref>走行特性が類似する5300系の装備する主電動機はTDK-825系の母体になったTDK-823系であり、結果的に主電動機に関しては古い方が生き永らえることになった。</ref>。
7000系は組成変更が多かったため、ここでは1985年時点・2004年時点についてのみ車両番号を記載する。ただし、7000系の2両編成・8両編成・10両編成についてはこの限りではない。


; 凡例 : Tc …[[制御車]]、M …[[動力車|電動車]]、T…[[付随車]](後ろの数字が1なら奇数番号・2なら偶数番号)<br/>CON…[[主制御器|制御装置]]、MG…補助電源装置(電動発電機)、CP…[[圧縮機|電動空気圧縮機]]、PT…[[集電装置]]
=== 7100系 ===
===<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系登場当時の基本的な編成===
[[ファイル:Meitetsu 7100 series 013.JPG|250px|thumb|right|7100系<br />(2009年4月21日 三河山線 平戸橋 - 越戸)]]
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
7000系編成中のモ7050形7100番台中間車のうち2両に、後から運転台を取り付けた車両である。
|-
==== 特徴 ====
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|<ref name="6両" group="注釈"/>
7001Fと7003Fが長期入場した際に分離された3・4号車4両(モ7101 - 7104)のうち、7101と7104に6000系(8次車以前)に準じた運転台を取り付けた。前面形状のうち、標識灯のみ6500系(当時)と同じ角形シールドビーム2灯式なっている。先頭車化に際して前位客扉が移設されなかった結果、その位置は他の2扉SR車よりも乗務員室寄りにある。従って乗務員室背後の座席も6000系と同様の3人掛けロングシートとなっている<ref>前頭部から第1扉までの割り付け寸法が6000系初期車とほぼ同一である。なお、同系列と異なり、スタンションポールはない。また、この改造部分と窓が埋め込まれた永久連結側の妻面は室内化粧板が張り替えられ、他と色調が異なる。</ref>。
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="6"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}

|-
中間車であった時代はモ7050形7100番台であったが、改造後は正式にモ7100形(→'''「7100系」''')とされた。最初は先の4両で編成を組んでいたが、その後の編成替えで中間の7102と7103が7045編成に編入されたため、先頭車2両のみの編成となった。この形式には電動式行先表示器が装備され、種別のみは表示器を用いることはできたが、行先表示は50コマしかなく、また本線用の幕を搭載していたため、支線では表示できない駅が多く(新羽島、碧南、猿投など。その代わり国府宮、西浦、八百津などの現在の60コマにはない駅名が収められていた。)、結局は7700系と同様の系統版(行先表示板)を使用する事例が多く見られた。後年は60コマの幕が装備され、支線での表示も可能となっていた。
!形式

| '''モ7000''' || '''モ7150''' || '''モ7150''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7000'''
この車両は座席指定特急への使用を前提とした改造ではないため、ミュージックホーンは装備されず、さらに登場時には装備されていた席番番号表示も外され、5500系などと同等のグループとして運用されていた。従って座席の枕カバーもビニール製のままである。当初からラッシュ時対策用に仕様変更された車両のため、座席の撤去などは行われていない。7700系と同様に電動空気圧縮機にD-3-FR型を搭載して新製された最終期の車両で、最期までC-1000型などへの交換は行われず、昔ながらの作動音を聞くことができた。これは7500系・7300系を除く7000系列全般に言えることである。
|-
<gallery>
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
ファイル:Meitetsu 7100 series 001.JPG|室内<br />乗務員室側
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M1||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
ファイル:Meitetsu 7100 series 003.JPG|室内
|-
ファイル:Meitetsu 7100 series 004.JPG|座席
!搭載機器
</gallery>
| MG,CP || CON,PT || MG,CP || CON,PT || MG,CP || CON,PT
(以上はモ7104・2008年9月撮影)
|-
{{-}}
!定員

| 100 || 100 || 100 || 100 || 100 || 100
==== 廃車まで ====
|}
晩年は、7700系と同様に三河線(山線・海線とも)のワンマン運転仕様に改造されていた。
===1985年時点の編成===

;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系6両編成:&nbsp;
2008年に7000系(併結不可6両組成の3・4号車)に組み込まれていた車両(モ7050形7100番台)が先に全車廃車・解体された後も本系列の2両組成自体は健在で、前述の7700系と共通運用を組んで三河線などで活躍していた。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"

|-
しかし、老朽化や部品調達が困難になってきたことなどの理由から、2009年[[11月27日]]をもって定期運用から離脱し、2日後の29日にさよなら運転が実施された。これを記念して、[[11月1日]]より両先頭車の前面に本系列の写真と「おつかれさま 7100系」「定期運行 FINAL RUN」と書かれた特製系統板が装着された他、「さよなら7100系記念乗車券」も発売された<ref>記念乗車券は、中面が乗車券表面と運転台設置前の側面図となっていたが、乗車券表面部分を折り返すと運転台設置後の側面図になる仕組みだった。</ref>。そして、12月21日に7713Fとともに廃車回送された。これで7100番台(7101F・モ7050形7100番台とも)は完全に消滅した。
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|<ref name="1985-ys-164"/>

|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="6"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
== 7000系グループの終焉 ==
|-
7000番台の形式を持つ車両は、[[吊り掛け駆動方式]]の[[名鉄7300系電車|7300系]]も含めて総数242両が製造され、[[1970年代]]中盤までは名鉄電車の3分の1強(1500V線区のみでは約4割)を占める一大勢力であったが、[[1990年代]]末頃から下記の経緯の通り急速に勢力を縮小していった。
!形式

| '''モ7000''' || '''モ7150'''<br/>{{refnest|group="注釈"|name="mo7050"|一部はモ7050形。}} || '''モ7150''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7000'''
[[1998年]]に「10年間で『パノラマカー』を全廃する」旨が名鉄から公式発表された。ラッシュ輸送や[[省エネルギー]]に適さないなどの理由が添えられている。以後、[[1999年]][[5月10日]]の特急運用の終了、さらに[[2005年]][[3月31日]]発表の平成17年度設備投資計画での7500系の全廃の発表が挙げられ、同年[[8月7日]]に同系列の全車両が廃車された。さらには天井の内側の吹き付けに[[石綿|アスベスト]]が使用されている車両があることから(使用が判明したのは7000系54両)、[[2008年]][[6月29日]]のダイヤ改正で4両組成3本を除き[[名鉄3300系電車 (3代)|3300系・3150系]]や[[名鉄5000系電車 (2代)|2代目5000系]]への置き換えにより廃車となり、同年12月の定期運行終了を経て、残った7000系も[[2009年]]に全車が廃車となった。なお、置き換えに伴って列車の編成両数が短縮されたケースが多い(7000系6両編成→5000系4両編成など)。
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!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
名鉄では、[[2010年]]度までに160両の新型車両を投入(うち28両は1000系の機器を流用して2代目5000系を新製)し、[[名鉄6000系電車|6000系]]や[[名鉄100系電車|100系初期車]]を含む[[回生ブレーキ]]を持たない296両の淘汰を進める予定である。
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M1||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2

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このような状況の中、名鉄では2008年春からパノラマカーの現状などを紹介する特設ホームページ「ありがとう パノラマカー」を開設すると同時に、2009年夏まで様々なイベントを開催した([[名鉄7000系電車#近年のパノラマカーイベント|近年のパノラマカーイベント]]を参照)<ref>特定の車両引退にまつわるイベントとしては名鉄でもかつてない頻度である。なお、その7000系でさえ登場30周年(1991年)の時は、経年(古さ)を知られたくないという名鉄側の意向によってイベントなどは行われていなかった。</ref>。
! rowspan="6"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]

|'''7005'''||'''7156'''||'''7105'''||'''7106'''||'''7055'''||'''7006'''
なお、パノラマカーの報道においては、2008年12月に[[名古屋テレビ放送]](メ〜テレ)<!--「メ〜テレ」がどこの放送局なのか即座に理解できる方のみが閲覧している訳ではないのでこのように表記する-->のニュース番組『[[UP!]]』内で「最後の勇姿 〜時代を駆け抜けたパノラマカー〜」が放送された。この特集は同月[[12月24日|24日]]に中部写真記者協会賞・映像企画部門で優秀賞を受賞している。
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|'''7007'''||'''7158'''||'''7107'''||'''7108'''||'''7057'''||'''7008'''
7000系については、定期運転終了後はイベント時を除き運用されておらず、7011編成は豊明駅に、また7041・7043編成は逆さ富士の行先表示板を外された状態で[[布袋駅]](または[[犬山検車場]])に留置された<ref>7041編成の中間車は車両番号の取り付け位置が異なり、他の名鉄車両の中間車(6000系以降は岐阜方先頭車も含め正規向きの場合ほぼ全車)では番号は両側ともすべて岐阜方に表記されているが、当該編成では海側のみ豊橋方に表記されていた。この形態は7000系7次車と7300系のみが該当するが、その理由については不明である。</ref>。その後、7043編成は同年[[3月6日]]に[[猿投検車区]]、[[5月24日]]に[[舞木検査場]]に移動して留置の後、[[6月21日]]に廃車回送された。また7041編成も同月[[6月19日|19日]]に布袋を去り、7043編成と入れ替わりに舞木検査場に移動した後、[[7月13日]]に廃車回送された。布袋留置の頃、7041・7043編成は重連ではなく2編成が並んで留置され、通常ホームの1・2番線側から見て奥に7041編成、手前に7043編成が留置されており、[[栄生駅]]付近まで1編成ずつ定期的に機器保全運転を行っていた。また、7011編成は再度イベントが行われた時に備えてたまに豊明駅付近の検査場の豊橋寄りの留置線でパンタグラフを上げていることがあった。その7011編成も[[9月15日]]に廃車回送された。
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|'''7009'''||'''7160'''||'''7109'''||'''7110'''||'''7059'''||'''7010'''
一方、7100系と7700系については、7000系運行終了後も引き続き運用に就いていたが、同年9月より淘汰が開始されている。[[交通新聞社]]発行の「私鉄車両編成表2009」で「2009年度に7700系10両と7100系2両を廃車する」との旨の記事が記載されている他、7700系については雑誌『[[鉄道ピクトリアル]]』で「2009年度中全廃が急浮上」と報じられ、2010年[[1月2日]]に[[中京テレビ放送|中京テレビ]]の番組「[[芸能界鉄道研究会 鉄研]]」内で「2010年春に7700系の残存編成が引退する」と発表された。事態はこれらの報道の通りとなり、2009年[[11月29日]]に7100系が最終営業運行を行い、7700系も2010年[[3月21日]]に最終営業運行を行って引退した。これにより48年間活躍してきた7000番台形式=パノラマカーおよびその直系に当たる車両は名鉄線上から完全に姿を消した。
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|'''7011'''||'''7162'''||'''7111'''||'''7112'''||'''7061'''||'''7012'''
なお、7000番代の引退を記念して、5系列の写真をあしらった「7000番代最終章!想い出の7000番代記念乗車券」も発売された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1200040_1139.html パノラマカーを始めとする「7000番代」最後の車両「7700系」が引退するのを記念して「~7000番代最終章!~ 想い出の7000番代記念乗車券」を発売します。]</ref>。
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|'''7013'''||'''7164'''||'''7089'''||'''7092'''||'''7063'''||'''7014'''
=== 開催されたパノラマカーイベント ===
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[[File:Meitetsu 7100 series 7011F.jpg|thumb|定期運用終了前に白帯が復元された7011F(2008年12月19日・名古屋本線・前後~中京競馬場前)]]
|'''7045'''||'''7086'''||'''7085'''||'''7088'''||'''7087'''||'''7046'''
名鉄は、2009年度のパノラマカー運用離脱に伴い、イベント列車の運行を実施するとともに、各[[鉄道ファン]]などの貸切団体列車の運転を行った。
|}
==== 2008年 ====
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系4両編成:豊橋方先頭車の車両番号末尾に「※」をつけた編成は特急専用編成の「白帯車」<ref name="1985-ys-164"/>。
*[[5月17日]]・[[5月18日|18日]] - [[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]東西直通運転60周年を記念して、6両組成1編成にパノラマカーのシルエットと登場当時のエンブレムをあしらった特製系統板を行先表示幕の上に装着し、[[豊橋駅|豊橋]] - [[名鉄岐阜駅|名鉄岐阜]]間を1往復した<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1185413_1140.html 名鉄名古屋本線 東西直通60周年記念 ~7000系パノラマカーに記念系統板を掲出して運行します~]</ref>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
*[[7月20日]] - 7007編成を使用した団体臨時列車が鉄道友の会名古屋支部、名鉄電車愛好会の共同企画により、名古屋本線[[金山駅 (愛知県)|金山]] - [[伊奈駅|伊奈]]間で運転された。行先表示幕の上には登場当時のエンブレムをあしらった特製系統板が装着された<ref>名鉄電車愛好会・鉄道友の会名古屋支部の共同企画。</ref><ref>運転終了後、伊奈駅での撮影会が行われた。</ref>。
|-
*[[8月9日]]・[[8月30日|30日]] - 7011編成を使用した名称列車の復活運転を実施した<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1187241_1140.html 7000系パノラマカーで「名称列車」の復活運転を実施します]</ref>。前者は名古屋本線と[[名鉄西尾線|西尾線]](名鉄名古屋発快速急行吉良吉田行)で「三河湾 吉良吉田」<ref>この際、須ヶ口から名鉄名古屋まで回送した後にこの列車に使用され、その後、折り返し快急 佐屋(須ヶ口から普通)→快急 吉良吉田(新安城から準急)→準急 佐屋(新安城から快速急行)の順に使用された後、佐屋で車両交換された。</ref>、後者は[[名鉄各務原線|各務原]]・[[名鉄犬山線|犬山]]・[[名鉄広見線|広見]]の各線(名鉄岐阜発臨時特急新可児行)で「日本ライン 新可児」<ref>運転終了後、新可児駅での撮影会や運転台見学が行われた。</ref>、それぞれの系統板(黄緑地黒文字)を装着した。この7011編成を使用した名称列車の復活運転は以降幾度と行なわれた(後述)。
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|<ref name="1985-ys-164"/>
*[[9月14日]] - 「6両組成の7000系パノラマカーのさよなら運転」として7007編成が金山 - [[河和駅|河和]]間を1往復した<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1187941_1140.html 6両組成の7000系パノラマカーのさよなら運転を実施します]</ref>。また、6両組成の予備車として留置されていた7019編成も同時に廃車となった。
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="6"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
*[[10月19日]]から7011編成に再度白帯が施され、同日、犬山線[[中小田井駅]]から各務原線[[三柿野駅]]まで臨時列車が運転された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1188598_1140.html 7000系パノラマカーの「白帯車」が復活運転を開始します]</ref><ref>運転終了後、三柿野駅での撮影会が行われた。</ref>。なお、同編成は運用離脱まで白帯を施したままで運用された。
|-
*[[10月25日]]・[[10月26日|26日]] - [[日本モンキーパーク]]で「犬山のりもの大博覧会」が開催されたのに合わせ、犬山線[[犬山遊園駅|犬山遊園]] - 各務原線三柿野間で7011編成を使用した団体臨時列車が運転された。なお、同イベント会場内で7000系 (7019) の運転台が展示されていた。
!形式
*[[11月9日]] - 「フェニックスエンブレム復活運転」として、47年ぶりに7001編成にフェニックスのエンブレムを再装着して登場時の状態に戻すとともに、保存前の一度限りの記念列車として名古屋本線の[[本宿駅 (愛知県)|本宿]]から[[伊奈駅|伊奈]]まで運転された。7001にはフェニックスのエンブレムが、7002にはそれをあしらった特製系統板が装着された。なお、特製系統板にはエンブレム部分の下に「まいぎ」の文字が記載された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1188990_1154.html 7000系パノラマカーが一度限りの「フェニックスエンブレム復活運転」を行います]</ref><ref>運転終了後、伊奈駅での撮影会を行った後、舞木検査場へ回送された。これが7001編成の最終運用となった。その後、この2両は12月に同施設での静態保存を開始した。</ref>。また、4両組成の留置車である7033編成が同時に廃車となった。
| '''モ7000''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7000'''
*7011編成の白帯復帰後にあたる[[11月16日]]・[[11月24日|24日]]・[[11月29日|29日]]および[[12月6日]]に各方面において名称列車の運転が行われた<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1189207_1140.html 7000系パノラマカー「白帯車」で名称列車の復活運転を実施します]</ref><ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1189450_1154.html 7000系パノラマカー「白帯車」で名称列車の復活運転を実施します]</ref>。
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**11月16日 - [[名鉄津島線|津島線]][[藤浪駅]]から[[須ヶ口駅]]で折り返し、[[津島駅]]から[[名鉄尾西線|尾西線]]に入って[[佐屋駅]]まで「津島 佐屋」の系統板(黄緑地黒文字)を装着(藤浪→須ヶ口間は装着なし)し、佐屋で折り返し、「いちょう号 森上」(黄色地黒文字、いちょうのイラスト入り)としてさらに同線[[森上駅]]まで運転された<ref>運転終了後、森上駅での撮影会が行われた。</ref>。白帯を施した状態での復活運転はこれが初めてであった。
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
**11月24日 - 西尾線[[桜井駅 (愛知県)|桜井駅]]から[[蒲郡線]][[蒲郡駅]]まで「三河湾 蒲郡」の系統板(黄緑地赤文字)を装着して運転された。久々の西尾線から蒲郡線への直通運転となった<ref>運転終了後、蒲郡駅での撮影会が行われた。</ref>。
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
**11月29日 - [[名鉄常滑線|常滑線]][[大同町駅]]から[[名鉄知多新線|知多新線]][[内海駅 (愛知県)|内海駅]]まで「ヤングビーチ うつみ」の系統板<ref>白地にヤングビーチが赤文字、うつみ(行先がひらがな表記)が黒文字。両サイドにはイルカのイラストが描かれた。</ref>を装着して運転された<ref>運転終了後、内海駅での撮影会が行われた。</ref>。
|-
**12月6日 - 名古屋本線[[豊明駅]]から[[名鉄豊川線|豊川線]][[豊川稲荷駅]]まで「いなり 豊川稲荷」(黄緑地黒文字)の系統板を装着して運転された後、折り返して豊明まで「豊明」(同)の系統板を装着して運転された。
! rowspan="18"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]
*[[12月26日]] - 最後まで定期運用で残った7011・7041・7043の各編成に「ありがとうパノラマカー 70○○F 定期運行 ラストラン (行先)」の特製系統板を装着して運転され、7000系の47年におよぶ定期営業運転を終了した(行先は東岡崎 (7011F) ・岩倉 (7041F) ・常滑 (7043F) )。中でも、[[東岡崎駅]]20:29発の普通[[岩倉駅 (愛知県)|岩倉]]行2197列車に充当された7041編成は途中の[[神宮前駅]]で名鉄副社長から運転士へ[[花束]]が贈呈されるセレモニーが催された。なお、翌日の[[中日新聞]]朝刊の1面と社会面にはそれぞれ写真入りの記事が掲載された<ref>写真は1面がカラーで神宮前駅での花束贈呈セレモニーの様子、社会面はモノクロで2197列車の終着駅であった岩倉駅到着後のものであった。</ref>。以後、本系列の運用は7011編成のみとなる。
|'''7001※'''||'''7152'''||'''7051'''||'''7002'''

|-
==== 2009年 ====
|'''7003※'''||'''7154'''||'''7053'''||'''7004'''
この年の7000系による列車はすべて7011編成による運用となった。
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*[[3月15日]] - [[鉄道友の会]]名古屋支部が企画した団体臨時列車を金山 - 内海間で1往復運転した。先頭車の前後に、「好きです パノラマカー」や2008年7月20日の運転で使用されたエンブレムの2種類の特製系統板が行先表示幕の上に装着された。同月[[3月21日|21日]]にも[[日本車輌製造]]主体で豊川稲荷方面の団体列車として運用されたが、岐阜方の先頭車には「パノラマカーさよなら乗車会」と記載された特製系統板が装着されていた。これ以降にも名鉄以外の団体が主催する臨時列車の運転が行われる時には必ず7011編成が運用された。
|'''7015'''||'''7066'''||'''7065'''||'''7016'''
*[[3月28日]]・[[3月29日|29日]] - 臨時列車による'''「ありがとうパノラマカーイベント」'''を開催した。
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**第1弾の3月28日は、「南知多おもちゃ王国3周年記念号」として、常滑線の大同町駅から知多新線の内海駅で折り返して同線の[[知多奥田駅]]まで運転された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1191541_1140.html 3月28日(土)に7000系パノラマカーの「ありがとうパノラマカー 第1弾イベント」を実施します]</ref>。
|'''7017'''||'''7068'''||'''7067'''||'''7018'''
**第2弾の3月29日は、[[名鉄空港線|空港線]][[中部国際空港駅|中部国際空港]] - 常滑線[[聚楽園駅|聚楽園]]間を「セントレアライナー」として1往復運転した<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1192045_1140.html 3月29日(日)に7000系パノラマカーの「ありがとうパノラマカー 第2弾イベント」を実施します]</ref>。側面のサボ受けには「お帰りなさい!パノラマカー あれから3ヶ月…奇跡の復活!! 2009・3・15」というサボが挿されていた。
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*[[4月18日]] - '''「ありがとうパノラマカー 特別企画」'''として、臨時列車の運転の他、定期運転終了と同時に運用を離脱した1000系全車特別車編成のさよなら運転と保存車両の見学会が行われた。運転区間は豊明 - 舞木検査場間(配線関係上本宿駅で折り返し)の1往復で、使用した7011編成は往路の豊明発舞木検査場行に充当し、登場当時の7000系のイラストと「1961 Phoenix 舞木」の特製系統板を装着した。舞木検査場ではトップナンバー車(7001・7002)の見学も行われた(復路は1000系1001編成を充当)。しかし、この企画では予定を大幅に上回る応募者が出たため、同日乗車できなかった応募者のために翌[[4月19日|19日]]にも追加運転が行われた。運転区間も前日と同様だが、往復とも7011編成を充当した<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1192287_1140.html ~ありがとうパノラマカー 特別企画~ 7000系パノラマカー乗車&保存車両見学と1000系パノラマスーパーのさよなら運転」を4月18日(土)に実施します]</ref>。
|'''7019'''||'''7070'''||'''7069'''||'''7020'''
*[[4月26日]]・[[5月10日]] - [[東海テレビ放送]]の主催で「名鉄パノラマカー 乗車・撮影ツアー」が行われた。両先頭車にはイラスト付きの「ありがとうパノラマカー 豊明⇔本宿」の特製系統板が装着されていた。
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*[[5月16日]] - '''「ありがとうパノラマカー 第3弾イベント」'''として、犬山線犬山遊園 - 各務原線名鉄岐阜(折り返し) - 三柿野 - 広見線[[御嵩駅|御嵩]](折り返し) - 犬山線新鵜沼間で臨時列車「名称列車 4連発」として運転された。運転順に「座席指定 やながせ 岐阜」「ブルーインパルス 三柿野」「座席指定 鬼岩 御嵩」「春の犬山キャンペーン 木曽川うかい 新鵜沼」の4つの特製系統板を装着した。なおこのイベントで久々に広見線全線を直通する列車が運転された。また、このイベント開催が決定された[[4月24日]]に、名鉄は7000系の最終運行日を[[8月30日]]とすることが発表された(4月25日付け『中日新聞』34面より)<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1192793_1139.html ~名称列車 4連発~ 5月16日(土)に7000系パノラマカーの「ありがとうパノラマカー 第3弾イベント」の実施と7000系パノラマカーの最終運行日の決定について]</ref>。なお、各務原線および広見線での団体列車はこの日以降にも多く実施された<ref>5月17日は名鉄岐阜→新鵜沼→犬山→[[明智駅 (岐阜県可児市)|明智]](折り返し)→犬山間、23日は名鉄岐阜→新鵜沼→犬山→[[新可児駅|新可児]](折り返し)→犬山間、6月27日は三柿野→犬山→新可児間(両先頭車には「夢」と書かれた特製系統板が装着されていた)、7月5日は名鉄岐阜→新鵜沼→犬山→御嵩(折り返し)→犬山間(三柿野駅では白帯が復活したばかりの7711編成による定期列車との並びも見られた。)、19日は名鉄岐阜 - 新可児間(両先頭車には「Memorial Last Run 7000 ありがとう そして さようなら 新岐阜⇔新可児」の特製系統板が装着されていた。公式なイベントではなかったが、4年ぶりに「新岐阜」の表記が使われた。)</ref>。
|'''7021※'''||'''7072'''||'''7071'''||'''7022'''
*[[5月24日]] - 個人主催のブライダルトレイン「HappyTrain」が、金山-内海の往復で運転された。7000系最後のブライダルトレインであった。
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*[[6月6日]] - '''「ありがとうパノラマカー 第4弾イベント」'''として、名古屋本線豊明 - 広見線新可児(折り返し) - 犬山線新鵜沼間で臨時列車が運転された。このイベントは本系列が誕生から48周年を迎えるのに合わせて企画されたもので、途中の犬山線布袋駅では同駅で留置していた7041編成との並びも見られ、撮影会も行われた他、団体列車ではあるが営業列車として久々に[[名鉄名古屋駅]]を通過した<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1193341_1139.html ~7000系誕生48周年~ 6月6日(土)に7000系パノラマカーの「ありがとうパノラマカー 第4弾イベント」を実施します]</ref>。
|'''7023※'''||'''7074'''||'''7073'''||'''7024'''
*[[7月11日]]・[[7月12日|12日]] - '''「ありがとうパノラマカー 第5弾イベント」'''として、先述した通り白帯が施された7700系7711編成と7000系7011編成の重連運転による臨時列車が常滑線大同町 - 知多新線内海(折り返し) - 名古屋本線金山間で運転された。両編成とも特製の系統板を装着し、行きは「うつみ」、帰りは「あつた」といった平仮名の行先が書かれていた<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/1193939_1139.html ~7700系白帯復活~ 7月11日(土)、12日(日)に7000系パノラマカーの「ありがとうパノラマカー 第5弾イベント」を実施します]</ref>。
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*[[7月20日]] - 名鉄電車愛好会の運転で、名鉄岐阜 - 新可児 - 御嵩(折り返し) - 新可児 - 新鵜沼間にて団体列車が運転された。この日が御嵩乗り入れの最終列車だった。
|'''7025'''||'''7052'''||'''7151'''||'''7026'''
*[[7月26日]] - [[名鉄観光サービス|名鉄観光]]の企画で、名古屋本線金山 - 空港線中部国際空港間で団体列車が運転された<ref>乗車は片道のみ。[[中部国際空港 (企業)|セントレア]]の企画「[http://www.centrair.jp/event/ev-title/1182072_3676.html ありがとうパノラマカー展]」との連動。</ref>。なおこの日は夕方に折り返しの金山行も運行される予定だったが、荒天により聚楽園折り返し太田川止まりとなった。同様の団体列車は[[8月23日]]にも運行され、同日をもって中部国際空港への最後の乗り入れとなった。
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*[[8月8日]]・9日 - '''「ありがとうパノラマカー 第6弾イベント」'''として、名古屋本線豊明 - 本宿(折り返し) - 蒲郡線蒲郡(折り返し) - 豊明間で臨時列車が運転された。蒲郡までは「PANORAMA CAR LAST EVENT 三河湾」、蒲郡からは「ミュージックホーン 豊明」、それぞれの特製系統板が装着された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1194546_1139.html 8月8日(土)、9日(日)に7000系パノラマカーの「ありがとうパノラマカー 第6弾イベント」を実施します]</ref>。このイベントで西尾・蒲郡線への乗り入れが終了した。
|'''7027'''||'''7054'''||'''7153'''||'''7028'''
*[[8月22日]] - 最後の団体貸切列車が各務原線名鉄岐阜 - 広見線新可児(折り返し) - 犬山線新鵜沼間で運転された。編成の両端には全区間に「パノラマ大作戦号」、一部区間では片方に「絆」「Forever」と書かれた特製系統板、ドア横には特製のサボがそれぞれ掲出された。このイベントで金山以西での営業運行が終了した。
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*[[8月30日]] - '''7000系最終営業運行'''として、名古屋本線豊明 - 本宿 - 伊奈(折り返し) - 本宿間にて最後の営業運行が行われた。両先頭車には「1961.6.1~2009.8.30 17622DAYS ありがとうパノラマカー」と書かれた記念系統板が装着された他、伊奈での折り返し時にオルゴール付きマイクのメロディーが流れた。そして、運行終了後の本宿発車の際に運転手に花束が送られ、東岡崎幹事駅長による発車合図の後、7011編成は舞木検査場へ回送された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1195093_1139.html 8月30日(日)の7000系パノラマカー最終営業運行の概要決定について]</ref>。
|'''7029※'''||'''7076'''||'''7075'''||'''7030'''
*[[9月15日]] - 7011編成が[[名電築港駅]]へ廃車回送された。これにより、7000系は48年の歴史を終えた<ref>[http://railf.jp/news/2009/09/16/235100.html 名鉄「パノラマカー」7011編成,廃車回送される]</ref>。
|-
*[[11月3日]] - 7700系7711編成を使った団体臨時列車が犬山線中小田井 - 新鵜沼間で運転された。前後のサボ受けには「HAPPY WEDDING 明治村」と書かれた系統版が色違いで掲出されていた。団体運用終了後は回送列車とはならず定期列車(普通東岡崎行き)に増結されて三河線に戻り、すぐに定期運用に復帰した。
|'''7031※'''||'''7078'''||'''7077'''||'''7032'''
*[[11月29日]] - 7100系のさよなら運転が7000系の時と同区間で実施された。両先頭車には同系列の写真と「FINAL RUN 7100系」の文字をあしらった特製系統板が装着された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1196695_1139.html ~7000系パノラマカーの中間車に運転台を設置した7100系車両が引退します~ 7100系の引退を記念して「さよなら運転」の実施や「記念乗車券」の発売をします]</ref>。
|-

|'''7033※'''||'''7060'''||'''7159'''||'''7034'''
==== 2010年 ====
|-
*[[1月30日]]・31日 - 空港線と中部国際空港の開業5周年を記念して、7711編成が太田川 - 常滑 - 中部国際空港間の普通列車2往復に代走で用いられた。7700系が一般の営業列車として空港線に入線したのはこのときが初めてである(空港線開業前に試運転列車として入線した実績あり)。
|'''7035※'''||'''7056'''||'''7155'''||'''7036'''
*[[2月28日]] - 常滑線大同町駅~知多新線内海駅、内海駅~金山駅の経路で、7700系の残存3編成を連結した6両編成の団体列車が運転された。このイベントをもって、7709編成は営業運行を終了した。
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*[[3月14日]] - 7711編成による団体臨時列車が岡崎城西高校鉄道研究部OB会により、矢作橋駅 - 蒲郡駅 - 知立駅で運転された。この運用で7700系の西尾線・蒲郡線への入線が終了した。なおこの団体列車の乗務員も岡崎城西高校鉄道研究部のOBであった。
|'''7037※'''||'''7058'''||'''7157'''||'''7038'''
*[[3月21日]] - 7700系のさよなら運転が7000系・7100系の時と同区間で実施された。両先頭車には7000系・7100系・7700系のイラストと「Good-bye Series7700」の文字をあしらった特製系統板が装着された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1199641_1139.html ~パノラマカーゆかりの「7000番代」最後の車両がいよいよ最後の運行を迎えます~ 3月21日(日)の7700系車両最終営業運行の概要決定について]</ref>。
|-

|'''7039※'''||'''7080'''||'''7079'''||'''7040'''
== 保存車両 ==
|-
[[ファイル:Meitetsu 7000 Panorama station.jpg|thumb|中京競馬場で保存されている7027F(2006年4月1日)]]
|'''7041※'''||'''7082'''||'''7081'''||'''7042'''
*[[2002年]]に廃車された7027編成のうちの3両<ref>展示スペースの関係上2両あった中間車(モ7089 - モ7092)のうち、モ7089は解体された。</ref>が[[愛知県]][[豊明市]]にある[[中京競馬場]]内で静態保存され、「パノラマステーション(ビュッフェ・パノラマ)」として展示・公開されている。客車内は休憩室として開放されている他、中間車7092は食堂として利用している。また、土・日曜日には7027側の運転台に上がることができる(7028側は不可)。マスコンはシリース(直列指定)側・パラレル(並列指定)側ともに操作可能で、[[警笛|ミュージックホーン]]は競馬非開催日のみ鳴動可能である。ブレーキは常用ブレーキ(角度80°)位置で固定されている。車掌スイッチも鍵なしで動くが、扉とは連動していない。前面の方向板は7027側が「特 豊橋」、7028側が「特 岐阜」である。現役時代と同様に白帯は巻かれておらず、方向板も逆さ富士型となっている(種別を表す「特」のバックは青)。
|-
*また、本系列のトップナンバー車である7001編成のうちの両先頭車(7001・7002)は、2008年12月に[[舞木検査場]]に静態保存された<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2008/1188953_1140.html 7000系パノラマカーの保存方について] 2008年10月30日</ref>。7001号車は前頭部を改修し、デビュー当時の原形に近付けてあり(フェニックスのエンブレムや赤いワイパーなど。車掌室付近にはサボ受けが再び取り付けられ、行先表示が入っている。)、通常は非公開となるがイベントなどのみの公開されている。その後の推移については前記した。
|'''7043'''||'''7084'''||'''7083'''||'''7044'''
*上記の5両(7001・7002・7027・7028・7092)のうち、7092は、現存する7000系で唯一の中間車である。
|-
|'''7047※'''||'''7090'''||'''7091'''||'''7048'''
|}
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7700系・7100系4両編成:モ7102・モ7103の形式はモ7050形のままで変更されていない<ref name="dj290-6"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|<ref name="1985-ys-164"/>
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="6"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式<br/><small>()内は7100系</small>
| '''モ7700'''<br/><small>(モ7100)</small> || '''モ7750'''<br/><small>(モ7050)</small> || '''モ7750'''<br/><small>(モ7050)</small> || '''モ7700'''<br/><small>(モ7100)</small>
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="5"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7101'''||'''7102'''||'''7103'''||'''7104'''
|-
|'''7701'''||'''7752'''||'''7751'''||'''7702'''
|-
|'''7703'''||'''7754'''||'''7753'''||'''7704'''
|-
|'''7705'''||'''7756'''||'''7755'''||'''7706'''
|-
|'''7707'''||'''7758'''||'''7757'''||'''7708'''
|}
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7700系2両編成:4編成とも特急専用編成の「白帯車」<ref name="1985-ys-164"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|<ref name="1985-ys-164"/>
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="2"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式
| '''モ7700'''<br/><small>(モ7100)</small> || '''モ7700'''<br/><small>(モ7100)</small>
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="4"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7709'''||'''7710'''
|-
|'''7711'''||'''7712'''
|-
|'''7713'''||'''7714'''
|-
|'''7715'''||'''7716'''
|}


===2004年時点の編成===
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系・7700系6両編成
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|<ref name="rj459-120"/>
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="6"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式
| '''モ7000''' || '''モ7150'''<br/><ref name="mo7050" group="注釈"/> || '''モ7050'''<br/>{{refnest|group="注釈"|name="mo7750"|一部はモ7750形。}} || '''モ7050'''<br/><ref name="mo7750" group="注釈"/> || '''モ7050''' || '''モ7000'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M1||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="8"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7001'''||'''7152'''||'''7757'''||'''7758'''||'''7051'''||'''7002'''
|-
|'''7005'''||'''7156'''||'''7105'''||'''7106'''||'''7055'''||'''7006'''
|-
|'''7007'''||'''7158'''||'''7107'''||'''7108'''||'''7057'''||'''7008'''
|-
|'''7009'''||'''7160'''||'''7109'''||'''7110'''||'''7059'''||'''7010'''
|-
|'''7013'''||'''7164'''||'''7111'''||'''7112'''||'''7063'''||'''7014'''
|-
|'''7019'''||'''7070'''||'''7751'''||'''7752'''||'''7069'''||'''7020'''
|-
|'''7025'''||'''7088'''||'''7755'''||'''7756'''||'''7085'''||'''7026'''
|-
|'''7045'''||'''7086'''||'''7103'''||'''7102'''||'''7087'''||'''7046'''
|}
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系・7700系4両編成
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|<ref name="rj459-120"/>
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="6"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式
| '''モ7000''' || '''モ7050'''<br/>{{refnest|group="注釈"|name="mo71507750"|一部はモ7150形・モ7750形。}} || '''モ7050'''<br/><ref name="mo71507750" group="注釈"/> || '''モ7000'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="9"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7003'''||'''7154'''||'''7053'''||'''7004'''
|-
|'''7011'''||'''7162'''||'''7061'''||'''7012'''
|-
|'''7017'''||'''7068'''||'''7067'''||'''7018'''
|-
|'''7033'''||'''7060'''||'''7159'''||'''7034'''
|-
|'''7035'''||'''7056'''||'''7155'''||'''7036'''
|-
|'''7037'''||'''7058'''||'''7157'''||'''7038'''
|-
|'''7041'''||'''7082'''||'''7081'''||'''7042'''
|-
|'''7043'''||'''7754'''||'''7753'''||'''7044'''
|-
|'''7047'''||'''7090'''||'''7091'''||'''7048'''
|}
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7700系・7100系2両編成:全てワンマン対応車両<ref name="2009-kt-125"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|<ref name="rj459-120"/>
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="2"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式<br/><small>()内は7100系</small>
| '''モ7700'''<br/><small>(モ7100)</small> || '''モ7700'''<br/><small>(モ7100)</small>
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="9"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7101'''||'''7104'''
|-
|'''7701'''||'''7702'''
|-
|'''7703'''||'''7704'''
|-
|'''7705'''||'''7706'''
|-
|'''7707'''||'''7708'''
|-
|'''7709'''||'''7710'''
|-
|'''7711'''||'''7712'''
|-
|'''7713'''||'''7714'''
|-
|'''7715'''||'''7716'''
|}
===その他特別な編成===
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系10両編成:1961年9月に映画撮影と試験を兼ねて行われた<ref name="2009-kt-97"/>試運転での編成<ref name="rp812-45"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="10"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式
| '''モ7000''' || '''モ7150''' || '''モ7150''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7150''' || '''モ7150''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7000'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M1||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M1||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
![[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7001'''||'''7152'''||'''7151'''||'''7052'''||'''7051'''||'''7154'''||'''7153'''||'''7054'''||'''7053'''||'''7004'''
|-
|}
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系2両編成:この編成で運行されたのは、1963年5月26日の団体臨時列車のみ<ref name="rp812-45"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="2"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式
| '''モ7000''' || '''モ7000'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
![[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7001'''||'''7002'''
|}
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系8両編成:1967年12月末から1968年5月までこの編成で運用された<ref name="rp812-46"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="8"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式
| '''モ7000''' || '''モ7150''' || '''モ7150''' || '''モ7050''' || '''モ7150''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7000'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M1||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="2"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7005'''||'''7156'''||'''7157'''||'''7058'''||'''7155'''||'''7056'''||'''7055'''||'''7006'''
|-
|'''7013'''||'''7164'''||'''7161'''||'''7062'''||'''7163'''||'''7064'''||'''7063'''||'''7014'''
|-
|}
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系8両編成:1968年5月から1968年9月までこの編成で運用された<ref name="rp812-46"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="8"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式
| '''モ7000''' || '''モ7150''' || '''モ7150''' || '''モ7050''' || '''モ7150''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7000'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M1||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="2"|[[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7005'''||'''7156'''||'''7157'''||'''7058'''||'''7155'''||'''7056'''||'''7055'''||'''7006'''
|-
|'''7013'''||'''7164'''||'''7151'''||'''7052'''||'''7153'''||'''7054'''||'''7063'''||'''7014'''
|-
|}
;<!--同じ名前の節を作らないためこのようにしています-->7000系「白帯車」6両編成:この編成で運行されたのは、1985年9月29日の団体臨時列車のみ<ref name="2009-kt-117"/>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="6"|{{TrainDirection|豊橋|岐阜}}
|-
!形式
| '''モ7000''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7050''' || '''モ7000'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|M1||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M2 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| M1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
![[鉄道の車両番号|車両番号]]
|'''7001'''||'''7152'''||'''7051'''||'''7154'''||'''7053'''||'''7002'''
|}
== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|3}}
{{Reflist|group="注釈"}}


== 外部リンク ==
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
{{Commonscat|Meitetsu 7000 series|名鉄7000系電車}}
<ref name="1982-s-12">[[#白井1982|白井昭・白井良和『日本の私鉄4 名鉄』 (1982) p.12]]</ref>
{{Commonscat|Meitetsu 7500 series|名鉄7500系電車}}
<ref name="1982-s-24">[[#白井1982|白井昭・白井良和『日本の私鉄4 名鉄』 (1982) p.24]]</ref>
{{Commonscat|Meitetsu 7700 series|名鉄7700系電車}}
<ref name="1982-s-8">[[#白井1982|白井昭・白井良和『日本の私鉄4 名鉄』 (1982) p.8]]</ref>
{{Commonscat|Meitetsu 7100 series|名鉄7100系電車}}
<ref name="1982-s-9">[[#白井1982|白井昭・白井良和『日本の私鉄4 名鉄』 (1982) p.9]]</ref>
* [http://www.meitetsu.co.jp/ 名鉄公式ホームページ]
<ref name="1985-ys-20">[[#白井1985|白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.20]]</ref>
* [http://www.meitetsu.co.jp/densha/ 名鉄車両博物館]
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<ref name="rp812-37">[[#RP812-2|鉄道ピクトリアル 通巻812号 『パノラマカー2008』 (2008) p.37]]</ref>
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<ref name="rp816-276">[[#外山816|鉄道ピクトリアル 通巻816号 外山勝彦『名古屋鉄道 現有車両プロフィール2009』 (2009) p.276]]</ref>
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}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{Commonscat|ページ名=Meitetsu 7000 series|タイトル=名鉄7000系電車|追加1=Meitetsu 7700 series|タイトル1=名鉄7700系電車|追加2=Meitetsu 7100 series|タイトル2=名鉄7100系電車}}
* 清水 武「パノラマカーに思うこと」

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* 白井 昭「名鉄パノラマカー誕生とその後」
* {{Cite book|和書|author = [[白井昭]]・[[白井良和]]|authorlink = |coauthors = 井上広和|year = 1982|title = 日本の私鉄4 名鉄|publisher = [[保育社]]|ref = 白井1982|id = 0165-508521-7700|isbn = }}
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* 湯本洋一「名鉄パノラマカー 中京競馬場へ」
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*: 交友社『鉄道ファン』2002年12月号 No.500 P.146 - P.147
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* 萩原政男「通勤用の展望車・名鉄7000」
* {{Cite book|和書|author = [[徳田耕一]]|authorlink = |coauthors = |year = 2008|origyear = 2001|title = 名鉄パノラマカー|publisher = [[JTBパブリッシング]]|ref = 徳田2001|id = |isbn = 9784533037276}}
*: [[工業技術院産業工芸試験所]]『[[工芸ニュース]]』第29巻第6号 昭和36年8月発行 P.34 - P.35
* {{Cite book|和書|author = 徳田耕一|authorlink = |coauthors = |year = 2009|title = パノラマカー 栄光の半世紀|publisher = JTBパブリッシング|ref = 徳田2009|id = |isbn =9784533074288 }}

=== 雑誌記事 ===
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* {{Cite journal|和書|author=清水武 |year=2008 |month=12 |title=パノラマカーに思うこと |journal=[[鉄道ピクトリアル]]|issue=812 |pages= 10-17 |publisher=[[電気車研究会]] |ref = 清水812}}
* {{Cite journal|和書|author=白井昭 |year=1961 |month=7 |title=名鉄パノラマ・カー登場|journal=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] |issue=1 |pages= 37-47 |publisher=[[交友社]] |ref = 白井1}}
* {{Cite journal|和書|author=白井昭 |year=1961 |month=7 |title=名鉄パノラマ・カー|journal=鉄道ピクトリアル |issue=120 |pages= 21-25 |publisher=電気車研究会 |ref = 白井120}}
* {{Cite journal|和書|author=白井昭 |year=1961 |month=7 |title=パノラマ完成に伴う名鉄のダイヤ改正|journal=鉄道ピクトリアル |issue=120 |page= 26 |publisher=電気車研究会 |ref = 白井120-1}}
* {{Cite journal|和書|author=白井昭 |year=1961 |month=7 |title=パノラマ・カーをめぐる報道合戦|journal=鉄道ピクトリアル |issue=120 |page= 26 |publisher=電気車研究会 |ref = 白井120-2}}
* {{Cite journal|和書|author=白井昭 |year=2005 |month=1 |title=名鉄パノラマカー誕生とその後|journal=鉄道ファン |issue=525 |pages= 136-142 |publisher=交友社 |ref = 白井525}}
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* {{Cite journal|和書|author=渋谷高靖|year=1992 |month=3 |title=現役パノラマカー7000系・7500系オールカタログ|journal=レイルマガジン |issue=102 |pages=33-36 |publisher=企画室ネコ |ref = 渋谷102-2}}
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* {{Cite journal|和書|author= |year=2008 |month=6 |title=7000系”パノラマカー”・1000系”パノラマSuper”バリエーションと細部に迫る! |journal=鉄道ダイヤ情報 |issue=145 |pages= 26-33 |publisher=交通新聞社 |ref = DJ290}}
* {{Cite journal|和書|author= |year=2008 |month=12 |title=憧れは色褪せず |journal=鉄道ピクトリアル|issue=812 |pages= 1-5|publisher=電気車研究会 |ref = RP812-0}}
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* {{Cite journal|和書|author=|year= 2009|month= 11 |title=RAILWAY TOPICS |journal=鉄道ジャーナル |issue=517 |page= 142-147 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ517}}


== 関連項目 ==
{{名古屋鉄道の車両}}
{{名古屋鉄道の車両}}
{{ブルーリボン賞選定車両一覧}}
{{ブルーリボン賞選定車両一覧}}

2013年10月30日 (水) 00:57時点における版

名鉄7000系電車
(7700系・7100系)
パノラマカー
名鉄パノラマカー7000系
基本情報
製造所 日本車輌製造[1]
主要諸元
編成 2両編成[注釈 1]
4両編成[注釈 2]
6両編成[注釈 3]
8両編成[注釈 4]
10両編成[注釈 5]
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度 110km/h[7]
設計最高速度 150km/h[8]
起動加速度 2.3km/h/s[8]
減速度 4.5km/h/s[8]
全長 19,715mm[6](モ7000形)
18,830mm[6](モ7700形)
18,950mm[6](モ7100形)
18,830mm[6](モ7050形・モ7150形・モ7750形)
全幅 2,736mm[6]
全高 4,200mm[6](集電装置付)
4,065mm[6](集電装置なし・モ7000形)
3,830mm[6](集電装置なし・モ7150形)
3,880mm[6](集電装置なし・モ7050形の一部・モ7700形・モ7750形・モ7100形)
3,845mm[6](集電装置なし・モ7050形の一部)
台車 住友金属工業 FS335[8]
住友金属工業 FS335B[6]
住友金属工業 FS384[6]
住友金属工業 FS384A[6]
主電動機 東洋電機製造 TDK825/1-A[6]
東洋電機製造 TDK825/3-A2[6]
主電動機出力 75kW[6]直巻整流子電動機端子電圧340V[10]・定格回転数2,000rpm[11]
駆動方式 東洋電機製造 DND-102HJ[8]
中空軸平行カルダン駆動方式[9]
歯車比 78:16=4.875
制御装置 東京芝浦電気 MC-11C[9]
東京芝浦電気 MC-11E1M[9]
制動装置 発電制動併用電磁直通ブレーキ・可変荷重装置付 (HSC-D)[9]
保安装置 M式ATS
第5回(1962年
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名鉄7000系電車(めいてつ7000けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が1961年から2009年まで運用した電車である。

日本では初めて、運転台を2階に設置した上で最前部に展望席を設けた車両(展望車)で、「パノラマカー」という愛称がつけられ、1962年には鉄道友の会より第5回ブルーリボン賞受賞車両に選定された[12]。改良を加えつつ1975年まで継続して増備され[13]、合計116両が製造された[14]。長期間にわたり名鉄を代表するシンボル的な車両として扱われ[15][16]、一時期は名鉄では最多両数の形式となり[17]鉄道ファンからは「名鉄不朽の名車」[14]「永遠の名車」[16]ともいわれている。

本項では、本形式に準じた車両仕様で前面を貫通型として1973年に24両が製造された7700系と、本形式からの改造によって1984年に2両が登場した7100系についても記述する。また、名鉄の社内では5000系以降の高性能車について「SR車」[注釈 6]と呼称している[18]ことに倣い、本項でもそのように表記する。また、特定の編成について記す場合は、豊橋向きの先頭車の車両番号をもって編成呼称とする(例:豊橋向き先頭車の車両番号がモ7001の編成であれば「7001編成」)。

登場の経緯

前史

1955年に名鉄の副社長に就任した[19]土川元夫は、第二次世界大戦後、日本国外の交通調査資料などを熱心に読み、日本が主権を回復すると積極的に日本国外の鉄道の視察も行っていた[20]。また、1953年から経営コンサルタントとして名鉄から依頼を受けていた荒木東一郎は、アメリカの交通事情を視察しており「鉄道は凋落し、自動車の時代になる」と予測していた[20]。これを背景として、土川は「交通機関には寿命がある」という持論のもと、社員には「名鉄が鉄道としての魅力を失わない施策」「営業エリアの拡大につながる新しい乗り物」について社員に考えさせていた[20]

一方、1948年に名鉄に入社していた白井昭は、1952年から乗務員や検修担当者の教育を行う部署である名古屋鉄道教習所の教官として着任していた[21]が、名鉄社内で行われていた「合理化委員会」の会議にも、出席できるものには積極的に出席していた[19]。こうした白井の積極性を見て、土川は白井にも頻繁に声をかけるようになっていた[22]。白井も「聞かれたことを答えるだけではつまらない」と考え、本来の業務とは異なるダイヤ改正などについて考え、土川に意見を伝えるようになっていた[23]

また、白井はアメリカの鉄道車両や航空機・自動車で興味深いと思ったものをノートに記録し、デザインを研究していた[24]。ある時、白井と土川が車両の話をしていた時に、「前の景色が見える電車を作りたい」と話すと、土川は「それはいいな」とだけ答えたという[25]

未来の見える電車

名鉄では、1959年冷房装置を搭載した車両として5500系を登場させていた。特別料金を徴収しない列車での冷房化は、戦前にわずかな実績があるのみであり[26]、冷房を搭載した一般列車は日本国内の鉄道他社や[27]乗用車でもほとんど存在せず[28]、一般家庭にも冷房装置などない時代であり[28]、利用者や沿線住民を驚かせた[26][27]。しかし、白井は5500系に対して「独創的なところが何もない」と感じており[29]、土川からの5500系をどう思うかという質問にも「夢も希望もない」と即答した[30]。そのやりとりの後、白井は「あるべき車両」について土川に長い手紙を書くと[30]、すぐに土川に呼ばれ「今までにない展望車の計画の創造に全面的に努力せよ」という特命が下った[31]

イタリアの「セッテベッロ」 モントリオールの「ゴールデン・キャリオット」
イタリアの「セッテベッロ」
モントリオールの「ゴールデン・キャリオット」

土川はイタリアの鉄道を視察した際にイタリア国鉄ETR300電車「セッテベッロ」を気に入ったとされ、このため帰国後に車両部に写真や資料を回付したという話が伝えられている[32]が、土川は「…のような」というようにイメージを縛るような言い方は絶対にしなかったともいわれている[33]。また、当時ライバル視していた近畿日本鉄道(近鉄)の社長である佐伯勇から、10100系「ビスタカー」ブルーリボン賞を受賞したことを自慢されたために、「名鉄もブルーリボン賞を取れる車を」という命令があったともいわれている[32]が、後に白井がブルーリボン賞の受賞式典のために社内で根回しを行った際には、どの部署も鉄道友の会の存在を知らず[34]、「どのような賞なのか説明するのに苦労した」と白井は回想している[35]

いずれにしても、土川が展望車の実現を望んでいたことは確かで、1960年に役員会で展望車の企画が通ったときには、嬉しそうな顔をしながら白井に企画が通ったことを伝えたという[36]

一方の白井は、アメリカ人の友人から送られた保存鉄道ライブラリに掲載されていた、モントリオールの観光用電車である「ゴールデン・キャリオット」をイメージしていたという[33]。白井は、それまでの展望車が後ろの景色しか見えなかったことについては「過去を見ていることにしかならない」として[33]、このように主張した。

人間の本質として、過去よりも未来が見たいはずだ。これから作る展望車は、”未来”が見えるものでなければならない。ことに、子どもにそれを見せたい。 — 白井昭高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.63

土川もこの「すべての人が前を見られる」というコンセプトに賛成し、さらに「立っている乗客にも前が見えるつくり」を望んだ[37]

こうして、白井を企画責任者として、展望車の開発が開始された[37]。新型車両の開発は車両を統括する車両部計画課が担当するが、企画責任者の白井は、この時点では教習所の所属のままであった[37]。車輌の製造は日本車輌製造が担当することになった[38]

安全な電車

ところが、名鉄の社内から、この企画に反対する意見があった[39]

この当時、名鉄では踏切事故が激増していた[40]1958年12月24日に名古屋本線で特急に使用されていた3850系踏切オート三輪車と衝突した際には、オート三輪車の積荷が可燃物のシンナーであったために炎上して車両は全焼、乗務員・乗客にも死傷者が出ていた[41][42]。翌1959年にも、10月1日・10月9日・11月20日・11月29日・12月8日と踏切事故が多発しており[43]、乗務員の殉職もあった[40]。こうした事情から、「乗客を危険にさらすわけにはいかない」という理由で、列車の運転を統括する運転部の部長が車両部に対して抗議を申し入れたのである[39]

しかし、土川はその抗議を受けても、展望車の開発を中止することはしなかったため、車両部では「衝突しても安全な電車」を作らなければならなくなった[40]。安全性の確保を検討するうち、沿線企業の萱場工業からダンパーを先頭部分に設置するという提案があった[40]。計算した結果、オイルダンパーを前面に2本設置することによって、車体を守れるという結果が出た[44]ため、衝突の状態や吸収力などのシミュレーションが行われた[45]

そのほか、運転台へ乗務員がどう出入りするか[45]、運転台からの見通しがどうかなどが検証された[46]ほか、監督官庁にも指導を仰ぎ、車両設計において例外的な認可の箇所を減らすべく検討が行われた[47]。日本では前例がない車両構造のため、監督官庁も扱いに困ったといわれている[48]

1960年夏には役員会で新造計画が決定した[49]。これを受けて、白井は正式に車両部へ移動となり、新型展望車の開発に専念できるようになった[50]

デザイン決定の紆余曲折

1960年8月に入ると、デザインを検討するためにクレイモデルが3種類製作され[51]、その後にモックアップが製作された[51]が、モックアップは3種類のクレイモデルのどの形とも違うものになった[51][注釈 7]。さらに9月には車両のデザイン画も出来上がり、新聞にも掲載された[52]が、これもモックアップとは違うものになった[51][注釈 7]。それらはいずれも衝撃吸収用のダンパーを覆うボンネットが突き出たスタイル[52]で、白井の気に入るものではなかった[51]。デザインを提案した日本車輌の担当者は「このデザインのどこが悪い」と憤った[53]が、白井は土川に「デザインをやり直すべき」と進言[53]、それを受けて土川は「先頭部のデザインをやり直す」と決めた[53]

このため、日本車輌では日本国有鉄道(国鉄)の臨時車輌設計事務所を通じて[54]、インダストリアルデザイナーの萩原政男に車輌のデザインを依頼することになった[49]。実は、萩原は小田急電鉄の特急用車両である3000形SE車の計画段階において展望車のデザインの相談を受けていたが、実現していなかった[54]。また、国鉄の車両設計ではデザイナーの名前が出ることはなかったが、それではデザイナーの役割を世の中に認識させることはできなかった[54]。萩原は私鉄の車両であればそれが可能であると考え[54]、国鉄の仕事を辞めて名鉄の展望車の仕事を担当するようになった[55]

また、車体の色も画家杉本健吉によって決められることになった[56]。杉本は当初濃い緑色を考えていたが、車両部の担当者の提案を受け[56]スカーレット1色とすることになった[57]

1960年秋には、どんな車両になるかを新聞記者が取材していた際に、親しみやすい愛称として白井が萩原と相談して「パノラマカー」と述べた[57]ところ、マスコミでは「パノラマカー」と大見出しで報道され[58]、たちまち「パノラマカー」という名称が広まったという[58]

このような経過を経て登場したのが、7000系パノラマカーである。

車両概説

7000系は6両編成で登場し[59]1967年4月から4両編成も登場した[3]。設計段階では、将来10両編成に増強することを考慮しており[60]1968年ごろには8両編成での運用も行われた[5]ほか、試運転や臨時列車では2両編成や10両編成で運用されたこともある[2]1990年以降は7700系中間車が7000系の編成に組み込まれた[61]。一方、7700系は1973年4月に4両編成と2両編成が同時に登場した[62]。前面が展望席スタイルではなく貫通構造となっており、1990年以降はすべて2両編成で運用され[61]、7700系中間車は7000系の編成に組み込まれた[61]

7000系は系列中に3形式が、7700系は系列中に2形式が存在し、すべて電動車である。奇数番号の車両(Mc1・M1)に補助機器を搭載、偶数番号の車両(Mc2・M2)に制御装置集電装置を搭載し[63]、奇数番号の車両と偶数番号の車両をもって1つのユニットとして扱い[10]、この原則を守ることで、どのような編成にもすることが可能である[64]。名古屋本線上において、ユニットの豊橋側が奇数番号車となる[65]

モ7000形
7000系の編成において両端の先頭車となる制御電動車(Mc1・Mc2)。
モ7050形
7000系編成中間に組み込まれる中間電動車(M1・M2)。
モ7150形
7000系編成中間に組み込まれる中間電動車(M1・M2)で、工場内での入換用に簡易運転台を装備する[63]
モ7700形
7700系の編成において両端の先頭車となる制御電動車(Mc1・Mc2)。
モ7750形
7700系の編成中間に組み込まれる中間電動車(M1・M2)。

本節では以下、7000系について、1961年の登場当時の仕様を基本として記述し、増備途上での変更点と7700系については別途節を設けて記述する。更新による変更や7100系については沿革で後述する。編成については、編成表を参照のこと。

車体

先頭車は車体長19,000mm[8]・全長19,715mm[8]、中間車は車体長18,000mm[66]・全長18,830mm[66]で、車体幅は2,730mm[66]である。

車体色は前述の通りスカーレット1色である[57]。車体側面には近鉄のビスタカーに倣って「パノラマ」というロゴを入れる案があった[57]が、デザインを担当した萩原は「泥臭い」として採用しなかった[57]

構体

車体は全て普通鋼製で、軽量化のため強度計算を入念に行った[8]。また、車体の防音にも注力し、床板はキーストンプレートを採用した[66]

側面窓は日本車輌の提案により[38]、窓柱を車内に収め、ガラスで柱部分も覆う「連続窓」という固定窓構造が採用された[38]。側面のガラスは熱線吸収複層ガラスを使用し、基本的な寸法は幅1,500mm・高さ850mmで[8][66]、ガラスの厚さは外側5mm・内側5mmとし[48]、2枚のガラスの間には6mmの空間を設定している[48]。扉と扉の間では、先頭車ではこのガラスが4枚[8]、中間車では5枚並ぶ[66]。中間車の戸袋部分の窓には幅850mm・高さ850mmのガラスを使用した[66]。客用扉は幅1,100mmの片開き扉[8][66]を2箇所に配した[63]

レール上面から床面までの高さは、先頭の展望室が1,040mm[11]、それ以外の客室では1,150mmである[67]

先頭部

運転室を2階に上げた先頭部 前照灯と尾灯を兼用した標識灯
運転室を2階に上げた先頭部
前照灯と尾灯を兼用した標識灯

先頭部の形状は運転室を2階に上げ、最前部まで客室とした[8]。萩原は「ボンネットが突き出していると乗客に事故を連想させて不安を与える」として[55]、前面ガラスを車両先端まで延長し、後述するダンパーを車体の中に収納する構造とした[55]

前面窓は、当時の日本の技術では曲面の複層ガラスの製造ができなかった[68]ことと、製造数の少ない鉄道車両においてはコストが高くなるため[69]、すべて平面ガラスで構成した[69]。前面に使用されたガラスは外側8mm・内側5mmとし[48]、2枚のガラスの間には6mmの空間を設定しており[48]、当時の価格で1枚10万円という高価なものである[70]

衝突事故対策として、先頭部には最大吸収エネルギー77,000kg/m・容量250tのダンパーが2基設置された[66]。このダンパーの中心高さは、当時の大型ダンプカーの床面に合わせてレール面から1,300mmとし[69]、突き出し部分のバッファーは前部標識灯(前照灯)と一体のケースに収めた[55]

前照灯は、正面窓の上下に2灯ずつ、合計4灯設けた[71]。このうち、窓下の2灯については、前述のダンパーと一体化されたケースに収めたほか、光源そのものがサーチライトのように円錐を描くように回転することによって、地上から光が明滅しているように見える「旋回式前照灯」を採用した[72]。これは運転台にある旋回スイッチを入れることによって作動するもので、対向列車とのすれ違い時に減光していてもスイッチを投入すると旋回を開始する[72]。なお、窓上の2灯については固定式として、運転士の目が疲れないようにしている[72]。この前照灯は前後切り替えにより赤いフィルターがかかり尾灯として機能する[72]。非常時には尾灯の状態で旋回を行うことも可能である[72]

正面窓下中央部には "Phoenix" と記したエンブレムが取り付けられた[73]。これは「ダンプカーに衝突しても無事であるように」といういう願いを込めたものであるという[74]。行先表示器は設置されていないが、これは岐阜と豊橋を結ぶ特急列車のみに運用することになっていたため、車両そのもので行先と種別を表すという考えによる[75]。車両番号の表記は、それまでは側面窓下中央であった[76]が、7000系では客用扉横の下部に変更された[77]。書体はそれまでと同様のローマン体である[76]

内装

車掌台付近と貫通路 室内からみた展望席。隅柱が露出している 車掌台に設けられた折りたたみ座席
車掌台付近と貫通路
室内からみた展望席。隅柱が露出している
車掌台に設けられた折りたたみ座席

室内の配色については、落ち着いて気品に満ちた色彩とすることを図った[78]。側壁は窓より上はペールグレー[78]、窓より下はグレーのフロスト柄とし[78]、床の色はグレーで天井をホワイトとした[78]。座席のモケットは灰緑色で、名鉄では「ピーターパン・ブルー」と称している[78]

連続窓構造のため、客室内には鋼柱が露出している[71]が、ここに横引式のカーテンをおくことで窓柱を目立たなくした[79]。カーテンはベージュ色を基調とした。座席は転換式クロスシートをシートピッチ900mmで配置した[11]。ただし戸袋窓部分のみロングシートとしている。

車両間の貫通路は1,200mm幅の両開き扉とした[63]

モ7000形の連結面には車掌台を設けた[66]が、使用していないときには客室として使用する[80]ように、折りたたみ座席を設けた[81]。客室と車掌台の仕切り壁は設けられていない[64]。また、モ7150形の車端部には工場内での入換用に簡易運転台を設けた[63]

主要機器

主要機器については5500系を基本とし、若干の変更を加えたものとした[82]

電装品

制御装置は、5500系ではゼネラル・エレクトリック東京芝浦電気(東芝)の技術提携によってMCM形パッケージ型制御装置が採用されていた[83]。これは、5500系が全車電動車であることから、床下に冷房用電源の搭載スペースを捻出するために採用されていた[26]もので、7000系も全車電動車であることから、同様の理由で採用することになった。7000系で採用されたのは東芝のMC-11C形で[8]、制御器1台で8基の電動機の制御を行う方式 (1C8M) [84]の多段電動カム軸式パッケージ型制御装置である[8]。制御段数は、直列・並列とも17段、弱め界磁4段で、直列段と並列段は主幹制御器で指定する方式である[11]

主電動機については、東洋電機製造の補償巻線付直流直巻整流子電動機であるTDK-825/1-A形が採用されている[6]が、これは5500系で採用されたTDK-825A形とほぼ同型で、出力は5500系の主電動機と同じ75kWである[11][85]。また、駆動方式も5500系と同様の中空軸平行カルダン駆動方式[9][85]で、歯数比の78:16=4.875という設定も5500系と同様である[9][85]

制動装置(ブレーキ)については、5000系以降の高性能車で採用実績のある[86]発電ブレーキ併用のHSC-D形電磁直通ブレーキが採用された[8]

台車

名鉄では初の空気バネ台車となったFS335形

台車は、住友金属工業製のペデスタル式空気バネ台車であるFS335形台車が採用されたが、乗り心地向上のほか、荷重に対する車体高さの均一化を図る目的で[11]、ベローズ形空気バネは車体直結式となった[11]。また、これは名鉄では初の空気バネ台車採用となった[87]

この台車の採用に先立ち、1960年に5000系モ5003で先行試作台車による試験が行われている[88]。なお、試作台車は量産化改造の上、モ7006に使用されている[88]

運転室

運転士が乗務する乗務員室(運転室)は2階に上げた構造とした[8]。土川が気に入ったイタリアの「セッテベッロ」では客室内に運転室への階段を設けていたが、それより後ろの客室からは前方風景は見えなかった[45]。しかし、7000系のコンセプトは「すべての人が前を見られる」ことだった[37]。これを解決するため、運転室への出入りは車体側面にステップを設けることによって、客室内への張り出しをなくした[45]。これによって、客室の中央部からでも前面展望を楽しむことが可能になった[47]。車外ステップには夜間の昇降用に階段灯を内蔵した[76]。なお、非常用として客室内への昇降口を設け、折り畳み梯子を備えた[89]。運転席の左右斜め後方には窓を設けた[90]、後方には排気ダクトを設けた[90]

2階の運転室は車両限界内に納める必要があるため、当時発売された軽自動車スバル・360を参考にし[91]、運転士からの「運転室が狭いのではないか」という意見についても「スバル360を屋根に載せたと考えてほしい」と説明し納得させた[45]。運転席と助士席には座席を設置し[66]、その後ろには可搬式の折り畳み椅子を使用して2名程度が座れる程度の広さで[92]、詰めれば5名まで乗車可能である[76]

運転席の機器については、主幹制御器・ブレーキハンドルとも小型化を図った[93]。運転席の足元には左側から前照灯の減光・ミュージックホーン・電気笛・空気笛の順に4つのペダルが備わっている[92]

警笛

7000系の警笛は通常の空気笛のほかに、補助警報音として電子音楽を流すミュージックホーンを装備した[94]。このミュージックホーンは計画段階では公表されておらず[94]、後述する展示会において初めて公表された[94]

このミュージックホーンはトランジスタを用いた回路を使用して発振音を生成し、増幅器を通してスピーカーで前方に音を流す仕組みで[95]、すでに補助警報音を装備していた小田急SE車のテープ式と異なり、保守に手数を要さない点が特徴である[72]。登場当初は300Hz[注釈 8]・450Hz[注釈 9]・600Hz[注釈 10]の3音階を用いており[95]、1963年ごろには330Hz[注釈 8]・440Hz[注釈 9]・555Hz[注釈 10]の3音階とされた。また、ビブラートのための変調周波数は6Hzと指定された[95]。運転士足元にある4つのペダルのうち、左から2番目のペダルを踏むことで鳴動を開始し、もう一度踏むと停止する[95]

また、このミュージックホーンの回路を利用した電気笛も装備した[96]。これはミュージックホーンで使用している3音を和音として同時に鳴動させるもので[96]、運転士足元にある4つのペダルのうち、右から2番目のペダルを踏むことで鳴動を開始し、もう一度踏むと停止する[96]

その他機器

冷房装置は、5500系で採用実績のある東芝TAC-153形の改良型で、4,500kcal/hの能力を有するTAC-15形を、先頭車に6基・中間車には8基搭載した[8]ほか、展望室には床置き形で4,500kcal/hの能力を有するTAC-18形を2基搭載した[8]。これらの冷房は乗務員室から1つのスイッチで一斉操作できるようにした[82]

補助電源装置は、出力60kVAのCLG-326-D形電動発電機を装備した[8]。固定窓のため冷房停止は致命的な障害となるため、信頼性の向上に注力した[82]。電動空気圧縮機はD-3-FR形を採用した[8]

連結器は、先頭部分が小型の自動連結器[97]、編成中間は棒連結器である[10]

増備途上での変更点

1962年5月製造(2次車)
6両編成が4本増備された[3]。運転台前面窓の寸法拡大により、窓の寸法と形状が一部変更された[97]ほか、排障器の形状変更が行われた[97]。また、車側灯は1灯式から2灯式に変更され[3]、制御装置がMC-11D形に変更された[3]。車内では展望席の座席の位置が変更となり、最前部座席と冷房装置との間隔が500mmから600mmに変更された[3]ほか、展望席付近に速度計が装備された[77]。また、このときの増備車からは前面に「逆富士形」と呼ばれる行き先表示板が設けられた[97]
1967年3月製造(3次車)
4両編成が登場、5本が増備された[98]。車体構造が一部変更され、窓柱などに変化がある[3]。運転室の窓配置は7500系に準じた使用に変更され[88]、運転室側面に排気口が設けられ[3]、運転室後方の窓が隅に2箇所から背面に1箇所に変更された[97]。電装品についても、制御装置がMC-11E形に変更され、制御段数も直列・並列とも13段に変更された[88]ほか、冷房装置がRPU-1504形に変更され[98]、台車がダイヤフラム式空気バネを使用したFS335B形に変更された[99]。また、このときの増備車から前頭部にフロントアイと称する広角凸レンズの機器が設置され[88]、正面に連結対応準備工事が施された[100]
1968年10月製造(4次車)
既存の編成を組成変更して4両編成を増加させるための増備で[99]、先頭車のみ4両が製造された[98]。車内のロングシート部分につり革が設けられた[101]
1969年4月製造(5次車)
4両編成が2本増備された[102]。側面に電照式の座席指定表示器が設けられ、各車両に号車番号札差しが設けられた[99]
1970年4月製造(6次車)
4両編成を増加させるために[102]、先頭車のみ6両が製造された[99]。主電動機がTDK825/2-A形に変更された[103]
1971年7月製造(7次車)
4両編成3本が増備された[102]。この時の増備車から冷房装置が8,500kcal/hの能力を有するRPU-2208形に変更され[100]、先頭車に3台・中間車に4台が搭載された[99]。また、展望室部分のみシートピッチを880mmに変更し、最前部座席と冷房装置との間隔が600mmから660mmに変更された[104]
FS384形台車
1973年4月製造(7700系)
2両編成と4両編成が4本ずつ増備された[62]。展望席がなく、前面が貫通形になったのが特徴で、先頭車連結面側の車掌台もない[62]。機器と性能は7000系とまったく同じであるが[62]、台車がS形ミンデン式のFS384に変更され[105]、制御装置はMC11-E1M形とMC11-E2M形が採用された[105]。室内では座席のモケットの色がスカーレットに変更された[105]
1974年6月製造(8次車)
6両編成が2本増備された[102]。台車は7700系と同様のFS384に変更され[100]、座席のモケットの色も7700系と同様にスカーレットに変更された[100]。また、当初より正面に電動式の行先・種別表示器が設けられた[106]。簡易運転台の必要はなくなっていたため、モ7150形は製造されていない。
1975年7月製造(9次車)
一部の4両編成を6両編成化するため[107]、中間車のみ12両が製造された[106]。ラッシュ時対策として側面扉を幅1,200mmの両開き扉とした[100]ほか、扉両脇をロングシートとした[106]。クロスシート部分は座席定員確保のためシートピッチが840mmに縮小されている[100]。車両番号は7100番台となったが、形式はモ7050形のままである[108]

沿革

運行開始

1961年4月22日、完成した7000系パノラマカーの最初の編成が神宮前駅で報道公開された[109]。この時は報道関係者が撮影のために本線上に脚立を立て[109][注釈 11]、運転台には6人も入り込む騒ぎであった[109]。名鉄でも積極的に試乗会などを行い、運行開始までに20,000kmほど走行することになった[73]

また、この時期には新しい鉄道趣味雑誌として『鉄道ファン』が創刊されたが、この雑誌の初代編集長には7000系のデザインを担当した萩原が就任し[110]、『鉄道ファン』創刊号の表紙は廣田尚敬の撮影による7000系の写真であった[110]

同年6月1日、豊橋駅を午前9時4分に発車する特急新岐阜行きから、7000系パノラマカーの営業運行が開始された[111]。同年6月12日にはダイヤ改正が行われ、最高速度は110km/hに引き上げられた[112]。これによって豊橋と岐阜の間を3時間で往復する運用が可能となり[97]、日本の私鉄では初めて1日の走行距離が1,000kmを超える運用も登場した[97]。運行開始後のパノラマカーは人気を集め[113]、特急の始発駅である豊橋駅と新岐阜駅では、展望席の最前列に着席するために数時間も前から待つ光景も見られた[113]

これとあわせて、宣伝用の短編映画『ぼくらの特急』の撮影も行われた[114][注釈 12]。この映画の撮影のために、1961年9月には機能試験も兼ねて10両編成での運転が行われた[116]。また、複線の線路上で、撮影用電車と7000系を同じ方向に走らせ[117]、7000系が追い上げてくるシーンの撮影も行われた[118][注釈 13]。国鉄の特急「こだま」を並行区間で追い越すシーンを撮影しようとした[118]が、この時は注意信号が出ていて減速せざるを得ず、これは失敗であった[115]。また、「パノラマカーは沿線住民の通勤の足に使われてこそ価値がある」という思想を反映し、展望室でスーツ姿で新聞を読む乗客や、立っている乗客も映された[115]

ダンプカーとの衝突事故

このように好評をもって迎えられた7000系パノラマカーであったが、踏切事故に対する開発関係者の懸念は残っていた[74]。考えられる対策はすべて採り[74]、名鉄では「10トンのダンプカーが80キロのスピードでぶつかっても大丈夫」とした[93]ものの、本来はこうした機能は使われない方が望ましいものであった[116]

運行開始から半年ほど経過した1961年11月29日、名古屋本線の木曽川堤駅付近を特急新岐阜行きとして85km/hで走っていたパノラマカーの前に[74]、砂利を満載した大型ダンプカーが踏切警報を無視して入り込んできた[42][77]。運転士はすぐに非常ブレーキを操作したが衝突し[48]、ダンプカーは40mも引きずられ[77]、パノラマカーは286mも走った木曽川橋梁の中央部付近で停止した[74]

しかし、負傷者は乗客8名が軽傷を負っただけで[74][77]、しかもそれはダンプカーが側面にぶつかった際に側面ガラスが割れ、その破片が当たったものであった[120]。展望席のガラスはひびが入った程度で[42][77]、展望席に座っていた乗客は無傷だった[120]。その後の調査と分析で、車体は完全に原形をとどめており、衝突事故防止の対策はすべて設計どおりに機能していることが明らかになった[120]

この事故は「ダンプカーキラー」「ダンプキラー」と報道され、パノラマカーの安全性は立証された[120]

しかし、名鉄の社内では新たな懸念が発生した。当時の名鉄には、車体の一部が木造の半鋼製車どころか、木造車体の車両も残っていた[121]。「万が一AL車とでも衝突したらと思うとぞっとした」といい[121]、その後自動列車停止装置 (ATS) が整備されるまでは、列車同士の事故が起きた際に、7000系が絡んでいないと分かると安堵したという[121]

なお、事故のあった7003編成は、その後しばらくは事故で損傷したモ7004・モ7053の代わりに5500系を連結して運用された[42]。7000系と5500系の性能は同じであり[122]、その後も非常時には同じ方策が採られるようになった[122]

また、モ7004には事故復旧時に試験的に光電管式の速度計を客室内に設置した[123]が、この速度表示が好評だったことから[77]、その後の増備車では速度計を装備することになった[77]

ブルーリボン賞受賞

先頭車の前面に設けられた方向板

1962年には、7000系は鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞した[12]。白井が受賞式典のために名鉄の社内に根回しを行った際には、「どこの馬の骨か」という反応ばかりであった[34]が、五摂家の一つだった鷹司家の27代目当主鷹司平通が鉄道友の会の世話役を務めていると分かると、社内の反応は一気に好転したという[34]。同年5月26日の受賞式典において運行された「ブルーリボン賞受賞記念列車」には、白井のデザインによるヘッドマークがつけられた[34]

この年の6月25日のダイヤ改正からは増備車(2次車)が運用に入れられたが、このときから運用範囲に犬山線が加わったほか、名古屋本線でも急行などに使用されることになった[113]。このため、乗り間違いを防ぐために先頭車の前面に方向板が設けられた[113]。この方向板は、ブルーリボン賞受賞記念列車のヘッドマークのデザインがそのまま採用された[34]

1963年5月26日には国際かんがい排水委員会のための団体臨時列車が運行されたが、この列車には2両編成に短縮された7000系が運用された[2]。7000系が2両で営業運行をしたのはこのときだけである[2]

支線区への直通

1967年から設置されるようになったフロントアイ

1963年12月に7500系が登場し、しばらくは大きな変化はなかったが、社長に就任していた土川から「パノラマカーの特急を支線区へ直通させる」という方針が打ち出された[124]。これに伴い、本線特急には7500系を使用し、支線への直通に7000系が運用されるようになった[88]が、短い編成が必要となったため[88]、1967年3月に7000系の4両編成が登場することになった[88]。しかし、7000系が全車電動車であったため、支線の変電所容量では電力が不足する可能性があった[125]。この問題については2両の動力をカットすることで解決できた[126]が、切り替え操作を避ける目的で[126]、電圧を検知するリレーの設定値に差をつけ、電力不足になった際には2両の動力が自動的に切られるようにするという方策を採った[126]。この時の増備車からは、支線内において車両直前の安全確認を行えるようにするため「フロントアイ」と呼ばれる機器が前頭部に設置された[122]。この「フロントアイ」は広角の凸レンズを使用したもので[88]、レンズを通して見ると、天地が逆になるものの展望席の直前の様子が分かる[127]。フロントアイは、これより前に製造された車両にも追設された[88]

1967年12月から、6両編成4本を4両編成・8両編成2本ずつへと組成の変更が行われた[101]。8両編成は名古屋本線の特急8両編成化に対応したものであった[101]が、7500系の増備に伴い[101]1968年10月に8両編成は解除され、この年に増備された先頭車4両を加えて6両編成と4両編成に組成変更された[101]。その後も支線直通用の4両編成の増強は進み、1969年4月には4両編成2本が[128]、1971年4月には4両編成3本が増備された[129]ほか、1970年4月には先頭車のみ6両が製造され[128]、6両編成3本が4両編成6本に組成変更された[130]。なお、工場の設備が更新され、6両編成でも同時に入場できるようになったことから、モ7150形に設置されていた簡易運転台は1968年9月に撤去された[63]

なお、1971年9月3日には犬山線下小田井駅中小田井駅の間にある踏切で、警報機を無視した2.5tトラックと衝突する事故が発生した[131]。このトラックの積荷が可燃物のシンナーであったため衝突後に炎上し[42]、この年に製造されたばかりのモ7040が炎上する事故が発生している[132]

1973年に登場した7700系

このように支線への直通が多くなった7000系であったが、三河線尾西線には閉塞方式がタブレット閉塞であったため、運転台の高い7000系は入線していなかった[126]。これらの線区に運行されている特急の冷房化率向上のため、1971年10月にはAL車の機器に7000系7次車とほぼ同一仕様で前面貫通型の車体を架装した7300系が登場した[132]。さらに、1973年には7300系の高性能車版ともいえる7700系が登場した[133]。7700系は7000系をはじめとして、7500系を除くすべてのSR車との連結が可能な車両で[134]、2両編成と4両編成が4本ずつ製造され[62]、車両運用の合理化と輸送単位の調整が図られた[135]

社長の土川はパノラマカーを気に入っており[136]愛知県公安委員会の委員長に就任すると、愛知県内の踏切標識を蒸気機関車ではなくパノラマカーに変えてしまった[136]。さすがにこれは苦々しく思われたようで[136]、土川が公安委員長から退任すると標識は元に戻された[136]

通勤混雑の激化

この時期になると、朝夕のラッシュ時の混雑が激しくなり、すでに1967年からは犬山線でも8両編成の列車が走り始めていた[137]。しかし、名鉄の社内から出た「通勤輸送にまとまった投資を行い、通勤用の新車を作ってはどうか」という意見にも、社長の土川は「それは不経済車である」として、パノラマカーを列車体系の中心として、クロスシートに座って通勤という理想像を変えようとしなかった[138]。土川は、財務的現状からも輸送力増強には旧型車両の鋼体化が最適としていたのである[138]

7000系4両編成を2本連結 両開き扉となったモ7050形7100番台
7000系4両編成を2本連結
両開き扉となったモ7050形7100番台

通勤輸送に対応するため、1973年からは7000系の4両編成7本については連結化改造が行われることになり[139]、ラッシュ時には4両編成を2本連結した8両編成が走るようになった[137]。1974年6月には6両編成が2本増備された[100]。また、1975年には中間車が12両製造された[140]が、この時の増備車ではロングシートを増加させ[108]、扉も両開きに変更された[108]。形式はモ7050形のままであるが、車両番号は7100番台となった[108]。これによって4両編成のうち6本が6両編成に組成変更された[108]が、これが7000系では最後の増備となった[107]

この時点で、7000系は合計116両となり[137]、名鉄の車両では最多両数の形式となっていた[17]。また、7500系の72両を合わせるとパノラマカーだけで当時の名鉄における架線電圧1,500Vの区間に運用される車両の約3分の1を占めていた[137]

M式自動解結装置の設置が行われた連結器周り

この時期のラッシュ輸送では、本線では8両編成でないと運用できず、連結ができないパノラマカーの6両編成は普通列車や支線などで運用させていた[141]。それでもなお、津島線などでは人海戦術で乗客を車内に押し込む有様で[141]、しかもそれでも積み残しが出てしまい[142]、乗客からの苦情も多かった[142]。このような状況下、7000系をはじめとする2扉クロスシートのSR車のラッシュ時運用は、もはや限界であることが明確になった[141]。1975年には急遽東京急行電鉄(東急)から3扉ロングシート車である3700系電車を購入して3880系として運用されるようになり[143]、1976年には3扉の通勤車両である6000系の登場に至ったのである[144]

なお、1975年から800形モ809・モ810で試験を行っていた「名鉄式自動解結装置」(M式自動解結装置)を7000系でも試験運用を行うことになり[144]、7021編成と7023編成を4両編成に組成変更した上でM式自動解結装置の設置が行われた[144]。この試験運用の結果を踏まえ、1977年2月には7000系のすべての4両編成に対してM式自動解結装置の設置が行われた[145]

特急専用車の登場

7000系が運用を開始した頃は、特急でも特急料金は不要であった[10]が、1962年からは観光路線で座席指定料金を徴収する特急の運行が開始されており[146]、その後1965年にはキハ8000系を使用した座席指定特急が定期列車として設定されていた[146]。これをさらに進める形で、1977年3月20日のダイヤ改正では特急はすべて座席指定車両となり[147]、座席指定車両のない特急は「高速」という新種別に変更された[147]。この特急施策の変更に伴い、特急は原則として7000系・7500系・7700系で運用されることになった[147]ため、座席のモケットを赤色に変更し[147]、座席の枕カバーを白色[147]、カーテンも緑色地のものに変更された[147]

1980年7月21日、河和線を走行していた特急新鵜沼行きの7000系6両編成が、南成岩駅(当時)から成岩駅の区間を走行中、暑さによってレールが歪んでいたところを走行した際に、後部2両が脱線した[121]。この列車は300mほどそのまま進んだあと、踏切の護輪軌条によって脱線した車両は線路に戻った[121]。この珍しい現象はマスコミに注目され[121]日本テレビテレビ三面記事 ウィークエンダー』にも取り上げられた[121]

「白帯車」に改装された7000系(左)と7700系(右) 「白帯車」に改装された7000系(左)と7700系(右)
「白帯車」に改装された7000系(左)と7700系(右)

1982年3月には、国鉄が東海道本線117系を「東海ライナー」として快速列車に導入することが決まった[148]。これに対して競争力を高めるため[149]、名古屋本線の特急を増発した上で、一部は特急専用車両を投入することになった[148]。これに伴い、まず7000系4両編成のうち5本が特急専用車両に改装された[148]。改装内容は以下の通りである。

  • 座席モケットをオレンジとブラウンのツートーンに変更し[150]、座席の枕カバーも1人分ずつ別々のものとした[148]
  • 通路にカーペットを敷いた[150]
  • 各座席にくずもの入れを設置[150]
  • 妻面の戸袋窓を閉鎖し埋め込み[150]
  • 車体に200mm幅の白帯を配して識別[150]
  • 前面方向板のデザインを変更[148]

改装された車両は「白帯車」[注釈 14]と通称され[152]、翌1983年にはさらに7000系4両編成4本と7700系2両編成2本が「白帯車」に改装された[152]。この時期に先頭車客室内の速度計は撤去された[153]

中間車の先頭車化改造によって登場した7100系

これと前後して、1983年4月からは登場後20年を経過した7000系の特別整備が開始された[153]。この整備では正面の行先板の電動幕への改造や、妻面の戸袋窓の廃止などが行われた[153]。改造は2両単位で行われ[150]、先頭車が整備されている場合はもっぱら5500系のモ5519・モ5520の2両編成を代わりに連結して運用した[154]。また、1984年には6両編成のうち4本が4両編成化された[155]が、捻出された8両のうちモ7062・モ7064・モ7161・モ7163の4両は、8800系「パノラマDX」に機器を流用するため廃車となり[153]、冷房装置は瀬戸線6600系の冷房化改造に使用された[156]。これが7000系では初の廃車となった[153]。また、残る4両のうち、モ7101・モ7104については日本車輌に入場して6000系と同一仕様の運転台をする先頭車化改造が行われ[155]、7100系モ7100形に形式が変更された[157]。7100系は中間にモ7102・モ7103[注釈 15]を組み込んだ4両編成で[155]、他のSR車4両編成と共通運用されるようになった[158]

なお、7700系のうち、モ7714については1983年7月から1990年11月まで、日本車輌のND701形ボルスタレス台車の試験運用が行われた[159]。この試験の結果は、国鉄DT50形台車などの設計に反映された[159]

乗務員交代時にホーム上屋に頭部をぶつけてしまうおそれがある(左)ため、神宮前の駅ホームではホーム上屋を二重にして対応した(右) 乗務員交代時にホーム上屋に頭部をぶつけてしまうおそれがある(左)ため、神宮前の駅ホームではホーム上屋を二重にして対応した(右)
乗務員交代時にホーム上屋に頭部をぶつけてしまうおそれがある(左)ため、神宮前の駅ホームではホーム上屋を二重にして対応した(右)

なお、7000系と7500系では乗務員の運転台の出入りには車体外側のステップを昇降するが、運転室に入る際に体をかがむようにしないと、ホーム上屋の角に頭をぶつけるおそれがある[160]。このため、ほとんどの列車で乗務員交代のある神宮前駅[160]において、構内配線が1984年に改良された際には[160]、パノラマカーの乗務員の頭部負傷事故を防止するため[160]、ホーム上屋を二重にして対応した[160]

1985年9月に第十二代市川團十郎が犬山市の成田山名古屋別院大聖寺へ襲名報告を行う際に、同年9月29日新名古屋駅(当時)から犬山駅まで市川團十郎と共に鉄道を利用する主催旅行が企画された[161]。この主催旅行は申し込みが多かったため、この団体の専用列車は当初4両編成の予定を6両編成に増結することになった[161]が、7000系「白帯車」の4両編成に7700系「白帯車」の2両編成を増結するのではなく、別の7000系「白帯車」の中間車を2両組み込むこととした[161]。7000系「白帯車」の6両貫通編成で営業運行を行ったのは、この時だけである[161]。なお、この年の12月ごろから側面の座席指定表示は使用されなくなった[162]

1987年ごろにグレードアップされた特急仕様車の車内

1986年になると、国鉄東海道本線の普通列車の増発などが行われることになったため[163]、この対抗策として1986年から1987年にかけて、特急車両のグレードアップが行われることになった[163]。この時には7000系4両編成のうち11編成が「白帯車」として整備されることになったが、1982年から1983年に改装された車両も6本が含まれている[163]。改装内容は以下の通りである。

  • 座席を独立したヘッドレストに変更[164]
  • 室内化粧板をクリーム色の模様入りに変更[163]
  • 車両間の貫通扉を山吹色に変更[164]
  • 蛍光灯カバーを和紙模様のものに変更[163]
  • 各座席のくずもの入れを埋め込み式に変更[164]
  • 展望室にデジタル式の速度計を新設[163]
  • 車掌台に仕切りを新設[164]
  • 豊橋側先頭車には座席1脚を撤去して公衆電話を設置[165]

このとき、7100系の中間に組み込まれていたモ7050形は7000系に組み込まれ[158]、以後7100系は2両編成で他のSR車2両編成と共通運用されることになった[158]

1987年には8800系「パノラマDX」の増備車に機器を流用するため、モ7052・モ7054・モ7151・モ7153の4両が廃車となった[163]

特急運用から離脱

1988年に新型特急車両として1000系「パノラマSuper」が登場したことに伴い、7000系「白帯車」は7編成を残して一般用車両に格下げされることになった[166]

ところが、1990年に特急施策の変更が行われ、名古屋本線の特急については指定席車両と一般席車両(自由席)を連結することになった[167]。指定席車両が不足するため[168]、7700系の4両編成の中間車を2両編成とした上で「白帯車」に改装[167]、捻出された7700系の中間車は7000系4両編成に組み込んで6両編成化された[165]。これに伴い、1000系「パノラマSuper」や7700系「白帯車」に一般席車両として7000系を連結した特急も運行されるようになった[168][159]。しかし、この編成では指定席車両と一般席車両の通り抜けができず[167]、誤乗の問題も発生した[169]。中部運輸局からの指導もあり[169]、1000系「パノラマSuper」で指定席車両と一般席車両の通り抜けができる貫通編成を組成して対応したことから、1991年10月21日のダイヤ改正で名古屋本線の特急から一般席車両として7000系を連結した特急は解消された[159]

なお、中部運輸局からの指導によって、1990年以降は指定席車両には1000系か7000系・7700系「白帯車」が限定運用されることになった[170]。しかし、1991年の豊川線の初詣輸送においては特急に使用できる車両が不足するため、7000系・7500系の一般車6両編成を使用した座席定員制の列車として「ライナー」という種別が新設された[170]。この「ライナー」は1993年の初詣輸送まで運行された[170]

その後、「白帯車」は支線直通の特急に使用されていたが、1999年には1600系「パノラマSuper」が登場した[159]。これに置き換えられるかたちで、同年5月10日のダイヤ改正をもって「白帯車」は特急運用から外れた[171]。特急運用から外れた「白帯車」の一部は白帯だけを撤去して一般車になった[172]が、「白帯車」のままで廃車になった車両もあった[172]

終焉

三河線のワンマン列車に使用される7700系

2001年には、三河線知立駅から猿投駅までの区間においてワンマン運転が実施されることになった[159]ため、7700系と7100系についてワンマン化改造が実施された[173]。改造内容は、自動放送装置・足踏み式デッドマン装置・対話式非常通報装置というワンマン対応機器の設置が主である[173]が、この区間のワンマン運転では車内での運賃収受を行わないため、運賃箱は設置されていない[173]

一方、7000系については、少し遡る1998年から1999年にかけて22両廃車になった[172]のを皮切りに、特別整備を施工していない車両かつ検査期限切れとなる車両から順次廃車が開始された[174]。一方で、2003年には7000系6両編成のうち2編成について、先頭車の展望室側を除いた扉脇のクロスシートを撤去した[175]。2005年11月からは7700系でも同様の改造が行われた[176]。なお、1998年に廃車になった車両の中には中間車2両が含まれる[172]が、この中間車は6両編成に組み込まれていた車両で、残った4両は先頭車が7000系で中間車が7700系という編成となった[177][注釈 16]

なお、2005年1月29日に空港線が開業することになったのに合わせて[176]、7000系6両編成の前面にある行先板をすべて電動式方向幕に統一するための組成変更が行われた[176]。その空港線には、7500系が乗り入れ不可能であった[178]のに対し、7000系では開業初日から普通列車・急行で運用された[179]

その後、2006年9月には名鉄における特急施策の見直しを発表した[180]が、この時に7000系パノラマカーが2009年度内に全廃されることが記された[180]。翌2007年には4両編成3本と6両編成1本が廃車となり[179]、2008年6月29日のダイヤ改正では7000系の運用自体が大幅に減少し[181]、同年9月14日に運行されたイベント列車「さようならP6」[注釈 17]に運用されたのを最後に、6両編成の営業運行は終了した[182]

この時期になると名鉄のホームページでも「ありがとう パノラマカー」と称するイベントの一環として、パノラマカーの運用が公表されるようになった[183]が、鉄道ファンだけではなく、一般市民も名残りを惜しんで乗車するようになった[184]。開発にかかわった白井が日本放送協会 (NHK) 名古屋放送局の取材に応じてパノラマカーの展望席に乗り込んだ時、最前列で祖父と孫が前面展望を楽しみながら語り合っている姿を目撃し、白井は深く満足したという[184]

トップ席にお孫さんを連れたお祖父さんの姿が多く、これこそ私がパノラマカーで目指したものであった。 — 白井昭鉄道ピクトリアル 通巻816号 『パノラマカーと犬山モノレールの初期の思い出』 (2009) p.213
「白帯車」として再度整備された7011編成

2008年10月19日には、1999年に一般車に格下げされた後も内装が特急仕様車のままだった7011編成が「白帯車」として再度整備された[182]。また、トップナンバーの7001編成は10月27日に定期運用から離脱したが、豊橋向き先頭車のモ7001は舞木検査場において1961年登場当時の外観に復元された[185]。まずジャンパ栓やケーブル類・空気ホース、フロントアイをすべて撤去し、前面の方向板を撤去の上で "Phoenix" のエンブレムを装着、展望室周りの外板修理と再塗装を行った[185]。この状態で、11月9日には「一度限りのフェニックス復活運転」と題したイベント列車の運転が行われた[186]後、再度舞木検査場に入場し、列車無線アンテナ撤去や展望室部分以外の補修を行い[185]、モ7002とともに舞木検査場内の展示場に設置された[185]。なお、中間車は同年12月1日に名電築港駅に移送され、廃車となった[186]

この時点で残っていた7000系は4両編成3本のみであった[186]が、2008年12月26日限りで7000系の定期運用はなくなった[187]。定期運用最終日の3本の列車では前面に記念系統板が掲出され[188]、最後の営業列車となった東岡崎駅を午後8時29分に発車する岩倉行き普通列車では、神宮前駅で名鉄の副社長から運転士に花束が贈呈された[188]。その後、7011編成のみがイベント用として使用されるようになった[185]が、2009年8月30日の団体専用列車「ありがとうパノラマカー」の運転をもって7000系の営業運行は全て終了した[187]

一方、7700系・7100系はその後も運用されていたが、7100系は2009年11月29日に運行されたさよなら運転を最後に運用から外れて廃車となった[189]。7700系も2010年2月26日限りで定期運用から外れ[190]、同年3月21日に運行されたさよなら運転を最後に営業運行を終了した[191]

この時点で、名鉄の7000番台の形式を有する車両は全廃となった[192]

保存車両

中京競馬場で保存されている7027F(2006年4月1日)
舞木検査場
7000系のトップナンバーである7001編成のうちの両先頭車(モ7001・モ7002)は、2008年12月に舞木検査場に静態保存された[185]。モ7001は前頭部を改修し、デビュー当時の原形に近い外観に復元された[185]。通常は非公開となるがイベント時のみ公開される[193]
中京競馬場
2002年に廃車された7027編成のうちの3両(モ7027・モ7092・モ7028)が、2002年8月から愛知県豊明市にある中京競馬場内で静態保存され、「パノラマステーション」として展示・公開されている[175]。中間車モ7092は車内をカフェテリアに改造されている[175]。競馬開催日・場外馬券発売日には車内と運転台を公開している[175]

編成表

7000系は組成変更が多かったため、ここでは1985年時点・2004年時点についてのみ車両番号を記載する。ただし、7000系の2両編成・8両編成・10両編成についてはこの限りではない。

凡例
Tc …制御車、M …電動車、T…付随車(後ろの数字が1なら奇数番号・2なら偶数番号)
CON…制御装置、MG…補助電源装置(電動発電機)、CP…電動空気圧縮機、PT…集電装置

7000系登場当時の基本的な編成

[注釈 3]
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7150 モ7150 モ7050 モ7050 モ7000
区分 Mc1 M2 M1 M2 M1 Mc2
搭載機器 MG,CP CON,PT MG,CP CON,PT MG,CP CON,PT
定員 100 100 100 100 100 100

1985年時点の編成

7000系6両編成
 
[194]
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7150
[注釈 18]
モ7150 モ7050 モ7050 モ7000
区分 Mc1 M2 M1 M2 M1 Mc2
車両番号 7005 7156 7105 7106 7055 7006
7007 7158 7107 7108 7057 7008
7009 7160 7109 7110 7059 7010
7011 7162 7111 7112 7061 7012
7013 7164 7089 7092 7063 7014
7045 7086 7085 7088 7087 7046
7000系4両編成
豊橋方先頭車の車両番号末尾に「※」をつけた編成は特急専用編成の「白帯車」[194]
[194]
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7050 モ7050 モ7000
区分 Mc1 M2 M1 Mc2
車両番号 7001※ 7152 7051 7002
7003※ 7154 7053 7004
7015 7066 7065 7016
7017 7068 7067 7018
7019 7070 7069 7020
7021※ 7072 7071 7022
7023※ 7074 7073 7024
7025 7052 7151 7026
7027 7054 7153 7028
7029※ 7076 7075 7030
7031※ 7078 7077 7032
7033※ 7060 7159 7034
7035※ 7056 7155 7036
7037※ 7058 7157 7038
7039※ 7080 7079 7040
7041※ 7082 7081 7042
7043 7084 7083 7044
7047※ 7090 7091 7048
7700系・7100系4両編成
モ7102・モ7103の形式はモ7050形のままで変更されていない[151]
[194]
← 豊橋
岐阜 →
形式
()内は7100系
モ7700
(モ7100)
モ7750
(モ7050)
モ7750
(モ7050)
モ7700
(モ7100)
区分 Mc1 M2 M1 Mc2
車両番号 7101 7102 7103 7104
7701 7752 7751 7702
7703 7754 7753 7704
7705 7756 7755 7706
7707 7758 7757 7708
7700系2両編成
4編成とも特急専用編成の「白帯車」[194]
[194]
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7700
(モ7100)
モ7700
(モ7100)
区分 Mc1 Mc2
車両番号 7709 7710
7711 7712
7713 7714
7715 7716

2004年時点の編成

7000系・7700系6両編成
[174]
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7150
[注釈 18]
モ7050
[注釈 19]
モ7050
[注釈 19]
モ7050 モ7000
区分 Mc1 M2 M1 M2 M1 Mc2
車両番号 7001 7152 7757 7758 7051 7002
7005 7156 7105 7106 7055 7006
7007 7158 7107 7108 7057 7008
7009 7160 7109 7110 7059 7010
7013 7164 7111 7112 7063 7014
7019 7070 7751 7752 7069 7020
7025 7088 7755 7756 7085 7026
7045 7086 7103 7102 7087 7046
7000系・7700系4両編成
[174]
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7050
[注釈 20]
モ7050
[注釈 20]
モ7000
区分 Mc1 M2 M1 Mc2
車両番号 7003 7154 7053 7004
7011 7162 7061 7012
7017 7068 7067 7018
7033 7060 7159 7034
7035 7056 7155 7036
7037 7058 7157 7038
7041 7082 7081 7042
7043 7754 7753 7044
7047 7090 7091 7048
7700系・7100系2両編成
全てワンマン対応車両[173]
[174]
← 豊橋
岐阜 →
形式
()内は7100系
モ7700
(モ7100)
モ7700
(モ7100)
区分 Mc1 Mc2
車両番号 7101 7104
7701 7702
7703 7704
7705 7706
7707 7708
7709 7710
7711 7712
7713 7714
7715 7716

その他特別な編成

7000系10両編成
1961年9月に映画撮影と試験を兼ねて行われた[116]試運転での編成[88]
 
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7150 モ7150 モ7050 モ7050 モ7150 モ7150 モ7050 モ7050 モ7000
区分 Mc1 M2 M1 M2 M1 M2 M1 M2 M1 Mc2
車両番号 7001 7152 7151 7052 7051 7154 7153 7054 7053 7004
7000系2両編成
この編成で運行されたのは、1963年5月26日の団体臨時列車のみ[88]
 
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7000
区分 Mc1 Mc2
車両番号 7001 7002
7000系8両編成
1967年12月末から1968年5月までこの編成で運用された[5]
 
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7150 モ7150 モ7050 モ7150 モ7050 モ7050 モ7000
区分 Mc1 M2 M1 M2 M1 M2 M1 Mc2
車両番号 7005 7156 7157 7058 7155 7056 7055 7006
7013 7164 7161 7062 7163 7064 7063 7014
7000系8両編成
1968年5月から1968年9月までこの編成で運用された[5]
 
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7150 モ7150 モ7050 モ7150 モ7050 モ7050 モ7000
区分 Mc1 M2 M1 M2 M1 M2 M1 Mc2
車両番号 7005 7156 7157 7058 7155 7056 7055 7006
7013 7164 7151 7052 7153 7054 7063 7014
7000系「白帯車」6両編成
この編成で運行されたのは、1985年9月29日の団体臨時列車のみ[161]
 
← 豊橋
岐阜 →
形式 モ7000 モ7050 モ7050 モ7050 モ7050 モ7000
区分 Mc1 M2 M1 M2 M1 Mc2
車両番号 7001 7152 7051 7154 7053 7002

脚注

注釈

  1. ^ 1963年5月26日のみ[2]
  2. ^ 1967年4月から[3]運用終了まで。
  3. ^ a b 登場当時から2008年9月[4]
  4. ^ 1967年12月末から1968年9月まで[5]
  5. ^ 1961年9月の試運転時のみ[2]
  6. ^ 「スーパーロマン (Super Roman) 車」の略[18]
  7. ^ a b 白井はこの件について「苦労した割には、誰もが納得するデザインが得られなかった」と回想している[51]
  8. ^ a b イ長調の「ソ」の音に近い音[95]
  9. ^ a b イ長調の「ド」の音に近い音[95]
  10. ^ a b イ長調の「ミ」の音に近い音[95]
  11. ^ 鉄道ファン創刊号のp.37でも、同年5月6日に行われた報道関係発表会で、本線上に脚立を立てて撮影している姿が確認できる。当時はこのような撮影も列車運行の支障にならない限り、特に問題にならなかった。
  12. ^ この当時はテレビも一般家庭には普及しておらず、映画館で上映する方が媒体力があった[115]
  13. ^ この撮影方法は、フランスTGVではよく使用される方法である[119]
  14. ^ 「はくたいしゃ」と読む[151]
  15. ^ この2両の形式はモ7050形のままで変更されていない[151]
  16. ^ ただし、7700系の中間車の外観は7000系と同様で[177]、見た目は他の編成との差はない[177]
  17. ^ 「P6」とは「パノラマカー6両編成」の意味。
  18. ^ a b 一部はモ7050形。
  19. ^ a b 一部はモ7750形。
  20. ^ a b 一部はモ7150形・モ7750形。

出典

  1. ^ 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.177
  2. ^ a b c d e 鉄道ピクトリアル 通巻812号 清水武『パノラマカーに思うこと』 (2008) p.17
  3. ^ a b c d e f g h 鉄道ピクトリアル 通巻812号 『名古屋鉄道7000系列のバラエティ』 (2008) p.29
  4. ^ 鉄道ピクトリアル 通巻812号 『パノラマカー2008』 (2008) p.37
  5. ^ a b c d 鉄道ピクトリアル 通巻812号 外山勝彦『名鉄7000・7500・7700系の系譜』 (2008) p.46
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.168
  7. ^ 鉄道友の会東京支部『私鉄特急全百科』 (1979) p.137
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 鉄道ピクトリアル 通巻120号 白井昭『名鉄パノラマ・カー』 (1961) p.22
  9. ^ a b c d e f 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.169
  10. ^ a b c d 鉄道ピクトリアル 通巻120号 白井昭『名鉄パノラマ・カー』 (1961) p.21
  11. ^ a b c d e f g 鉄道ピクトリアル 通巻812号 外山勝彦『名鉄7000・7500・7700系の系譜』 (2008) p.44
  12. ^ a b 鉄道友の会編『ブルーリボン賞の車両'88』 (1988) p.80
  13. ^ 白井昭・白井良和『日本の私鉄4 名鉄』 (1982) p.12
  14. ^ a b 白井昭・白井良和『日本の私鉄4 名鉄』 (1982) p.9
  15. ^ 白井昭・白井良和『日本の私鉄4 名鉄』 (1982) p.8
  16. ^ a b 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.20
  17. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻505号 鶴通孝『健在 往年の看板特急電車 名鉄7000系&近鉄12200系』 (2008) p.46
  18. ^ a b 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.110
  19. ^ a b 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.48
  20. ^ a b c 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.51
  21. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.36
  22. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) pp.52-53
  23. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.53
  24. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) pp.53-54
  25. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.54
  26. ^ a b c 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.33
  27. ^ a b 白井昭・白井良和『日本の私鉄4 名鉄』 (1982) p.24
  28. ^ a b 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.152
  29. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.60
  30. ^ a b 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.61
  31. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) pp.61-62
  32. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻812号 清水武『パノラマカーに思うこと』 (2008) p.10
  33. ^ a b c 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.63
  34. ^ a b c d e 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.89
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  36. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) pp.69-70
  37. ^ a b c d 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.64
  38. ^ a b c 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.65
  39. ^ a b 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.66
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  43. ^ 鉄道ピクトリアル 通巻120号 渡辺肇『私鉄車両めぐり (46) 名古屋鉄道(補遺)』 (1961) pp.33-34
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  46. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.69
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  49. ^ a b 鉄道ファン 通巻525号 白井昭『名鉄パノラマカー誕生とその後』 (2005) p.138
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  51. ^ a b c d e f 鉄道ピクトリアル 通巻812号 白井昭『パノラマカーの誕生まで』 (2008) p.41
  52. ^ a b 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.74
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  54. ^ a b c d 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.76
  55. ^ a b c d 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.77
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  58. ^ a b 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.81
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  73. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻120号 渡辺肇『フェニックスよ永遠なれ』 (1961) p.27
  74. ^ a b c d e f 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.87
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雑誌記事

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