「名岐鉄道デボ600形電車」の版間の差分
m +tmp. |
公文書記載内容を元に追記・修正 |
||
(13人の利用者による、間の33版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{Pathnav|名古屋電気鉄道1500形電車|frame=1}} |
|||
{{Otheruses|旧・名古屋鉄道が新製したモ600形(初代)|[[名鉄美濃町線]]で使用されていた路面電車車両のモ600形|名鉄モ600形電車 (2代)}} |
|||
{{鉄道車両 |
|||
'''名岐鉄道デボ600形電車'''(めいぎてつどうデボ600がたでんしゃ)は、[[名古屋鉄道]](名鉄)の前身である旧・名古屋鉄道が新製した'''1500形'''1519 - 1525を前身とする600V線区用の[[電車]]。 |
|||
|車両名= 名岐鉄道デボ600形電車 |
|||
|社色= #C00029 |
|||
|画像= Meigi debo 600.JPG |
|||
|画像説明= 名岐鉄道デボ600形602 |
|||
|unit= self |
|||
|編成両数= |
|||
|営業最高速度= |
|||
|設計最高速度= |
|||
|起動加速度= |
|||
|減速度= |
|||
|車両定員= 100人(座席44人) |
|||
|全長= 14,935 [[ミリメートル|mm]] |
|||
|全幅= 2,642 mm |
|||
|全高= 4,115 mm |
|||
|車体材質= 木造 |
|||
|車両重量= 20.33 [[トン|t]] |
|||
|軌間= 1,067 mm([[狭軌]]) |
|||
|電気方式= [[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]]) |
|||
|主電動機= TDK-31-S[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]] |
|||
|主電動機出力= 70 [[馬力#英馬力|PS]] |
|||
|搭載数= 4基 / 両 |
|||
|歯車比= 2.65 (61:23) |
|||
|定格速度= |
|||
|駆動装置= [[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]] |
|||
|制御装置= [[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸式]]間接自動制御<br />東洋電機製造ES-155 |
|||
|台車= 住友製鋼所ST-2 |
|||
|制動方式= SME[[直通ブレーキ#SME|非常直通ブレーキ]] |
|||
|保安装置= |
|||
|製造メーカー= 名古屋電車製作所 |
|||
|備考= 各データは現・名鉄成立後、1952年(昭和27年)現在<ref name="RML187_p44" />。 |
|||
}} |
|||
'''名岐鉄道デボ600形電車'''(めいぎてつどうデボ600がたでんしゃ)は、[[名古屋鉄道|現・名古屋鉄道]](名鉄)の前身事業者の一つである旧・名古屋鉄道が導入した'''[[名古屋電気鉄道1500形電車|1500形電車]]'''のうち1519 - 1525の7両について、旧・名古屋鉄道の後身である[[名古屋鉄道#名古屋電気鉄道|名岐鉄道]]当時の[[1935年]]([[昭和]]5年)に実施された形式称号改訂に際して付与された形式区分である。 |
|||
デボ600形に区分された7両は、[[1925年]]([[大正]]14年)に製造された[[ボギー台車|2軸ボギー構造]]を採用した木造車体の[[電車]]([[動力車|制御電動車]])で、先行して落成した1500形1501 - 1518(後の[[名岐鉄道デボ300形電車|名岐デボ300形・デボ350形]]および[[名岐鉄道デボ400形電車|デボ400形・デボ450形]])と同様に「郡部線」と通称される鉄道線区間に導入された。 |
|||
==車両概要== |
|||
[[1925年]]([[大正]]14年)に7両が新製された。木造ダブルルーフ車体に片側3ヶ所の客用扉を持ち、[[名岐鉄道デボ400形電車|1511 - 1517]]と同様両端の扉は当初両開扉であった。また、同扉の車体中央側の戸袋窓が楕円形のいわゆる丸窓とされたことが特徴で、窓配置は1De122D221eD1(D:客用扉, e:丸窓)であった。電装品は[[イングリッシュ・エレクトリック]]社製、もしくは同社のライセンス製品を製造していた[[東洋電機製造]]製の[[デッカー]]・システムと称される機器が搭載された。また、旧・名古屋鉄道の電動車では初めて主電動機を4基搭載し、従来車と比較して性能の向上が図られている。 |
|||
== 沿革 == |
|||
==その後の経緯== |
|||
1500形1511 - 1518に次ぐ増備車として、1925年(大正14年)8月から同年11月にかけて1519 - 1525の7両が名古屋電車製作所において新製された<ref name="RP473_p167" />。木造二重屋根(ダブルルーフ)構造の車体は1511 - 1518と同様であるが、[[構体 (鉄道車両)#側面窓配置|側面窓配置]]が変更されるなど、一部設計変更が加えられた<ref name="RP248_p63" />。主要機器については「甲型<ref name="1925-no1849" />」と区分される1519・1520の2両が従来車の仕様を踏襲した主電動機2基仕様であったのに対して、「乙型<ref name="1925-no1849" />」と区分される1521 - 1525の5両については主電動機に従来の[[イングリッシュ・エレクトリック]] (EE) 製の輸入品ではなく[[東洋電機製造]]製の国産品を採用し、併せて主電動機を1両あたり4基搭載に増強して出力向上および動力性能の向上を図った<ref name="RP473_p167" /><ref name="1925-no1849" />。1521 - 1525にて確立された主要機器の仕様は、1500形に次いで導入された[[名古屋鉄道デボ650形電車|デボ650形]]のほか、旧・名古屋鉄道初の鋼製車である[[名古屋鉄道デセホ700形電車|デセホ700形・デセホ750形]]にも継承された<ref name="RP473_p167" />。また、1521以降の5両は落成当初より集電装置として[[集電装置#パンタグラフ|パンタグラフ]]を旧・名古屋鉄道の在籍車両において初めて採用した点も特筆される<ref name="meitetsu1975_p58" />。 |
|||
[[1930年]](昭和5年)に旧・名古屋鉄道が社名を名岐鉄道と改称した際デボ600形601 - 607に改称・改番され、同時期には車体両端の両開扉を片開扉に改造された。その後[[1935年]](昭和10年)に現・名古屋鉄道が成立した際に電動車の車種記号がデボからモに改められ、本形式も'''モ600形'''(初代)に改称されている。当初は旧名岐区間(通称西部線)各線で使用されていたが、戦後の架線電圧1500V化進捗に伴い、後年は[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]および[[名鉄小牧線|小牧線]]に転属し使用された。 |
|||
旧・名古屋鉄道が[[1925年]](大正14年)に[[尾西鉄道]]の鉄道事業譲受を機に実施した車番改訂に際しては<ref name="meitetsu1975_p188"/>、1519 - 1525は'''デボ600形'''601 - 607と形式称号および記号番号を改めた<ref name="RP248_p63" />。さらに現・名古屋鉄道(名鉄)成立後には'''モ600形'''(初代)と車両番号はそのままに形式称号のみを改め、[[1966年]](昭和41年)まで運用された<ref name="RP248_p63" />。なお、モ600形(初代)が搭載した台車・主要機器は[[廃車 (鉄道)|廃車]]後に[[制御車]]ク2330形(元[[知多鉄道デハ910形電車|モ910形]])へ転用され、同形式の再電動車化に際して用いられた<ref name="JTBC-R131_p137-139" />。 |
|||
なお、モ602 - 604は戦災もしくは事故で車体を焼失し、車体新製により復旧されたが、新車体は屋根形状がシングルルーフとなったことが特徴である。[[1963年]](昭和38年)6月にはモ607を除く6両を対象に車体外板に鋼板を張り付けて簡易鋼体化が施工された。 |
|||
== 車体・主要機器 == |
|||
簡易鋼体化の対象から外れたモ607が[[1965年]](昭和40年)8月に[[廃車 (鉄道)|廃車]]となったことを皮切りに順次淘汰が進み、[[1966年]](昭和41年)3月のモ605を最後に全廃された。なお、本形式の主要機器および台車は[[知多鉄道デハ910形電車|ク2330形]]の電装化・モ900形への改造に際して流用されている。 |
|||
全長14 m級の、屋根部をダブルルーフ構造とした木造車体を備える<ref name="RP473_p167" />。運転台を前後妻面に設けた両運転台構造とし、妻面は大きな円弧を描く丸妻形状で、3枚の前面窓を均等配置し、妻面裾部には連結器取付座を兼ねた台枠端梁が露出する<ref name="RP249_p63" />。側面に3箇所設けられた客用扉は、先行して導入された1511 - 1518と同様に両端部の扉が両開構造の引扉で、中央部の扉のみ片開構造の引扉である<ref name="RP249_p63" />。ただし、1519 - 1525においては両端扉の戸袋部に戸袋窓が設置され、車体中央側戸袋窓については楕円形の丸窓とした点が異なる<ref name="RP248_p63" />。各客用扉間には丸窓のほか5枚の側面窓を配し、側面窓配置は1 D e 5 D 5 e D 1(D:客用扉、e:丸窓)とである<ref name="RP248_p63" />。その他、二重屋根部の両脇に設置される通風器(ベンチレーター)が従来の水雷形からガーランド形に改良されている<ref name="RP120_p36" />。車内はロングシート仕様で、車両定員は100人(座席44人)を公称した<ref name="1925-no1849" />。 |
|||
主要機器は従来車と同様にイングリッシュ・エレクトリック (EE) の製品を採用、制御装置は同社の前身事業者の一つである[[:en:Dick, Kerr & Co.|ディック・カー・アンド・カンパニー]]が開発した、「デッカーシステム」と通称される電動カム軸式自動加速制御器を採用した<ref name="1925-no1849" />{{refnest|group="*"|時期は不明ながら、後年国産機種の東洋電機製造ES-155電動カム軸式自動加速制御器へ全車換装されている<ref name="RML187_p44" />。}}。主電動機については1519・1520が同じくEE製のDK-36[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]](端子電圧600 [[ボルト (単位)|V]]時定格出力90 [[馬力#英馬力|PS]])を歯車比3.21 (61:19) にて1両当たり2基搭載した一方<ref name="1925-no1849" />、1521 - 1525は東洋電機製造TDK-31-S直流直巻電動機(端子電圧500 V時定格出力70 PS)を歯車比2.65 (61:23) にて1両当たり4基搭載した点が大きく異なる<ref name="1925-no1849" />{{refnest|group="*"|こちらも時期は不明ながら、後年1519・1520(後のデボ601・デボ602)についても[[東洋電機製造]]TDK-31-SNに主電動機が換装され、4基主電動機仕様で統一されている<ref name="RML187_p44" /><ref name="JTBC-R131_p147" />。}}。 |
|||
制動装置については先行導入された1501 - 1518において採用されたゼネラル・エレクトリック (GE) 製のGE非常直通ブレーキではなく<ref name="RP473_p167" />、[[ウェスティングハウス・エア・ブレーキ]] (WABCO) 製のSME[[直通ブレーキ#SME|非常直通ブレーキ]]を採用した<ref name="RP473_p167" />。台車は1511 - 1518において採用された[[ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス]] (BLW) 製の[[ボールドウィンA形台車]]を設計の基本として住友製鋼所(のちの[[住友金属工業]])が模倣製造したST-2形鋼組立形[[鉄道車両の台車#イコライザー式|釣り合い梁式台車]]を装着する<ref name="RP473_p167" />{{refnest|group="*"|設計認可時の申請書においては装着する台車を住友製鋼所製の[[ブリル#27MCB|ブリルMCB]]としている<ref name="1925-no1849" />。}}。 |
|||
集電装置は、1519・1520の2両は[[集電装置#トロリーポール|トロリーポール]]を屋根上に前後各1基搭載して落成したが<ref name="meitetsu1975_p58" />、1521 - 1525の5両は屋根上前後のトロリーポールのほか屋根上中央部に東洋電機製造製の菱形パンタグラフを1基搭載して落成した<ref name="1925-no1849" /><ref name="meitetsu1975_p58" />。1519・1520についても落成後間もなくパンタグラフが追加搭載された<ref name="meitetsu1975_p58" />。 |
|||
== 運用 == |
|||
[[File:Meitetsu mo 605 iwakura.jpg|right|thumb|250px|[[名鉄岩倉支線|岩倉支線]]で運用されるモ600形605]] |
|||
導入後は郡部線と総称される各路線において運用され、尾西鉄道譲受後に実施された車番改訂<ref name="meitetsu1975_p188"/>に際しては、1519 - 1525は'''デボ600形'''601 - 607と、新たな形式称号および記号番号が付与された<ref name="RP248_p63" />。後年、両開構造であった両端部の客用扉を中央部の客用扉と同じく片開構造に改め、さらに時期は不明ながら{{refnest|group="*"|1941年(昭和16年)1月に撮影された画像において、デボ601(旧1500形1519)が当時既に丸窓を埋込撤去した状態であったことが記録されている<ref name="RF597_p151" />。}}後年丸窓の埋込撤去が実施されて側面窓配置は1 D 5 D 5 D 1となり<ref name="RF597_p151" />、デボ400形(旧1500形1511 - 1518)との車体外観上の差異は屋根上ベンチレーターの相違程度となった<ref name="RP65_p36-37" />。 |
|||
名岐鉄道と[[名古屋鉄道#愛知電気鉄道|愛知電気鉄道]]の対等合併による現・名古屋鉄道(名鉄)成立後の[[1941年]](昭和16年)2月に実施された形式称号改訂<ref name="RF597_p149" />に際しては、デボ600形は'''モ600形'''(初代)601 - 607と車両番号はそのままに形式称号のみを改めた<ref name="RP248_p63" />。 |
|||
[[太平洋戦争]]末期から終戦直後にかけて、モ602が戦災によって、モ603・モ604は事故によってそれぞれ車体を焼失し<ref name="RP248_p63" />、いずれも原形に近い木造車体を新製して復旧されたが、同3両は屋根部構造が原形のダブルルーフからシングルルーフ(丸屋根)へ改められた<ref name="RP248_p63" />。 |
|||
[[1948年]](昭和23年)5月に、架線電圧が600 [[ボルト (単位)|V]]規格であった旧名古屋鉄道・名岐鉄道に由来する西部線に属する各路線のうち、現在の犬山線・津島線および名古屋本線の一部に相当する区間の架線電圧1,500 V昇圧が実施された<ref name="meitetsu1961_p339-341" />。架線電圧600 V仕様の制御電動車であったモ600形(初代)は架線電圧600 V規格のまま存置された支線区用へ転用され、[[名鉄小牧線|小牧線]]・[[名鉄広見線|広見線]]など主に犬山地区の支線区において運用された<ref name="RP248_p63" />。 |
|||
その後、支線区における架線電圧1,500 V昇圧工事の完成や新型車両の導入に伴って、モ600形(初代)は順次[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]へ転属し<ref name="RP248_p63" />、広見線の架線電圧1,500 V昇圧に際して余剰となったモ607が[[1965年]](昭和40年)4月に転属したのを最後に全車とも瀬戸線へ集約され<ref name="JTBC-R131_p137-139" />、同路線の主力車両として運用された<ref name="JTBC-R131_p137-139" />。またその間、最後に転属したモ607を除くモ601 - モ606の6両を対象として、外板に鋼板を貼り付けて補強する簡易鋼体化改造が[[1961年]](昭和36年)<ref name="RP120_p33" />から[[1963年]](昭和38年)6月<ref name="RP248_p63" />にかけて順次施工された。 |
|||
同時期には本線系統において余剰となった半鋼製車体を備える各形式の瀬戸線への転属による、瀬戸線運用車両の体質改善が進められたが<ref name="JTBC-R131_p137-139" />、転属車両の中には[[名鉄3700系電車 (2代)|3730系]]ク2730形の新製に際して台車を含む主要機器を供出するため、車体のみが転属対象となったク2330形が含まれていた<ref name="JTBC-R131_p137-139" />{{refnest|group="*"|同形式は後に[[名鉄河和線]]となる路線を敷設・運営した知多鉄道が、同社路線の開業に際して[[1931年]](昭和6年)に新製した制御電動車[[知多鉄道デハ910形電車|デハ910形]]を前身とする<ref name="JTBC-R131_p152-153" />。知多鉄道の現・名古屋鉄道への吸収合併に際してモ910形と形式称号を改め、[[1964年]](昭和39年)から翌1965年(昭和40年)にかけて台車・主要機器を3730系モ3730形の新製に際して供出し<ref name="JTBC-R131_p156" />、同時期に廃車となった木造車より発生した台車を装着して制御車ク2330形と形式称号を改めたものであった<ref name="JTBC-R131_p156" />。}}。このク2330形の車体と、瀬戸線所属の木造電動車としては最晩年まで残存したモ600形(初代)の台車・主要機器を組み合わせて'''モ900形'''として導入することとし<ref name="JTBC-R131_p137-139" />、瀬戸線在籍車両の全面鋼体化の方針が策定された<ref name="JTBC-R131_p137-139" />。 |
|||
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;" |
|||
|- |
|||
! style="width: 5em; border-bottom:solid 3px #274;"| 車体 |
|||
! style="border-bottom:solid 3px #274;"| 機器供出元 |
|||
! style="border-bottom:solid 3px #274;"| モ900形 |
|||
|- |
|||
| ク2331 |
|||
| モ601 |
|||
| モ901 I (→モ907 II) |
|||
|- |
|||
| ク2332 |
|||
| モ604 |
|||
| モ902 I (→モ906 II) |
|||
|- |
|||
| ク2333 |
|||
| モ602 |
|||
| モ903 I (→モ905 II) |
|||
|- |
|||
| ク2334 |
|||
| モ606 |
|||
| style="text-align:left;"| モ904 |
|||
|- |
|||
| ク2335 |
|||
| モ603 |
|||
| モ905 I (→モ903 II) |
|||
|- |
|||
| ク2336 |
|||
| モ605 |
|||
| モ906 I (→モ902 II) |
|||
|- |
|||
| ク2337 |
|||
| モ607 |
|||
| style="text-align:left;"| モ901 II |
|||
|- |
|||
|} |
|||
この一連の改造に際して、唯一簡易鋼体化改造を施工されなかったモ607が1965年(昭和40年)8月24日付<ref name="PRC11_p176" />で除籍となったことを皮切りに、以降ク2330形の本線系統からの転属・整備入場に際して台車・主要機器を供出する目的でモ600形(初代)の廃車が順次進行した<ref name="JTBC-R131_p137-139" />。そして1966年(昭和41年)3月22日付<ref name="PRC11_p176" />のモ605の除籍をもって、名古屋鉄道1519 - 1525として導入された車両群は全廃となった<ref name="RP248_p63" />。 |
|||
なお、ク2330形2337への機器転用が予定されたモ607の主要機器のうち、ST-2台車のみは一旦モ750形751へ転用され、モ751が従来装着した台車は3730系ク2730形の新製に際して用いられた<ref name="JTBC-R131_p137-139" />。その後ク2337がモ900形901(2代)として導入された際、モ751から再びST-2台車を転用して装着し<ref name="JTBC-R131_p144" />、モ751は[[名鉄揖斐線|揖斐線]]系統への転属に際して台車を含む主要機器換装が実施されたモ757<ref name="RP611_p112" />より発生した台車を装着するという<ref name="JTBC-R131_p144" />、複雑な台車振替が実施されている。 |
|||
== 脚注 == |
|||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
=== 注釈 === |
|||
{{reflist|group="*"}} |
|||
=== 出典 === |
|||
{{Reflist|2|refs= |
|||
<ref name="1925-no1849">[[#1925-no1849|「監督局 第1849号 名古屋鉄道客車設計ノ件 大正14年7月20日」]]</ref> |
|||
<ref name="meitetsu1961_p339-341">[[#meitetsu1961|『名古屋鉄道社史』 pp.339 - 341]]</ref> |
|||
<ref name="meitetsu1975_p58">[[#meitetsu1975|『写真が語る名鉄80年』 p.58]]</ref> |
|||
<ref name="meitetsu1975_p188">[[#meitetsu1975|『写真が語る名鉄80年』 p.188]]</ref> |
|||
<ref name="PRC11_p176">[[#PRC11|『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.176]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p137-139">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.137 - 139]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p144">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.144]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p147">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.147]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p152-153">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.152 - 153]]</ref> |
|||
<ref name="JTBC-R131_p156">[[#JTBC-R131|『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.156]]</ref> |
|||
<ref name="RML187_p44">[[#RML187|『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 p.44]]</ref> |
|||
<ref name="RP65_p36-37">[[#RP65_p32-38|「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 3」 (1956) pp.36 - 37]]</ref> |
|||
<ref name="RP120_p33">[[#RP120_p32-39|「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」 (1961) p.33]]</ref> |
|||
<ref name="RP120_p36">[[#RP120_p32-39|「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」 (1961) p.36]]</ref> |
|||
<ref name="RP248_p63">[[#RP248_p60-65|「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」 (1971) p.63]]</ref> |
|||
<ref name="RP249_p63">[[#RP249_p54-65|「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 (1971) p.63]]</ref> |
|||
<ref name="RP473_p167">[[#RP473_p166-176|「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 (1986) p.167]]</ref> |
|||
<ref name="RP611_p112">[[#RP611_p108-113|「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 (1995) p.112]]</ref> |
|||
<ref name="RF597_p149">[[#RF597_p148-153|「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 (2011) p.149]]</ref> |
|||
<ref name="RF597_p151">[[#RF597_p148-153|「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 (2011) p.151]]</ref> |
|||
}} |
|||
== 参考資料 == |
|||
=== 公文書 === |
|||
* [[国立公文書館]]所蔵資料 |
|||
** {{Anchors|1925-no1849}}[[鉄道省]] 地方鉄道免許・名古屋鉄道3・大正14年 「監督局 第1849号 名古屋鉄道客車設計ノ件 大正14年7月20日」 |
|||
=== 書籍 === |
|||
* {{Anchors|meitetsu1961}}名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 『名古屋鉄道社史』 名古屋鉄道 1961年5月 |
|||
* {{Anchors|meitetsu1975}}名古屋鉄道株式会社 『写真が語る名鉄80年』 名古屋鉄道 1975年3月 |
|||
* {{Anchors|CB521}}[[白井昭]]・白井良和・井上広和 『日本の私鉄4 名鉄』 [[保育社]] 1982年8月 ISBN 4-586-50521-4 |
|||
* {{Anchors|PRC11}}白井良和 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 [[保育社]] 1985年12月 ISBN 4-586-53211-4 |
|||
* {{Anchors|JTBC-R131}}徳田耕一 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 [[JTBパブリッシング]] 2013年5月 ISBN 4-533-09166-0 |
|||
* {{Anchors|RML187}}[[清水武 (鉄道研究家)|清水武]] 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 [[ネコ・パブリッシング]] 2015年3月 ISBN 978-4-7770-5377-3 |
|||
=== 雑誌 === |
|||
* 『[[鉄道ピクトリアル]]』 [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]] |
|||
** {{Anchors|RP65_p32-38}}渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 3」 1956年12月号(通巻65号) pp.32 - 38 |
|||
** {{Anchors|RP120_p32-39}}渡辺肇 「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」 1961年7月号(通巻120号) pp.32 - 39 |
|||
** {{Anchors|RP248_p60-65}}渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」 1971年3月号(通巻248号) pp.60 - 65 |
|||
** {{Anchors|RP249_p54-65}}渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65 |
|||
** {{Anchors|RP473_p166-176}}白井良和 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.166 - 176 |
|||
** {{Anchors|RP611_p108-113}}渡利正彦 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 1995年8月号(通巻611号) pp.108 - 113 |
|||
* 『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』 [[交友社]] |
|||
** {{Anchors|RF597_p148-153}}大谷正春・清水武 「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 2011年1月号(通巻597号) pp.148 - 153 |
|||
== 関連項目 == |
|||
{{名古屋鉄道の車両}} |
|||
{{名古屋鉄道の前身事業者が導入した車両}} |
{{名古屋鉄道の前身事業者が導入した車両}} |
||
{{名古屋鉄道の車両}} |
|||
{{デフォルトソート:めいきてつとうてほ600かたてんしや}} |
{{デフォルトソート:めいきてつとうてほ600かたてんしや}} |
||
[[Category:名古屋鉄道の電車|旧めいき600]] |
[[Category:名古屋鉄道の電車|旧めいき600]] |
||
[[Category:1925年製の鉄道車両]] |
|||
[[Category:名岐鉄道|車600]] |
[[Category:名岐鉄道|車600]] |
||
[[Category:1925年製の鉄道車両]] |
|||
{{rail-stub}} |
2023年6月27日 (火) 11:02時点における最新版
名岐鉄道デボ600形電車 | |
---|---|
名岐鉄道デボ600形602 | |
基本情報 | |
製造所 | 名古屋電車製作所 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 100人(座席44人) |
車両重量 | 20.33 t |
全長 | 14,935 mm |
全幅 | 2,642 mm |
全高 | 4,115 mm |
車体 | 木造 |
台車 | 住友製鋼所ST-2 |
主電動機 | TDK-31-S直流直巻電動機 |
主電動機出力 | 70 PS |
搭載数 | 4基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
歯車比 | 2.65 (61:23) |
制御装置 |
電動カム軸式間接自動制御 東洋電機製造ES-155 |
制動装置 | SME非常直通ブレーキ |
備考 | 各データは現・名鉄成立後、1952年(昭和27年)現在[1]。 |
名岐鉄道デボ600形電車(めいぎてつどうデボ600がたでんしゃ)は、現・名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者の一つである旧・名古屋鉄道が導入した1500形電車のうち1519 - 1525の7両について、旧・名古屋鉄道の後身である名岐鉄道当時の1935年(昭和5年)に実施された形式称号改訂に際して付与された形式区分である。
デボ600形に区分された7両は、1925年(大正14年)に製造された2軸ボギー構造を採用した木造車体の電車(制御電動車)で、先行して落成した1500形1501 - 1518(後の名岐デボ300形・デボ350形およびデボ400形・デボ450形)と同様に「郡部線」と通称される鉄道線区間に導入された。
沿革
[編集]1500形1511 - 1518に次ぐ増備車として、1925年(大正14年)8月から同年11月にかけて1519 - 1525の7両が名古屋電車製作所において新製された[2]。木造二重屋根(ダブルルーフ)構造の車体は1511 - 1518と同様であるが、側面窓配置が変更されるなど、一部設計変更が加えられた[3]。主要機器については「甲型[4]」と区分される1519・1520の2両が従来車の仕様を踏襲した主電動機2基仕様であったのに対して、「乙型[4]」と区分される1521 - 1525の5両については主電動機に従来のイングリッシュ・エレクトリック (EE) 製の輸入品ではなく東洋電機製造製の国産品を採用し、併せて主電動機を1両あたり4基搭載に増強して出力向上および動力性能の向上を図った[2][4]。1521 - 1525にて確立された主要機器の仕様は、1500形に次いで導入されたデボ650形のほか、旧・名古屋鉄道初の鋼製車であるデセホ700形・デセホ750形にも継承された[2]。また、1521以降の5両は落成当初より集電装置としてパンタグラフを旧・名古屋鉄道の在籍車両において初めて採用した点も特筆される[5]。
旧・名古屋鉄道が1925年(大正14年)に尾西鉄道の鉄道事業譲受を機に実施した車番改訂に際しては[6]、1519 - 1525はデボ600形601 - 607と形式称号および記号番号を改めた[3]。さらに現・名古屋鉄道(名鉄)成立後にはモ600形(初代)と車両番号はそのままに形式称号のみを改め、1966年(昭和41年)まで運用された[3]。なお、モ600形(初代)が搭載した台車・主要機器は廃車後に制御車ク2330形(元モ910形)へ転用され、同形式の再電動車化に際して用いられた[7]。
車体・主要機器
[編集]全長14 m級の、屋根部をダブルルーフ構造とした木造車体を備える[2]。運転台を前後妻面に設けた両運転台構造とし、妻面は大きな円弧を描く丸妻形状で、3枚の前面窓を均等配置し、妻面裾部には連結器取付座を兼ねた台枠端梁が露出する[8]。側面に3箇所設けられた客用扉は、先行して導入された1511 - 1518と同様に両端部の扉が両開構造の引扉で、中央部の扉のみ片開構造の引扉である[8]。ただし、1519 - 1525においては両端扉の戸袋部に戸袋窓が設置され、車体中央側戸袋窓については楕円形の丸窓とした点が異なる[3]。各客用扉間には丸窓のほか5枚の側面窓を配し、側面窓配置は1 D e 5 D 5 e D 1(D:客用扉、e:丸窓)とである[3]。その他、二重屋根部の両脇に設置される通風器(ベンチレーター)が従来の水雷形からガーランド形に改良されている[9]。車内はロングシート仕様で、車両定員は100人(座席44人)を公称した[4]。
主要機器は従来車と同様にイングリッシュ・エレクトリック (EE) の製品を採用、制御装置は同社の前身事業者の一つであるディック・カー・アンド・カンパニーが開発した、「デッカーシステム」と通称される電動カム軸式自動加速制御器を採用した[4][* 1]。主電動機については1519・1520が同じくEE製のDK-36直流直巻電動機(端子電圧600 V時定格出力90 PS)を歯車比3.21 (61:19) にて1両当たり2基搭載した一方[4]、1521 - 1525は東洋電機製造TDK-31-S直流直巻電動機(端子電圧500 V時定格出力70 PS)を歯車比2.65 (61:23) にて1両当たり4基搭載した点が大きく異なる[4][* 2]。
制動装置については先行導入された1501 - 1518において採用されたゼネラル・エレクトリック (GE) 製のGE非常直通ブレーキではなく[2]、ウェスティングハウス・エア・ブレーキ (WABCO) 製のSME非常直通ブレーキを採用した[2]。台車は1511 - 1518において採用されたボールドウィン・ロコモティブ・ワークス (BLW) 製のボールドウィンA形台車を設計の基本として住友製鋼所(のちの住友金属工業)が模倣製造したST-2形鋼組立形釣り合い梁式台車を装着する[2][* 3]。
集電装置は、1519・1520の2両はトロリーポールを屋根上に前後各1基搭載して落成したが[5]、1521 - 1525の5両は屋根上前後のトロリーポールのほか屋根上中央部に東洋電機製造製の菱形パンタグラフを1基搭載して落成した[4][5]。1519・1520についても落成後間もなくパンタグラフが追加搭載された[5]。
運用
[編集]導入後は郡部線と総称される各路線において運用され、尾西鉄道譲受後に実施された車番改訂[6]に際しては、1519 - 1525はデボ600形601 - 607と、新たな形式称号および記号番号が付与された[3]。後年、両開構造であった両端部の客用扉を中央部の客用扉と同じく片開構造に改め、さらに時期は不明ながら[* 4]後年丸窓の埋込撤去が実施されて側面窓配置は1 D 5 D 5 D 1となり[11]、デボ400形(旧1500形1511 - 1518)との車体外観上の差異は屋根上ベンチレーターの相違程度となった[12]。
名岐鉄道と愛知電気鉄道の対等合併による現・名古屋鉄道(名鉄)成立後の1941年(昭和16年)2月に実施された形式称号改訂[13]に際しては、デボ600形はモ600形(初代)601 - 607と車両番号はそのままに形式称号のみを改めた[3]。
太平洋戦争末期から終戦直後にかけて、モ602が戦災によって、モ603・モ604は事故によってそれぞれ車体を焼失し[3]、いずれも原形に近い木造車体を新製して復旧されたが、同3両は屋根部構造が原形のダブルルーフからシングルルーフ(丸屋根)へ改められた[3]。
1948年(昭和23年)5月に、架線電圧が600 V規格であった旧名古屋鉄道・名岐鉄道に由来する西部線に属する各路線のうち、現在の犬山線・津島線および名古屋本線の一部に相当する区間の架線電圧1,500 V昇圧が実施された[14]。架線電圧600 V仕様の制御電動車であったモ600形(初代)は架線電圧600 V規格のまま存置された支線区用へ転用され、小牧線・広見線など主に犬山地区の支線区において運用された[3]。
その後、支線区における架線電圧1,500 V昇圧工事の完成や新型車両の導入に伴って、モ600形(初代)は順次瀬戸線へ転属し[3]、広見線の架線電圧1,500 V昇圧に際して余剰となったモ607が1965年(昭和40年)4月に転属したのを最後に全車とも瀬戸線へ集約され[7]、同路線の主力車両として運用された[7]。またその間、最後に転属したモ607を除くモ601 - モ606の6両を対象として、外板に鋼板を貼り付けて補強する簡易鋼体化改造が1961年(昭和36年)[15]から1963年(昭和38年)6月[3]にかけて順次施工された。
同時期には本線系統において余剰となった半鋼製車体を備える各形式の瀬戸線への転属による、瀬戸線運用車両の体質改善が進められたが[7]、転属車両の中には3730系ク2730形の新製に際して台車を含む主要機器を供出するため、車体のみが転属対象となったク2330形が含まれていた[7][* 5]。このク2330形の車体と、瀬戸線所属の木造電動車としては最晩年まで残存したモ600形(初代)の台車・主要機器を組み合わせてモ900形として導入することとし[7]、瀬戸線在籍車両の全面鋼体化の方針が策定された[7]。
車体 | 機器供出元 | モ900形 |
---|---|---|
ク2331 | モ601 | モ901 I (→モ907 II) |
ク2332 | モ604 | モ902 I (→モ906 II) |
ク2333 | モ602 | モ903 I (→モ905 II) |
ク2334 | モ606 | モ904 |
ク2335 | モ603 | モ905 I (→モ903 II) |
ク2336 | モ605 | モ906 I (→モ902 II) |
ク2337 | モ607 | モ901 II |
この一連の改造に際して、唯一簡易鋼体化改造を施工されなかったモ607が1965年(昭和40年)8月24日付[18]で除籍となったことを皮切りに、以降ク2330形の本線系統からの転属・整備入場に際して台車・主要機器を供出する目的でモ600形(初代)の廃車が順次進行した[7]。そして1966年(昭和41年)3月22日付[18]のモ605の除籍をもって、名古屋鉄道1519 - 1525として導入された車両群は全廃となった[3]。
なお、ク2330形2337への機器転用が予定されたモ607の主要機器のうち、ST-2台車のみは一旦モ750形751へ転用され、モ751が従来装着した台車は3730系ク2730形の新製に際して用いられた[7]。その後ク2337がモ900形901(2代)として導入された際、モ751から再びST-2台車を転用して装着し[19]、モ751は揖斐線系統への転属に際して台車を含む主要機器換装が実施されたモ757[20]より発生した台車を装着するという[19]、複雑な台車振替が実施されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 時期は不明ながら、後年国産機種の東洋電機製造ES-155電動カム軸式自動加速制御器へ全車換装されている[1]。
- ^ こちらも時期は不明ながら、後年1519・1520(後のデボ601・デボ602)についても東洋電機製造TDK-31-SNに主電動機が換装され、4基主電動機仕様で統一されている[1][10]。
- ^ 設計認可時の申請書においては装着する台車を住友製鋼所製のブリルMCBとしている[4]。
- ^ 1941年(昭和16年)1月に撮影された画像において、デボ601(旧1500形1519)が当時既に丸窓を埋込撤去した状態であったことが記録されている[11]。
- ^ 同形式は後に名鉄河和線となる路線を敷設・運営した知多鉄道が、同社路線の開業に際して1931年(昭和6年)に新製した制御電動車デハ910形を前身とする[16]。知多鉄道の現・名古屋鉄道への吸収合併に際してモ910形と形式称号を改め、1964年(昭和39年)から翌1965年(昭和40年)にかけて台車・主要機器を3730系モ3730形の新製に際して供出し[17]、同時期に廃車となった木造車より発生した台車を装着して制御車ク2330形と形式称号を改めたものであった[17]。
出典
[編集]- ^ a b c 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 p.44
- ^ a b c d e f g 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 (1986) p.167
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」 (1971) p.63
- ^ a b c d e f g h i 「監督局 第1849号 名古屋鉄道客車設計ノ件 大正14年7月20日」
- ^ a b c d 『写真が語る名鉄80年』 p.58
- ^ a b 『写真が語る名鉄80年』 p.188
- ^ a b c d e f g h i 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.137 - 139
- ^ a b 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 (1971) p.63
- ^ 「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」 (1961) p.36
- ^ 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.147
- ^ a b 「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 (2011) p.151
- ^ 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 3」 (1956) pp.36 - 37
- ^ 「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 (2011) p.149
- ^ 『名古屋鉄道社史』 pp.339 - 341
- ^ 「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」 (1961) p.33
- ^ 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 pp.152 - 153
- ^ a b 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.156
- ^ a b 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.176
- ^ a b 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.144
- ^ 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 (1995) p.112
参考資料
[編集]公文書
[編集]書籍
[編集]- 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 『名古屋鉄道社史』 名古屋鉄道 1961年5月
- 名古屋鉄道株式会社 『写真が語る名鉄80年』 名古屋鉄道 1975年3月
- 白井昭・白井良和・井上広和 『日本の私鉄4 名鉄』 保育社 1982年8月 ISBN 4-586-50521-4
- 白井良和 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 保育社 1985年12月 ISBN 4-586-53211-4
- 徳田耕一 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 JTBパブリッシング 2013年5月 ISBN 4-533-09166-0
- 清水武 『RM LIBRARY187 名鉄木造車鋼体化の系譜 -3700系誕生まで-』 ネコ・パブリッシング 2015年3月 ISBN 978-4-7770-5377-3
雑誌
[編集]- 『鉄道ピクトリアル』 鉄道図書刊行会
- 渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 3」 1956年12月号(通巻65号) pp.32 - 38
- 渡辺肇 「私鉄車両めぐり(46) 名古屋鉄道 補遺」 1961年7月号(通巻120号) pp.32 - 39
- 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 3」 1971年3月号(通巻248号) pp.60 - 65
- 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65
- 白井良和 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.166 - 176
- 渡利正彦 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 1995年8月号(通巻611号) pp.108 - 113
- 『鉄道ファン』 交友社
- 大谷正春・清水武 「戦争突入を目前にした1941年初頭の名鉄電車」 2011年1月号(通巻597号) pp.148 - 153