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「名鉄8800系電車」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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展望室部分がが保存されていることはすでに書いてあります
(3人の利用者による、間の6版が非表示)
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{{鉄道車両
{{右|
|車両名 =名鉄8800系電車<br/><small>パノラマDX</small>
[[ファイル:Nagoya-Railroad-8800.JPG|thumb|250px|none|8800系電車(2003年)]]
|社色 =#C00029<!--スカーレット 鉄道ピクトリアル通巻816号(2009年3月号臨時増刊)「特集・名古屋鉄道」 p.233の表から色を抽出-->
[[ファイル:Saya 8806b.JPG|thumb|250px|none|運用を離脱する直前には特製ヘッドマークが掲げられた。(2005年1月)]]
|画像 =Meitetsu 8800 inuyamabashi.jpg
{{ブルーリボン賞 (鉄道)|28|1985}}
|pxl = 300px
|画像説明 =登場当時の8800系「パノラマDX」
|unit =self
|編成 =2両編成{{refnest|group="注釈"|name="2両"|登場当初から1989年7月まで。}}<br/>3両編成{{refnest|group="注釈"|name="3両"|1989年7月から運用終了まで。}}
|営業最高速度 =110km/h
|設計最高速度 =
|最高速度 =
|起動加速度 =
|減速度 =
|編成定員 =
|車両定員 =46名(モ8800形・1次車および1992年の改造後の2次車)<ref name="rf287-15"/><br/>48名(モ8800形・1992年の改造前の2次車)<br/>39名(サ8850形・1992年の改造前)<br/>62名(サ8850形・1992年の改造後)
|編成長 =
|最大寸法 =
|全長 =19,880[[ミリメートル|mm]](モ8800形)<ref name="rf287-15"/><br/>19,730mm(サ8850形)<ref name="rf287-15"/>
|全幅 =2,740mm<ref name="rf287-15"/>
|全高 =4,200mm(集電装置付)<ref name="rf287-15"/><br/>3,880mm(集電装置なし)<ref name="rf287-15"/>
|車体長 =
|車体幅 =
|車体高 =
|車体材質 =
|編成質量 =
|車両質量 =
|軸配置 =
|軌間 =1,067mm
|電気方式 =[[直流電化|直流]]1,500[[ボルト (単位)|V]]<br/>([[架空電車線方式]])
|主電動機 =[[東洋電機製造]] TDK825/1-A<ref name="rf287-15"/>
|主電動機出力 =75[[ワット|kW]]([[直巻整流子電動機]]・[[公称電圧|端子電圧]]340V・定格回転数2,000[[rpm (単位)|rpm]])<ref name="rf287-15"/>
|主電動機出力2 =
|主電動機出力3 =
|主電動機出力4 =
|搭載数 =
|端子電圧 =
|定格速度 =
|定格引張力 =
|歯車比 =78:16=4.875<ref name="rf287-15"/>
|制御装置=[[東芝|東京芝浦電気]] MC-11C
|台車=[[住友金属工業]] FS384(モ8800形)<ref name="rf287-15"/><br/>住友金属工業 FS098(サ8850形)
|ブレーキ方式 =[[発電ブレーキ|発電制動]]併用[[電磁直通ブレーキ]] (HSC-D) <ref name="rf287-15"/>
|保安装置 =[[M式ATS]]
|製造メーカー =[[日本車輌製造]]
|備考 =
|備考全幅 ={{ブルーリボン賞 (鉄道)|28|1985}}
}}
}}
'''名鉄8800系電車'''(めいてつ8800けいでんしゃ)は、かつて[[名古屋鉄道]]に在籍ていた[[特急形車両|特急]][[電車]]。
'''名鉄8800系電車'''(めいてつ8800けいでんしゃ)は、[[名古屋鉄道]](名鉄)が[[1984年]]から[[2005年]]まで運用した[[名鉄特急|特急]]用の[[電車]]である


観光特急用の車両として[[名鉄7000系電車|7000系]]・[[名鉄7500系電車|7500系]]「[[パノラマカー]]」よりも豪華な車内設備とし、[[日本]]では初めて最前部の[[展望車|展望席]]を高床式(ハイデッカー構造)とした車両で<ref name="1985-ys-8"/>、一般公募により「パノラマDX(デラックス)」という愛称がつけられ<ref name="1985-ys-8"/>、[[1985年]]には[[鉄道友の会]]より第28回[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]受賞車両に選出された<ref name="BL88-16"/>。その後、需要の変化に伴い、内装を一部変更した上で支線へ直通する特急に使用されていたが、[[2005年]]に全車両が廃車された。
== 概要 ==
[[1984年]]([[昭和]]59年)12月に1次車が[[日本車輌製造]]<!--出典:保育社「私鉄の車両11 名古屋鉄道」p.178-->で落成した。


名鉄の社内では[[名鉄5000系電車 (初代)|5000系]]以降の高性能車について「SR車」{{refnest|group="注釈"|「スーパーロマン (Super Roman) 車」の略<ref name="1985-ys-110"/>。}}と呼称している<ref name="1985-ys-110"/>ことに倣い、本項でもそのように表記し、特に区別する必要がない場合は7000系・7500系をまとめて「パノラマカー」、7000系特急専用車については「白帯車」、本形式8800系については「パノラマDX」、[[名鉄1000系電車|1000系]]については「パノラマSuper」と表記する。また、特定の編成について記す場合は、[[豊橋駅|豊橋]]向きの先頭車の[[鉄道の車両番号|車両番号]]をもって編成呼称とする(例:豊橋向き先頭車の車両番号がモ8801の編成であれば「8801編成」)。
後述するが、[[ハイデッカー]][[展望車|展望室]]や、[[プライバシー]]を尊重したセミ[[コンパートメント席|コンパートメント]]、ゆったりした[[椅子#一般的な椅子|ソファー]]などを設置し、それまでの[[名鉄特急]]用の車両にはない豪華さを売り物とした車両である。[[愛称]]は一般公募で選ばれ、[[パノラマカー]]の進化形の意味を込めた'''パノラマDX'''(パノラマ・デラックス)と命名された。大胆な車体塗色の白色は、のちに登場する[[名鉄1000系電車|1000系]]よりもクリーム色がかった本系列固有の色調であった。


== 登場の経緯 ==
本系列が登場した当時は、[[高山本線]]直通の「[[名鉄特急#高山本線直通気動車列車「たかやま」・「北アルプス」|北アルプス]]」や、その[[間合い運用]]で使用される[[名鉄キハ8000系気動車|キハ8000系]]を除き、特急には[[名鉄7000系電車|7000系・7500系・7700系]]が充当され、このうち7000系と7700系の一部の編成は特急専用のいわゆる「白帯車」(はくたいしゃ)に改装されていた。しかし、これらの各系列が製造されていた[[1960年代]]から[[1970年代]]半ばの特急は基本的に特別料金不要の種別であったことや、特急の他に[[急行列車|急行]]や[[普通列車|普通]]などにも使用されていたことから、本格的な有料特急専用車両とは言えなかった<ref>1975年までの名鉄の電車は2ドア(セミ)クロスシートで製作され、新製後しばらくは特急列車専用とされ、後継車の増備に連れて広範に運用されるようになっていた。当時の名鉄では「特急形」「一般形」といった厳密な定義や概念、区分もなかった。</ref>。このため、本系列は名鉄線内のみで運用される初の有料特急専用車両となった。
名鉄は[[1961年]]以降に特急車両としてパノラマカーを登場させていた<ref name="2013-ft-86"/>。その後、パノラマカーの開発にかかわった[[白井昭]]は、その発展型として「パノラマドームカー」の構想を策定した<ref name="2013-ft-93"/>。これは編成の前後だけではなく、中間部にも床面を上げた2階席ドームを設けることによって<ref name="2013-ft-92"/>、先頭部の展望席とは異なる眺望を旅客に提供しようというものであった<ref name="2013-ft-92-93"/>。この案は実際に検討され、検討用の模型や2階席のモックアップも製作された<ref name="2013-ft-93"/>が、当時の社長だった[[土川元夫]]が「時期尚早」という判断を下したため、実現はしなかった<ref name="2013-ft-93"/>。


その後、1980年代に入ると、登場後20年を経過したパノラマカーの後継となる特急車両の登場が望まれるようになった<ref name="rj217-11"/>。この時期になると行楽旅行の形態にも変化があり、家族や小グループ単位での旅行が多くなっていた<ref name="rj217-11"/>。また、名鉄の鉄道路線の沿線はマイカーの普及率が高く、小グループ単位での旅行に対応するためには、マイカーの良さを鉄道車両に導入することが必須であると考えられた<ref name="rj217-11"/>。こうした考え方を元に、マイカーにはないゆとりとくつろぎを乗客が得られるように、マイカーよりもゆったりとした居住空間を備えた個室様式の客室とした<ref name="rj217-11"/>上、先頭の展望席はハイデッカー構造とすることによって、新たな魅力を付加することとした<ref name="rj217-11"/>。また、車両愛称も一般公募により決定することになった<ref name="rj217-11"/>。
これまでのパノラマカー7000系・7500系では[[操縦席|運転室]]に入るには車外から[[梯子]]を使って登らなければならなかったが、この8800系では運転室を展望室の先に設置し、また運転室への扉を旅客用扉より少し低い高さで設置した。運転室自体も床面は低いが、運転席は通常の低運転台車両と同じ高さとしてある。また、[[車掌]]台は7000・7500系と同様、別途に固定連結側の車端に設けられたが、「パノラマカー」とは異なり、客室とは完全に仕切られている。


この構想のもとに登場したのが、8800系「パノラマDX」である。
登場時は'''モ8800形'''の2両[[編成 (鉄道)|編成]]([[鉄道の車両番号|車両番号]]の奇数車と偶数車で[[動力車|電動車]]ユニットを構成する)で運転していたが、[[1989年]]([[平成]]元年)に中間[[付随車]]('''サ8850形'''、奇数番号のみ)を新製して1両ずつ組み込み、全車[[名鉄特急#料金制度|特別車]]の3両編成となり、4本12両が在籍していた。[[1992年]](平成3年)から[[2005年]](平成17年)までは8801・8803・8805編成の3本が主に[[名鉄津島線|津島線]]・[[名鉄西尾線|西尾線]]の定期特急列車用に、8807編成1本が[[団体専用列車|団体用]]にそれぞれ運用されていた。同編成は団体による貸切列車の他、イベント列車としても用いられた。その一つに、夏のイベント列車「[[ビール]]列車」があった。これは[[2004年]](平成16年)まで運行された。2両編成2本の体制だった頃、[[豊川稲荷駅|豊川稲荷]][[初詣]]臨時特急や[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]][[豊橋駅|豊橋]] - [[名鉄岐阜駅|新岐阜]]間(1往復のみ)の定期特急に使われたこともあった(初詣臨時特急は輸送力不足から岐阜寄りに7000系白帯車を連結して6両で運転。8800系と7000系では指定料金が異なっていたため、1つの列車で2種類の指定料金が存在していた)。
<!--展望室部分がが保存されていることはすでに最後の方に書いてあります-->
== 車両概説 ==
パノラマDXは2両編成で登場し、のちに付随車を中間に連結して3両編成として運用されるようになった。
;モ8800形 : パノラマDXの編成において両端の先頭車となる[[制御車|制御電動車]](Mc1・Mc2)。
;サ8850形 : パノラマDXの編成中間に組み込まれる付随車(T)。すべて奇数番号車<ref name="rj275-94"/>。


本節では、登場当時の仕様を基本とし、増備途上での変更点とサ8850形については別途節を設けて記述する。更新による変更については沿革で後述する。編成については、編成表を参照のこと。
しかし、その特殊な仕様が災いして定期特急列車の利用客からの評判は芳しくなく、また[[動力車|電動車]]の走行装置(主電動機と主制御器)は7000系からの流用品であり、最高速度が110km/hであったため、2005年に同じ特急特別車用の[[名鉄2000系電車|2000系]]・[[名鉄2200系電車|2200系]]の大量投入に伴って全車両が[[廃車 (鉄道)|廃車]]され、保存用に8803号の展望室部分がカットされたほかはその後解体された<ref>これに伴い、名鉄における現存車両の形式称号8000番台は消滅した。</ref>。また、保存用のカットボディは[[鉄道車両の台車|台車]]とともに[[舞木検査場]]で保管されており、一般公開時に展示される。


=== 車体 ===
本系列の[[インダストリアルデザイン|デザイン]]と[[コンセプト]]、ことに逆転の発想とでも言うべきハイデッカー展望室構造は1000系に受け継がれただけでなく、[[伊豆急行]][[伊豆急行2100系電車|2100系]]をはじめとして[[日本国有鉄道]](国鉄)や[[JR|JRグループ]]の[[ジョイフルトレイン]]にも影響を与えた。
制御電動車は全長19,880mmの全鋼製車体で、側面窓は隅を大きな半径としており<ref name="rj217-13"/>、窓の幅は1,700mmである<ref name="rj217-11"/>。


レール上面から床面までの高さは、先頭部分の展望室では床を高くしたハイデッカー構造としたため1,800mm<ref name="2009-kt-85"/>、それ以外の客室では1,100mmである<ref name="rj217-11"/>。客用扉は幅800mm<ref name="rj217-11"/>の2枚折戸を2箇所に配した<ref name="rj217-13"/>。
側面[[方向幕|種別・行先表示器]]は営業運転終了まで日本語表記のみで、青地に白文字の28コマ表示であった<ref>初期における1000系の方向幕とほぼ同じ。但し[[名鉄名古屋駅|新名古屋]]・新岐阜・[[新鵜沼駅|新鵜沼]]などは新を省略して「名古屋」「岐阜」「鵜沼」のように表示していた。</ref>。一時期、前面表示が通常の'''パノラマDX'''ではなく、'''マーメイド'''となっていたことがある。パノラマカーと同様に、号車番号は[[行先票#号車札・種別札・愛称札|サボ]]を挿入して表示していた。


車体色は薄いクリーム色を基調としてスカーレットの帯を窓の上下に配し<ref name="rf287-10"/>、車体裾部分と屋根肩部分はグレーとした<ref name="rf287-10"/>。
車両の最大長はモ8800形が19,880mm、サ8850形が19,730mmと20mに近く、台車中心間を在来車並みに抑えて[[オーバーハング (自動車用語)|オーバーハング]]を延長したため、車端の角を面取り状に絞ってあった。また、それ故に急曲線の[[吉良吉田駅]]にも入線可能であった。[[車両限界|車体断面]]は7000系などに準じているが屋根が若干高く、屋根肩の曲率半径が小さくなり、側窓位置を下げた(窓框高さ725mm)ことと相まって幕板が広くなった。この側面形状は1000系に受け継がれている。


== 設備 ==
=== 内 ===
客室の構成は、前寄りの扉より前方を展望席<ref name="rf287-11"/>、それより後ろの部分には2人用と4人用の区分室を3室設け<ref name="rf287-11"/>、後ろ寄りの扉の両側は6人用区分室とした<ref name="2009-kt-85"/>。内装の配色は豪華で落ち着いた感じにまとめることをねらい<ref name="rj217-13"/>、天井と窓枠はパール色<ref name="rj217-11"/>、窓の下は濃いクリーム色とし<ref name="rj217-11"/>、通路部分は青色の絨毯<ref name="rj217-13"/>、客席部分には全面にベージュ色の絨毯を敷いた<ref name="rj217-13"/>。客席部分の絨毯は床から200mm上の窓下壁面まで回りこんでいる<ref name="rj217-13"/>。
1・3号車の先頭部分に中2階の展望室がある。[[列車便所|トイレ]]と[[洗面器#洗面台・洗面所|洗面所]]が2号車に、[[清涼飲料水]][[自動販売機]]が3号車にそれぞれ設置されていた。また、[[発光ダイオード|LED]]式の旅客案内表示装置が区画ごとに設けられていた。


客室の照明は間接照明を設けた<ref name="rj217-14"/>ほか、主照明は2人区分室・4人区分室は荷棚に収め<ref name="rj217-14"/>、6人区分室では天井中央に設けた<ref name="rj217-14"/>。
[[定期列車]]に用いられる8801 - 8805編成の座席は、1・3号車に展望席が4列16人分<ref>旅客案内ではパノラマ席と呼ばれる。2次車は登場時シートピッチの狭い5列20人分で最前席のみ幅広であったが、一般特急化の際に1次車と同じ4列へ改装された。</ref>、4人用と2人用のセミコンパートメント席が各3区画18人分(いずれも向かい合せ固定座席、2次車8805編成以降は2人用の区画がなく回転リクライニングシート)、窓に背を向けて座る「サロン席」が6人用2区画12人分あった。また、2号車はキハ8500系と同型の[[鉄道車両の座席#クロスシート|リクライニングシート]]が16列並ぶ通常の特急列車仕様の座席だが、下記の理由で4箇所側窓に面していない席があった。客扉が1か所のみのため、座席数は62名分で「特別車」では最も多かった。また、セミコンパートメント席の[[衝立]]ガラスのデザインが1次車と2・3次車とで異なっていた<ref>1次車は透明ガラスに白の柄入り、2・3次車は半透明ガラスに加工を施したもの。</ref>。


客室ごとの仕様は以下の通りである。
団体用となっている8807編成の2号車サ8850形は、4人用と2人用のセミコンパートメントがあり、室内の一部が[[ロビーカー|ラウンジ]]になっていた。ラウンジの[[テレビ受像機|テレビ]]では[[衛星放送]]の受信も可能であった。また、1・3号車には上記の設備に加えて6人用のコンパートメントも設けられていた。
{{Triple image aside|right|Nagoya-Railroad-8800 Interior2.JPG|160|Nagoya-Railroad-8800 Interior.JPG|70|Meitetsu-8800-saloonseat.jpg|140|展望席|2人区分室|6人区分室の座席}}
;展望席:座席は前向きに固定された2人がけ座席をシートピッチ950mmで配置した<ref name="rf287-13"/>。前方がよく見えるように背もたれの高さを低くした<ref name="rf287-13"/>ほか、腰掛部分の床面高さを座席1列ごとに50mmずつ高くした<ref name="rf287-12"/>{{refnest|group="注釈"|これは、7000系の開発前に白井昭がイメージしていた、モントリオールの「ゴールデン・キャリオット」と同様の発想で<ref name="2013-ft-63"/>、パノラマDXで実現したものである<ref name="2013-ft-94"/>。}}。最後部の座席設置部分の床面高さはレール面から1,950mmとなり<ref name="rj217-14"/>、当時日本の鉄道車両ではもっとも高い位置に設置された旅客用座席であった<ref name="rj217-14"/>{{refnest|group="注釈"|参考までに、[[近畿日本鉄道]]の[[ビスタカー]][[近鉄30000系電車|30000系]]の2階席の座席部分の床面は、レール面から1,830mmである<ref name="rf287-13"/>。}}。座席には回転収納式の枕(ヘッドレスト)を設けた<ref name="rj217-13"/>。座席の表地(モケット)の色は金茶色とした<ref name="rj217-14"/>。
;2人区分室:前後方向に1,960mmの長さの区分室とし、幅610mmのリクライニングシートを向かい合わせに配置した<ref name="rj217-14"/>。この座席は窓側へ20度、通路側で15度の位置に回転することが可能で<ref name="2009-kt-85"/>、座席の表地は茶色である<ref name="rf287-13"/>。また、通路部分との仕切り(パーテーション)は、完全に仕切ると窮屈に感じられるため透明ガラスとし<ref name="rf287-13"/>、パノラマDXが結ぶ観光地を表現する模様を配した<ref name="rf287-13"/>{{refnest|group="注釈"|犬山城などのサクラ、木曽川の波、南知多海岸の波と貝殻のイラストである<ref name="rj217-14"/>。}}。
;4人区分室:前後方向と仕切りについては2人区分室と同様で、幅1,110mmの2人がけ固定ソファー座席を向かい合わせに配置した<ref name="2009-kt-85"/>。モケットは2人区分室と同様茶色である<ref name="rj217-14"/>。
;6人区分室:通路をはさんで幅1,960mの3人がけソファー座席を設けた<ref name="rf287-13"/>{{refnest|group="注釈"|ただし、「豪華なロングシートのようだ」とも評された<ref name="2009-kt-86"/>。}}。壁面は木目模様とし、モケットは2人区分室と同様茶色である<ref name="rj217-14"/>。


豊橋側先頭車の後端部には車掌室を設けた<ref name="rf287-10"/>。車掌室は扉では仕切られておらず<ref name="rf287-14"/>、オーディオサービス用のラジオとテープレコーダーを装備した。岐阜側先頭車の後端部に車内販売の準備を行うためのサービスコーナーを設けており<ref name="rf287-14"/>、冷蔵庫と温蔵庫(おしぼり蒸し器)を設置した<ref name="rf287-14"/>。
他の編成のサ8850形も落成時は8807編成のような仕様となっていた<ref>ただし衛星放送受信は不可。</ref>が、1992年以降、上記のように改造された上で2005年まで使用された。


客室内には各車両5箇所に、プラズマディスプレイを使用した速度計を設けた<ref name="rj217-14"/>。これは速度が上昇するにつれてパノラマDXの側面イラストが表示されるもので<ref name="rj217-14"/>、速度に応じて棒グラフのように車両イラストが長くなり<ref name="rj217-14"/>、また速度に応じてレールも後方に流れるように動くように見える<ref name="rj217-14"/>。
サ8850形は、ラウンジ部分の通路幅を確保するため車体断面が1000系に準じた側板がやや立った形状に変更された関係で、外観上この中間車だけが膨らんで見える。ラウンジ部分は屋根と側窓位置も高い。またセミコンパートメント席部分との境および車端の吹き寄せ幅が広く、後年この部分にも座席が設けられたため「窓なし席」が生じることになった。


=== 主要機器 ===
[[エア・コンディショナー|冷房装置]]は冷却能力15,000kcal/hと大容量の[[集約分散式冷房装置|集約分散式]](東芝 RPU-4002)を初採用し、各車2基搭載するほか、2次車の先頭車は展望室用に2,250kcal/hの別装置を搭載する。間接照明を採用したため天井高さは2,070mmと低い。
主要機器については廃車になった7000系からの流用で<ref name="2009-kt-84"/>、制御装置・制動装置(ブレーキ)は7000系と同一である<ref name="rj217-14"/>。
<gallery widths="200" style="font-size:90%;">
{{main|名鉄7000系電車#主要機器}}
ファイル:8805innen1.JPG|8805編成のセミコンパートメント席(2005年)
ファイル:Nagoya-Railroad-8800 Interior.JPG|セミコンパートメント席(2003年)
ファイル:Meitetsu-8800-saloonseat.jpg|サロン席(2005年)
ファイル:Meitetsu-8800-inside.jpg|2号車の室内(2005年)
ファイル:Nagoya-Railroad-8800 Interior2.JPG|1号車の展望席(2003年)
ファイル:Meitetsu 8800 inuyamabashi.jpg|犬山橋を渡る8800系(1986年)
</gallery>


== 歴史 ==
====電装品====
[[主制御器]]は、東芝のMC-11C形で<ref name="1985-ys-169"/>、多段電動カム軸式パッケージ型制御装置である<ref name="rf287-15"/>。
* [[1984年]](昭和59年) - 日本で最初のハイデッキ構造の展望室を備えた車両として登場。
** [[名鉄知多新線|知多新線]]・[[名鉄河和線|河和線]][[内海駅 (愛知県)|内海駅]](一部[[河和駅]]) - [[名鉄犬山線|犬山線]][[新鵜沼駅]]間を結ぶ特急列車として用いられた。他の座席指定特急よりも格上で、[[座席指定券]]も「デラックス特急座席指定券」となり、1乗車500円であった。
* [[1985年]](昭和60年) - [[鉄道友の会]][[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞。同年1月には7000系白帯車と連結した6両編成で[[名鉄豊川線|豊川線]][[豊川稲荷|豊川稲荷]] - 名古屋方面の[[初詣]]列車に使用される。
* [[1987年]](昭和62年) - 2次車2両編成2本(4両)増備。展望席の前面窓に[[ワイパー]]が装備された。
* [[1989年]](平成元年) - 中間にサ8850形が増結され、3両編成となった。座席指定料金は[[消費税]]導入を踏まえ520円とされた。付随車連結に当たり電動車のパワーアップ([[直巻整流子電動機|主電動機]]出力75kW→90kW、[[電気車の速度制御#弱め界磁制御|弱め界磁率]]40%→33%、[[電気車の速度制御#抵抗制御|限流値]]320A→380A)が施工された<!--それでもやや足が遅くなった-->。
* [[1990年]](平成2年) - 「特急」に料金不要の一般席が加わったため、本系列の位置付けが座席指定特急用車両から特急「指定席車」用車両となる。
* [[1992年]](平成4年) - 主に津島線・西尾線の定期特急列車に転用される。同時に「デラックス特急」としての別格扱いが廃止となり、座席指定券は他の特急と同様の310円に値下げされた。
* [[1995年]](平成7年) - 座席指定券が350円に値上げされた。
* [[1999年]](平成11年) - 特急に関する制度が変更され「指定席車」から「特別車」に変更となる。「座席指定券」は「[[ミューチケット|μチケット]]」に名称が変更された。
* [[2000年]](平成12年) - 8807編成が[[東海豪雨]]により冠水した[[須ヶ口駅]]にあって水没したが、修理を受け復帰した。
* [[2005年]](平成17年)[[1月29日]] - ダイヤ改正により運用を離脱。その後[[名鉄小牧線|小牧線]][[間内駅]] - [[牛山駅]]間の検車場予定地にて解体された。


[[主電動機]]については、東洋電機製造の補償巻線付直流[[直巻整流子電動機]]であるTDK-825/1-A形で<ref name="rf287-15"/>、出力は75[[ワット (単位)|kW]]である<ref name="rf287-15"/>。駆動方式も7000系と同様の[[中空軸平行カルダン駆動方式]]で<ref name="1985-ys-169"/>、[[歯車比|歯数比]]の78:16=4.875という設定も7000系と同様である<ref name="1985-ys-169"/>。
== 編成 ==
[[鉄道のブレーキ|制動装置(ブレーキ)]]については、7000系と同様に[[発電ブレーキ]]併用のHSC-D形[[電磁直通ブレーキ]]が採用された<ref name="1985-ys-169"/>。
<table>
<tr><td colspan=3>←[[豊橋駅|豊橋]]</td><td colspan=2 align="right">新岐阜(現在の[[名鉄岐阜駅|名鉄岐阜]])→</td></tr>
<tr><td>モ8800(Mc1,1号車)</td><td>-</td><td>サ8850(T,2号車)</td><td>-</td><td>モ8800(Mc2,3号車)</td></tr>
</table>


====台車====
[[鉄道車両の台車|台車]]は、モ8800形については[[住友金属工業]]製のS型ミンデン式[[空気バネ]]台車であるFS384形台車が採用された<ref name="1985-ys-168"/>。他の電装品を7000系から流用しているのに対して、パノラマDXでは年式の新しい台車を使用するために<ref name="2001-kt-160"/>、廃車になった7000系のFS335形台車を7700系や年式の新しい7000系に流用し<ref name="2009-kt-119"/>、それらの車両が装着していたS型ミンデン式台車をパノラマDXに流用している<ref name="2009-kt-119"/>。

==== 運転室 ====
[[運転士]]が乗務する[[操縦席|乗務員室(運転室)]]は、乗務員の視界を妨げず、また展望室からの前方展望も妨げない上、展望室部分は地方鉄道の車両定規に収めるという条件のもとに、実物大のモックアップを製作した<ref name="rj217-14"/>。モックアップによる検討の結果、運転室の床面をレール面から785mmに設定し<ref name="2009-kt-85"/>、運転室の床面から天井までを1,780mmに設定する<ref name="2009-kt-85"/>ことによって、運転室内で直立することも可能となった<ref name="rj217-14"/>。

====その他機器====
空調装置は、15,000kcal/hの冷房能力・8,600kcal/hの暖房能力を有するRPU-4002形<ref name="rf287-15"/>を、各車両に2基ずつ搭載した<ref name="rf287-15"/>。先頭車の空調装置のうち1台は展望室用である<ref name="rf287-15"/>。

補助電源装置は出力60kVAのCLG-326-D形電動発電機を<ref name="rf287-15"/>、電動空気圧縮機はD-3-FR形を採用した<ref name="rf287-15"/>。

連結器は、先頭部分が密着自動連結器<ref name="rf287-15"/>、編成中間は棒連結器である<ref name="rf287-15"/>。M式自動解結装置を装備しており<ref name="1985-ys-9"/>、7000系や[[名鉄5500系電車|5500系]]など他のSR車とも連結が可能である<ref name="1985-ys-9"/>。

=== 増備途上での変更点 ===
;1964年7月製造(2次車):2両編成2本が製造された。展望室の座席はシートピッチを縮小して前後5列とした<ref name="2009-kt-86"/>ほか、最前列と2列目は親子3人が並んで座れるように幅の広い座席とした<ref name="2009-kt-86"/>。また、6人区分室は廃止され<ref name="2009-kt-86"/>、4人区分室を1室増加させた<ref name="2009-kt-86"/>。2人区分室は開放型座席に変更され<ref name="2009-kt-86"/>、パーテーションを廃止し360度回転の1人がけ座席に変更された<ref name="2009-kt-87"/>ほか、もともと6人区分室があったデッキと車端部の間には完全に仕切られた4人用個室を設けた<ref name="2009-kt-87"/>。
;1967年4月製造(付随車):3両編成化のためサ8850形のみ4両を製造<ref name="rj275-94"/>、すべて奇数番号車<ref name="rj275-94"/>。台車については、S型ミンデン式空気バネ台車であるFS098形台車を新造した<ref name="rj275-94"/>。海側{{refnest|group="注釈"|豊橋から岐阜に向かう場合の左側。}}には4人区分室を5室配置し<ref name="rj275-94"/>、山側{{refnest|group="注釈"|豊橋から岐阜に向かう場合の右側。}}には360度回転の1人がけ座席9席配置した<ref name="rj275-94"/>。また、床面を8cm高くし<ref name="rj275-94"/>、ソファーが10脚配置された定員10人のラウンジを設け<ref name="2009-kt-87"/>、ラウンジ内に給茶機も設けられた<ref name="rj275-94"/>。また、サ8857に限り、試験的に衛星放送受信装置を設けた<ref name="rj275-94"/>。豊橋側車端部にはトイレと洗面所が設けられた<ref name="2009-kt-87"/>。

== 沿革 ==
===登場当初から3両編成化まで===
パノラマDXはまず2編成が導入され、1984年12月15日から営業運行開始となり<ref name="rj217-15"/>、初日には[[犬山遊園駅]]と[[内海駅]]で「発車式」が行われた<ref name="rj217-15"/>。1編成が南知多と犬山を結ぶ特急に運用され<ref name="rj217-15"/>、もう1編成は団体やイベント用に使用された<ref name="rj217-15"/>。この当時、名鉄における特急の座席指定料金は250円であった<ref name="2001-kt-61"/>が、パノラマDXについては500円の料金が設定された<ref name="2001-kt-61"/>。また、パノラマDXの車内ではおしぼりのサービスや車内販売も行われた<ref name="rj217-15"/>。

[[ファイル:Meitetsu 8800 InuyamaBridge.jpg|thumb|[[犬山橋]]を通過するパノラマDX]]
翌1985年の正月初詣輸送では豊川線にも乗り入れた<ref name="2009-kt-85"/>が、この時にパノラマDXが使用された臨時特急は、白帯車との連結となったため、同じ列車でありながら車両によって座席指定料金が異なる金額となった<ref name="2009-kt-85"/>。また、初詣団体列車にもパノラマDXが使用されたが、豊川線の線路容量が不足していたため、定期列車に使用されていたAL車{{refnest|group="注釈"|name="AL車"|名鉄の旧型車両のうち、間接自動制御方式の車両をさす部内呼称<ref name="1985-ys-158"/>。}}と連結するという光景も見られた<ref name="2009-kt-85"/>。パノラマDXはAL車とは本来連結できないため、この時は定期列車の運転士とパノラマDXの運転士が警笛で合図をしながら協調運転を行った<ref name="2009-kt-34"/>。この年、パノラマDXは鉄道友の会の[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞した<ref name="rj222-146"/>。この車体構造は、翌年に登場した[[伊豆急行]]「[[伊豆急行2100系電車|リゾート21]]」をはじめとして、その後に登場した前面展望車両にも影響を与えているといわれている<ref name="BL88-17"/>。1987年には2編成が増備された<ref name="2001-kt-15"/>が、このときの増備車では展望席の座席増加など、一部の仕様変更が行われている<ref name="2001-kt-15"/>。

1989年には中間車が増備され、同年7月15日からは全ての編成が3両編成での営業運行を開始した<ref name="rj275-94"/>。3両編成化にあたっては、先頭車の座席モケットや絨毯を交換した<ref name="rj275-94"/>ほか、主電動機の出力更新と耐雪ブレーキ装備の追加が行われている<ref name="rj275-94"/>。

===近郊都市間特急へ転用===
{{Double image aside|right|Nagoya-Railroad-8800.JPG|190|Meitetsu-8800-inside.jpg|170|3両編成化されたパノラマDX|改装された中間車の車内}}
しかし、その後観光特急の利用者数減少に伴い<ref name="2009-kt-87"/>、1992年11月24日のダイヤ改正ではパノラマDXの運用が変更されることになった<ref name="2009-kt-87"/>。

用途変更にあたって、団体用車両として運用されることになった8807編成を除いた3編成について<ref name="rj324-49"/>、中間車の内装が通常の2人がけ回転リクライニングシートに変更された<ref name="rj324-49"/>ほか、展望席の定員は1次車に合わせて前後4列に統一された<ref name="2001-kt-16"/>。また、2次車の4人個室も6人区分室に変更された<ref name="rj324-49"/>。用途変更後のパノラマDXは西尾線と津島線に直通する近郊都市間特急に運用され<ref name="rj324-43"/>、この時にパノラマDXの座席指定料金は他の列車と同様の金額に変更された<ref name="rj324-50"/>。

その後、特急は最高速度を120km/hにすることとなり、最高速度が110km/hのパノラマDXは淘汰の対象となった<ref name="2009-kt-87"/>。このため、2005年1月29日のダイヤ改正で全車両が運用を外れ、3月までに全車両が廃車となった<ref name="2009-kt-87"/>。

廃車後、モ8803の前頭部分のみが舞木検査場に保存展示されている<ref name="rp816-68"/>。

== 編成表 ==
; 凡例 : Mc …[[制御車|制御電動車]]、T …[[付随車]](後ろの数字が1なら奇数番号・2なら偶数番号)<br/>CON…[[主制御器|制御装置]]、MG・SIV…補助電源装置、CP…[[圧縮機|電動空気圧縮機]]、PT…[[集電装置]]

=== 2両編成 ===
登場当時の編成。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="2"|{{TrainDirection|[[豊橋駅|豊橋]]・[[内海駅 (愛知県)|内海]]/|[[名鉄岐阜駅|岐阜]]・[[新鵜沼駅|鵜沼]]}}
|-
!形式
| '''モ8800''' || '''モ8800'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029<!--スカーレット-->;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="4"|車両番号
| '''8801''' || '''8802'''
|-
| '''8803''' || '''8804'''
|-
| '''8805''' || '''8806'''
|-
| '''8807''' || '''8808'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #8F8F8F<!--車体裾のグレー-->;"|自重
|style="border-bottom:solid 3px #8F8F8F;"| 40.5t ||style="border-bottom:solid 3px #8F8F8F;"| 39.0t
|-
!搭載機器
| MG,CP || CON,PT
|-
!定員
| 46{{refnest|group="注釈"|name="2次車定員"|2次車は48名。}} || 46<ref group="注釈" name="2次車定員"/>
|}
=== 3両編成 ===
1989年7月15日以降の編成。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
|style="border-bottom:solid 3px #C00029; background-color:#ccc;"|&nbsp;
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;" colspan="3"|{{TrainDirection|[[豊橋駅|豊橋]]・[[内海駅 (愛知県)|内海]]/|[[名鉄岐阜駅|岐阜]]・[[新鵜沼駅|鵜沼]]}}
|-
!形式
| '''モ8800''' || '''サ8850''' || '''モ8800'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #C00029;"|区分
|style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc1 ||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| T||style="border-bottom:solid 3px #C00029;"| Mc2
|-
! rowspan="4"|車両番号
| '''8801''' || '''8851''' || '''8802'''
|-
| '''8803''' || '''8853''' || '''8804'''
|-
| '''8805''' || '''8855''' || '''8806'''
|-
| '''8807''' || '''8857''' || '''8808'''
|-
!style="border-bottom:solid 3px #8F8F8F;"|自重
|style="border-bottom:solid 3px #8F8F8F;"| 40.5t ||style="border-bottom:solid 3px #8F8F8F;"| 34.0t||style="border-bottom:solid 3px #8F8F8F;"| 39.0t
|-
!搭載機器
| MG,CP || SIV,CP || CON,PT
|-
!定員
| 46{{refnest|group="注釈"|name="2次車定員2"|1992年に改造される前の2次車は48名。}} || 39{{refnest|group="注釈"|サ8857以外は1992年の改造後は62名。}} || 46<ref group="注釈" name="2次車定員2"/>
|}
== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|group="注釈"}}


== 関連項目 ==
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="1985-ys-110">[[#白井1985|白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.110]]</ref>
<ref name="1985-ys-158">[[#白井1985|白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.158]]</ref>
<ref name="1985-ys-168">[[#白井1985|白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.168]]</ref>
<ref name="1985-ys-169">[[#白井1985|白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.169]]</ref>
<ref name="1985-ys-8">[[#白井1985|白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.8]]</ref>
<ref name="1985-ys-9">[[#白井1985|白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.9]]</ref>
<ref name="2001-kt-15">[[#徳田2001|徳田耕一『名鉄パノラマカー』 (2001) p.15]]</ref>
<ref name="2001-kt-16">[[#徳田2001|徳田耕一『名鉄パノラマカー』 (2001) p.16]]</ref>
<ref name="2001-kt-61">[[#徳田2001|徳田耕一『名鉄パノラマカー』 (2001) p.61]]</ref>
<ref name="2001-kt-160">[[#徳田2001|徳田耕一『名鉄パノラマカー』 (2001) p.160]]</ref>
<ref name="2009-kt-34">[[#徳田2009|徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.34]]</ref>
<ref name="2009-kt-84">[[#徳田2009|徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.84]]</ref>
<ref name="2009-kt-85">[[#徳田2009|徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.85]]</ref>
<ref name="2009-kt-86">[[#徳田2009|徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.86]]</ref>
<ref name="2009-kt-87">[[#徳田2009|徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.87]]</ref>
<ref name="2009-kt-119">[[#徳田2009|徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.119]]</ref>
<ref name="2013-ft-63">[[#高瀬2013|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.63]]</ref>
<ref name="2013-ft-86">[[#高瀬2013|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.86]]</ref>
<ref name="2013-ft-92">[[#高瀬2013|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.92]]</ref>
<ref name="2013-ft-92-93">[[#高瀬2013|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) pp.92-93]]</ref>
<ref name="2013-ft-93">[[#高瀬2013|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.93]]</ref>
<ref name="2013-ft-94">[[#高瀬2013|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.94]]</ref>
<ref name="BL88-16">[[#BL88|鉄道友の会編『ブルーリボン賞の車両'88』 (1988) p.16]]</ref>
<ref name="BL88-17">[[#BL88|鉄道友の会編『ブルーリボン賞の車両'88』 (1988) p.17]]</ref>
<ref name="rf287-10">[[#柚原287|鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.10]]</ref>
<ref name="rf287-11">[[#柚原287|鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.11]]</ref>
<ref name="rf287-12">[[#柚原287|鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.12]]</ref>
<ref name="rf287-13">[[#柚原287|鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.13]]</ref>
<ref name="rf287-14">[[#柚原287|鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.14]]</ref>
<ref name="rf287-15">[[#柚原287|鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.15]]</ref>
<ref name="rj217-11">[[#名鉄217|鉄道ジャーナル 通巻217号 名古屋鉄道技術部車両課『名古屋鉄道8800形』 (1985) p.11]]</ref>
<ref name="rj217-13">[[#名鉄217|鉄道ジャーナル 通巻217号 名古屋鉄道技術部車両課『名古屋鉄道8800形』 (1985) p.13]]</ref>
<ref name="rj217-14">[[#名鉄217|鉄道ジャーナル 通巻217号 名古屋鉄道技術部車両課『名古屋鉄道8800形』 (1985) p.14]]</ref>
<ref name="rj217-15">[[#DX217|鉄道ジャーナル 通巻217号 『パノラマDX 営業運転を開始』 (1985) p.15]]</ref>
<ref name="rj222-146">[[#RJ222-146|鉄道ジャーナル 通巻222号 『鉄道友の会だより』 (1985) p.146]]</ref>
<ref name="rj275-94">[[#徳田275|鉄道ジャーナル 通巻275号 徳田耕一『名古屋鉄道8800系を3連化 「パノラマDX」サ8850形が登場』 (1989) p.94]]</ref>
<ref name="rj324-43">[[#杉浦324|鉄道ジャーナル 通巻324号 杉浦誠『特急パノラマカートリオの活躍を見る』 (1993) p.43]]</ref>
<ref name="rj324-49">[[#杉浦324|鉄道ジャーナル 通巻324号 杉浦誠『特急パノラマカートリオの活躍を見る』 (1993) p.49]]</ref>
<ref name="rj324-50">[[#杉浦324|鉄道ジャーナル 通巻324号 杉浦誠『特急パノラマカートリオの活躍を見る』 (1993) p.50]]</ref>
<ref name="rp816-68">[[#田中816|鉄道ピクトリアル 通巻816号 田中義人『舞木検査場の業務と設備』 (2009) p.68]]</ref>
}}

== 参考文献 ==
{{Commonscat|Meitetsu 8800 series}}
{{Commonscat|Meitetsu 8800 series}}

=== 書籍 ===
* {{Cite book|和書|author = 白井良和|authorlink = |coauthors = 井上広和|year = 1985|title = 私鉄の車両11 名古屋鉄道|publisher = 保育社|ref = 白井1985|id = |isbn =4586532114}}
* {{Cite book|和書|author = 白井良和|authorlink = |coauthors = 諸河久|year = 1989|title = 日本の私鉄4 名鉄|publisher = 保育社|ref = 白井1989|id = |isbn =4586507802}}
* {{Cite book|和書|author = [[高瀬文人]]|authorlink = |coauthors = |year = 2012|title = 鉄道技術者 白井昭|publisher = 平凡社|ref = 高瀬2013|id = |isbn =4586532114}}
* {{Cite book|和書|author = [[鉄道友の会]]編|authorlink = |coauthors = |year = 1988|title = ブルーリボン賞の車両'88|publisher = 保育社|ref = BL88|id = |isbn = 458650756X}}
* {{Cite book|和書|author = [[徳田耕一]]|authorlink = |coauthors = |year = 2008|origyear = 2001|title = 名鉄パノラマカー|publisher = [[JTBパブリッシング]]|ref = 徳田2001|id = |isbn = 9784533037276}}
* {{Cite book|和書|author = 徳田耕一|authorlink = |coauthors = |year = 2009|title = パノラマカー 栄光の半世紀|publisher = JTBパブリッシング|ref = 徳田2009|id = |isbn =9784533074288 }}

=== 雑誌記事 ===
* {{Cite journal|和書|author=徳田耕一 |year=1989 |month=9 |title=名古屋鉄道8800系を3連化 「パノラマDX」サ8850形が登場|journal=[[鉄道ジャーナル]] |issue=275 |pages= 94-95 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 徳田275}}
* {{Cite journal|和書|author=名古屋鉄道(株)技術部車両課 |year=1985 |month=3 |title=名古屋鉄道8800形|journal=鉄道ジャーナル |issue=217 |pages= 7-14 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 名鉄217}}
* {{Cite journal|和書|author=柚原誠 |year=1985 |month=3 |title=名鉄8800|journal=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] |issue=287 |pages= 8-15 |publisher=[[交友社]] |ref = 柚原287}}
* {{Cite journal|和書|author= |year=1985 |month=3 |title=パノラマDX 営業運転を開始|journal=鉄道ジャーナル |issue=217 |page= 15 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = DX217}}
* {{Cite journal|和書|author=鉄道友の会 |year=1985 |month=8 |title=鉄道友の会だより|journal=鉄道ジャーナル |issue=222 |page= 146 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ222-146}}
* {{Cite journal|和書|author=杉浦誠 |year=1993 |month=10 |title=特急パノラマカートリオの活躍を見る|journal=鉄道ジャーナル |issue=324 |pages= 42-51 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 杉浦324}}
* {{Cite journal|和書|author=田中義人|year=2009 |month=3 |title=舞木検査場の業務と設備|journal=[[鉄道ピクトリアル]] |issue=816 |pages= 62-68 |publisher=[[電気車研究会]] |ref = 田中816}}
== 関連項目 ==
* [[名鉄特急]]
* [[名鉄特急]]
* [[パノラマカー]]
* [[パノラマカー]]

2014年2月6日 (木) 13:42時点における版

名鉄8800系電車
パノラマDX
登場当時の8800系「パノラマDX」
基本情報
製造所 日本車輌製造
主要諸元
編成 2両編成[注釈 1]
3両編成[注釈 2]
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度 110km/h
車両定員 46名(モ8800形・1次車および1992年の改造後の2次車)[1]
48名(モ8800形・1992年の改造前の2次車)
39名(サ8850形・1992年の改造前)
62名(サ8850形・1992年の改造後)
全長 19,880mm(モ8800形)[1]
19,730mm(サ8850形)[1]
全幅 2,740mm[1]
全高 4,200mm(集電装置付)[1]
3,880mm(集電装置なし)[1]
台車 住友金属工業 FS384(モ8800形)[1]
住友金属工業 FS098(サ8850形)
主電動機 東洋電機製造 TDK825/1-A[1]
主電動機出力 75kW直巻整流子電動機端子電圧340V・定格回転数2,000rpm[1]
歯車比 78:16=4.875[1]
制御装置 東京芝浦電気 MC-11C
制動装置 発電制動併用電磁直通ブレーキ (HSC-D) [1]
保安装置 M式ATS
第28回(1985年
テンプレートを表示

名鉄8800系電車(めいてつ8800けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が1984年から2005年まで運用した特急用の電車である。

観光特急用の車両として7000系7500系パノラマカー」よりも豪華な車内設備とし、日本では初めて最前部の展望席を高床式(ハイデッカー構造)とした車両で[2]、一般公募により「パノラマDX(デラックス)」という愛称がつけられ[2]1985年には鉄道友の会より第28回ブルーリボン賞受賞車両に選出された[3]。その後、需要の変化に伴い、内装を一部変更した上で支線へ直通する特急に使用されていたが、2005年に全車両が廃車された。

名鉄の社内では5000系以降の高性能車について「SR車」[注釈 3]と呼称している[4]ことに倣い、本項でもそのように表記し、特に区別する必要がない場合は7000系・7500系をまとめて「パノラマカー」、7000系特急専用車については「白帯車」、本形式8800系については「パノラマDX」、1000系については「パノラマSuper」と表記する。また、特定の編成について記す場合は、豊橋向きの先頭車の車両番号をもって編成呼称とする(例:豊橋向き先頭車の車両番号がモ8801の編成であれば「8801編成」)。

登場の経緯

名鉄は1961年以降に特急車両としてパノラマカーを登場させていた[5]。その後、パノラマカーの開発にかかわった白井昭は、その発展型として「パノラマドームカー」の構想を策定した[6]。これは編成の前後だけではなく、中間部にも床面を上げた2階席ドームを設けることによって[7]、先頭部の展望席とは異なる眺望を旅客に提供しようというものであった[8]。この案は実際に検討され、検討用の模型や2階席のモックアップも製作された[6]が、当時の社長だった土川元夫が「時期尚早」という判断を下したため、実現はしなかった[6]

その後、1980年代に入ると、登場後20年を経過したパノラマカーの後継となる特急車両の登場が望まれるようになった[9]。この時期になると行楽旅行の形態にも変化があり、家族や小グループ単位での旅行が多くなっていた[9]。また、名鉄の鉄道路線の沿線はマイカーの普及率が高く、小グループ単位での旅行に対応するためには、マイカーの良さを鉄道車両に導入することが必須であると考えられた[9]。こうした考え方を元に、マイカーにはないゆとりとくつろぎを乗客が得られるように、マイカーよりもゆったりとした居住空間を備えた個室様式の客室とした[9]上、先頭の展望席はハイデッカー構造とすることによって、新たな魅力を付加することとした[9]。また、車両愛称も一般公募により決定することになった[9]

この構想のもとに登場したのが、8800系「パノラマDX」である。

車両概説

パノラマDXは2両編成で登場し、のちに付随車を中間に連結して3両編成として運用されるようになった。

モ8800形
パノラマDXの編成において両端の先頭車となる制御電動車(Mc1・Mc2)。
サ8850形
パノラマDXの編成中間に組み込まれる付随車(T)。すべて奇数番号車[10]

本節では、登場当時の仕様を基本とし、増備途上での変更点とサ8850形については別途節を設けて記述する。更新による変更については沿革で後述する。編成については、編成表を参照のこと。

車体

制御電動車は全長19,880mmの全鋼製車体で、側面窓は隅を大きな半径としており[11]、窓の幅は1,700mmである[9]

レール上面から床面までの高さは、先頭部分の展望室では床を高くしたハイデッカー構造としたため1,800mm[12]、それ以外の客室では1,100mmである[9]。客用扉は幅800mm[9]の2枚折戸を2箇所に配した[11]

車体色は薄いクリーム色を基調としてスカーレットの帯を窓の上下に配し[13]、車体裾部分と屋根肩部分はグレーとした[13]

内装

客室の構成は、前寄りの扉より前方を展望席[14]、それより後ろの部分には2人用と4人用の区分室を3室設け[14]、後ろ寄りの扉の両側は6人用区分室とした[12]。内装の配色は豪華で落ち着いた感じにまとめることをねらい[11]、天井と窓枠はパール色[9]、窓の下は濃いクリーム色とし[9]、通路部分は青色の絨毯[11]、客席部分には全面にベージュ色の絨毯を敷いた[11]。客席部分の絨毯は床から200mm上の窓下壁面まで回りこんでいる[11]

客室の照明は間接照明を設けた[15]ほか、主照明は2人区分室・4人区分室は荷棚に収め[15]、6人区分室では天井中央に設けた[15]

客室ごとの仕様は以下の通りである。

展望席 2人区分室 6人区分室の座席
展望席
2人区分室
6人区分室の座席
展望席
座席は前向きに固定された2人がけ座席をシートピッチ950mmで配置した[16]。前方がよく見えるように背もたれの高さを低くした[16]ほか、腰掛部分の床面高さを座席1列ごとに50mmずつ高くした[17][注釈 4]。最後部の座席設置部分の床面高さはレール面から1,950mmとなり[15]、当時日本の鉄道車両ではもっとも高い位置に設置された旅客用座席であった[15][注釈 5]。座席には回転収納式の枕(ヘッドレスト)を設けた[11]。座席の表地(モケット)の色は金茶色とした[15]
2人区分室
前後方向に1,960mmの長さの区分室とし、幅610mmのリクライニングシートを向かい合わせに配置した[15]。この座席は窓側へ20度、通路側で15度の位置に回転することが可能で[12]、座席の表地は茶色である[16]。また、通路部分との仕切り(パーテーション)は、完全に仕切ると窮屈に感じられるため透明ガラスとし[16]、パノラマDXが結ぶ観光地を表現する模様を配した[16][注釈 6]
4人区分室
前後方向と仕切りについては2人区分室と同様で、幅1,110mmの2人がけ固定ソファー座席を向かい合わせに配置した[12]。モケットは2人区分室と同様茶色である[15]
6人区分室
通路をはさんで幅1,960mの3人がけソファー座席を設けた[16][注釈 7]。壁面は木目模様とし、モケットは2人区分室と同様茶色である[15]

豊橋側先頭車の後端部には車掌室を設けた[13]。車掌室は扉では仕切られておらず[21]、オーディオサービス用のラジオとテープレコーダーを装備した。岐阜側先頭車の後端部に車内販売の準備を行うためのサービスコーナーを設けており[21]、冷蔵庫と温蔵庫(おしぼり蒸し器)を設置した[21]

客室内には各車両5箇所に、プラズマディスプレイを使用した速度計を設けた[15]。これは速度が上昇するにつれてパノラマDXの側面イラストが表示されるもので[15]、速度に応じて棒グラフのように車両イラストが長くなり[15]、また速度に応じてレールも後方に流れるように動くように見える[15]

主要機器

主要機器については廃車になった7000系からの流用で[22]、制御装置・制動装置(ブレーキ)は7000系と同一である[15]

電装品

主制御器は、東芝のMC-11C形で[23]、多段電動カム軸式パッケージ型制御装置である[1]

主電動機については、東洋電機製造の補償巻線付直流直巻整流子電動機であるTDK-825/1-A形で[1]、出力は75kWである[1]。駆動方式も7000系と同様の中空軸平行カルダン駆動方式[23]歯数比の78:16=4.875という設定も7000系と同様である[23]制動装置(ブレーキ)については、7000系と同様に発電ブレーキ併用のHSC-D形電磁直通ブレーキが採用された[23]

台車

台車は、モ8800形については住友金属工業製のS型ミンデン式空気バネ台車であるFS384形台車が採用された[24]。他の電装品を7000系から流用しているのに対して、パノラマDXでは年式の新しい台車を使用するために[25]、廃車になった7000系のFS335形台車を7700系や年式の新しい7000系に流用し[26]、それらの車両が装着していたS型ミンデン式台車をパノラマDXに流用している[26]

運転室

運転士が乗務する乗務員室(運転室)は、乗務員の視界を妨げず、また展望室からの前方展望も妨げない上、展望室部分は地方鉄道の車両定規に収めるという条件のもとに、実物大のモックアップを製作した[15]。モックアップによる検討の結果、運転室の床面をレール面から785mmに設定し[12]、運転室の床面から天井までを1,780mmに設定する[12]ことによって、運転室内で直立することも可能となった[15]

その他機器

空調装置は、15,000kcal/hの冷房能力・8,600kcal/hの暖房能力を有するRPU-4002形[1]を、各車両に2基ずつ搭載した[1]。先頭車の空調装置のうち1台は展望室用である[1]

補助電源装置は出力60kVAのCLG-326-D形電動発電機を[1]、電動空気圧縮機はD-3-FR形を採用した[1]

連結器は、先頭部分が密着自動連結器[1]、編成中間は棒連結器である[1]。M式自動解結装置を装備しており[27]、7000系や5500系など他のSR車とも連結が可能である[27]

増備途上での変更点

1964年7月製造(2次車)
2両編成2本が製造された。展望室の座席はシートピッチを縮小して前後5列とした[20]ほか、最前列と2列目は親子3人が並んで座れるように幅の広い座席とした[20]。また、6人区分室は廃止され[20]、4人区分室を1室増加させた[20]。2人区分室は開放型座席に変更され[20]、パーテーションを廃止し360度回転の1人がけ座席に変更された[28]ほか、もともと6人区分室があったデッキと車端部の間には完全に仕切られた4人用個室を設けた[28]
1967年4月製造(付随車)
3両編成化のためサ8850形のみ4両を製造[10]、すべて奇数番号車[10]。台車については、S型ミンデン式空気バネ台車であるFS098形台車を新造した[10]。海側[注釈 8]には4人区分室を5室配置し[10]、山側[注釈 9]には360度回転の1人がけ座席9席配置した[10]。また、床面を8cm高くし[10]、ソファーが10脚配置された定員10人のラウンジを設け[28]、ラウンジ内に給茶機も設けられた[10]。また、サ8857に限り、試験的に衛星放送受信装置を設けた[10]。豊橋側車端部にはトイレと洗面所が設けられた[28]

沿革

登場当初から3両編成化まで

パノラマDXはまず2編成が導入され、1984年12月15日から営業運行開始となり[29]、初日には犬山遊園駅内海駅で「発車式」が行われた[29]。1編成が南知多と犬山を結ぶ特急に運用され[29]、もう1編成は団体やイベント用に使用された[29]。この当時、名鉄における特急の座席指定料金は250円であった[30]が、パノラマDXについては500円の料金が設定された[30]。また、パノラマDXの車内ではおしぼりのサービスや車内販売も行われた[29]

犬山橋を通過するパノラマDX

翌1985年の正月初詣輸送では豊川線にも乗り入れた[12]が、この時にパノラマDXが使用された臨時特急は、白帯車との連結となったため、同じ列車でありながら車両によって座席指定料金が異なる金額となった[12]。また、初詣団体列車にもパノラマDXが使用されたが、豊川線の線路容量が不足していたため、定期列車に使用されていたAL車[注釈 10]と連結するという光景も見られた[12]。パノラマDXはAL車とは本来連結できないため、この時は定期列車の運転士とパノラマDXの運転士が警笛で合図をしながら協調運転を行った[32]。この年、パノラマDXは鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞した[33]。この車体構造は、翌年に登場した伊豆急行リゾート21」をはじめとして、その後に登場した前面展望車両にも影響を与えているといわれている[34]。1987年には2編成が増備された[35]が、このときの増備車では展望席の座席増加など、一部の仕様変更が行われている[35]

1989年には中間車が増備され、同年7月15日からは全ての編成が3両編成での営業運行を開始した[10]。3両編成化にあたっては、先頭車の座席モケットや絨毯を交換した[10]ほか、主電動機の出力更新と耐雪ブレーキ装備の追加が行われている[10]

近郊都市間特急へ転用

3両編成化されたパノラマDX 改装された中間車の車内
3両編成化されたパノラマDX
改装された中間車の車内

しかし、その後観光特急の利用者数減少に伴い[28]、1992年11月24日のダイヤ改正ではパノラマDXの運用が変更されることになった[28]

用途変更にあたって、団体用車両として運用されることになった8807編成を除いた3編成について[36]、中間車の内装が通常の2人がけ回転リクライニングシートに変更された[36]ほか、展望席の定員は1次車に合わせて前後4列に統一された[37]。また、2次車の4人個室も6人区分室に変更された[36]。用途変更後のパノラマDXは西尾線と津島線に直通する近郊都市間特急に運用され[38]、この時にパノラマDXの座席指定料金は他の列車と同様の金額に変更された[39]

その後、特急は最高速度を120km/hにすることとなり、最高速度が110km/hのパノラマDXは淘汰の対象となった[28]。このため、2005年1月29日のダイヤ改正で全車両が運用を外れ、3月までに全車両が廃車となった[28]

廃車後、モ8803の前頭部分のみが舞木検査場に保存展示されている[40]

編成表

凡例
Mc …制御電動車、T …付随車(後ろの数字が1なら奇数番号・2なら偶数番号)
CON…制御装置、MG・SIV…補助電源装置、CP…電動空気圧縮機、PT…集電装置

2両編成

登場当時の編成。

 
豊橋内海/
形式 モ8800 モ8800
区分 Mc1 Mc2
車両番号 8801 8802
8803 8804
8805 8806
8807 8808
自重 40.5t 39.0t
搭載機器 MG,CP CON,PT
定員 46[注釈 11] 46[注釈 11]

3両編成

1989年7月15日以降の編成。

 
豊橋内海/
形式 モ8800 サ8850 モ8800
区分 Mc1 T Mc2
車両番号 8801 8851 8802
8803 8853 8804
8805 8855 8806
8807 8857 8808
自重 40.5t 34.0t 39.0t
搭載機器 MG,CP SIV,CP CON,PT
定員 46[注釈 12] 39[注釈 13] 46[注釈 12]

脚注

注釈

  1. ^ 登場当初から1989年7月まで。
  2. ^ 1989年7月から運用終了まで。
  3. ^ 「スーパーロマン (Super Roman) 車」の略[4]
  4. ^ これは、7000系の開発前に白井昭がイメージしていた、モントリオールの「ゴールデン・キャリオット」と同様の発想で[18]、パノラマDXで実現したものである[19]
  5. ^ 参考までに、近畿日本鉄道ビスタカー30000系の2階席の座席部分の床面は、レール面から1,830mmである[16]
  6. ^ 犬山城などのサクラ、木曽川の波、南知多海岸の波と貝殻のイラストである[15]
  7. ^ ただし、「豪華なロングシートのようだ」とも評された[20]
  8. ^ 豊橋から岐阜に向かう場合の左側。
  9. ^ 豊橋から岐阜に向かう場合の右側。
  10. ^ 名鉄の旧型車両のうち、間接自動制御方式の車両をさす部内呼称[31]
  11. ^ a b 2次車は48名。
  12. ^ a b 1992年に改造される前の2次車は48名。
  13. ^ サ8857以外は1992年の改造後は62名。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.15
  2. ^ a b 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.8
  3. ^ 鉄道友の会編『ブルーリボン賞の車両'88』 (1988) p.16
  4. ^ a b 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.110
  5. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.86
  6. ^ a b c 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.93
  7. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.92
  8. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) pp.92-93
  9. ^ a b c d e f g h i j k 鉄道ジャーナル 通巻217号 名古屋鉄道技術部車両課『名古屋鉄道8800形』 (1985) p.11
  10. ^ a b c d e f g h i j k l 鉄道ジャーナル 通巻275号 徳田耕一『名古屋鉄道8800系を3連化 「パノラマDX」サ8850形が登場』 (1989) p.94
  11. ^ a b c d e f g 鉄道ジャーナル 通巻217号 名古屋鉄道技術部車両課『名古屋鉄道8800形』 (1985) p.13
  12. ^ a b c d e f g h i 徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.85
  13. ^ a b c 鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.10
  14. ^ a b 鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.11
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 鉄道ジャーナル 通巻217号 名古屋鉄道技術部車両課『名古屋鉄道8800形』 (1985) p.14
  16. ^ a b c d e f g 鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.13
  17. ^ 鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.12
  18. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.63
  19. ^ 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』 (2013) p.94
  20. ^ a b c d e f 徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.86
  21. ^ a b c 鉄道ファン 通巻287号 柚原誠『名鉄8800』 (1985) p.14
  22. ^ 徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.84
  23. ^ a b c d 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.169
  24. ^ 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.168
  25. ^ 徳田耕一『名鉄パノラマカー』 (2001) p.160
  26. ^ a b 徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.119
  27. ^ a b 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.9
  28. ^ a b c d e f g h 徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.87
  29. ^ a b c d e 鉄道ジャーナル 通巻217号 『パノラマDX 営業運転を開始』 (1985) p.15
  30. ^ a b 徳田耕一『名鉄パノラマカー』 (2001) p.61
  31. ^ 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.158
  32. ^ 徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』 (2009) p.34
  33. ^ 鉄道ジャーナル 通巻222号 『鉄道友の会だより』 (1985) p.146
  34. ^ 鉄道友の会編『ブルーリボン賞の車両'88』 (1988) p.17
  35. ^ a b 徳田耕一『名鉄パノラマカー』 (2001) p.15
  36. ^ a b c 鉄道ジャーナル 通巻324号 杉浦誠『特急パノラマカートリオの活躍を見る』 (1993) p.49
  37. ^ 徳田耕一『名鉄パノラマカー』 (2001) p.16
  38. ^ 鉄道ジャーナル 通巻324号 杉浦誠『特急パノラマカートリオの活躍を見る』 (1993) p.43
  39. ^ 鉄道ジャーナル 通巻324号 杉浦誠『特急パノラマカートリオの活躍を見る』 (1993) p.50
  40. ^ 鉄道ピクトリアル 通巻816号 田中義人『舞木検査場の業務と設備』 (2009) p.68

参考文献

書籍

  • 白井良和、井上広和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』保育社、1985年。ISBN 4586532114 
  • 白井良和、諸河久『日本の私鉄4 名鉄』保育社、1989年。ISBN 4586507802 
  • 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭』平凡社、2012年。ISBN 4586532114 
  • 鉄道友の会編『ブルーリボン賞の車両'88』保育社、1988年。ISBN 458650756X 
  • 徳田耕一『名鉄パノラマカー』JTBパブリッシング、2008年(原著2001年)。ISBN 9784533037276 
  • 徳田耕一『パノラマカー 栄光の半世紀』JTBパブリッシング、2009年。ISBN 9784533074288 

雑誌記事

  • 徳田耕一「名古屋鉄道8800系を3連化 「パノラマDX」サ8850形が登場」『鉄道ジャーナル』第275号、鉄道ジャーナル社、1989年9月、94-95頁。 
  • 名古屋鉄道(株)技術部車両課「名古屋鉄道8800形」『鉄道ジャーナル』第217号、鉄道ジャーナル社、1985年3月、7-14頁。 
  • 柚原誠「名鉄8800」『鉄道ファン』第287号、交友社、1985年3月、8-15頁。 
  • 「パノラマDX 営業運転を開始」『鉄道ジャーナル』第217号、鉄道ジャーナル社、1985年3月、15頁。 
  • 鉄道友の会「鉄道友の会だより」『鉄道ジャーナル』第222号、鉄道ジャーナル社、1985年8月、146頁。 
  • 杉浦誠「特急パノラマカートリオの活躍を見る」『鉄道ジャーナル』第324号、鉄道ジャーナル社、1993年10月、42-51頁。 
  • 田中義人「舞木検査場の業務と設備」『鉄道ピクトリアル』第816号、電気車研究会、2009年3月、62-68頁。 

関連項目