「針ノ木岳」の版間の差分
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{{Infobox 山 |
{{Infobox 山 |
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名称=針ノ木岳 |
|名称=針ノ木岳 |
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画像=[[ |
|画像=[[File:Lake Kurobe01s4592.jpg|300px|大観峰から望む針ノ木岳(正面右)、左はスバリ岳、眼下に黒部湖]] |
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|画像キャプション=[[大観峰駅|大観峰]]から望む針ノ木岳(正面右)、左は[[スバリ岳]]、眼下に[[黒部ダム|黒部湖]] |
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標高=2,821| |
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|標高=2,820.60<ref name="kijyun">{{Cite web|和書|url=https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html |title=基準点成果等閲覧サービス |publisher=[[国土地理院]] |accessdate=2013-04-07}}</ref> |
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座標={{ウィキ座標2段度分秒|36|32|17|N|137|41|04|E|}}| |
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|座標={{Coord|36|32|17|N|137|41|04|E|region:JP_type:mountain|display=inline,title}}<ref name="kokudo">{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html |title=日本の主な山岳標高(富山県) |publisher=国土地理院 |accessdate=2011-08-16}}</ref> |
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所在地=<small>[[富山県]][[中新川郡]][[立山町]]<br />[[長野県]][[大町市]]</small>| |
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|所在地={{JPN}}<br />[[富山県]][[中新川郡]][[立山町]]<br />[[長野県]][[大町市]] |
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山系=[[飛騨山脈]]| |
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|山系=[[飛騨山脈]]([[後立山連峰]]) |
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|種類 = [[褶曲]]・[[隆起]] |
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|初登頂= |
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|地図={{Location map|Japan Toyama Prefecture#Japan Nagano Prefecture#Japan|relief=1|coordinates={{Coord|36.538056|137.684444}}|caption=|width=300}}{{日本の位置情報|36|32|17|137|41|04|針ノ木岳|36.538056,137.684444|針ノ木岳|nocoord=yes}} |
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}} |
}} |
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'''針ノ木岳'''(はりのきだけ)は、[[富山県]][[中新川郡]][[立山町]]と[[長野県]][[大町市]]にまたがる[[標高]]2,821 [[メートル|m]]の[[山]]。[[中部山岳国立公園]]内にあり<ref name="park">{{Cite web|和書|url=https://www.env.go.jp/park/chubu/intro/index.html |title=中部山岳国立公園区域の概要 |publisher=[[環境省]] |accessdate=2011-08-16}}</ref>、[[後立山連峰]]に属する。 |
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{{mapplot|137.6844|36.5381|針ノ木岳}} |
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[[Image:Mt.Harinokidake from Gassen-one.jpg|thumb|250px|[[合戦尾根]]から望む針ノ木岳 (2007年8月撮影)]] |
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== 概要 == |
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'''針ノ木岳'''(はりのきだけ)は、[[富山県]][[中新川郡]][[立山町]]と[[長野県]][[大町市]]にまたがる[[後立山連峰]]の最南端の[[山]]。標高2,821m。[[針ノ木峠]]を経て[[蓮華岳]]と対峙している。大町側からは、蓮華岳が手前にあるため、針ノ木岳の方がやや標高が高いにもかかわらず、見ることができない。 |
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[[大糸線]][[信濃大町駅]]の西北西10.4 [[キロメートル|km]]に位置し、[[針ノ木峠]]<ref group="注釈">日本第二位の高所の峠とされている。{{Cite web|和書|url=http://www.city.omachi.nagano.jp/00001000/00001100/00001110/00001890_2_2_2.html |title=あの山の見える場所(平成26年8月) |publisher=[[大町市]] |accessdate=2016-11-06 }}</ref>を挟んで[[蓮華岳]]と対峙している。大町側からは、大きな山容の蓮華岳が手前にあるため、針ノ木岳の方がやや標高が高いにもかかわらず、はっきりと見ることができない。[[ピラミッド]]型の端正な山容で、[[日本二百名山]]<ref name="y200">{{Cite book|和書 |year=1992 |month=4 |title=日本200名山 |author=深田クラブ |publisher=[[昭文社]] |page=151 |isbn=4398220011}}</ref>及び[[新・花の百名山]]<ref name="hana new">{{Cite book|和書 |author=田中澄江|authorlink=田中澄江 |year=1995 |month=6 |title=新・花の百名山 |publisher=[[文藝春秋]] |pages=236-238 |isbn=4-16-731304-9}}</ref>に選定されている。東西の主稜線は同じような勾配であり、[[白馬岳]]のような後立山連峰の特長である非対称山稜は見られない<ref name="y1000">{{Cite book|和書 |author= |year=1992 |month=08 |title=日本の山1000 |series=山溪カラー名鑑 |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |page=388 |isbn=4635090256}}</ref>。[[高瀬川 (長野県)|高瀬川]]の[[支流]]である篭川の上流部に日本三大[[雪渓]]の一つ、針ノ木大雪渓がある。針ノ木岳の源流部の厩窪(マヤクボ)沢には[[圏谷|カール]]地形がみられる<ref name="jiten">{{Cite book|和書 |author= |year=1992 |month=10 |title=コンサイス日本山名辞典 |publisher=[[三省堂]] |isbn=4-385-15403-1|page=425}}</ref>。山体は濃飛[[流紋岩]]型の[[溶結凝灰岩]]からなる<ref name="sangakushi">{{Cite book|和書 |author= |year=2005 |month=11 |title=新日本山岳誌 |editor=日本山岳会|editor-link=日本山岳会 |publisher=[[ナカニシヤ出版]] |pages=890-892 |isbn=4779500001}}</ref>。 |
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== 名称の由来 == |
== 名称の由来 == |
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この山が一般に針ノ木岳と呼ばれるようになったのは[[大正時代]]になってからである。大正の初めに[[日本山岳会]]の[[辻本満丸]]が針ノ木峠にちなんで命名した。富山県側では |
この山が一般に針ノ木岳と呼ばれるようになったのは[[大正時代]]になってからである。大正の初めに[[日本山岳会]]の[[辻本満丸]]が鞍部にある[[針ノ木峠]]にちなんで命名した<ref name="jiten" />。針ノ木とは周辺の谷に分布する[[ハンノキ|ミヤマハンノキ]]のことである<ref name="sangakushi" />。富山県側では「地蔵岳」と呼ばれていた<ref name="jiten" />。一方、針ノ木峠は古くから知られている。[[天正]]年間に[[小牧・長久手の戦い]]で[[豊臣秀吉]]と戦った[[徳川家康]]に、豊臣方との和睦を破棄し徹底抗戦を主張するため[[富山城]]主の[[佐々成政]]が[[浜松城]]へ面会に行ったとき、厳冬期のこの峠を越えたとされている。[[1584年]]のことで、成政のこの行為を「さらさら越え」と呼んでいる。その際に膨大な[[金]]と[[銀]]を埋めたとする伝説がある<ref name="y200" />。 |
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== |
== 歴史 == |
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* 古くから針ノ木峠は[[信濃国|信州]]と[[越中国|越中]]を結ぶ[[立山]]詣者、[[杣工|杣人]]、商人、釣り人などの要路として利用されていたとされる<ref name="y1000" /><ref name="hut">{{Cite book|和書 |author=柳原修一 |year=1990 |month=6 |title=北アルプス山小屋物語 |publisher=[[東京新聞]]出版局 |page=108 |isbn=4808303744 }}</ref>。 |
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[[扇沢駅|扇沢]]からの登山道が主要ルートとされている。途中の針ノ木峠の手前には、日本三大雪渓の一つ、針ノ木大雪渓がある。 |
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* [[1584年]](天正12年)12月 - 佐々成政ら百人程の一行が冬期の針ノ木峠越えを行った。 |
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* [[1665年]](寛文5年)10月 - [[加賀藩]]による[[奥山廻り]]が正式なものとなり、1870年(明治3年)に廃止されるまで巡視が行われ、一般の入山が規制された<ref name="sangakushi" />。 |
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* [[1878年]](明治11年) - 針ノ木峠を経由する越中越え富山までの[[立山新道]]が開拓。1880年には富山まで全通したものの、1883年には経営が成り立たなくなった<ref>「大山町史」第6章 交通・通信の発達 p544 大山町史編纂委員会編 1964年発行</ref>。近代登山としてこの頃に、[[アーネスト・サトウ]]など外国人登山者の入山が始まった<ref name="y1000" /><ref name="sangakushi" />。 |
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* [[1893年]](明治26年)8月 - [[日本アルプス]]を世界に紹介した[[ウォルター・ウェストン]]が、案内人と共に大町から針ノ木峠越えを行った<ref name="Weston">{{Cite book|和書 |author=ウォルター・ウェストン |translator=青木枝朗 |year=1997 |month=6 |title=日本アルプスの登山と探検 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=4003347412 |page=141}}</ref>。 |
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* [[1910年]](明治43年)夏 - [[中村清太郎]]、[[辻本満丸]]、三枝威之助らのパーティーが縦走し、針ノ木岳と命名した<ref name="hut" />。8月に[[田部重治]]が[[立山温泉]]側から針ノ木峠越えを行った<ref>{{Cite book|和書 |author=田部重治 |year=1996 |month=2 |title=わが山旅五十年 |publisher=[[平凡社]] |pages=99-107 |isbn=4582761348 }}</ref>。 |
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* [[1917年]](大正6年) - ウォルター・ウェストンや[[深田久弥]]などとも交友がある[[百瀬慎太郎]]が登山案内人組合を結成した<ref name="y200" />。 |
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* [[1922年]](大正11年) - [[平村 (長野県)|平村]](現在の大町市)が、針ノ木岳雪渓の下部に大沢小屋を建設した<ref name="sangakushi" />。 |
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* [[1923年]](大正12年)2月~3月 - 伊藤孝一、百瀬慎太郎、[[燕山荘]]の創設者の赤沼千尋らが、日本初の山岳記録映画『雪の立山・針ノ木峠越え』の撮影に成功した<ref>{{Cite book|和書 |author= |year=2005 |month=10 |title=目で見る日本登山史 |publisher=山と溪谷社 |pages=154-157 |isbn=4635178145 }}</ref>。 |
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* [[1925年]](大正14年) - 百瀬慎太郎が、針ノ木岳雪渓の下部に大沢小屋を建設した<ref name="y200" />。 |
|||
* [[1927年]](昭和2年)12月末 - 針ノ木谷の赤石沢で、[[早稲田大学]]山岳部のパーティーが雪崩で4名が死亡する遭難事故が発生した<ref name="y200" />([[早稲田大学山岳部針ノ木岳遭難事故]])。 |
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* [[1930年]](昭和5年)7月 - 百瀬慎太郎が針ノ木小屋を建設し、開業した<ref name="hut" />。 |
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* [[1934年]](昭和9年)12月4日 - 針ノ木岳を含む飛騨山脈の山域が中部山岳国立公園に指定され、様々な規制が適用された<ref name="park" />。 |
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* [[1953年]](昭和28年) - 百瀬慎太郎の没年の5年後に有志らにより大沢小屋入口横にレリーフが設置され、これを契機に慎太郎を偲び安全登山を祈る針ノ木岳の[[開山祭]]が、毎年6月第1日曜日に針ノ木雪渓で開催されるようになった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.omachi.nagano.jp/ctg/00148007/00148007.html |title=針ノ木岳慎太郎祭 |publisher=大町市 |date=2011-05-11 |accessdate=2011-08-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130508061611/http://www.city.omachi.nagano.jp/ctg/00148007/00148007.html |archivedate=2013-05-08 }}</ref><ref name="harinokigoya">{{Cite web|和書|url=http://www.harinoki.com/history.html |title=針ノ木小屋の歴史 |publisher=針ノ木小屋 |accessdate=2011-08-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130318230738/http://www.harinoki.com/history.html |archivedate=2013-03-18 }}</ref>。 |
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* [[1971年]](昭和46年)6月1日 - [[立山黒部アルペンルート]]全線開通に伴い、針ノ木峠から立山へと向かう登山者は少なくなった。 |
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== |
== 登山 == |
||
=== 登山ルート === |
|||
* [[大沢小屋]](針ノ木岳中腹) |
|||
[[扇沢駅|扇沢]]から針ノ木雪渓と針ノ木峠を経由する[[登山道]]が主要ルートである<ref>{{Cite book|和書 |year=2008 |month=5 |author=中西俊明 |title= 白馬・後立山連峰 |series=ヤマケイ アルペンガイド9 |publisher=山と溪谷社 |pages=124-135 |isbn=9784635013536}}</ref>。その下部は針ノ木自然遊歩道[[トレッキング]]コースとなっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kanko-omachi.gr.jp/mountain/trekking.php |title=信濃大町ナビ トレッキング |publisher=大町市観光協会 |accessdate=2016-11-06 }}</ref>。後立山連峰の縦走時に通過される場合もある。 |
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* [[針ノ木小屋]](針ノ木岳~蓮華岳の鞍部) |
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* '''扇沢からの主要ルート''' |
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* [[新越山荘]](針ノ木岳~爺ヶ岳間) |
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:扇沢駅 - 大沢小屋 - 針ノ木雪渓 - 針ノ木小屋(針ノ木峠) - '''針ノ木岳''' |
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* '''後立山連峰縦走路''' |
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:[[親不知]]が起点となる[[白馬岳]]方面 - [[爺ヶ岳]] - 種池山荘 - 岩小屋沢岳 - 新越山荘(新越乗越) - [[鳴沢岳]] - [[赤沢岳]] - [[スバリ岳]] - '''針ノ木岳''' - 針ノ木小屋(針ノ木峠) - [[蓮華岳]] - 北アルプスの主稜線の縦走路は[[槍ヶ岳]]を経由して[[焼岳]]へと続く |
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== |
=== 針ノ木小屋 === |
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[[ファイル:Harinoki Pass and Harinokigoya.jpg|サムネイル|[[針ノ木峠]]にある針ノ木小屋]] |
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* [[スバリ岳]] |
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1929年(昭和4年)富山営林署に認可され、登山案内人組合を結成した百瀬慎太郎が9月に針ノ木峠で整地工事を行い、1930年(昭和5年)7月に針ノ木小屋を完成させた<ref name="hut" /><ref name="momose">{{Cite web|和書|url=http://www.omachi-sanpaku.com/common/file/alps/12.pdf |format=PDF |title=對山館(たいざんかん)と百瀬慎太郎 |publisher=[[大町山岳博物館]] |page=38 |accessdate=2011-08-16}}</ref>。[[若山牧水]]の門下に加えられ慎太郎が遺した言葉「山想えば人恋し 人想えば山恋し」が知られている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kanko-omachi.gr.jp/mountain/momose.php |title=岳都おおまち |publisher=大町市観光協会 |accessdate=2016-11-06 }}</ref>。1937年(昭和12年)7月に、[[東久邇宮稔彦王]]を山小屋に迎えた<ref name="momose" />。[[第二次世界大戦]]中休眠状態であった針ノ木小屋は、1955年(昭和30年)に慎太郎の長女百瀬美江の手で再建再開された<ref name="harinokigoya" />。その後何度か増築などの改修が行われ、1996年(平成8年)に改修が行われた後、2005年(平成17年)には[[バイオトイレ]]が設置された<ref name="harinokigoya" />。電気はディーゼル[[発電機]]を使用し、水は小屋から300 m程下から[[ポンプ]]により湧水を汲みあげることにより確保している<ref name="harinokigoya" />。 |
|||
* [[船窪岳]] |
|||
=== 周辺の山小屋 === |
|||
* [[蓮華岳]] |
|||
稜線の鞍部などの登山道には、[[山小屋]]と[[キャンプ]]指定地がある<ref name="tizu">{{Cite book|和書 |year=2011 |month=3 |title=鹿島槍・五竜岳 |series=山と高原地図 2011年版 |publisher=昭文社 |pages= |isbn=9784398757753}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |year=2010 |month=12 |title=山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011) |publisher=山と溪谷社 |page=159|asin= B004DPEH6G }}</ref>。登山シーズン中の一部期間に有人の営業を行っている。最寄りの山小屋は針ノ木小屋で、登山口の扇沢駅には一般の宿泊施設がある。積雪量の多い地域であり、営業期間外には閉鎖される。 |
|||
* [[赤沢岳]] |
|||
{| class="wikitable" |
|||
* [[鳴沢岳]] |
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|- |
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* [[餓鬼岳]] |
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!名称 |
|||
* [[爺ヶ岳]] |
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!所在地 |
|||
![[標高]]<br />([[メートル|m]]) |
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!針ノ木岳からの<br />方角と[[距離]] ([[キロメートル|km]]) |
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!収容<br />人数 |
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!キャンプ<br />指定地 |
|||
!備考 |
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|- |
|||
|'''新越山荘''' |
|||
|新越乗越の北東近傍 |
|||
|style="text-align:right;"|2,465 |
|||
|{{direction2|NNE}} 4.1 |
|||
|style="text-align:right;"|80 |
|||
|なし |
|||
| |
|||
|- |
|||
|'''大沢小屋''' |
|||
|篭川の大沢出合 |
|||
|style="text-align:right;"|1,670 |
|||
|{{direction2|NE}} 2.6 |
|||
|style="text-align:right;"|20 |
|||
|テント3張 |
|||
|1925年開業 |
|||
|- |
|||
|'''針ノ木小屋''' |
|||
|針ノ木峠 |
|||
|style="text-align:right;"|2,536 |
|||
|{{direction2|E}} 0.9 |
|||
|style="text-align:right;"|100 |
|||
|テント30張 |
|||
|1930年開業 |
|||
|} |
|||
=== 登山道の植物 === |
|||
針ノ木雪渓の登山道では、[[イワナシ]]、[[オオバキスミレ]]、[[キヌガサソウ]]、[[タテヤマウツボグサ]]、[[ヒメイチゲ]]などの植物が見られる<ref name="hana new" />。針ノ木峠から針ノ木岳の稜線は[[森林限界]]を越える[[高山帯]]で[[シナノキンバイ]]と[[ハイマツ]]の[[高山植物]]が見られる<ref>{{Cite book|和書 |author= |year=2007 |month=05 |title=花の百名山地図帳 |publisher=山と溪谷社 |pages=156-157 |isbn=9784635922463 }}</ref>。針ノ木岳から東側にある[[蓮華岳]]の斜面では[[コマクサ]]の大群落や[[アオノツガザクラ]]の高山植物が見られる。『新・花の百名山』の著者である[[田中澄江]]が針ノ木雪渓と針ノ木岳を訪問して、代表する花として針ノ木雪渓に咲く日本の[[固有種]]であるキヌガサソウを紹介した<ref name="hana new" />。 |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|- |
|||
|[[File:Epigaea asiatica in Mount Kyo 2002-05-02.jpg|140px]] |
|||
|[[File:Viola brevistipulata Oobakisumire in sannomine 2009-6-25.jpg|150px]] |
|||
|[[File:Paris japonica Kinugasasou in Hakusan 2008-7-1.jpg|140px]] |
|||
|[[File:Dicentra peregrina Komakusa in Enzanso 2002-7-27.jpg|140px]] |
|||
|- |
|||
| <small>[[イワナシ]]</small> |
|||
| <small>[[オオバキスミレ]]</small> |
|||
| <small>[[キヌガサソウ]]</small> |
|||
| <small>[[コマクサ]]</small> |
|||
|} |
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== |
== 地理 == |
||
=== 周辺の山 === |
|||
* [http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=363217&l=1374104 国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1地形図名:黒部湖] |
|||
[[File:Mount Harinoki etc from Mount Jii 2011-11-20.jpg|thumb|right|250px|[[爺ヶ岳]]方面から望む針ノ木岳(左)から北に延びる[[後立山連峰]]、遠景は[[薬師岳]]から[[立山]]へと延びる稜線]] |
|||
[[飛騨山脈]](北アルプス)の後立山連峰の最南端の山であり、針ノ木峠を挟んで東に蓮華岳が対峙する。黒部湖を挟んで西側の[[立山]]の稜線と対峙している。 |
|||
{| class="wikitable" |
|||
!山容 |
|||
!山名 |
|||
![[標高]]<br>(m)<ref name="kijyun" /><ref name="kokudo" /> |
|||
![[三角点]]等級<br />基準点名<ref name="kijyun" /> |
|||
!針ノ木岳からの<br />方角と距離(km) |
|||
!備考 |
|||
|- |
|||
|[[File:Jiigatake from taneikesanso 99 2001 11 20.jpg|80px]] |
|||
|'''[[爺ヶ岳]]''' |
|||
|2,669.<small>82</small> |
|||
|二等「祖父岳」 |
|||
|{{direction|NE}}北東 8.1 |
|||
|種池山荘・冷池山荘<br /><small>[[日本三百名山]]</small> |
|||
|- |
|||
|[[File:Mount Tate from Mount Subari 2001-09-23.jpg|80px]] |
|||
| '''[[立山]]''' |
|||
| 3,015 |
|||
|(雄山2,991.<small>59</small> m)<br>(一等「立山」) |
|||
|{{direction|NW}}北西 7.2 |
|||
|[[各都道府県の最高峰|富山県の最高峰]]<br /><small>[[日本百名山]]</small> |
|||
|- |
|||
|[[File:Mount Narusawa from Mount Iwagoyazawa 2001-09-23.jpg|80px]] |
|||
|'''[[鳴沢岳]]''' |
|||
|2,641 |
|||
| |
|||
|{{direction|NNE}}北北東 3.6 |
|||
|新越山荘 |
|||
|- |
|||
|[[File:Akasawadake from narusawadake 2001 9 23.jpg|80px]] |
|||
|'''[[赤沢岳]]''' |
|||
|2,677.<small>84</small> |
|||
|三等「牛小屋沢」 |
|||
|{{direction2|N}} 2.7 |
|||
| |
|||
|- |
|||
|[[File:Mount Subari from Mount Harinoki 1998-05-23.jpg|80px]] |
|||
|'''[[スバリ岳]]''' |
|||
|2,752 |
|||
| |
|||
|{{direction2|N}} 0.7 |
|||
| |
|||
|- style="background-color:#ccc" |
|||
|[[File:Mount Harinoki from Mount Jii 2011-11-2.jpg|80px]] |
|||
|'''針ノ木岳''' |
|||
|2,820.<small>60</small> |
|||
|三等「野口」 |
|||
|{{direction2|O}} 0 |
|||
|針ノ木小屋<br /><small>[[日本二百名山]]</small> |
|||
|- |
|||
|[[File:Rengedake from harinokidake 2001 9 23.jpg|80px]] |
|||
|'''[[蓮華岳]]''' |
|||
|2,798.<small>61</small> |
|||
|二等「蓮華岳」 |
|||
|{{direction2|E}} 2.3 |
|||
|[[コマクサ]]群生地<br /><small>日本三百名山</small> |
|||
|- |
|||
|[[File:Mount Hunakubo and Mount Harinoki from Mount Tsubakuro 2002-08-22.jpg|80px]]<!-- 暫定画像 --> |
|||
|'''[[船窪岳]]''' |
|||
|2,450 |
|||
| |
|||
|{{direction2|S}} 2.7 |
|||
|船窪乗越 |
|||
|} |
|||
=== 源流の河川 === |
|||
{{commonscat|Mt. Harinokidake|針ノ木岳}} |
|||
以下が源流となる[[河川]]で、[[日本海]]へ流れる<ref name="tizu" /><ref name="watchizu">{{Cite web|和書|url=http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=363217&l=1374104 |title=地図閲覧サービス(針ノ木岳) |publisher=国土地理院 |accessdate=2011-08-16}}</ref>。 |
|||
{{日本二百名山}} |
|||
* 針ノ木谷・小スバリ沢 ([[黒部川]]の支流で黒部湖に流れる) |
|||
* 篭川の支流のマヤクボ沢 (高瀬川の支流) |
|||
== 針ノ木岳の風景と展望 == |
|||
=== 針ノ木岳の風景 === |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|- |
|||
|[[File:Mount Harinoki and Takase Dam from Ushikubi 2002-09-24.jpg|145px]] |
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== 関連項目 == |
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* [[飛騨山脈]] - [[後立山連峰]] |
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* [[日本二百名山]] |
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* [[新・花の百名山]] |
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== 外部リンク == |
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* [https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.53805555555555,137.68444444444444&z=15#15/36.538105/137.684205/&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1地形図名:黒部湖] |
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2024年3月13日 (水) 01:50時点における最新版
針ノ木岳(はりのきだけ)は、富山県中新川郡立山町と長野県大町市にまたがる標高2,821 mの山。中部山岳国立公園内にあり[3]、後立山連峰に属する。
概要
[編集]大糸線信濃大町駅の西北西10.4 kmに位置し、針ノ木峠[注釈 1]を挟んで蓮華岳と対峙している。大町側からは、大きな山容の蓮華岳が手前にあるため、針ノ木岳の方がやや標高が高いにもかかわらず、はっきりと見ることができない。ピラミッド型の端正な山容で、日本二百名山[4]及び新・花の百名山[5]に選定されている。東西の主稜線は同じような勾配であり、白馬岳のような後立山連峰の特長である非対称山稜は見られない[6]。高瀬川の支流である篭川の上流部に日本三大雪渓の一つ、針ノ木大雪渓がある。針ノ木岳の源流部の厩窪(マヤクボ)沢にはカール地形がみられる[7]。山体は濃飛流紋岩型の溶結凝灰岩からなる[8]。
名称の由来
[編集]この山が一般に針ノ木岳と呼ばれるようになったのは大正時代になってからである。大正の初めに日本山岳会の辻本満丸が鞍部にある針ノ木峠にちなんで命名した[7]。針ノ木とは周辺の谷に分布するミヤマハンノキのことである[8]。富山県側では「地蔵岳」と呼ばれていた[7]。一方、針ノ木峠は古くから知られている。天正年間に小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉と戦った徳川家康に、豊臣方との和睦を破棄し徹底抗戦を主張するため富山城主の佐々成政が浜松城へ面会に行ったとき、厳冬期のこの峠を越えたとされている。1584年のことで、成政のこの行為を「さらさら越え」と呼んでいる。その際に膨大な金と銀を埋めたとする伝説がある[4]。
歴史
[編集]- 古くから針ノ木峠は信州と越中を結ぶ立山詣者、杣人、商人、釣り人などの要路として利用されていたとされる[6][9]。
- 1584年(天正12年)12月 - 佐々成政ら百人程の一行が冬期の針ノ木峠越えを行った。
- 1665年(寛文5年)10月 - 加賀藩による奥山廻りが正式なものとなり、1870年(明治3年)に廃止されるまで巡視が行われ、一般の入山が規制された[8]。
- 1878年(明治11年) - 針ノ木峠を経由する越中越え富山までの立山新道が開拓。1880年には富山まで全通したものの、1883年には経営が成り立たなくなった[10]。近代登山としてこの頃に、アーネスト・サトウなど外国人登山者の入山が始まった[6][8]。
- 1893年(明治26年)8月 - 日本アルプスを世界に紹介したウォルター・ウェストンが、案内人と共に大町から針ノ木峠越えを行った[11]。
- 1910年(明治43年)夏 - 中村清太郎、辻本満丸、三枝威之助らのパーティーが縦走し、針ノ木岳と命名した[9]。8月に田部重治が立山温泉側から針ノ木峠越えを行った[12]。
- 1917年(大正6年) - ウォルター・ウェストンや深田久弥などとも交友がある百瀬慎太郎が登山案内人組合を結成した[4]。
- 1922年(大正11年) - 平村(現在の大町市)が、針ノ木岳雪渓の下部に大沢小屋を建設した[8]。
- 1923年(大正12年)2月~3月 - 伊藤孝一、百瀬慎太郎、燕山荘の創設者の赤沼千尋らが、日本初の山岳記録映画『雪の立山・針ノ木峠越え』の撮影に成功した[13]。
- 1925年(大正14年) - 百瀬慎太郎が、針ノ木岳雪渓の下部に大沢小屋を建設した[4]。
- 1927年(昭和2年)12月末 - 針ノ木谷の赤石沢で、早稲田大学山岳部のパーティーが雪崩で4名が死亡する遭難事故が発生した[4](早稲田大学山岳部針ノ木岳遭難事故)。
- 1930年(昭和5年)7月 - 百瀬慎太郎が針ノ木小屋を建設し、開業した[9]。
- 1934年(昭和9年)12月4日 - 針ノ木岳を含む飛騨山脈の山域が中部山岳国立公園に指定され、様々な規制が適用された[3]。
- 1953年(昭和28年) - 百瀬慎太郎の没年の5年後に有志らにより大沢小屋入口横にレリーフが設置され、これを契機に慎太郎を偲び安全登山を祈る針ノ木岳の開山祭が、毎年6月第1日曜日に針ノ木雪渓で開催されるようになった[14][15]。
- 1971年(昭和46年)6月1日 - 立山黒部アルペンルート全線開通に伴い、針ノ木峠から立山へと向かう登山者は少なくなった。
登山
[編集]登山ルート
[編集]扇沢から針ノ木雪渓と針ノ木峠を経由する登山道が主要ルートである[16]。その下部は針ノ木自然遊歩道トレッキングコースとなっている[17]。後立山連峰の縦走時に通過される場合もある。
- 扇沢からの主要ルート
- 扇沢駅 - 大沢小屋 - 針ノ木雪渓 - 針ノ木小屋(針ノ木峠) - 針ノ木岳
- 後立山連峰縦走路
- 親不知が起点となる白馬岳方面 - 爺ヶ岳 - 種池山荘 - 岩小屋沢岳 - 新越山荘(新越乗越) - 鳴沢岳 - 赤沢岳 - スバリ岳 - 針ノ木岳 - 針ノ木小屋(針ノ木峠) - 蓮華岳 - 北アルプスの主稜線の縦走路は槍ヶ岳を経由して焼岳へと続く
針ノ木小屋
[編集]1929年(昭和4年)富山営林署に認可され、登山案内人組合を結成した百瀬慎太郎が9月に針ノ木峠で整地工事を行い、1930年(昭和5年)7月に針ノ木小屋を完成させた[9][18]。若山牧水の門下に加えられ慎太郎が遺した言葉「山想えば人恋し 人想えば山恋し」が知られている[19]。1937年(昭和12年)7月に、東久邇宮稔彦王を山小屋に迎えた[18]。第二次世界大戦中休眠状態であった針ノ木小屋は、1955年(昭和30年)に慎太郎の長女百瀬美江の手で再建再開された[15]。その後何度か増築などの改修が行われ、1996年(平成8年)に改修が行われた後、2005年(平成17年)にはバイオトイレが設置された[15]。電気はディーゼル発電機を使用し、水は小屋から300 m程下からポンプにより湧水を汲みあげることにより確保している[15]。
周辺の山小屋
[編集]稜線の鞍部などの登山道には、山小屋とキャンプ指定地がある[20][21]。登山シーズン中の一部期間に有人の営業を行っている。最寄りの山小屋は針ノ木小屋で、登山口の扇沢駅には一般の宿泊施設がある。積雪量の多い地域であり、営業期間外には閉鎖される。
名称 | 所在地 | 標高 (m) |
針ノ木岳からの 方角と距離 (km) |
収容 人数 |
キャンプ 指定地 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
新越山荘 | 新越乗越の北東近傍 | 2,465 | 北北東 4.1 | 80 | なし | |
大沢小屋 | 篭川の大沢出合 | 1,670 | 北東 2.6 | 20 | テント3張 | 1925年開業 |
針ノ木小屋 | 針ノ木峠 | 2,536 | 東 0.9 | 100 | テント30張 | 1930年開業 |
登山道の植物
[編集]針ノ木雪渓の登山道では、イワナシ、オオバキスミレ、キヌガサソウ、タテヤマウツボグサ、ヒメイチゲなどの植物が見られる[5]。針ノ木峠から針ノ木岳の稜線は森林限界を越える高山帯でシナノキンバイとハイマツの高山植物が見られる[22]。針ノ木岳から東側にある蓮華岳の斜面ではコマクサの大群落やアオノツガザクラの高山植物が見られる。『新・花の百名山』の著者である田中澄江が針ノ木雪渓と針ノ木岳を訪問して、代表する花として針ノ木雪渓に咲く日本の固有種であるキヌガサソウを紹介した[5]。
イワナシ | オオバキスミレ | キヌガサソウ | コマクサ |
地理
[編集]周辺の山
[編集]飛騨山脈(北アルプス)の後立山連峰の最南端の山であり、針ノ木峠を挟んで東に蓮華岳が対峙する。黒部湖を挟んで西側の立山の稜線と対峙している。
山容 | 山名 | 標高 (m)[1][2] |
三角点等級 基準点名[1] |
針ノ木岳からの 方角と距離(km) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|
爺ヶ岳 | 2,669.82 | 二等「祖父岳」 | 北東 8.1 | 種池山荘・冷池山荘 日本三百名山 | |
立山 | 3,015 | (雄山2,991.59 m) (一等「立山」) |
北西 7.2 | 富山県の最高峰 日本百名山 | |
鳴沢岳 | 2,641 | 北北東 3.6 | 新越山荘 | ||
赤沢岳 | 2,677.84 | 三等「牛小屋沢」 | 北 2.7 | ||
スバリ岳 | 2,752 | 北 0.7 | |||
針ノ木岳 | 2,820.60 | 三等「野口」 | 0 | 針ノ木小屋 日本二百名山 | |
蓮華岳 | 2,798.61 | 二等「蓮華岳」 | 東 2.3 | コマクサ群生地 日本三百名山 | |
船窪岳 | 2,450 | 南 2.7 | 船窪乗越 |
源流の河川
[編集]- 針ノ木谷・小スバリ沢 (黒部川の支流で黒部湖に流れる)
- 篭川の支流のマヤクボ沢 (高瀬川の支流)
針ノ木岳の風景と展望
[編集]針ノ木岳の風景
[編集]針ノ木岳と高瀬湖 牛首展望台から望む |
ピラミッド型の針ノ木岳 北葛岳から望む |
針ノ木岳 スバリ岳から望む |
蓮華岳と針ノ木岳 種池山荘から望む |
針ノ木岳からの展望
[編集]立山と黒部湖 針ノ木岳から望む |
スバリ岳から延びる後立山連峰 針ノ木岳から望む |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 日本第二位の高所の峠とされている。“あの山の見える場所(平成26年8月)”. 大町市. 2016年11月6日閲覧。
出典
[編集]- ^ a b c “基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. 2013年4月7日閲覧。
- ^ a b “日本の主な山岳標高(富山県)”. 国土地理院. 2011年8月16日閲覧。
- ^ a b “中部山岳国立公園区域の概要”. 環境省. 2011年8月16日閲覧。
- ^ a b c d e 深田クラブ『日本200名山』昭文社、1992年4月、151頁。ISBN 4398220011。
- ^ a b c 田中澄江『新・花の百名山』文藝春秋、1995年6月、236-238頁。ISBN 4-16-731304-9。
- ^ a b c 『日本の山1000』山と溪谷社〈山溪カラー名鑑〉、1992年8月、388頁。ISBN 4635090256。
- ^ a b c 『コンサイス日本山名辞典』三省堂、1992年10月、425頁。ISBN 4-385-15403-1。
- ^ a b c d e 日本山岳会 編『新日本山岳誌』ナカニシヤ出版、2005年11月、890-892頁。ISBN 4779500001。
- ^ a b c d 柳原修一『北アルプス山小屋物語』東京新聞出版局、1990年6月、108頁。ISBN 4808303744。
- ^ 「大山町史」第6章 交通・通信の発達 p544 大山町史編纂委員会編 1964年発行
- ^ ウォルター・ウェストン 著、青木枝朗 訳『日本アルプスの登山と探検』岩波書店、1997年6月、141頁。ISBN 4003347412。
- ^ 田部重治『わが山旅五十年』平凡社、1996年2月、99-107頁。ISBN 4582761348。
- ^ 『目で見る日本登山史』山と溪谷社、2005年10月、154-157頁。ISBN 4635178145。
- ^ “針ノ木岳慎太郎祭”. 大町市 (2011年5月11日). 2013年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月16日閲覧。
- ^ a b c d “針ノ木小屋の歴史”. 針ノ木小屋. 2013年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月16日閲覧。
- ^ 中西俊明『白馬・後立山連峰』山と溪谷社〈ヤマケイ アルペンガイド9〉、2008年5月、124-135頁。ISBN 9784635013536。
- ^ “信濃大町ナビ トレッキング”. 大町市観光協会. 2016年11月6日閲覧。
- ^ a b “對山館(たいざんかん)と百瀬慎太郎” (PDF). 大町山岳博物館. p. 38. 2011年8月16日閲覧。
- ^ “岳都おおまち”. 大町市観光協会. 2016年11月6日閲覧。
- ^ a b 『鹿島槍・五竜岳』昭文社〈山と高原地図 2011年版〉、2011年3月。ISBN 9784398757753。
- ^ 『山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011)』山と溪谷社、2010年12月、159頁。ASIN B004DPEH6G。
- ^ 『花の百名山地図帳』山と溪谷社、2007年5月、156-157頁。ISBN 9784635922463。
- ^ “地図閲覧サービス(針ノ木岳)”. 国土地理院. 2011年8月16日閲覧。