「鯨骨」の版間の差分
原クジラ亜目へ一部転記 |
|||
1行目: | 1行目: | ||
{{一部転記|原クジラ亜目|date=2009年8月}} |
|||
'''鯨骨'''(げいこつ、くじらほね)とは[[クジラ]]の[[骨]]および[[軟骨]]、[[歯]]をさす。[[鯨ひげ]]は[[皮膚]]が変化した物で厳密には歯ではないので鯨骨には含まれない。[[海産物]]として古くから世界各地の海浜地域で様々な利用がされてきたことが[[遺跡]]や[[貝塚]]から判明している。またその大きさから比較的保存性が高く、世界中で多数、[[化石]]として発掘されている。 |
'''鯨骨'''(げいこつ、くじらほね)とは[[クジラ]]の[[骨]]および[[軟骨]]、[[歯]]をさす。[[鯨ひげ]]は[[皮膚]]が変化した物で厳密には歯ではないので鯨骨には含まれない。[[海産物]]として古くから世界各地の海浜地域で様々な利用がされてきたことが[[遺跡]]や[[貝塚]]から判明している。またその大きさから比較的保存性が高く、世界中で多数、[[化石]]として発掘されている。 |
||
[[Image:Whale skeleton.jpg|right|thumb|350px|クジラの骨格標本]] |
[[Image:Whale skeleton.jpg|right|thumb|350px|クジラの骨格標本]] |
||
53行目: | 51行目: | ||
===古代種の化石=== |
===古代種の化石=== |
||
[[Image:Pakicetus BW.jpg|thumb|200px|パキケトゥス(想像図)]] |
|||
[[Image:Ambulocetus BW.jpg|thumb|200px|アンブロケトゥス(想像図)]] |
|||
[[Image:Rodhocetus.jpg|thumb|200px|ロドケトゥス(想像図)]] |
|||
[[Image:Basilosaurus.jpg|thumb|200px|バシロサウルス(想像図)]] |
[[Image:Basilosaurus.jpg|thumb|200px|バシロサウルス(想像図)]] |
||
クジラの系統は現存するヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目、現存しない古代種としての[[原クジラ亜目]](古鯨亜目・ムカシクジラ亜目ともいう)に分かれる。鯨骨(クジラの化石の骨格)における古代種(ムカシクジラ)の定義の条件は、[[偶蹄目]]の骨格の特徴を持つ事や、内耳骨が[[骨伝導]]を基本とした構造になっている事などが挙げられる。 |
クジラの系統は現存するヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目、現存しない古代種としての[[原クジラ亜目]](古鯨亜目・ムカシクジラ亜目ともいう)に分かれる。鯨骨(クジラの化石の骨格)における古代種(ムカシクジラ)の定義の条件は、[[偶蹄目]]の骨格の特徴を持つ事や、内耳骨が[[骨伝導]]を基本とした構造になっている事などが挙げられる。 |
||
*[[パキケトゥス]] :約5,300万年前に生息、体長約1,8mとされる。[[鯨偶蹄目]]・原クジラ亜目・[[パキケトゥス科]]に属し、[[パキスタン]]で発見された。長い尾を持ち、陸上の哺乳類としての四肢があり足先は[[蹄]]の形状をしている。内耳骨の全体的な形状はクジラに似ており、骨などの厚みから水中での骨伝導による聴覚を持っていたと考えられている。また内耳骨の一部である[[砧骨]]が偶蹄目の特徴を持っているとされることから、初期鯨偶蹄目から分岐、鯨になる途上の生物であると考えられている。 |
|||
''その他の詳細は[[原クジラ亜目]]を参照。'' |
|||
*[[アンブロケトゥス]] :約5,000万 - 4,900万年前に生息、体長約3mとされる。鯨偶蹄目・原クジラ亜目・[[アンブロケトゥス科]]に属し、 インド・パキスタン地方で発見された。学名は泳ぎ歩くクジラの意である。代表種の一つとしてはアンブロケトゥス・ナタンスが挙げられる。長い尾を持ち、四肢もあるが四肢と全体との骨格比率はパキケトゥスより小さく短いものとなっている。また[[後足]]には[[水掻き]]があったと考えられている。頑丈な骨格を持ち、復元想像図はカバと[[ワニ]]の中間の様である。頭部と[[顎]]の骨格は大きく発達しており、歯も肉食に適した形状となっており、水辺でワニのような捕食活動を行っていたといわれる。 |
|||
*[[ロドケトゥス]]([[w:Rodhocetus|en]]) :約4,600万年前に生息、体長約2,5mから3mとされる。鯨偶蹄目・原クジラ亜目・プロトケタス科に属し、パキスタンで発見された。代表種としてロドケトゥス・カスラニなどが挙げられる。根元が太く短い尾を持ち、四肢があるが陸上生活には適さない形状である。前足が細長く、後足は太く短く[[ヒレ]]を持つ。頭部には鼻腔はふたつあり、テレスコーピング現象は表れていない。アンブロケトゥス同様、頭部および[[口蓋]]はワニやイルカのように長い特徴をもつ。 |
|||
*[[バシロサウルス]] :約4,000万 - 3,400万年前に生息、体長約20mとされる。鯨偶蹄目・原クジラ亜目・[[バシロサウルス科]]に属し、[[エジプト]]で発見された。クジラ目とされる前は[[魚竜]]目とされバシロサウルスと名付けられたが、分類の変更とともに'''ゼウグロドン'''という名へと変更が試みられたことがある。四肢は前足がヒレになり、後足はほとんど退化し、3本の指が残るだけである。尾が非常に長いが、骨格からはヒレ状の部分があったかは分からない。ただし、学術的推論から復元想像図では、様々なヒレが尾に描かれている。頭部には鼻腔は2つあり、テレスコーピング現象は表れていない。また頭部は頑丈で細長く上下の顎には肉食に適した歯が多数あり、この事などから魚竜と分類された一つの要因とされる。 |
|||
== 鯨骨の利用 == |
== 鯨骨の利用 == |
||
[[Image:IMG 0688-ch-whalebone-arch.jpg|thumb|right|250px|教会とクジラの骨のアーチ]] |
[[Image:IMG 0688-ch-whalebone-arch.jpg|thumb|right|250px|教会とクジラの骨のアーチ]] |
||
[[欧米]]では[[中世]]から[[近代]]において、捕鯨を行ってきたがその利用は油の採取が主であり、鯨骨の利用はほとんどされていなかった。しかし日本を始め、[[日本人]]と比較的近いとされる海洋性の東南アジアや[[ポリネシア]]の人々や極圏に近い北米先住民は、余すところなく鯨を利用してきたため、鯨骨も多岐に利用してきた[[歴史]]と[[文化]]がある。 |
[[欧米]]では[[中世]]から[[近代]]において、捕鯨を行ってきたがその利用は油の採取が主であり、鯨骨の利用はほとんどされていなかった。しかし日本を始め、[[日本人]]と比較的近いとされる海洋性の東南アジアや[[ポリネシア]]の人々や極圏に近い北米先住民は、余すところなく鯨を利用してきたため、鯨骨も多岐に利用してきた[[歴史]]と[[文化]]がある。 |
||
=== 道具・資源 === |
=== 道具・資源 === |
||
;道具 |
;道具 |
2009年9月4日 (金) 00:24時点における版
鯨骨(げいこつ、くじらほね)とはクジラの骨および軟骨、歯をさす。鯨ひげは皮膚が変化した物で厳密には歯ではないので鯨骨には含まれない。海産物として古くから世界各地の海浜地域で様々な利用がされてきたことが遺跡や貝塚から判明している。またその大きさから比較的保存性が高く、世界中で多数、化石として発掘されている。
骨格
特徴
全体においては他の陸上哺乳類と比較すると、泳ぐ上で重要な前足の指骨や前肢骨から肩甲骨(前ひれ)と腰椎から尾椎(尾ひれ)は発達しているが、それ以外の様々な部位で扁平になっていたり骨の断面形状が単純化されており、部位ごとの個数も少ない傾向にある。陸上哺乳類の骨は重力などによる応力に適応して、負担の多い部分と少ない部分の違いが明確になっているが、鯨の骨は水中生活による浮力により、その必要がないことも骨の扁平や単純化の一端になっている。
各部においては水中生活で獲得された特徴として、呼吸をする時に随時頭をもたげる必要が無い様に、テレスコーピング(旧式の縦長の円筒形の望遠鏡を折りたたんだような状態を指す)と呼ばれる鼻の位置が頭蓋骨の頭頂部に後方へ移動する現象がおきている。この事により頭を動かす必要がなくなり、頚椎は哺乳類の特徴である7個であるが、体長に比べ短くなっていて、ほとんど動かすことが出来なくなっている。頚椎が固定し短くなることは腰椎から尾椎に掛けての発達により、推進力を尾ひれに集中しているため、頭が振れると効率が悪いので、これらの現象は水中を進む上で都合が良いと考えられている。また水の抵抗を減らすため突起物や体表面積を減少させる必要や尾ひれに推進力を集中させることで、後ろ足(後ひれ)の必要性も無くなると共に、推進力の要となる腰椎に大きな骨盤が接近していては、可動性の向上や重量による負担の軽減という観点からも効率が悪いため、骨盤と後ろ足の骨が一体となって棒状に小さくなり、尚且つ脊椎から離れたところに痕跡として残っている。
ヒゲクジラとハクジラの差異
その他のクジラについての生態はクジラを参照。
遺骸としての鯨骨
鯨骨生物群集
- 発見の経緯と学術的考察
鯨骨生物群集とは、死んだクジラが海底に沈んだ時、その遺骸および腐敗の過程で発生する硫化水素を栄養源とする特定の生物が集まり、食物連鎖やエネルギー循環を形成した生物群集をさす。1987年、アメリカの深海探査船アルビン号によってSanta Catalina海盆の水深1,240m地点で発見された「閉じた生物環境」である[1]。日本近海では1992年に、小笠原諸島沖の海底で発見された。
鯨骨生物群集は化学合成生物群集の一つで、海底火山の熱水噴出孔周辺に形成される生物群と同じように、硫化水素還元反応による嫌気性環境のエネルギー循環バイオマスと理解されている。熱水噴出孔に形成されるチムニーとは異なりチューブワームは少なく、ヒラノマクラなどの二枚貝やエビ類が多くみられ、コトクラゲのように鯨骨に集まる生物を捕食するものもある。化学合成細菌が共生するゴカイの一種や、通常は清浄な水域に住むナメクジウオの新種(ゲイコツナメクジウオ Asymmetron inferum)など、様々な新種の生物が発見されている。
- 発生の過程と生物群の詳細
人間が利用する鯨骨は基本的に捕鯨や座礁したクジラを解体して得られるものであるが、遺骸としての鯨骨は、クジラの自然死の後に海底へ沈み、ヌタウナギやオンデンザメなどのサメ類や食用になるタラバガニに近縁のエゾイバラガニやタカアシガニなどのカニ類といった深海の死肉あさりによって食べられ、生物分解されることによって生じる。群がる生物は時間とともに変化する。死肉あさりにあらかた肉を食べられた後にはチューブワームに近縁のホネクイハナムシ(通称、ゾンビワーム)が群がり、鯨骨が硫化水素を放つようになると鯨骨生物群集が生じる。やがては硫化水素を放ちながら鯨骨は徐々に朽ちていく、最後には礁になり深海生物の絶好の棲家となる。
その他の詳細は鯨骨生物群集を参照。
古代種の化石
クジラの系統は現存するヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目、現存しない古代種としての原クジラ亜目(古鯨亜目・ムカシクジラ亜目ともいう)に分かれる。鯨骨(クジラの化石の骨格)における古代種(ムカシクジラ)の定義の条件は、偶蹄目の骨格の特徴を持つ事や、内耳骨が骨伝導を基本とした構造になっている事などが挙げられる。
その他の詳細は原クジラ亜目を参照。
鯨骨の利用
欧米では中世から近代において、捕鯨を行ってきたがその利用は油の採取が主であり、鯨骨の利用はほとんどされていなかった。しかし日本を始め、日本人と比較的近いとされる海洋性の東南アジアやポリネシアの人々や極圏に近い北米先住民は、余すところなく鯨を利用してきたため、鯨骨も多岐に利用してきた歴史と文化がある。
道具・資源
- 道具
日本では縄文時代から小型のハクジラを中心に積極的捕鯨が行われており、捕獲の経緯は諸説あるが大型のクジラ類の骨も出土している。これらの骨は加工され様々な形で利用されており、簎(やす、矠とも表記)や銛(もり)、「アワビオコシ」(貝を剥ぎ取るヘラ)などの漁具から紡錘車や脊椎を利用した(形状や丈夫さが適していた)回転台などの生活用具まで多岐に渡る。
- 資源
その後11世紀頃を皮切に世界中で大型のクジラに対し積極的捕鯨が行われ鯨骨の利用がされる様になった。日本での主な利用としては大量の脂肪分を含んでいるので抽出できる油から灯火用の燃料や農薬として利用されてきた。また絞った残り滓の鯨骨は細かく粉砕し肥料とした。
- 建築資材
カナダやアメリカなどに住むイヌイット(かつてはエスキモーと呼称された。厳密にはユピックとイヌピアトと呼ばれる人々の総称)はイグルーと呼ばれる家に住むが、夏用のアザラシやセイウチの皮を利用したテントと、冬用の半地下または組石造の外壁で造られ、屋根には板や皮を張りその上に土や芝土や苔で覆い、防寒対策の前室を供えた住居がある。木などの植物が育たない地域で暮らしているので、これらの住居の骨組みとして、柱や梁に流木や「鯨の骨」が利用されている。ちなみにイグルーという名称で馴染み深い、圧雪をブロック状に切り出し積み上げた丸いドームの家は、カナダのイヌイットだけが作る狩猟の旅先での仮の住居である。
その他のクジラに関する産業は捕鯨及び鯨肉、鯨ひげ、鯨油を参照。
文化
先史時代から世界各地の海浜地域で、鯨の骨やその他の動物の骨や角は、生活の道具や狩猟具・漁具として利用されてきたが、世界の貝塚の歴史からも時代と共に、鯨類などの海産物を生活の糧にする傾向が薄れていることが分かっており、その後の狩猟から農耕への移行や、金属器などの発達も骨角器(骨や角の道具)の利用の減少の原因となっている。
これ等の事により、日本や一部の北極圏の少数民族や、その他の東南アジアや南洋諸島の原住民以外では、鯨骨との係わりは11世紀から始まる組織捕鯨まで途絶えるが、農耕が伝わるのが遅かった事と特に島嶼部性(とうしょぶせい)が高い(世界第3位)日本では、大型の鯨に対しての突発的な受動的捕鯨や追い込み漁による座礁捕獲、また小型の鯨類に対しては継続的に捕鯨が行われてきた。そして日本人の価値観や宗教観から鯨文化(鯨信仰)や捕鯨文化と呼ばれる食文化や、鯨絵巻などの芸術や鯨踊りや鯨唄などの芸能や、鯨漁神事や鯨供養祭などの祭礼が誕生し、その中で鯨骨は様々な形で利用されている。
下記記述以外の鯨食文化は鯨肉を参照。下記記述以外のクジラや捕鯨に関する文化及び「鯨ベッコウ細工」については捕鯨文化を参照。
鯨骨料理
クジラの骨は食用には向かないが、軟骨は食用になり現在でも鯨料理として出される物として蕪骨(かぶらぼね)とよばれる鯨の頭の軟骨部分があり、通称氷頭(ひず)とも呼ばれる。古くは延宝2年(1674年)『江戸料理集』のなかで紹介されておりその他にも寛延元年(1748年)『歌仙の組糸』や宝暦12年(1762年)の『献立せん(竹冠に全)』など多数存在し、細く削って乾燥した粕漬け、酒漬けや塩蔵など加工した物を三杯酢や刺身、汁物など加工法も調理法も多岐に渡る。
- 『鯨肉調味方』によればその他の部位の軟骨と思われる名称と調理方法が記載されている。以下はその料理と食材となる骨の種類と名称である。
- 刺身 - 蕪骨、扇骨、要骨、坊主皮骨、筒路骨、咽輪骨、数珠骨、障子骨。
- 酢ぬた和え - 腮骨
- 辛し和え - 腮骨
- 玉子とじ - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨
- 吸い物 - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨
- 味噌漬け - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨
- 粕漬け - 蕪骨、扇骨、坊主皮骨、筒路骨
鯨細工
鯨細工(クジラ工芸品)とは鯨骨のみならずハクジラの歯も加工した工芸品とその技術をさす。
- 鯨骨刀剣
縄文時代から生活必需品として鯨骨の利用があったが装飾品とみられる鯨骨製の刀剣が日本各地の遺跡からみつかっている。青森県青森市の三内丸山遺跡(約5500年前から4000年前の縄文時代)では「クジラの骨刀」、長崎県壱岐市の原ノ辻遺跡(約2200年前)から「鯨骨製骨剣」、延宝4年(1676年)建立された青森県上北郡七戸町見町の見町観音堂には「鯨骨製青竜刀形骨」などがあり、形状も時代も様々である。このような技術が継続的に伝承されたかは定かでないが、江戸時代からの組織捕鯨の産業化に伴い、鯨細工という工芸品が巷に流通し産業となった。
- 日本の鯨細工の用途
- 世界各地の鯨細工
カナダやアメリカの先住民であり、北極圏に住むイヌイットは古くから捕鯨を生活の糧としてきた。鯨の骨も狩猟具として加工してきた歴史があり、近年においては海獣類や鯨の骨や歯を利用した工芸品を作成していて、その芸術性が高く評価されている。また数少ない現金収入の手段ともなっているが、原材料の骨や歯は捕獲禁止がなされた種もあり、材料の入手が困難になっているものもある。
ニュージーランドのマオリ族も伝承によれば、約500年前にはすでに座礁した鯨の利用がされており、日本などと同様に食料や油の利用から、鯨の骨を狩猟具として加工してきた歴史があり、現在も残滓としての骨や歯を工芸品として加工し、販売している。ただしニュージーランド政府は捕鯨反対の立場から座礁鯨の利用を認めておらず、イヌイット同様に材料の入手が困難になっている。
- フランクス・カスケット(Franks Casket)
オーゾンの小箱やフランクの小さな棺ともいわれる、ルーン文字の記されたドイツの北東部で発掘された7世紀の古代の遺物である。不明な部分の多いルーン文字の体系の研究資料であり、鯨の骨でできており、精巧な装飾も施されている。
鯨骨と寺社
鯨の供養や祀りために遺骸や神体として鯨骨を埋めることは、「鯨塚」や「鯨墓」などに代表され日本各地で見られるが、ここでは鯨骨自体が一種のモニュメントを兼ねている寺や神社などを記述する。宗教的な意味合いはないが、クジラの生息域である南北極圏に近い、キリスト教の教会にも門の装飾やモニュメントとして鯨の骨が、飾られている事例がある。
「神社」
- 鯨鳥居
鯨鳥居とは神社の鳥居が鯨の骨で出来ている鳥居である。日本で最古の物は、和歌山県太地町の「恵比須の宮」の鳥居である。このことは井原西鶴の『日本永代蔵』貞享5年(1688年)刊行に「紀路大湊、泰地といふ里の、妻子のうたへり 此所は繁昌にして 若松村立ける中に 鯨恵比須の宮をいはひ 鳥井に 其魚の胴骨立しに 高さ三丈ばかりも 有ぬべし」と記述があり、貞享5年以前から存在していた事がわかる。他には長崎県有川町の海童神社に鯨鳥居があり、1973年(昭和48年)に日東捕鯨株式会社によって奉納されたが、記録によれば現在の鳥居は三代目であり、それ以前はどのような材料で鳥居が作られていたか判明していない。これらが現在、日本にある鯨鳥居の全てであるが、当時日本統治下の台湾の最南端の鵞鑾鼻にあった鵞鑾鼻神社、または樺太にあった札塔恵比寿神社、北方領土の色丹島の色丹神社の3ヶ所に鯨鳥居があった。以上5ヶ所はそれぞれ捕鯨に直接または、捕鯨基地などの間接的に係わる場所である。
- 鯨絵馬
愛媛県川之江市の川之江八幡神社にあり、川之江市で1864年1月に体長7mと11mの2頭のコククジラが捕獲された。その捕らえたクジラの肩胛骨(けんこうこつ)に「鯨」と大きく筆で記した鯨骨絵馬が奉納されている。
「寺院」
- 鯨橋
大阪市東淀川区瑞光の天然山瑞光寺にあり、「雪鯨橋」(通称「鯨橋」)という欄干が鯨の骨で作られた橋がある。宝暦6年(1765年)に建造されたもので、現在まで欄干は6度架け替えられている。詳しくは雪鯨橋を参照。
- 鯨卒塔婆
新潟県佐渡市両津大字片野尾にある。ここには万延元年(1860年)に流れ着いたナガスクジラを供養し「海王妙應信女 鯨戒名 村中」という一文が地蔵院の過去帳に記されており、戒名から雌鯨とおもわれる。またその鯨の骨そのもので出来ていて高さ4メートルにもなる。2003年(平成15年)にはゴンドウクジラが流れ着きその骨を近隣の児童がここに埋葬した。
「教会」
フォークランド諸島にある世界最南端のキリスト教会大聖堂には、1933年に2頭のシロナガスクジラの骨で作られたアーチのモニュメントがあり、捕鯨基地に近いことからこのようなものが作られ、フォークランド諸島ポンド紙幣の裏面に掲載されている。スコットランドのルイス島の西側にあるブレガーという村のジョンバプテスト礼拝堂の入り口の門には、付近で座礁したシロナガスクジラの顎の骨が飾られている。
書籍
鯨骨に係わる歴史的書物や文献。
文政12年(1829年)『勇魚取絵詞』跋(おくがき)小山田與清 - 生月島の捕鯨産業を綴った図説であるが「鯨肉調味方」という鯨肉の調理方法を解説した本が付録としてある。勇魚取絵詞は上下巻からなり下巻の4には背美鯨骨組並名目 、5と6には身体各部分の図、7には背美鯨骨図 、8には骨各部分の図として詳しくセミクジラの骨格を図説により紹介している。
この節の加筆が望まれています。 |
鯨骨の学術的施設
鯨の骨格標本を展示している主な施設。
- 国立科学博物館(東京都台東区)-マッコウクジラ、ミンククジラ他-ミンククジラの顎の骨の可動を再現した展示もある。
- 太地町立くじらの博物館(和歌山県東牟婁郡太地町)-シロナガスクジラ、イチョウハクジラ、セミクジラ他-数多いクジラの標本が展示されている。
- 鯨と海の科学館(岩手県下閉伊郡山田町)-マッコウクジラ、ミンククジラ-巨大な雄のマッコウクジラの骨格。
- 千葉県立中央博物館(千葉県千葉市中央区 )- ツチクジラ、コビレゴンドウ、マダライルカ、スナメリ他。-ハクジラとヒゲクジラの両方の骨格標本が展示されており、双方の差異が良く分かる様になっている。
鯨骨生物群集の生態展示をしている施設。
- 新江ノ島水族館(神奈川県藤沢市)-マッコウクジラの背骨とそれにつく生物の展示。
出典・脚注
- ^ Smith CR, Kukert H, Wheatcroft RA, Jumars PA, Deming JW (1989). “Vent fauna on whale remains”. Nature 341: 27-28.