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「常磐緩行線」の版間の差分

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複々線の特殊性は営団の[[労働組合]]([[私鉄総連]])による[[ストライキ]]時にも顕著にあらわれる。ストライキが発生すると、綾瀬駅~北千住駅間は営団の路線であったことから電車の運行ができなくなり、やむを得ず綾瀬駅と、そこから松戸駅の間にある[[亀有駅]]・[[金町駅]]の3駅の乗客は松戸駅まで一旦戻って上野方面へ向かうようにできる特例を設けて対処した(この特例は、その後も千代田線区間が運転見合わせになった時にも使用されている)。しかし、前述のように松戸駅自体が元々混雑していたため、同駅はパニック状態に陥り、長蛇の列が駅の外にまでできる事態に発展した。
複々線の特殊性は営団の[[労働組合]]([[私鉄総連]])による[[ストライキ]]時にも顕著にあらわれる。ストライキが発生すると、綾瀬駅~北千住駅間は営団の路線であったことから電車の運行ができなくなり、やむを得ず綾瀬駅と、そこから松戸駅の間にある[[亀有駅]]・[[金町駅]]の3駅の乗客は松戸駅まで一旦戻って上野方面へ向かうようにできる特例を設けて対処した(この特例は、その後も千代田線区間が運転見合わせになった時にも使用されている)。しかし、前述のように松戸駅自体が元々混雑していたため、同駅はパニック状態に陥り、長蛇の列が駅の外にまでできる事態に発展した。


また、これは営団側から見も「迷惑乗り入れ」であった。千代田線期に[[営団5000系電車|営団5000系]]が使用され以外に[[電機子チョッパ制御]]の[[営団6000系電車|営団6000系]]を採用し、トンネル内の発熱を抑えていた。しかし、国鉄は車両製造費抑制のため、既存の通勤路線向けに大量増備が行われていた[[国鉄103系電車|103系]]の仕様を一部変えた[[国鉄103系電車#1000番台|1000番台]]を投入していた。[[抵抗制御]]の国鉄車は[[発電ブレーキ]]のため大量の発熱を[[トンネル]]や駅構内に撒き散らすことになった。空気の流動が少ない千代田線では、トンネル内で[[抵抗器]]の冷却が充分にできず、電車の床に抵抗器から発生した熱が伝わり、車内は異常なまでの暑さになった<ref>なお既に301系<!--や103系//103系1200番台の登場は常磐複々線化の後-->が乗り入れていた東西線では、当時の営団車([[営団5000系電車|5000系]])も抵抗制御車であったことと、走行区間に複線トンネルが多いうえに地下区間では駅間距離が短く平均速度も千代田線より低かったため、抵抗器の発熱についてはさほど問題にならなかった。</ref>。
一方、この路線で運行されている車両の技術面の特異性にも着目する必要が営団地下鉄は、千代田線用開業当は抵抗制御の[[営団5000系|5000系]]を投入しものの、その後の主力車両として、世界初の電力回生ブレーキ付電機子チョッパ制御車となる[[営団6000系|6000系]]を投入し、トンネル内の発熱を抑えていた。しかし、国鉄は車両製造費抑制のため、既存の通勤路線向けに大量増備ていた[[国鉄103系電車|103系]]の仕様を一部変えた[[国鉄103系電車#1000番台|1000番台]]を投入[[抵抗制御]]の国鉄車は[[発電ブレーキ]]のため大量の発熱を[[トンネル]]や駅構内に撒き散らすことになった。空気の流動が少ない千代田線では、トンネル内で[[抵抗器]]の冷却が充分にできず、電車の床に抵抗器から発生した熱が伝わり、車内は異常なまでの暑さになった<ref>なお既に301系<!--や103系//103系1200番台の登場は常磐複々線化の後-->が乗り入れていた東西線では、当時の営団車([[営団5000系電車|5000系]])も抵抗制御車であったことと、走行区間に複線トンネルが多いうえに地下区間では駅間距離が短く平均速度も千代田線より低かったため、抵抗器の発熱についてはさほど問題にならなかった。</ref>。これら悪条件が重なり、103系は故障が多発し運行ダイヤにまで影響を及ぼした


これら悪条件が重なり、103系は故障が多発し運行ダイヤにまで影響が出た。制御機器配線が熱で蒸し焼き状態になったことが故障の原因であり、修理には配線の総取替えが必要なため労使闘争の材にされたほどである{{要出典}}<!--それほどニュースであば報道されているはずですので-->。103系は走るだけで車内高温になることや、故障の多さ営団線での信頼を失った。これによりトンネル内の発熱を抑えようとする営団の狙い充分に達成されなかった。また電力消費量異なるため、相互乗り入れに関する[[車両使用料|車両貸与料]]相殺に関しては、[[会計検査院]]からの指摘により、営団は電気代の分を加算した距離で計算してた。[[1978年]](昭和53年)の千代田線代々木上原全通時に、反対側から乗り入れてくる小田急[[界磁チョッパ制御]]の[[小田急9000形電車|9000形]]を投したことから、この国鉄車の問題はさらに顕著になった{{要出典}}。このため営団側から国鉄に対し、早期のチョッパ制御化望む申入れが行われていた。問題解決したの、[[1982年]](昭和57年)以降国鉄が電機子チョッパ制御の[[国鉄203系電車|203系]]投入した時であった。
お相互乗入れ[[車両使]]精算は、通常乗り入距離相殺のが慣例った、営団車と国鉄車とでは電力消費量異なるの[[会計検査院]]からの指摘を受け、営団は電気代の分を加算して請求することになった。[[1978年]](昭和53年)の千代田線代々木上原全通時に、反対側から小田急車([[界磁チョッパ制御]]の[[小田急9000形電車|9000形]])も乗りれることになったが、同様に小田急に対しても電気代分加算して請求していた<ref>『鉄道ピクトリアル』2008年7月号</ref>1981年に5000系北綾瀬支線を除く地下線から完全撤退したのに続き[[1982年]](昭和57年)にようやく電機子チョッパ制御の[[国鉄203系電車|203系]]投入され、国鉄車に関ては問題が解決することになった。


また、1982年に我孫子駅~取手駅間の複々線化が完成した際には、当初は途中の天王台駅を快速通過駅に変更する予定であった。しかし北柏・南柏といった快速通過駅の不便さから地元から通過反対の声が強くなったこと、最寄の[[日本電気|NEC]]我孫子事業場への大量の通勤客が存在する予定であったこと等の事情から{{要出典}}、快速停車駅として残ることになった。しかしそうなれば複々線化の意味は薄れてしまう{{要出典}}ため、同区間の活用手段として朝夕の混雑時間帯のみ緩行線電車を運行することにした。
1982年に我孫子駅~取手駅間の複々線化が完成した際には、当初は途中の天王台駅を快速通過駅に変更する予定であった。しかし北柏・南柏といった快速通過駅の不便さから地元から通過反対の声が強くなったこと、最寄の[[日本電気|NEC]]我孫子事業場への大量の通勤客が存在する予定であったこと等の事情から{{要出典}}、快速停車駅として残ることになった。しかしそうなれば複々線化の意味は薄れてしまう{{要出典}}ため、同区間の活用手段として朝夕の混雑時間帯のみ緩行線電車を運行することにした。


以上のように、常磐線関係の輸送改善計画は失敗することが多かったので、方角から「'''常磐線は国鉄の[[鬼門]]'''」とまで揶揄されることがあった。
以上のように、常磐線関係の輸送改善計画は失敗することが多かったので、方角から「'''常磐線は国鉄の[[鬼門]]'''」とまで揶揄されることがあった。

2008年6月13日 (金) 02:53時点における版

常磐緩行線(じょうばんかんこうせん)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線複々線区間(綾瀬駅北千住駅)~取手駅)間における緩行線である。

常磐線各駅停車に運用される203系

概要

同区間の運転系統の案内上の呼称でもあるが、一般には「常磐線各駅停車」が使われている。

元々は上野駅~取手駅間を運転していたが、複々線化に際して帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京地下鉄(東京メトロ))千代田線と直通運転を行う現在の形態となった(後述)。また、東京地下鉄所有の車両を使用した一部列車は千代田線を介して、小田急電鉄小田原線多摩線まで直通している。

東京都区内のJR線としては唯一都心(山手線)に至らないため、快速線の支線のような役割の路線であるが、直通先の千代田線が都心部まで直結していることや快速停車駅での連絡性の悪さもあって長区間利用する乗客も少なくない。また、千代田線の北千住~西日暮里を経由しJR線に乗り継ぐ場合に通過連絡運輸の特例も設定されている(後述)。

なお、小田急電鉄のダイヤ改正に伴ってJR東日本のダイヤ改正時以外に運行時刻の変更が行われることがままあるが、運用や行先の変更が主で、線内での時刻変更は基本的にない。

運行

早朝~朝方、夕方~夜・深夜にある一部の線内のみ運用の列車を除き、全ての列車が東京地下鉄千代田線に、さらに一部の列車は小田急小田原線経由で小田急多摩線唐木田駅まで直通運転する。実態として、千代田線とほぼ一体化した運転系統をなしているといえる。3社に跨る列車は、平日朝の小田急側からの2本が急行である以外は全て多摩急行である。相模大野駅本厚木駅発着の列車は、2007年平成19年)3月現在は東京地下鉄綾瀬駅発着の運用のみで、JR線内発着の運用は2003年(平成15年)3月29日以降設定されていない。

我孫子駅~取手駅間は朝・夕の一部時間帯のみ運行されている。朝・夕にはこのほかに、松戸駅柏駅発着の電車もある。これ以外は、殆どが我孫子~綾瀬(~千代田線代々木上原)の区間で運転されている。ちなみに運転時間帯が限定される我孫子~取手間では、営業運転のない時間に試運転や訓練などに使われることがある。また、2002年(平成14年)1月には、快速線用のE231系の一般公開が、取手駅の緩行線ホームで行われたということもあった。

信号システムはATCで、東京地下鉄千代田線と同一のシステムを用いている(車内信号式。快速線はATS)。なおJR東日本保有車両は、小田急小田原線・多摩線と直通運転が出来ない。これはJR車は小田急のATS(OM-ATS)と列車無線、小田急車はJRの列車無線を搭載していないためである。このため小田急保有車両も綾瀬以遠JR線と直通運転が出来ないため、3線にまたがっての直通運転が出来るのは東京地下鉄保有車両のみである。

また、小田急線へ直通する上り列車は代々木上原から多摩急行となり、千代田線内で種別表示も行うが、常磐線内は各駅停車であり、綾瀬までは種別の表示もない。また、車内案内でも種別案内は放送しない。これはJR線では急行料金の制度があり、現在、料金の不要な列車に「急行」の表示が行われることはないためでもある。他方、小田急線から千代田線・常磐緩行線へ直通する電車(多摩急行、急行、綾瀬行準急)は、千代田線・常磐線内は各駅停車のため、下北沢を発車すると種別を無表示に変えて終点まで運転する。なお、最近ではJRの駅ホーム改札口発車案内表示器で小田急線の障害情報が表示されるようになっている[1]

女性専用車両

2006年(平成18年)5月15日より女性専用車両を導入した。平日7時10分から9時30分までに綾瀬駅を発車する電車で、代々木上原寄りの一番前の車両(1号車)に設定されている。千代田線内代々木上原駅まで実施、9時30分をもって一斉に終了となる。

JR東日本では埼京線中央快速線に次ぐ3例目の導入であった。また、1号車に設定されているのは、前年5月より導入していた小田急線に合わせたものと見られる(千代田線内では両方向で導入している)。ただ、千代田線内の19駅中13駅が、この1号車付近に出入り口や乗換口への通路があることから反発も見られる。

運行頻度・状況

運転間隔

  • 上りは平日朝は約3分間隔、土休日朝は約6分間隔、日中は平日・土休日とも約12分間隔、夕方は平日は約5分間隔、土休日は約7分間隔、夜は平日が約6~8分間隔、土休日が10~20分間隔で運行されている。
  • 下りは平日朝は約5分間隔、土休日は約6分間隔、日中は平日・土休日とも約12分間隔、夕方は平日は約4分間隔、土休日は約6分間隔、夜は平日が6~8分間隔、土休日が10~15分間隔で運行されている。
    • ただし、区間列車の影響などにより、それを含まない区間での間隔は多少前後がある。特に、我孫子~柏間は朝や夕方の時間帯でも昼間以上に間隔が空くことがある。
    • 時間帯によっては、平日と土休日では形態が大きく異なる。平日朝8時台の下りは約12分間隔の運転が続く。9時台には本数が落ち着くのに対し土休日は10時台まで6分間隔での運転がある。また、夕方以降のピークは平日が18~19時台であるのに対し、土休日は16~17時台である。夜間に至っては土休日の本数は平日の半分程度である。

複々線化の沿革と問題

複々線化以前

元々常磐線は上野~取手間の各駅に停車する「国電」(近距離電車)と主要駅のみ停車の中距離列車急行・特急などが同じ線路を走行していた。当時は中・長距離輸送を担う列車に対して地域輸送を担う電車(国電)は停車駅も異なり棲み分けが明確であった。

過去には、一部の「国電」が上野・東京経由で有楽町まで乗り入れていたこともあった。また、南柏終着・始発の列車の設定もあった。

高度成長期を迎えると共に沿線のベッドタウン化が進んで人口が急増し、常磐線の混雑率も非常に高くなったため、いわゆる「通勤五方面作戦」の一環として複々線化を実施することになった。

当時都市交通審議会の答申では、北千住~松戸間について東京9号線が計画されていたため、この路線の終点を我孫子まで延長する形で北千住から我孫子までを複々線化し、緩行線を地下鉄千代田線と直通運転させることで複々線化事業を解決しようとした。さらに当時、北千住~綾瀬間は国鉄の路線であったが、複々線化・千代田線との乗り入れに際して建設費用を抑えたい国鉄と、足立区内に設置する車庫(現:綾瀬検車区)への回送ルートを確保したい営団の思惑が一致し、北千住駅~綾瀬駅間の緩行線を営団保有にして、複々線化と千代田線との直通運転が同時に行われることとなった。ただし、運賃計算上は北千住駅~綾瀬駅間は従来どおり国鉄線運賃として計算される特例が設けられた[2]

また複々線化に際し、従来の「国電」(近距離電車)を「各駅停車」と「快速」の2種別化し、各駅停車を緩行線に、「快速」を日暮里・上野方面へと向かう快速線に振り分けることとした。

複々線化区間から外れた中電通過駅の三河島駅南千住駅天王台駅(複々線化と同時に開業)には東京近郊輸送を担う快速のみが停車し、快速線のホームは複々線区間の両端の北千住駅・我孫子駅と車両基地のある松戸駅にのみ設けられることになった。これによって快速停車駅以外の従来の利用客は乗り換えなしで日暮里駅や上野駅まで行けなくなるため、不便を解消するために営団・国鉄の双方に乗換駅として西日暮里駅を新設するとともに、同駅を経由する通過連絡運輸の特例が設けられることとなった。

工事予算と地下鉄千代田線への旅客の転嫁見込み、ならびに貨物列車の運行や当時建設中であった国鉄武蔵野線との接続方法等について検討された結果、緩急乗換え利便性の高い方向別複々線での建設が見送られ、他の首都圏国鉄主要路線と同様の線路別複々線となった。このため我孫子駅・松戸駅・北千住駅での各駅停車と快速等の乗り換えでは階段を使用してホーム間を移動することになった。このことは、後に天王台駅利用者が同駅の快速通過化を反対する要因となった[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

複々線化の前後では、運転種別や停車駅が以下の表のように変遷している。

停車駅の変遷
普通列車 × × ×
各駅停車(国電) × × ×

複々線化以前
第一期複々線化直後
上野 日暮里 三河島 南千住 北千住 綾瀬 亀有 金町 松戸 北松戸 馬橋 新松戸 北小金 南柏 北柏 我孫子 天王台 取手
普通列車
国電 快速電車
各駅停車
●○:停車(○は厳密には千代田線) ▲:一部停車 ―:通過 ×:駅開業前 =:経由せず
※:柏駅の快速停車は1972年(昭和47年)10月から。当初の停車は快速電車のみで、普通列車は一部停車。新松戸駅は1973年(昭和48年)開業。

複々線化後

常磐線複々線化当初の各停用車両103系1000番台

1971年(昭和46年)4月20日に複々線化と緩行線の千代田線乗り入れが開始された。国鉄は、計画当初から快速通過駅利用客を地下鉄経由で都心へ向かわせることを念頭においていたため、10両編成で投入されていたエメラルドグリーンの快速用103系電車を2両減車して8両編成とした。しかし当時は国鉄の運賃の方が安く、地下鉄経由で都心へ向かう場合運賃が割高となるケースが多かったため、利用者の多くは松戸駅や北千住駅での乗換を選んだことで快速電車は大混雑した。このため、この直通運転・複々線化は新聞などで「迷惑乗り入れ」と揶揄される事態に発展した。

これに対し国鉄は、千代田線乗り入れ開始とともに常磐線での営業運転を終了するはずであった旧型の72系電車を使用して臨時の快速電車を設定し輸送力を増強し、快速用103系が再び10両編成に増結されるまでの間をしのぐことにした。その後、藤代駅土浦駅間の交流電化区間までベッドタウン化が進行したことから、近郊形電車としては初のオールロングシート車となる415系500番台も投入された。中距離電車はデータイム1時間に1本、夕ラッシュ時でも2本程度だったのが国際科学技術博覧会(つくば科学万博)開催直前の1985年(昭和60年)3月の改正で大増発され、編成も最長15両となった。その後、103系の快速電車も15両化された。

複々線の特殊性は営団の労働組合私鉄総連)によるストライキ時にも顕著にあらわれる。ストライキが発生すると、綾瀬駅~北千住駅間は営団の路線であったことから電車の運行ができなくなり、やむを得ず綾瀬駅と、そこから松戸駅の間にある亀有駅金町駅の3駅の乗客は松戸駅まで一旦戻って上野方面へ向かうようにできる特例を設けて対処した(この特例は、その後も千代田線区間が運転見合わせになった時にも使用されている)。しかし、前述のように松戸駅自体が元々混雑していたため、同駅はパニック状態に陥り、長蛇の列が駅の外にまでできる事態に発展した。

一方、この路線で運行されている車両の技術面での特異性にも着目する必要がある。営団地下鉄は、千代田線用開業当初は抵抗制御の5000系を投入したものの、その後の主力車両としては、世界初の電力回生ブレーキ付電機子チョッパ制御車となる6000系を投入し、トンネル内の発熱を抑えていた。しかし、国鉄は車両製造費抑制のため、既存の通勤路線向けに大量増備していた103系の仕様を一部変えた1000番台を投入、抵抗制御の国鉄車は発電ブレーキのため大量の発熱をトンネルや駅構内に撒き散らすことになった。空気の流動が少ない千代田線では、トンネル内で抵抗器の冷却が充分にできず、電車の床に抵抗器から発生した熱が伝わり、車内は異常なまでの暑さになった[3]。これら悪条件が重なり、103系は故障が多発し運行ダイヤにまで影響を及ぼした。

なお相互乗り入れの車両使用料の精算は、通常乗り入れ距離で相殺するのが慣例であったが、営団車と国鉄車とでは電力消費量が異なるとの会計検査院からの指摘を受け、営団は電気代の分を加算して請求することになった。1978年(昭和53年)の千代田線代々木上原全通時に、反対側から小田急車(界磁チョッパ制御9000形)も乗り入れることになったが、同様に小田急に対しても電気代分を加算して請求していた[4]。1981年に5000系が北綾瀬支線を除く地下線から完全撤退したのに続き、翌1982年(昭和57年)にようやく電機子チョッパ制御の203系が投入され、国鉄車に関しては問題が解決することになった。

1982年に我孫子駅~取手駅間の複々線化が完成した際には、当初は途中の天王台駅を快速通過駅に変更する予定であった。しかし北柏・南柏といった快速通過駅の不便さから地元から通過反対の声が強くなったこと、最寄のNEC我孫子事業場への大量の通勤客が存在する予定であったこと等の事情から[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、快速停車駅として残ることになった。しかしそうなれば複々線化の意味は薄れてしまう[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。ため、同区間の活用手段として朝夕の混雑時間帯のみ緩行線電車を運行することにした。

以上のように、常磐線関係の輸送改善計画は失敗することが多かったので、方角から「常磐線は国鉄の鬼門」とまで揶揄されることがあった。

常磐線の運転系統が複雑になっている一因に茨城県石岡市柿岡の気象庁地磁気観測所の存在がある。取手駅以北の直流電化は現時点では課題が多く、中電・通勤電車の車両統合が出来ていない。このため民営化後になって、快速線に交直両用の通勤形であるE501系電車(上野口での運用終了)、後にE531系電車を投入するなどの施策を打った。なおSuicaPASMOの相互利用開始に伴い西日暮里経由の割高運賃問題についても多少は解決される見込みである。

他線との接続

常磐快速線乗換

線路別複々線であり、ダイヤも独立していることから、通勤ラッシュ時以外での接続についてはよいとはいえないが、2006年3月18日のダイヤ改正では、松戸駅・柏駅で各駅停車と特別快速との接続を図るダイヤに変更されている。具体的に、松戸駅では下りは特別快速→各駅停車、上りは各駅停車→特別快速へ2~3分で接続する乗り換えが可能になっている。一方、上り特別快速→各駅停車、下り各駅停車→特別快速の乗り換えは9分ほどである。柏駅では下りが各駅停車→特別快速、上りは特別快速→各駅停車へ2~3分で接続する。一方、下り特別快速→各駅停車、上り各駅停車→上り特別快速へは9分ほどの接続となっている。

武蔵野線乗換

新松戸駅で接続する武蔵野線についても、接続の悪さが指摘され続けてきた。昼間は常磐線各駅停車・武蔵野線とも12分毎での運転だが、一方の到着とほぼ同時(厳密には、1分差があった)にもう一方が発車するというダイヤのために接続が全く図られていなかった。しかし、2006年3月18日の改正でこの点も若干改善された。具体的には常磐線側を上りを1分ずつ早く、下りを1分ずつ遅く(それぞれ12分毎に運転の時間帯のみ、全区間で同様の措置が取られた)して乗り継げるようになっている(常磐線各駅停車上り→武蔵野線下りと、武蔵野線下り→常磐線下りの乗り換えがこれに該当する。また、武蔵野線上り→常磐線上りも約2~3分の乗り換えとなっている)。ただし、これでも上記の逆の場合の乗り換えは最大10分を要するものがあり、根本的な解決には程遠い。なお、このダイヤ改正の効果は実質平日日中のみである(近年、土休日の武蔵野線は10分間隔での運転のため、現状のダイヤではどう動かしても必ずズレが生じる)ため、土休日やそれ以外の時間帯の接続は相変わらず非常に悪いままである。特に、平日夕方16時~17時台と夜間は、両線とも本数が少ない上に、同時発着や接続1~2分の電車が多いために、ドアが開くと同時に乗客は走っての乗換えとなり、階段エスカレータ付近は両線の乗換え客が錯綜する。特に両線の乗り換え階段は上り、下りを分ける手すりがないため、両線が同時に到着した際には、階段を上る利用客(常磐線→武蔵野線)と階段を下りる利用客(武蔵野線→常磐線)で大混雑し、利用客同士が衝突したりなどのトラブルが発生しやすく危険な状態が続いている。また、同時発着の場合、両線は駆け込み乗車となりやすく、電車の停車時間増大に伴う遅延もしばしば発生している。なお、2008年2月時点では武蔵野線下り(西船橋方面)の常磐線乗り換え階段付近でエレベーターの設置工事を施工している関係で狭くなっている箇所がある。

所要時間

取手~柏間が約12分(快速と殆ど変わらない)、柏~松戸間が約14分、松戸~北千住間が約12分(松戸~綾瀬間は約9分)であり、柏~松戸で約5分、松戸~北千住間で約4分快速より時間を要する(ただし、時間調整などによる停車は除外)。

始発・最終電車

例外的に早朝・深夜に北千住駅発着の電車が1往復ずつ運行されているが、このうち早朝の上り1本と深夜の下り1本については、日本国有鉄道(国鉄)常磐線と営団地下鉄千代田線の相互直通運転開始前から運行されていた、松戸発上野行各駅停車の始発と上野発松戸行各駅停車の終電が直通運転開始により快速化されることにより、通過駅となる綾瀬・亀有・金町3駅で始発時刻の繰り下げ・終電時刻の繰上げが発生するのを防ぐために設定された運用である[5]。このため、いずれの電車も北千住駅で上野発着の快速電車に接続しており、車内放送でその旨のアナウンスもなされている。


停車駅

常磐緩行線の停車駅および接続路線等の詳細はこちらを参照のこと。

車両

自社車両

すべて松戸車両センターに所属。

JRの車両(3系列とも)にある路線駅案内は、長らく快速電車(~成田線我孫子支線)のものと全く同じものが使用されており、千代田線内については駅名のみが列挙されているだけで接続路線が全く記載されていなかった。2004年秋頃より独自のものになり、千代田線内の接続路線や駅番号まで記載されたものに変更された。さらに2006年には、簡素ながら運賃計算に関する注記も加えられている。

なお、行先表示器には各系列とも運用開始時点で既に終着運用のなかった「上野」「代々木公園」などの表示が用意されている。

2008年夏頃より、203系・207系900番台の置き換え用としてE233系が新規投入される予定である。

乗り入れ車両

東京地下鉄

過去の車両

運賃計算の特例

北千住~綾瀬間の特例

千代田線北千住~西日暮里間を経由する場合の特例

亀有駅取手駅までの各駅と、山手線内各駅および近傍の駅との間を、千代田線の北千住~西日暮里間を経由して乗車する場合には、特例が適用される。連絡乗車券を購入する場合とIC乗車券を使用する場合では、計算方法や適用範囲が異なる上、どちらの方法が安いかについても駅によっては異なるので注意が必要である。

連絡乗車券

連絡乗車券の場合は、東京地下鉄千代田線をはさんだ前後のJR線区間の営業キロを通算する通過連絡運輸の特例が適用される。券売機でICカードを使用することも可能である。

【例】南柏から池袋まで(経由:北千住・東京地下鉄千代田線・西日暮里・巣鴨)

  • JR線運賃:南柏~北千住の営業キロ 19.3km と、西日暮里~池袋の営業キロ 6.0km を通算。
    →合計キロ数 25.3km を運賃表に当てはめ、450円。
  • 東京地下鉄線運賃:北千住~西日暮里の営業キロ4.3km160円。
    両者を合計して、乗車券(普通旅客運賃)は610円となる。

乗車券の発売範囲

IC乗車券

2007年3月18日の首都圏ICカード相互利用サービス開始に伴い、PASMOSuicaで利用の際は、北千住までのJR運賃と西日暮里以遠のJR運賃の個別の合算額から100円を差引く方式を採用している。なお、運賃は西日暮里の改札を通った時点で西日暮里までの運賃が差し引かれ、乗り継いだJR線の特例適用範囲内で下車した場合に西日暮里から下車駅までの運賃から100円引いた額を差し引く。なお、この特例が適用される場合は、金町駅・亀有駅~西日暮里間相互発着に適用される乗り継ぎ割引が適用されない(割引の重複になるため)。

上記連絡乗車券の場合と同様の経路で考えると、

  • 南柏~北千住(19.3km、290円)
  • 北千住~西日暮里(4.3km、160円)
  • 西日暮里~池袋(6.0km、150円)

となり、合計額600円から100円を引いた500円がIC乗車券使用時の運賃となる。

特例の適用範囲
  • 北千住口 常磐線(亀有~取手)
  • 西日暮里口 東北本線(東京~・日暮里~尾久~赤羽)、東海道本線(東京~品川)、山手線(品川~田端間/全線全駅)、赤羽線(池袋~赤羽/全線全駅)、中央本線(神田~代々木)、総武本線(御茶ノ水~秋葉原)

その他

  • ICカードを利用して、南千住以遠(三河島方面)・亀有以遠(金町方面)から東中野以遠(大久保方面)・高円寺以遠(阿佐ケ谷方面)或いは船橋以遠(東船橋方面)・下総中山以遠(本八幡方面)・船橋法典以遠(市川大野方面)・南船橋以遠(二俣新町方面、新習志野方面)・市川塩浜以遠(新浦安方面、二俣新町方面)など、他社線を経由してJR線(共用駅を除く)の駅間を途中改札を通らずに乗車する場合、千代田線・東西線経由の方が低廉である場合であっても全線JR線乗車と扱われるので注意が必要である。
    • なお、西船橋駅にはJR線と東京地下鉄・東葉高速鉄道の連絡通路に自動改札機が設置されたものの、経路の判別方法については殆ど変更されていない。したがって、西船橋経由の方が安い経路を乗車する場合には、同駅の改札通過に関わらず西船橋駅経由の運賃が適用される。

ラインカラー

本系統のラインカラーは、基本的には車体の帯と同じエメラルドグリーンであるが、快速電車と同一であるため区別のために異なる色を使うことがある。また、相互乗り入れを行う千代田線はほぼ近い緑であるが、本系統の方がやや青みががっている。

  • 東京近郊路線図では快速電車がエメラルドグリーン、各駅停車が地下鉄千代田線、東西線など地下鉄直通に使用している、グレーであり、これは快速線のE231系に掲出している停車駅案内と同じである(E531系はこの配色ではない)が、緩行線の車両(203系・207系900番台・209系1000番台)ではこれが逆になっている。
  • 複々線区間の緩急併設駅(松戸・柏・我孫子・天王台・取手)のサインは、緩行線ホームのサインがエメラルドグリーンであるのに対し、快速線ホームのサインはブルーである(ただし、両色併記のものもある)。

呼称について

常磐線各駅停車は地下鉄千代田線と直通運転していて、またかつては常磐線の電車特定区間内において「普通列車」と「各駅停車」が並立していたために、各駅停車は地下鉄区間とあわせて国鉄/JR線区間も俗に「千代田線」と呼ばれる場合がある。なお、2004年(平成16年)10月16日のダイヤ改正より、中距離の普通列車は上野~取手間に限り「快速」と案内されるようになった。今でも利便性をアピールする等の目的で、広告などに「千代田線北松戸駅から徒歩10分」「地下鉄千代田線北柏駅から歩いてすぐ」などの標記が見られる。同様の例としては「日比谷線」と呼ばれることがある東武伊勢崎線各駅停車がある。

脚注

  1. ^ 他事業者の障害情報の発信については、JRや小田急に限らず近年拡大傾向にある
  2. ^ なお、この工事完成時は綾瀬駅は国鉄・営団の共同管理駅であったが、北綾瀬駅開業に際して営団へ管理を移管している。
  3. ^ なお既に301系が乗り入れていた東西線では、当時の営団車(5000系)も抵抗制御車であったことと、走行区間に複線トンネルが多いうえに地下区間では駅間距離が短く平均速度も千代田線より低かったため、抵抗器の発熱についてはさほど問題にならなかった。
  4. ^ 『鉄道ピクトリアル』2008年7月号
  5. ^ 営団地下鉄千代田線建設史

関連項目

外部リンク