コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「日本の鉄道事故 (2000年以降)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
鉄道事故の項目(2008年5月24日 (土) 14:12版)よりノート:鉄道事故に沿った分割を実施。
(相違点なし)

2008年5月29日 (木) 08:35時点における版

本項では、2000年以降に発生した日本の鉄道事故について記述する。

1949年以前に発生した日本の鉄道事故については日本の鉄道事故 (1949年以前)を参照。
1950年から1999年までに発生した日本の鉄道事故については日本の鉄道事故 (1950年から1999年) を参照。

事故一覧

営団地下鉄日比谷線列車脱線衝突事故

営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線東横線直通電車が、中目黒駅付近における急曲線で脱線、対向電車の側面をえぐる形で衝突し、死者5名、負傷者64名を出した。この事故で、日比谷線03系1両(03-802)が廃車になった。同駅付近では上記の1992年と、ほぼ同位置で1965年に事故が発生している。

京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(松岡町)

京福電気鉄道永平寺線の上り列車(1両編成)がブレーキ故障により分岐駅である東古市駅(現在の永平寺口駅)に停車せず、越前本線に進入、越前本線下り列車と正面衝突、上り列車の運転士1名が死亡、両列車の乗客ら24名が重軽傷を負った。
ブレーキ故障は、ブレーキを作動させるロッドが老朽化により破断したのが原因であり、同社の車両検査体制が問われた。

新大久保駅ホーム転落死亡事故

JR東日本山手線新大久保駅で線路に泥酔した男性が転落し、助けようとして2名がホームから線路に飛び降りたが、3名とも折から進入してきた電車にひかれ死亡した。

福島駅駅ビル衝突事故

福島交通飯坂線福島駅で、飯坂温泉発福島行きの上り列車(福島交通7000系電車東急7000系の譲渡車両)がブレーキが効かずにホームを通過、車止めを乗り越え12m先の駅ビル、イーストビルに衝突し、乗員乗客4名が負傷した。この影響で当該車両は廃車となった。
この列車は二駅手前の美術館図書館前駅を発車後、一時車内照明が消えるなど停電に見舞われ、その後ブレーキ設備が故障。非常ブレーキを作動することもできずに曽根田駅を通過し衝突事故が発生した。この列車は始発前の点検では異常が見つからなかった。通常現代の車両では複数の独立したブレーキ設備が備わっているが、これらすべてが反応しないという不可思議な事例であり、原因は究明されていないが、電源装置の不良によるブレーキ装置の動作不良が疑われている。
この後、東北運輸局は福島交通に対し事故原因の早期究明と再発防止策を求める警告書を出し立ち入り検査を実施した。13日深夜に試験運転を行い14日始発から運転を再開した。

東海道線富士駅冒進阻害事故

  • 2001年(平成13年)4月18日
東海道線富士駅で下り貨物列車が出発信号を見落として東海型過走防止装置により停止したが冒進、同駅始発列車に向けられた先の進行信号を自列車のものと勘違いし、ポイントの開通方向が違うのに気付かず、ATS停止を無断解除して出発した。駅側がそれに気づき始発電車の防護無線を発報したが間に合わず非開通のポイントを割り込んで破損した。
当日は貨物列車が約10分遅れだったことから、富士駅始発列車を先行させることとし、貨物に抑止を掛けたがこの停止信号を見落としたため、場内信号による注意現示速度以下の速度で出発信号80m外方の過走防止速度照査が動作して非常制動が働き、75m冒進して停止した。
機関士は4つのエラーを冒したが、特に指令の許可を得ずにATSを解除して出発したことで衝突が危惧される事態となり、JR東海はJR貨物に厳しく抗議し再発防止を求めた。
背景としてはATS-Sxが冒進前提の防御で、停止後は機関士に停止理由が見えないことで遅れ回復の気持ちに押され見落とし思い違いのままの行動が続いてしまった。機関士が場内信号も見落としていたら注意現示以下に対応する東海型過走防止装置の防御対象外で宿毛事故のような高速冒進となる危険があることを示した。

京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(勝山市)

京福電気鉄道越前本線保田発坂(ほっさか)間で、勝山発福井行きの上り普通列車と福井発勝山行きの下り急行列車が正面衝突して乗員乗客24名が重軽傷を負った。
事故原因は、本来、途中駅で対向する急行列車とすれ違う必要があったのを、普通列車の運転士が信号を確認せず早発したという人為ミスだった。

名鉄新羽島駅電車衝突事故

岐阜県羽島市名古屋鉄道羽島線新羽島駅構内で、羽島市役所発新羽島行き普通電車(3100系2両編成)が車止めに衝突、先頭車両の前部2.5メートルが高架橋終端から突き出て停止した。けが人は無かった。
原因は、降雪時に耐雪ブレーキを使用せずに運転したため、氷塊詰まりにより制動力が極端に落ちたものと思われる。この事故を受けて名鉄では、耐雪ブレーキの使用基準などを改めた。

鹿児島線列車追突事故

福岡県宗像市JR九州鹿児島本線海老津教育大前駅間で、門司港荒尾行き下り普通列車(811系813系7両編成)がイノシシに衝突し車両点検のために停止中、無閉塞運転で進行してきた後続の門司港発荒木行き下り快速列車(813系5両編成)が追突、134名が重軽傷を負った。
後続列車が中継信号機の進行現示を自列車に対するものと勘違いし、無閉塞運転についての規則に反して加速したのが原因。無閉塞運転による事故を参照。

真岡鐵道真岡線列車脱線事故

真岡鐵道真岡線(特殊自動閉塞・CTC付帯)久下田駅で、隣のひぐち駅で走行不能となった茂木駅行き列車を連結して救援した列車が、久下田駅へ進入したところ脱線した。負傷者はなく、車両と線路の被害も大きくなかったが、その事故原因が信楽高原鐵道列車衝突事故ときわめて類似しており、最悪の場合、同事故を再現する一歩手前だった。救援列車の運転士は運転歴29年のベテランで、訓練・検査も行われており、異常も無く、正常に運転していたが、当時の運転指令員が運転士と兼務で、主に運転士の仕事ばかりで、全く訓練や検査も行われていなかった。さらに、救援列車の運行のための要員が不足した上に、久下田駅で補助制御盤の操作、閉塞取扱した者が1人しかおらず、その者も全く操作方法、知識・経験がないものだった。

名鉄名古屋本線衝突脱線事故

名古屋鉄道名古屋本線新岐阜(現、名鉄岐阜)発豊橋行きの特急86列車(8両編成。内訳は1030系6両+1800系2両)が、稲沢市奥田堀畑町地内(奥田駅大里駅間)にある大里8号踏切付近(軌道内)で普通乗用車と衝突。うち前2両が軌道を外れ、軌道東側に設けられていたコンクリート製暗渠の用水路沿いに大きく脱線し、特に先頭車両は用水路に乗り上げた状態で停止した。普通乗用車のスリランカ人運転手1名が死亡、列車の乗客32名と運転士・車掌の各1名が軽傷を負った。
事故の原因は、スリランカ人の運転する普通乗用車が遮断桿が下がっていた踏切内に進入、踏切内で脱輪した上に線路上を走行し、これに追突した列車が乗用車を巻き込んで脱線したためである。これ以前にも、JR成田線酒々井成田間の県道を横切る踏切に差し掛かった酒酔い運転の乗用車の運転手が踏切を交差点と間違えて線路内に車を進入させた事件があったが、そちらの場合は踏切支障報知装置を使用して電車を止めたため、衝突は回避されている。
事故車両のうち、大破した1030系前2両は事故廃車となった。残りの6両のうち、1800系2両はそのまま修理されたものの、1030系の後ろ4両部分に関しては豊橋方の車両に運転台を取り付ける工事を行い、新たな固定編成に改造された。詳しくは1030系の項目を参照のこと。

東海道線救急隊員死傷事故

JR西日本の東海道本線塚本駅尼崎駅間で、線路内で遊んでいて姫路行きの新快速にはねられた中学生を救助中の救急隊員2名が、後続の特急「スーパーはくと11号」にはねられ1名が死亡、1名が重傷となった事故である。
この原因として、当時JR西日本に人身事故発生時の明確なマニュアルがなく、現場を監視していた同社社員と同社運転指令所との連繋が上手くいかなかったため、運転指令所が現場の状況を正確に把握しないまま、運行再開を指示したことが原因の一つであるとされている。
後述する福知山線の事故が発生した際に、同社の運行管理体制の杜撰さを指摘する例として、この事故が報道などで再び取り上げられることにもなった。
この事故においては、きっかけとなった中学生の線路侵入による人身事故で運転抑止が長引くことによって、乗客からの苦情が殺到することをJR西日本が恐れていたことが指摘されている。その背景には悪天候や列車妨害行為、大規模停電などによる、鉄道会社の責任の範疇を超えるダイヤの乱れが発生した時であっても、乗客が駅員に文句を並べ立てる光景は各地で見られるものであるが、関西圏では特に厳しいという実情がある。
なお、この事故後、JR線人身事故時の警察現場検証などによる運転抑止時間が、安全確保を理由にそれまでの平均20~30分から平均1時間以上を要するようになり、乗客からの苦情がさらに殺到することにもなった。

長崎線特急列車脱線転覆事故

長崎県諫早市のJR九州長崎本線肥前長田駅小江駅間で、長崎発博多行きの上り特急「かもめ46号」(885系6両編成)が大雨により線路横ののり面から線路上に崩れた岩石に衝突し脱線、転覆した。この事故で乗員乗客36名が重軽傷。列車の1両目が前後逆向きになって線路脇に横転し大破、2両目が水田に突っ込み大破、3両目が2両目に乗り上げるという大規模なものだったが、車両の落下場所が梅雨期の水田で衝撃を和らげたこともあり、比較的負傷者が少なくて済んだと見られる。岩石は直径80cm、質量約130kgで、線路脇の斜面にあったものが降雨による地盤の緩みで落下したものと思われ、線路周囲の法面の点検の徹底が国土交通省から指示された。ちなみに、大破した3両は後に廃車となり、半年後に代用の885系400番台3両が製作され、残った3両と組み合わせ、通常運用についている。

名鉄新岐阜駅電車衝突事故

岐阜県岐阜市名古屋鉄道新岐阜駅(現名鉄岐阜駅)構内で、豊川稲荷発新岐阜行き急行電車(3100系+3500系6両編成)が所定位置で停車せずにホーム端の車止めに衝突、1両目と3両目が脱線し、乗客4名が軽傷を負った。
原因は運転士の体調不良による運転操作ミスとされる。運転士が駅進入の際に気を失って運転レバーに倒れ込み、加速の向きに操作したため。運転士は、事故後の精密検査で中程度の睡眠時無呼吸症候群(SAS)の疑いがあると診断された。この事故を受けて名鉄は運転台にマスコン(力行とブレーキのレバー)の誤動作防止装置を付けた。

飯田線列車脱線転覆事故

長野県辰野町のJR東海飯田線羽場駅伊那新町駅間で天竜峡発岡谷行き普通列車(119系2両編成)が脱線、転覆し約3m下へ落下、乗客乗員4名が軽傷を負った。事故当時、台風23号による大雨の影響で盛土が流出していた。事故車両は2006年3月28日付で廃車となった。

上越新幹線脱線事故

17時56分頃に新潟県中越地震が発生。震源地に近い上越新幹線浦佐駅長岡駅間を走行中だった東京発新潟行き「とき325号」(200系10両編成)のうち7・6号車を除く計8両が脱線した。地震発生当時、同列車は長岡駅への停車のため約200km/hに減速して走行中だったが、早期地震検知警報システム「ユレダス」による非常ブレーキが作動し、長岡駅の東京寄り約5kmの地点で停車した。
自然災害が直接の原因とはいえ、新幹線の営業列車が脱線した初の事例(回送列車では、既に1973年の東海道新幹線鳥飼基地における冒進脱線事故などがある)となったが、高架橋が頑強に造られており倒壊を免れたことと、対向列車が無かったこと、脱線はしたものの転覆には至らなかったことなどが幸いし、死者・負傷者は発生しなかった。

土佐くろしお鉄道宿毛駅列車衝突事故

高知県宿毛市第三セクター土佐くろしお鉄道宿毛線宿毛駅構内で、宿毛行き特急「南風」が116km/hで宿毛駅に進入し、頭端式(行き止まり式)のホームを過走して駅舎に激突した。この事故で、運転士が死亡し、車掌、乗客9名が負傷、特急車両は2両が廃車、宿毛駅の駅舎は大破。半年以上にわたって駅舎の使用停止を余儀なくされた。

東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故

東京都足立区東武伊勢崎線竹ノ塚駅南側の伊勢崎線第37号踏切で、女性4名が太田駅浅草駅行きの上り準急電車(10000系)にはねられ2名が死亡し、2名が負傷した。
当時、この踏切は手動式(第1種乙踏切という)であり、東武鉄道の係員が操作していた。事故発生前の列車が通過後、列車の接近を知らせる警報ランプが点灯しているにも関わらず、次の準急列車通過までに余裕があると踏切警手が思い込み、遮断機のロックを解除して2~3m上げてしまうという誤操作が原因だった。
東武伊勢崎線は北千住駅北越谷駅を複々線化する際、同時に西新井駅~竹ノ塚駅の一区間を除き、高架・立体交差化を行っていた。しかし、この区間では竹ノ塚駅のすぐ南側に東京地下鉄(東京メトロ)の竹ノ塚検車区が存在しており、高架化が困難なため踏切による平面交差としていた。その一方で、当検車区への入出庫列車や、駅北側でも当駅止まり列車用留置線との出入りが頻繁にあったため、どちらもいわゆる「開かずの踏切」となっており、自動化すると遮断時間が長くなる恐れがあり、手動踏切として残していた。
事故後、東武線内に存在していた手動踏切はすべて自動化され、竹ノ塚駅の前後に存在する踏切では踏切道の拡幅や歩道橋の設置が行われ[1]京成電鉄京成高砂駅にあった手動踏切についても自動化された[2]。また、国土交通省もこの事故を踏まえて踏切対策のスピードアップを図る方針[3]としている。その一方で竹ノ塚駅付近の立体化は費用の面などから事業化には未だ目処が立っていないのが現状である。
  1. ^ 東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近における緊急踏切対策について(平成17年4月22日・東京都)
  2. ^ 京成本線京成高砂駅付近における踏切対策について(平成18年7月3日・東京都)
  3. ^ 踏切交通実態総点検および踏切対策の推進について(平成18年10月・国土交通省)

福知山線脱線転覆事故(JR宝塚線脱線事故)

兵庫県尼崎市のJR福知山線(JR宝塚線)・塚口駅尼崎駅間の曲線で、列車の遅延回復のための速度超過運転などが原因となり、宝塚同志社前行きの上り快速列車(207系電車7両編成)のうち、進行方向前より5両が脱線、うち最前方の2両が線路脇のマンションに衝突、大破した。このとき、列車は制限速度70km/hのカーブに116km/hで進入していた。
この事故で、運転士と乗客107名が死亡し、555名が負傷した。死者の数は鉄道事故としてはJR史上最悪で、国鉄時代を含めると三河島事故(160人)に続いて歴代6番目に多い。また、事実関係の記述だけで300ページ超と日航機墜落事故報告書を上回り、日本の事故調査報告書としては過去最大の分量となる大事故となった。
事故車両の進行方向前より4両は現地解体されたが、被害が少なかった残る3両については、事故の風化防止に役立てるため解体せず、遺族の手記とともに鉄道施設に展示される予定となっている。

羽越線特急脱線転覆事故

山形県庄内町榎木のJR羽越本線北余目駅砂越駅間の第2最上川橋梁で、秋田新潟行きの上り特急「いなほ14号」(485系3000番台6両編成)が、橋梁通過直後に全車両が脱線、うち3両が転覆し、先頭車両が沿線にある養豚場の飼料小屋に激突、大破した。
この事故により先頭車両に乗っていた5名が死亡、33名が重軽傷を負った。
突風が原因とされる。詳しくはJR羽越本線脱線事故を参照。

伯備線保線作業員死傷事故

鳥取県江府町武庫のJR伯備線の単線区間で、線路内で保線作業中だったJR西日本米子支社の作業員5人が、岡山出雲市行きの特急スーパーやくも9号』にはねられるなどした。
この事故で、はねられた作業員のうち3人が死亡、2人が負傷した。
事故当時、『スーパーやくも9号』は、15分程度遅れていた。
この事故では、当時の米子支社の作業責任者は、輸送指令から『スーパーやくも9号』の遅れを伝えられていたが、既に同列車が通過したと勘違いし、当該列車とは逆方向に当たる上り列車を警戒するよう、見張員を誤って配置して作業を開始したことが一因とされる。
2008年3月に、鳥取地方裁判所米子支部は、該当の米子支社職員に対し、禁固3年・執行猶予5年の判決を言い渡した。その上で、JR西日本の安全対策の不十分さも指摘した。

日豊本線脱線転覆事故

宮崎県延岡市のJR日豊本線延岡駅南延岡駅間(南延岡駅構内)で、別府宮崎空港行特急「にちりん9号」が、徐行にて南延岡駅に進入中に台風13号の接近によって発達した積乱雲に伴う竜巻にあおられて、先頭2両が脱線転覆し、乗客と運転士合わせて6人が負傷する事故となった。

津山線列車脱線事故

岡山県岡山市のJR津山線玉柏駅牧山駅間を走行中の津山発岡山行きキハ120形2両編成の下り普通第941D列車が、運転士が前方の線路上にが倒れているのを視認したため、急制動をかけたがその箇所で列車が左側に傾き脱線した。乗客25名と運転士1名が乗車していたが、重傷2人、軽傷24人と全員が負傷した。脱線の原因は線路から100m上の斜面の岩盤から風化作用によって落石(推定110t)が発生し、落下の途中でレールに当たって損傷させたため。なお同区間は落石防止工事が必要となり、2007年(平成19年)3月18日まで不通になった。


関連項目