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桃太郎

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ファイル:Momotaro39.JPG
岡山駅前に立つ桃太郎一行の像

桃太郎(ももたろう)は、日本おとぎ話の一つ。

「桃太郎」が、お婆さんから黍団子(きびだんご)を貰って、イヌサルキジを従えて、鬼ヶ島までを退治しに行く物語。

概要

桃太郎の物語は、いくつかの場面でバラエティがある。ただし、物語後半にあるとの戦争の場面では、概ねどの書籍でも桃太郎側の視点で敵討自力救済を正当化し、暴力を用いる勧善懲悪物語となっている。

桃太郎の出生に関しては、から生まれたとする場合や、桃を食べた老夫婦が若返って子供を産んだとする場合がある。

桃太郎の成長過程については、お爺さんとお婆さんの期待通り働き者に育ったとする場合や、三年寝太郎のように力持ちで大きな体に育つが怠け者で寝てばかりいるとする場合がある。

成長した桃太郎は、鬼ヶ島の鬼に苦しめられている人々を救済することを大義名分として出征するが、その決意を自発的に行う場合と、村人や殿などに言われて消極的に行う場合とがある。

出征時には両親から黍団子を餞別に貰う。実戦経験の乏しい少年兵の桃太郎は、道中、遭遇するイヌサルキジの成獣にその黍団子を給与として分け与えて家来傭兵)とし、年少上官の経験不足を補う部隊編成を行う。なお、この武装集団は、殿の命令がある場合は正規軍と見做せるが、命令が無い場合は中世私軍民兵部隊)と見做せる。

桃太郎らは、鬼ヶ島での戦闘で勝利をおさめると、戦後処理では鬼との講和や鬼ヶ島の知行を行わず、鬼が方々から奪っていった財宝を戦利品として略奪するに留める。その後、桃太郎は部隊を解散し、郷里のお爺さん・お婆さんの元に帰って幸せに暮らしたとして物語は締めくくられる。

ゆかりの地

ゆかりの地とされる場所は全国にある。その中でも岡山県は桃太郎作中の「黍団子」と同音の江戸時代の地元土産品「吉備団子」をリンクさせるなど、全県を挙げての宣伝活動からゆかりの地として全国的に有名になった。なお「吉備団子」と作中の「黍団子」との関係は無い。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。以下は桃太郎サミットや日本桃太郎会連合会に参加する自治体とそのゆかりの場所。

成り立ち

桃太郎の人形

物語の成立については諸説存在し、それぞれ争いのあるところである。

有力説の一つとしては、第7代孝霊天皇の皇子彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)兄弟の吉備国平定における活躍と、岡山県(吉備国)の温羅(うら)伝説に由来するものとする説がある。これは、古代の大和政権吉備国の対立構図を、桃太郎と鬼の争いになぞらえたとするものである。 この説をもとに、桃太郎のモデルとなった人物が彦五十狭芹彦命であるとする見方が広く知られている。 これにちなんで、彦五十狭芹彦命の故郷である奈良県磯城郡田原本町では、桃太郎生誕の地として黒田庵戸宮(廬戸宮)を観光PRの一つとして取り上げている。田原本町初瀬川 には、川上から男の子が甕に乗って流れてきて、西の方角に向かい神様となったという伝承が残る(本朝神社考)。西の方とは、『古事記』や『日本書紀』の孝霊天皇彦五十狭芹彦命の記述から、吉備(岡山)や讃岐(香川)をさすと考えられている。

発生年代は正確には分かっていないが室町時代とされ、江戸時代以降に広まったとされる。草双紙の赤本による『桃太郎』『桃太郎昔話』などが出版により広まった最初の版であるとされる。

また赤本豆本黄表紙、青表紙などに登場した桃太郎は、滝沢馬琴の『童蒙話赤本事始』で五大昔噺の冒頭を飾る[1]

明治時代初期までは桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんの間に桃太郎が生まれたという回春型の話の方が主流であった。この他にも「赤い箱と白い箱が流れて来て、赤い箱を拾ったら赤ん坊が入っていた」、「川上から2つの桃が流れて来たのでお婆さんが『緑の桃はあっちゃいけ、赤い桃はこっちゃ来い』と言うと赤い桃が寄って来た」など、物語に差異のあるものが多数伝わっているが、巖谷小波により1894年に『日本昔話』としてまとめられたものがその後の語り伝えに大きく影響した。明治20年に国定教科書に採用される際にほぼ現在の形のものを掲載して以降、これが定着した。因みに舞台の一つとされる岡山県で桃の栽培が始まったのも明治時代以降である。

桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのも明治時代からである。それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはない。明治の国家体制に伴い、周辺国を従えた勇ましい日本国の象徴にされたのである[2]

またその誕生の仕方も「たんす」や「戸棚」や「臼」に入れておいた桃が自然に割れて男児が誕生するなど一様でない[3]

また、香川県では桃太郎が女の子だった、とする話がある(生まれてきた女の子があまりにも可愛らしいので鬼にさらわれないように桃太郎と名づけた)。

その後語り、絵共に様々な版が生まれ、また他の創作物にも非常に数多く翻案されたり取り込まれたりした。落語の『桃太郎』などもその一例である。

なお、太平洋近海の国に伝わるおとぎ話に「樽」や「果実」の中に入った子供が出てくる話が多数あり、日本人の先祖の一つに海洋民族があることを示している証拠だとする説もある。

また別伝では川から拾った桃を食べた老夫婦が突然若返って、男子を産んだという展開もある[1]

また岡山県を中心とした地域には、横着な性格と大力を持った隣の寝太郎型の桃太郎も多い。鬼退治にしても鬼を海中に投げ宝物をとって帰ったり鬼に酒を飲ませて退治する例もある[3]

岩手県紫波郡には母親の腰近くに転がってきた桃を拾って帰り、綿に包み寝床に置いておいたら桃が割れ子供が生まれた桃の子太郎という伝承や、越後佐渡(現・新潟県)の「桃太郎」だと桃の代わりに香箱が流れてきたとあり、この香箱は女性の陰部の隠語でもある[4]

南西諸島沖永良部島鹿児島県大島郡)では「桃太郎」は「ニラの島」へ行ったという。龍宮であるニラの島で島民はみな鬼に食われていたが、唯一の生存者の老人の家に羽釜があり、その蓋の裏に鬼の島への道しるべが書かれており、その道しるべどうり地下の鬼の島へ行き、鬼退治に行く筋書きである[5]

岩手県の桃太郎は父母が花見に行った時に拾った桃から誕生。地獄の鬼から日本一の黍団子を持って来いと命じられ、地獄へ行き鬼が団子を食べている隙に地獄のお姫様をすくう。婚姻譚を伴う桃太郎である[1]福島県の桃太郎も山向こうの娘を嫁にする話。黍団子の代わりに粟・稗の団子の設定の高知県の話。またお供も猿・犬・雉ではなく石臼・針・馬の糞・百足・蜂・蟹などの広島愛媛県の例もある。地方には多様なバリエーションがある[1]

東京北多摩(現・東京都多摩地域北部)地方には蟹・臼・蜂・糞・卵・水桶等を家来にする話があり、これは明らかに猿蟹合戦の変型とする見方もある[6]


語り部によって、桃が川に流れている描写を「どんぶらこっこ すっこっこ」、「どんぶらこ どんぶらこ」などと表現する。

解釈

    • 上流から流れてきた桃を食べて老夫婦が若返ったというくだりには、道教やさまざまな神話が影響していると見られる。『山海経』や西王母伝説、或るいは日本神話イザナギ神産み#黄泉の国に見られるように、桃は邪気を祓い不老不死の力を与える霊薬である果実とされている。また、山奥に住む仙人にも桃は欠かせない存在である。桃太郎を齎した桃は、こうした力のある桃が山から流れて来たものとも考えられる。世界的には霊力のある植物は桃とは限らず、古くはギルガメシュ叙事詩での不死の薬草、旧約聖書の『創世記』における生命の樹知恵の樹田道間守の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ、の実とされる)や徐福伝説の神仙薬などが挙げられる。桃太郎の対的説話としては瓜から生まれた瓜子姫が指摘され、沖縄県久高島には黄金の瓜から生まれた男子が後の琉球王(西威王とされる)となったという伝説のバリエーションもある[7]
    • 桃である理由は、桃は大昔より数少ない果物であり、匂いや味、薬用性および花の美しさがそろい、紅い小さな花と豊潤な果実を付けるところが不老不死のイメージにぴったりであり、人に利益を与え死の反対の生のシンボルを思わせ、その中でも特に桃の実が柔らかくみずみずしく産毛、筋目から命の源の女性器に似ているからであり、そのイメージには邪悪な鬼を退散させる力を感じさせるからであろう[8]
    • その桃にしても延喜式(927年)において、鬼の追難の儀式(鬼払い)に桃の木で製作した弓を使用したと記述があり、源流の中国の文献にも春秋左氏伝(BC480年)の昭公4年(BC538年)に-桃弧(とうこ)、棘矢(しや)、以って其災を除く。-の記録があり、桃の木製の弓、棘のある木で矢を作り鬼等の悪霊のたぐいを追い払えると信じられてきた[9]。これもまた桃の持つ霊力を暗に象徴している、とも言える。
    • 鬼は、風水ではの間の方角(北東)である「鬼門」からやって来ると考えられている事から、敵役である鬼が牛の様な角を生やし、虎の腰巻きを履いているのも、風水の思想によるという解釈もある。
  • 猿・雉・犬
    • 桃太郎は「鬼門」の鬼に対抗して、「裏鬼門」に位置する動物((サル)、(キジ)、(イヌ))を率いた、という解釈がある(滝沢馬琴「燕石雑志」など)。しかし丑と寅(艮・ウシトラ)の逆の方位に当たるのは、(ヒツジ)と申(坤・ヒツジサル)であり、申、酉、戌ではなく、この解釈には多少無理があるため、率いている動物には別の意味があるともされる。
    • 陰陽五行説では桃、(サル)、(キジ)、(イヌ)はどれも金を意味する。
    • 儒教的解釈では、サルは智、キジは勇、イヌは仁を表すともされている。
    • 吉備津神社縁起物語によると、吉備津彦命が、犬飼部の犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)、猿飼部の楽々森彦命(ささもりひこのみこと)、鳥飼部の留玉臣命(とめたまおみのみこと)という三人の家来と共に、鬼ノ城に住む「鬼」である温羅(うら)倒したとされているが、この家来たちを桃太郎の逸話に置き換えると「犬飼健=犬」「楽々森彦=猿」「留玉臣= 雉」となるとする説がある。


  • 桃太郎の深層に対して最初に学問的なメスを入れたのは民俗学者・柳田國男である。昔話に日本の固有信仰の姿を発見することにあった。桃から生まれた桃太郎の背後に異常誕生・成長の「小さ子」の物語の想定、一寸法師、瓜子姫、川上から流れる桃の展開から異界の存在と水辺との関連。それらを統率する存在として水辺の「小さ子」、「海神少童」伝承、カガイモの皮の船に乗り波の流れに沿って流れよったスクナヒコナ神話へとたどり着くのである。柳田はここで昔話とはかつての神話の零落した一つの姿であると言っている。視点を変えれば異常出生の神の子が共同体から除外されつつも異郷に赴く「英雄神話」が抽出できる[1]。また『桃太郎の誕生』の中で、古代ローマのミトラ教神話には、少年の姿をしたミトラ神が犬やサソリを伴って猛牛を退治する話があり、同類型の話が日本以外にも存在すると述べている。
  • 桃太郎を文化人類史的視点から見たのが文化人類学者・石田英一郎である。「桃太郎の母」に現れる「水界の小さき子」の影に付きまとう「水界の母子神」へと行き着き、南島の島々、太平洋周辺の諸民族に伝わる伝説の研究へと行き着く。浜辺に神の子を産み残していく「豊玉姫型の伝承」や南風に身を晒して子を産む「女護が島型の説話」などのユーラシア大陸旧石器時代の文化との関連へと「桃太郎の母」探しは壮大に発展する[1]。遠い昔に信仰された原始母神とその子神とにまつわる霊童の異常出生譚的な神話を想定している[3]
  • 神話学者・高木敏雄の「桃太郎新論」では「英雄伝説的童話」と位置づけられ出自そのものの桃にこだわった所であり「梨太郎」・「林檎太郎」でなくなぜ桃太郎なのかに拘った所である。桃は前述のように邪気を祓う霊物であり長生不老の仙果であり太郎が老夫婦に育てられるのと桃が不老長寿の果物であることは無関係でないとしている。桃太郎の背後に中国の神仙道教思想の匂いが立ち込めてくる。短絡的にルーツ=中国ではなく桃太郎を生み出した「日本」国が閉じられた世界でなく外国=外に開かれた複合的世界であることを示している[1]

心理学的解釈(ユング心理学)

心理学的に解釈してみると、桃太郎は親元にいる間、父-母-子という三角関係の中で父母の愛が太郎へと注がれ成長していくが、大きくなるに従って父母と対等の存在となり三角関係が不安定になる。その反発が太郎をお姫様へ向かわせ、父性の(shadow)である鬼を出現させたと言える。鬼が島への旅は、太郎の自己実現への旅とも言え、太郎はその過程で犬と猿と雉に出会い桃太郎を支えることになるこの3つの力は、親元を離れるまで意識されなかった自分自身の分身としての力であり、このことは自立する青年の自我の背景には3つの隠れた能力が潜んでいることを指し示している。物語、劇中の雉とは上空から鬼が島を探る力(大人社会の矛盾弱点を突く感性の感覚)、犬とは激情的に鬼に食いついていく力(矛盾に満ちた大人社会に対する激しい感情)、猿とは鬼の館をよじ登り門を開ける賢さすばやさ(問題の行き詰まりを開く直感的な判断力)を象徴している。 この話は鬼という否定的な力に対抗するためには、桃太郎という自我も含めて4つの能力が結束してあたらなければならないことを意味する。4つの力とは心理学者・ユングの言う心の4つの力、思考、感情、感覚、直感であり、ユングは思考は感覚に対峙し感情は直感に対峙すると述べている。桃太郎を取り巻く犬と猿と雉の存在はユングのいう4つの能力と呼応する[10]

評価・変遷

「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」

(桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝を獲りに行くためだ。けしからん事ではないか。宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなく獲りに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である。また、もしその鬼が悪者であって世の中に害を成す事があれば、桃太郎の勇気においてこれを懲らしめる事はとても良い事だけれども、宝を獲って家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとなれば、これはただ欲の為の行為であり、大変に卑劣である)

  • 芥川龍之介をはじめとして、尾崎紅葉正岡子規北原白秋菊池寛などの作家たちも競って桃太郎を小説の題材にしている。桃太郎は「日本人」の深層の何かを伝えていたといえる[1]
  • 太平洋戦争の際には桃太郎は軍国主義という思想を背景に、勇敢さの比喩として語られていた。この場合桃太郎は「鬼畜米英」という鬼を成敗する子としてスローガンに利用された。戦時中には孝行・正義・仁如・尚武・明朗などの修身の徳を体現した国民的英雄として、大正期の童心主義では童心の子として、プロレタリア主義では階級の子、また戦後になると民主主義の先駆として語られる[3]
  • 桃太郎が、日本で好んで語られる背景には、心理学的分析上、日本では鬼が島の鬼の集団に象徴される父性の破壊的、集合的、否定的な力が強く、個人の自立が抑制されている由縁を物語っていると言える。桃太郎の話は、そうした社会に対する精神的な補償としての意味を持っている。またそのネガティブ・否定的な力は戦時中の日本軍の行動にもっともよくあらわれており、日本軍はアジアにおいて、戦勝品などの宝物を略奪し女性を奪う植民地支配、侵略の欧米諸国軍である鬼の集団(西洋人)の行動と戦っている。そうした意識は新たな世代では希薄になってはいるものの、近年まで経済侵略やアジアへの売春ツアー、日本民族優秀論など桃太郎コンプレックスといった形で形を変えながら生きているのだと松居友は記述している。[11]
  • 「桃太郎」というネーミングはジェンダーバイアスを押し付けるものだとして主人公が「桃子」になっているものも存在する(次項に挙げられる『モモタロー・ノー・リターン』の主人公も「桃子」である)。だが、現在男性名によく使われる「○太郎」がジェンダーバイアスの押し付けであるとすれば、現在女性名に良く使われる「○子」も同じく押し付けということになり矛盾している。なお、「桃子」のストーリーは前述したような、話し合いによる解決となっている。これは「男性=暴力性・攻撃的⇔女性=穏やか・平和的」とする日本におけるフェミニズム的な先入観からストーリーが改変された可能性がある。その一方で、桃子が鬼と肉弾戦を行う女性の活躍を描いたものも存在する。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • 男性であるお爺さんが「山へ柴刈りに」、女性であるお婆さんが「川で洗濯」をするという点についてもジェンダー的な作業分担の現れと見て、それに異を唱えている団体がある。例えば「北名古屋市女性の会男女共同参画委員会」は名古屋弁の創作劇『モモタロー・ノー・リターン』を作成しており、この作品の中では両者の役割を逆転させている(男性であるお爺さんが「川で洗濯」に、女性であるお婆さんが「山へ柴刈り」に行く)。
  • NHK教育テレビの番組「おはなしのくに」で放映されたもの(出演・朗読はFLIP-FLAP)では桃太郎は「乱暴者で親の手伝いをしない怠け者」であり、村を襲ってきた鬼に育ての親のお婆さんが襲われたことで目が覚め、鬼ヶ島の鬼たちを懲らしめる。現代的な問題提起要素を加え、「やればできる」という教訓付きのストーリーになっていた。
  • 「暴力的な話」だとして、絵本や子供向けの書籍では「鬼退治」ではなく「話し合いで解決した」などと改変されている。しかし、この場合、どこからどうして金銀財宝が出てくるのか、判然としない。また、「金銀財宝」の獲得、つまり経済的成功こそが正義とする思想も価値観が多様化する現代においては受け入れられ難くなっている。
  • 近年、桃太郎も他の日本の昔話、グリム童話同様に、『本当は怖い昔話』などで書籍化、出版され、官能話あるいは残酷話として、意図的に話が曲解されているものもある。

唱歌

唱歌「桃太郎」は、文部省唱歌の1つ。1911年の「尋常小学唱歌」に登場。作詞者不明、作曲・岡野貞一

  • 桃太郎
    1. 桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍團子、一つわたしに下さいな。
    2. やりませう、やりませう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりませう。
    3. 行きませう、行きませう、あなたについて何處までも、家來になって行きませう。
    4. そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。
    5. おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。
    6. 萬萬歳、萬萬歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。

暴力性を感じさせるという理由からか、現在では歌詞が改変されたり、後半部を削除したりする場合が多い。これと似たような経緯で後半部を削除された童謡に、てるてる坊主がある。


また、上記に比べ知名度は劣るが、作詞・田辺友三郎、作曲・納所弁次郎による「モモタロウ」もある。

  • モモタロウ
    1. 桃から生れた桃太郎、氣はやさしくて力持、鬼ケ島をばうたんとて、勇んで家を出かけたり。
    2. 日本一の黍團子、情けにつきくる犬と猿、雉ももらうてお供する、急げ者どもおくるなよ。
    3. 激しいいくさに大勝利、鬼ケ島をば攻め伏せて、取つた寶は何々ぞ、金銀、珊瑚、綾錦。
    4. 車に積んだ寶もの、犬が牽き出すえんやらや、猿があと押すえんやらや、雉がつな引くえんやらや。

吉備団子

吉備団子は、黍団子に因んで江戸末期に売り出された物。吉備とは、備前備中備後美作地方の古名で、現在の岡山県にあたる(備後は広島県)。

関連書籍

  • 柳田国男『桃太郎の誕生』1933年 (角川文庫 1983年)
  • 滑川道夫『桃太郎像の変容』東京書籍 1981年
  • 野村純一『新・桃太郎の誕生 日本の「桃ノ子太郎」たち』吉川弘文館 2000年
  • 芥川龍之介『桃太郎』(サンデー毎日の臨時増刊 1924(大正13)年7月)

桃太郎に関連する作品

『桃太郎』の後日談、子孫、転生を描いた作品

『桃太郎』の話を原案とした作品

桃太郎をベースとしたフィクション作品も参照。

上記以外で人物関係などの設定を引用している作品

上記以外で桃太郎という名前のキャラクターが登場する作品

上記以外で桃太郎が重要な用語として登場する作品

派生用語

選挙

野菜

菓子

鉄道

企業

  • 株式会社桃太郎(桃太郎映像出版、桃太郎ピクチャーズ)は日本のビデオ製作会社
  • 有限会社 藍布屋(らんぷや) - 「桃太郎ジーンズ」というブランドを展開
  • 株式会社ランシステム - コンピュータゲーム販売「TVゲームショップ桃太郎」、ゲームセンター「アミューズメント桃太郎」を展開。


脚注

  1. ^ a b c d e f g h 吉成勇編 『歴史読本特別増刊・事典シリーズ〈第16号〉日本「神話・伝説」総覧』 新人物往来社、1992年、274-275頁。
  2. ^ 『日本の民話』(角川書店)
  3. ^ a b c d e 野村純一他編 『昔話・伝説小事典』 みずうみ書房、1987年、254-255頁。ISBN 4-838-03108-4
  4. ^ 五来重『鬼むかし 昔話の世界』角川書店〈角川選書〉、1991年、230-231頁頁。ISBN 978-4-04-703209-5 
  5. ^ 『鬼むかし 昔話の世界』、216頁頁。 
  6. ^ 『鬼むかし 昔話の世界』、238頁頁。 
  7. ^ 『カラー沖縄の民話と伝説』88~90項、月刊沖縄社
  8. ^ 奥田継夫著『どこかで鬼の話』京都人文書院1990年、38頁、42頁。ISBN 4-409-16048-6
  9. ^ 奥田継夫著 前掲書、38頁。
  10. ^ 松居友著 前掲書、216頁-220頁。
  11. ^ 松居友著 『昔話とこころの自立』 宝島社、1994年、215頁。ISBN 4-7966-0816-8

関連項目

外部リンク