藤原常永
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 貞観9年(867年) |
官位 | 正五位下、但馬守 |
主君 | 淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 藤原北家 |
父母 | 父:藤原葛野麻呂 |
兄弟 | 永宗、常嗣、氏宗、安棟、常永、豊宗、高貞、弟貞、後継、是緒 |
妻 | 伴真臣の娘 |
子 | 是法、維邦、安柯 |
藤原 常永(ふじわら の つねなが/とこなが)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原北家、中納言・藤原葛野麻呂の子。官位は正五位下・但馬守。
経歴
[編集]その後20年近く動静が不明だが、仁明朝後半に勘解由次官・美濃守等を歴任し、仁明朝末の嘉祥2年(849年)に24年振りに昇叙され、従五位上となる。
文徳朝では、斉衡2年(855年)治部大輔、天安元年(857年)刑部大輔と京官を歴任する。文徳朝末の天安2年(858年)尾張権守に任ぜられると、貞観5年(863年)但馬守と清和朝では地方官を務めた。貞観6年(864年)正五位下に至る。貞観9年(867年)卒去。
官歴
[編集]『六国史』に基づく。
- 時期不詳:正六位上
- 天長2年(825年) 正月7日:従五位下
- 承和10年(843年) 2月10日:勘解由次官
- 承和13年(846年) 5月23日:美濃守
- 嘉祥2年(849年) 正月7日:従五位上
- 斉衡2年(855年) 2月15日:治部大輔
- 天安元年(857年) 9月10日:刑部大輔
- 天安2年(858年) 3月13日:尾張権守
- 貞観5年(863年) 2月10日:但馬守
- 貞観6年(864年) 正月7日:正五位下
- 貞観9年(867年) 日付不詳:卒去[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]- ^ 『日本三代実録』貞観10年正月16日条にて、子息の維範が前年に父の喪に服して官職を辞したとの記載がある。